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2011年7月29日

「水産特区」反対の動きが広がる 「漁業権と浜の集落は一体」

 村井宮城県知事が提唱し、首相の私的諮問機関である東日本大震災復興構想会議が提言で明記、国の政策に盛り込まれることになった「水産特区」に対し、批判が高まっている。

 漁業協同組合の全国組織である全国漁業協同組合連合会(全漁連)は今月6日「水産特区反対の」の緊急集会を開き、水産得反対を決議した。集会には全国の漁業者ら約230人のほか、自民党の石破政調会長、共産党の志位委員長ら野党幹部も出席、反対に同調するあいさつを行っている。民主党からは農林水産部門会議の佐々木隆博座長も出席したが、「皆さんの思いを政権幹部に伝える」と述べるにとどめたと、新聞報道は伝えている。

 宮城でも県漁連はもちろん反対だが、民間団体も動き出している。7月3日、石巻市の石巻専修大学でみやぎの漁業の未来を考える県民のつどい「『水産特区・漁業権をめぐる問題』でのシンポジウム」が開かれ、「水産特区を撤回させよう」というアピールを出した。主催は東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターで、学者、弁護士、消費者、それに漁業関係者ら400人が参加した。

 シンポでは法律家の立場からセンター世話人の庄司捷彦弁護士が「漁協の意志、意向を無視した特区の提案に漁業者の怒りが強まっている。課題山積の中、水産県宮城を多面的に考え、水産復興の道筋を探りたい」と述べた。

 元山形大教授の綱島不二雄さんが、村井嘉浩知事の特区構想について問題提起し「民間企業への漁業権の開放、漁港の集約というが、民間企業が入らないと、水産復興が動かないというのはおかしい。小さい浜で漁が再開できる仕組みを早急につくるべきだ」と指摘、「漁村は家族が役割分担して成り立っている。漁村が崩壊し、漁業権が消滅する。海は国民のもの。漁民が生き生きと働くことで浜は守られる。漁業権を守ることの大切さを確認してほしい」と強調した。

 基調報告した県漁協の木村稔経営委員会会長は、「一部漁業者の同意があるからといって、漁場の調整・管理を企業に委ねた場合、漁場の一元管理は崩れ、安定した生産の維持は難しい。企業は魚価の低落で採算に合わないと撤退する。復興は企業のためではない。50年続いた漁業の復興策として、漁協が漁場の一元管理をし、流通、加工業者、漁業者が連携する枠組みをつくる必要がある。何とか特区を阻止したい」と力説。

 水産加工業、消費者などの代表4人も、それぞれの立場で特区をめぐる問題で意見を述べた。

 地域でも反対の動きだ出ている。その一つ、津波で壊滅的打撃を受けた女川町では、5月中下旬に復興をめぐる公聴会を開催している。漁港の集約化を提示する町長に対し、ほとんどの地域で、「漁港はこれまでの形で復興し、集落を再建したい。集落と漁業権は一体のものであり、それを企業に開放することは、地域に暮らし、働く住民の生存権を否定することになる」、という意見が出された。

2011年7月20日

浜と海は誰のものか──津波と原発の被災地の村と浜から

 菅首相の肝いりで発足した首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」が6月25日、「復興への提言~悲惨のなかの希望~(pdf資料)」を題する答申を首相に提出した。いろいろ修飾語が並べられているが、それらを取り去っていくと、残るのは増税と効率優先の復興路線、という本質が見えてくる。新自由主義的復興とでも言うべき鎧が袖のしたからのぞいて見えるのだ。4月初め以来、原発被災地福島の村々を何度も訪ね、6月初めには法政大学サスティナビリティ研究機構の調査団に同行して、地震と津波の被災地三陸沿岸を北は岩手県宮古市から南は宮城県名取市まで歩いた。

◆日本の食を支えた三陸の浜と海
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岩壁に乗り上げ、めり込んだ船(釜石港)

 宮古、釜石、大船渡、石巻、女川、塩釜...。豊かな北洋を控えて名だたる漁港はどこも壊滅状態だった。防波堤、防潮堤は破壊され、漁船は陸地に打ち上げられている。沿岸に並んでいた水産加工場や魚市場はあとかたもない。岩手、宮城、福島の太平洋岸、いわゆる三陸沖は親潮と黒潮がぶつかる世界でも屈指の漁場である。複雑に入り組むリアス式海岸の入り江ごとに漁港があり、沿岸、沖合、遠洋そしてカキやホタテなどの貝類や、ワカメ、コンブ、ノリなどの養殖が盛んに行われていた。

