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2009年12月22日

【第22回】政治家に訊く:近藤洋介

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───────【基本情報】───────

名前:近藤洋介(こんどう・ようすけ)
政党:民主党
選挙区:山形2区
生年月日:1965年5月19日
血液型:B型
趣味:乱読(父、近藤鉄雄氏と同じでした)
座右の銘:冷静な頭と熱き心
好きな食べ物:ラーメン
お気に入りの店:ブルックス・ブラザーズ
ホームページ:http://www.kondo21.com/

───────【質問事項】───────

─新聞社に入社するときにはすでに政治家を志していたのですか?

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 政治家になりたいと思ったのは17歳の高校2年の時だったと思います。親父から政治家になれと言われたことは一度もありません。政治家の家はどの家も同じだと思いますが、いわゆる母子家庭で父親と接触がありません。家族そろって食事をするのは年に3回あるかないかぐらいでした。そういう意味ではあまり父とコミュニケーションを取ることはありませんでした。
 高校の時に「竜馬が行く」を読みました。とても面白く「坂本竜馬みたいな生き方がいいな」と、要するに前のめりになって国をつくる、血湧き肉躍る生き方をしたいなと思いました。
 竜馬だけでなく、桂、大久保、西郷、岩崎、それぞれの面々が生き生きと国をつくろうと立ち上がりますが、ああいう生き様はいいな、国をつくる仕事は色々な職業がありますが、政治家は間違いなくその一つだと思い、高校ぐらいの時に政治家になりたいと思いました。
 政治家をやるための修行の場所はどこがあるかなと思った時、政治家の秘書、官僚とありますが、官僚になるほど勉強が好きではなかったですし、身体を動かす方がいいなと思っていました。高校の時から政治家の伝記を読んでいて、チャーチル元英首相とジョン・F・ケネディ元米大統領が格好いいなと単純に思うわけです。その2人の共通項は、スタートがジャーナリストということです。チャーチルはピューリッツァー賞を受賞していますし、ジョン・F・ケネディも最初はジャーナリズムの世界に入っています。勉強するのにはいい道だろうと思い、新聞記者を選びました。そういう意味では動機不純な新聞記者でした。
 結構単純な性格で、いいなと思うと「これで行こう」と進んでしまいます。

─今考えて新聞記者でよかったなと思うことはありますか?

 新聞社入ったときは3日で辞めようと思いました。大体名刺しか置いていなくて、あとは勝手にしろという世界です。3ヶ月経ってまた辞めたいなと思いましたが、3年目続けたあたりからは楽しくてしょうがなくて、政治家になることをしばらく忘れてそれに没頭していました。もう一度生まれ変わったらまたやりたいと思う職業です。政治家は息子に勧めようと思いませんが、新聞記者はやってみろと言いたいですね。もちろんつらいですけど。

─新聞社を辞めて政治家へと転身されました

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 新聞記者になって8年目から日銀クラブにいました。「馬鹿な役人」「銀行経営者はアホだ」とバブル崩壊の時に銀行についていろいろ書きましたが、書いてる新聞記者もとんでもなくて、借り手責任、貸し手責任とありましたが書き手責任について新聞社は誰も責任を問われていません。さんざんバブルを作り出した過程で日経新聞始め新聞各社がどういう働きをしたか、あおるだけあおっておとしめているわけです。マスコミも悪かったのです。だけど一番悪かったのは責任を取らずになあなあでごまかし続けてきた政治家です。
 それに気づいた時に、もともと政治家やりたかったんだから新聞記者も楽しいけどやっぱり政治家をやろうと思いました。

─取材"する"側から"される"側になって、メディアの見方に変化はありましたか?

 いや、変わらないです。ただし、こう言ったら怒られるかもしれませんが、取材するメディアの方が楽ですよね。される方はつらいですよ。いい世の中を作るためにはまっとうなジャーナリズムがなければいけませんから、新聞社なりテレビには頑張ってもらいたいと思います。出身母体なので経営なりの問題はわかりますが、できるだけまっとうなジャーナリズムが根付いてほしいなという気持ちは人一倍持っています。それだけに新聞に対しては厳しい見方をします。

─愛読紙はありますか?

 一応日経新聞です(笑)、ウソでも言わなきゃ。真面目な話をすると、私は活字人間なので新聞社を辞めてからもずっと主要5紙(日経、読売、朝日、毎日、産経)については目を通します。文藝春秋、たまに世界、スポーツ紙や週刊誌も一通り読みます。
 週刊誌のリードはとても勉強になります。政治家はコミュニケーションが大切ですが、リードからキャッチフレーズを学ぶことがあります。趣味だけでなく実益を兼ねた活字人間です。

─キャッチフレーズといえば「政権交代」について、2009年の総選挙とこれまでの選挙では雰囲気に違いはありましたか?

 結論的に言うと、小泉選挙を全く逆側から見たということだと思います。僕らはまっとうにメッセージを打ち出したし、やっぱり大きな風が吹いたことは間違いないです。

─政権交代の意義についてどうお考えですか?

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 私は経済をフィールドにしていますが、バブル崩壊が1990年初頭と考えるとこの「失われた20年」の間、ずっと日本の経済は停滞しています。それがなぜかというと、政治にリーダーシップがなかったからだと結論づけられます。なぜ政治にリーダーシップがないかというと、まっとうに国民が選挙を通じて政権を選んでいなかったからです。鳩山首相が献金問題で色々言われていますが、少なくとも民主党政権は有権者の方々が一票一票で選択した政権です。しかもそれが戦後初めてのことです。だからリーダーシップを発揮しようと思えば十分できる政権です。こういう経済を立て直す意味でも政治のリーダーシップを発揮できるチャンスだと思っています。発揮できれば政権交代の意味はあったと思います。

─ホームページでは「山形を新しい日本のモデルに」と言われていますが、地元の山形から発する"地域主権"を聞かせて下さい

 山形県を含む東北地方は"道の奥(みちのおく)"が音変化して"陸奥(みちのく)"と呼ばれています。未開の地でありニューフロンティアです。例えば地球温暖化対策について、自然を壊し続けて近代都市を造って本当に人は幸せなのだろうか、という「成長の限界」をみんなが思っていると感じています。自然をうまく使いながら生きていく社会というのは東北地方に限るわけではありませんがまだまだたくさんあって、新しい21世紀型の生活モデルを提案できるのではないかと思います。
 エネルギーも太陽や風力やバイオマスといった再生可能なエネルギーをうまく使ったり、食べ物にしたって安全な食べ物、やはり人間は健康で長生きしたいというのが共通の目標じゃないでしょうか。そういうものを追及する一つの理想郷にできるのではないかと思います。東京はもう開発し尽くされています。

─経済産業省としては成長を引っ張ってきた東京がその状態では頭が痛いですね

 2つ意味があって、もちろん東京が引っ張って行かなきゃいけないということはあるでしょう。ただし幸せな国というと、イギリスでは歳をとれば郊外に住んでいますし、何も都市のど真ん中で生活することがいい人生ではありません。フランスも同様にパリはすごい大都市ですが、田舎町はすごくきれいで本当に豊かな生活をしています。米国ですらニューヨークだけでなく、それぞれ他の地域も特徴を持って立っています。強い国はそういうものだと思います。東京は継続して引っ張り続ける部分はありますが、その限界も見えているんじゃないでしょうか。

─何故民主党なのか、あなたが考える自民党と民主党の違いを教えてください。(投稿者: 日の出 | 2009年12月23日 15:16)

