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2010年2月 9日

パレスチナ クスクスと難民

1002103.jpgのサムネール画像

 土壁がところどころ崩れた年代物の建物に案内された。中に入ると、白衣を着た中年の女性が大勢忙しく働き、クスクス(couscous)の食材を作っている。土間にあぐらをかくようにどっかりと座り、粉をこねる女たちは全員この地域にある難民キャンプのクスクス生産組合のメンバーだ。パレスチナでは人びとのあらゆる活動がイスラエルの占領と重なる。

 その加工施設はPARC(パレスチナ農業復興委員会)の農産加工施設のひとつ。西岸地区の中心都市ラマラから東に向かい、ジェリコの郊外にある。昨年までここはナツメヤシの実の選別と箱詰め工場だった。それが近代的な選別機の導入に伴いよそに移転、その後女たちの働き場となった。

 女たちはそれまでは難民キャンプの中で集まり、作業をしていた。1948年、欧米の後ろ盾を得てこの地に建国したイスラエルは、531ヶ所の村と町を破壊して住民を追放、72万6000人がヨルダン川西岸とガザなどに避難、難民キャンプをつくった。その後も続く占領地域の拡大や土地接収で、生活と生産の場を奪われる人たちが増え続けた。

 難民生活は世代を越えて続き、生存の基盤の失った結果として貧困層が多い。この加工場で働く女性たちの多くは夫を失った人たちで、クスクスの食材加工で得る収入が主な収入源となっている。

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 クスクスというのは家庭料理で、通常は家で作り食べる。小麦粉を捏ね、時間をかけてにひねり、捏ね、米粒ほどの粒にする。その様子は練達のそば職人のふるまいを想起させる。

 できあがった粒は15分ほど蒸し、乾燥させる。女たちはそれを共同作業することで商品化し、収入源に育てた。PARCはその女たちの活動を助け、より精密な乾燥や選別の施設を用意し、販売先を開拓。訪れたこの日はイタリア向けの製品が作られ、箱づめされていた。パレスチナでは小麦はあまり生産されておらず、輸入されているが、ここで使う小麦粉は地元産をと生産も始めている。

【関連記事】
《海外映像レポート》パレスチナ:自立へのたたかい

2010年2月 6日

村に生き、農業を続けることが抵抗なのです

 冬のパレスチナ自治区西岸地域の天候は荒れていた。中心都市ラマラでは、夜半、雨と風がホテルの窓を激しく打ち鳴らした。昼間も冷たい風が吹き、晴天と雨が交互に襲う。西岸地域の村を訪ねる旅人にとってはつらい天候だが、ここ3年、干ばつに悩まされている地元の農民にとっては恵みの雨だ。なぜ「パレスチナの村」なのか。

 空爆するイスラエルの爆撃機、火を吹く戦車、瓦礫の山と死者をなげき悼むパレスチナの人びと、テレビの映像を通しておなじみのなってしまったパレスチナの現実の、その向こうで人びとはどんな日常を営んでいるのか、どんな思いで日々を過ごしているのか、この現実の先に何を見ているのか。村を歩き、農業の現場で農民と触れあう中で、そのことを知りたいと思い、日本の百姓や農業に近くで働の友人らと誘い合わせて私的な旅に出た。

 「村を歩きたい」という私たちの願いを受け入れてくれたのは、パレスチナ自治区の農村で活動するふたつのNGOである。ひとつはパレスチナ農業復興委員会((以下PARC)、もうひとつはパレスチナ農業開発委員会(以下UAWC)。いずれも村に根を張り、イスラエルの占領により、深刻な影響を受けている農民とともに農村復興に携わっている。

「パレスチナの農業を語ることは、そのまま政治を語ることなのです」

 PARCの事務局長を務めるカハリ・シーア(Khalil Shiha)さんの話は、のっけからそんな言葉で始まった。イスラエルの占領は農地と水の収奪から始まる。村に根を張り、農業と続け、農民として生きていくこと自体が、抵抗であり闘いなのだというのだ。UAWCの事務局長カリッド・ヒデュミ(Khaled Hidmi)さんも同じ表現を使った。

