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« オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(7)── オバマは第二のベトナム戦争の轍を踏むのか?
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あと3時間で終わる2009年を回顧する »

「正しい戦争」はアメリカの専売特許?

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↑ 反戦派のデモ

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↑ 反戦派のデモ

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↑ アメリカから参加したシンディ・シーハンさん

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↑ オバマ夫妻の滞在ホテル前では身動きとれず(いずれも筆者撮影)

 ノルウェーのオスロで開かれたノーベル平和賞授賞式では、さまざまなことを考えさせられた。特に、オバマ大統領が受賞演説で述べた内容は、「正しい戦争」という概念の容認、世界の安全保障を裏書きしているのは戦後60年以上にわたってアメリカだ、という一種の覇権国家宣言、キング牧師やガンジーの非暴力主義に対して、「この世界には悪が存在する」ことは現実なのだから、自分はアメリカ軍の最高司令官として、過去の先例なんかにとらわれないで物事を決めていく、と宣言したあたり、こころのなかに言いようのない感情が広がっていくのを認めざるを得なかった。だが、オバマに他にどんな選択肢が残されていただろうか。特にアフガンへの3万人増派を発表した直後というあのタイミングにあっては。それにしても、「正しい戦争(just war)」か。

 オバマ夫妻の滞在していたオスロのグランドホテル前の広場には、夜の7時頃に向けて大勢の市民たちが集まり始めて、バルコニーからのオバマ夫妻の「お出まし」を待ち続けていた。ホテルのベランダの窓越しに2人が現れて手を振るや否や、ものすごい歓声が沸き起こった。僕は、当日、プレスセンターでオバマの演説を聞いたあと、市内で行われていた反戦派市民らの抗議集会・デモの流れを追っていた。当日は、オバマ大統領の受賞を祝福する大規模な松明行進があり、それが先に記した抗議デモの一行とグランドホテル前広場あたりで合流したものだから、混沌とした空気が流れ、とてもシュールな光景が展開されているどまん中にいた。集まった市民は1万5千人くらい。反戦派のデモはそれでも千人以上はいただろうか。これらの反戦派の人々はおそらく1年前にはオバマ大統領誕生を祝福していた人々ではなかったか。集会には、アメリカから例の「反戦の母」シンディ・シーハンが来ていた。オバマの宣言した「正しい戦争」は、「オバマ・ドクトリン」と命名されて、今後さまざまな局面で引用されることになるだろう。

 ところで、ノーベル平和賞授賞式にちなんで、シティ・ホールにはさまざまなミュージシャンたちが招聘されて、素晴らしい演奏を披露していた。中国のピアニスト、ランランがショパンやリストを演奏したあたりはまだ予想できたのだが、エスペランサ・スポルディングがさっそうと登場してチェロを弾きながら歌い出したのにはまいった。オバマ夫妻は彼女のファンで、ホワイトハウスでも彼女は演奏したことがある。音楽に対するセンスがやっぱり新しい。

 ところでこれに付随して授賞式翌日にノーベル平和賞記念コンサートがオスロ市内のスペクトラムというスタジアムで開かれたのだが、そこに何とトビー・キースが来ていた。ええっ? 誰が呼んだのかは知らないけれど、ノーベル平和賞の趣旨と最も対極にいるカントリー歌手だろう。予想通り、彼は記者会見で、「大統領が悪をやっつけるために兵士を送らなければならないというんだから、俺は勝つために応援するだけだ、いったい何を謝らなくちゃならないんだ?」と発言していた。さらには、オスロのクラブで、ウィル・スミスらとラップの曲のステージに登場したトビー・キースは、アジア人に対する侮辱のサインをジェスチュアで示していた。その模様がYouTubeにすでにアップされている。

 何だかトビー・キースのノーベル平和賞コンサート登場は、悪いジョークのように思えるが、それ以上に、後世の人々が、オバマ大統領の「正しい戦争」スピーチを、このノーベル平和賞の歴史のなかでどう位置付けることになるのか。2009年のオバマ演説のなかでも、もっともずっと後を引きずる内容だった。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

『正しい戦争』の理屈が通るのなら、『正しい殺人』『正しい詐欺』『正しい痴漢』も成り立つ理屈です。

官僚に言わせれば「我々は『正しい天下り』をして『正しい税金のチョロマカシ』をしているだけです。必要なチョロマカシなのです。」ということになるのだろう。

目的のために手段を正当化するのは許されないと思うけどなぁ

<アメリカにだけは言われたくない>
「正しい戦争」とは、どの口がいうのか?と思う。
あくまでも彼らの価値観に照らして「正しい戦争」なのであって、収奪する側の言い訳でしかない。
イスラエルはアラブ人の土地を武力で奪い、自国民を入植させてきたが、アメリカの価値観に照らせば「正しい戦争」であり、圧倒的な武力の差にテロ(アメリカ・イスラエルから見れば)・レジスタンスが自爆攻撃をすれば、ロケット弾他の火力で報復する事も正しいとされる。
常に戦争は収奪する側と収奪される側の争いであり、「正しい戦争」とは、常に収奪する側の詭弁に他ならない。
アメリカは戦争ビジネス抜きに成り立たないのだろうが、イラク・アフガンを通して見えてきたのは、肝心の戦争ビジネスが、結局アメリカの国力を奪っている事実である。
私たちが今後考えなければならない事、それは、沈み行く国アメリカからどのように逃げるか?である。
嫌中派が、アメリカ信仰を止めようとしない。
ところが中国は、台湾を「正しい戦争」として武力制圧する様なバカな事はしない。経済の相互依存を高める事で、事実上台湾問題をソフトランディングさせようとしている。
アメリカには、自らの価値観が世界標準ではない。東洋人を舐めるなといいたい。

