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2006年9月29日

6週間がタイムリミット?

 6か国協議の無条件復帰を迫る米国と、金融制裁解除が先だとする北朝鮮の綱引きは、米国による「国際包囲網」対「ミサイル発射」という双方の圧力の掛け合いがあったものの1年近くも膠着状態に陥ったままです。しかし、ここにきて、米国の方に若干変化が見られます。「米朝直接対話には応じない。米朝対話はあくまで6か国協議の枠の中で」「6か国協議と金融制裁は別問題」との立場を貫いていた米国が「6か国協議参加の意思さえ表明すれば、6か国協議前でも米朝直接会談を開くことができる」(バーシュボウ駐韓米大使)「6か国協議復帰を条件に米朝の間で作業部会を設置し、金融制裁問題を協議する用意がある」(ヒル米国務次官補)「6か国協議復帰の意思を示す場合、ヒル次官補の平壌訪問の可能性も排除しない」(バーシュボウ大使)と、6か国協議復帰を前提にしているものの軟化の姿勢を見せています。
 
 金融制裁討議のための米朝作業部会設置も、ヒル次官補訪朝もこれまで米国が拒んできたのは周知の事実です。また、日本とオーストラリアが経済制裁を発動したにも関わらず、米国がいまだ追加制裁に踏み切らないのも気になります。もちろん、ブッシュ大統領が弱気になったとは考えられません。おそらく、北朝鮮を6か国協議の場に引っ張り出すための誘引策と見るべきでしょう。だが、その一方で、米国が国連総会の場で計画していた10か国協議が中国の不参加で不完全燃焼に終わったことや、北朝鮮が核実験を示唆したり、原子炉から新たに使用済燃料棒を取り出し、年内まで再処理して、プルトニウムを抽出するとの「脅し」も影響しているのかもしれません。まして、金桂寛外務次官が「核物質が第3国に移転されないよう米国は憂慮したほうがよい」と牽制したようですが、米国がデッドラインとしている核物質の海外流出まで仄めかしたとなると只事ではありません。

 米国は「北朝鮮は6週間以内に回答すべきだ」(ヒル次官補)と期限を切ってきました。11月初旬にライス国務長官の日韓中歴訪が予定されていますが、それまでに「肯定的な回答」がなければ、米国は北朝鮮に6か国協議復帰の意思がないものとみなし、極めて「重大な措置」を取るかもしれません。「重大な措置」が有志国による海上封鎖を含む新たな経済制裁を指すのか、国連での「制裁決議」を指すのか、それとも「軍事的オプション」を指すのかわかりませんが、困ったことに北朝鮮も「金融制裁を解除しなければ、6か国協議には絶対に復帰しない」(崔守憲外務次官の国連演説)と、引く気配を見せていません。米朝のチキンレースがどのような結末を迎えるのか全く予想がつきません。安倍政権が中国及び韓国との関係修復に乗り出すことにしたのも、「北朝鮮問題」がその背景にあるのではないでしょうか。

2006年9月21日

安倍政権下で拉致問題は解決!?

 安倍晋三官房長官は拉致問題で自民党総裁(総理)になったと言っても過言ではありません。それだけに拉致問題解決に向けた政治手腕に拉致被害者の家族だけでなく国民の多くが期待を寄せています。安倍官房長官が拉致問題で人気を博したのは、一貫して「毅然たる姿勢」を示したことに尽きます。「拉致をしたり、核を開発したり、偽札をつくったり、麻薬の密輸をやったりする北朝鮮に対話だけで、あるいは話せばわかると考えている人は能天気だ」「北朝鮮に一切の代償を与える考えはない」「落しどころもなければ、一切妥協するつもりもない」と、強気一辺倒の対北政策を取ってきました。拉致問題での安倍氏の発言には全くブレがありません。
 
 発言が終始一貫しているのは何も拉致問題だけではありません。歴史認識の問題でも同様です。実は、安倍氏は初当選した翌年の94年に今は袂を分かったかつての盟友・荒井広幸議員と共にソウルで韓国若手政治家らとの座談会に臨みました。その際、司会を担当したのが筆者でしたが、安倍氏が韓国の若手論客らと真っ向から遣り合い、一歩も引かなかったのを覚えています。12年経った今日でも安倍氏のこの問題での発言は変わっていません。良くも、悪くもそれが「安倍カラー」なのでしょう。安倍長官は拉致問題では「先を読めば、結果を追求できる」と言っています。圧力を加えれば、制裁を加えれば、北朝鮮は必ず折れてくるとの確信があるのでしょう。

 その北朝鮮ですが、すでに2月の段階で「ポスト小泉は安倍」と想定してました。北朝鮮の報道を検証するまでもなく、北朝鮮は安倍長官を目の敵にしています。「拉致を認め、謝罪したにもかかわらず、日朝関係が進展せず、逆に悪化したのは安倍のせいだ」「経済的に、外交的に苦境に立たされたのは安倍の強硬策のせいだ」と怨んでいるようですが、その通りならば、今後拉致問題で安倍氏に花を持たせたり、ポイントを稼がせるようなことはしないかもしれません。小泉総理の場合、2度にわたって拉致問題を「政権浮揚」や「支持率の回復」に使うことができましたが、安倍政権が短命政権に終わることを仮に北朝鮮が期待しているならばそれは無理かもしれません。ひょっとすると、北朝鮮は早くも「ポスト安倍」後を睨んでいるのかもしれません。だからこそ、安倍氏も強気に出ざるを得ないのでしょう。
 
 安倍氏は北朝鮮の狙いを重々承知のうえで対北朝鮮政策、拉致問題に臨むものと思われますが、正直なところ早期に結果を出せるかどうか、こればかりはやってみなければわかりません。安倍政権にとってプラスでもあり、マイナスでもあるのは、ブッシュ政権が北朝鮮に対して強気の姿勢を崩していないことです。米国と足並みを揃えれば、北朝鮮を降伏させることができるかもしれないと考えても不思議ではありません。問題は、ブッシュ大統領の任期が事実上再来年で切れることです。米大統領選挙までの残り2年間で決着が付けば、万々歳なのですが、今の金正日政権は米国のレジームチェンジ(政権交替)まで待ちの戦術に出ています。ということは、ブッシュ政権下で北朝鮮がギブアップするか、米朝妥協=合意という「サプライズ」が起こらない限り、安倍政権下、即ち2008年までの拉致問題解決は難しいということになります。高齢で病弱の身である拉致被害者家族の立場を考えれば、長期戦、持久戦は何としてでも避けなければなりません。安倍氏にバトンを渡すことになった小泉総理は「状況次第では特使として平壌を訪問することもあり得る」との考えを持っているようですが、「小泉カード」を使えるような状況になるのか、とにもかくにも安倍次期総理の外交手腕に大いに期待したいと思います。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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