 パレスチナのGDPに占める農業の割合は11%ほどで、就業人口のほぼ1割が農業で働いている。パレスチナでは農業は産業部門としても働く場としても、大きな存在なのだ。だが、農業の基盤である土地や水への破壊行為はすさまじい。たとえば、農地への灌漑が整っている面積の割合は、パレスチナでは10%にすぎない。あとは天水に頼る不安定な農業生産を余儀なくされている。

 これに対して、イスラエルの入植者は占拠する農地の灌漑の割合は70%。貴重な水源のほとんどを持っていかれている。PARC作成の資料によると、ヨルダン川の65%、表流水の90%がいるらエルの管路下にある。

 入植地はいまも増え続けている。少し古いが、やはりPARCの資料によると、2000年から2007年にかけ約8万haの農地が入植地として接収され、パレスチナの地域と社会、経済、くらしを文壇する分離壁の建設で村と農地、樹木の破壊がそれに輪をかけて進んでいる。

 今回の旅の先導役を務めてくれている農業貿易の専門家で、パレスチナの農民が作ったオリーブオイルのフェアートレードを切り開いてきた近藤康男さんは、パレスチナ農業がおかれた現実の一端を次のように整理している。

 一口に言って、パレスチナの農業は、占領され、分断・閉鎖・包囲され、そしてイスラエル経済に従属させられ、高コスト体質にされ、更にはごみ溜めにされた農業となっている。

○ 水・農地などインフラの没収・破壊・分断

○ 否応無しの農作業、特に収穫時、の制限と妨害

○ その結果としての農作物の放置と品質劣化

○ 情勢の不安定化と移動制限による市場の喪失

○ 農業資材の購入、農産物の販売面でのイスラエル市場への依存・従属

○ 入植地からの未処理廃棄物・汚水による環境汚染

 しかし、彼等の現実は耐え、黙々と営むことだけで済まされないところにある。自分の農地に辿り着くためには壁や金網を通るためにイスラエル兵と戦わなければならないこともあり、オリ−ブを収穫するために入植者の暴力と戦わなければならないこともある。

 オリーブオイルはパレスチナの代表的な農産物である。そのオリーブの木をイスラエルは100万本切り倒したり重機を持ち込んで引き抜いた。UAWCの事務局長カリッド・ヒデュミさんは、「オリーブの木は私たちパレスチナ人にとって単なる農業用の樹木というだけでなく、私たちの歴史であり文化であり、誇りなのです」と話す。引き抜かれ持ち去られたオリーブの樹のなかには樹齢千年を超える世界遺産といってもよいものがたくさんあった。

  こうした農業のおかれた現実を前に、食えなくなったり嫌気がさして出稼ぎに出たり、都市に出ていく若者も多い。しかしそこでも待っているのは失業という現実である。村にいて耕し、くらしていけるいける条件をどう作るか。私たちを受け入れてくれたふたつの組織はいまそのことを目指して様々な取り組みをおこなっている。農民自身に協同組合づくり、不足する資金の獲得、農村女性の自立と所得向上のための小さいが効果的なプロジェクト、都会に出て行った若者の帰農支援、新しい農業技術や販売の確立、世界の市民組織をつながってのフェヤトレードの開拓などなどだ。

 こうした条件をみずから作り上げることで、村で農業を基盤に生活する根っこができあがる。それは奪われ土地を水を取り戻し、パレスチナの自立をつくりだす道でもある。以下、ヨルダン川西岸地域の村々を訪ね、そこでの農民の思いと取り組みを紹介していく。

【パレスチナレポート】
■壁に囲まれたパレスチナの農村をめぐる(News Spiral)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/02/post_487.html

Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

→ブック・こもんず←



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