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2010年7月27日

内部告発サイトWikiLeaksが史上最大規模のアフガン戦争秘密文書を暴露した

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↑ 史上最大規模の秘密文書を暴露したWikiLeaks
 http://wikileaks.org/wiki/Afghan_War_Diary,_2004-2010

 WikiLeaksと言えば、今年の4月に、米軍のアパッチ・ヘリが2007年に行った地上のイラク人たちへの無差別攻撃映像を暴露したことでも知られている内部告発サイトだ。創設者のひとりジュリアン・アサンジ記者らの地球規模でのラディカルな活動ぶりは、既成ジャーナリズムの退潮を尻目に、金儲けビジネスとは袂を別った<ジャーナリズム精神>が果敢に生き続けていることを示したと言っても過言ではない。大体、あの米軍ヘリからの攻撃映像を、既成のメディアは紹介することさえビビったのだから。

 そのWikiLeaksが7月25日の夜に、アフガニスタン戦争に関する9万1731点(2004年1月~2009年12月)に及ぶ米軍の秘密文書を入手し、サイト上で公開した。世界の軍事史上、これほどの分量の秘密指定文書が漏出したのは初めてのことだ。かの有名なベトナム戦争に関するペンタゴン文書事件(1971年)も、エルズバーグ博士らによって持ち出された文書の量は7千ページだったから、今回のリークの規模の凄まじさがわかるというものだ。オバマ政権のジョーンズ安全保障担当補佐官は、早速このリークについて「アメリカ国民と同盟国国民の生命を危機に陥れる、我が国の安全保障を脅かすものだ。(The United States strongly condemns the disclosure, which could put the lives of Americans and our partners at risk and threaten our national security.)」と強く非難する声明を発表したというが、戦争の実相が国民に知らされていないことの罪はどうなるのだ、という反論が誰にでも思いつくというものだ。                   
 で、問題はその中身である。実に興味深いのは、ニューヨークタイムズ、イギリスのガーディアン、それにドイツの雑誌シュピーゲルの3大メディアが、事前にこの秘密文書へのアクセスをWikiLeaksから許され、その信ぴょう性についてのかなりの分析・調査を行った末に、今日(26日)になって一斉に報じたことだ。ニューヨークタイムズの記事は1面トップの長大な記事であり、実に詳細な報告となっている。僕はまだ全文を読み通していない。何しろものすごく長大な記事なのだ。だが、暴露された秘密文書によれば、アフガン戦争の内実は、これまで国防総省などによって記者会見などで公式に伝えられてきた状況より、一層壊滅的(devastating)であり、一般市民の犠牲者が出た事例でいまだ公表されていないケースが多数あるのだという。また、パキスタンの情報機関(ISI)が密かにタリバン側と接触して、反米武装蜂起に協力していたり、「第373特殊部隊」という秘密部隊が、タリバン要人暗殺に従事したという記述もある。この「第373特殊部隊」は、学校施設への攻撃で、6人の児童を巻き添えにした事実もある(これも未公表)。さらには、タリバンが高性能の地対空ミサイル「スティンガー」のような武器を使用して米軍の輸送ヘリを撃墜した事実も記されている。あまりにも長大な文書量で何を中心に報じるべきなのかがまだわからないのが正直なところだ。だが、今回の暴露によって明らかになった重要な事実のひとつは、被害者数の実数である。文書がカバーする2004年から2009年までだけでのアフガン戦争での被害者数は、敵性戦闘員=1万5506人、アフガニスタンの一般市民=4232人、アフガニスタン国軍=3819人、NATO軍(米軍含む)=1138人となっている。現在はもちろんもっと数字は増えている。この6年だけで1万5千人以上の敵を殺し、一般市民も4200人以上が死んでいたとは。つまりアフガニスタン側の死者の5人にひとりは市民だったわけだ。これがコラテラル・ダメージ、軍事用語でいう「付随的被害」というやつなのだ。

