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2006年12月28日

米朝金融協議の行方

 6か国協議は何ら成果もなく、再び休会となりました。1回の協議で所詮成果を期待するのはやぼな話で、言わば予想通りの結果と言えます。考えようによっては13か月ぶりに再開されたこと、また決裂を意味する閉会ではなく、継続を指す休会となったことがささやかな「成果」と言えなくもありません。だが、米首席代表のヒル次官補が北朝鮮からクリスマス・プレゼントを期待して北京に乗り込んだのは間違いありません。それが、手ぶらで帰らざるを得なかったわけですから落胆するのは当然です。
 それもこれも、調停役の中国に責任の一端があります。米国に対しては「金融制裁の交渉に応じれば、6か国協議は進展する」といい加減なことを言い、北朝鮮に対しては「6か国協議に復帰すれば、金融制裁が解除される」とあてもない約束したことによります。中国の言葉を信じて、6か国協議に出てきてみたら、「全く話が違っていた」というのが米朝の感想でしょう。米朝両方にいい顔を見せようとした中国の「二面外交」はこの核問題での中国の限界、無力をはからずも露呈してしまいました。
 それでも、先行きをそれほど心配する必要はないと思います。6か国協議は物別れとなったものの、ヒル次官補は「解決への励ましになる前兆はあった」と、次回の協議に意欲を示しています。ライス国務長官も「1回の協議で結論を出すのは早すぎる。解決するまで協議を継続する」と、希望を捨てていません。米朝双方ともお互いに「政治決断を期待する」と、ボールを投げ合っていますが、いずれにしても、1月に再開される金融制裁協議が6か国協議の行方を左右することになります。

 ヒル次官補は「北朝鮮は金融制裁のような小さな問題にこだわりすぎる」と、金融制裁を理由に6か国協議をサボタージュした北朝鮮を批判していましたが、北朝鮮にとっては「重要な問題」であっても、米国にとっては「小さな問題」なので、その分、米国が先に「政治決断」をする可能性も十分考えられます。そうなれば、6か国協議は再開され、協議が進展するかもしれません。金正日総書記からすれば、65歳の誕生日を迎える2月16日までに制裁を解いてもらいたいところでしょう。クリスマス・プレゼントを渡さなかった北朝鮮に誕生日プレゼントを贈るほどブッシュ大統領は「寛大」ではありませんが、ブッシュ政権下で「北朝鮮の核問題」を解決するには時間が残されてないだけに先に動くのではないかと思われます。
 ブッシュ政権が金融制裁を解かず、国連の安保理に制裁強化を働きかければ、北朝鮮は金英春人民軍総参謀長が言明しているように2度目の核実験や、ミサイル発射実験で「対抗」することになるでしょう。そうなれば、ブッシュ・金正日のチキンレースの再開となり、ブッシュ政権下での平和的解決は遠のき、軍事対決の危険性が高まるでしょう。北朝鮮が核やミサイル発射の再実験のため、核の数を増やすため、米国から譲歩を引き出すため、あるいはブッシュ政権の交替を待つまでの時間稼ぎかどうかわかりませんが、時間稼ぎをして北朝鮮が得るものは何もありません。核を放棄しない限り、国連の制裁は解除されません。核を手にしたままでは国際社会から経済支援も得られません。また、アジアにおける共存も不可能です。北朝鮮も「決断」をせざるを得ないでしょう。

2006年12月 3日

高英姫伝記からの真実

 金正日総書記の3番目の妻と称される、高英姫(コ・ヨンヒ)氏が本名(コ・チュンヘン)で柔道家の父親、高太文の生涯を綴った自叙伝「柔術愛国者」を7月20日に出版しました。全文227ページにわたる伝記は韓国の済州島から渡日した父親が1961年に北朝鮮に一家を連れて、帰国し、生涯を終えるまでの回想で終始していますが、興味深い、新たな事実が判明しました。第一に、正確な年齢がわかったことです。日本では「1953年生」が定説とされていましたが、正確には、1950年生まれでした。「11歳の1961年5月18日に帰国した」と書かれてありました。従って、生年月日は1950年6月16日ということになります。兄弟は、兄と二人の弟がいて、名前まで明記されていましたが、妹については一言も触れられていませんでした。妹夫婦が4~5年前に米国に亡命したため、彼女の存在を抹消したのかもしれません。
 次に経歴もわかりました。高英姫さんは、大阪の生野区で生まれ、生野区北鶴橋小学校に通っていました。朝鮮学校に通っていたというのは誤りでした。北朝鮮に渡ってからは5年後の1966年(16歳)で平壌芸術大学に入学、70年(20歳)に卒業後、国立民族歌舞団に入団しております。この年、映画「金剛山の処女」に踊り子として出演し、金正日総書記の目にとまったようです。71年には万寿台芸術団に入団、73年に退団し、平壌外国語大学に入学しています。大学卒業後は、朝鮮民俗博物館外国語講師として、また、その後は朝鮮芸術交流協会会員として訪朝する外国の芸術家らとの仕事にあたったとされています。

