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パレスチナ クスクスと難民 »

村に生き、農業を続けることが抵抗なのです

 冬のパレスチナ自治区西岸地域の天候は荒れていた。中心都市ラマラでは、夜半、雨と風がホテルの窓を激しく打ち鳴らした。昼間も冷たい風が吹き、晴天と雨が交互に襲う。西岸地域の村を訪ねる旅人にとってはつらい天候だが、ここ3年、干ばつに悩まされている地元の農民にとっては恵みの雨だ。なぜ「パレスチナの村」なのか。

 空爆するイスラエルの爆撃機、火を吹く戦車、瓦礫の山と死者をなげき悼むパレスチナの人びと、テレビの映像を通しておなじみのなってしまったパレスチナの現実の、その向こうで人びとはどんな日常を営んでいるのか、どんな思いで日々を過ごしているのか、この現実の先に何を見ているのか。村を歩き、農業の現場で農民と触れあう中で、そのことを知りたいと思い、日本の百姓や農業に近くで働の友人らと誘い合わせて私的な旅に出た。

 「村を歩きたい」という私たちの願いを受け入れてくれたのは、パレスチナ自治区の農村で活動するふたつのNGOである。ひとつはパレスチナ農業復興委員会((以下PARC)、もうひとつはパレスチナ農業開発委員会(以下UAWC)。いずれも村に根を張り、イスラエルの占領により、深刻な影響を受けている農民とともに農村復興に携わっている。

「パレスチナの農業を語ることは、そのまま政治を語ることなのです」

 PARCの事務局長を務めるカハリ・シーア(Khalil Shiha)さんの話は、のっけからそんな言葉で始まった。イスラエルの占領は農地と水の収奪から始まる。村に根を張り、農業と続け、農民として生きていくこと自体が、抵抗であり闘いなのだというのだ。UAWCの事務局長カリッド・ヒデュミ(Khaled Hidmi)さんも同じ表現を使った。

 パレスチナのGDPに占める農業の割合は11%ほどで、就業人口のほぼ1割が農業で働いている。パレスチナでは農業は産業部門としても働く場としても、大きな存在なのだ。だが、農業の基盤である土地や水への破壊行為はすさまじい。たとえば、農地への灌漑が整っている面積の割合は、パレスチナでは10%にすぎない。あとは天水に頼る不安定な農業生産を余儀なくされている。

 これに対して、イスラエルの入植者は占拠する農地の灌漑の割合は70%。貴重な水源のほとんどを持っていかれている。PARC作成の資料によると、ヨルダン川の65%、表流水の90%がいるらエルの管路下にある。

 入植地はいまも増え続けている。少し古いが、やはりPARCの資料によると、2000年から2007年にかけ約8万haの農地が入植地として接収され、パレスチナの地域と社会、経済、くらしを文壇する分離壁の建設で村と農地、樹木の破壊がそれに輪をかけて進んでいる。

 今回の旅の先導役を務めてくれている農業貿易の専門家で、パレスチナの農民が作ったオリーブオイルのフェアートレードを切り開いてきた近藤康男さんは、パレスチナ農業がおかれた現実の一端を次のように整理している。

 一口に言って、パレスチナの農業は、占領され、分断・閉鎖・包囲され、そしてイスラエル経済に従属させられ、高コスト体質にされ、更にはごみ溜めにされた農業となっている。

○ 水・農地などインフラの没収・破壊・分断

○ 否応無しの農作業、特に収穫時、の制限と妨害

○ その結果としての農作物の放置と品質劣化

○ 情勢の不安定化と移動制限による市場の喪失

○ 農業資材の購入、農産物の販売面でのイスラエル市場への依存・従属

○ 入植地からの未処理廃棄物・汚水による環境汚染

 しかし、彼等の現実は耐え、黙々と営むことだけで済まされないところにある。自分の農地に辿り着くためには壁や金網を通るためにイスラエル兵と戦わなければならないこともあり、オリ−ブを収穫するために入植者の暴力と戦わなければならないこともある。

 オリーブオイルはパレスチナの代表的な農産物である。そのオリーブの木をイスラエルは100万本切り倒したり重機を持ち込んで引き抜いた。UAWCの事務局長カリッド・ヒデュミさんは、「オリーブの木は私たちパレスチナ人にとって単なる農業用の樹木というだけでなく、私たちの歴史であり文化であり、誇りなのです」と話す。引き抜かれ持ち去られたオリーブの樹のなかには樹齢千年を超える世界遺産といってもよいものがたくさんあった。

  こうした農業のおかれた現実を前に、食えなくなったり嫌気がさして出稼ぎに出たり、都市に出ていく若者も多い。しかしそこでも待っているのは失業という現実である。村にいて耕し、くらしていけるいける条件をどう作るか。私たちを受け入れてくれたふたつの組織はいまそのことを目指して様々な取り組みをおこなっている。農民自身に協同組合づくり、不足する資金の獲得、農村女性の自立と所得向上のための小さいが効果的なプロジェクト、都会に出て行った若者の帰農支援、新しい農業技術や販売の確立、世界の市民組織をつながってのフェヤトレードの開拓などなどだ。