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 単純ですが、一つは民主党の方が面白そうだったからです。大組織にいたって活躍はできないじゃないですか、当時の"大"自民党に入ったって。ましては私は2代目で、「ああ、近藤鉄雄の息子だ、たかがしれてるな」と思われちゃいます。
 私が入った10年前当時の民主党はベンチャー企業とまでは言いませんが田舎に帰ればバカにされ、「自民党にあらずんば人にあらず」という世界でした。ただ民主党の方が活躍する場所があると信じて入りました。情けない理由ですが、民主党の方が活躍できそうだ、面白そうだということです。
 2点目ですが、「政治って何だ」と考えたときに政治は結局現状を変えることです。もちろん政治家の役割と問われれば、国民の命と財産を守ることもありますが、政治というものの本質的は何かというと現状を変えることです。行政は基本的に現状を続け、踏襲することです。ルールを守るのが役人の仕事です。役人がルールを変えたらたまったもんじゃありません。すなわち変えない、執行することです。政治家が本当に楽しい政治をしようとすれば、変える方の政治に立った方が面白いでしょう。そう思って民主党に入りました。自民党だと「今まで通り変えられません」というのが本質的にあるのかなという気がします。民主党に入って1回落選し、5年浪人、今は議員生活7年目に入りますが、少なくとも当選3回生で今のポジションを考えたときには民主党でよかったと思います。政務官なんて自民党時代には盲腸と言われていて、何の役にも立たないし騒げば切るというものでした。自民党時代の政務官はただ会合にでて用意された原稿を読んで終わりという宴会要員でした。民主党の政務官は、役人と議論し、政策を作り込み、成長戦略原案を自分で書き、交渉するということをする...明らかに以前とは違うと思いますね。今日もこの後官邸に行って鳩山首相にレクチャーしますが、政務官が首相に政策を提言したり官房長官とやりあったりします。自民党時代にはあり得なかったことです。色々と世の中には批判があるかもしれませんが、少なくとも今は政治を変える立場を預かっていて、自民党時代と違ってよかったと思います。

─お父さんを取材している時に近藤政務官から電話が入ったようなのですが、どういう気分の時に連絡をとるのですか?

 連絡をとるのは2週間に1回ぐらいですが、政策についての意見を聞くことが多いです。私は政府の新しい経済ビジョンを作ろうという仕事をしているのですが「こんなイメージどうですかね」と聞いたり、キャッチな言葉が欲しい、頭を整理したいなという時にも話をしますね。自分のブレーンというと怒られてしまうかもしれませんが、彼も経済企画庁長官でしたし見識を持った方ですし、今も勉強好きで相当本を読んでますから。本を推薦してもらうこともあります。

───────【こだわり】───────

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 文字「寅さん」もいいんですけど(取材中に鳴った携帯電話のメロディが「男はつらいよ」のテーマソングと発覚)...と取り出したのは文字「MONTBLANC(モンブラン)」社製の万年筆でした。
 
 近藤政務官は新聞社時代に鉛筆で原稿を書いていた最後の世代だそうです。ペンへのあこがれがずっとあり退職時に購入して以来12年間愛用しているそうです。

 「新聞記者への未練かもしれませんね」...とこだわりを話してくれました。

───────【アイテム】───────

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2009年12月25日、経済産業省大臣政務官室:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

2009年12月14日

【第21回】政治家に訊く:平 将明

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───────【基本情報】───────

名前:平 将明(たいら・まさあき)
政党:自民党
選挙区:比例東京ブロック
生年月日:1967年2月21日
血液型:A型
趣味:映画、野球
座右の銘:驕る平家は久しからず(おごるへいけはひさしからず)
好きな食べ物:そば、うどん、ケーキ
お気に入りの店:なか卯
ホームページ:http://www.taira-m.jp/

───────【質問事項】───────

─政治家になる前は経営者をされていたようですね

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 早稲田大学を出てサラリーマンをしていました。市場の仲卸会社の「山邦」は祖父が創りました。私には兄がいたので長男でない私は会社の跡を継ぐ必要はないと思っていました。ある時父が胃ガンになり手術することになったのですが、その頃兄はアメリカの文字コーネル大学の大学院に留学しており、帰ってきて継ぐことはないだろうということで私に声がかかりました。
 その会社は野菜の仲卸業で全国から集まる農産物を競りで買ってスーパーや外食産業に納めていました。夜の10時に出勤し、夜はモートラやフォークリフトを駆使しながらの物流、やがて夜が明けると競りが始まります。現場が終われば経営業務ですから、結局帰るのは昼の12時ぐらいでした。家に帰るとちょうど文字「ごきげんよう」がやっていて、それを見ながら食事して風呂に入って寝るという毎日でした。それを3年間ぐらいやって、経営に移り、朝からの普通の生活になりました。
 中小企業の経営はものすごく大変で、ちょっと手を抜くとすぐ潰れるし、良くなったと思ったらすぐ悪くなるという繰り返しです。

─当時苦労したことは?

 一番苦労したのは文字山一証券や文字北海道拓殖銀行が潰れた「金融危機」の時期です。その頃私の会社が取引をしていた信用金庫、信用組合が両方潰れてしまいました。結構な額を借り入れていましたから、資金繰りに奔走しました。それは本当にきついですよ。みんな中小企業が言うのは、資金繰りの大変さです。売上金額も大きかったので借入額も大きく、死ぬ思いで資金繰りに走り回りました。その時に銀行の駄目さへの強烈な問題意識が起こりました。銀行と交渉しても「担保ありますか」「保証人はいますか」とみんな同じことを言うんです。今振り返ってみればこれは「護送船団方式」で、金太郎飴で同じサービスしか持っていないということです。
 私は年商25億円ぐらいの時に入り、一時22億円に下がりましたが60億円まで上げました。年商が上がればお金も必要になります。買うのは現金で払わなきゃいけませんが、回収するのは翌月です。どんどん売上が上がっていくとお金がいるのに、銀行が潰れてお金が入ってきません。中小企業はこれだけ頑張っているのに経営の責任じゃないところで会社が潰れてしまう、中小企業には貸さずに大企業には貸し出すという理不尽さがありました。
 そこで銀行が金を貸してくれないなら自分達で銀行を作ろうという話になりました。そして銀行をやってみて思ったのは、自分達が銀行を作らなくても政府や政治家がきちんと金融政策を立てていれば問題はなかったのではないかということです。そこから政治家を志しました。
 また、景気がよくならないとどんなに頑張っても儲かりません。政治家は経済オンチでセンスがなく、全然うまくいきません。それに対する怒りもあり、そんな中たまたま2005年文字小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)元首相が解散した夜に知り合いの国会議員から「平君出ない?」という声がかかり、公募に応募して選ばれ、十分な準備期間もない状況で12万票をとって当選しました。

─政治家を志す人の中に「この候補者には任せられない」という気持ちが原動力になる人もいるようですがそのタイプですね

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 子どもの頃は頭のいい人が政治家になってくれているんだろうなということがあると思いますが、実際はそうではなく、今回の鳩山首相の普天間問題を見たらわかるように何も考えないでしゃべっていたりするわけです。やっぱり危機感を持つことがありますよね。国民は意外に政治と距離を持ちたがるのですが、政治が間違った方向に行くと国民に被害が出ます。被害を受けるのは総理大臣でなく、一人一人の国民です。だからよく監視をしなきゃいけませんし、ベストな人間を常に出していかないと必ずツケが回ってきます。だからこそ誰も候補者がいないと思ったら自分が出馬することがいいと思います。

─出馬の際、政党へのこだわりがありましたか?

