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2007年10月27日

「北方領土交渉」に似てきた「拉致問題」?

 高村外相の発言が波紋を呼んでいます。何人かが帰国すれば、拉致問題に進展があったとみなし、6か国協議での重油支援や人道支援を再開するという趣旨の発言ですが、この発言に町村官房長官が次のように噛みついていました。

 「今ここで何人とか言うのは誤った印象を与える。あたかも何人かが帰ってきそうだとか、あるいは何っていう名前が出ているのではないかとか、そういう事実は全くない。あらぬ誤解を招く。やっぱりすべての拉致被害者の一刻も早い帰国を求めていく、その一点に尽きる。(高村発言は)なんの意味もない」

 町村官房長官の発言が正論です。しかし、進展がなければ、解決には繋がらないのも至極当然のことです。進展は解決に向けての前段階だからです。そこで、何をもって進展とするかとの定義もまた必要となってくるわけです。

 家族会の意向を代表している中山恭子総理補佐官(拉致担当)は「北朝鮮が拉致問題は解決していないとの共通の認識に立ち、拉致被害者全員を帰国する協議に入って初めて進展とみなすことができる」と言っておりました。従って「数人では話にはならない」との立場です。

 外相と官邸サイドのやりとりを聞いていると、先2島返還か、あるいは4島一括返還かの北方領土返還問題と似ているような気がしてなりません。但し、北方領土の問題では、ロシア側が2島ならば、返還に応じても良いと表明している分、まだましですが、北朝鮮は「何人かは返す」とは言ってないわけですから、日本のコップの中の議論は独りよがりの議論ということになります。

 高村外相の発言が、10月中旬の瀋陽での日朝非公式交渉で得た感触に基づくものならば、あるいは、水面下で北朝鮮サイドから何らかのシグナルがあったならば、まだ期待も持て、確かに朝日新聞(10月27日付)が見だしに掲げたように「拉致打開への柔軟策」と言えなくもありませんが、肝心の北朝鮮はおそらく「日本は全くわかっていない」と唖然としているのではないでしょうか。「拉致日本人はもういない」と言った金正日総書記が自らの発言を撤回しなければ何人かの帰国は全くあり得ない話だからです。

 おそらく北朝鮮が期待している日本の「拉致打開への柔軟策」とは、福田政権が「生存している」との前提を撤回、白紙に戻した上で、もう一度、原点に戻って、拉致被害者の安否に関する協議を再開することのようです。福田政権がそうした姿勢を取れば、拉致被害者家族を納得させるため改めて再調査に応じ、説明する用意があるというものです。これまた、日本からすれば到底受け入れられる話ではありません。このように「柔軟策」の解釈が日朝では180度異なるわけですから、残念ですが、どう転んでも拉致問題の進展は期待できません。

 何人拉致されたのかも、何人生存しているのかも、生存者が誰なのかも、何一つ正確なことがわからない以上「何人かでも」と誘っても全く意味がないわけで、結局のところ「全員」と言うほかないのでしょう。

 その「全員」も、政府が認定した人(12人)に限ってのことなのか、数百人いるとされる特定失踪者も含めての話なのか、要は、何人を持って「全員」とみなすのかもわからないわけです。「全員の帰国をもって拉致問題は解決する」と言っても、「全員」の数がわからない以上、解決できるはずはありません。「拉致問題の解決なくして,日朝国交正常化はない」が日本の原則ですから、米国が北朝鮮と関係正常化しても、日本は北朝鮮と国交はできません。

 「国交正常化したければ、拉致問題を解決せよ」と、日本は「国交」を交渉カードにしてきましたが、米朝関係と南北関係の改善を追い風に北朝鮮は逆に「国交したければ、拉致問題は後回しに」と迫っています。日本が焦れば焦るほど、北朝鮮のペースに嵌っていくようです。

2007年10月15日

今こそ「蓮池・地村証言」の公表を!