恵美さまへ

【アメリカだけには言われたくない】この恵美さまのご健筆は、素晴らしいコメント(短評)です。

いつも、嬉しく拝読しております。益々のご活躍を念願しております。

こんにちは。

★★ 『聖戦』 は 『正しい戦争』 ★★

 一神教において、神と対峙する悪を滅ぼすための戦いは、宗教的に神聖であるとされ、正義のたの戦争である『聖戦』であり、『正しい戦争』であるとされる。

 『聖戦』は日本にもあった。自ら現御神(あきつみかみ)である天皇を頂く嘗ての日本国は神道国家であり、その自国の戦闘行為は常に正しい『聖戦』であるとされた。『聖戦』の戦闘に従事して死ねば神になる。英霊である。そして残された者は、その英霊を「顕彰する義務」(ある意味 ジハード)を負っていた。現在の天皇は、現人神ではなく人間であり、君主でもなく象徴であり、日本国民は臣下ではなく主権者である。天皇は元首であってよいと思うが、現憲法では言及が無い。

 もちろん、現在もキリスト教、ユダヤ教、イスラム教など一神教思想の中には「正しい戦争」、つまり教義に則った正義のための戦争である『聖戦』概念が存在する。一神教は信仰有無による排他性が明確で、顕著なのは、イスラム教における「神、信仰の為に奮闘せよ」というジハード思想である。そのジハード思想を巧に捻じ曲げ、操るテロリストに洗脳された者による自爆テロ殺人は、彼らテロリストの主張によれば、「正しい殺人」であり、「正しい戦争」の一部である。

 「正しい」という価値判断は、価値観に拠って定まる。異なる一神教間、ある一神教とその他、その他の中でも価値観が異なるので、「正しい」の意味も当然異なることがある。正常(笑?な社会の普遍的価値観では「詐欺」、「痴漢」、「天下り」、「チョロマカシ」その行為自体に「不正」が内在するので、それぞれ「正しい詐欺」は詐欺師で構成された社会、「正しい痴漢」は痴漢で構成された社会、「正しい天下り」は天下り官僚の社会、「正しい税金のチョロマカシ」は税金チョロマカシ役人社会といった「不正」を生業とする者だけの社会以外では論理的に成り立たない語句である。しかし、

「みたまえ、自民党の中には、正統保守主義が生き生きと死んでいる」

のような対義語併記の文学的表現は、リアリズム文学やシュルレアリスム文学においては活きている。・・・と、思う(笑。

正しいも正しくないも、人を殺す戦争に正義なんてあるわけがない。
そんなことは百も承知で、人類は殺し合いを続けているのだろ。
「暴力反対」も似たようなもの。暴力を肯定する正義なんてありゃしないのに
暴力はなくならない。戦争も同じこと。いいか悪いかで戦争や暴力がなくなるのだったら
人類はこんな苦労もしないし、政治もいらないのだ。

「なくすために」歴史があり、政治があり、全人類の努力がある。
しかし、なくせないのが人類の情けなさであり、叡智の到達点でしかない。
核廃絶だって同じ。もともと核の正義なんてありゃしないから、なくそうと思っても
いまだに核保有を目指すばかどもがいるのが現実。
政治というのは、こういう現実とどう向き合うかの話でしかない。

そのためには血を流すこともある。平和のために流されたおびただしい人々の血と涙と屍が、恨めしそうに現代を見つめている。

正しい戦争論を展開していくと、正しい核爆弾の使用に行きつく。大きな悪を滅ぼすために、核爆弾を使用するという。

正しい戦争論の根拠は絶対悪であろうが、この宇宙において、人間が絶対とか相対とか言ってもはじまらないことぐらい、もう人間は十分学んだはずだ。絶対とか相対とかいう概念は、いくらでもでっち上げられるのは歴史が証明している。

だから、今を生きる者にとって重要なのは感性だ。

感性では絶対も相対も説明できぬというなら、それでいい。

今こそ、損だ、得だという論理ばかりが跋扈する世の中に、文学、哲学や芸術を復活させ、はかない世に生きる意味と、何がおかしいかを感じ、表現(ネット化)していくことが大事だ。

正しい戦争という概念は21世紀の人々の感性に反するもので、まやかしである。

正しい戦争などと、期待されて平和賞を与えられたにもかかわらず、平然と言い放つ指導者のいる国は不幸だ。

幻想とか非現実的と非難されようとも、友愛の政治を説く指導者のいる国の方がはるかにましで、幸せである。


正しい戦争は存在するに決まっている。すぐそばでタチの悪い国家が非人道的な行為をしているのに、「私は平和主義者ですから」と言って傍観していることが、平和主義者のすることだろうか? 目の前で悪事がなされているときに、体を張って悪事を止めさせ、加害者を徹底した厳罰に処すこと真の平和主義者の行為である。そのためには躊躇なくゲバルトを行使することが、民主主義国家の政治家の仕事ではないのか?
鳩山首相は9条改憲派であるが、そのことを評して「改憲派であることと平和主義者であることは矛盾しない」と評した人が居る。この表現は正確ではない。正しい表現は「9条改憲派であることは、平和主義者であることの絶対条件である。同時に9条護憲派が平和主義者であるはずがない」であろう。(同じ論理で「死刑制度廃止論者が人権重視派であるはずがない」というのも真理である)
ナチスドイツのラインラント進駐・ズデーデン地方併合問題を巡る対独融和策の教訓が示すように、自称平和主義者たちの自己満足に満ちた行為が、悲惨な事態を生み出したのだ。ゲバルトを行使すべき時にそれに反対することは、ナチに匹敵するほどにナチ的行為なのだ。
私は平和主義者である。平和主義者であるからこそ、日本には平和をもたらすためにゲバルトを持って欲しいし、それを容赦なく悪に対して行使して欲しいと思っている。
私は平和主義者である。平和主義者だからこそ、すぐにでも憲法9条は改正されるべきであると考える。集団的自衛権はどんどん行使されるべきであると考える。徴兵制度が施行されるべきであると考える。核武装すべきであると考える。北鮮と中共は何としても打倒されなくてはならないと考える。チベット人とウイグル人と内モンゴル人とその他の多くの少数民族を救うためには、何でもすべきであると考える。積み上げればチョモランマよりも高く、並べればタクラマカン砂漠とゴビ砂漠を埋め尽くすほど支那どもが死体と化しても、それは正しいと考える。理のない暴力には万倍で返すのが正義であり、平和主義者がなすべき行為だからだ。
正しい戦争はある。正しい暴力はある。こんな当たり前のことも分からない人たちが余りにも現代の世界には多いから、近い将来に第三次世界大戦が起こるのではないかと、平和主義者の私は思っている。