 もともと小泉元首相が出る前は自民党も民主党も駄目という意識でした。小泉さんが「しがらみを断ち切る」「自民党をぶっ壊す」と言ったから出馬しました。そうしたら小泉さんはさっさと引退してしまって今はいませんが、当時から民主党から出るという考えはありませんでした。これからは自民党を再生しなきゃ行けませんし、その再生も全く新しい自民党を作るということです。

─党内勉強会では年輩の議員に対しても厳しい発言をされていますね

 そりゃそうですよ。是々非々で、自民党はすべて正しいと演説してしまう人がいるのですが、それじゃ北朝鮮の労働党と一緒。自民党の良さと悪さを言って、議論していかないといけません。民主党のやっているものの中にはいいこともあります。ただそれをちゃんと言わないと政治家になった意味もありませんし、ちゃんと言ったことを吸い上げる党じゃないと社会に対応できません。
 今回自民党は負けるべくして負けたのです。だって駄目なんですもん、自民党は。何が駄目かというとまず政策が駄目。もう一つは体質。この二つが駄目なら全部駄目でしょう。政党の政策は会社にしてみれば商品です。
 今年の初めから私は言ってきましたが、小泉構造改革の結果良い部分と悪い部分がありました。悪いところをどういうスタンスで解決していこうかというところで、自民党内には2つの考え方があります。小泉竹中路線が駄目だったから昔に戻せという人もいますし、昔と今とでは時代環境が違うから改革という未来志向で変えていかないといけないという2つがあります。この2つを分裂することをおそれて、議論を封殺してしまったのです。そうじゃなくて、政策が売りなんだから政策が鮮度よく切れ味がよくなきゃいけません。だからこそマニフェストの議論を徹底的にして、お互いにコンセンサスを得るか合意が得られなければ分かれて、しっかりとした政策を提示すれば国民が取捨選択をします。右だか左だかわからないようなものを「おれを信じてかってくれ」と言うのは昔の自民党ならできましたが今じゃ通用しません。さらに言うと体質が悪く支持者にしか頭を下げないような政党では駄目です。政策も体質も駄目では勝てる訳がありませんでした。
 マニフェストの議論をちゃんとして、政策の立ち位置をしっかり作り、"なあなあ政治"から脱却して実力本位の内閣づくりをしようということです。

─組織経営の失敗ですね

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 社内営業して偉くなったらよかったのですが、会社自体が潰れそうなんだから会社自体を強くしなきゃいけなかったのです。内閣を見たら派閥から無理矢理押しつけられた大臣、総理の子どもだから就任する大臣、本当にそれで勝てますか?例えば文字ワールドベースボールクラシック(WBC)という野球では日本が苦戦しながらも韓国に競り勝ち世界一になりました。その時日本は国内外から選手を集めてベストメンバーで臨み、それでも勝てるか勝てないかの世界なんです、競争は。官僚出身とか世襲議員は競争の厳しさをわかっていません。だからお父さんにはお世話になったから大臣にするというのは置き換えて考えれば、4番バッターは文字松井秀喜(まつい・ひでき)選手じゃなく、文字長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんの息子の文字長嶋一茂(ながしま・かずしげ)さんにやってもらいましょうという世界です。そんなチームで勝てるわけないでしょう。キャッチャーは文字野村克也(のむら・かつや)さんの息子にやってもまいましょうで勝負に勝てると思ったら大間違いです。だから自民党は負けるべくして負けたんです。自民党は堕落したのです。

─自民党の体質の根源にあるのは?

 権力の座に長くいすぎたためにズレてしまった感覚でしょう。自民党=(イコール)日本国政府でした。それは大間違いです。自分達の中で権力をたらい回していたから身内の理屈が優先されるようになりました。
 一つの例は、俺たちが権力だから俺たちに社会があわせろという無意識の意識があります。社会が変わったらそれにわれわれ(自民党)もあわせていかなきゃ生き残れません。企業も一緒です。今回の選挙で自民党はマニフェストという言葉を使いませんでした。なぜかというと長老議員が「俺たちは"政権公約"でいくんだ」と一喝したらしいんです。結局政権公約という言葉しか自民党のホームページには掲載されず、選挙前に国民が政策を見てみようと"マニフェスト"と検索したら自民党ページが出てこないという現象が起こりました。これがどれだけ大きなインパクトがあるかというイマジネーションが働かないのです。YouTube(ユーチューブ)とタイヤのチューブの区別がつかない人が広報戦略をやっているんです。ありえないでしょう。俺たちは自民党、俺たちが政権与党、俺たちが政権公約と言ったら政権公約なんだというおごりがあるのです。

─民主党についてはどう見ていますか?

 今民主党は同じ道を歩んでいます。権力があれば何でもできると思っています。例えば今回の天皇陛下に対する政府の対応にも問題があります。まあ、元自民党議員ですからね。
 鳩山政権は来年春までもたないんじゃないかと思います。ただ、鳩山首相が駄目だから自民党とはならないでしょう。なぜかというと自民党は政策と体質が駄目で、その総括が国民には伝わっていないからです。

─会社経営とは違う感覚が働きそうですね

 「力のある社長でも時代とずれてきたらクビにできるようにする」というのが会社のガバナンス(企業統治)の方向です。しかし自民党はトップが一人腐っていたわけじゃなく、全員がずれていて、ずれていることに気づかなかったということです。今でもいますよ、「昔は良かったよね」「昔の自民党に戻ろうよ」という自民党議員が。でも昔と今とでは社会状況が違い、少子高齢化で国家財政は公的債務残高も多く、グローバル競争激しく、冷戦が終わっています。苦しくても前に進めなければいけません。
 自民党政治は右肩上がりを前提にしていました。小泉元首相は削るところを削り、伸ばすところを伸ばし、そこで痛みが生じました。それと同時に世界的に経済が悪くなり、将来の夢や展望を示しきれませんでした。そこに民主党が自民党とは違うバラマキを持ってきましたが、バラマキ政権にはかわりないのでどちらもハッピーにはなりません。古い自民党でも今の民主党でもない第3の経済合理性と財政合理性を持つ政策を苦しくても出すというしかありません。
 第3の政策はどういう形で出るかはわかりません。政界再編で新たな党がその担い手になるのか、自民党を我々若手が乗っ取って担い手になるのかまだわかりません。でもやらないといけません。失われた10年どころか失われた世紀になりますよ。非常に危険だと思います。

─21世紀の構想、ビジョンは?

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 まず私が懸念しているのは日本人は精神面からメルトダウンしていることです。結局我々は豊かで、周りに飢え死にしている人もいないでしょう。危機が伝わっていません。財政破綻は目の前にあり、競争力も低下しています。お金持ちの中国人の家のお掃除をすることがもっぱらの仕事ということになりかねません。我々の国の資源は人しかありません。人が一人一人頑張らなきゃいけません。
 なぜ明治がうまくいったかと言うと、自助と自立があったからです。一個人が独立して初めて国家の独立があると言っていました。みんなが頑張ったからこそ何も資源のない国が失敗を繰り返しながら頑張れました。ところが今は上の世代が資産を食いつぶし、新たにチャレンジすることもありません。
 自助があり、それで駄目なら家族や地域が助ける共助が、そしてさらに駄目なら政府が出てくる公助があります。その3つがないと日本は成り立ちません。小泉構造改革が駄目だったという人もいますが、世界が変わったから厳しくなりました。これからは頑張って、それでもうまくいかないかもしれない、でも頑張るということが尊いと言わなきゃいけません。まずは公助ありきの民主党は、日本全体の空気と合っているのかもしれませんが未来は明るくないと思います。
 
─これからどういうシナリオを描く?

