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2010年3月26日

「真実が闇に葬られますように」

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↑ アメリカ国務省人権年次報告書(2009)

 アメリカ国務省は毎年、世界各国の人権状況に関する年次報告書(Human Rights Report)を出している。3月11日に公表された2009年版(http://www.state.gov/g/drl/rls/hrrpt/2009/index.htm)には、日本の人権状況に関してとても興味深い記述があって、それが日本では全く報道されていないので、ちょっと紹介しておきたい。それは、日本の官公庁の公文書破棄に関する記述である。以下がその部分。

The public has the legal right to access government information. There were no reports that the government denied legal requests for information or required information seekers to pay prohibitive fees to gain access. A recent study by a nonprofit body disclosed that the Foreign Ministry destroyed approximately 1,280 tons of what it termed "sensitive records" in fiscal year (FY) 2000 (ending in March 2001), ostensibly in anticipation of the information disclosure law that went into effect in April 2001. The Finance Ministry was second in the quantity of material destroyed, eliminating approximately 620 tons.

 要するに、国民は政府情報にアクセスする法律上の権利を持っているはずなのに、最近のある非営利団体の調査によれば、情報公開法の施行を前にした2000会計年度に、外務省は1280トンにものぼる「取り扱い注意」(sensitive)記録を破棄したほか、財務省も620トンの文書を破棄したというのである。

 村田良平・元外務事務次官が亡くなったことは東京からの電話で知った。80歳だったそうだ。直接の面識はない。ガンを患っていたことは知っていた。僕の後輩記者Kが末期治療室内で彼のインタビューを撮影して、「日米間で核密約は存在している。自分は引き継ぎを受けてそれを総理や外相に説明した」との証言をニュースで放送したのは去年11月のことだった。奇しくも、衆議院外務委員会で、村田氏の後輩たち、すなわち外務省の東郷和彦元条約局長らや斉藤邦彦・元外務事務次官が参考人として質疑に応じたのは、この村田氏の死去の翌日のことである。その質疑のなかで、東郷元局長は外務省の密約に関する公文書が外務省内部の人間たちによって破棄された可能性についてギリギリの証言をした。1999年に、後任条約局長の谷内正太郎氏に、文書の綿密な引き継ぎを行い、さらに当時、北米局長だった藤崎一郎氏にも文書の一覧表と自分の見解も記したメモを送付したという。そのなかには歴代の条約局長のメモ(たとえば、小和田恒=現在の皇太子妃の父親や、丹波実氏らが作成したメモ)も含まれていたという。それらの文書が、今回の有識者委による調査や外務省の内部調査でもみつかっていない。あったものが消えた。それは何かの理由で意図的に破棄されたか、紛失したか、盗難にあったか(まさか?)、あるいは紙の劣化によって自然消滅した(ご冗談でしょ!)のいずれかである。

 さいわいなことに、僕は今、アメリカのニューヨーク市に住んでいるので、アメリカの公文書館に保管されている文書にアクセスすることができる。日米関係に関するアメリカの文書を読んでいると、こんなことまでアメリカ側は記録し、把握していたのかと、舌を巻くような代物に遭遇することがある。たとえば、手元に1通の公電のコピー。1972年4月18日付の文書で東京のアメリカ大使館からワシントンの国務省に打電されたものだ。Confidential=内密扱いの公電だが、中身を読むと、やりきれないような複雑な気持ちに陥る。いわゆる「西山事件」の直後に、吉野文六・北米局長が更迭されることになり、その吉野氏がインガソル駐日大使とプライベートな懇談を持ったときの会話内容が記されているのだ。吉野氏は、更迭についてあからさまな不快感を隠さず、自分の更迭は、沖縄返還交渉での400万ドル支払い肩代わりの政府の責任をめぐる政治抗争の犠牲になったのだと、インガソル大使に愚痴をこぼしているのだ。さらには自分の更迭は、毎日新聞編集局長および西山記者の解任との引き換えに使われたとまで言っている。吉野氏はインガソルに対して、福田赳夫外相は温かい人柄で、将来の自分の地位確保や大使級の処遇を保証してくれたなどと伝えたうえ、自分の後任候補ナンバーワンは大河原公使(当時は在ワシントン)だと正確に伝えていた。そんなことまで克明に記されている公電のコピーを読んで、行間から何とも言えない人間くさいドラマが立ち上がって来るのを垣間見る思いがしたのだ。僕はずいぶん前に吉野文六氏にインタビューしたことがあるが、以前は「密約など存在しません」と主張し続けていた氏の主張が180度転換したあとのことだった。吉野氏は密約の存在を認めたばかりか、次のような非常に興味深いエピソードを披露した。それは2000年の5月に、当時の河野洋平外相から直接電話を受けて、密約の存在を否定するように要請を受けたという事実である。まあ、大臣が「事務方」からの進言を受けてそうしたのだろう、と吉野氏は語っていたのだが。ではなぜ河野外相が電話を入れたのかと言えば、それは直接的には琉球大学の我部政明教授が米公文書館で密約の存在を裏付ける公文書をみつけたからである(2000年5月)。それで外務省はかなり慌てた。その時の「事務方」とは誰か。以下に記す人々がその時の「事務方」の顔ぶれである。