[感性人]さん

「幻想とか非現実的とか非難されようとも、友愛の政治を説く指導者のいる国の方が,はるかにましで、幸せである」

あなたのような夢を語る人が「THE JOURNAL」に出てくると,ほっとしますね。

あららさんの「正しい」の定義が違っているので、話がかみ合いません。
あなたの定義なら、私もあなたに同意(に近い)します。核を作れといえば、半年で作ります。

でも普通「正しい」という定義はもっと本質的な意味に使います。

 金平さま
オスロの周辺情報有難う御座います。 
 オバマは米国民に向かって演じているのでは。オバマを大統領に仕立て上げた人々によって計画され、共和党であろうと民主党であっても仕組まれているとしか思えない。格差社会をつくり、底辺の若者を大量に生み出し、徴兵制を執ることなく戦場に送れる状況を百年でも二百年でも続ける積りだろう。現在、130カ国・700基地を世界中に要塞・占領していることが、彼らのjust warなのだろう。まさしく植民地からの収奪。そのおぞましさに兵士たちが戦かぬよう、励ましているんだろう。

「正しい戦争」をいうアメリカ、つまりアメリカは「正しく自国民を殺している。」という事。

平和のために戦争する?
戦争によって平和を勝ち取る?
戦争を終わらせるための戦争?

自己矛盾していることに気がつかない人たち…

ノーベル賞なんてこんなもの。
過去には日本でも?な人も貰ってるし
ノーベル賞受賞者のコメントだからと有難がるのもアホらしい。

今年最大のブラックジョーク。ブッシュ前大統領でなかったのがせめてもの救いでしょうか。

核による先制攻撃をアメリカに頼み、核兵器の持込の密約をしながら、非核三原則を唱えて平和賞を受賞したわが国の宰相。似たようなものです。
所詮ノーベル平和賞とは、その程度のものなのでしょう。

世界中に一神教の宗教が唯一ならいいのですが、多数あるから一神教同士はぶつかる。当然です。お互いが自らの正義を言い、相手を非難すれば、平和などあり得ないでしょう。その点、日本のような多神教・神仏混淆を認める民の方が、平和的ですね。日本人に生まれて良かったですね。

仮に正しい戦争が、あるとしたら、アフガン戦争の場合では、「戦争以前よりも、戦争以降や戦争中の方がアフガン庶民市民の生活が良くなり、生命と財産が保証される」
という場合でしょう。

暴政に対する戦いは、動機は正当でも、戦争中・戦闘中に市民を巻き込み、暴政以上の破壊と殺戮を現出させたら、それは「正しい戦争」とは言い難いです。

動機・過程・戦争終結・戦後経営この全てが「正しい」といわれないと、結局は「正しい戦争」とはいえないですが、古来そのような戦争って、あったかしら?
有ったとしても、それは稀で、英知と努力と偶然の三つか兼ねあわないと、その稀なことは起きません。
結局は「偶然」を期待しないと、正しい戦争など、結論的にはありえないのでしょう。

で、偶然頼みで、「動機」だけ正しいからと言って、その戦争が正しいとは言えないのでは。

悲しくてとてもやりきれない。
オバマ氏がそう発言しなきゃならない裏側。
戦争に大儀はない。戦争が超えられないものなら 未来は絶望しか残らないかも。  パンドラの箱とは真逆ですね。悲しみが止まらない 。

海山ひとみ様
 そう、オバマはパンドラの箱を蹴っ飛ばし、どじ込めてあった「希望」を胡散霧消してしまったようだ。唯、始めからパンドラの箱なんて、ここ日本にはない。だから狂気な戦争に引き込まれないよう自分の感性を頼りにしていれば絶望もない。

「正しい戦争」と言っているのは、「勝てば官軍負ければ賊軍」ということ。勝った方が正義になる。

戦うという行為に価値を認めているから戦うのであって、戦うことが無意味であると考えるのであれば、戦いは起こらない。

当たり前のことなんでしょうけど、そうなるまであとどれくらいかかるのでしょう。
やっぱりそれはアメリカ次第ですか。

かつては戦争で勝利すると利益が出たのですが、今は回収できないほど経費が掛かります。アメリカが戦争を放棄するのは、それ位の理由しかないでしょうね。

アラブに囲まれた近代イスラエルは、生き残る為の幾多の中東戦争を勝ち抜いた。ジハードを掲げ、殲滅を図る国を相手にした生存を賭けた戦いである。そこには正義も悪もない。ただ、生き残る為の戦争があった。そして、生き残る為にはモサドという優秀な諜報機関が必用であった。情報収集を怠らず、生存に必用な戦いとあらば躊躇はしない。産油国のアラブに配慮があるのか、日本ではいかにも悪者のように伝えられてきた。だが、生存本能の前には、戦争が悪だのどうだのといった議論は意味をなさない。戦後復興を果たしたあと、日本は長い間ぬるま湯の中で過した。特に戦争経験のない世代の日本人には、平和を深く理解する事が難しいのかもしれない。