 しっかりした経済政策を立て、取捨選択をしていかなければいけません。全員を助けるんじゃなくて、伸びるところを伸ばすのです。時代にそぐわなくなったものは、伸びる産業で吸収する、これは大変なことですが転換をしていくことが大事です。自民党はなぜ負けたかというと社会の環境の変化に対応できなかったから負けました。日本の産業構造も変えて行かざるを得ません。そこで痛みが伴うから政府が支援をしましょうということです。
 日本は技術、環境、エネルギー、IPS再生細胞などの医療分野をうまく磨いていけば国際競争力を持つと思います。そして個人金融資産をうまく活用するなどパッケージでやればすぐよくなると思います。21世紀は黄金時代になります。

─大田市場で農産物の仲卸をしていたということですので、ぜひ農業政策の構想を聞かせて下さい

 日本の農業は品質が良い、安全という付加価値があります。しかし外国のものと比べると価格が高いです。農業を再生するためには2つの方法があり、農家を大型化して生産性・効率性を高めるか、個人農家でいいんですけど徹底的に付加価値の高いものを作ることです。政府は大型化を支援するか高付加価値化を支援するかどちらかです。新規就農を増やし、農地を流動化させるのは経済的には正しい選択です。しかしながら政治的にはハードルが高いですね。
 僕は大田市場で働いていましたが、個人農家が高付加価値なものを作ったからといってそれをドバイで売ることは難しいです。だったら農家の人にはとにかく付加価値の高いものを作ってくださいと専念させることが正しいと思います。大型化か高付加価値化した農家を政府は支援し、市場に作物が集め、アジアに開いた羽田空港と連結させて市場を輸出拠点にするのです。政府は日本のおいしい農作物をプロモーションし、すべて組み合わせていけば農業は再生するでしょう。

─民営化については解らないことが多く何故自民党はこれを推進したのか ...(1)何故、米国は、日本の国民のためと称し郵政民営化を毎年のように強く要望してきたのか。また日本政府は国民にその事実を公表することなく、又、マスコミもまったく報道しなかったことについて、政府の情報開示に齟齬があったのではないか。(投稿者: 匿名 | 2009年12月15日 18:57)

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 株式売却のものがあるけど、我々は郵政民営化すべきだとは思いますよ。郵政民営化して初めてわかったことは、そこに200社の子会社がいて、1000人の天下りがいたということです。かんぽの宿ありますよね、私は売るべきだと思います。20億赤字出ているんですから。かんぽの宿には1000人の社員がいて、その平均給料は800万円です。それでいいんでしょうか、もっと効率化すべきです。民営化をして初めてわかったんですから、民営化の決断を下すのはまだ早いですよ。その流れを急に戻すのは政治的な意図でしかないです。
 それとアメリカに要求されたから郵政民営化したというのは都市伝説の類で、アメリカの要望書が出るはるか前から小泉元首相は郵政民営化をしようと言っていました。いわゆるプロパガンダで、それに乗っちゃってるということでしょう。
 なぜ再官営化を急いだかというと、僕の個人的な意見ですが、民主党はバラマキで国債発行額が増えますね。今回は埋蔵金でしのげますが、来年以降はどうするかというと郵貯で買うんですよ。民営化していたら買わないと言われてしまいますから。そういう勘ぐりもできます。

─「自民党っぽくない」といいますか、客観的(または俯瞰)な視点でものごとを見ている印象を受けます。「自民党をぶっ壊す」といった小泉元首相の後継者という思いを持っていますか?

 それはありますね。小泉元首相は時代にあわせなきゃ行けなかったと思います。結果として後継者選びに失敗しました。小泉元首相の思いを引き継いでいる人はいないと思います。83人のチルドレンも10人に減り、改革思考も2、3人です。そういった意味では思いを継いでいるところはあると思います。

───────【こだわり】───────

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 "身だしなみ"です。

 毎日のローテーションで「これは着たくないな」と思う服があったら絶対に着ないようにしているそうです。それを着ちゃうと一日が駄目になるからとのことでした。

───────【アイテム】───────

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2009年12月16日、衆議院第一議員会館:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

【第20回】政治家に訊く:世耕弘成

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───────【基本情報】───────

名前:世耕弘成(せこう・ひろしげ)
政党:自民党
選挙区:和歌山選挙区
生年月日:1962年11月9日
血液型:B型
趣味:IT関連新製品を使用すること
座右の銘:グローバルに考え、日本人として行動する
好きな食べ物:焼鳥、ワイン
お気に入りのグッズ・店:VAIO(バイオ)、伊勢丹メンズ館、ビックカメラ
ホームページ:http://www.newseko.gr.jp/

───────【質問事項】───────

─生まれは大阪府で今は和歌山県新宮市にお住まいなのですね

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 新宮市に家もありますし住所もおいていますが、行くのに時間がかかってしまうので和歌山市にマンションを借りています。月に1回か2回しか本当の地元には帰れていないです。

─ご実家が新宮市なのでしょうか?

 祖父の家ですね。私ははっきり言うと落下傘候補でした。選挙に出るまでは和歌山に住んだことはなく、大阪生まれ大阪育ちでした。

─大阪と和歌山では違いを感じますか?

 全然違いますね。やはり和歌山の方がのんびりしています。イントネーションは関西なのですが、語尾に特徴があります。作家の司馬遼太郎(しば・りょうたろう)さんも書いていますが、和歌山には敬語がありません。これは方言の中でも唯一和歌山だけです。古い人なんかは特に「おまん」「お前」で話しかけます。非常にフランクでいいところです。

─大学の学生時代はどういった生活をしていましたか?

 大学時代はクズでした。メディア論や報道、人権は好きで自分なりに関心を持ってやっていましたが、きわめて不真面目で人のノートを写し、カンニングもちょっとしたり(笑)、なんとか低空飛行で卒業したという感じです。憲法のゼミに入っていて、それは一生懸命勉強しました。

─今はパソコン、ネットに関心があるように思えます

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 先祖代々新しい物好きで、私もそのDNAは引き継いでいます。私は早稲田大学で初めてフロッピーディスクで卒論を提出しました。昔のハーディスクのないパソコンで"ガッチャンガッチャン"と卒論を制作していました。

─その後進学するアメリカの生活では新しいものを発見しましたか?

 当時インターネットの原型であるテルネットを試していました。図書館のデータベース検索を家からできるもので、パスワードをもらって積極的に使っていました。日本に帰国してからは、日本のインターネット人口がまだ1000〜2000人ぐらいの時代に、広報をやる上で必要だと言って私も会社からアドレスをわりふってもらいました。家では当時電話回線を使っていて、通信速度も300bps程度の世界で、写真をダウンロードしようものならコンビニに行って帰ってきてもまだできていないという経験をしていました。
 NTTの職場は全部私がLANの配線までやりました。私が作成した人事管理システムを人事部が、取材管理システムを広報部がそれぞれいまだに使っているようです。

─会社員の経験は今に生きていますか?

 非常に生きています。私は新しい物好きで、とにかく"改革"していないと気が済みません。コピーの取り方一つとっても人が非効率にやっていると、もうたまらない感じで、コピーを取る時間を何秒短縮できるかに3日ぐらい時間をかけて研究してしまうような質です。常に改革ばかり考えていて、それは政治家になっても同じです。

─地元の和歌山県は保守的なイメージがありますが馴染むのに苦労しませんでしたか?

