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2006年6月26日

テポドンと「金英男」

 日韓とも枕を並べてW杯一次リーグで敗退したことからマスコミのフィーバーも収まり、ワールドカップへの熱が冷めた感もあります。そうなると、再び、北朝鮮に関心の目が向けられるかもしれません。テポドン発射の動きに続いて28日からは北朝鮮の金剛山で横田めぐみさんの夫とされる金英男さんの親子対面があります。29日には日米首脳会談が開かれ、核・ミサイル・拉致に対する北朝鮮への共同対応が表明される予定です。すべては北朝鮮が鍵を握っています。まずはテポドンの動きですが、ミサイルは発射台に載ったままです。燃料の注入が本当に完了しているならばいつでも発射可能とみられるのですが、天候の問題以外にも米軍による軍事デモンストレーションも北朝鮮にとっては気になるところのようです。太平洋グアム周辺での空母3隻、艦艇30隻、軍用機280機を動員した最大規模の海上訓練が終わったと思ったら今度は2日後の6月25日から環太平洋でリムバックが始まります。北朝鮮の「反米月間」(6月25日―7月27日)にまるで合わせるかのように7月29日まで太平洋上で第3艦隊を含め50隻の艦艇、百数十機種の航空機、2万人以上の兵力が動員されるようです。米国のイージス艦「シャイロ」からのスタンダードミサイル(SM-3)によるミサイル迎撃実験成功のニュースも無視はできないでしょう。それでも、発射を強行するとすれば、よほどの決意と、自信があるのでしょう。軍事衝突にまでエスカレートするのは困りますが、米国が迎撃できるのかどうか、また北朝鮮が米国の迎撃を交わせるのか、「勝負」させてみたらどうでしょうか。米国のMD(ミサイル防御システム)には配備を検討している日本や同盟国が、また北朝鮮のミサイルにはイランなど中東諸国や南米の反米諸国が関心を寄せているだけになおさらです。お互いに「やるぞ、やるぞ」と牽制、威嚇しあっていますが、この「ミサイルゲーム」は降りたほうが負けです。国家の威信と面子をかけた「心理戦」の戦いは日米首脳会談が終了するのを待って決着が着くのではないでしょうか。

 金英男さんの親子対面もマスコミの注目の的となるでしょう。金英男さんとの面会は母親の崔桂月さんと姉の金英子さんだけが許可され、男兄弟らは外されました。韓国の離散家族取材陣による取材が許可されるかどうかまだはっきりしていませんが、日本の取材はシャットアウトのようです。そのため日本のマスコミとしては30日に韓国に戻ってくる母親や姉から直接話を聞きたいところですが、二人を仕切っている韓国拉致被害者家族会の崔成竜代表は「韓国人拉致問題を北朝鮮への圧力強化のために政治利用する恐れがあるので日本のマスコミ取材は受けない」と頑な姿勢を示しています。「金英男さんは北朝鮮では本当のことが言えない」「北朝鮮当局から嘘を言わされるだけだ」と、金英男さんが何を語っても信じない拉致被害者家族の立場はジュンキンスさんのケースからも十分に理解できますが、それでも金英男さんの口から妻であった横田めぐみさんの安否に関する情報が明らかにされる可能性が高いだけに日本としてはこのまま手をこまねいて見ているわけにはいきません。何はともあれ、何を語ったのか詳細にする必要があります。そのうえでそれが嘘かどうかを検証することです。そして、「生存情報」を持っていれば、この際、突きつけるべきです。

2006年6月21日

テポドン・ミサイルは発射されるか

 発射するのか、しないのか、北朝鮮によるテポドン・ミサイル発射の動きに世界の耳目が集まっています。舞水端(ムスタン)基地へのミサイルの移動が米国の偵察衛星によってキャッチされたのが、5月10日前後。それから1ヶ月と10日以上経ちましたが、まだ発射にはいたっていません。発射しないのは、①燃料の注入がまだ完了していない②発射基地周辺で悪天候が続き、気象状況が悪い③着弾予定地としている太平洋沖で米軍が19日から空母3隻、艦艇30隻、軍用機280機、兵力2万2千人を動員して大規模の軍事訓練を行っているとの3つの理由が考えられますが、だとすると、燃料注入には3日もあれば十分なので仮に19日から始めたとしても明日までには完了します。米軍の軍事訓練も23日には終了するので、天候さえ回復すれば最短で24日の土曜ないしは25日の日曜日には発射されることになります。ちなみに25日は朝鮮戦争(1950-53年)勃発日で北朝鮮では「反米月間」のスタートの日にあたります。仮にテポドンを米国による金融制裁の解除を狙った交渉カードとして使っているならば、発射を遅らせているのは、ブッシュ政権からの「最終回答」を待っていると言えます。前回(1998年8月31日)のテポドン1号の時も状況は今と同じで、北朝鮮はクリントン政権による経済制裁に直面していました。事態を打開するためテポドンを太平洋に向けて発射したところ、クリントン政権は交渉に応じ、翌年の5月にペリー元国防長官を平壌に派遣し、経済制裁の一部を解除しました。続いて、2000年6月にはミサイル発射留保の見返りに大幅な制裁措置の緩和を発表しました。この年の10月には北朝鮮制服組トップの趙明禄(チョ・ミョンノク)国防委員会副委員長(次帥)とオルブライト国務長官による相互訪問も実現しました。クリントン大統領の平壌訪問と金正日総書記との首脳会談も後一歩というところまでいきました。結局、11月の大統領選挙で後継者のゴア副大統領が共和党のブッシュ候補に敗れ、米朝首脳会談は頓挫しましたが、金総書記とすれば、「夢をもう一度」と、一か八かの賭けに打って出たのかもしれません。

