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2007年6月28日

「第二の平島筆子事件」の余波

 4年前に北朝鮮から日本に脱北してきた石川一二三(朝鮮名:ト・チュジ)さん突然北京を経由して平壌に帰ってしまいました。2年前に北朝鮮に戻った平島筆子さんと同じケースです。

 石川さんは北京の北朝鮮大使館で「悪い人間にだまされ(日本に)誘拐された」「日本は氷のように冷たかった」と語っていましたが、「悪い人間にだまされた」というのは、北朝鮮当局からそう述べるように言われたか、あるいは保身上そう言わざるを得なかったのかどちらかでしょう。北京の北朝鮮大使館で「金正日将軍万歳!」叫んだ平島さんを連想してしまいました。

 国から生活保護を受けながら、人道団体からサポートされながら「日本は氷のように冷たかった」と言うのは言い過ぎだとは思いますが、政府の場合、彼女から「冷たかった」と言われてもある意味で仕方のない面もあります。

 日本人妻や在日朝鮮人脱北者は法的には「不法入国者」あるいは「難民」扱いとなっているので、国籍を含め身分が定まっていません。このため就職もままならず落ち着いた生活ができません。また飢えた貧困の、怖い国から来たということで周辺から色眼鏡で見られ、疎外感を感じる脱北者もいます。

 かつて、日朝政府間合意に基づき正式に一時里帰りした日本人妻がそうでした。日本の親族の中には、驚いたことに数十年振りの再会を拒み、門前払いした人もいるほどでした。結局親族には誰一人会えないまま、涙ながら北朝鮮に「帰国」した日本人妻も何人かいました。

 平島さんもそうでしたが、北朝鮮に子供や孫、家族を残し単身脱北した人の精神的苦痛と苦悩は想像以上です。正月やお盆に一人で過ごさなければならない孤独感、肩身の狭い思いをしている家族への「贖罪意識」、そして高齢からくる将来への不安や絶望感から、苦しくても最後は子供、孫と共に一緒に住もうと北朝鮮に舞い戻ってしまいます。

 今回の場合も、支援団体の説得を振り切る形で北朝鮮に行ってしまいました。そして、北京での日本非難の記者会見です。これでは何のためにリスクを侵して受け入れたのかわかりません。このままでは北朝鮮に「日本も拉致しているではないか」との「反撃の材料」を与えるだけです。脱北問題と拉致問題を相殺させるわけにはいきません。

 彼女には帰国後は北朝鮮当局の事情聴衆が待ち受けています。脱北ルートから手助けした協力者の身元まですべて打ち明けてしまうかもしれません。彼女の「証言」を基に脱北をバックアップした人道団体やNGO関係者らが北朝鮮当局によって「指名手配」され、引渡しを求められるかもしれません。

 先頃青森に漂着した北朝鮮の「ボートピープル」の問題は日本政府に脱北者問題への新たな課題を突きつけましたが、何はともあれ、現在日本で暮らしている脱北者が北朝鮮に戻らないで済むような精神的、物理的ケアーを施すことです。日本にいる脱北者の面倒すら見られず、どうやって新たな脱北者を受け入れることができましょうか。

2007年6月26日

IAEA査察への日米のギャップ

 国際原子力機構(IAEA)の代表団が今日、北朝鮮入りします。30日まで滞在し、凍結・封印対象の方法、手順について話し合います。合意すれば、査察団が訪朝します。ジュネーブ合意(1994年)に基づき北朝鮮に常駐していた査察官が追放(2002年12月)されて以来4年半ぶりの査察となります。査察は2週間で終わるようですから、7月中旬までには核施設は閉鎖されます。

 米国は核施設の閉鎖を待たずに6か国協議を再開し、また8月初旬にマニラで開かれる東南アジア諸国連合地域フォーラムで6か国外相会談の開催を検討しています。ヒル次官補の訪朝で米朝はこのタイムスケジュールでほぼ合意をみたようです。第二段階(無能化と核計画の全面申告)についても北朝鮮は「準備ができている」と語ったようです。ライス長官は、こうしたことから「北朝鮮には6カ国協議合意の義務を履行しようとする意志がある」北朝鮮の姿勢を評価する発言をしております。