今回の正しい戦争発言は、凶悪国家アメリカの終わりの始まりとして歴史に残ることとなるでしょう。

金平様
「正しい戦争」は倫理的、文学的概念からはあり得ないと思います。しかし、残念ながら、悲しい事に旁葉 烏 さんの「生存本能の前には、戦争が悪だのどうだのといった議論は意味をなさない。」ということがリアルな現状だとも思います。人が愚かである限り、戦争を行う事に利益が生まれる限り、未来永劫人類に戦争の歴史を回避する力はあり得ないかもしれない。ただ、その愚かさを超えて人類の新しい未来を作り出す能力を我々は諦めてよいのかということになればそれは否であると思います。「特に戦争経験のない世代の日本人には、平和を深く理解する事が難しいのかもしれない。」私はこれは間違った言葉だと思います。これを言うなら「平和」を「戦争」とおきかえるべきです。言葉として「平和」はとことん「平和」であるべきだからです。
他の生き物より、文明と知恵を頂きながら、努力を放棄し、争いを肯定するような「正しい戦争」などという言葉は平和賞という名の下で、使ってもらいたくないと思う。この演説を聴いてわたしはオバマの力量よりアメリカ人のレベルを疑いました。

この「正しい戦争」という言葉を聞いて、オーウェルの1984年の「戦争は平和だ」と重なりました。この本最近手元に合ったのですが、途中まで読んで断念(余談ですが村上ファンですが、1Q84も途中まで...)なんかもうあえてフィクションのエグイ描写はもういいという感じです。1984は、wikiがわかりやすいのでそれでいいやって。。
ご参考:
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/1984年_(小説)
だけど、オセアニア、イースタシア、ユーラシアその他の地域は紛争地域、テレスコープ(今はネットや監視カメラ等)などってホントに現在そしてこれからの世界を体現してる気がしますね。
ただ、オバマ大統領の演説を全文通して見てみると、今までの政府よりはずっとよい方向を向いていると思いました。金平さんおっしゃるようにアルカイダ撲滅という増派発表の後だし、確実に戦争により利益を保って来た国なのだから肯定しなくては誰かの怒りを買い窮地に追い込まれるのだろうな、とも思ったりしました。結局は核廃絶と言っても米国は最後の1個を持ち続けるのだろうなとか、原子力を転用はじめその他の最新兵器とかあるし...などといろいろありますが、希望を持てる部分はまだあるので、注意して見ていきたいと思ってます。
それに、最近ユーゴで17年ぶりに鉄道が復活したというニュースを見たのですが、その辺りでずっと続いて来た紛争に歯止めを掛けたのが民間軍事会社の強い軍事力によるものだったという情報が私の中にあり、また、最近はガンジーが不可触民を絶対認めてなかったというような話も耳にし、過去も現在もいろいろな事実がないまぜの混沌とした世界が現実なのだろうとも思ったりしています。

そんな中、もし本当に人間が戦争や差別など無い世界を望むなら、ひとりひとりがそれを強く思うことが絶対に大事だと思います。そして「正しい平和」を実現する!また、デモその他で声を上げるのはいいけど、そこに暴力が加わったらその意味は無くなってしまうと思ってます。その前段階にあるものが、暴力的な言葉だったり、偏より過ぎたり過激な思想だったりするのではないでしょうか。。そんなことを思ったりしています。

長くなってすみませんが、あと日本は、核の傘を前提にしてる限りは、米国をただやみくもに批判することは出来ないのではないでしょうか。核廃絶を核の傘の下にいながらに訴える...ということになってますよね。だからといって、すわ日本も軍備増強だとか核を持てという話ではなくて、本当に世界から戦争などを無くすために、人殺し暴力搾取等々以外の方法で何が出来るかって真剣に考えて行かなければならないと思ってます。


追伸。
ノーベル平和賞を授けた側は、今回の演説を聞いてどう思ったんでしょうね...?

”あらら”さんへ

ただ単に、「私は共産主義が嫌いです。共産主義者を皆殺しにすべきです」と言っているようにしか聞こえません。

中国のチベット政策は間違っています。許し難い行為です。しかし、かつての南アフリカや現在のパレスティナ、チェチェン紛争など同等もしくはそれ以上の人種・民族問題が存在する中、あえて「北鮮・中共」のみをあげて、「チョモランマよりも高く、並べればタクラマカン砂漠とゴビ砂漠を埋め尽くすほど支那どもが死体と化しても、それは正しいと考える」というのは、ナチス以上にナチス的な考え方だと思います。

「支那ども」とは少数民族の話のの流れからして漢民族のことを指していると思われますが、彼らの中にも共産党一党独裁に反対する人々は多数いるでしょう。それを無視して、「死体の山を築く」のごとき表現は、民族浄化思想以外のなにものでもないと考えるからです。

仮に「支那ども」が中国共産党員、もしくはその支持者を指しているのであれば、イデオロギーの違いから、反対勢力を粛正した、まさに毛沢東やスターリン同様の非民主主義的な思想といえましょう。

野蛮な虐殺思想を披露する際に、60年代の左翼学生が国家権力に対して用いた暴力行為を指す”ゲバルト”などという言葉を意味不明に振り回しているところをみると、後者の意味合いが強いのでしょうか。純粋にドイツ語をカタカナ表記してくださっただけかもしれませんが。

いずれにせよ、「チベット人とウイグル人と内モンゴル人とその他の多くの少数民族を救うために」などと、苦しんでいる人々をだしにするのはやめていただきたい。

悲しいかな

オバマ大統領も、歴代大統領も閾領域に踏み込むと皆操り人形だ。

誰の

大本をたどれば、国際金融資本家だ。

激しい米国政府内抗争(旧抵抗勢力の米英覇権主義(戦争大好き)と新勢力の多極化主義)は続く。

「正しい戦争」など、そこに正義があればこそだ。

しかし米国が過去に行ってきた戦争に正義などあったためしがあろうか。

武器を持って戦う戦争とは違いますが、【正義と悪】について、どなたか教えて下さい。

最近、自分では≪正義のつもり≫で語った人々がいます。
自民党政権末期の麻生内閣時代、日教組批判で更迭された中山成彬国交大臣、正義のつもりで論文を書いてクビになった防衛省の田野神俊雄空爆長、郵政問題で馘首された鳩山邦夫総務大臣。
これらの人々は、自分では≪正論≫と自負していたでしょうが、麻生首相は≪内閣の方針と違う≫との理由で更迭しました。
あの、麻生首相でさえ、この人事を断行したのです。