外務大臣  :河野洋平
外務事務次官:川島裕(現在、宮内庁侍従長)
条約局長  :谷内正太郎
条約局審議官:小松一郎
北米局長  :藤崎一郎(現在、駐米大使)
北米局審議官:渋谷實(現在、駐オランダ大使)

 そして、上記の人々が職位にあった時期に、外務省が1280トンの大量の文書を破棄していたという事実は一体何を物語るのか。これらの人々の多くは現在も生存し、要職についている。あの時の重要文章の処理をどのようにしたのかを、なぜ有識者委員会は問わないのか? いやいや、私たちには「調査権」はあっても「捜査権」はありませんから。報告書に『不自然な欠落』と書いたでしょ。あれが精いっぱい。そんな答えが聞こえてくるような気がする。だが、公文書破棄の直接の被害者は国民である。公文書は「密約」文書も含めて国民の財産である。それが勝手に廃棄されたり、元首相の私邸に勝手に私蔵されていたとしたら、もっての外ではないか。発想が真逆なのである、調査にあたっている人々の。

 先に村田良平氏の死去について触れた。吉野文六氏も92歳になる。歴史の真実を前に、国家によるウソが積み重ねられていくのを、人生の最終段階で是認できなかった人々の思いをどのように受け止めるか。「真実が闇に葬られますように」。息をひそめて時間の経過を待っているようにも見えるあれらの人々を前に、私たちはどうすべきか。密約問題の幕引きを画策する人々に告げなければならない。あなたたちの思いは本当に「真実が闇に葬られますように」なのですか、と。

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↑ 米大使館 → 国務省あて公電(吉野氏更迭について)

2010年3月23日

医療保険改革で歴史的前進。それでも消えぬオバマ大統領単期説。

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↑ 法案可決後に記者会見するオバマ大統領(ホワイトハウスHPより)

 219対212で可決という採決結果をどのようにみるか。かつてドキュメンタリー映画『Sicko』でアメリカの医療制度の病弊を鋭く告発したマイケル・ムーアは、この医療保険制度改革法案の可決で、今ガタガタ反対を唱えている共和党員の命も救われることになるんだぜ、と啖呵を切っている。(「共和党への公開書簡」)。3月21日(日)夜の異例の採決となった医療保険制度改革に関する米議会下院の審議。歴代の民主党大統領が取り組んでは潰されてきた医療保険制度改革は、これで歴史的な前進を遂げたと言ってよい。もちろん、オバマ大統領が当初掲げていた公的保険制度(パブリック・オプション)の創設は見送られてしまったし、他にも多くの妥協に次ぐ妥協がはかられた。最後の詰めの段階では、民主党内の中絶反対派に対して、同法案で妊娠中絶に対する費用のカバーはなされないという確約をしたうえで賛成をとりつけた。この法案の可決でオバマ大統領が署名すれば、法案成立はほぼ確実になった。その結果、約3200万人に及ぶ無保険者が医療保険で新たにカバーされることになる。保険加入率は83%から95%近くまで上昇する見通しだ。ただ依然として1500万人の無保険者がアメリカには存在し続けるという現実は残る。夫のビル・クリントン政権時代に同じような医療保険制度改革を試み葬り去られた経験をもつヒラリー・クリントン国務長官は「オバマ大統領の勝利はその忍耐強さのたまものだ」と褒め称えていた。ナンシー・ペロシ下院議長も1960年代の「Medicare, Medicaid」(高齢者、低所得者、身体障害者向けの医療扶助制度)創設以来の壮挙だと自画自賛していた。オバマ大統領はこの法案採決に全力を注ぐため、インドネシア歴訪などの外遊計画を再延期した。その甲斐があったことになる。これで11月の中間選挙に向けて大きな弾みがついたことになり、2012年の自身の二期目への再選に向けて自身の基盤が固まったことになるのだろうか。   