 ところが、日本では安倍総理や麻生外相の発言からも「北朝鮮が初期段階を速やかに履行するかどうかわからない」と懐疑的な見方が支配的です。仮に初期段階が履行されたとしても次の第二段階では「もめてうまくいかない」と冷ややかです。北朝鮮に対する根強い不信感の表れとも言えます。

 メディアの論調も「米国は北朝鮮に乗せられている」という声が圧倒的です。一部には「交渉が決裂し、米国に再び強硬な姿勢に転じてもらいたい」とのある種の「願望」さえ感じられます。これも拉致問題を抱えているせいかもしれません。対話から圧力にシフトした日本にとって、圧力から対話に急旋回した米国の対応ははた迷惑なのかもしれません。

 日本政府はヒル次官補を通じて北朝鮮に対して拉致問題で誠意を示しよう要請したようです。ヒル次官補も「日本は世界第2位の経済大国であり、関係改善が重要だ」と、北朝鮮に前向きな取り組みを促したようですが、「北朝鮮側からはいつもと違った答えはなかった」と述べておりました。北朝鮮から「色よい返事」がなかったということは、6か国協議が開かれても、日朝作業部会が開かれても進展が望めないということなのでしょう。6か国外相会談の際に日朝外相会談だけが開かれないケースも考えられます。

 朝鮮総連の本部差し押さえが北朝鮮に対する「強力なカード」になるのではとみておりましたが、RCCは差し押さえの手続きに入ることを決定しました。安部政権も妥協する考えはないようです。安倍政権の交代を願う金正日政権もおそらく参議院選挙までは動きそうにもありません。日朝の我慢比べはまだまだ続きそうです。

※査察対象核施設についてはコリア・レポートのfocusに掲載しております。
http://www.krp1982.com/

2007年6月22日

「ヒル訪朝」と日本

 ヒル米次官補が急遽ピョンヤンを訪問しました。北朝鮮の首席代表である金桂寛次官に会い、来月に再開する6か国協議に向けての打ち合わせが目的ならば、中国で会えば済む話です。わざわざピョンヤンまで足を運ぶとは、よほど重大な使命を帯びているのでしょう。

 北朝鮮からの1年越しのラブレターに応じたのは、間違いなくライス国務長官やブッシュ大統領の意向でしょう。任期中に核問題を決着付けたいブッシュ政権とすれば、米朝国交正常化などに応じれば、本当に核を放棄するのか、北朝鮮から再度確約を取り付けたいのでしょう。一方の北朝鮮も同じで、核を放棄すれば、平和協定や国交正常化に応じるのか、ブッシュ政権の本心をヒル次官補から聞き出したいのでしょう。言わば、今回の「ヒル訪朝」は2月13日の「核合意」の基礎となった1月の米朝ベルリン合意の再確認にあると思われます。  

 ブッシュ政権の任期は実質的に来年の11月の大統領選挙で終わりです。後、1年半しか残されておりません。ということは、北朝鮮との交渉を急がなくてはなりません。少なくとも今年中には第一段階の核施設の凍結・封印と第二段階の核施設の不能化まで終わらせなければなりません。半年でこれらを一挙にやり遂げるには、その見返りとしてテロ支援国指定の解除と経済制裁の解除を履行しなければなりません。
 
 今回、ブッシュ政権はIAEA代表団の受け入れを表明した北朝鮮への「ご褒美」として200万ドルの人道支援(小型発電機)に踏みきりました。2005年12月に中断していた人道支援を再開させたのです。また、先頃、米議会調査局は「北朝鮮の核問題を解決するには経済制裁よりも経済誘引策のほうがはるかに効果的である」との報告書を発表し、ブッシュ政権に経済誘引策として北朝鮮の国際金融機構への加入を支援すべきだと提言していました。国際金融機構に加入させるためにはテロ支援国の指定から外さなければなりません。そうなると、困るのは日本です。