今回の、鳩山内閣の方針に逆らって、自分だけが≪天皇を守る正義のツラ≫をして、二度まで記者会見で持論を公表(披歴)して、問題の発端なる≪上司の鳩山首相≫を批判した【羽毛田宮内庁長官】を、なぜ鳩山内閣は更迭しないのでしょうか。

オバマ大統領の誕生を心から嬉しく思い、もちろん日本も含め、人類が新しい方向に本当に“Change”してゆくという大きな期待感で、1年前は本当にワクワクしていました。

故に、ノーベル賞受賞演説の「正しい戦争」には、本当に力が抜けました。
この1年でオバマが日毎に老け込んでゆく様も、激務だけが原因じゃない、何かもっと抵抗不可能な悲愴なものを感じます。

あの「正しい戦争」と言ったオバマの堅く乾いた、そして決して幸せではない表情を見ていると、アメリカという国から「戦争」をもぎ取ってしまうと、アメリカは消滅してしまうんだ!と訴えているようにも感じました。可哀想な国。

もしかしたら、核廃絶を叫ぶ裏には、核に匹敵する、若しくは、それ以上の安価でメンテナンスも簡単な「武器」の開発が、既に為されているのかも知れません。
今のアメリカ経済を見ていると、性懲りもなく再び又「金融テロ」を仕掛けるか、武器で儲け続けるしか、経済復帰は考えられない様に思います。

CO2 問題にしても、何故アメリカの電気があんなに安いのか、最近初めて知りました。電力のほぼ50%が石炭エネルギーだったのですね。通りで京都議定書にもサインしなかった筈です。短時間でシステムスイッチ出来る簡単な作業じゃありません。
アメリカは「力」を持ちすぎた故に、その「力」に閉じこめられてしまって、自ら雁字搦めの国になってしまっている。

トビー・キースに見える、アメリカ(特に南部)の最たる「田舎社会」がある限り、本当にアメリカはもうダメかもしれない・・・と、思ってしまいます。
ウィル・スミスも好きな俳優だったのに、幻滅です。
あそこに、例えば“Pearl Jam”の様なミュージシャンを呼べるぐらいの「大人の国」になってほしいけれど、今のアメリカでは“Pearl Jam”の方から断りを食らうでしょう。

オバマはアメリカにとって、いいチャンスになり得る人選の筈。
諦め半分、でも、まだ期待半分でもう少し見ていようと思っています。

 旁葉 烏 様 | 2009年12月17日 21:35
「そこには正義も悪もない。ただ、生き残る為の戦争があった。」
「生存本能の前には、戦争が悪だのどうだのといった議論は意味をなさない。」

 この認識は、全くその通りだと思います。

 また、オバマ大統領が、正義のための戦争はあるといったのも、アメリカ人の中に刻み込まれた建国の歴史からすると、理解できる感じはします。
 ヨーロッパ大陸を追われ、或いは脱出し、未開の地を開拓し、それを守るためにヨーロッパの植民帝国と戦って、自分の国を築き上げ繁栄を果たした。
 或いは、祖国ヨーロッパをナチスドイツの暴虐から守るために、多くの子供たちを戦場の屍と晒した。
 そういう彼らの捉える歴史の文脈から考えると、そう言わざるを得ない、そう言わなければ、アメリカ大統領としてやっていけないというのは、理解できます。

 しかしその根底にあったのは、やはり彼らの生きるための本能であったので、彼らに土地を奪われ、殆どジェノサイドに近いところまで追い込まれた、アメリカ土着の人々からすると、何が正義の独立戦争だ、高々、ヨーロッパ人同士の縄張り争いではないかという見方も有るでしょう。

 冷戦が終わり、世界の人々がおぼろげながら、動物の本能で理解しだしたのは、戦争などという馬鹿げた手段を使わなくても、われわれの生存と繁栄を確保する道はあるぞ、ということではないでしょうか。

 戦後の日本は、戦争無しで、あの戦争の目的であった、アジア市場のみならず、世界市場を獲得し、経済繁栄を成し遂げました。

 二次大戦の反省に立った国際自由貿易制度と軽武装という国の国策がその背景で、日本の人々が作り上げた、優秀な企業が、その軍隊だったわけです。

 では何故いまだに、戦争が残っているのか、これも動物の本能で、一部戦争が無ければ飯の食えなくなる人々が、世界に残っているためでは無いでしょうか。
 アメリカは特に相当割合の人が残っているようですが。

 旁葉さん、人間は動物で仰るとおりその生きる本能に従って動きます。
 ただ、その生きる本能が、戦う方向を示すのか、それとも平和の方向を示すのか、現在は、戦争が無ければ飯が食えない、生きていけなくなる一部の人々を除いては、後者の方向が大勢を占めつつあるというのが、客観的な判断ではないでしょうか。

 イスラエルの中にも、パレスチナへの入植を止めて、パレスチナの人々と手を打ち、後の国の安全は世界の国々の支持に任せていったほうがベターではないかというグループも居るのではないですか。
 
 尤も、平和の世の中でも、やっぱり動物の本能に基づく熾烈な経済戦争はあるわけで、人の世は、涅槃寂静とはなかなか行かないわけですが。
 


 
 

em5467-2こと恵美 | 2009年12月17日 12:51 様

いつもながらのご健筆に感服!

言わずと知れた悪の総本山、「英米(イスラエル)覇権を企むネオコン」たちこそが
世界史に残る戦争の極悪仕掛け人たち。

極悪人を滅ぼす印籠は善良な市民の心の中に永遠に存在し、
智慧と世界の市民の一致団結こそが何よりの武器なり!!!