 現在のアメリカで、もっとも良心的な報道番組のひとつエイミー・グッドマンの「Democracy Now!」は、さっそく26日の放送で、この文書リークの衝撃の大きさを、エルズバーグ博士や従軍報道のプロ、スティーブン・グレイ記者、戦争政策に抗議して辞任した国務省の元高官らとともに時間をかけて報じていた。スティーブン・グレイ記者のインタビューに答えていたジュリアン・アサンジは「アフガンでの幾千もの戦闘行為は戦争犯罪の証拠によって裁かれ得る。(Thousands of U.S. attacks in Afghanistan could be investigated for evidence of war crimes.)」と語っていた。ノーベル平和賞の受賞者バラク・オバマ大統領の真価は、この戦争を結局どのように導こうとしているのかにかかっている。

 日本の新聞やテレビのこのリークに関する報道はどうなのだろうか? 気にかかるところだ。ちょっと見たら某新聞のオンライン版に、こんなくだりがあった。「米世論の厭戦気分に拍車をかける恐れもある」。そうか、恐れか。恐れ入った。

2010年7月11日

スパイ映画よりずっとスパイ映画的でドタバタな現実

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↑ フェイスブックにUPされたアンナ・チャップマンの写真より

 こんなことが現実に起こってしまうのだから、アメリカという国の映画産業が滅びないわけだ。現実は映画のようにドタバタ進行し、映画のようなドタバタな結末を迎えて、次の現実のシークエンスへとまた移る。スラプスティックそのものだ。アメリカ司法省によるロシア・スパイ網摘発事件は、冷戦終結からもう20年近くも経ているのに、ロシアも(アメリカも)まだこんなことをやっているのか、と僕らを呆れ果てさせてくれる効果はあった。大体、スパイの定義とは何なのか? 生活資金の出所がいわゆるインテリジェンス=諜報部門の組織からであることか? アイデンティティを偽ることか? 死ぬまで変わらぬ忠誠心を国家に抱くことか? 一体、この情報過多社会の中で彼らが得ていた情報の価値がどれほどのものだったというのか? まだまだわからないことが多いけれども、何しろ派手なストーリー展開だった。

 アメリカ国内で逮捕された10人の「スパイ」は、子供もいる3組の夫婦を含み、アメリカで何年ものあいだ生活し、職業も不動産業やコンサルタント、スペイン語新聞の新聞記者までいて、それぞれが一応の仕事を持っていた。FBIの発表によれば、彼らはKGBの後継組織であるSVR(ロシア対外情報庁)から秘かに暗号による「指令」を受け、「表の顔」とは別の「裏の顔」を持って、非合法の情報収集活動を行っていたというのだ。うーん。そうですか。でも、今度の事件でタブロイド紙の格好の標的になったアンナ・チャップマン(28)なんかは、不動産業を営むかたわら、フェイス・ブックに自らの写真を載せまくっていたし、メディアにも頻繁に登場して、とても「筋金入りの諜報員」「熟達した詐欺師」 ("highly trained agent" "practiced deceiver"=連邦検察庁によるチャップマン評)だとは思えない。むしろ、かなり目立ちたがりの野心家ビジネスウーマンという感じで、スパイとかとはずいぶん異なる世界の住人のように見える。彼女の場合、父親がKGBの大物で、その影響をもろに受けていたとは、別れた彼女の夫(イギリス人)の主張だ。連邦検察庁によれば、彼女が「スパイ」である証拠に、盗聴によって次のようなやりとりがFBIに傍受されていたというのだ。ロシアの司令部ももしこんな指令を送っていたとしたらかなりのおバカさんである。そしてアナクロニズムの匂いがぷんぷんする。

"You were sent to USA for long term service trip. Your education, bank accounts, car, house etc... -all these serve one goal: fulfil your main mission, i.e to search and develop ties in policymaking circles in US to send intel [intelligence reports] to C. [center]" (FBIによって傍受されたチャップマンに送られたメッセージ)「あなた方は長期任務のためにアメリカに派遣されたのだ。諸君の教育、銀行口座、車、家、それらのものはたった一つの目的にために奉仕するためのものだ。すなわち、諸君の主要任務は、アメリカの政界との結びつきを築き、そこから得られた情報をロシアの中央司令部に送ることだ。