 「ヒル訪朝」が日本との事前協議によるものなのか、あるいは事後通告なのかは定かではありませんが、もし出発直前にライス国務長官からの電話で始めて知らされたというならば、日本のショックは大きいでしょう。しかし、事前に話があったとするならば、日本もヒル次官補を通じて何らかのメッセージを伝達した可能性も考えられます。そのメッセージへの回答をヒル次官補は今日持参してくるわけです。ヒル次官補の帰国が待ち遠しいです。

2007年6月16日

次は、総連の許宗万副議長か

 島根、大分での講演のため二日間、東京を留守にしている間、朝鮮総連中央本部の土地・建物売却問題をめぐる幾つかの謎が徐々に解き明かされつつあります。

 これまでの報道を整理しますと、①売主の朝鮮総連の許宗万責任副議長と買主の緒方重威元公安調査庁長官の仲介者は元日弁連会長土屋公献弁護士ではなく、都内在住の不動産会社元社長であった②元社長はかつて住宅金融債権管理機構の債権回収を逃れようとしたとして強制執行妨害容疑などで逮捕された経歴がある③元社長は度々訪朝し、朝鮮総連とは深いかかわりがあった③35億円の出資者も元社長が斡旋し、緒方氏に紹介した④出資者は新宿にある経営コンサルタント会社の代表である。

 要は、許責任副議長が元不動産会社社長に売却先を依頼し、元社長が買主を見つけたうえで緒方氏に売買取引の受け皿になることを要請し、緒方氏が承諾したので朝鮮総連側から代理人の元日弁連会長土屋公献弁護士が出てきたというストーリーになります。

 単純に考えてみると、元社長が出資者の経営コンサルタント会社代表をダイレクトに総連側に紹介し、売買契約を交わせば済む話です。普通の売買契約ならば、わざわざ緒方氏のペーパーカンパニー(ハーベスト投資顧問会社)を経由させる必要はありません。理解に苦しみます。やはり朝鮮総連を提訴している整理回収機構(RCC)への対策上、緒方氏の名前、元肩書きが必要だったのではないでしょうか。それで緒方氏を間に挟んだのでしょう。

 問題は出資者が本当に経営コンサルタント会社代表なのか、本当に一人で35億円を出そうとしていたのか、それとも経営コンサルタント会社も単なるトンネル会社だったのか、売却契約が裁判所の差し押さを回避するためのペーパー上の仮装取引かどうかを解く重要な鍵となりそうです。

 また、緒方氏が言うように仮に経営コンサルタント会社の代表が購入代金を調達していたとするならば、その資金の出所、特にそこに朝鮮総連のマネーは介在していないのかどうかも東京地検特捜部の調査対象となるでしょう。まさかとは思いますが、仮に朝鮮総連が経営コンサルタント会社に隠し金を用意していたとすれば、右のポケットから出して、左のポケットに入り、それをRCCに収め、差し押さえを回避するという計算になるからです。

 今回のスキームを描いたのは、一見元不動産会社社長のように見えますが、おそらく不動産会社社長はあくまでフロントで、実際は許宗万責任副議長ではないでしょうか。

 RCCによる628億円に上る返済訴訟となった朝鮮信用組合(朝銀)の破綻原因は他ならぬ財政責任者である許責任副議長にあると朝鮮総連内部では言われています。というのも、朝銀(16行)の債務2千億円のうちその多くは許氏の指示により北朝鮮に還流されたと囁かれていたからです。彼はその「功労」でNO.2の地位にまでのし上ったというのも今では定説になっています。一部には許氏を指して「第2の金炳植」(1970年初頭に朝鮮総連を私物化した第一副議長)と呼ぶ人さえおります。

