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ヘレン・トーマス記者の引退記事の作法

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↑ ヘレン・トーマスの引退を大きく報じるNYタイムズ紙

 ホワイトハウスの名物記者、ヘレン・トーマス(89)が引退した。さびしい、そして悲しい結末だった。きっかけは、パレスチナのガザ支援船へのイスラエル軍による襲撃事件(5月31日発生。支援船に乗っていた市民運動家9人が死亡)のあと、「ユダヤ人はとっととパレスチナから出て行け。ドイツでもポーランドでも、何ならアメリカにでも」との暴言を吐いたとして、非難の嵐に遭い、身を引いたのだ。ヘレンの発言はビデオに収録されており、それがオンラインでアップされ、瞬く間に広がった。よほど今回のイスラエルのやり口に怒っていたのだろう。しかし、彼女はユダヤ人問題の越えてはならない一線を越えてしまった。ドイツやポーランドという地名を出すことが、ナチス政権下でのユダヤ人ホロコーストの記憶に直結することは明らかだからだ。保守系のFOXニュースなどは、それみたことかとヘレン・トーマスを叩きまくり、ジョン・スチュアートの「デイリー・ショー」でも「何ていうことを言ってくれたんだ」というように嘲笑していた。多くの米メディアが水に落ちた犬をよってたかって棒で突くように責め立てた。

 ヘレン・トーマス記者はレバノン系アメリカ人で、ジョン・F・ケネディから現在のバラク・オバマに至るまで、何と歴代10人の大統領の取材にあたった。ホワイトハウス記者会の重鎮、名物記者で、ブリーフィング・ルームの最前列中央の席は彼女のための「指定席」とされていた。彼女の仕事ぶり・業績に敬意を払った上での粋な措置だった。それが今回の発言がもとで引退の憂き目に遭った。あの席は他の記者が座ることになるのだろう。ビル・クリントン大統領が、引退した時にシャレで作られたビデオにも彼女が登場してくる。クリントンに向って「まだ、いたの?」とか嫌味を言う役割だったと記憶しているけれど、ずいぶん前のことなので少し違っているかもしれない。僕はワシントン駐在の記者だった頃、彼女が出席する定例会見に何回か出たことがある。当時はブッシュ政権下で、アフガン戦争、イラク戦争をブッシュ大統領が始めた時期だった。ヘレン・トーマスはブッシュ政権の戦争政策にはきわめて批判的だった。歯に衣着せぬ質問を繰り出したので、歴代報道官からは嫌われたところもあった。ホワイトハウスのブリーフィング・ルーム以外のもっと広い会場で記者会見を行うときに一緒になったことがあるが、彼女はそういう際には意地悪をされて、最前列ではない目立たない席に追いやられていた。質問する記者もホワイトハウスと記者会側が事前に打ち合わせて順番通り指名していたりしたが、それでも彼女は最後まで挙手し続けていたのを記憶している。勇気がある記者だと思った。その辺のチンピラ記者とはわけが違う。

 6月8日付けのニューヨークタイムズ紙は、そのような彼女の引退を大きく報じていた。もちろん、今回の「暴言」の中身も報じたうえで、だがしかし、彼女がこれまでの長い記者生活で数々の功績をあげてきたことをこれまでのキャリアを示す写真を大きく掲げながらきちんと報じていた。こういう報じ方こそが、NYタイムズがクォリティ・ペーパーとしての位置を保持し続けている理由なのだろう。是は是、非は非。こういうフェアな記事に接すると、日本のメディアの集中豪雨的なリンチ記事との比較で、否が応でも「落差」を感じてしまう。記事にはこうあった。

《トーマス女史にとっては不名誉な結末だろう。というのも、彼女は、ジャーナリズムの世界の無数の女性たちの先導役を果たし、ホワイトハウス記者軍団の非公式ながら軍団長のタイトルを与えられていたのだから。》

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このビデオはYouTube上で見ましたが、短く編集されていて前後の様子が
わかりませんね。
Flotilla号襲撃で国際的にイスラエルが批判されていましたから、打ち消す為にうまく利用されてしまいました。
誰かがパレスチナ人は出て行け!と発言していてもここまで話題になりません。