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 保守的に見えて意外に新しい物好きの人が多いです。それがカルチャーです。歴史的に見れば鉄砲を使いゲリラ隊を編成して織田信長(おだ・のぶなが)豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)を苦しめた雑賀孫一(さいが・まごいち)、あるいは南方熊楠(みなかた・くまぐす)佐藤春夫(さとう・はるお)などかなり変わり者が出てきていて、カルチャーとしては保守的ではないと思います。

─今回の総選挙で撒かれた怪文書まがいの民主党批判チラシは、誰の発案なのでしょうか?巷の噂では世耕さんとも言われていますが...(投稿者: ノモトSABOユウジ | 2009年12月15日 17:50)

 それは明確に否定しておきます。残念ながら私はやっていません。なぜかというと私は麻生元首相に嫌われていましたので、一応広報本部長代理という肩書きは頂いていましたが、残念ながら嫌われていたので選挙中は戦線離脱し、仲間の応援に回ることに徹していました。かなりすごいチラシでしたけど、残念ながらあれには全く関与していません。
 これは自分の広報戦略の本「プロフェッショナル広報戦略」にも書いてますけど、日本でネガティブキャンペーンはダメなんです。絶対にウケないのです。他人のことを悪く言うのはむしろやった方が不利になります。遊びでやっているうちはいいけど毒々しいチラシはちょっとどうかなと思います。
 ただ私は広報戦略部長代理という肩書きは持っていましたが、実際に指揮を執るようなことはあまりありませんでした。
 多少やったのはテレビに出る人向けに質問に対する回答を用意するスクリプト(台本)の組み立てなどは裏でやりました。出演する人用に100項目ぐらい用意するのですが、これについては広報がやるべき事と思います。

───────【こだわり】───────

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 ITオタクと自称する世耕氏ですが、「その手のもので新しいものは何でもさわっちゃう」とのことです。

 行きつけのビックカメラには週に2回は出没するそうです。

2009年12月18日、参議院議員会館:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

2009年12月12日

【第19回】政治家に訊く:枝野幸男

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───────【基本情報】───────

名前:枝野幸男(えだの・ゆきお)
政党:民主党
選挙区:埼玉5区
生年月日:1964年5月31日
血液型:B型
趣味:カラオケ
座右の銘:以和為貴(和を以て貴しと為す)
好きな食べ物:納豆
お気に入りのグッズ:ムーミングッズ
ホームページ:http://www.edano.gr.jp/

───────【質問事項】───────

─幼少時代はどんな子でしたか?

 小学校の高学年から家で父親とディベートやってました。ああいえばこういうという子で、父が私の一番の相手になってくれました。

─政治家になろうと思ったきっかけは?

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 物心ついたときから政治家になろうと思っていました。松坂大輔は荒木大輔にちなんで大輔という名前がつけられたと聞いていますが、私の祖父が尾崎行雄(おざき・ゆきお)先生のファンで男の初孫である私には「ゆきお」という名前をつけろと父が祖父から言われていて、字は違いますが"幸男"と名付けたというのが私の名前の由来です。そういうことを聞かされていましたので、物心ついたときから政治家になりたいと思っていました。当然その由来となる人に関心を持つし、だから自然な気持ちですね。

─当時の政治家のイメージは?

 小学校3年生の時は田中内閣でした。小学校しか卒業していないのに総理大臣になれるという鮮烈な印象があったのはプラスイメージです。

─弁護士から政治家になる経緯は?

 日本新党の公募第1位でした。公募があったので応募したらそれにうかりました。4党合併の98年の前のオリジナル民主党からです。

─高野もオリジナル民主党と関わりがありました

 その頃からよく知っています。高野さんは鳩山さんと行動していました。私は排除の論理反対論で、鳩山さんが先行離党して、後から菅さんと一緒に合流しました。

─政権交代して与党と野党で違いがありますか?

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 細川、羽田、村山内閣で与党だったので実はあまり大きな違いは感じていません。確かに言われてみるとこれまで情報を引き出すのに時間がかかっていましたが、それは与党か野党かは関係なく、この国の政治構造が大きく変わったからじゃないかなと思います。つまり自民党政権下の与党議員が、例えば今回の事業仕分けで我々が取り出した情報をくれといったら手に出来たかというと出来なかったんじゃないかと思います。むしろ与党だからじゃなく、政権交代による政治の転換、行政の転換がその要因じゃないかと思います。

─一番政治家として重視してきた政策は?

 最初は医療・福祉をやりたいと思っていました。子どもの頃小児ぜんそくで病弱で、病弱な子は必ず野口英世の伝記を読まさせられて「お医者さんにお世話になってるんだから将来勉強してお医者さんになりなさい」というようなことを言われてて、でも血を見るのは嫌で、政治に関心を持っているませたガキだったから政治家になってたくさんの命を救うという発想がありました。医療・福祉は今でも最大関心です。
 ただ、この世界で何年か仕事をさせていただいて痛烈に感じているのは、テーマ設定は自分では出来ないということです。自分がやりたいといって仕事がまわってくるのでなく、たまたまめぐってきた仕事をいかに自分のやり方でちゃんとやるかということなんです。
 私は議員になって16年ですが、メディアにそれなりに取り上げられたテーマは4回あります。一つは薬害エイズ、そして金融国会で政策新人類と言われました。その次は憲法の国民投票法、そして今回の事業仕分け...いずれも自分でやりたいといってやった仕事ではありません。たまたま巡ってきた仕事です。テーマは周辺状況で与えられます。問題はその仕事の自分のスタンスや方向性をぶれないでしっかりできるかが大事なのだと思います。それが私の議員生活を通して一貫したものの考え方です。

─メディアと接していてぶれそうになることはありますか?

 周辺からはぶれるような情報をよかれと思って勧められます。ぶれるぶれないのベースにあるのは選挙に関することです。選挙を考えたらこうしたほうがいいという情報を周辺が持ってきてくれて、よかれと思っているだけにむげには断れないです。しかしそこで真に受けないから今回の事業仕分けのようなものができたという事だと思います。

─事業仕分けですが、メディアの取り上げ方は今までと違いましたか?

 メディアをとりまく環境が変わっているなと思います。つまり従来のマスメディアが世論形成に与える影響力はものすごく小さくなっていることを感じます。それはネットが普及し、直接市民が情報にあたりやすくなっていることもありますし、マスメディアと"直接情報"にずれがあることを色んなところで経験している人が増えている、その結果として今回も例えばあえていえば最初の2、3日はどちらかというとネガティブに報道されていましたが、世論の反応はポジティブでした。それは直接情報源にアクセスできるようになっていたことが大きいと思います。ノーベル賞の学者の動きに世論がひっぱられると思いましたが、必ずしも大きなうねりにはなりませんでした。というのはやはりマスメディアでないメディアが広がっていて、断片的にとらえられている部分だけでないということを多くの方々が知るようになっているのはこの10年で大きく変わったと思います。

─地元メディアの力は?

 残念ながら私の選挙区、埼玉の南部でテレビ埼玉や埼玉新聞が影響力を持つという方向にはなっていません。これは不幸なことです。むしろネットなど新しい媒体、そして一生懸命ビラをまいてますがマスメディアが若干誤解説されているものを打ち消す紙媒体を自分たちで作ってます。

─日本のビジョンや国家像は?