 3月11日の津波はこれらすべてを飲み込んでしまった。漁船も養殖のいかだも漁港も水産加工場も卸売市場も、全てが消えてしまった。農林水産省の統計から漁獲高の順位をみると、サンマは1位北海道、2位宮城県、3位岩手県。サケ類1位北海道、2位岩手県、3位宮城県。サメ類1位宮城県、2位北海道、3位岩手県。養殖カキ1位広島県、2位宮城県、3位岡山県。養殖ワカメ1位岩手県、2位宮城県、3位徳島県。魚食を中心とするこの列島の食生活は三陸を除いてあり得ないことが分かる。

 被害額は今も正確な数字は把握できていないが、水産庁に報告された5月末までの数字を見ても、陸に打ち上げられてろして被災した漁船が1万8600隻、被害を受けた漁港3県の263漁港のうち258漁港、宮城では水産加工施設の7割が全半壊した。

 陸の施設だけではない。湾には大量のがれきが流出し、漁や養殖の再開を妨げている。日本一を誇った防潮堤がもろくも崩れた岩手県宮古市田老の漁港では、壊れた防潮堤の残骸がそのまま湾内に流入し、海を占拠している。

◆漁業権は「入り会い」の権利なのだ

 6月25日に出された復興構想会議の提言の柱に、かねて宮城県の村井嘉宏知事が提唱していた水産業特区構想が盛り込まれた。漁業権を外部資本に開放し、復興を推進しようという構想だ。宮城県の漁業協同組合は法的手段に訴えても漁業権は守るという立場を貫いているか、「復興のための有力な方法」とマスメディアを含め、この構想を支持する意見も多い。

 しかし、この構想が実際に適用された場合何が起こるかを危惧する漁業関係者は多い。まず起こるのは漁民の浜と海からの排除であろう。宮城県や構想会議の計画では、漁民は参入してくる企業に雇われるから安泰だ、と説明している。だが、漁業は潮の流れ、岩場、産卵場所など地元の海をよく知る手だれの漁師によって支えられてきた。そうした漁師は高齢者である場合が多い。高齢者をわざわざ労働者として雇用する企業があるとは思えない。結局ベテラン漁師から順に浜や海から排除され、働く場所を失った漁師は地域にも住めなくなる事態が起こることが予想される。

 参入してくる外部資本は果たして漁業・水産業をやるのかという疑問もある。世界でもまれなリアス式の風光明美な三陸海岸は、豊かな漁業の地であると同時に観光資本の垂涎の地でもある。これまで漁民は漁業権をたてにして開発を防ぎ、海を守ってきた。その漁業権を資本に開放するということは、海がどのように使われても防ぎようがないということを意味する。三陸の浜は外国資本を含む大観光資本に占拠され、海岸はホテルの占有地となって地元住民は締め出され、海はレジャーボートに遊び場となるという光景が浮かんでくる。

 もっと重大なのは漁業権という権利はいかなるものかが、まったく無視されていることだ。宮城県は構想会議のいう漁業権は、県知事により漁協に与えられる免許、というものとみなされている。しかし、本来漁業権は陸の入会権と同じく、その山や土地、海、川を利用する地域に生きる人々の「総有」の権利である。

 海や山や土地や川は本来誰のものでもない。その地域の資源を地域に生きる農民や漁民が自分たちの共同のものとして闘いとってきた権利なのである。それは生存権そのものといってもよい。

 使う人みんなのものであると同時に、共同利用グループを構成する個人の権利でもあるこの資源は、その個人が一人でも反対すれば譲渡や売買はできない。それが「総有」の意味だ。政府や県が勝手に外部資本に開放できるものではない。この構想が漁民の震災からの復興に立ち上がった漁民の息の根を止めてしまうことになりかねない。