 策士である許氏は敗訴→差し押さえ→立ち退きを回避することを最優先に今回の売却計画を考えたと思われます。特に「5年内の買戻し」を契約条項に入れたのは、5年内にRCCに全額返済する見通しがあってのことではなく、日朝関係が好転すれば、日朝政治決着でチャラになる、あるいは日本が北朝鮮に供与する戦後賠償金(1兆円相当)から棒引きしてもらうとの計算が働いたと思われます。

 今回の「闇取引」の発覚により独断でやってきた許責任副議長は窮地に立たされることになりそうです。頼みの綱の緒方氏は「非常に苦しくなった。引き下がるときは引き下がる」と述べていますし、代理人の土屋公献弁護士も18日に判決が出る628億円の返還訴訟で「敗訴した場合は直後に登記を元に戻したい」と語っています。そうなれば、もう打つ手がありません。それどころから総連内部からの批判にさらされることになるでしょう。

 また、今回の件で緒方重威元公安調査庁長官、元日弁連会長土屋公献弁護士に続いて、仲介者の元不動産会社社長まで家宅捜査をした東京地検特捜部が許氏をこのまま放置するとは考えられません。まして、許氏には「渡辺秀子幼児拉致事件」との関連で警視庁から参考人としての事情聴収の要請が出ています。許氏は策に溺れ、墓穴を掘ったようです。

2007年6月13日

「青天の霹靂」の朝鮮総連本部売却

 千代田区富士見町に本部のある朝鮮総連の土地と建物が売却されたと聞いて、驚きました。それも、売却先が元公安調査庁長官の緒方重威氏が代表取締役となっている会社と知って二重に驚きました。

 総連中央本部の売却により、東京都本部、機関紙の朝鮮新報社を含め飯田橋にあった「御三家」は全て人の手に渡るところになりました。朝鮮総連の牙城であり。総本山でもある中央本部の売却はまさに朝鮮総連の弱体化・衰退化を象徴しています。

 周知のように朝鮮総連は1998年以降に破綻した朝鮮信用組合(16組合)から引き継いだ不良債権(約2千億円)のうち628億円が総連向け融資だったとしてその返還を整理回収機構(RCC)から求められていました。総連は一部返還には応じるとしたものの、総額があまりにも大きすぎるとして、「値下げ」を要望していましたが、「値下げ交渉」は決裂し、結局RCCによる提訴となりました。判決は来月18日に下りますが、総連の敗訴は確実で、中央本部の差し押さえという事態が想定されていました。 朝鮮総連は判決を前に不動産を手放したということになります。

 こうしたことから関係者の間では差し押さえの前に先手を打って、不動産を処分したとの見方から、RCCに返済するため売却したとの見方まで様々です。問題は売却先です。元公安調査庁長官の会社「ハーベスト投資顧問株式会社」(資本金88万8888円)は昨年9月に設立されたばかりです。定款には投資顧問業や貸金業、経営コンサルタント業、不動産の売買・仲介・管理業が会社成立目的として書かれていますが、ほとんど営業実績のない会社です。

 しかし、調べてみると、設立当時の代表取締役は、東京都文京区在住の男性「A」でした。売却の約1ヶ月前の4月19日に、元公安調査庁長官に名義人が替わっていました。所在地も東京都中央区八重洲から目黒区柿の木坂にある緒方氏の自宅に移されていました。

 数十億円に上る不動産売買は、売主と買主との信頼関係がなければ成立しません。「A」と緒方氏との関係、朝鮮総連と「A」及び緒方氏との関係、売却額、さらには今後の転売先と朝鮮総連との関係を追っていけば、売却の本当の目的が明らかになるのではと推測されます。

 仮に「ハーベスト」が、あるいは転売先が朝鮮総連のダミーといことならば、総連が転売先から借用ということで今後も富士見町に居座ることになります。また、売却して、立ち退きということになれば、文京区白山にある朝鮮出版会館に移転することになるでしょう。事実、東京都本部が入る最上階の2フロアーに総連中央本部が入居し、東京都本部は荒川支部の施設に移るとの情報もあります。

