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« TPP ニュージーランドでも市民、学者、労働組合が反対に立ち上がり、ネットでも訴え
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TPP参加へとまい進する「新自由主義的震災復興」のシナリオとどう対抗するか »

消された村

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村と家族とコメを話す

 40年間、コメを作ってきた。借地10ヘクタールをいれ、12ヘクタールの稲作を手がけていた。安全なコメ作りをめざし、農薬,化学肥料は控える環境保全型農業を追求してきた。営々と土を作ってきた田んぼに、もうはいれない。まだ1000万円の借金が残る農機も流された。残ったのは、その日乗っていた軽トラだけ。これが全財産だ。

 はじめて会ったとき,志賀一郎さんは無精髭をなぜながら、以前ならこんなことはなかった、きれいに剃っていたんですが、と照れたようにいった。「以前」というのは2011年3月11日のことだ。東日本大震災が東北・北関東を襲い、福島第一原発が連続爆発を起こして、暴走をはじめた。

 この日、志賀さんはすべてを失った。妻、孫、自宅、田畑、そして63年間生きてきた故郷、双葉町。お孫さんは昨年11月に生まれたばかり、遅い初孫だった。携帯電話に写真が残っている。見せてくれた。まるまるとした赤ん坊が笑ってこちらを向いている。涙が溢れ出して話が聞けない。我ながら記者失格だなと思った。

 地震があった3月11日は志賀さんはイベントに野菜を運ぶために出かける途中だった。そこへ地震、引き返したが家は消えていた。息子夫婦も駆けつけ、探したが見つからない。そして原発爆発、退避指示。またすぐ探しに戻ってこれるつもりでそこを離れた。志賀さん自宅は海岸から500メートル、第一原発から3・5キロだった。

 軽トラにいつも乗せていたものがある。一昨年、大阪であったコメの食味品評会でもらった金賞の表彰状のコピー。大事そうに取り出して見せてくれた。40年の手だれコメ作り百姓の唯一の存在証明。志賀さんにはこれしかない。

 いま志賀さんは郡山の有機コメ作り仲間の家に身を寄せている。ここでコメ作りを手伝いながら、避難解除になったら妻と孫を探しに戻るつもりだった。原発から今も流出し続ける放射能は、その望みも断ち切った。「田植えが終わったら恐山に行って妻に逢い、許しをこいます。その後どうするか、何も決まっていません」と話す。何を許してもらうのか、ついに聞けなかった。

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【書き下ろし】よちよっちん氏が当ブログで書かれたが、僕も浜岡原発の停止そのものは合理的であると考えている。別に原発反対派でも推進派でもなく、ゼロリスク症候... [詳しくはこちら]

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

<志賀様>
お気の毒で言葉もありません。
放射能によって、これから、有機農業自体の見直しも必要になるでしょう。おてんとう様や草や空気が敵になるからです。全く人類は罪深い。
身体に良いはずの胚芽米は身体に悪いものになります。胚芽に放射能が蓄積されると言われているからです。
志賀様、恐山で奥様にお詫びされたら、供養も済みます。
息子さんご夫妻とともに、米マスターとして、他にご活躍の場を移して頂きたい。日々テラベクレルレベルの放射線が垂れ流される福島原発地帯では志賀さんの技術が生かされません。
政府への要望です。志賀さんの様な米作りの技術者には、新しい土地をご用意頂きたい。新たなたんぼでの再出発をお願いしたい。新たな故郷を作って頂きたい。その為の金を用意して頂きたい。
福島は日本の地方の縮図だ。中央の方針のままに生きてきた。中央政府は、原発に金を出す。だから一号機、二号機…次々と原発は増えてゆく。地方自治体も地主も潤う。雇用が生まれる。三人に一人が原発関連の仕事で収入を得ている町は原発を止められない。
全ては、中央官庁の売国的な施策によって起こった事である。田中角栄は中央官庁に殺されてしまった。彼ほどの発想力がある政治家はその後にはいなかった。
彼が存命なら、まずは独自のエネルギーの獲得によって、原発に頼らずに地方の活性化はできた。土建だけでなく大企業製造業の工場の地方分散をやって雇用を作った。
それが、プラザ合意からの円高、会社法の改正によって産業の空洞化が行われ、中央東京に富の集中が再度行われる事態になった。
福島は日本の田舎の縮図である。もはや中央に恩義など感じる必要はないだろう。
これからは、日本各地で独立運動を起こすべきだ。地方は地方の意思で経済特区や医療特区を作り、産業と雇用の創出を行わねば、次の福島が起きる。

わが身に置き換えると投稿するにどうしても躊躇いがある。
国のために、ある意味受け入れた原発がすべてを奪う。どうしてこんな理不尽を与えるのだ。そのやるせなさを何にぶつければいいのか。私ならそんな虚脱感で日々を過ごさなければならないだろう。東電に国に役人に政治家にぶつけたところで現状が替わるはずが無い。頭ではわかっている。
仮払いの補償費を受け取らなかった住民もあると聞く。最近報道はされていないが、未だ当地にとどまっている人もあると思う。仮に雨露が凌げるのであれば、私自身当地に残る道を選択するかもしれない。親族がどんな説得をしてもそれを聞く耳をもてるかさえ自信が無い。土に生きるものにとって、生まれ育ててくれた土地を離れなければならない。この身を裂かれる思いである。それでも生き続けていくその試練は・・・。
なんとしても、何年後。何十年後に戻れることを信じるしかない。そのやるせなさに言葉がない。
けれど、必ず故郷は元に戻る。又、元に戻さないといけない。

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Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

→ブック・こもんず←



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