 ブッシュ政権が北朝鮮の要求を受け入れなければ、このまま見切り発射される可能性は極めて高いと考えられます。その根拠は4つあります。一つは、何の見返りのない中断、延期はありえないということです。金総書記にしてみれば、これはブッシュ大統領とのチキンレースと捉えています。金総書記は東西冷戦下で旧ソ連など共産圏が崩壊した端緒は1962年の「キューバ・ミサイル危機」の際のケネディー米大統領とフルシチョフソ連共産党書記長によるチキンレースで、フルシチョフが敗れたことにあると考えています。従って、無条件では絶対に引き下がらないでしょう。二つ目は、核保有に続き、ミサイルまでも手にしてしまえば、もはや米国はイラクに対して行ったような軍事攻撃はできないと考えていることです。周知のように北朝鮮は昨年2月核保有宣言を行いました。核を何発持っていても、その運搬手段がなければ、それも米国に届く長距離ミサイルがなければ、何の意味もありません。核とミサイルはセットになって初めて威力を発し、脅威となります。三つ目は、発射を取りやめたからといって米国の金融制裁や日本の経済的圧力が緩和されるわけではありません。米国はマネーロンダリングや偽札で金融制裁を実施し、また日本も拉致問題で経済的圧力を強めています。また、国際的包囲網を敷こうとしています。ミサイルを発射しようがしなかろうが、日米による経済制裁は強まることはあっても弱まることはないと見て取っていることにあります。四つ目は、仮に、北朝鮮が言うようにミサイルではなく、人工衛星の打ち上げならば、なおさら発射の可能性は大きいと思います。前回のテポドン発射では20kg程度の物体を軌道上に乗せようとしたところ必要な速度に達せず、失敗したと伝えられています。この物体が衛星ならば、再チャレンジしてもおかしくはありません。28日から予定していた金大中前大統領の訪朝が21日になってキャンセルされました。金前大統領が「今の状況はまずい」と自ら進んで辞退したように報道されていますが、実際は、北朝鮮側から「今回は受け入れる環境にはない。しばらく延期して欲しい」と要請され、泣く泣く断念したというのが真相です。韓国政府は金前大統領の訪朝に最後の望みをかけていただけに失望感が広がっています。これにより、テポドン発射の可能性はますます高まったといえます。前回は、昼時間の12時頃に発射されています。今回もおそらく真昼に発射されるのではないかと推測されます。

2006年6月 6日

「金正日料理人」がまた「暴露本」

 2001年に北朝鮮から「脱北」するまでまる13年間も金正日総書記のお抱え料理人を勤めた寿司職人、藤本健二氏が再び「暴露本」を出版するようです。1作目の「金正日の料理人」(2003年6月)、2作目の「金正日の私生活」(2004年7月)はいずれも扶桑社から出版されましたが、今度の3冊目は小学館から出るようで、表題は「核と女を愛した将軍様」。早ければ、今月中旬には書店に並ぶようです。本誌が得た情報では、今回の本には著者自身が「将軍様は私を生かしておいたことを後悔するでしょう」と言うほど、これまで口が裂けても言うまいと「封印」してきた「最後の秘密」が明らかにされているようです。著者からすれば「今度こそ、やられるかもしれない」との覚悟の上で書いた「最後の告白」のようです。
 金大中・金正日トップ会談、鄭周永現代財閥名誉会長やプーチン大統領の訪朝など2000年に連鎖して起きた出来事に関する知られざるエピソードから始まり、金総書記がサングラスをかける理由から健康法、趣味にいたるまであらゆるプロフィーリングが書かれているみたいです。また、今もって死亡が確認されていない高英姫(コ・ヨンフィ)夫人の「死亡説」については巷間言われているような「乳がん説」ではなく、他に原因があると、その真相を初めて明らかにしたようです。また、高英姫夫人との間に生まれた二人の「王子」、正哲(ジョンチョル)と正雄(ジョンウン)、愛娘のヨジョンら秘密のベールに包まれたロイヤルファミリーのプライバシーもこと細かく描写されているようです。いま「テポドン2の発射」の動きが取り沙汰されているミサイルについてもすでに1995年の段階でインド洋まで飛ぶミサイルを手にしていることが、金総書記が召集した同年12月30日の党・軍幹部らの宴会でのやりとりの中で明らかにされているようです。この他にも、ピョンヤン郊外の22号招待所に最高司令部の核シェルターが存在すること、「金正男不法入国事件」で問題となった偽造パスポートが第三国で入手されていること、それら偽造パスポートを利用して、高英姫夫人や軍・党幹部らが夫婦同伴でお忍び外遊している事実が書かれているとのことです。