 鳩山さんもオバマさんとは適当な距離をもってお付き合いした方が無難なようです。
 アメリカには駐留なき安保を長期目標として宣言し、何(10~20)年後かの実現を目指すとしましょう!

オバマ大統領が実際に何を発言したのか。演説の中から気にかかった部分を抜き書きしておきます。彼が置かれている立場、状況を冷徹に考えなければならないと念じています。

「我が国は依然、戦争状態にある。そして私自身は数千の若いアメリカ人たちを遠く離れた戦地に送り込む任務に責任を負っている。彼らのなかには殺す者もいれば殺される者もいる。だから私は、武力紛争によって生じる犠牲を痛切に感じながらこの場に来ている」「正しい戦争(just war)という概念は、一定の前提条件を満たした場合にのみ正当化される。すなわち、戦争が最後の手段か、あるいは自衛のための戦争かという場合にのみ。さらには、武力が必要以上に行使されず、可能な限り、市民が暴力から救われるのであれば、正当化される」「歴史の大部分において、この正しい戦争という概念はほとんど観察され得ない」「我々は正しい戦争と正しい平和についての新しい考え方を求められている」「我々はまずは、我々が生きている時代にあっては、武力紛争を根絶することは不可能だという辛い真実を認めることから始めなければならない。一国を通じてであろうと複数国を通じてであろうと、武力行使は、必要であるばかりか、道徳的にも正当化されることがあることを国民が認識する時代がくる」「私は、数十年前にこの同じ式典でマーティン・ルーサー・キング牧師が述べたことを心に留めながらこの演説を行っている。『暴力は恒久平和を決してもたらさない。暴力は社会問題を解決しない。暴力は単に新たなより複雑な暴力を生み出すだけだ』と彼は述べた。キング牧師の生涯の仕事から薫陶を受けたお陰でこの場にいる人と同じように、私も、非暴力の道徳的な力の生き証人のひとりである。ガンジー師やキング牧師の信念や生涯には、何ひとつ弱さや消極的なところやナイーブな点がないことを私は知っているつもりだ」「けれども、自国民を守ることを誓った国家元首として、私は歴史の先例にのみ従うことはできない。私は生身の世界(the
world as it is)に向き合っているのであり、アメリカ国民が脅威に直面している時に、惰眠をむさぼっているわけにはいかないのだ。間違えないでほしい。悪(evil)は世界に存在している。非暴力運動はヒトラーの軍隊を押しとどめることができなかった。アルカイダの指導者たちに交渉を通じて武力行使を控えさせることは不可能だ。武力は時によって必要だと言うのは、シニシズムに陥っているからではない。これは歴史による知見であり、人間が不完全であること、理性には限界があるがゆえのことがらである」「私がこの点を指摘するのは、今日、多くの国々において、どのような大義に基づくものであろうと、軍事行動についての評価に深いためらいがみられるからだ。時折、このためらいは世界唯一の軍事的超大国アメリカに対する猜疑心を伴っている」「しかしながら世界は次のことがらを記憶すべきである。第二次大戦後の世界の安定をもたらしているのは、単なる国際機関などではなく、(条約や宣言ではなく)、どのような間違いを犯していようが、次のような単純明白な事実にあるのだ。すなわち、アメリカ合衆国こそが世界の安全を助長・保障し、60年以上にわたって、世界の安全が、アメリカ市民の血と強靭な軍によってあがなわれてきたという事実である」「戦争という手段は平和を維持するにあたって一定の役割を確かにもっている。しかしながらこの真実はもうひとつの真実と共存しなければならない。すなわち、どのように正当化されようと、戦争は人類の悲劇であることは間違いないという真実とである」「私はなぜ戦争が不人気なのかを理解している。だが、次のことがらも認識している。すなわち、平和が望ましいという信念が十分に達成されたことは稀でしかない。平和は責任を伴う。平和は犠牲を伴う」「武力が必要な場所において、我々は、確かな行動規範に従いながら、道徳的、戦略的な関心を打ち立てる。そして、法に従わない邪悪な敵と対峙している時でさえ、アメリカ合衆国は戦争行為における規範を順守する者であり続けなければならないと私は信じている。そのことこそがアメリカを、戦っている相手とは異なる立場に置いているのであり、そのことこそが強さの源泉なのである」
(以下略)

日本の大戦前は国民の政治関与が徹底的に抑えられてきたし、暴力的懲罰さえ与えられてきた。

過去の歴史の教訓として、戦争への切符は主権国民の意向でなく、軍関連の官僚に握られ、誤った道を歩んできたのではなかったのでしょうか。

いつの世も戦争、暴力、武装拡充は憎しみの連鎖を生む以外に残るものは何もない。

威圧して覇権を握り、世界秩序安定に成功したかに表層的に見れる時代は終焉を迎えている。世界合意の新たなフレームが必要になっているのである。

戦争では尊い命が失われていくだけである。

何の解決にも導かれないことは歴史でさんざん学んできたはずである。

ここに必然的に、議会制民主主義のもとでは国家の政治は官僚主導でなく、政治家が主権国民の意向を反映させていくことである。

しかし、中央集権体制では市民の意向から乖離し易く、反映されにくいものとなってきた。市民意向が政治に反映されやすい真の地方主権の実現こそが喫緊の課題といえる。

これは世界共通の課題といえるのではないでしょうか。

明日香様 | 2009年12月18日 12:20

 素晴らしいコメントですね。
鳩山首相、小沢幹事長及び高野さんの説く地方主権の意味全くそのとおりでしょう。

 

