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詩人の直感力と想像力が描き出す予言の書 ── 若松丈太郎著『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』 »

市民メディアに何ができるか 福島原発情報共同デスクを立ち上げる

 福島原発暴走で何が出来るか市民団体で緊急会議をもつからと声をかけられ出かけたのは、確か3月28日であった。おりからこの問題についての政府の大本営発表への不信が高まっていた。政府が信用できないのだから、事故を起こした当事者である東電なぞもっと信用できないし、その政府・東電の発表をこだまのように増幅させる新聞、テレビなどマスメディアもまた信用できないものの対象に入っていた。この「信用できない」という気持ちのなかには、「自分たちは情報を操作されているのではないか」という疑問が含まれていた。緊急会議でも同様の意見が出された。

 そうしたマスメディア状況の一方で、インターネットの時代を反映して市民というか民衆というか、ただの人やら専門家、何か言いたい人やらが自ら発信したり、あるいは市民メディアとして組織的に発信する動きがここ何年かで急速に進んでいる現実もあった。グループや個人による、文章、映像、音声で発信されるさまざまの情報は、政府・東電の発表のぎまんを鋭くつき、マスメディアの怠慢を批判する内容であふれていた。
 同時にその内容には混交玉石、個々ばらばらの感があった。社会への影響力という面でも、マスメディアの圧倒的力には敵わないということ現実も存在した。そこで、いま具体的にやれることのひとつとして、こうした市民情報の共同デスクを立ち上げ、既成メディアへの対抗力をつくらないか、と提案した。「福島原発情報共同デスク」と名付けられたこの仕組みは、すでにサイトも立ち上がり、動き出している。

 共同デスクを提案するに当たっては、2008年のG8洞爺湖サミットで形が出来た市民メディア運動を、この際さらに大きな動きにできないかという思いもあった。その意味では、共同デスクの立ち上げは、課題である福島原発問題にとどまらず市民運動のこれからの動きにとっても、それなりの意味を持っていると考えている。

 とは思うものの、このごろ「市民による情報とはどういうものか」で考え込むことも多い。50年近く、メディアの周縁部でうろうろと記者をして生きてきた。70歳を過ぎるとそのメディアからもあまり相手にされず、このごろはもっぱらただ原稿を書いて発表の場を得ている状況なのだが、それでも自分で見聞きしたこと、確認したこと以外は書けないという50年叩き込まれた習性を捨てることが出来ずにいる。

 だが、とも思う。この「確認をとる」という、これまでごうも疑わなかった作業自体が権力なのではないか。既成メディアの権力の源泉はそこにあるのではないかというふうに言い方を変えてもよい。

 ネットにはデマやうわさ話が満開である。「だからネットは」いう人も多いが、実は、だからこそ体制はネットを恐れるのではないか。共同デスク立ち上げの議論のなかで、なんでも発信したらよいものでもない、ある程度の検証は必要ではないか、という話がでて、そうだなということになった。ぼくも実はそういう話をした。
 いま体制は震災に絡むデマ退治という名目でネット言論の規制に入っている。共同デスクの意味をこの観点から改めて検証、論議すべきなのだろうなと、いま思っているところだ。

 インターネットの時代に入り、市民メディアが言われ始め、メディア論は盛んになったが、ジャーナリズム論は影をひそめた。メディアとは入れ物で、問題はそこに何を盛り込むかなのだろうと思う。この共同デスクへの関わりを機会に、民衆ジャーナリズム論を考えてみたい。(福島原発情報共同デスク編集長)

*初出は『市民の意見』No126(2011年6月11日)

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高校時代に量子力学を知り、科学・技術の未来にワクワクしたものを感じていました。その1つに原子力もあった。未来のエネルギー資源であると・・・。
今回の福島事故の一連の経緯がある軽度見える時期にきて、いくつかの問題点を指摘しないことに疑問を感じている。
事故の収束が見えない段階であるが、脱原発か・容認かの議論しか見えてこない。自称自然回帰派であるが、現状も容認しないといけない。世論が、脱原発に進むのかは未定ですが、当面は原発・放射能と共存しなければいけない。望む・望まないの意思とは別に・・・。
情報公開や生活保障、子供たちの未来を守る為にということも大切です。しかし、半減期が長期及ぶ以上、最善の対処方法の議論が見えてこない。広範囲に及ぶ汚染地区からどの様に除去するのか。不用意な被爆を避ける方法など・・・。
私は専門家でないので、具体的な提言はできないが、原子力関係に詳しい方なら具体策も考えられるだろう。
更に言えば、今後の原発事故に対応する策も対処法でしかないと思えてならない。地震・津波に備えることは当然だが、起こったときの対応策の議論が希薄です。
今回の事故被害が拡大した最大の理由は、電源喪主というものにある。つまりは、それに対しての対処法のみに固守している。モニター機能が全く失われたために、原子炉及び建屋内で何が起こっているのか誰もわからない。推量でしか判断できない状況下であったこともある。
けれどそれだけなのだろうか。
再度余震や津波が起こるかもしれない状況でモニターできるだろうか。人身の安全を第一に優先すれば、非難が最優先である。
ガレキで敷地内がめちゃくちゃであれば、移動もままならない。
現在稼動中の原発をも考えれば、電源確保や地震津波に対する備えだけが今後の安全策だけでないと思える。確かにどこまで備えるかの問題であるが、事故が起こったときの万が一の対応策が議論されているか疑わしい。
事故を早期に収束させるために、ガレキ撤去の重機や被爆のリスクを避けるために現状をモニターできるリモコン監視機器などの拡充、更に汚染されたものを除去できる体制など、万が一の事故処理の備えに対して関心が薄い気がしてならない。
「起こらないこと」に対しての対策も必要ですが、「起こってから」の対応も必要でないかと考える。
【福島原発情報共同デスク】の異議には関心がありますが、その主旨がいま少し明確でないというか、本文で危惧されているネットの問題点からも、いま少し活動に賛同するかは私自身保留です。
賛成・反対論だけに集中しそうで、嫌でも受け入れることができるのか、現段階で判断できないでいます。

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大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

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