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2011年7月 6日

薪炭の里から"原発"へ──近藤康男『貧しさからの解放』を読み返す

「昭和」で言うと20年代、アジア太平洋戦争でドイツやイタリアと組んで侵略国側を演じた日本が負け、民主化の熱気が社会の各層に残っていた時代、農村でも青年や女性が主役の「農村民主化運動」が広がっていた。主役は「家からの解放」と「貧困からの解放」であった。後者を掲げた歴史的な出版物が2冊、1950年代に刊行された。『山びこ学校』と『貧しさからの解放』。2冊とも、日本の戦後出版史を飾るベストセラーとなった。日本の出版メディアは「農村の貧困」をどう伝えたか、『貧しさからの解放』を読み返した。

 農政学者安達生恒(1918~2000)がまだ愛媛大学の助教授だった時代、宇和島市と中心とする南予の農漁村で青年運動とかかわっていたときの話。当時、愛媛の青年運動はとても活発で、とくに南予の村々では古い家制度や村のしばりを打ち破って、新しい村づくりをやろうといろいろな試みが行われていた。

 安達さんは、そうした農村青年たちの相談役として村歩きを続けていた。その時の空気を、安達は「村の若い衆は左のポケットに毛沢東の『農村調査』、右のポケットに『貧しさからの解放』を忍ばせて村をかけまわっていた」と語っていた。青年たちは、こうした活動を通して自分たちの代表を県議会や国会に送り込む。地域に根ざした若い政治家の誕生である。彼らは初期の社会党(いまの社民党)を支えて活動した。

貧しさからの解放』の初版は、1953年(昭和28年)5月25日に中央公論社から刊行されている。2年後の55年に13版を数えているから、相当の売れ行きだったことがわかる。新書版よりやや幅が広い作りで、本棚にしまうのではなく、学習会などでいつも持ち歩いて使うことをねらったものだと思う。

 一人ではなく34人の共同の仕事である。そもそもは、52年4月に雑誌『中央公論』で掲載した共同研究が大きな反響を呼び、単行本として出版することになった、と編著者として名をだしている近藤康男(1899~2005)が「はしがき」に書いている。この本の正式名称は『共同研究 貧しさからの解放』である。

 106歳で大往生した昭和を代表する大農政学者の近藤は、このとき52歳、脂の乗り切った少壮学者だった。34人の共同研究者には、彼に連なる若手マルクス主義農業経済の研究者や農村社会学者、ジャーナリストが並んでいる。

 改めて読み返して、底に流れる熱い思いに圧倒される。「はしがき」で近藤は、日本のあらゆる矛盾、労働者の貧困などの背後には、「農民や漁民の貧困」が「横たわっている」と書いている。そして、「農村や漁村を貧しさから解放」するために、「貧しさを貧しさとして描き出すにとどめることなく、それが再生産されている経済的からくりから、意識や観念や宗教というような上部構造まで、できるだけ具体的に吟味した」と。

 本文は3部にわかれている。第1部は「農村」。「プロレタリアの貯水池農村」というタイトルがつけられ、当時大きな社会問題だった農村の二三男問題(失業問題)から始まり、低農産物価格とそれに連動する都市労働者の低賃金、不徹底な農地解放、供出などの収奪機構などが述べられる。第2部は「漁村」。「われは海の子」というタイトルがつけられている。ここでは遠洋にでる漁業労働者、沿岸の小漁民がおかれた構造がくわしく述べられる。第3部は「山村と林業」。タイトルは「山にあがる狼火」。メインテーマは、農地と違い解放がなかった山林を支配する地主と零細な山村農民との葛藤。伐採労働、炭焼き、薪だしなど、すべてが山林地主に牛耳られていると説く。

 時代の制約を考えなければ、本書の記述には、いくつもの批判がある。たとえば農地改革の不徹底という認識や山林地主の存在などについて、少し評価が過大すぎるのではないか、といったことだ。だが、経済が成長の軌跡に乗る以前の絶対的貧困ともいえる時代の農山漁村の現実と、その背景を描き、「貧しさからの解放」に方向をそれなりに示した本書は、成長の果ての貧困の時代に入ったいま、改めて読み継がれるべきものだろう。

 山村を描いた第3部に、福島県浜通りの村についての記述がある。極零細な農家が集まる集落では明治以来ほとんど土地の移動がない。これでは食えないから国有林での労働や、払い下げの木炭原木に頼って炭を焼く。国有林が原発に代わり、いまがある。

Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

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