 興味深いのは、万寿台芸術団への抜擢は金総書記の直々の指示でした。71年10月27日、宴会を開いた際に彼女を隣の席に座らし、「自分が万寿台芸術団に呼び寄せた」ことを明らかにしています。また、金総書記は73年1月28日、雪降りしきる深夜、健康を害して、自宅で療養していた高英姫氏を見舞っていました。「健康上、舞踏を断念し、外国語大学で学びたい」との希望を受入れたことをわざわざ伝えるためにです。「困ったことがあったら、直接訪ねて来るように」と言われたと書かれてありますが、どうやら、金総書記のプロポーズだったのかもしれません。それと、もう一つ注目すべきは70年4月8日に普通江区域の食料品商店で現地指導に訪れた金日成主席から偶然、声を掛けられたとのくだりです。「金剛山の処女」の映画に出ていたのを覚えてくれて、金主席から「立派な俳優になるよう」と励まされたと書かれています。ちょい役で出ていたのを覚えているとは、不自然の感じもしますが、これは、金主席からすでに「金正日の愛人」としての「認知」「お墨付き」をもらっていたということなのかもしれません。この他にも、万寿台芸術団当時にシンガポールやイラク等アジアを、フランス、スイス等欧州を訪問、公演したことは書かれていましたが、日本を訪問したことは書かれていません。実際に、日本に来た時は、すでに踊り子を辞めていたわけで、日本公演では万寿台芸術団のマドンナ(主役)として、舞台で踊ったというこれまでの「定説」は誤りでした。
 著書を読み終えて、「彼女はひょっとすると生きているのでは」との疑問が浮かび上がってきました。2年前にフランスの病院で亡くなったというのがこれまた「定説」となっています。しかし、今日まで裏が取れておりません。正確に言うと、いまなお、「未確認情報」のままです。それと言うのも、死亡したとされるフランスの病院も、死亡した時期も今日まで特定されていないからです。彼女が亡くなったことを証明、確認するものが何一つありません。脱北者の証言もありません。本の最後のほうで「数年前に私は4月の春の親善芸術祝典の迎接実務代表団の一員としてモスクワを訪れた」と書かれていました。この本の出版は今年の7月です。ということは、乳癌で亡くなったとされる1年前まで、外国に飛び回っていたということになります。普通では考えられません。もちろん、12年前に死亡した金日成主席の自叙伝が今なお本人の名前でシリーズ出版され、何巻も続いていることを考えると、高英姫夫人がすでに亡くなっていたとしても不思議ではありませんが、とにもかくにも、裏が取れないので困りました。
 裏が取れないというと、11月19日に放送されたTBS報道特集「北朝鮮政治犯収容所の真実~父の命を代償」に関して、この放送を見た読者からの投稿がありましたので、以下紹介します。「番組はかなり見ごたえがありました。北朝鮮から韓国に逃れた演出家が舞台を通して政治犯収容所の恐怖を描いていました。政治犯収容所に収監された人々の貴重な証言もありました。ところが、番組の後半で番組内容の信用を一挙に失墜する取材がありました。それは、脱北女性が『収容所で美女応援団を見た』とする証言です。彼女は去年、仁川に派遣された美女応援団のビデオを観ながら、『11月頃同じ収容所にこの娘来た。あの娘も見た。石炭を運んでいた・・・』と証言していました。仁川に派遣された美女応援団は平壌の金星学院の学生です。金星学院は日本のメディアも取材しています。収容所で脱北者が見たとする娘は、テレ朝とフジテレビが昨年末と今年春に放送した番組に写っていました。テレ朝とフジは去年11月と今年の3月に平壌に入って取材しています。金星学院の学生が収容所に送られている時に、日本のメディアの取材を許可することは考えられません。この脱北女性の証言は極めて信憑性が薄いです。脱北者の証言を裏が取れないからといって、検証を放棄して、垂れ流しするのは、取材姿勢として疑問に思います」
 今年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの夫、金英男さんが金剛山で韓国から来た母親と28年ぶりに再会した際にその場にいた関係者らを見て安明進さんが日本のテレビとのインタビューで「この男は、金正日政治軍事大学にいた」と「北朝鮮の工作員」と断定しましたが、後でその名指しされた人物が韓国から母親に同行してきた赤十字関係者ということがわかって告訴されるという騒ぎになったことを思い出しました。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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