 それにしても、売却(5月31日)の1週間前に開かれた朝鮮総連全体大会で執行部は全国から集まった代議員らにこの「大事」を報告していませんでした。報告していたら、大騒動になり、もしかしたら、議長及び責任副議長ら執行部の再任はなかったかもしれません。それだけに全国の総連系の人々にとっては「青天の霹靂」だったと思います。朝銀の破綻から10年近く経ちますが、総連施設への警察のガサ入れ、総連中央本部の売却という最悪の事態を招いても、誰も責任を取らないのですから、う~む。

2007年6月 7日

「脱北家族」への過保護

 日本政府は脱北家族に対してあまりにも過保護です。氏名も履歴も顔写真も公開しようとしません。二年前に日本人妻の平島筆子さんが帰国した時の対応も同じでしたが、その時はやむを得ませんでした。平島さんには北朝鮮に残してきた子供と孫がいたからです。

 ところが、今回の脱北家族には北朝鮮に残してきた家族は一人もいないということです。それが本当ならば、神経を使う必要性はありません。6年前に偽造パスポートを使って不法入国者した金正日総書記の長男、金正男のときはマスコミに好きなだけ撮らしたわけですから。

 今回一つわかったことは、夫婦は、56歳の元漁師と62歳の妻とのことです。姉さん女房は北朝鮮では本当に珍しいです。妻の家柄が良いから年下の男性でも結婚ができたのでしょう。妻の家系が気になります。

 また、専門学校生の長男は30歳で、たこでなく、いかの漁師の次男は26歳とのことですが、長男と次男は独身だったのでしょうか。年齢的には結婚しても、また子供がいても不思議ではありません。過去の脱北者のケースからしてこの場合は、リスクが伴うので残してきたか、離婚してきたかのどちらかです。もし、そうならば北朝鮮に残してきた家族がいるということになります。

 まあ、日本政府とマスコミが人道的な配慮から彼らの詳細を伏せても、彼らが韓国に行けば、遅かれ早かれすべてがわかります。韓国のマスコミがほおっておかないでしょう。時間の問題です。

 それと、船は兄弟が操縦し、両親は船酔いで吐いたというのもどうかと思います。元漁師の父親が吐き、専門学校生の長男が弟と交代で操縦していたとはどう考えても解せない話です。家計を助けなければならない長男が、それも30になっても、専門学校に通っていたとは、これも気になります。

 また、当初は、「一家はたこ漁師次男が生計を支え、苦しかった」と言われていましたが、朝日新聞(6月6日付)は「一家はたこ漁師である次男の収入で、地元では経済的に恵まれている方だった」と書いていました。ということは、「生活が苦しく、1日おきにパンを食べるのがやっとだった」と言っていたのとはあまりにも矛盾しています。家族全員が時計をはめていたほどですからひょっとすると「貧困からの脱出」ではなかったのかもしれません。

 微量ながら覚せい剤を所持していたことも含め、今回の脱北には何か深いわけがありそうです。万に一つ、今回の亡命が覚せい剤絡みなど「犯罪からの逃亡」ということならば、日本政府の「過保護」は汚点を残すことになります。

2007年6月 5日

「ボートピープル」の謎

 青森県深浦町で保護された脱北者家族の次男が微量ながら覚せい剤を所持していました。次男は「眠気覚ましのため持っていた」と警察当局に語っているようです。覚せい剤の「効能」を知っているということはおそらく初心者ではないでしょう。常用者の可能性も考えられます。密売者かどうかも含めて調べる必要はあるようです。

 家族は「新潟を目指して来た」と語っていますが、なぜ新潟にそこまでこだわる必要性があるのでしょうか。最初から韓国に亡命するのが目的ならば、日本の陸地ならばどこでもよかったはずです。日本にたどり着けば、新潟でなくても、青森からでも韓国には行けるわけですから。新潟に定住したいというなら話は別ですが、新潟に行かなければならない事情でもあったのでしょうか。

 家族は「(北朝鮮では)生活が苦しく、1日おきにパンを食べるのがやっとだった」と語っているようですが、事実ならば、栄養失調にかかり、脱北する体力も気力もなかったはずです。おそらくもやしのように痩せこけていてしかるべきなのにどういうわけか全員健康というから不思議です。