 先の南北首脳会談で金正日総書記が「拉致日本人はもうこれ以上いない」と語ったと報じられています。また、2日前に共同通信社社長と会見したNo.2の金英南最高人民会議常任委員長も「拉致問題はすでに解決した問題である」と語っていました。二人の発言はこれまでの北朝鮮の公式見解、立場を繰り返したに過ぎません。しかし、トップツーがここまで「断言」したとなると、日本が求めるような形の拉致問題の解決は容易ではありません。

 「拉致問題は未解決」との立場の日本が求める拉致問題の解決とは、ずばり「死亡した」と発表された8人を含む12人の政府認定の拉致被害者の生存と、拉致された疑いの高い特定失踪者らの存在を北朝鮮が認め、日本に帰国させることです。

 問題は、「拉致問題は未解決」の根拠が「8人は死亡していない」と確信しているからなのか、それとも「8人以外に他に生存者がいる」ためなのかは、不明です。ただ、日本政府が一貫して「拉致問題を解決しなければ国交正常化はやらない」とまで言い切るのはそれなりの「確証」があってのことのようです。その「確証」とは、帰国した拉致被害者らがもたらした「証言」ではないでしょうか。

 本日は、5人の拉致被害者が帰国してまる5年目となる日です。蓮池薫・祐木子夫妻は、3日前の12日、「未帰還者の帰国なくしては、私たちの拉致事件は終わらない」とのコメントを発表していました。地村保志・富貴恵夫妻も「拉致問題の早期解決のためできる限りの協力をしていきたい」とするコメントを出しています。蓮池夫妻は確か、子供らの北朝鮮からの帰国3周年を前にした5月21日にも「勉学に励んでいる子供らの姿を見ると、帰国していない被害者とその家族に思いをはせずにいられない」と述べていました。

 蓮池さんや地村さんらがここまで断言しているところをみると、やはり北朝鮮にはまだ取り残されている拉致被害者がいるとみるべきでしょう。また、マスコミには明らかにしていませんが、政府にはすべて情報を提供しているようです。

 彼らは誰が生存し、取り残されているのかも当然知っているはずです。あえて「未帰還者」とか「帰国していない人」とぼかしているのは、生存者の身の安全のためだと言われています。仮に彼らの口から名前が漏れれば、「証拠隠滅」される恐れがあるというのです。仮にそのとおりならば、日朝作業部会の場で北朝鮮から「証拠があるのか」と言われても、日本政府としてはそう簡単には名前を出すわけにはいきません。

 先週講演で石川県に行きましたが、同県白山市で1981年に連れの女性と共に失踪した安達俊之さんの母親に会いました。母親の話では、地村保志さんの父親を通じて安達さんの写真を見せたところ、保志さんは「北朝鮮の外貨ショップで女性と一緒にいるところを見た」と証言したそうです。ところが、この話が週刊誌に掲載され、波紋を呼んだことから保志さんは「そのようなことを言った覚えはない」と否定しました。しかし、安達さんの母親は北朝鮮による拉致、生存を確信し、政府に拉致認定と救出を求めています。

 身元を特定して、安否の確認を求めた場合、危害が及ぶ恐れがあるとの理由であえて名前を公表することを伏せているとすれば、政府は1977年に鳥取の米子で失踪した松本京子さんを昨年、どうして拉致被害者として認定し、北朝鮮に安否確認を求めたのでしょうか。また、北朝鮮が証拠隠滅を図る恐れがあるから公表できないと言うならば、すでに公表されている政府認定の拉致被害者は全員消され、生存の可能性はないということになってしまいます。身の危険が及ぶから、公表できないというのは矛盾しています。

 金正日総書記が本当に「拉致日本人はもうこれ以上いない」と言ったなら、ここが勝負時です。今こそ、日朝作業部会の場で日本政府は蓮池さんや地村さんらの証言を北朝鮮に突きつけ、生存者の帰国を強く迫るべきです。北朝鮮がそれでも知らぬ存ぜぬを通すならば、「証言」を内外に公表し、国際世論に訴えたらどうでしょうか。「生き証人」の「証言」ほど、重いものはありません。

2007年10月 6日

核合意・南北共同宣言の後に日本は対北制裁延長?