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 多様性が認められる社会、人と違うことがマイナスにならない社会をずっと言ってきました。一種のイデオロギーだと思います。なおかつ社会的にみても、明治維新から金太郎飴を作ってきた、それは時代状況としてやむを得なかったところもあると思いますが、これから日本の中でみんながより幸福感を持って生きられる、日本が国際社会の中で生き延びられるためには逆に金太郎飴でなく人と違う多様性があることがいいことだという社会を作らなければならないと思います。これは一貫して言っています。

─二つお願いがあります。一つは、不景気により職を失った皆さんには勿論ですが、今回及び将来の事業仕分け、及び新戦略の構築・実施によりリストラ対象となる、特殊法人及び利権企業で働くトップ層を除いた皆さんへはしっかりネットを張っていただくことです。(投稿者: 赤虎頭巾 | 2009年12月13日 14:56)

 職を失う人には2種類います。一つは天下りです。それは別にいいでしょう。というのは恩給、年金がつくのですから。有能な人らしいので別に独立行政法人がなくなっても別に仕事が出るでしょう。
 ただ例えば独立行政法人や公益法人の天下り以外で現場で仕事をしている人は社会的に意義のある仕事をしています。そういう人はすぐに切るというわけにはいきません。ものごとには経過措置は必ず必要なので、独立行政法人がいらないという結論を出して、制度はすぐに変えてもそこで働いている人をどういう風に処遇するかは当然経過措置としてやることを前提に仕分けをしています。

─事業仕分けチームから今度は菅副総理の「国家戦略室」に移られるそうですが、具体的に国家戦略室」でどのような活動をなさるのかお教え下さい。(投稿者: 世直し大工 | 2009年12月13日 12:32)

 それは移りません。仕分けした7人と5人の12人が党から政府へ派遣されます。その人たちがどのような役割分担をするかは正式に聞いていませんが、仙谷さんと菅さんのところで調整し、私はほぼ間違いなく刷新会議のお手伝いをするということになりそうです。刷新会議では独立行政法人を事業仕分け的手法で仕分けたりの手伝いをすると思います。

─事業仕分けの閉会式で言い残したことは?

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 もしかすると受け止める側は伝わり方が違ったかもしれません。
「この国変えるのは大変だ、思った以上にひどいわ」というのが仕分け後に感じたことです。ものすごく分厚い壁があることに愕然としました。だから相当なことをしなきゃいけないと思いました。国民の皆さんには一緒になって頑張ろうねという気持ちです。

─変わるまでにどれぐらいの期間がかかりますか?

 選挙前から10年が一区切りと言っていました。歴史を振り返っても、明治維新が一段落するのは西南戦争です。明治10年です。戦後改革は55年改革です。だいたい10年なんです。ですから今年が政権交代ですから2020年までにこの国が新しいシステムを構築できるかです。最初の3年から5年は創造でなく破壊です。相当ラジカルな破壊をしないと新しいものは作れません。
 リフォームは無理です。土台から掘り返して作り直さないとダメです。掘り返してひっくり返して作り直す余裕があるのか、タイムラグが生じることでダメージがあります。明治維新はそれでも大丈夫でした。民主主義でなく強健主義でした。しかし今は不可能です。3年から5年は何もしないというのは不可能です。だから空いているところに新しいものを建てながら、古いものをぶっ壊すという余裕があるかなというところです。これは微妙なところだと思います。

─もう二度と事業仕分けはしたくないと言っていましたが...

 嫌だという気持ちをわかって欲しかったです。つまり与えられて仕事をやるのが政治だと思っていますが、この仕分けを喜んでやっているのではないということをわかって欲しかったのです。特に蓮舫さんはそうですが、いかにも嬉々として喜んでやっているようにマスメディアを通じてとらえられていますが、それは違うんだよというのはわかって欲しかったです。やらないですんで、誰かがやってくれるのであればお願いしたい仕事です。

─怖い仕事ですよね

 友達なくしますよ。誰かがやってくれるならお願いしたいというのは本音です。

───────【こだわり】───────

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 ムーミンです。我が家にはムーミンのマグカップがそろってます。置物も子どもに買わされています。

2009年12月14日、衆議院第二議員会館:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

2009年12月 5日

【第18回】政治家に訊く:舟山康江

第18回目の「政治家に訊く」は政務三役が初登場、舟山康江(ふなやま・やすえ)農水大臣政務官です。動画後半からの山登り話は必見です。

───────【基本情報】───────

名前:舟山康江(ふなやま・やすえ)
政党:民主党
選挙区:山形選挙区
生年月日:1966年5月26日
血液型:AB型
趣味:合気道(2段)、山登り
好きな食べ物:ご飯と(自家製の味噌を使った)味噌汁
ホームページ:http://www.y-funayama.jp/

───────【質問事項】───────

─国会議員と政務官で生活に変化がありましたか?

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 地元に帰る時間は制限されるかなと思います。でも2007年の参院選以降は与野党逆転で国会はずっと緊迫した状態で、通年国会状態でした。それまでは通常国会が終わる6月半ばからは夏休み、11月ぐらいまで臨時国会、12月から1月は地元活動、1月半ばから再び通常国会というようなスケジュールになります。しかし私が当選してからはほとんどそうではありません。越年、通年国会でした。しかも通常国会は延長、延長でほとんど休みなしでしたね。そして選挙モードが始まってバタバタとしている間に結局選挙は一年ぐらい延びましたので、そういった意味ではさほど変わらないですね。

─もともと一番重視していたのは農業政策だったのですか?

 選挙の時は農業と子育てでした。農業には産業政策としての農業と地域政策としての農業の両側面があります。産業政策と地域政策はわけるべきという議論もありますが、私はきわめて一体的と思います。例えば沖縄ではさとうきびや芋など収益があがるものではなく砂糖なんかは外国との競争にさらされて色んな経営対策していますが、もうからないものはやらなくていいじゃんといってしまったら本当に地域がなくなっちゃうのです。それに代わる何かがあるかというとそれもありません。

 農業には、作物を作ることによって高齢者が元気に過ごし、医療費もかからないという側面もあるんです。長野県は医療費が一番安いと言われていますが、農作業をしたり、山登りをしたり、孫の面倒を見たり、高齢者に役割があると生き甲斐を持ち元気でいます。医療費は少なくて済むと思います。農林水産業は大きな可能性を秘めてます。

─長野1区の篠原孝衆院議員も農業と医療費の関係に注目していました

 実は私が政界に入るきっかけは篠原孝(しのはら・たかし)さんです。

─政治家になるきっかけを詳しく教えてもらえますか?

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 私は2000年3月に10年勤めた農水省を辞め、田舎に行きました。嫁ぎ先は設備関係の商売をやっていたのでそこで事務を手伝い、子どもに恵まれ、平穏無事な生活をしていたところ、2004年3月下旬に突然篠原さんから連絡がありました。最初は雑談していたのですが「ところで、参議院選挙に出てみないか?」という突然の話があり、まさに青天の霹靂でした。それが直接のきっかけです。私は別に政治家になろうとも思っていなかったですし、選挙を通じて政治参加はしていましたがそれ以上の関心もなく過ごしていました。

 それがきっかけで実は候補者が決まらなくて、現予算委員長の鹿野道彦(かの・みちひこ)さんと篠原さんは農政関係で親しい関係にあって、「昔の部下が山形に嫁に行った」という話から電話が来て、子どももいるし仕事もあるので国政に出られる環境ではなかったのですが、話をしている中で、色々な出会いがありました。

 東京でとある女性議員と会い、「私も子どもがいるけれどもいい社会を次の世代に残していく義務を負っている。そういう意味でも子どものためにも自分の出来ることをやっていく必要があると思っている」と言われ、断るつもりだったのに一度考え直しました。そして帰り道に山形で尊敬する農家の方に会い、「それはやってみたほうがいい。負けても勝ってもどんな結果になっても人の輪は広がるし、きっとあなたのためになる」と言われて単純な私と夫は「それじゃあ...まあいっか」という単純なきっかけでした。高い志を持って政治家になられた方には申し訳ない感じもしますが。

 子どもは小さかったですし子どもと離れるのは良くないんじゃないかという思いはあったのですが、もっと長い目で見たらどうかなと思いました。当時イラク派兵の問題や小泉構造改革、三位一体改革で地方が切り捨てられ、あんなに住みやすい平和な農村が疲弊の一途をたどっているという状況に対して、おかしいですよねとしか言えませんでした。このままの方向で行ったら次の世代に残すべきふるさとがなくなっちゃうんじゃないか、そのためには自分ができることをきちんと言って、何かを変える仕事を一緒にするというのもあるのかなという気持ちもありました。

─当時と今で地元の変化はありましたか?