 こうした条件をみずから作り上げることで、村で農業を基盤に生活する根っこができあがる。それは奪われ土地を水を取り戻し、パレスチナの自立をつくりだす道でもある。以下、ヨルダン川西岸地域の村々を訪ね、そこでの農民の思いと取り組みを紹介していく。

【パレスチナレポート】
■壁に囲まれたパレスチナの農村をめぐる(News Spiral)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/02/post_487.html

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まったくユダヤ人は許しがたい

パレスチナの人々はテロしか無い状況に追い込まれ、テロに対するユダヤ人の報復は一人殺されると十五人殺すというものです。

【オリーブオイルはパレスチナの代表的な農産物である。そのオリーブの木をイスラエルは100万本切り倒したり重機を持ち込んで引き抜いた。】

パレスチナを支援する日本の市民団体などでは、オリーブの販売に取り組まれているようですね。
農業を基盤とした自立への道。それに取り組まれる住民の人々。

大変勉強になります。次のレポートが楽しみです。

農業にとって水の確保は、安定生産の基盤の1つです。
一昔、日本でも、水争いは人の命をも奪い合うものでした。
それに加えて、宗教的対立、更に入植地拡大による強制撤去と聞けば、お互いの遺恨は深まるばかりと思えます。
他人事とお叱りを受けますが、憎しみは、憎しみと悲しみしか生み出しません。
負の連鎖は、何処かで断ち切るしかない。
それができるのは、政治の力だと思うのですが、お互いの利権が絡み合って、実現も難しいのでしょうね。
大きなところからでなく、小さなところからそれも解決の道の1つですね。

パレスチナのオリーブオイル前に何度か買ったことあります。トロミがあって独特の風味があって結構好きな味でした。私はよくWWFのパンダショップで購入していましたが、それも近藤さんのものなのでしょうか...?

一応PANDASHOPのリンク貼っておきます。(食べ物市場フェアトレード食品の一番下にあります)
http://shop.wwf.or.jp/pshop/index.php

継続して買い続ける事が大切かもしれないと改めて思い、また購入しようと思います。こういうパレスチナ以外の国の草の根的が運動がもっと拡大していって、例えばイスラエルの国の人々の多くの気持ちが変わっていったりと、何か事態が少しずつでも変わる様なことになればいいのに、と祈る気持ちです。

大野様いつも楽しみにしております。

僕は1999年に一年間Dead Sea(海抜マイナス400mの世界で最も低い地域)のイスラエル国境線上のヨルダン側で農村の女性支援事業にかかわっていました。いつのものか解らないが、地雷を踏んでプロジェクト近くの農民が負傷したこともあります。また激烈な暑さ(私の経験では最高気温49度)の地域で、住まいは高地のKarakという町に探し暮らし、毎日標高差1,400mを上り下りしておりましたが、夜は西岸地区の街の明かりが遠くまで見通せる所でした。イスラム教徒とキリスト教徒が混在している町であった。羊をご馳走になるためにモスリムの家族を訪ね、酒をご馳走になるためにクリスッチャンの家族を訪ね、お茶をご馳走になるために遊牧民ベドゥイン(何とベンツでテントから役所に出勤する方もいましたが)を訪ねては話し込んでいました。
 遮光用ビニールハウス等の廃棄プラスチック対策調査のためにゴラン高原南端部、シリア国境沿いのヤルムーク川、ヨルダン川を死海まで縦断したことがある。Google Earthで覗けばイスラエルの水の収奪がいかなるものか視ることができる。ヨルダン川沿いは農業発祥の地と言われている。アフリカから続く大地溝帯の最北部にあたる。最南部に当たるアフリカのマラウイ湖沿岸の稲作プロジェクトにも3年関わった。
ヨルダン側は海抜マイナス400mの死海に注ぎ出口はなく、猛烈な暑さに因る蒸散で水位を保っているが水位は低下していると言われる。またここでとれるPotash(カリューム)は日本の農業を支えている。
 僕のアシスタントの名前はフセイン、彼のイスラエルに対する憎悪感情の表現は、普段は極めて静かな男であったが、手に負えなかった。イスラエルの話になると会話にはならなかった。毎日私もあえてイスラエルの話を持ち出していたし、僕は平気で町の皆さんと、激烈な会話をしていたのですが、彼等も認めるように、ヨルダンにおいてはイスラエルと経済的なつながりを強化する、現実に多くのイスラエル資本がヨルダンに投資しており、雇用も作り出していた。もう米国と中国が戦争が出来ない関係のように、相互に理解する等ということは絶対に無理な関係のパレスチナとイスラエルである。少しづつ経済的な相互関係を公平なものにし強化していくしか、当面の打開策はないのではないかとその当時は考えたのですが、まだまだ遠い話のようですね。
今はブラジルですが、チャンスがあれば西岸地区も訪ねてみたいですね。

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Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

→ブック・こもんず←



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