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2007年4月26日

朝鮮総連への「ガサ入れ」

 渡辺秀子幼児拉致事件の捜査は、朝鮮総連関連施設への捜索から総連最高幹部らの参考人として事情聴取要請にまで発展しました。過去に総連中央本部を含め総連施設への強制調査や家宅捜索は何度かありましたが、国外移送目的略取容疑、即ち拉致事件との関連での「ガサ入れ」は今回が初めてです。

 呼び出しを受けている総連最高幹部とは、徐万述議長、許宗萬責任副議長、そして次期議長と目されている南昇佑副議長の3人のようです。疑惑の貿易会社「ユニバース・トレイディング」社を設立した金炳植第一副議長(当時)の下で当時、組織局長、国際局部長、そして総連系貿易会社を統括する「朝日輸出入商社」の主要ポストにあったことから「疑惑の対象」とされたようです。

 警察の捜索を「謀略的国策調査」と激しく反発している朝鮮総連が警察の事情聴取に協力するとは思えません。仮に警察が総連本部に赴いたとしても捜査に協力するとは考えられません。そうなると、令状を取っての連行ということになりますが、徐議長と許責任副議長のトップ二人は日本の国会議員にあたる北朝鮮の最高人民会議代議員です。果たして警察が証拠を固めて、あるいは別件で逮捕に踏み切れるかどうか、今後この「綱引き」が焦点となるでしょう。

 今回の警察の手入れで朝鮮総連に激震が走ったのは疑いの余地もありません。というのも、5月25日に結成52周年を迎える総連は現在、第21次全体大会準備の真只中にあるからです。まして、先の日朝作業部会で北朝鮮の宋日昊国交交渉担当大使が拉致被害者の再調査条件として「総連への弾圧中止」を強く求めたいただけに「まさか」という思いかもしれません。拉致問題では安倍政権が一切妥協も、譲歩もしないことを改めて思い知らされたでしょう。

 ところで、朝鮮総連を未曾有の窮地に追いやっている問題の人物、金炳植はすでに故人となっています。彼は当時、韓徳銖議長の妹を妻としながら、義兄の韓議長をないがしろにし、権力を牛耳ったためそれが原因で、1972年10月に北朝鮮に「追放」されました。韓議長が金日成主席に要請し、ピョンヤンを訪問中の金炳植をそのまま幽閉させてしまったのです。

 当時、総連中央が金炳植に貼った「罪状」は「反党反革命宗派分子」でした。議長の自宅に盗聴まで仕掛けていたというから驚きです。関係者によると、金炳植がNo.2にまで頭角を現し、事実上、総連を私物化するまで権勢を誇ることができたのは、後ろ盾に「金正日書記」が控えていたからだと言われていました。

 有力財界人との会合「万ん賀ん会」を作るなど財界へのロビー活動、自民党を中心とした政界へのアプローチ、さらには韓国の軍人、政治家への買収工作から情報収集まで大胆な「対外活動」と「秘密工作」が北朝鮮から評価されていたのでしょう。71年に滞日中の金大中大統領候補に20万ドルを渡していたことが、それから26年後の大統領選挙中に発覚し、問題となったこともありました。

 謎なのは、その活動資金です。金炳植をよく知る者によると、有能な若手活動家を選抜し、多様な「経済活動」に動員し、資金を調達していたようです。「ユニバース・トレイディング社」は数多くあった金炳植の「私組織」「拠点」の一つとのことです。

 北朝鮮で「隔離」された金炳植が収容所送りされなかったのも、また21年後の93年に社会民主党委員長として復権できたのも、一にも二にも日本に残した彼の膨大な「隠し資金」「隠し財産」の賜物で、それを回収し、党に「献金」したからだとも言われていました。

 北朝鮮で72年から93年までの21年間「隠遁生活」を送っていたとされる金炳植は、その間「日本問題研究所」所長の職にあったとも言われています。これも、「南朝鮮問題研究所」と並んで工作部署の一つです。日本政府が認定した日本人拉致は77年から80年の間に起きました。仮に金炳植が日本にいた「残党」を使って日本人拉致に何らかの形で関与していたとしても不思議ではありません。