 タブロイド紙のはしゃぎ方はバカバカしいほどで、なかでもマードック系のNew York Postは、アンナの流出写真をデカデカと掲げて、スパイ同士の交換=swapという結末とかけわせて、扇情的な見出しを掲げていた。同紙は売上げのためには何だった掲げる。
「スパイ」同士の交換で事件を決着化させるという方法は、一斉逮捕の数週間前からFBIによって検討されていたと、7月10日付の各紙は報じているが、本当かな?と首をかしげたくなる。もし、本当にそうであれば、米ロ両国の諜報チャンネルは、事件が表面化したあと、実に機敏にかつ友好的に機能したことになるのかもしれない。そろこそ、米ロが大人の関係の新段階に入ったことになるのだが、どうなのだろうか。だが、考えてみると、今回の「スパイ」摘発事件の登場人物はほぼ全員がロシア人であり、10人と交換されてアメリカに保護される4人もロシア人なのだ。そういう意味では、実質的なダメージを受けたのは、明らかに一方的にロシアであって、いまだに冷戦時代の相当に時代遅れの「スパイ」ごっこをやっているお粗末な国というレッテルだけが残された形だ。そしておそらくはそれが真実の一片を語っていることも間違いないのだ。

 もう20年以上も前のモスクワ勤務時代の知己にPというロシア人がいた。彼はソビエト連邦崩壊とともに、自らがKGB諜報員であること告白して本を書き、ロシアを出国し今はアメリカに住んでいる。生活資金はCIAから出ているはずだ。そういうロシア人はたくさんいる。オレグ・カルーギンという元KGBの大物スパイも、今はアメリカに亡命してCIAの資金のもとに生活を送っていると聞いた。金大中事件を現場で指揮した元KCIAの金東雲書記官(当時は在東京の韓国大使館員)も、アメリカに長期間滞在し、いわば表の社会から身を隠していたことがある。記者という仕事柄、そのような人物との遭遇やアクセスは、長い歳月の内には、いくつかあるものだ。だが、今回、FBIによって摘発された人物たちは、どうみてもそういったスパイ、諜報員とはかなり異なっていて、いきなり「スパイ」とか言われても、???と首をかしげざるを得ないような人物たちに思えるのだ。

 日本は、参議院選挙のさなかで、海外で起きていることにほぼ目をつぶっている状況なので、あえてアップしておきたい。

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↑ タブロイド紙がはしゃいだアンナ・チャップマンの写真

2010年7月 8日

『Musashi NY Version』に大喝采をおくる

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↑ 『Musashi NY Version』の終演後のカーテンコール(筆者撮影)

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↑ 会場に井上ひさしさんの遺影が。(筆者撮影)

