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【第28回】政治家に訊く:喜納昌吉

 今年の参院選で改選になる喜納昌吉氏に、次期6年間の目標を訊きました。映像の後半には出版したばかりの著書『沖縄の自己決定権』が紹介されます。


《映像更新日:2010年6月4日》

───────【基本情報】───────

名前:喜納昌吉(きな・しょうきち)
政党:民主党
選挙区:全国比例区
生年月日:1948年6月10日
血液型:O型
座右の銘:すべての武器を楽器に すべての基地を花園に 戦争よりも祭りを すべての人の心に花を
趣味:囲碁
好きな食べ物:天ざるそば
お気に入りの店:ライブハウス「チャクラ」
ホームページ:http://www.kina-okinawa.com/

───────【質問事項】───────

─政治家になってかわったことはありますか?

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 政治家になり、「わからないこと」をたくさんわかってしまいました。見たこともないような難しい資料を見て、一時は登校拒否ならぬ登"会"拒否になりました。ちょうど僕の子どもも登校拒否していたので、初めて親子の気持ちが一致しました。国会議員4年目でようやく呼吸ができるようになりました。

─幼少時代はどんな子でしたか?

 みんなと遊ぶと楽しくていつも私が一番最後まで残っていました。そうすると草むらに寝て星空を見て、「宇宙には何があるんだろう、果てがあるんだろうか、その先は...」と考えるような子でした。

─勉強嫌いな学生だったのでしょうか?

 中学校のときの成績は9科目中(5段階評価の)"3"が1つありました。ちなみに"2"が4つ、"1"が4つで、その中に音楽と国語がありました。今一番必要とするものが一番低い評価でした。
 進路を決めるとき、自分の好きな女性と同じ学校に入りたいと思っていました。その女性は沖縄で3本の指に入る高校を志望していましたが、僕の学力が足りず担任の先生に志望校を変えるように言われていました。それでも行きたかったので問題集を開いて解いていくと、どんどん答えが頭の中に入り、合格しました。それから1、2年間も勉強が好きで、2年の時点でトップになりました。しかし1番になったとたんに勉強に飽きてしまいました。競争したい学生だったんだと思います。

─その後音楽家として活躍していきますが、始めたきっかけは?

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 父のもとに毎日大勢の弟子たちが集まって演奏していました。ずっと猫を抱いてその光景を見ていました。不思議なことにみんなが帰るとその空間に実存的な静寂が残るんです。そこで楽器を手にとって、演奏の真似をしていました。13歳の頃に一つの作品が生まれ、ヒットしました。人から学ばずに身についたものでした。

─政治家になる前から音楽家として積極的に活動していた

 よく考えてみると、仲間たちがいたおかげです。人ができなかったことをよくやってきたなと思います。終戦50周年の1995年、沖縄の与那国から広島・長崎まで舟を漕いで海を渡りました。小泉政権で日本が自衛隊をアフガニスタン・イラクに派遣した時、これはまずいと思いイラクへブレーキをかけに行きました。「すべての武器を楽器に」をキャッチフレーズに掲げてライブを開催しました。いつもすぐ意識がヒートして、後戻りできないんです。

─その頃から政治家を意識するようになったのでしょうか?

 小泉政権の頃に「許せない」という感情がありました。僕が政治の世界に入って、変えるしかないと思いました。
 僕は音楽で平和を求めていました。沖縄に平和をつくるために沖縄がきっと僕に才能を与えたのでしょう。今は沖縄の歴史の精神に応えるために政治をやっています。

─政権交代後、普天間基地移設問題をめぐり意見が錯綜しています

 一つ言えることは、日本の政治において沖縄の問題は常に後回しでした。今回は沖縄の問題が先頭に立っています。これはすごいことです。

─党と喜納氏の考え方に隔たりがあるように感じます

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 我々は沖縄の抱える諸問題を解決するために民主党から出馬して当選しました。民主党を応援して勝たせました。そして今からやろう...という時に民主党が自公政権と同じようなことをやろうとしたら私たちはどこに生きたらいいと思いますか。
 政権交代の時に「県外・国外」を約束しました。政権をとったら急にマニフェストには書かれていなかったと言ってしまうのは白々しいですよ。「沖縄ビジョン」にも書いているんですから。
 岡田外相は「サンデープロジェクト」の番組中、「民主党政権は普天間基地の辺野古移設に反対しましたよね」という質問に対して「いや、それは沖縄県連だけです」と言いました。岡田外相は沖縄に来たときには「県外・国外」と確かに言っていました。
 もし問題解決にあたって本当に困っているならば、民主党と一緒にたたかって政権交代を成し遂げた僕たちとしっかり話し合ってもいいのではないでしょうか。ワーキングチームを米国で作ったりしていますけど、民主党の沖縄出身の議員は参加していません。だから変に我々が怒るのでしょう。

─7月には参院選ですが、今後のご自身の方向性は?

kina100311_5.jpg

 7月の参院選は出ます。他党だけでなく民主党内でもケンカしているから結果はどうなるかわかりません。閣僚の方からは腫れ物に触るように扱われています。だからこそみなさんの応援をどうぞよろしくお願いします。

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2010年3月11日、参議院議員会館:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影(映像更新日:2010年6月4日)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