2007年4月23日

中山発言と「デッドライン」

 中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)が18日、青森市での講演で北朝鮮に拉致された被害者のほとんどが生存しているとの見解を明らかにしたそうです。政府認定の拉致被害者のうち安否不明者は13人。このうち8人については「死亡」、残り5人が「北朝鮮に入国した事実はない」というのが北朝鮮側の回答でした。

 「ほとんど」ということは最低でも10人は生存している計算になります。立場上、いいかげんなことや、無責任なことを言えるはずがないだけに、これは極めて重大な発言であり、吉報です。どのような根拠、確証から断言されたのか、是非知りたいところです。

 中山さんの講演内容を聞いていつも思うのですが、拉致被害者家族会の信頼も厚く、曽我ひとみさんの家族を「奪還」した実績もある彼女を安倍総理がどうして北朝鮮との交渉に当たらせないのか不思議です。拉致問題の早期解決のためには専門外の外交官を再び日朝交渉担当大使に起用するよりも手っ取り早く、有効的だと思います。中山さんも外野で発言するよりも、自ら日本通で手強い宋日昊大使との交渉に乗り出したらどうでしょうか。

 それと、自民党の対北朝鮮経済制裁シミュレーションチームは北朝鮮によるマネーロンダリング(資金洗浄)を防止する「特定金融取引規制特別措置法案」の今国会提出を見送る方針のようですが、これまたどういうわけでしょうか。理解に苦しみます。

 北朝鮮への圧力カードとして昨年12月に作成され、北朝鮮が拉致問題で誠意を示さなければ提出すると、何度も牽制してきただけに拍子抜けです。まして、先の日朝作業部会が北朝鮮のサボタージュで進展が得られなかったことで拉致被害者家族会から「追加制裁」を求められていただけに腑に落ちません。連呼されていた「毅然たる外交」はどこにいってしまったのでしょうか。

 安倍晋三首相は昨日、拉致被害者家族会代表の横田滋さんらとの会合で「皆さんの平和で穏やかな日々を取り戻すことが私の責任であり使命だ。訪米で拉致問題の解決の重要性について、改めてブッシュ大統領と話したい」と説明し、これに対して横田さんは「政府の姿勢を支持しており、早い時期に解決すると信じている」と、期待を表明したようです。

 その横田滋さんは健康上の理由から11月には代表を退くようですが、家族会ではめぐみさんの拉致から30年目にあたる11月までに拉致問題が解決することを訴えております。参議院沖縄補欠選挙での遊説で「全員生還させる」ことを「公約」した安倍総理にとって初めて「デッドライン」が引かれました。横田さんらの期待にどう応えるのか、安倍さんにとってはこれから約半年間が「正念場」となりそうです。

2007年4月16日

ドタキャンされたマスコミの訪朝

 北朝鮮の名物出し物「アリラン祭典」が始まりました。2年ぶりの開催です。当初は外国メディアの取材も許可されていたのですが、土壇場になって不許可となりました。日本からも朝鮮総連のアレンジにより朝日、毎日、読売、東京の新聞4社とTBS、日本テレビ、関西テレビのTV3社が入る予定になっていましたが、これまたドタキャンとなりました。

 取材ではなく、祭典観覧など観光目的ならば、記者であっても限定的に受け入れるようですが、日本政府は現在、北朝鮮への制裁の一環として北朝鮮に渡航しないよう要請しています。制裁への北朝鮮の報復措置として現地で不測の事態やトラブルが起こりえる可能性が高いことや、その場合の身の安全が担保できないからです。

 今月10日に制裁をさらに半年間継続する閣議決定をしたばかりでした。1月の山崎拓前自民党副総裁の訪朝には不快感を示したのに、仮にマスコミの訪朝を止めようとしないならば、「ダブル・スタンダード」です。国家公務員だけでなく、一般国民も自粛の対象となっているわけですから、マスコミも例外ではないはずです。