 また、家族は、次男がタコ漁をして一家の生計を支えていたようですが、本当に苦しければ、専門学校に通っている30代の長男は学校を辞めて働いてしかるべきなのにこれまた不思議です。

 陸路からの中国亡命にせよ、資金がなければ、脱北はできません。船も、エンジンも、燃料も、食糧も調達したようですが、「1日おきにパンを食べるのがやっと」の経済事情で、どうやってその資金を調達したのでしょうか。謎です。

 父親は中国語を多少話せ、また4人は着岸時、多少の人民元を所持していたということは中国を行き来していたか、中国と何らかの取引をしていた可能性も考えられます。家族の姓名、年齢、職業、居住地、さらには長男が通っている専門学校の校名がわかれば、いろいろと分析もできるのですが、北朝鮮に家族を誰も残しておらず迷惑をかけることがないわけですから本来ならば、公表してしかるべきです。それが未だ公式発表がないのはどういうわけでしょうか。

 家族が生きるため、食べるため脱北してきた経済難民ならば国連難民保護法や昨年施行された北朝鮮人権法にのっとって人道的に対応し、希望の地の韓国に行けるよう政府は最大限配慮すべきです。しかし、まかり間違って、仮に何らかの犯罪にかかわったうえでの逃亡ならば、ことは簡単ではありません。

 ボートピープルの日本亡命が成功したということが口コミで北朝鮮に伝われば、北朝鮮には脱北予備軍が大勢いるわけですから、今後日本に向かってくる可能性は大いにあります。まして中国ルートが厳しければなおさらのことです。船の大小に関係なく、また強奪してでも、船を手に入れてやって来るでしょう。

 キューバからの難民同様に数人でなく、数十人、数百人と押し寄せて来た場合、生きる糧を求めてやって来る純粋な経済難民と政治的迫害から逃れてくる政治亡命者と、収容所から逃走してきた犯罪者や、北朝鮮が難民を装って送り込んだ工作員らを判別できるのでしょうか。まさか、北朝鮮に身元を照会するわけにもいきませんし。

 ちなみに、2000年から2005年6月まで韓国に亡命した脱北者4,080人のうち10.7%にあたる436人が北朝鮮や中国、あるいは逃亡地の第三国で犯罪を犯していました。野党のハンナラ党の議員が統一部に提出を求めた国政監査資料で判明したのですが、それによると、殺人10人、人身売買23人、麻薬密売10人、強姦・強盗・窃盗など151人、公金横領21人となっていました。

 これあくまで自己申告の結果です。少し手荒な取調べや詰問をしたら、おそらく犯罪者の数字はもう少しは跳ね上がっていたかもしれません。以下の米国の民間の人権団体が行なった脱北者へのアンケート調査を参照してください。

http://www.krp1982.com/questionnaire.html

2007年6月 2日

中山訪米は成果があったのか

 ちゃちを入れるつもりはさらさらありませんが、拉致問題担当の中山恭子首相補佐官の発言を額面どおり受け止めてもよいのでしょうか。5月31日にホワイトハウスで会談した米国家安全保障会議(NSC)のワイルダー上級部長が「拉致問題に関して米国の立場は日本と完全に一致している。一体となっている」と言ってくれたと、中山さんは語っていました。 

 「完全に一致、一体」ということは、拉致問題が解決しない限り北朝鮮に対するテロ支援国指定を解除しないようにとの日本の要望を受け入れたということなのでしょうか。それならばよろしいのですが、できることならば、中山さんからではなく、ワイルダー部長の口から直接聞きたいものです。

 ワシントン駐在特派員はワイルダー部長にインタビューを申請し、是非そのことを直接質すべきでしょう。それがメディアの役割だと思います。というのも、参院選挙の出馬説が取り沙汰されている人の発言だけに訪米成果がやや誇張されているのではとの疑念がつきまとうからです。

