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2009年12月31日

村には地下水が流れている

 正月、締め切りがすぐ来るなあと気にしながらぼんやりとテレビの駅伝中継を眺める。走者が次々と画面に現れ、次の走者にたすきを渡して消えていく。

 "たすきわたし"という言葉を思想と運動の言葉として使ったのは山形の百姓・菅野芳秀である。学生時代、三里塚闘争にのめりこんだ彼は、運動の遍歴を経てふるさとへ帰り、家業を継いで百姓になった。その地で彼は、農を軸に自立する地域づくりを志した。彼なりの世直しを、自分の足元からはじめようと思いたったのだ。

 地域の自立の基礎を、彼は循環においた。循環の要は土と水である。彼の家と田んぼは朝日連峰の裾野にある。田植えが終わったばかり彼の田んぼに立って、一面に広がる淡い緑の海とも見える田んぼの連なりを見ていると、心がワクワクと満たされてくる。

 「この田んぼに満ちている水は、連峰の裾野のやや高いところにある池に山に降った雪解け水が注ぎ、そこから水路を伝って田んぼに導かれている。池も水路も、この地に生きてきた人たちが、何代にもわたって築いてきたものだし、豊かな実りをもたらす田んぼの土も、おやじや、そのまたおやじたちが山草を刈り、牛に踏ませ、堆肥に積んで肥やしてきたのだな、と、この田んぼを見ているとつくづくそう思う」

 農という営みを通して地域を根っ子のところで支えてきた土や水、それをつくる山の木々は、その地に住むものが、人から人へ、たすきのように受け渡すことで守られてきたと彼はいうのだ。

 しかし、その土と水をこの40年、さまざまの開発によって壊され、そこを耕す百姓自らもまたその壊しにかかわってきた。「もっとたくさん、効率的にと農薬や化学肥料をばら撒いてね」と菅野は語る。

 水と土と、その水と土を作る山を次の世代に引き継がなくては、というところからはじまったのが、彼の運動だった。

 この「たすきわたし」ということに関連して思うことがある。真壁仁という人物についてである。山形の百姓で詩人にして思想家。山形市の在で250年続いた自小作農家の長男として生まれ、高等小学校を卒業した後、家業の農業に従事しながら文学に興味をもち、詩作にはげんだ。

 彼の家は当時の水準で中農に属していたが、絶対主義天皇制とそれを支えた地主制の矛盾は、彼の身辺のいたるところにあった。仲間と文学を談じ、詩をつくるかたわら、農民運動にもかかわり、検束されたこともある。

 彼は戦後も一貫して農業にたずさわりながらさまざまな社会運動に取り組んだ。彼の活動の領域をひとつの言葉でくくるとすれば農村文化運動という言葉が適当だろうと思う。彼の活動は、農業問題を軸にしながら地域の文化、教育、青年・女性運動にまでまたがった。

 真壁は、地域を包括的にとらえることを試みたのである。彼はその行動と、そこから紡ぎ出した思索を、膨大な著作に残したが、なかでも山形の村に伝わる農民芸術としての黒川能の研究と紹介は傑出している。

 だが、真壁が世の中になしたことで、もっとも偉大なことは「地下水」をつくったことだとぼくは思っている。

 「地下水」というのは、彼がまんなかに座り、そのまわりを文章や詩を書き、農業問題や村の民主化などについて語り合い行動していた青年たちがとりまいてつくった同人誌である。

 ここから数多くのすごい百姓が育った。日本の有機農業運動の先達星寛治をはじめ木村廸夫、斎藤たきちといった面々だ。1960年代、僕は20代から30歳代で、彼らはやや年長、同じ世代といってもいいだが、生まれ育ち仕事をする根拠地を持ち、その地でいろんなことに取り組み、すごい文章や詩を書いていた。ぼくは農業関係の新聞で働いていたが、いつも仰ぎ見るように彼らを眺めていた。

 なぜこれだけの百姓たちが現れたのか、不思議に思って調べていくうちに行き着いたのが真壁仁だった。真壁が掘った「地下水」が何年かの時を隔てて噴き出したのだ。

 70年代末、ぼくはもう一群の山形の百姓に出会う。山形県の置賜地域を根拠地とする置賜百姓交流会の面々である。先にあげた世代より一回り若い。だからもう50代後半から60歳そこそこになるのだが、ぼくが彼らとはじめて会ったときは20代の若者で、東京に減反反対のデモでやってきて、ぼくが周辺の労働者を誘って応援に駆けつけたのが、出会いだった。

 その後彼らは自分たちの根拠地で減反不実施闘争(みんな村八分にあって挫折するが)、戦争のために二度と銃を取らない農民の集い、アジアの農民との連帯運動などに取り組む。今ではその仲間から町長、議員、農業委員なども出て、地域の先達として足元から世の中を変えるうねりを作り出している。菅野芳秀も、その仲間の一人である。彼は地域で農業を軸とする循環型地域社会づくりの市民の運動をつくり、地域のさまざまな階層、女性、行政、農協、商工業者、保守から革新までの議員たちをまとめあげて、"もう一つの仕組み"と、その仕組みを動かす市民主導の民主主義をつくってきている。手がけてもう20年近くになるが、いつも難題に直面し、これでいいということにならない。まさに永久革命だなと、彼の話を聞くたびに思う。

 こうした置賜百姓交流会の面々の動きを見ていると、「ああここにも地下水が噴出したのだ」とつくづく感じる。彼らは、一見何のつながりもないかに見え、本人たちのそのことに気づいていないのだが、真壁仁の掘った井戸と世代を隔ててつながっている。

 村には地下水が流れている。その地下水を通して志や思想はたすきわたしされ、思いもかけない遠くまで空間、時間を貫通してつながる。

 あと一晩眠ればお正月。ぼくはといえば、締め切りを気にしながらぼんやりとテレビの駅伝中継の"たすきわたし"をながめていることだろう。みなさま、いいお年を。

<追記>
真壁仁の百姓の思想については、東北芸術工科大学東北文化研究センター(電話:023-627-2168、山形市上桜田200)発行の『真壁仁研究』第7号に、「百姓は越境するということについて」という文章を書きました。興味ある方はご一読ください。

Profile

大野和興(おおの・かずおき)

-----<経歴>-----

1940年愛媛県生まれ。
農業ジャーナリスト。
四国山地の真只中の村で育ち、農業記者として約40年を日本とアジアの村を歩く。
「日刊ベリタ」現編集長、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」事務局長、「アジア農民交流センター」世話人、「国際有機農業映画祭」実行委員会代表。

BookMarks

-----<著書>-----


『食大乱の時代』
2008年7月、七つ森書館


『百姓が時代を創る』
2008年2月、七つ森書館(増補版)、共著

『日本の農業を考える』
2004年4月、岩波書店

『百姓は越境する』
1991年8月、社会評論社

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