 故・井上ひさしさんが書き遺した作品『Musashi NY Version』が、蜷川幸雄の自由自在は演出によって、ニューヨークの夏を彩るリンカーン・センター・フェスティバルの皮切り公演として、7月7日に幕を開けた。僕はこの公演を本当に楽しみにしていた。『天保十二年のシェイクスピア』も『薮原検校』も素晴らしかった。井上戯曲が蜷川幸雄の天才的な演出で、ラディカルに転生するさまを見せつけられるような体験をそれまでにもしていたのだから。会場のDavid H. Koch Theaterの入り口には、3カ月前に他界したばかりの井上さんの小さな遺影が飾られていた。全編、日本語で演じられるこの井上=蜷川演劇をニューヨークの観客たちがどのように受け止めるのだろうか、と内心ハラハラしながら観客席に着いた。日本人も多いが、予想したよりははるかにアメリカ人の観客が多い。鬱蒼と自生する竹林の群がそれぞれ静かに地を平行移動する幻想的なシーンからこの劇は始まる。まるで鎌倉の井上さんのお宅にあるあの竹林と対話して生まれたようなシーンだ。かの有名な巌流島の決戦では宮本武蔵が佐々木小次郎を倒したのだが、とどめを刺さなかったことから、このストーリーは展開する。後年、復讐を誓った小次郎は、ついに武蔵のもとにたどりつくのだが......。これ以上、あらすじを記すのは野暮というものだが、日本一の剣豪という地位を競って殺しあう運命にあった2人を、ある無形のものが押しとどめようとする。それは抽象的な言葉で書いてしまえば「非戦の意志」とでもいうべきものだ。井上ひさしがなぜこの芝居をニューヨークの地で演じたかったのか、が舞台を見ていてヒリヒリするほど伝わってきた。憎悪の連鎖を断ち切ること。人を殺すな。人を死なせるな。残念なことに、このNYでは、いまだに憎悪の連鎖が力をふるっていて、「テロとの戦い」だの「正義のための戦争」だの「独裁者に対する制裁」だのが国を動かしている。その起点のひとつは2001年の同時多発テロ事件である。憎しみの連鎖はその後、この国によるアフガニスタン戦争、イラク戦争を生み、この2つの戦争はいまだに継続しているのだ。その憎悪の連鎖の起点のひとつ=ニューヨークで、「非戦の意志」を伝えることがいかに重要な意味をもっているか。井上さんはそのことをもっとも深く考えていたのだ。何かに憑依したような白石加代子の圧倒的な存在感は見ていて嬉しくなるほどだった。藤原竜也もますます人を魅了する役者になった。役者が自在に動いている。そして、五人六脚、タンゴの舞いの哄笑のセンスの弾け方に感服した。

 ひさしさんはニューヨークでの舞台を自分自身でもみるために生前に航空券を予約していたそうだ。だがそれは叶わなかった。この現実世界のなかで、死者からの「死んではならぬ」という訴えが生者を突き動かすことができるのかどうか。それは僕らの歴史認識にかかわるとても大切なことがらだ。舞台の上で、武蔵と小次郎を包囲する白装束の死者たちのなかに、僕は井上さんが加わっているのを幻視する思いにとらわれた。

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↑ 終演後に白石加代子さんと。

2010年7月 5日

トロント・ダイアリー(4) ── G20場所取り合戦と「記者会見クラブ開放以前の問題」

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↑ G20公式集合写真撮影時のビデオ(カナダ政府HPより)

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↑ オバマ大統領のサミット締めくくり記者会見(メディア・センターにて筆者撮影)

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↑ 菅直人首相の内外記者会見は、会見中、座席からの撮影は禁止だってさ。他の国だとあり得ないけど。(会見終了後に座席から筆者撮影)


 いまさら、トロント・ダイアリーでもないでしょう、と言われるのを承知の上で、敢えて「その4」を書く。もちろん僕はとっくの昔にニューヨークに戻ってきていて、これを記しているのだが、本当にG8とかG20とかいう国際会議の存在意義が今後もどれほどあるのだろうか、という念をいっそう強くした。NYタイムズの試算によると、今回のサミットの経費は1時間当たり1200万ドルかかっているそうだ。これを3日間にわたって続けたのだから、アメリカが、アフガニスタン戦争で使っている1年間の戦争費用とほぼ同じ額になったのだ、と。ほとんどセレモニーだけの話し合いの場にこれだけの巨額のお金をつぎ込む必要があるのかどうかの議論=サミット不要論が再燃する可能性があるのではないか。人気映画『ザ・ミリオン・ダラー・ベイビー』をもじって『The Billion Dollar Maybe』とか言われているし。

 だが、実に逆説的なのだが、国際社会の場からほとんど孤立して、ガラパゴス状態になってしまっている今の日本の位置を、日本のトップやメディア記者たちが体感する場所としてサミットは、またとない稀有な機会でもあるのだ。日本の存在感はいまやあらゆる国際会議において後退に後退を重ね、顔が見えない、自分たちの固有の主張をしない、外に対して開かれていない、という意味で、「みえない鎖国」をしているようにさえ思えるのだ。