 「やはり」と思っていましたが、盧武鉉大統領は福田総理から金正日総書記宛のメッセージを託されていました。盧大統領は金総書記に福田政権で対北朝鮮政策が変わる可能性について言及し、遠まわしながら拉致問題の解決を促したようですが、これに対して金総書記は「福田政権に代わったので日本の状況を見守っている」と答えたようです。

 福田政権になって、北朝鮮への政策がどう変わるのか、出方を注視してから対応するということらしいですが、政権与党の自民党は早々と10月4日、13日で期限切れとなる北朝鮮制裁措置の半年間延長を了承しました。政府もまた9日の閣議で再延長を正式決定するようです。安倍政権が取ってきた制裁措置はこのまま継続する方針のようです。

 日本としては、今後北朝鮮が拉致問題で少しでも誠意を示せば、人道支援の実施や制裁の一部解除など柔軟に対応する構えのようです。拉致問題解決のための「交渉カード」あるいは「取引材料」として温存しておきたいのかもしれません。
 但し、北朝鮮の核問題で一歩前進した6か国協議の合意文と朝鮮半島の緊張緩和と和平に向けた南北首脳会談の共同宣言が出た直後に経済制裁の延長発表というのでは、あまりにもタイミングが悪く、対外的印象もよくありません。

 自民党が制裁延長を了承した4日に発表された第6回6か国協議の合意文には「北朝鮮と日本は不幸な過去と未決の関心事案の解決を基盤に、日朝平壌宣言に基づき両国関係を速やかに正常化させるための真摯な努力をする。北朝鮮と日本は両国間の集中的な協議を通じこうした目的の達成に向けた具体的な措置を取っていくことを公約した」ことが記されています。

 極端な話が、日本の「真摯な努力」と「具体的な措置」が経済制裁の再延長か、と受け取られる恐れもあります。福田総理から直接協力を依頼され、「日本も福田政権になって変わるから、何とか」と金総書記を翻意させようとした韓国政府の面目は丸つぶれです。北朝鮮から「何も変わってないではないか」と言われれば、反論のしようがありません。

 もう一つ、軽視できないことがあります。日朝は9月の作業部会で「可能なかぎり(日朝協議を)頻繁に開催していく」ことで合意していました。やっと協議に応じた北朝鮮は今後について「具体的な行動について協議する雰囲気作りを進めるべきだ。そのためには、まず日本が動かなければならない」「協議を行うにはそのための環境と条件が揃わなければならない」と注文を付けていました。これ即ち、経済制裁の撤回を指します。従って、経済制裁が再延長となれば、北朝鮮は再び態度を硬化させるかもしれません。

 前述した6か国の合意文にはテロ支援国指定解除の時期については明記されていませんでしたが、年内までに北朝鮮が核施設の無能力化と核計画の申告の約束を果たせば、米国がテロ支援国指定から北朝鮮を外すのは、今や常識となっています。米国は「テロ特措法」延長問題があって日本政府を刺激しないよう時期を明記しなかっただけの話です。

 実は、米国と北朝鮮との間には年内までの解除を定めた別途の合意文が存在します。このことはヒル次官補自身も「別途の了解事項を作った」と認めています。この事実を報じた「ワシントン・ポスト」(10月4日)によると、米政府は早くもテロ支援国指定を外す問題で議会との協議に入ったようです。また北朝鮮とも来週からこのことで細部にわたって協議を開始します。米国に戻ったヒル次官補は「我々(米国と北朝鮮)には明白な理解があるので、我々は迅速に動く」と、日本にとっては実に気になる発言をしていました。

 日本に残された時間は残り数ヶ月です。北朝鮮が約束事項を年内まで履行しない場合は、来年に持ち越されますが、いずれにしても時間の問題です。米国はいつになるかわからない拉致問題の解決まで待たないでしょう。見切り発車することになります。

 経済制裁で拉致問題が解決できるとの確信や展望があるならば、北朝鮮が白旗を上げるまで経済制裁を継続するのも一つの選択でしょう。「経済制裁が効かなかろうが、構わない、毅然たる姿勢を示す」ということならば、それはそれでまたよいでしょう。

 但し、これ以上経済制裁を続けても拉致問題の解決に繋がらないと感じているならば、核実験を理由に制裁を発動したわけですから核問題で合意が成立した今、また政権が変わった今こそそのタイミングのような気がします。金融制裁を撤回し、「圧力」から「対話」に面舵を切ったブッシュン政権の教訓からもうそろそろ学んでも良さそうなものですが、やはり北朝鮮が少しでも誠意を示さない限り、どうにも動けないのでしょう。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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