 ありました!5年前に出馬したときは、特に山形は保守的で男性社会でした。なかなか女性管理職も少なかったですし、地域の活動では女性が前に出ることは少なかったです。地域の懇談会に行っても裏方でお茶やつまみを準備するのが仕事というような感じでした。立候補表明するときに「何が不満でわざわざ女性が国政に出るの?」「子どもはどうするの?」というどちらかというと批判的な目が多かったと思います。2ヶ月半の選挙活動の中でそういった声が消えていった感じでした。おそらく女性が表に出るというと、女性解放運動や婦人団体の活動をしているような人が机を叩き、女性の地位向上を叫ぶような傾向があった中で、有権者は私を「なんだ、普通の人じゃん」という感覚で見ていたように思います。

 5年前の選挙では聞こえてきた「女性候補」に対する批判は2年前の参院選ではほとんど聞こえませんでした。そして山形県でその大きな変化があったなと思うのは、今年の1月の知事選で女性知事が誕生したことです。何かが変わるときには一気に変わるというよりも、ちょっと風穴を開け、違和感が感じられなくなってくることの積み重ねを経て変化するんだと思います。私も地元の県連活動や講演など人と交わることを通じて、女性が表舞台に立つことに対する抵抗感が薄れて行くことを感じましたし、その中で女性知事が生まれる基盤ができてきたかなと思います。

─民主党だからやりやすかったと感じたことはありますか?

 そうですね。私は体制を変えなきゃと思ってたほうですし、農林水産省に勤めていた時も「今の農政はおかしいな、変えていかなきゃな」と思っていたので、そういう意味では改革を旗印に掲げていた民主党にうまくマッチしたのかなと思います。民主党じゃなきゃ出なかったと思います。

─「農水省を変えてやる」という気持ちは強いのですか?

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 農林水産業政策に関しては農業の重要性を訴えて守ろうとする立場と、国民の利益のためにとにかく安いものを消費者に提供しようと自由化を進め、コスト削減して輸入してもいいじゃないかという勢力があります。後者に対して、農業の持つ食料生産という役割、地域を守という役割、農村集落を作るという役割に注目し、農業をしっかりと守っていかないといけないだろうと思います。

 ただしかし農業を守るという立場の中で、そうはいっても補助金の仕組みや事業のあり方、今回事業仕分けでは批判の矢面に立たされた部分もありましたが、本当にご指摘の通り古くさい体制はありました。補助金の上に補助金を重ねて複雑な制度になっていたり、重複事業が複数あったり、不必要な団体を経由して予算が流れていたり、そういった複雑になったものを一回リセットしてもっとスマートな形で作り直していく必要があるんだと思います。それは農業政策に限らず国の仕組みがすべてそうなっている気がします。事業仕分けをきっかけにしていろいろな事業を省庁横断的に見直す、それは政権交代の一番の意味だと思います。

─熱っぽい話し方は大学時代から変わらないのですか?

 熱意がどこに向いていたかわかりませんが、役所時代から「あんたどうせやるなら一言二言口に出さずに黙ってやったらいいのよ」というのはよく言われていました。大学時代は体育会活動を頑張っていました。合気道部でしたが、なぜか本部の役員もやっていていろいろ面白いこともやってましたね。

─その頃から政治家気質があったのですね

 本当に政治には関心なかったのですが、感じたことは口に出さずにいられないんです。だから「言わずにやれ!」って言われるのですがつい...

─趣味の山登りは今も続けていますか?

 昔はよくやっていましたが最近はできてないんです。近くに山があるにもかかわらず子どもができてからは本格的な山は登ってないです。ただ、近所の山に詳しいおじさんに山菜採りに連れて行ってもらったり、キノコ採りに連れていってもらったりはします。でも登山と山菜採りは全然違いますね。目的も通る道も違いますね。本当にびっくりしたのは30代でまだ体力もあった時期に、6、70代のおばあちゃんと山には入ったら全然ついて行けなかったことです。すごいんです。崖っぷちでも足を滑らすことなく登り、山菜を見つける目の鋭さにも驚かされます。

 生活の知恵を絶対絶やしちゃいけないなと思います。山形県外から来たから新鮮で、珍しくて、山菜もよく食べるし作り方も教えてもらいますけど、意外と地元育ちは山菜を食べなかったり作り方もわからないというんですよ。すごくもったいないですね。地場にある財産を活かす手だてはここで絶やしてしまったら次に伝わらないと思います。やはり伝えていくことはわれわれの大きな仕事です。そう思うと国政で働くより地元で働いた方がいいのかなとも思えますね。

─結婚して山形に定住するようになったとのことですが、移住にあたって抵抗はありませんでしたか?また、定住して苦労されたことがあれば教えてください(投稿者: hiraishi | 2009年12月 6日 21:11)

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 私はあまり抵抗はないのですが、やっぱり田舎は遊びに行くのと住むのとでは違うと思います。ただ私の母も父も実家が田舎なのでさほど抵抗はありませんでした。

 田舎のウワサの広がり方の早さには驚かされますね。3人目を妊娠してまだ家族にも言っていない時、産婦人科で知り合いのおばさんに会って帰ったら、私が報告する前に何人か知っていたというのは田舎ならではのことですね。良くも悪くもウワサが広がるのは早いですね。

─農業や農村はマイナス面が取り上げられることが多いように感じます

 いまは「点」の元気な動きを「面」につなげて初めて地域全体がよくなると思います。実際に元気な取り組みをしている地域は、絶対に女性が元気なんです。

 直売所を作りましょう、特産物を作りましょうという話を出すときに、男性に「100万円でやってください」というと100万円じゃ何も出来ないと言います。女性に同じはなしをすると「100万円もくれるんですか。何でも出来ますよ」といって新しいレシピを開発したり小さな直売所を作ったりします。フットワークは軽いし、アイデアが豊富だし、既成概念にとらわれず果敢に挑戦する力は農家の男性より女性の方があると思います。女性の力はすごいです。

─今後の目標はありますか?

 国会議員という立場は目立ちます。舟山さん頑張っているねと言われますが、実は違うんです。もっと頑張っている人はたくさんいるんです。私は頑張っている人たちを側面から支援したり、表に出す役割をしているだけのような気がします。昔から地域で地道に活躍している人はたくさんいますがこれまではあまり表に出てきませんでした。地域で活躍しているものを形にして、それを支援していけるような流れを作っていけたらなと思います。

 また表に出るからといって偉いということはありませんが、私の活動が地域で活躍している方々の元気や勇気につながっていけばいいなと思っています。

───────【こだわり】───────

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「国産品を買うことです。ちょっと高くても買っていますよ」

こだわりは"国産品"でした。また議員宿舎には"国産"の自家製大豆味噌と梅干しが常備されているようです。お米や野菜も実家から送ってくるとのことで、東京にいても地元は忘れられない環境ですね。

2009年12月9日、農林水産省政務官室:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

2009年12月 1日

【第17回】政治家に訊く:瑞慶覧長敏

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───────【基本情報】───────

名前:瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)
政党:民主党
選挙区:沖縄4区
生年月日:1958年10月24日
血液型:A型
趣味:野球、石採集
好きな食べ物:ポテトサラダ(じゃがいも料理)
自作の詩:誠より外に 優る世やねさみ 弥勒世に向かて 育つ童
ホームページ:http://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/

───────【質問事項】───────

Q1:なぜ政治家になったのですか?