 G20の集合写真を撮影するときのエピソードを聞いた。カナダ政府が配信した撮影の際のビデオをご覧いただきたい。第一列、二列目、三列目に各国の首脳がそれぞれ配されるのだが、おおよその位置は事前にそれとなく決まっていて、そのように並ぶことになっていた。第一列目の真ん中は主催国=カナダのハーパー首相、その隣は次回開催国のイ・ミョン・バク韓国大統領。その両隣りにオバマ・アメリカ大統領、中国のコキントウ国家主席までは、まあ何となく異論がないところなのだろう。ところがそれ以外の場所で「熾烈な」場所取りがあったのだという。第二列に並ぶことになっていたサウジアラビアのアブドゥラ国王が第一列の、もともとオバマが立つことになっていたあたりに歩いて行って、どっかりと立って動こうとしないのだ。それとほぼ同時にフランスのサルコジ大統領も第一列にひょこひょこ歩いて行って向って右端のあたりに陣取ってしまった。アルゼンチンの女性大統領も第一列の左端にちゃっかり並んだ。どうやらこれらの一連の動きによって第一列はきわめて右側があいたままの奇妙な配列になってしまったようなのだ。日本の菅直人首相は第三列のまんなか当たりに決められた通りに立っていた。随分昔、G7サミットの集合撮影で、当時の中曽根首相がレーガン・アメリカ大統領の隣を離れようとせずに、中央当たりに陣取っていたことを思い出す。

 さて、わざわざトロント・ダイアリー(4)を記す理由は、そんなバカバカしい話のためではなくて、締めくくりの菅直人首相による内外記者会見のことを書くためである。久しぶりに菅直人という人物を間近に見て質問もできるかもしれない、と思って会見場まで出かけてみた。ところが。一体、これが内外に開かれた記者会見なのだろうか? 時間がないとかの理由で、事務方が事前に記者会見の実施要領を日本語で行い、あらかじめ質問は、同行記者(NHK、幹事社か?)、主催国(カナダのThe Globe and Mailの若い女性記者)、そして再び日本に(読売新聞)、それ以外の外国メディア(日本から同行したBloombergの男性記者)から1問づつ、計4問に限らせていただきます、などと言う。何だい、そりゃ。その後にオバマ大統領の面会が控えていたとは言っても国際舞台でのデビューの場で何でそんなに臆病になるのだろうか。みると会見場は空席が結構目立ち、僕が数えたところ非日本人の記者は10人ほどしかいなかった。この各国首脳の内外記者会見は同時並行で進められていたのだが、何人かの記者は途中で退出して、サルコジとかベルルスコーニとかの方に流れて行った。さらに途中から参加しようとした外国人記者を締め出していた。一体何を恐れているのだろうか。笑ってしまったのは、質問した4人の記者はなぜか全員、スタンドマイクの前にあらかじめ着席していたことだ。こんなことまで事前に仕込まれていたのでは何があるかわからないのが本来の姿であるはずの記者会見の醍醐味は味わえないだろうに。この「4問方式」は、聞くところによると、小泉首相時代にから半ば定番化してしまっているとのこと。菅直人という人はコミュニケーターとしても魅力に欠けていて、たとえば、カナダ人記者が立って質問している時も、彼女の質問に答えている時も、相手の顔を正面から見ようとしないのだった。見ていてイライラした。それでインターナショナル・メディア・センターの席に戻ってみたら、オバマの内外記者会見がずうっと続いていた。そのありようの何と対照的なことだろうか。これは、記者会見クラブ開放以前の問題だ。

 「日本はみえない鎖国をしているんだな」。オバマ大統領の記者会見をずうっとウォッチしながらそう思った。あんなにたくさん集っていた中国人記者たちもいつの間にか姿を消し、メディア・センターは急に空きだした。僕もニューヨークが恋しくなった。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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