 考えてみれば、中山さんの訪米目的は、米国を説得し、北朝鮮をテロ支援国指定から解除しないとの確約を取り付けることにありました。ところが、ワイルダー部長は肝心の点については何の確約もしませんでした。

 中山さんは前日には米国務省でスティーブンス筆頭国務次官補代理と会談し、同じように「拉致問題が解決しない限り、指定リストから解除しないでほしい」と要請していましたが、これまた「解除しない」との言質を取ることができませんでした。 ということは、訪米は空振りに終わったということではないでしょうか。

 先月の訪中もそうでした。6か国協議の中国首席代表である武大衛外務次官と会談した後、中山補佐官は「中国の皆さんが拉致問題をしっかり受け止め、日本の現状に理解が深まったと感じている。今後、どんな形で(中国が日本に)協力できるか、話ができる環境ができた」と報告していましたが、実際は中国政府が、予想以上に拉致問題への関心が低いとの心証を得たため、再度の訪中も検討しているとのことです。本当に理解が深まったならば、何も再度足を運ぶ必要はありません。本当のところ、中国から「もう少し柔軟に対応しなさい」と逆に説得されたのではないでしょうか。

 中国は遺骨問題など北朝鮮の主張を鵜呑みにし、むしろ日本の譲歩による「政治決着」を促しています。その証拠に3月に訪中した丹羽雄哉自民党総務会長が載秉国外務次官に対して北朝鮮への働きかけを要請したところ「北朝鮮に直接言ったらどうか」と突き放され、逆に「交渉ごとは譲り合いも必要だ。譲るところは譲るべきだ」と説得されていました。実はこれが、中国が考えている拉致問題の解決方式です。

 中山補佐官は拉致問題の「進展」の定義について「日朝両国が拉致問題を解決するという共通の認識に立った上で一定のステップがあること」と説明し、米側から理解を得たと言っていますが、これまた本当でしょうか。一定のステップがなんなのかを明らかにしていません。これでは、米中両国とも理解のしようがありません。

 中山補佐官や麻生外相らは拉致問題で進展がなければ、北朝鮮が誠意を示さなければ追加制裁をやると、オウムのように何度も何度も北朝鮮に警告を発してきましたが、実行しません。「忍耐にも限界がある」(麻生外相)と言うならば、追加制裁を発動すればよいものの5月25日に首相官邸で開かれた政府の拉致問題対策本部関係省庁対策会議では「追加的措置は話題にはなったが、現在の状況を継続していくという結論になった」(中山補佐官)と、結局、追加制裁に踏み切りませんでした。もしかすると、踏み切れないのかもしれません。

 「圧力を加えないと、北朝鮮は対話に出てこない、誠意を示さない」という論法から経済制裁を発動したのに、今になって「日本としては制裁自体が目的ではない。対北朝鮮措置を着実に実行するとともに、建設的な対応を取るよう呼び掛けていく」(中山補佐官)というのでは理屈に合いません。

 結局は、追加制裁をやったらますます泥沼化し、こう着状態から完全に抜け出せなくなる恐れがあるから尻込みしているのでしょう。このままでは「追加制裁も辞さない」の日本の脅しは単なる「ハッタリ」に過ぎないと、北朝鮮からコケにされるだけです。

 中山補佐官よりも一週間前に訪米した自民党の町村前外相は5月24日、ワシントンで講演し「もし米国が十分な根拠のないまま、北朝鮮をテロ支援国家の指定から解除するようなことがあれば、日本の人々はアメリカに見捨てられたと感じるだろう」と米国を牽制していましたが、まるで「哀願」するようでみっともないです。結局のところ、拉致問題が完全に行き詰ってしまったことの「焦り」の表れなのかもしれません。

 「解決」から「進展」へ、「進展」から「一定のステップ」といくらハードルを下げたとしても、安倍政権下では拉致問題は動かないでしょう。というのも、北朝鮮は安倍政権のレジームチェンジをひたすら待っているからです。困ったものです。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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