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« 詩人の直感力と想像力が描き出す予言の書 ── 若松丈太郎著『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』
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浜と海は誰のものか──津波と原発の被災地の村と浜から »

薪炭の里から"原発"へ──近藤康男『貧しさからの解放』を読み返す

「昭和」で言うと20年代、アジア太平洋戦争でドイツやイタリアと組んで侵略国側を演じた日本が負け、民主化の熱気が社会の各層に残っていた時代、農村でも青年や女性が主役の「農村民主化運動」が広がっていた。主役は「家からの解放」と「貧困からの解放」であった。後者を掲げた歴史的な出版物が2冊、1950年代に刊行された。『山びこ学校』と『貧しさからの解放』。2冊とも、日本の戦後出版史を飾るベストセラーとなった。日本の出版メディアは「農村の貧困」をどう伝えたか、『貧しさからの解放』を読み返した。

 農政学者安達生恒(1918~2000)がまだ愛媛大学の助教授だった時代、宇和島市と中心とする南予の農漁村で青年運動とかかわっていたときの話。当時、愛媛の青年運動はとても活発で、とくに南予の村々では古い家制度や村のしばりを打ち破って、新しい村づくりをやろうといろいろな試みが行われていた。

 安達さんは、そうした農村青年たちの相談役として村歩きを続けていた。その時の空気を、安達は「村の若い衆は左のポケットに毛沢東の『農村調査』、右のポケットに『貧しさからの解放』を忍ばせて村をかけまわっていた」と語っていた。青年たちは、こうした活動を通して自分たちの代表を県議会や国会に送り込む。地域に根ざした若い政治家の誕生である。彼らは初期の社会党(いまの社民党)を支えて活動した。

貧しさからの解放』の初版は、1953年(昭和28年)5月25日に中央公論社から刊行されている。2年後の55年に13版を数えているから、相当の売れ行きだったことがわかる。新書版よりやや幅が広い作りで、本棚にしまうのではなく、学習会などでいつも持ち歩いて使うことをねらったものだと思う。

 一人ではなく34人の共同の仕事である。そもそもは、52年4月に雑誌『中央公論』で掲載した共同研究が大きな反響を呼び、単行本として出版することになった、と編著者として名をだしている近藤康男(1899~2005)が「はしがき」に書いている。この本の正式名称は『共同研究 貧しさからの解放』である。

 106歳で大往生した昭和を代表する大農政学者の近藤は、このとき52歳、脂の乗り切った少壮学者だった。34人の共同研究者には、彼に連なる若手マルクス主義農業経済の研究者や農村社会学者、ジャーナリストが並んでいる。

 改めて読み返して、底に流れる熱い思いに圧倒される。「はしがき」で近藤は、日本のあらゆる矛盾、労働者の貧困などの背後には、「農民や漁民の貧困」が「横たわっている」と書いている。そして、「農村や漁村を貧しさから解放」するために、「貧しさを貧しさとして描き出すにとどめることなく、それが再生産されている経済的からくりから、意識や観念や宗教というような上部構造まで、できるだけ具体的に吟味した」と。

 本文は3部にわかれている。第1部は「農村」。「プロレタリアの貯水池農村」というタイトルがつけられ、当時大きな社会問題だった農村の二三男問題(失業問題)から始まり、低農産物価格とそれに連動する都市労働者の低賃金、不徹底な農地解放、供出などの収奪機構などが述べられる。第2部は「漁村」。「われは海の子」というタイトルがつけられている。ここでは遠洋にでる漁業労働者、沿岸の小漁民がおかれた構造がくわしく述べられる。第3部は「山村と林業」。タイトルは「山にあがる狼火」。メインテーマは、農地と違い解放がなかった山林を支配する地主と零細な山村農民との葛藤。伐採労働、炭焼き、薪だしなど、すべてが山林地主に牛耳られていると説く。

 時代の制約を考えなければ、本書の記述には、いくつもの批判がある。たとえば農地改革の不徹底という認識や山林地主の存在などについて、少し評価が過大すぎるのではないか、といったことだ。だが、経済が成長の軌跡に乗る以前の絶対的貧困ともいえる時代の農山漁村の現実と、その背景を描き、「貧しさからの解放」に方向をそれなりに示した本書は、成長の果ての貧困の時代に入ったいま、改めて読み継がれるべきものだろう。

 山村を描いた第3部に、福島県浜通りの村についての記述がある。極零細な農家が集まる集落では明治以来ほとんど土地の移動がない。これでは食えないから国有林での労働や、払い下げの木炭原木に頼って炭を焼く。国有林が原発に代わり、いまがある。

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コメント (8)

戦後の苦難を考えながら、貧しさの脱出を視点において原子力問題を考えさせるご投稿と判断します。ただ貧しさを知らない若い人には理解できないかもしれない。

大野様は1940年生まれ、私は1939年生まれ、ほとんど同じ時代を生きてきたと言えます。育った場所、境遇によって、貧しさの感覚に多少の差が出るのはやむを得ないが、貧しいとはどういうことかの体感は共有できると思います。