私は、やまとんちゅう(本土の人間)です。
沖縄問題を考える時に、知らず知らず一歩引いた目で見ていることに改めて気付かされます。

人は、関心がある時には盛んに興味をもちますが、時が経つにつれ忘却を常とします。
それは、人の特性であり、この習性を改めることもできないでしょう。

そうしたことからも、絶えず情報を発信し続けることが大切なのだと思います。
それは、政治的なメッセージでも、音楽活動でも・・・。
小さな波でも、時には大きなうねりになることもあります。
沖縄からの声を、届けとの思いを秘めて、今後の政治活動に生かしてください。

 日本の安全にとって、沖縄の米軍基地が本当に必要と思っているなら、全国の人々は、是非私の地元にも基地を持って来てくださいと言うべきだろう。
 しかし、移転先に名前が上がるがると、すぐに反対の声が挙がる。
 危険、治安が悪くなると。
 まさに、そうなのだろう。基地は、危険で治安を悪くするものなのだ。それだったら、みんなで、「日本中の基地を米国内に移設してくれ、とりあえずは普天間基地だけでも」と鳩山首相に言ってもらうしかないのだが。
 そうだ、こういう私も、首相にメール送らなくっちゃ!
 喜納さん頑張ってください。応援してます。

今までの沖縄県政は表向き反対。少しの飴玉をもらってすぐ寝返って来たと思います。今は県、市、町政も違ってきていると思います。これを貫いて絶対に認めては孫子の代に今の方々が辱めを受けます。軍需産業を守るための戦争にしか思えない。沖縄県の同意がなければ何も動かない事を政府は知るべきです。県の同意がなくても良いように姑息な案出ていますが返還前に戻るのでは?アメリカも金に困っているので軍備を再編=縮小したいと思っているのだから後押しして上げれば…

民主党は自滅の道を歩見つつある。フリージャーナリスト上杉氏の言葉を借りれば「自業自得」というべきか?

沖縄の民主党員にまで見放されてしまっては、もうおしまいだ。


「独立」
「経済特区」
「一国二制度」
「信託統治」
「潜在的植民地」
「米国にイジメられてるから沖縄をイジメたいんでしょ?ハッハッハ」

・・・

喜納昌吉よ、シッカリしろ!

エスタブリッシュメントは沖縄こそ日本であると考えているからこそ、エスタブリッシュメントたり得るのである。

シッカリしてくれ。

大昔、日本最南端、与那国島に旅した時、亡くなっ川島英五さんの演奏会のポスターが貼られていました。地元のサンシンの名手と共演でした。
「酒と涙と男と女」が大ヒットして間もない頃でした。
 感動しました。ここまでやってきているのか。凄いなと。
彼は阪神淡路大震災の救援活動を熱心に取り組んでいました。
ターミナル駅で救援演奏会のチラシを配っている彼と眼があった時、思わず、頭を下げました。
その一瞬、与那国まで出かけた彼と目の前にいる彼の姿がオーバーラップし、畏敬の念で自然と頭が下がりました。
 喜納さんの演奏会をあるところで聞きました。
「ハイサイ、オジサン」はヒットしていましたが「花」はまだでした。まるっきりお金にならない演奏会だったと思います。
桑名正博さんも一緒でした。
音楽家にも尊敬できる人がいます。
 政治家はわずかな可能性があれば追求しなければ、ならない存在だと考えます。ケツを捲るのは素人でもできます。そんな政治は生活の現場ではいらないんです。本当は。粘り強く戦う中で少しづつ前進していく。みんなそうしています。沖縄現地の戦いもそうだと考えます。
「花」の最後のフレーズが耳に残ります。頑張ってください。応援しています。

喜納さん、比例で喜納さんのお名前を書けば、沖縄支援ということになるのですね。 頑張ってください。
私は千葉ですが、宜野湾市野嵩に義弟が住んでいます。雨の基地包囲も名護も全て参加しています。当事者ですから。。。「普天間基地はこのままでいいよ」と言ってます。新しい基地を造るくらいなら、このままで我慢すると。喜納さん、頑張って下さい。腹の据わった沖縄人の凄さを、いつまでも見せてください。

本当は民主党に投票したくない。
この度は、各地に残る人柱伝説を、目の当たりに見せられてしまった。沖縄然り、小沢然り、国民然り。皆人柱です。では誰を救うために人柱が必要だったのでしょう。

テレビは、小宮山洋子、田原総一郎、テリー伊藤などが息を吹き返したようです。余裕ある発言は、菅総理に満足なのでしょう。
黙って待っていれば自分に牡丹餅が落ちてくる。 仕事はしないで、屋台骨が折れるのを待っていた。マスコミを味方にではなく、マスコミと官僚に頭を下げた。玄葉氏は普天間のことを聞かれて、一般論で逃げた。
NHKでは、輿石さんが明らかに意地悪で、厳しい追及に顔は青ざめ緊張に顔が強張っていた。他の党首には優しく言葉少なに質問。

もう、信じない。手段が卑怯な人間は、目標もいかがわしいに違いない。 小沢さんは、力の元を根こそぎ奪われた。奪われて、足で蹴りだされた。 人を信じたためだ。 東京は生き馬の眼を抜くところ。信じるに足る人などいないと思ったほうがいいのだ。

成長戦略をとり続けた為に落ち込んだ、「失われた20年」。その間利益を貪った者だけが、声高に言う「成長戦略」菅さんもそうだったんですか。


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