 極め付きは、偽ドルのマネーロンダリングに金総書記自身が関わったとされるくだりがあることです。核問題で北朝鮮と激しく対立しているばかりか、偽ドル問題で金融制裁を科している米国にとってはどれも喉から手が出るほど欲しがっている情報かもしれません。藤本氏が1作目で三男、正雄の存在を明らかにするまで米国や韓国の情報機関も、日韓のメディアも、また北朝鮮問題専門家らも全く把握していませんでした。おそらく衝撃的な内容が満載されているとされる今度の3冊目も大きな波紋を呼ぶのは間違いありません。南北首脳会談6周年(6月15日)を前に、それもその10日後には金大中前大統領の再訪朝が予定されているこの時期に出版されれば、日本のみならず、「朝鮮日報」など韓国のマスコミも飛びつくでしょう。過去2冊については音なしの構えだった北朝鮮がどのような反応を示すのか、それもまた興味津々です。

2006年6月 3日

「金英男家族」の来日をめぐる「不協和音」

 横田めぐみさんの夫、金英男(キム・ヨンナム)さんの母(崔桂月=チェ・ゲウォル)と姉(金英子=キム・ヨンジャ)の来日で「日韓提携」が期待されていた日韓両国の拉致被害者家族及び支援団体の関係は「協調」どころか、残念ながら逆に「不協和音」を曝け出す結果となってしまいました。「週刊新潮」(6月8日号)が「『横田さん夫妻』も嘆く日韓支援団体の『内輪もめ』」という見出しの記事の中で書いているように、日韓の支援団体同士の「いざこざ」が原因です。今回、韓国からは「拉北家族協議会」の崔祐英(チェ・ウヨン)代表と「金英男家族」を引率してきた「拉北者家族会」の崔成龍(チェ・ソンヨン)代表が来日しました。崔祐英代表は女性です。「週刊新潮」にも触れられているように実は「家族協議会」と「家族会」は犬猿の関係にあります。元来は、一つの組織でしたが、4年前に内紛が起きて、分裂してしまいました。日本側はこれまで、崔祐英さんと横田夫妻が「義理の親子」関係を結んだことでもわかるように「家族協議会」を精神物心両面で支えてきました。そうした関係から招請側の「救う会」が崔祐英さんを窓口に「金英男家族」の日本招請も含めすべての事を進めようとしたことに崔成龍代表が反発したようです。結局、それが原因で、5月27日の「日韓連帯東京集会」と翌日28日の「国民大集会」また最終日(30日)のめぐみさんの拉致現場への視察も「母親の体調不良」を理由にすべてキャンセルしてしまいました。
 
 実は、その予兆は、横田早紀江さんらが4月に訪米した際にありました。ブッシュ大統領との面会のあと満面の表情で帰国した早紀江さんら拉致被害者家族会や「救う会」メンバーでしたが、5月に予定されていた横田滋さんの訪韓と「金英男家族」の訪日をめぐってはその段取りを任されていた「救う会」と「金英男家族」の代理人である崔成龍代表とはこの時点でギクシャクしていました。崔成英代表が当時ワシントンで日韓の友人に次のように語っています。「4月20日、私たちはワシントンでの北朝鮮への抗議集会に参加するためにこちらにやってきましたが、日本のテレビ局のアレンジで横田滋氏と生中継で話をしました。横田さんからワシントンを訪れる『救う会』の西岡氏と話し合って金英男さんの母と姉の訪日スケジュールを相談して欲しいと依頼を受けました。しかし、西岡氏からは一度電話連絡があり、『いま忙しいので、ブッシュ大統領と横田さんとの面会後に連絡する』と言ってきました。その後は夜中の2時まで連絡を待っていたのに結局なしのつぶてでした。日本側からは以前、5月10日前後にソウルへ横田夫妻を連れて行きたいという打診はありました。さらに金英男家族を6月10日頃に日本に招待したいという内々の打診もありました。ところが日本で国民大集会が6月11日から5月28日に変更になったので、5月末に来てくれと一方的な打診があっただけで正式な話し合いはしていないのです。日本側は日本側が言えば、韓国側がハイハイとおとなしくついてくると思っているのでしょうかね?金英男さんの母も80歳近い老齢で、関節炎に悩まされており、歩行も困難な状況です。そういう事情も知らずに一方的に『招待するから来てくれ』と言う態度はクビをかしげます。このままでは5月28日の日本の拉致大集会などには我々は行きません。我々が日本側に先に連絡する必要はないです。日本も韓国も同じ東洋の美徳を重んじる儒教の影響のある国です。本来なら妻の実家が夫の実家に挨拶にやってくるというのが、一般的ですから、その慣例に従って妻の両親である横田夫妻が韓国を訪問するのを待っているのですが、訪問時期に関しては相互で話し合わなければならないのに、西岡氏は一方的に通告してくるというやり方です。これでは気分いいはずはありません。日本での国民大集会はあちらで勝手にやればいいんです」