広島、長崎に原発の被害を体験した唯一の民族である日本人が、原発の平和利用という甘い言葉と地方の貧しさが加わって、リスクがあることは十分認識ながら、貧しさの脱出が優先し、原発誘導に走ったことは事実であって否定できない。

いったん原発を設置すれば、電力会社は利益追求が第一であり、安全装置にお金をかければ安全度が増すと分かっていても、利益に還元できないからには余分なお金をかけることは絶対あり得ないのです。

今までの原発事故を見れば明らかなごとく、個別の事故に対する最小限の事故対策はなされても、リスクを回避する抜本的対策などは望むことはできなかった。

今回の事故を教訓として、原発が国民の貧しさの脱出に寄与することが大きく原発事業が成り立ってきたわけであり、積極的に原発を認めてきたわけではないことに視点を置くべきではないか。

再生エネルギーが大きく期待でき、自然エネルギーが幅広く開発されれば、リスク回避できるだけでなく、一部の利権者に限られている閉鎖的電力経済が、すべての人に開かれた自由な競争経済に転換でき、副作用として新しいエネルギーの技術開発が大いに期待出きるのでないか。「脱原発」とか「反原発」ではなく、原発を超えた活力ある電力エネルギー経済を期待したい。

22年生まれの私は幼児と小学生時代で、昭和20年代は戦争で破壊され、日本全体が貧しかったのである。
淡路島の小さな町に生まれ、今も実家がある。高校より町を離れ、現在神戸に住んでいる。
当時町は4000人強住んでいたが、今1500人、町村合併で6町村が1町になり、更に6町が1市になったため、役場もなくなった。
小学校の同窓生100人のうち半数近くが今も生まれた元の町、同じ場所で暮らしている。100人は半数弱は中学卒、半数弱は高卒、大卒は数人のみ。
居残り組は農漁業主と商店主、下請け工業社長、役人、先生、保母であるが、神戸、大阪への就職組より家も大きく、豊かである。飲み会、旅行と生活も派手である。
もちろん家は親から引き継いだり本人が改築したりと様々だが、豪邸である。役人などは高卒でも超大企業並みの退職金でまさに濡れ手に粟である。夫婦共稼ぎも多く、二人でもらっているケースもある。
買い物もスーパーがあり、生活は神戸となんら変わらない、そのうえ通勤時間も短く、無駄な時間はない。過疎地でこんな状態なのだ。
田舎が貧しいというのはどことの比較なのか、難しい。
私は故郷を出た組であるが、確かに一時期給与は多かったが、転勤その他で経費も大きく、定年後は彼らに大きく差をつけられている。故郷組は高額退職金と年金組か生涯現役組なのだ、敵う訳がない。今も生活をエンジョイしているが、私は厳しい生活である。
役人の給与や退職金は町も市も県も大差がなく、転勤もなく、更に兼業農家であれば大きな家で豊かな生活である。
地方の役人になぜ原発が必要なのか、高速道路誘致と同じく、町幹部と関係者の地主等の利権以外あるまい。働き場所ができて地元に残る比率が高くなるというメリットはあろうが。
真に貧しいのは大阪、神戸等の地方都市の家なし派遣、パート生活者である。昼にパート、夜もパートがいかに多いか、寝る時間も削る悲惨な生活である。そうしても貧しい貧しい生活である。もっと実態をつかんで書くべき。
先入観が強すぎるのではないか。

貧しさの捉え方は、時代と共に変貌していると思えます。地主制度の下では、小作人は食うや食わずの生活であった地域もある。地主のさじ加減ひとつとも言える。
これらが変貌したのは、戦後である。一時期、食糧難から農村部に勢いがあるが、復興と共にアメリカンスタイルに憧れを持つようになったと私は考える。冷蔵庫や洗濯機、囲炉裏でなく、ガスが使えるキッチン、そうした文明の利器が使えることが豊かさに切り替わる。そうした物に満ち溢れている都会に憧れ、人口移動も始まる。
田舎は不便だ、都会は住み心地が良い。豊かさの価値観が変わり、貧しさから抜け出したいからでないだろうか。
物が満たされると、お金があることが、豊かさの象徴にもなる。
人それぞれ価値観があろうが、私は小さい時から都会には住めないと思ってきた。
物やお金が満ち溢れている生活より、安心できる生活を望んだからです。
何が貧しいと考えるのでなく、何が豊であるか、見方1つで考え方も異なると思える。