 残念ながら、そのように言い切ることができるような状況ではない。この1年あまりに及ぶ医療保険改革論議で明らかになったことは国民が大きく分断されている現実だ。国民皆保険の理念をすでに実現している日本や欧州各国からみると信じられないのだが、それでもアメリカ国民の半数近くがまだ国民皆保険制度の実現に反対しているのである。219対212という数字の重みがそこにある。共和党議員の全員と34人の民主党議員が採決で反対に回ったのである。この現実は大きい。あなどれない。採決の日のキャピトル(連邦議会議事堂)周辺には、この法案に反対する保守派の大勢の市民らが「Kill the Bill!」(法案を葬れ!タランティーノの映画「Kill Bill」にあやかった言葉遊び)と書いたプラカードを掲げていた。分断の根は深い。オバマ大統領の世論調査上の支持率も、支持と不支持がほぼ拮抗しつつある。だが、それでも僕は個人的には、先代のブッシュ政権に比べれば、はるかに、はるかにマシな政権だと思っている。アメリカのメディアとオバマ政権の蜜月時代も終わりを迎えつつある。そうした事情から、オバマ単期大統領説(One Term President)説がいまだに消えないところがあるのだ。もともとは、今年1月にABCテレビのアンカーパーソン、ダイアン・ソーヤーのインタビューに応じたオバマが、「I'd rather be a really good one-term president than a mediocre two-term president.」(可もなく不可もなく二期をつとめた大統領なんかより、一期だけのムチャいい大統領になりたいんだ)と答えたことから、火がついたのだが、11月の中間選挙で与党民主党が激減するような事態になれば、またこの単期大統領説が意図的に流布されることになるのだろう。(何だか日本と状況が似ていなくもないか。)

2010年3月14日

「密約」有識者委報告書・第四章の支離滅裂

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↑ 9日に発表された日米密約についての報告書

 怒りとか憤慨とかそれ以前に、不条理感というか、G・オーウェルの小説を読んだ直後のような、胃液が逆流するような思いを抱いた。「ある」は「ない」の意味。クロはシロ。この欄でも以前、日米密約に関しては触れたことがある(2009/9/21「誰が核密約文書の破棄を命じたのか?」と2009/12/31の文章の一部)。3月9日に公表された日米の外交密約問題に関する有識者委員会の報告書に一応全部目を通した。108ページのものでそれほど長大な報告書ではない。「密約」の定義を広く解釈し、「文書の存在」にとらわれないで、暗黙の合意や了解にまでも広げて、検証の対象にしようとした点や、公文書以外の証言・学術研究・報道の成果をも照会して深く検証しようとした姿勢(特に第二章の「核搭載艦の一時寄港」に関する密約の検証によくその姿勢が表れている)、さらには公文書の保存・公開・破棄についての世界に通用するルールづくりを提言している点、そして最後に、意図的な公文書破棄(これ自体が犯罪行為を形成する)を強く示唆している点など、評価すべき点が多々あったことも確かだと思う。だが、それらの成果を水泡に帰しかねないような論理破たん、支離滅裂がみられたのが、この報告書の第四章「沖縄返還と有事の際の再持ち込み」の考察と結論である。

 外交とは何も外務省の公式ルート、つまり表玄関同士のやりとりだけをさすのではない。一国の政府が展開する外交は、あえて言えば民間も含めた多くの組織の意思がいわば総合されて出来上がるものだ。ところがこの第四章は全体的に、日本の外務省内に残っていた限定的な文書を中心に据えて、まるで外務省の意向が政府全体の意向であるかのように描き出されている。第二章の検証態度とは対照的だ。そして、佐藤栄作首相が「秘密協定のごときもの」に対して消極的だったと断じている。一体何を言っているのだろうか。外務省の官僚を通しての交渉ではらちが明かなかったから、佐藤首相は、若泉敬という密使を使って、外務省官僚ではできないことをやったのである。もちろん外務省にとっては若泉のルートは不快なものであっただろう。なぜなら自分たちの無能ぶりを曝すことになるからだ。しかし、佐藤元首相はそれにかけた。若泉はそれにこたえた。そのことは米側の幾多の公文書を読めば明明白白ではないか。返還後の沖縄への核再持ち込みという、沖縄返還に絡む最もセンシティブな問題(M・ハルぺリン)を、外務省官僚ではなく、若泉という民間人を使ってキッシンジャー、ニクソンの合意を取り付けたのだ。不可解なのは、第四章で、若泉ルートに「首相官邸」が意思決定に深く関与していた事実を確認しているのにもかかわらず、「密約」本体そのものである佐藤 ― ニクソンの「合意議事録」を、結論としてまるで無意味なものであったかのように扱っているのである。その論拠のひとつとしているのが、「合意議事録」の長期的効力なる概念である。つまり、あれは佐藤・ニクソン2人だけの「一夜の秘事」みたいなもので、何も政府の政策を拘束しないと言っているのだ。第四章曰く、