金平茂紀さん | 2009年12月18日 11:38

再度のご寄稿、その前の翻訳作業に、御礼申し上げます。
お陰様で、オバマ大統領の「正しい戦争」発言への多くの誤解が解けたものと期待しますが・・。

1.私は、オバマ氏が大統領候補の時代から、その政治姿勢に「高邁さや志の高さ」を観ていて、過去一年以上に亘って信頼と尊敬の「根本部分には」揺るぎなく現在を迎えている者です。国際政治には勿論、国内政治の当事者ではない、単なる市民という気軽さはあるにせよ・・、「世界に余人を以っては代え難い」人物だと。私は、同大統領が「世界に対する犯罪者」という形容詞がついている前職G.W.Bushと比較されるだに、同情しています。
将来は不明ですが・・当然ながら。

2.参加者のコメントの多く(例外はある)を読ませて戴いて、
1)現実という足枷が皆無の状況から「如何なる戦争も悪」という真理または理想の視座(それはそれで重要です。)から、
2)「悪が現実に存在する」という現実に足を枷られてまたアメリカ国民への重大な国家責任という現実から逃げる術のない「政治的決断」を、
3)同列に並べて議論をすることの空虚を感じました。「良き政治家」の宿命とはいえ・・。

尤も、オバマ大統領が「悪」と名指しした者達は、過去数代の大統領、数十年に亘る欧米のアラブ諸国に対する専横と横暴の歴史に照らすと、単純に「悪」と極め付けるのは明らかに「間違い」だとも思いますが。但し、オバマ大統領はこの点も踏まえて、現実的に且つ政治的に「正しい戦争」を謳い、「事態打開のために」「前進すること」を選択したのだと確信します。

3.端的に言って、日本が軍事侵略を受ける現実に曝された際に、軍事的に反撃することは「正しい戦争」であることに、異存のある日本国民は稀有なのではないだろうか?
(「侵略を受けないために、常日頃の緊密友好的な外交関係が大切だ」という議論ではなく・・。)
この国は、憲法9条継続を掲げる政党が政権の一角を占めている国家なのだが・・。

赤虎頭巾さん

「高野さんの説く地方主権」の在り方を,具体的にわかりやすく説明してください。私には,その内容が理解できませんので。お願いします。

明日香さん

(1)「議会制民主主義のもとでは,国家の政治は」「政治家が主権国民の意向を反映させていくことである」

しかし,政治が(2)「中央集権体制では,市民の意向から乖離し易く、反映されにくいものとなってきた」ので「市民の意向が,政治に反映されやすい真の地方主権の実現こそが,喫緊の課題といえる」

あなたの主張する「戦争への切符が,主権国民の意向」によるものとなる,という事が,上の(1)と(2)がどう繋がって,可能となるのですか。理解できませんので,ご説明願います。

正しい戦争など、ありはしません。仕方ないから、戦争するんです。欲しいから、やるんです。
「悪は存在する」ことは、確かです。
しかし、彼らはなにをもって「悪」の評価を行うのか。
自らの行動を、邪魔するものが「悪」なのか。
「悪」を生み出したものは、「悪」ではないのか。

「正しい戦争というのは、一定の条件を満たした・・・・・以下省略」
広島・長崎は、この文意で正当化してきた。

ヒトラーと、オサマ・ビン何がしを同一の基準で扱う態度こそ、アメリカの正体で、その周辺国の論法だ。

今回の「平和賞」受賞は、誤りであり、ノーベル平和賞などというものは幻想だ。
幻想と言うより、白人社会が、常に身にまとっているよろいを隠すための法衣だ。

<山口七郎様>
<明彦様>
レスありがとうございます。
まあ、オバマはブッシュよりはマシなのだけれど、彼にも妻子があり、戦争ビジネスに背を向ければ、文字通り命の危険もありますからね・・・。
日本は、アメリカにお付き合いするのではなく、自らの意思としてアラブにコミットして欲しいし、アメリカの国力が落ちた今、民主党政権だからこそできる事を行って欲しいと祈念しています。(田中角栄のDNAですかね。石油利権でアメリカメジャーの虎の尾を踏んだ田中角栄の無念を晴らす時です!小沢さん)

良心派様 | 2009年12月18日 16:35
 ご質問有難う御座います。

 高野さんがどういうご見解をお持ちかというのは、私の想像に過ぎない所ですので、正確かどうかはご本人に確認して頂かないと分からないのですが、これまで高野さんの論説を読んできたところでは、多分高野さんは、国家廃絶へのステップとしての地方主権を考えておられるのではないかと考えています。

 何処を読めば、そういう議論がでてくるんだということになるかとも思いますが、私がそうではないかと感じたのは、鳩山首相の所信表明演説に関する高野論説の次のくだりでした。
 以下引用しますと、「大変なことを鳩山は国民に求めている。「大きな政府か小さな政府か」というのは、政府はどれだけのことを国民にしてくれるのかという旧来型の発想の下での程度問題にすぎない。そうではなくて、地域住民である国民が自分の地域と国とアジアと世界をどうしたいのかがまずあって、中央と地方の政治家が出来ることはそれを政策立案や制度設計や立法技術のプロとして幇助することしか出来ませんよ、ということを言っているのである。」

 私の拙い考えでは、これはまさに国家の廃絶の一里塚です。

 そのときの地域住民に求められているのは、自分の地域、自分の国だけではなく、アジア、世界までどうしたいか、という広がりを持った、自立したあり方です。

 蛇足ですがその時小生はコメントに、吉本隆明さんの名をあげました。余り良い読者ではなかったのですが、40年程前に読んだ彼の本の中で出てきた「人間は考え始めると必ず、世界で最高のレベルまで自然に到達するものだ」という下りが、地方主権は、突き詰めていくと世界をどうするかというレベルまで上り詰めていくという考え方に一致しているなと思ったからです。

 予算と権限を地方に任せ、国家とかいった遠いところではなく、目に見える共同体、話のできる共同体の中で、教育や、警察、司法、行政、福祉等のいろいろな問題を解決していく、そういう地方自治体が力をつけていき、そのことが刺激になって、となりの国々もそういう方向に進んでいけば、遠い国家を経由すること無しに、直接、地方自治体同士で国境の垣根を越えて、人々が行き交い暮らしていくことが出来るのではないか。それはまさしく国家の廃絶です。

