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グアンタナモ・ダイアリー(7)

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↑ テントの枕元に『1Q84』

■5月4日 さよなら、グアンタナモ

 このグアンタナモという場所は、おそらく長くいればいるほど、ストーリーが湧き出てくるような場所だ。朝早くの飛行機に乗るため、メディア・センターに午前6時に来いと言われていた。僕は夜中に目が覚めてしまい、テントの暗闇のなかで、静かに荷物のパッキングを済ませて、メディア・センターに向った。午前4時を少し過ぎていた。見上げると空に小さな月が出ている。メディア・センターにはもちろん記者は誰もいなかったが、当直の若い兵士が一人いて、キンドルで本を読んでいた。彼はかつて青森県の三沢基地にいたことがあり、2か月前に結婚したばかりだそうだ。いつもニコニコしていて、少し気の弱そうな顔立ちだ。この撮影禁止のメディア・センターともとうとうお別れだ。帰りの飛行機はサンシャイン・エアラインという民間会社だが、就航しているのは乗客席が20というプロペラ機。今日の便でグアンタナモを引きあげるのは、僕らを含めて4人。あと10人ほどが軍事法廷の取材でもうちょっととどまる予定だ。僕らの飛行機には、心やさしいドイツ人記者のドロツィアがいた。あとは、カドル被告のカナダ人弁護士もいた。ドロツィアは、何かとグアンタナモ滞在中に気を使ってくれて話しかけてくれたので本当にありがたかった。ドイツ人だが、完璧にフランス語を流暢に話し、英語とスペイン語も話す。こういう人物がドイツでは新聞記者として働き、グアンタナモまで取材に訪れてきているのだ。

 昨夜の夕食の席で、今回のプレスツアーの仕切り役をしていたターニャ・ブラッドシャー少佐が明かしてくれたのだが、彼女によれば、当初30人規模のプレスツアーを目論んでいたのに対し、申込みが67人だったのだそうだ。それで、僕とSierraは66番目と67番目だった、つまりドンケツだったのだが、次々にキャンセルが入り、当日までに36人まで減った。さらに当日、ドイツのシュピーゲルの記者がドタキャンで現れなかったので結局35人でツアーを決行することにしたのだとか。テントのなかで飲むために買い置きしていたビールがまだ余っていた。基地内の兵士たちのランチボックスを作っていた出稼ぎのフィリピン人コック2人にそのビールを差し入れした。原則、食券をもった兵士にしか提供しないランチを、何度かただで分けてもらったお礼のつもりだった。彼らはグアンタナモに出稼ぎに来てからもう8年になるのだという。オキナワにたくさん知り合いが出稼ぎに行っているのだ、と言っていた。彼らはたくましい。

 帰りのマイアミまでの便で一緒になったカドル被告のカナダ人弁護士は、他の弁護士たちと違って、どこか醒めている感じで、口数も少ない。本当に弁護する気があるのかどうか疑いたくなるような感じさえした。ただ法廷内ではカドル被告と時折言葉を交わしていた。ドロツィアは機内でも話しかけてきて、あなたはどんな小説が好きか、と聞いてきた。僕が機内で残り30ページの『1Q84』を読み続けていたからだろう。彼女はマリオ・バルガス・リョサの『El Elogio de la Madrastra』という小説が好きだと言っていた。それからスペインの作家Jorge Semprún Maura も大好きだ、と言っていた。ドロツィアと僕らはマイアミで降りて別れを告げた。彼女は原油流出事故の取材のために、これからルイジアナ州のニューオリンズに向かうという。カナダ人の弁護士の方は、マイアミで一泊してから直行便でカナダに戻るという。僕らはNYに戻る。一期一会。