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 僕が生まれたときから沖縄に基地があり、物心ついたときには父が基地反対・撤去運動に参加していることを知っていました。小学校3年生の時、父が初めて嘉手納基地に連れて行ってくれて、そこでデモに参加しました。

 "Yankee go home !"というシュプレヒコールをやり、そのデモ行進の両脇を沖縄の機動隊が固め、金網の向こう側では白人の兵士たちがトラックの上で上半身裸でピースしていました。その光景がすごく印象的で、子どもながらに理解できなかったことを覚えています。だって大人が一生懸命デモしているのに金網の中で笑いながらピースしている人がいるというのはどうしても理解できませんでした。

 そのように幼少時代を過ごした私にとって、政治=(イコール)生活でした。政治に興味があるというよりそれは生活の一部でした。親父も県議を3期務めていたので、政治を身近に感じる背景はありますが、沖縄で生まれて暮らしている中で「これはおかしいだろう」という事件にもいっぱい遭遇しました。

 直接のきっかけは喜納昌吉(きな・しょうきち)氏との出会いです。学校を卒業してから私は沖縄からアメリカ、大阪へと行きながらずっと沖縄のことを考えていました。そして沖縄に戻ったら彼に会わないといけないという思いがありました。若い頃はミュージシャンとしての彼しか知らなかったのですが、ところがある日この人ただ者じゃないなということがありました。沖縄に戻って会うべくしてあったなという感じです。喜納さんが参議院に通り、沖縄の基地問題は政権交代しなければ前に進まないということで「長敏、おまえも来い」ということがあり、今回手を上げました。

 沖縄は振り返れば薩摩の侵攻から独立を奪われ、戦争が起こりまた復帰しましたが大した変化がみられません。沖縄は長い歴史の中でなぜ自分で生きる道を決められないんだという思いを子どもながら抱き、成長して行くにつれて「これはどうにかせんといかん」という思いがふつふつとわいてきました。

Q2:政治家になる前の職業と関わっていた活動は?

 私は3歳ぐらいから英語に興味を持ち、英語ばかりを追いかけていました。アメリカに留学し、大阪で6年間英語に携わり、沖縄に戻ってから英語教室を自分で開きました。それはもちろん英語を教えたいという気持ちもありましたが、英語を通じて他の文化に触れさせることで、夢を持っていける子供を育てたいという思いがありました。
 
 また様々な活動もしました。喜納氏と出会った1997年頃、北朝鮮が飢餓に苦しんでおり、何とかしようと喜納さんに相談を持ちかけました。その時は地元の小さい一室を借りて無料コンサートを開催しました。一日で22万円ぐらい集まり、それを北朝鮮に持って行きました。1998年には沖縄から基地をなくす団体の実行委員もやりました。

Q3:地元が抱える問題と対策は?

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 僕の選挙区は本島の南部と、宮古、八重山の離島を抱えています。農村地帯で、観光地とはいえ大きな産業がありません。沖縄から発信できるようなものを作るような農業振興を進めていきたいと思います。

 もう一つのテーマは教育です。僕はALT(外国語指導助手)として学校にいたこともあります。沖縄はそれぞれの地域に特色がいっぱいあり、島によって文化も言葉も伝統も違いますので、その伝統が本当に活かされるような教育をやる必要性を感じています。

 アメリカにいたとき、文化・伝統をしっかりと足もとでつかんでいないと世界では議論できないことを痛感しました。アメリカは宗教に根付いた文化があり、話す中でも必ず自分の信仰する宗教が何かを聞かれます。いざ聞かれて、はたと振り返ったときに僕には体系に基づいた宗教がなないことに気づきました。沖縄に戻って英語教室を開く時には英語を教えるだけでなく、世界の文化も広めながら自分の足もとを固めていこうとしてきました。内地(沖縄から見た本州)では沖縄以上に文化と教育の切り離しがあると思います。子どもたちも巻き込んでいけるような教育制度づくりを目指しています。

Q4:当選の前後で周りの環境に変化がありましたか?

 まず生活スタイルが変わりました。飛行機に乗って沖縄と東京を行き来するようになり、行った先ではVIPルームに案内されたり今までうけたことないような対応をされることがあります。仕事そのものは国をつくる仕事になり、今までニュースを見る時は傍観者でしたが今は責任ありますもんね。ニュースを見ても何をするにしてもずっと緊張しっぱなしです。我々が決めないと世の中が回らないという感覚です。くそ真面目なタイプなのでどうしてもそうなってしまうのです...

Q5:基地問題について心境の変化はありますか?

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 今までは「こうなったらいいな」という希望があったのですが、解決までの道のりがとても遠かったです。僕は市議会にも県議会にもおらず、今回の当選で一気に基地問題との距離感が縮まりました。自分が動くことによって変われるんだと思っています。
 ただ今の政権は思った以上に苦戦していますね。選挙前は鳩山首相をはじめ「県外移設だ!国外だ!」と叫んでいましたが、民主党政権になった途端にアメリカの前政権との合意があるから...という風潮になっています。そういう意味では一筋縄ではいかないなという思いはありますが、絶対にひかないぞという思いはあります。

─大臣と意見交換したりお願いすることはありますか?

 大臣と話し合うことはあります。ただし、同じ国会議員なんだから「お願い」という言葉はやめて話し合いをしようと言っています。同じテーブルに座って我々が地元議員としての意見を出し、政策に反映されるような格好になっています。十分とはいえませんが意見を出す場所と機会はあります。

Q6:日本をどのような国にしたいですか?

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 (壁に飾ってある掛け軸を指して)こんな国になればと思います。

「富は人を造らず 人は富を造る」

 沖縄の書家の豊平峰雲(とよひら・ほううん)氏が書いて下さいました。

 国はいくら物があってもダメだし、きれいな道があってもダメです。使う人がしっかりしていなければその国は発展せず、富を生かすこともできません。「モノからヒトに」と言っていますが、日本はこれから世界に通じるような人材をつくりだしていかなければいけないと思います。沖縄も同じです。

Q7:国民、支持者にメッセージをお願いします

 政権が代わったことをこれから実感すると思います。結果が出るのにはもうちょっと時間がかかるので、その点をわかってもらいたいなと思います。60年近く一つの政党が政権をとり、後ろにアメリカという国がいて、国民が知らない間にいろいろなものが進んで無駄が積み重なってきました。それをひっくり返そうというのが国民の総意だと思います。
 事業仕分けなど今までやってこなかったことを国民の目を通して進めてきています。その成果はすぐに出ないと思いますが、ぜひ辛抱強く一緒に新しい国づくりをやっていきたいと思います。

───────【こだわり】───────

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「トイレを出るときに必ず"フタ"をします」

"運(ウン)"を逃がさないようにするというゲンかつぎ。

友人に聞いて以来、一度も欠かさずフタをしめているそうです。

...確かに...逃げてはいないけど「流れちゃう」ワケだし...とは思ったのですが...そこは突っ込まず。

2009年12月2日、衆議院第一議員会館:《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

Profile

政治家(国会議員・公認候補者・知事・市長...引退した方々など)の基本情報はもとより、政策から人柄までが分かるような「生きた」データベースを、取材や対談を元に構築してゆきます。
党や団体のイメージではなく、あくまで“政治家本人”にスポットをあてたコンテンツです。
できるだけ取材予告しますので、その政治家に対して“言いたいこと”や“聞きたいこと”がありましたら、コメント投稿ください。その場合、内容は簡潔にお願いします。
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