佐藤首相は「合意議事録」を自分限りのものと考え、長期的に政府を拘束するものとは考えていなかったのではないだろうか。加えて、「合意議事録」の保管方法から見て、佐藤首相はこの文書を私蔵したまま、その後、引き継いだ節は見られないのである。

これがどうして「密約」がなかった根拠になるのだろうか。佐藤はこの文書があまりにもヤバすぎるので、そしてまた自身が述べてきた非核三原則を正面から裏切る内容だったことから、引き継ぎどころか官邸のロッカーにさえ置けなかったのではないか。それがなぜ「密約」の不存在の論拠とされるのか。さらに第四章は、

この秘密文書は、(日米)共同声明...よりも確かに踏み込んだ内容を持っているが、にもかかわらず、共同声明の内容を大きく超える負担を約束したものとはいえず、その点で、...(略)...必ずしも密約とは言えないであろう。

この学者は一体何を言いたいのだろうか。返還後の核再持ち込みを是認すること自体が、政治的も軍事的にも、とんでもない大きな日本の負担になるのは明らかではないか。最も唖然とさせられたのは、次の個所である。

なお、この秘密文書がなければ、19日の会談(佐藤・ニクソン会談。引用者注)は合意できなかったかもしれない。しかし会談のための日時はまだ2日ほど残っており、もし第1日目が不首尾に終われば、日本はかねて準備していた「会談録」またはこれを基礎にした提案をして合意に向けて動き、結局合意は実現されたのではないかと考える。

 歴史にifを持ち込むな、とは学者の資質の基礎の基礎である。若泉・キッシンジャーが策定したの「密約」があったからこそ、会談は「成功裏に」終わり、沖縄返還交渉は進捗したのである。その裏に国民の知らない、そして知れば政治的な大混乱が必至の秘密の動きがあったのだ。日米間の合意が実現したことと「密約」の不存在は別次元のことがらではないか。

 なぜ、第四章がこのような支離滅裂な結論に陥ったのか。それは有識者委報告に先だって外務省の調査チームが作成した報告書(2010年3月5日付)を読めば、おおよその構図が見えてくる。外務省内の文書を調査した結果の報告書なので、当然ながら若泉が作成した「合意議事録」は「発見されなかった」としている。そして外務省報告書は「外務省関係者は、結果的に特別な文書の作成を必要とせず首脳会談が決着したとの認識を有していた。若泉氏が準備したとされる「合意議事録」については、外務省としては何ら了知していなかったことがうかがえる」(同報告書16ページ)。何ら「了知」していなかった? こんな官僚的な言葉づかいをするからそもそもダメなのだ。何を寝ぼけたことを言っているのだろう。若泉の動向についてワシントンの国務省が日本大使館(外務省の出先だ)とも緊密に連絡を取り合って、合意の落とし所を協議していたことを示す米公文書もあるというのに。第四章を担当した学者氏は、過剰に外務省側の意図を忖度しているとの印象を強くもつ。それを色濃く反映した結果が、有識者委報告書・第四章なのだ。

 1996年7月、若泉敬は青酸を口に含んで服毒自殺を遂げた。故人は日米関係の歴史の真実の一こまを書き残す意味を信じて『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を出版し「密約」締結の事実を明らかにした。当時も政府・外務省は「そんな密約は存在しない」と一蹴した。僕は個人的には、密使・若泉の行動スタイルや主張には一片の共感を覚えるものではないが、歴史の真実を書き残そうとした故人の遺志が、このような報告書で踏みにじられることには大いなる怒りを禁じえないのだ。

 ちなみに、僕が「密約」そのものと考える佐藤―ニクソンの合意議事録の日本文全文(佐藤私邸で発見されたもの)は以下の通りである。

  一九六九年十一月二十一日発表のニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録
  
 米合衆国大統領

 われわれが共同声明で述べたとおり、米国政府の意図は、実際に沖縄の施政権が日本に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することである。そして、それ以降は、共同声明で述べたとおり、日米安全保障条約と関連する諸取決めが沖縄に適用される。しかしながら、日本を含む極東諸国のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議(A)を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する(B)。
 米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるように求める。
  

 日本国総理大臣

 日本政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。

 大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということで合意した。

一九六九年十一月十九日
ワシントンDCにて
リチャード・ニクソン
佐藤栄作

 以上、第四章のみについて略述したけれど、この有識者委員会を委嘱した日本政府の外務大臣に是非ともご提案申しあげたいのは、この報告書の第四章について、再調査を命じることである。安易な幕引きは、極論すれば、歴史の改ざん作業に等しいことになるのではないか。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


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2004年7月、青弓社、部分執筆


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