政治資金規制をめぐる日米の逆解釈
2010月01月26日


↑ 2004年の大統領選でジョン・ケリーに対して行われたネガティブ広告

 日本ではあまり大きく報道されていないようなので、記しておきたいことのひとつに、1月21日にアメリカ連邦最高裁で出された違憲判決のことがある。ニューヨークタイムズやワシントンポストなどはもちろん1面トップ記事として大きく報じていた。この判決が日本人の感覚とあまりにもかけ離れたものなので、ちょっと理解しにくいかもしれない。判決は、あらゆる企業や、労働組合、非営利団体が政治(選挙)広告に無制限に資金を支出することを規制した連邦法は、言論の自由を保障する憲法に違反するとの違憲判断を下したのである。構成判事9人のうちで、5対4という小差だった。判事の色分けが実に鮮明で、多数意見は保守・中間派の5名、少数意見はリベラル派の4名とくっきり分かれた。この違憲判決は、ほぼ1世紀近くにわたり公職選挙への大企業等の影響を制限してきた判例を覆すもので、ワシントンポスト紙でさえ「(ロバーツ長官率いる)最高裁の大胆な振る舞い」と記していた。ジョン・ロバーツ最高裁長官はジョージ・W・ブッシュ大統領によって任命された超保守派の判事で、オバマの就任式で宣誓の文言を間違えたあの判事である。この判決は、今後、中間選挙をはじめ、各方面に多大な影響を及ぼすとみられている。判決では、企業法人も個人と同様に、連邦憲法修正1条(表現の自由)を行使する権利を保障されているとして、無制限の資金流入による(日本風に言えば)「金権政治の腐敗」よりは、企業・団体にも政治活動=表現の自由を重く見る、という主張が尊重されたことになる。これによって、企業・団体は、特定の候補者の応援にあたり、無制限に広告資金を支出できることになり、大企業・利益団体、ロビイストの政治的な影響力が一層増すことになるだろうとの危惧の声が上がっている。政治資金の流れの監視を続けている市民団体Public Citizenのワイスマン代表は「連邦修正1条はあなたや私のような本当の市民の権利を守るために存在しているのであって、エクソンやファイザーやゴールドマン・サックスのような人工的な組織のためにあるのではない」と怒りをあらわにしている。オバマ大統領は、この最高裁判決を激しく非難する声明をさっそく発表するとともに、週末のラジオ・インターネット演説でも「この判決は特定の利益を目的とした資金が政治に流入することを認めるもので、小口献金で候補者を支える平均的なアメリカ国民の影響力をそぐものだ」との異例の非難を加えた。

 もともと、この裁判のきっかけは、2008年大統領選挙で、ヒラリー・クリントンを中傷したドキュメンタリー映画「ヒラリー、ザ・ムービー」について、連邦地裁が「保守系政治団体が製作費を拠出している」との理由でケーブルテレビでの放映を差し止めたことに端を発したものだった。だがこの違憲判決で、今後は企業が自社の利益にあわない候補に対して露骨なネガティブ・キャンペーンを展開することが可能になる。2004年の大統領選挙でジョン・ケリーが、保守系政治団体によって過去のベトナム反戦運動の経歴を嫌というほどテレビCMで曝された「Swift Boat for Veterans」方式が企業によって可能になる。企業ぐるみ選挙が公認されたのだから。

 ひるがえって、今現在、日本で起きていることは、一見これとは全く正反対の現象のように見える。政治資金規正法を根拠に強制捜査が進んでいるのだから。僕はいまニューヨークの地で暮らしているので、日本国内でのこの問題に関する論議や人々の受け止め方の実感がなかなか掴めない。ただ日米に共通しているのと思うのは、新しくできた政権に対して、司法権力(片や最高裁、片や検察)が、むしろ守旧的な勢力を代表するような形で、法律を根拠に(その方向性は全く正反対なのであるが)新政権の存立と真っ向から対立している構図ではないだろうか。後世の人々はこのありようをどのように評価するのだろうか。俗情に結託することなく冷徹にことの進捗を見なければならないと思う。


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