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グアンタナモ・ダイアリー(2) »

グアンタナモ・ダイアリー(その1)

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↑ アンドリュース空軍基地を出発するメディアの一行

■4月26日(月)

 念願が叶ってキューバのグアンタナモ基地に取材に来た。軍がチャーターした飛行機で、現地に着いたのは4月26日の正午を過ぎたころだった。予想していたよりも多い参加者だった。35人。アメリカのメディアに加えて、カナダ、ドイツ、スペインのほか、アルジャジーラやアル・アラビア、アフガニスタンで活動するVOAといった中東勢も参加している。アルジャジーラの2人組は若い女性でとても元気がいい。軍が設定したプレス・ツアーなので、もちろん限界はある。グアンタナモ基地はアメリカ海軍がスペイン戦争後の1903年から運営しているもので、すでに1世紀を超えた歴史がある。その中に2002年にできた悪名高い収容所(detention center)がある。一時は800人近い「テロリスト容疑者」が収容されていたが、その後、国外に移送されたりして、いま現在は183人が収容されている。収容者は、軍への「協力度」に従って分類されており、最も危険とみなされる収容者から比較的「軽い」とされる危険度の者までさまざまだ。これから10日間も、軍のテントのなかで生活し、いわば「収容」されることになるが、折にふれて書けることを、このサイトに報告しておくことにする。

 ひとつは、グアンタナモ基地の第一印象だが、正直、僕は沖縄を思い出してしまった。飛行機の機内からみた海の色は濃紺で、すぐさま沖縄の海を想起させた。何だって米軍基地はこんなにも美しい場所にあるのだろう。どこの米軍基地にもあるお決まりのチェックを受けた後、取材にともなうさまざまな注意を受けた。と言うよりも、どのようなことをしてはいけない、どのようなシーンを撮ってはいけない、という「警告」に近いものだった。プレスセンターは元格納庫かなにかの建物の一角に設営されていた。中は撮影禁止。難儀したが、電話とインターネットは何とかつながった。宿泊は兵士たちが使用しているテントだ。なかは温度調節が施されており、すごい風圧である。だが、短期間ならば生活できないこともない。軍は規律によって成り立っている。時間に遅れたり、規則を破るものは情け容赦なく排除される。

 今回の取材ツアーのハイライトは、オバマ政権下の初の軍事法廷であるカナダ国籍のオマール・カドルのケースについての聴聞が行われることになっている。彼は15歳の時にアフガニスタンの戦場で身柄を拘束されバグラム収容所で訊問を受けた後に、グアンタナモに移送された。それ以来人生の3分の1近くを未決のまま、この収容所で過ごしている。つまり、アメリカ史上、類をみない「15歳の戦争犯罪人」として軍事法廷で裁かれているのだ。人権団体は、カドルに対して拷問が行われて犯罪行為を認めさせられたとしている。そもそも、グアンタナモ収容所に身柄を拘束しておくことの国際法上の根拠が曖昧なのだが、オバマ政権はこのブッシュ政権の最大の負の遺産を引き継ぐことになった。グアンタナモ収容所の閉鎖は、オバマ大統領の就任後の最初の大統領命令で閉鎖されることが決まっているが、実際は約束の「1年以内」という期限を過ぎても同収容所は閉鎖されていない。

 興味があるのは、国によってこのグアンタナモ収容所についての意識にかなり差異があることだ。先に記したアルジャジーラやアルアラビアのクルーたちはとてもアグレッシブな取材姿勢を維持しているようにみえる。いろいろな国のメディアの人々と話をするといろいろなことを考えさせられる。

 時間があればと思って、荷物のなかに忍ばせてきた『1Q84』の第3巻を読む余裕はどうやらなさそうだ。

■4月27日(火)

 きのう(27日)は1日中、フラストレーションの固まりになった1日だった。収容所内のプレスツアーが設定されたのだが、バカバカしいことに、テレビ、写真、新聞と3つのカテゴリーにツアーが分けられているのだ。それで、最初のツアーが人数制限で10人が上限とされ、われわれは弾き出されてしまったのだ。この落とし前はきちんとつけなければならない。結局、僕らは最後の新聞記者と一緒のツアーに回されたあげく、撮影が禁じられ散々だった。何とかしなければならない。NBCの記者がとても親切で、力になってくれた。それで最悪の事態は免れた。まだ2日目なのに、この場所に長く留まりたくないという記者たちが出てきたり、中東系の記者とアメリカ人記者とのあいだで感情的な温度差があったりしてきた。