<大野様>
こんにちは。私は大野様よりも若くサラリーマン家庭に育ちましたから、農村の貧困は知りません。
しかしながら、本質的な話をさせてください。農村に恵みをもたらしたのは、本当にプロレリア革命だったのか?です。
私は違うと思うのです。母方の実家が東北ですので小さい時に、祖母に聞きました。「農家はお嫁さんをイジメるの?」「昔はね。今はそんな事をしたら誰もお嫁さんに来てくれないよ。婦人部の会合で栄養の勉強をしているから、肉でもハムでも皆食べているよ」と。
もの心ついてからは、田舎にばかり税金が投入されて都会暮らしは、不利だなと感じる様になりました。
何せ、自民党で偉くなるのは田舎が選挙区の議員、地元に金を落とせる人ばかりでしたから。
しかし、今は判ります。田中角栄の偉大さが…。彼は、出稼ぎにいかなくて良い日本を作りあげた。始めは公共事業で、次には製造業の分散化で、均衡ある国土をつくろうとした。
農業は、手厚い補助金で補った。
つまり、リベラル保守、修正資本主義こそが、地方に光を当てたと考えています。
これからの進む道は、農村におけるプロレタリア革命ではなく、国力が劣ろえていく日本において、都会で食えない若者の暴発です。
製造業という実質的な経済拠点が海外に行き、人手がいらないバーチャルな経済活動が中心になる日本において深刻な問題になる恐れがある。
若者は、日本で食べれない稼げないから、海外に出稼ぎに出なければならなくなるかもしれない。
日本は、エコだのロハスだのいっている場合じゃない。国民が食える国に作りなおさねばならない。
少なくとも、菅なんかの左翼の手に余ることだけは確かだ。

初めてコメントします。安達生恒先生のお名前を久しぶりに眼にしました。島大で先生の講義を受け、お付き合いもさせていただきました。島大から車で15分足らずの所に原発があり、反対運動の片隅にいる人間として、安達先生の農業問題は色々と勉強させられたものです。

中谷巌氏の 『 資本主義はなぜ自壊したのか 』 ( 集英社インターナショナル ) を読みながら, 展開される論旨に肯定と批判を抱いていたが, 大野和興氏のこの論説が, 中谷巌氏の日本の第一次産業社会における農民大衆の生活について, 認識の誤謬の一端を明らかにしている, と理解した。 「 江戸時代のコミュニティ 」 はあらゆる角度から考察して, そう易々と是認肯定できる性質のものではない。 第二次大戦後の戦後世代ですら, 農村の閉鎖的封建主義には, 反感と反抗心を覚えて, 消耗な闘争を展開しないと, まともには生活できなかったのである。 詳説は次に回したい。 

貧しさについて、戦後の貧しさと現代的な貧しさの各々その正当性が表現されていて、大変興味深い。

現代的な貧しさ(格差)は、どの時点が起点になっているかと、思い出してみると、職能給とか仕事給とか新しい賃金体系を各企業が競って導入を始めた時なのではないでしょうか。

終身雇用賃金体系が崩れ始め、賃金格差がでてきたが、決定的な格差を助長し救いようのない雇用形態、即ち契約社員、派遣労働などを促進したのは、やはり小泉改革と言ってよいのではないか。

小泉氏の簡単明瞭な言葉のあやに踊らされた国民が、生活の破壊が進む現実を前にして、自民党を見限り、国民第一の民主党を選択したはずである。しかるに、この政党を構成する一人ひとりが、あくの強い個性的な人ばかり、党として政策を実現することよりも、個人プレーを優先させてしまう。鳩山氏のとき同様に菅氏の場合は、もっとひどい状況が展開されている。

一貫性がないので、政治批判することによって、逆に政治に活気が出て、今までは絶対に表に出ず国民が知りえなかったことがかなり明らかになっており、われわれ国民にとっては歓迎すべきことかもしれない。物の見方を変えて考えることも必要ではないか。

格差による貧しさは、国際的な人的交流がどんどん促進され、企業の重要な仕事が中国人などにまかされるようになっており、一方3Kといわれる介護などに従事するアジア人が増えている現象は、止められないことを、われわれは自覚すべきであり、この現実は、国が救うことではなく、国民一人一人が自立しこの状況を打開する強い気持ちと覚悟がなくては打開できるものではない。一方企業は同じ仕事でありながら、正社員と契約社員と差別することはやめなければならない。企業エゴがひどすぎるといえる。

学校でも、就職の国際化によって、みなが好む事務的な仕事は競争が激化しているので、競争に打ち勝つ努力なしには勝ち取ることができず、努力しなければ、仕事に差別はなく、3Kといわれる仕事を選択せざるを得ないこと知らせるべきであり、事務的な仕事がなんとか得られるだろうという甘い考えを持たしてはならないのではないか。

基礎教育はもちろんのこと、実務的な幅広い勉強をしなければならないことを、学生に自覚させることも必要な気がしています。

若いときに、近藤康男先生の「農業政策論」を大学で学んだ。良い先生であった。

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Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

→ブック・こもんず←



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