 結局崔成龍代表は「救う会」に「軽視された」という面子と「崔祐英とは同席できない」との理由だけで、「招待」を断り、集会もボイコットしてしまいました。30日の1時からの新潟県知事への表敬訪問の際も、崔成龍代表は欠席し、姉の金英子さんも崔祐英さんの隣に座らされたことに不快感を示し、2時から予定されていた新潟県会議員との会合をドタキャンしてしまいました。3時からのめぐみさんの拉致現場視察はそもそも「金英男家族」からの要望でした。そのため体調が万全でないにもかかわらず横田夫妻が自ら案内を買って出たのに、崔祐英さんらは視察したものの、肝心の「金英男家族」は姿を現さずじまいでした。これではマスコミの扱いが小さくなるのは止むを得ないかもしれません。崔成龍代表と「金英男家族」それに崔成龍代表に味方する「拉北・脱北人権連帯」の都希命代表らは滞日中の宿舎も別で、東京では半蔵門の「グランド・アーク・ホテル」、新潟では「ホテルオークラ」でしたが、新潟でのホテル代とホテルから新潟空港へ移動の際の車代などは民団と総連の和解に反対した新潟民団が負担し、飛行機代や東京での滞在費は日本政府が負担したようです。帰国前夜、新潟市内の居酒屋で金英子さん、崔成龍代表、都希命代表、それにソウルから同行してきた韓国人特派員ら二人を加えた簡単な打ち上げ会がありましたが、崔成龍代表は「独島(竹島)や靖国参拝、歴史教科書問題で右翼的な救う会の連中らとはとても一緒にやっていけない。彼らは人権問題を金正日打倒や日本の右翼化という自らの政治的目的に利用しようとしている」と、「救う会」とは今後も一切関係しないとの強硬な姿勢を打ち出していました。しかし、よく考えてみますと、すべての原因は韓国の被害者家族の会が1本化していないことにあります。
 
 困ったことは、もうひとつあります。それは、拉致被害者同士の間でも拉致問題の解決の手法をめぐって「温度差」が見られたことです。「子供らに会いに北朝鮮に一緒に行こう」と誘う崔桂月さんに対して「子供らが帰国するまで我慢して待ちましょう」と諭す横田早紀江さんの「二人の母」のギャップです。「再会」を優先する韓国の母親と、「奪還」を優先する日本の母親の違いは、ある意味では仕方がないかもしれません。今年82歳の崔桂月さんは早紀江さんよりも一回りも年上で、車椅子に頼らざるを得ないほど病弱、衰弱しています。「生きているうちにひと目会わせてください」との気持ちは誰も止めることはできません。本誌が得た情報では、早ければ8月中に親子の再会が実現するかもしれません。姉の金英子さんは「韓国政府を信じている」と言っていましたが、どうやら来日直前に韓国政府当局から8月15日の解放記念日前後に予定している離散家族のリストの中に母親の名前をリストしたと耳打ちされたようです。北朝鮮は4月の南北長官(閣僚)級会談で金英男さんの安否について「担当機関を通じて調査する。追って知らせる」と、「否認」ではなく、柔軟に対応してきました。次回の南北長官級会談は7月中旬に開かれます。北朝鮮としては、次回の会談前には回答しなければなりません。「7月回答、8月再会」、これがシナリオではないかと考えられます。結局、南北は、韓国人拉致問題を北朝鮮に拉致された可能性のある息子に日本の母親が会いに行き、幕引きとなった「寺越方式」で決着付けるつもりのようです。拉致問題を解決するためには同じ境遇の身に置かれた被害者家族同士の絆を、さらには支援団体の連携を一層強めなければならないのに主導権や仕切りをめぐる醜い争いは「人道」の名に反するばかりか、拉致問題の解決を遅らせるだけです。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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