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2010年8月13日

イスラエル入植者がパレスチナの村を襲い、オリーブ園を焼き、発砲

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2月に訪問した民家。入植者によって度々攻撃され、家の壁には銃弾の跡があり、ダビデの星が描かれていた(ブリン村周辺)

 国際協力NGO、JVC(日本国際ボランティアセンター)のパレスチナ現地事務所から、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のブリン村がイスラエル入植者に襲撃された、という知らせが入った。今年2月に訪ねた村である。オリーブ園が村を囲む、一見穏やかな農村風景が広がる村だが、そこはイスラエルの占領と対峙する最前線の村であった。むらを囲む小高い丘の上には、外から入りこんだイスラエル人の入植地が何か所もあり、そこから徒党を組んでやってくる入植者に日常的に襲われているということだった。入植者は銃で武装、家に火をつけ、オリーブ園を焼き払う。殺された村人もいる。耐えかねた村人が出ていくと、そこに入植者が入り込み、「領土」を拡大する。そんな村の最近の動きを現地NGOの報告から紹介する。7月26日、70人を超える武装したイスラエル入植者が村を襲い、オリーブ園を焼いた。発砲した入植者の弾に当たり、子どもが1人、重傷を負って病院に運び込まれたという情報もある。

 以下、現地発のふたつの情報を紹介する。(まとめ:大野和興、翻訳:近藤康男、写真:天明伸浩 2010年2月撮影)

<イスラエル入植者パレスチナ西岸ブリン村で大暴れ:銃撃そしてオリ−ブの樹木に火を放つ−オリ−ブ畑の放火に消防車も苦闘>

 昨日(2010年5月26日)11時半、Berakha Shomronim(ベラカ・ショムロニム)入植地の入植者たちが突然Burin(ブリン)村の村人に銃を発射し畑の作物に火を放ち始めた。

 入植地凍結命令に基づきイスラエルの占領当局が、当該入植地の違法な前線拠点の取り壊しを命令したことにより騒擾が広がったものである。イスラエルの警察は入植者の封じ込めに失敗しその結果騒擾が更に拡大し、そしてそれに対応してNablus(ナブルス)に近いHuwara(フゥワラ)の検問所が封鎖されることとなった。

 ブリン村の面積は1,500ドゥナム(約750ヘクタ−ル)、3,000本程のオリ−ブの木が植えられている。この大半が昨日の120名ほどの入植者の襲撃・放火により破壊され、更に火は隣のKafr Qalil(カフル・クァリル)村にまで広がった。パレスチナの消防当局が現場に急行し、村人の消火活動に合流した。

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入植者によって伐られたオリーブの木(ブリン村周辺)

 国際連帯NGOであるISMの活動家たちはこの事件を公にすべくブリン村に駆け付けたが、"大したことはなにもない"と言われ、直ちに国境警察により力づくで追い払われてしまった。その後彼らは、入植者が武装しており危険なのだ、とも教えられた。しかし現場を目撃したIraq Burin(イラク・ブリン)の地元住民Ahmed(アフメッド)氏によれば、国境警察は入植者を守るために現場に行っており、負傷者救援に駆け付けた救急車が現場に入ることを妨げていたとのことである。

 救急車は2人のパレスチナ人が負傷したために呼ばれたものであった。我々ISMに届いた報告は、負傷は入植者による銃撃によるものと断言している。しかし現時点ではこの負傷者を特定出来ておらず、また銃撃による負傷のため一人が病院今朝死亡したという報告があったものの未だ確かめることは出来ていない。

 International Solidarity Movement (仮訳:国際連帯運動)とEcumenical Accompaniment Programme in Palestine and Israel(仮訳:全キリスト者によるパレスチナ/イスラエル問題への関与計画)のメンバ−は今現場での聞き取りと現場の撮影に取り組んでいる。

 この他にも、ラマラ地区のAn Nabi Saleh(アン・ナビ・サレー)村で入植者が家屋や車両を打ち壊しているという報告も入っている。(出典:International Solidarity Movement (ISM:国際連帯運動)"Settlers riot in Burin, shooting and setting fire to olive trees" 10.07.27日掲載)

※EAPPI:国連決議や国際法に基づきイスラエルによる占領を終わらせ、正義ある平和によりパレスチナ/イスラエル問題を解決しようとする当事者や国際社会の取り組みを支援する活動をしている団体。
※International Solidarity Movement:パレスチナ人を中心とする団体で、非暴力行動によりパレスチナを支援し、パレスチナ/イスラエル問題を平和的に解決するために活動する団体。