 新聞も社説で政府の制裁を支持しておきながら、朝鮮総連の誘いに乗ろうとするならば、これまた矛盾しております。本来は、イラク戦取材の時にも議論されましたが、国交があろうがなかろうが、紛争国であろうがなかろうが、戦闘地域であるないに関わらず、ジャーナリストには現地に赴き、情報を伝える責務があります。また、国民には知る権利があります。そもそも渡航の自粛要請は見方によっては言論の自由の規制につながります。

 米国も国交がないだけでなく、38度戦で軍事的に対峙し、経済制裁も半世紀以上続けていますが、「敵性国家」ピョンヤンへの訪問、取材の自粛要請まではしていません。お上に従うのであれば、「大本営発表」の昔と変わりありません。ジャーナリズムにとって活字、報道の自由は生命線です。何がなんでも守らなくてはなりません。

 新聞やTVは現在、33年前に発生した「渡辺秀子母子殺害・拉致事件」を取り上げています。警察は二人の子供を拉致したとみられる女性工作員を国際手配しました。この事件について北朝鮮は沈黙を守ったままです。北朝鮮には辛光洙容疑者を含め拉致事件で国際手配されている容疑者が5~6人おります。せっかくなので、訪朝するならば探りを入れてみたらどうでしょうか。「アリラン報道」よりも、こちらのほうが国民にとっては知りたいところです。

2007年4月 5日

8日の米知事の訪朝に注目を

 「BDA問題」が解決されないことから6者協議再開のめどが立たず、4月13日までの「核合意」初期段階措置の履行が危ぶまれていますが、時期が多少ずれることはあっても、合意が反故にされることはないと思います。6者協議は停滞したままですが、米朝の意思疎通は相当進んでいるようです。中でも注目されるのは8日のビル・リチャードソン・ニューメキシコ知事一行の訪朝です。 
 リチャードソン知事は民主党ですが、一行には共和党所属のアンソニー・プリンシピ前保勲庁長官が含まれています。ブッシュ政権になって中断した朝鮮戦争失踪米兵の遺骨捜索再開について話し合うことになっています。北朝鮮が同意すれば、ブッシュ政権への「プレゼント」となります。また、驚いたことにビクトル・チャー国家安全保障会議補佐官(日韓担当)も含まれています。チャー氏は6者協議の次席です。民主党知事の訪朝に共和党の元・現職の要人が同行するわけですからこれは只事ではありません。

 チャー補佐官は、6者協議ではヒル次官補に続くNo.2です。しかし、肩書きが示すとおり、ブッシュ大統領の北朝鮮政策を補佐する実務責任者です。ホワイトハウスの北朝鮮政策実務責任者が訪朝するのは、2000年10月のオルブライト国務長官訪朝時のプリチャード北朝鮮担当局長以来のことです。民主党のナンシー・ペロシ下院議長一行のシリア訪問を批判しているブッシュ政権がリチャードソン知事の北朝鮮訪問には何も言わぬどころかチャー補佐官を随行させたことは好対照と言うか、極めて異例です。
 金桂寛次官が3月初旬にニューヨークでの米朝作業部会で米朝関係改善に向けたブッシュ大統領の書面による担保が欲しいとヒル次官補に要請していたことを想起すると、チャー補佐官が持参する可能性も考えられます。過去に2度訪朝歴のあるリチャードソン知事ですが、金正日総書記には一度も面会できていません。2005年の訪朝の時には金永南最高人民会議常任委員長が応対しました。ブッシュ大統領からの「親書」ということならば、ひょっとして金総書記が出てくるかもしれません。
 リチャードソン知事の訪朝後の11日から最高人民会議が開かれます。そこで人事があれば、死去した白南淳外相の後任も決まります。姜?柱第一次官の就任が取沙汰されていますが、誰がなるにせよ米朝外相会談も、あるはライス訪朝も現実味を帯びてくるでしょう。ボルドン前国連大使は民放とのインタビューで「核合意は破棄される」と予想していましたが、さて、予想が当たるかどうか。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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