 早朝、誰もいないグアンタナモのプレスセンターでテレビをみていたら(アメリカ軍基地用の放送が流れている)、タイムズ・スクエアの自動車爆弾事件の容疑者としてパキスタン生まれで去年アメリカ国籍を取得したばかりの30歳の男が逮捕されて大騒ぎになっているようだった。グアンタナモのテントでついさっきまで一緒だったパキスタン出身のイムラムの怒りに満ちた表情が思い出された。ニューヨークに戻って新聞をみていたら、こんなテロリストにMiranda Rights(黙秘権の行使や弁護士選定の権利)を告げる必要なんかない、という論調が生まれていた。それは「こんな危険な輩はグアンタナモにぶちこんでしまえ!」と言っているように思えた。

 僕は思う。グアンタナモ収容所のような存在が現にある限り、アメリカに対する憎悪は遠く離れた地でも再生産され、チカラでその憎悪を完全に押さえつけることはできないのではないか、と。

 マイアミからニューヨークへ向かう機内で『1Q84』は読み終えてしまい、僕らも、あのもうひとつのグアンタナモ基地内の日常から、こっち側の現実に戻ってきてしまった。青豆たちが『1Q84』から「1984」に戻ってきたように。

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↑ 収容者に支給されている下着とサンダル

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↑ キャンプ4の野外運動場

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↑ 基地の各所に「撮影禁止」の表示が

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↑ キャンプ4の収容者

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↑ 床に設置されている足かせ

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↑ キャンプ6の収容者(危険度が高いとされている)

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↑ いつもぴったり監視している軍の係官

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お帰りなさい、お疲れ様でした。

プレスツァーに参加できて超ラッキーでしたね。

金平さんは普通の人の何倍もの世界中の人達と出会い、別れ、生涯二度と会わない人達もいるでしょう。 その生活はドラマよりドラマッチックです。

足かせの写真は映画のようで、
これが存在してる事が現実だと思うのに時間がかかりそうです。

そしてグアンタナモがなくなる日
を迎えられるのでしょうか・・・

ジャーナリストがグァンタナモ、ツアーの枠閉じ込められて、淡々とレポートしているが、取材者自身に何か囚われ人的感覚が漂っている、と思うのは深読みしすぎか。
 グァンタナモの素晴らしい海岸が目に浮かぶようだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
 昔のアメリカではいくら「戦争国家」と言ってもこんなことはやっていなかったはず。
 テロリスト全世界取り締まりに特化した結果だと思う。取り締まる相手に自分が似てしまった。当然のことである。
 これはアメリカの原理的民主主義にとって、どんなに合理化しても情けない事態である。
 だからかつての栄光のアメリカはもう死んだ。
 この手の問題に投稿する時、頭に浮かぶスローガンを投稿の最後に決めようとしては抹消している。
 でも金平さんのルポの最後の落ちに事実として語られている。
結局、ジャーナリズムはこういう所にあると理解する。事実で語らせている。
 アメリカはこんなことをやっているとそういう連鎖しか生まない。

金平様
貴重なグアンタナモ収容所からのレポートありがとうございました。 ダイアリーというよりも、なんだか小説のように読んでしまいました。

グアンタナモ収容所のような存在がどうして必要なのか、アメリカは考えようともしない。いや分かってる人はたくさんいるし、それではだめだと思ってる市民も要るけど悲しいかな少数だ。 NPTでのクリントンよりもアハマディネジャドの方がよっぽど正論を言ってると思う。それでもアメリカは聞く耳を持たず、己とイスラエルの利益のためには経済制裁へ。 日本もまた追従しそうである。 前政権と何にも変わらない。

ところで、とっても基本的なことが私は分かっていなくて
いまさら聞くのも恥ずかしいのですが、グアンタナモの基地がどうしてキューバにあるのですか?  あの、カストロ政権下のキューバにあるのですか?  それともキューバ政府の管轄外のキューバってことなんでしょうか?
 どなたか教えてください。
>グアンタナモ基地はアメリカ海軍がスペイン戦争後の1903年から運営しているもので、すでに1世紀を超えた歴史がある。その中に2002年にできた悪名高い収容所(detention center)がある。<  ということは、金平さんのレポートから分かったのですが・・・

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

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2009年6月、青林工藝舎


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2005年5月、岩波書店、部分執筆


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2004年7月、青弓社、部分執筆


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