ヘレン・トーマスさんの【ユダヤ人はとっととパレスチナから出て行け。】はまったくの正論。
【ドイツでもポーランドでも】は暴言。ただ強い皮肉になっていることは確かであると思う。
君たちのやっていることは何なのか、と。

親イスラエルなアメリカ世論こそ、世界から見てかなり異常であると思える。

アメリカの正義とは何なのか、アメリカの人たちはよく考えてもらいたいと思う。

イスラエルの蛮行を見ようとしないアメリカこそ問題だ。

ホワイトハウスの名物記者、ヘレン・トーマスが辞めることになったことはきわめて残念。

ニューヨークタイムズ紙は集中豪雨的なリンチ記事とはなっていなく、彼女の数々の功績も報じている、と。
このような姿勢を日本のメディアは見習ってほしいと強く思う。

「ユダヤ人はとっととパレスチナから出て行け。 ドイツでもポーランドでも, 何ならアメリカにでも」

ユダヤ人問題に関心を持っている者にとって, 理由の如何を問わず, この発言は最悪である。 しかも, 内心常に恐れていた言葉であった。 ユダヤ人であるフランツ・カフカは, ユダヤ教およびユダヤ人問題に, 当然の事ながら, 関心を寄せて, 心の奥底に暗くユダヤ人意識を淀ませていたが, しかし, カフカの思想は民族的対立意識を超越する 「人間の存在の自立」 という高度な問題意識だった。 決して 「ユダヤ民族の自立」 ではなかった。 カフカが20世紀における世界的文学者と称される所以である。 「僕とユダヤ人と何の共通性があろう。 僕は僕自身ともほとんど共通する物を持たないのだ」 ( カフカ全集7 『日記』 252ページ  新潮社 1981 ) カフカの精神はイスラエル共和国の誕生によって, 解決されるたぐいのものではなかった。 カフカは民族主義的国家主義者ではない。 現在イスラエル共和国に居住する知識人達が全て, イスラエル政府の政治政策を全面的に支持しているとは, 考えられない。 少数派の彼等は何を考え, 何を訴えているだろうか。 

付記 : 上記のコメントの中の 「カフカの精神はイスラエル共和国の誕生によって」 は 「カフカの精神的苦悩はイスラエル共和国の誕生によって」 の誤りです。 訂正します。

<日本では名物記者は生まれない>
つくづく、日本の記者クラブには辟易とする。日本記者クラブの問題は、役人と同様で個人プレーがないこと。常々、民主党に投稿していることは「記者会見の時に所属の会社名を名乗らせない」です。フリーにオープンになっても、会社名がある記者の質問と返答しか記事にならない。岩上さんが、上杉さんがどんなに鋭い質問をしても、記事にはならない。
記者クラブにとって社に所属しない彼らはいないも同然である。
個人の名前で登録させれば、個人名で質問されれば、景色は随分と変わるだろう。
さて、ユダヤ問題。これは、アメリカ問題であり、日本問題でもある。
企業・団体献金が青天井のアメリカでは、どうしても時の政権はユダヤ金融資本に左右される。オバマは勇敢にも、ファイヤーウォールの再構築や国民皆健康保険に取り組んでいるが、やはり苦戦をしているのは、彼が資金提供を受けているから・・・。
日本では、外資の大株主を抱える経団連がその役割を担っている。いわゆる間接支配である。
テレビメディアも同様である。
まずは、小沢氏提唱の企業団体献金の禁止を急がねばならない。政権奪取前、私は長妻氏の話を聞く機会があった。「マニフェストに企業団体献金の即時廃止を入れようとしたが、岡田さんからストップがかかった。何とかかんとかお願いして三年後迄に廃止すると妥協した」と。
今回のマニフェストのチェックをしなければならない。目立たぬ様に、この項目が消されていたら強く抗議しなければならない。

ヘレン女史の功績に拍手です!

素晴らしい! 

記事記載有り難うございます。ブッシュ政権時代には彼女のイーメールには放送禁止用語連発の批判メールで溢れていたそうです。それでも一々のメールの返信に、「私の記事を読んでくれてありがとう」と書いていたそうです。そんな彼女に関する日本の記者の記事に涙が出ました。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

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