<2,000ドゥナムの農地に放火:放置されるイスラエル入植者の傍若無人>

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丘の上の建物群が入植者の住宅地。下のオリーブ畑や住宅を攻撃する(ブリン村周辺)

 占領下のパレスチナにおける人権保護に深く関与しているパレスチナの市民組織として、Al-Haq(アル・ハク)は、イスラエル入植者による7月26日のフゥワラ及びブリンへの襲撃を深く憂慮するものである。

 7月26日早朝、70人以上の入植者が、挑発するかのように振舞いつつナブルスのヨゼフの墓に向かった。そして地元住民との間で衝突が勃発した。市街地を出ながら入植者たちはフゥワラ村の近くのオリ−ブ畑に火を放った。8時頃暴徒となった入植者たちはブリン村に侵入し、果樹園やオリ−ブ畑に火炎瓶で火を放った。そしてその後村人たちとの間で衝突が始まり、多くの負傷者が出、中でも1人のパレスチナの子供は後に病院に運び込まれる事態となった。1人の入植者が発砲をしたとの報告がされている。

 ブリン村当局の数度に渡る要請にも拘わらず、イスラエル軍は11時頃まで現場に来ることはなかった。それまでに既に入植者たちは村の中心から離れ、Yitzhar(イツハル)とBracha(ベラカ)の入植地に戻る途中で周辺の7ヶ所の村に火を放っている。そしてパレスチナの消防隊は、道路や11の交差点を封鎖する多数の入植者たちにより現場への道を阻まれてしまった。負傷者と農地への放火という結末を残してこの騒擾が最終的に沈静化したのは午後10時頃である。パレスチナ人の生活の重要な糧である農地約2,000ドゥナム(1,000ヘクタ−ル)が焼き払われた。

 昨日の出来ごとは、イスラエルによる占領開始以来、占領地全土に渡って長い間パレスチナ人やその財産に対して入植者たちが行ってきた典型的な犯罪行為の一部でしかない。毎年オリ−ブの収穫時にピ−クとなるこのような暴力行為は、暴力行為を止めさせることも加害者を罰することもしようとしないイスラエル軍と司法当局の一貫した対応の結果である。

 国際法の慣習として、占領者であるイスラエルは公共の秩序と安寧を確保し、また占領地の住民の基本的人権を擁護する義務があるはずである。それにも拘わらず、占領地に駐屯するイスラエル軍はパレスチナ住民を保護することなく、彼らを襲撃する入植者たちを守ることに専念している。更に暴力行為を犯した入植者たちは通常のイスラエル国内法による法的利益を享受する一方、パレスチナ人は占領地に適用されるより厳しいイスラエルの軍事法規に従わされているのである。

 占領地における法的義務を放棄することで、イスラエルは入植者による暴力行為を助長し、止むことのない不法な入植地拡大と相まって、パレスチナ住民への重大な人権侵害を行っている。

 入植者の犯罪行為が放置されたままであれば、その行為は更にエスカレ−トし、この先パレスチナ人の生命は更に危険に晒されることになるだろう。我々は国際社会に求めたい。犯罪行為を放置するという風潮を終わらせパレスチナ人の合法的な権利を回復させるべきとの見地に立ち、即時そして確実で具体的な行動により占領地住民に対する法的義務を守るようイスラエルに圧力を掛けて欲しい。(出典:AL-HAQ 7月27日掲載)

※AL-HAQはラマラに拠点を置くパレスチナのNGOで、占領地における人権を守るための活動を中心に取り組んでいる。UNESCOへの助言団体でもある。

【関連記事】
■《映像記事》イスラエル人入植者に土地も水も奪われて
http://www.the-journal.jp/contents/ono/2010/04/post_8.html

2010年8月 7日

<牛丼と貧困>(上) いつの時代も牛丼は貧しさの影を背負っていた

 牛丼の値下げ競争が止まらない。7月21日には吉野家が期間限定で牛丼並盛りを380円から270円に値下げすると発表。するとすかさず松屋フーズが「うちは250円だ」を対抗、牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーも対抗の気配。昨年12月から始まった牛丼値下げスパイラルは、どうやら夏を通り越し、秋の陣にもつれこみそうな気配だ。その陰にはこれまた一向に止まる気配がない貧困のスパイラルがある。

