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« 安倍政権がまさか北に「人道支援」?
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日本の交渉担当大使はまた、「素人」 »

予想どおり、人道支援へ

 前回、「膠着した拉致問題打開の突破口のため、安倍政権が(人道支援という)「切り札」を切るのかどうか、注目される」と書いたところ、新任の町村外相は28日夜、各紙とのインタビューで、北朝人道支援を念頭に入れていることを明らかにしていました。

 「拉致問題と全部くっつけて考えるべきなのか。(豪雨被害は)基本的には天災で、そういう時は今までも主義・主張や社会体制を超えて緊急被害対策ということで(支援)してきたこともある。今、急遽検討している」と、その理由を語っています。

 「米国が緊急支援に踏み切ったから」「EU諸国も支援を表明したことで国際社会から孤立したくなかったから」「日朝作業部会で進展を図りたいから」と、動機については様々な見方がありますが、人道支援を行なうのは良いことで、その結果として、孤立が回避され、かつ日朝交渉が再開され、拉致問題の進展が図れれば、それはそれで良いことです。それが外交というものです。

 ただ、一つ、理に合わないというか、合点がいかないことがあります。10日前まではその気がなかったのに、なぜ急遽態度を変更したのか、腑に落ちません。確か、8月中旬の中国瀋陽での非核化作業部会に出席した佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長は「同情はしているけど、日本としては支援する計画はない」と語っていた筈です。外相が交代したからでは説明にはなりません。なぜならば、安部政権は経済制裁を対北朝鮮外交の柱としているからです。外相の「独断」が許されるならば、閣内不一致となります。その理由は以下のとおりです。

 前回でも触れたように2004年4月の列車爆破事故の際に行なわれた人道支援(食糧=コメ25万トンと医療品=600万ドル)は横田めぐみさんのものと出された「遺骨」が鑑定結果、「偽物」であったため、半分で打ち切られました。人道支援の凍結を主導したのが自民党幹事長代理兼拉致問題対策本部長だった安倍総理です。

 「食糧や医療を支援しても、本当に困っている人に渡らず、軍に流れているだけ」「金正日政権を延命をさせるだけ」との主張もまかり通って異論、反論もなく、食糧・医療支援は全面ストップしました。マスコミも国民も当然のことと政府の決定を支持しました。そう言えば、当時の外相も町村さんでした。偶然にも町村外相の時代に人道支援中止が決定されたわけです。

 町村外相は2004年12月10日の衆議院拉致問題特別委員会での同僚の水野賢一議員の「人道支援という名目で食糧支援を行っているが、これを打ち切るのか」の質問に対して「現在、WFP(世界食糧計画)から残り12万5千トンの支援の要請はまだない。WFP等の要請があったとしても、これに応ずることは難しい状況にあると考えている」と答えていました。拉致問題で北朝鮮が誠意を示さないことを理由に止めたわけです。人道支援を中断した理由と再開する理由はどう考えても矛盾しています。

 今回、拉致問題で進展がないのに人道支援の再開に踏み切るということは、米国が寝返った今となっては、制裁一本槍では通用しないということを悟ったからではないでしょうか。随分と時間を浪費したものです。結局のところ、先を見る目がなかったということです。

 安倍首相はインドネシアを訪問した際に「拉致問題の一刻も早い解決を図りたい」と強調、「拉致、核、ミサイル、不幸な過去の清算は積極的に取り組み、正常化を目指したい」と述べていました。「拉致と核とミサイルを包括的に解決する」というのがこれまでの日本政府の謳い文句でした。安倍総理はこの3点セットに北朝鮮が求めていた「不幸な過去の清算」を初めて加えました。

 「制裁は効いている」「日朝交渉が進展しないで困るのは北朝鮮」「日本は焦る必要はない」と言っていたのに結局のところ、成果が上げられなくて困っていたのは、焦っていたのは他でもない安倍総理自身ではないでしょうか。

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コメント (1)

南北首脳会談は大統領選挙の時期を鑑み、ノムヒョン大統領が遅らせていたとの見方があったはずですが、、、。
実際には、今回余りの成果の無さに、韓国の内政にたいする影響度が小さかったように思えます。
李明博が小泉潤一郎的になりそうな予感がしています。

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Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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