 キャンプ・デルタと呼ばれる収容施設の中に、軍に対する「協力度」によって分類された人々がいる。このうち「キャンプ4」は、比較的協力的とみなされた人々で、衛星テレビや英語やアート、パシュトゥーン語のクラス、野外スポーツなども許されていた。だが、いま現在もハンガー・ストライキで抗議をしている収容者もいるという。また「こころの病気」にかかっている者もいるという。衛星テレビはアルジャジーラの英語放送やカタールのスポーツ・チャンネルなど3局が放送されているそうだ。僕は見たとき、収容者はスポーツ・チャンネルをみていた。だが授業の行われている部屋をみると、やはり床には足枷が設置されていた。よりセキュリティのレベルの高い「キャンプ5」「キャンプ6」には、独房と共有空間があり、屋外の運動スペースも狭くなっていた。いずれも有刺鉄線で囲まれている。独房に入ってみると、ベッドに便器、洗面台があり、日本の感覚でいえば3畳くらいの広さがあった。「キャンプ6」で金網越しの収容者を監視しているアメリカ兵を外側から金網とガラス越しに見ている僕らがいる。奇妙な構造である。ここを訪れた多くのメディアの人間たちは「動物園」という言葉を思い出したに違いない。ツアーに参加したVOAの記者でさえひどく憤慨していた。ところが、アメリカ人の記者たちは、奇妙にものわかりがいいのである。この温度差。

 カドル被告の軍事法廷をめぐる弁護側の記者会見が行われた。彼らの主張は非常に説得力があった。「15歳の戦犯」を軍事法廷で裁くことはできない、と。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

金平さんのレポート、グアンタナモを俯瞰で観ている様な、不思議な臨場感があります。

約束の1年を前に、オバマ大統領は「収容所の閉鎖は難しい」発言をしていました。
被収容者を自国に送還すると、多くの被収容者は、自国で拷問などの人権侵害を受ける可能性が高く、では、その受け容れをどうするかという事で、様々な弊害があると聞いています。
ヨーロッパでは、数多くの国が受け容れていますが、肝心のアメリカは政党政治との関係上、いたずらにテロ恐怖を煽る抵抗勢力がある為、図式としては、本当に沖縄問題と似ていると感じます。

あれもこれも、今現在、考えることが多すぎて、私も『1Q84』の第3巻は本屋さんで入れて貰った紙袋に入ったままです。

 金平さんの報告は原理原則が自分の中にある報告である。単なる客観報道でもないし、情緒論、感情論でもない。
 これこそ報道である。ここのところをこの短い文章から読み込んでほしい。
 ポイントはそもそも論=原理原則論があるという所。ここのところがない、あっても完全に狂っている=米国籍が現状の国内のマスコミである。
 これは戦前のソ連による日本捕虜の管理システムと本質的なところで違いはない。
 また、そもそも論に立ち返るとこれらの収容者に戦争捕虜としての国際法は適応されているのか。
一体彼らの身分は何なのか?
テロリスト身分なるモノが歴史上新たに創設されたのか。
刑事事件の被告でもなければ戦争捕虜でもない。これが本当のところだ。
 アメリカが拉致し、拷問し仕分け作業でスパイ分子、従米分子に仕立て上げているだけだ。
 祖国に帰したら酷い目にあうなんて、本質論と何の関係もない。
少なくともアメリカはこの種の非合法行為は歴史上、国家としてあからさまにはやってこなかった。
 今この種の行為がまかり通っているのは、アメリカが国家として衰退の途についているからだ。
 アメリカに問う。
アメリカ人がこういう立場に立たされた時、アメリカ国家はどうするか。
 ここにこそ弱い国、混乱した国、虐げられた民族に対する国権、人権の完全蹂躙の典型がある。
 こういうことを実行するアメリカが今まさに在沖海兵隊基地移設=グァム基地拡張、日本大負担を押し隠し、厚かましくも在沖海兵隊基地の拡張さえ目論み政権交代を成し遂げた日本国民を蹂躙し、その配下に屈従させようとしている。
 マスコミは営利企業として面白い加工材料=「情報」を仕入れられれば、それで良しとし、寡占資本の立場をわきまえた得手勝手な加工を施し、他資本から宣伝費を掠め取り、「付加価値」をつけて寡占市場に囲い込まれた「一般大衆」に販売する。
 この本質があっても、日本国内のマスコミに金平さんの様な方が要所要所で配置されていたら、マスコミの報道姿勢も日本にとってこの大切な時期に少しは変わっているはずだ。

<親愛なる金平様へ>
貴兄のレポートをいつも心待ちにしておりますが、今回のグアンタナモ取材にはより大きな待望を抱いております。
まぁイロイロと勝手が違うことやお立場上ストレートに言い難いこともおありでしょうが、是非とも貴兄の“感じるがままに”の姿勢(私が勝手にそう思いこんでるってだけのことなんでしょうが)を貫いてください。不肖私は<金平様>の感性を、思想や信条や現実対応を超えて、信頼申し上げております。
第一回目のレポートの中で特に印象に残ったシーンは『ここを訪れた多くのメディアの人間たちは「動物園」という言葉を思い出したに違いない。』でございます。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

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