■牛丼はそのうちタダになるらしい 遊魚亭釣楽

 バブルがはじけ、経済のグローバル化が進み、格差と貧困が拡大した。若者は正規の職に就けず、年収が200万円あればうらやましがられる時代。その先頭にいるのが、氷河期世代と呼ばれる、かつてのニューファミリーの子どもたちだ。牛丼チェーンは食の値下げ競争の先頭を走り、氷河期の若者はそれをかっ込んで餓えをしのぐ。

 4月11日の「よみうり時事川柳」を読んでいて「うまい!」と思わずうなった。「牛丼はそのうちタダになるらしい」という句である。作者は遊魚亭釣楽という人。そう、昔から安くてうまい牛丼は"貧乏人の友"だった。

 いまでこそ牛丼御三家が覇を競っているが、その先鞭をつけ、牛丼をラーメンと並ぶ日本人のC級国民食にまで広げたのは吉野家である。老舗とはいえいっかいの築地の牛丼屋だった吉野家が各地に店舗展開を始めたのは、定年を迎えた団塊の世代が結婚し世帯を持ち始めた70年代初めだ。

 彼らは2つの顔をもっていた。ひとつは経済成長をひた走る日本経済の最先端をになう企業戦士としての顔。もうひとつは郊外に一戸建ての洒落た家を構え、専業主婦の妻とマイホームを築く家庭の顔。高学歴どうしのカップル、子どもは1人か2人。ニューファミリーと呼ばれた。少子化時代の始まりでもあった。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とはやされた80年代前半には、郊外の戸建て住宅団地を舞台に、ニューファミリーの生態を描いたテレビドラマ「金曜日の妻たち」がヒットし、共同通信の花形記者斎藤茂男(さいとう・しげお)の取材グループが長期連載した「妻たちの思秋期―ルポルタージュ 日本の幸福」が評判を呼んだ。

■金曜日の妻たちを支えた牛丼

 ニューファミリーを主人公とするこれらの物語には、繁栄に酔いしれる日本の都市のくらしの足元に忍び寄る人びとの不安や孤独、そして貧しさが埋め込まれていた。郊外の瀟洒な戸建て住宅はしょせん借金の塊だったからだ。繁栄の負の部分の象徴が、C級国民食牛丼チェーンの繁盛だったのかもしれない。郊外のマイホームを拠点に,専用主婦の妻たちは、生活クラブ生協の活動に生きがいを見出し、夫たちは牛丼をかっこみながら働いてマイホームの借金を払い、妻の社会活動を支えた。

 時代の波にのって店舗拡大を続けてきた吉野家は1982年に倒産、83年にセゾングループが参加して現在に至る。倒産後、最初の社長に就任したのは大口債権者の新橋商事という会社の社長だが、その社長は債権者会議の席上、「これからは本物の牛肉を使いますから大丈夫です」と語ったと食品評論家の郡司篤孝さんは書いている(安達生恒・大野和興・西沢江美子編著『食をうばいかえす!―虚構としての飽食社会 (有斐閣選書 (460))』(有斐閣、1984年)。

 当時の吉野家のキャッチコピーは「うまい・はやい・安い」。時代の本質をずばりとついた実に秀逸なコピーである。だが、老舗の家業としてはともかく、大量生産・消費に乗った外食チェーンとして牛肉を素材に「うまい」と「安い」を両立させるには時代が早すぎた。当時牛肉は自由化されておらず、海外からの安い食材が輸入ができなかったからだ。質を落として乗り切ろうとしたが、客足も遠のいた。

■貧困と格差の時代へ

 1991年4月、アメリカの厳しい要求をしのぎきれず、政府は牛肉とオレンジの自由化に踏み切る。牛丼の材料となる下級肉が安く大量に手に入り時代の到来である。経営再建の終えた吉野家、60年代後半に中華と牛めし定食屋からはじまった松屋、80年代初めに開業したすき家といった牛丼チェーンが一気に店舗と売上げを拡大していった。牛丼黄金時代に始まりである。

 だが、牛丼黄金時代の始まりは、皮肉にも「貧困と格差」の時代の始まりと重なっていた。90年代に入ってバブルがはじけ、経済のグローバル化が進み、格差と貧困が拡大した。若者は正規の職に就けず、かつてのニューファミリーの子どもたちは氷河期世代と呼ばれ、値下げ競争の先頭を走る牛丼をかっ込んで餓えをしのぐ。(つづく)

Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

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