 私は高野さんの言う地方主権を、そういう流れの中で理解しています。

[赤虎頭巾]様 (2009年12月18日 18:51)

話がでかくなっちゃったですね。やめときますか。でも,ちょっとだけね。

確かに,吉本隆明氏は国家廃絶のあと,町内会レベルの共同体で十分,それが理想である,と言い切っていますね。私もそう思いますよ。結論はそういう事だな。

私は名古屋市長と市議会の関係をテレビで見ていて,あなたに訊いてみただけです。何とも大変だな,と思って。

早速ご回答いただいて,ありがとうございました。相手があなたみたいな人なら,喧嘩にもなりませんね。ご健闘を祈ります。

金平様
 オバマの演説内容を投稿されるなら、軍の最高指揮官であるオバマが指令しているアフガン戦争がどのようなものであるかを知らせて下さい。例えば、ネバタの基地に通勤している兵士がRemote-Controlled でアフガンの人々を殺戮し、夕刻には家族の団欒と子供の宿題をみてやれる幸せと、アフガンの殺された人々の子供たち、このアンバランスをどう思いますか?

投稿者: 赤虎頭巾 | 2009年12月18日 10:33 様

“イスラエルの中にも、パレスチナへの入植を止めて、パレスチナの人々と手を打ち、後の国の安全は世界の国々の支持に任せていったほうがベターではないかというグループも居るのではないですか。”

勿論その通りでありまして、どの国どの組織にも多く存在します。ですが、何故それがそうならないかと言えば、権力者の欲求の他に、国家や組織自体に自己防衛本能、拡大本能とでもいった性質があり、その制御が困難である事が一因としてあると考えます。日本にも最初の理念とは離れて、形骸化してしまっているものが沢山あるように。上の投稿では触れませんでしたが、イスラエル(モサド)の作戦には、軍事利用を目的とされる原子力施設の破壊や、戦争回避の為の作戦の方がより多くある事も付け加えておきます。それらを、生存本能に喩えた訳ですが、これまでの米国を喩えれば、欲望であると思います。一方、一歩後退したかに見えるオバマ氏ですが、峻険な山の頂上へは谷もあり、途中ビバークも必要でしょう。予め想定されていた事です。しかし、いまだ変わらず平和への道を歩んでいる事は間違いない。さて、我が国の鳩山首相、友愛の理念は良いのですが、残念ながら当方には、まだ、ナイーブさしか見えてこない…。正直に言うと何も期待しておらず、ナイーブであるがゆえに、その思いとは逆の結果を生み出さないかと、現状では心配だけがあるのです。

投稿者: 明彦 | 2009年12月18日 10:39 様の仰る“智慧と世界の市民の一致団結こそが何よりの武器なり!!!”
まさにその通りなのですが、奇しくも「武器」と表現されたように、使い方を誤れば字義通りになりかねない危険を孕んでいると考えます。恒久的に平和を維持すると言う事は、当然、乱す者をただ武力で排除すれば良いというわけではありません。世界平和は、武力衝突を回避する努力を続け、突き詰めれば共存共栄する為の確たる仕組み作りでしか達成出来ないと思います。スローガンだけであったり、誰かを非難するだけでも駄目。言うのは簡単ですが、この困難さはCOP15の大混乱を見れば想像に難くない。日本は国際的な働きかけと共に、先ず始めなければならないのが、考える力を養成する学校教育。富国強民。高校無料化は良いが、中身が悪ければ意味が無い。具体的には長くなるので割愛。
だんだん話が逸れてきました。このへんで失礼致します。

万人にとって正しい戦争はない。
アメリカにとって、攻撃する側にとって、勝者にとっての正しい戦争と言うだけでしょう。
アフガニスタン、攻撃される側、敗者には、当然別の見方があると。

良心派 | 2009年12月18日 16:35様

お尋ね頂き有難うございます。多分、全ておわかりのことと存知ますが、舌足らの点もあったのかなと思い、再度、意見をまとめておきます。

半世紀以上続いてきた旧自民党政権を顧みて、今後の政治は、「議会制民主主義のもとで、国家の政治は官僚主導でなく、政治家主導で主権国民の意向を確実に反映させていくこと」および「地方の特徴を活かし、地域に根ざした市民の多様な価値観を認めた地方自治政策形成には中央集権体制ではムリ、ムダがあり、つまるところ、市民参加が容易な地方主権に移行せざるを得ない。すでに縦割り中央集権体制のムリ、ムダは露呈している。要するに特徴ある地方に根付く主権国民の意向を反映する政治を実現する理想的形態として地方主権があるといえる。

しかしながら、例えば外交や防衛等は国で総括すべき対象であり、地方主権には向かいないものもあるが、当然、国の恣意は許されず、主権国民の意向を無視することはできない。市民参加による地方主権が根付けば、市民意識も高まり、市民自治も自然と芽生え、派生的ではあるにせよ、外交、防衛政策形成にも市民意向が反映され易くなるのではと期待できる。

最後に「戦争への切符は主権国民の意向でなく、軍関連の官僚に握られ、誤った道を歩んできたのではなかったのでしょうか。」は、過去の官僚主導政治の最悪パターン例を示したものであり、誤解があるようですが、地方主権云々とは直接つながるものではありません。ただ、地方主権により主権国民の意向が確実に政治に反映されるようになれば、最悪パターンに至らない意志決定がなされ、回避されるであろうことが期待できるのではないでしょうか。


赤虎頭巾 | 2009年12月18日 12:54 様

稚拙なコメントにレス恐縮です。

地方主権への市民参加の関わりの程度は如何にあるべきか、関わりの各段階はいかにあるべきか、そして協働はどうあるべきか、市民協働の範囲をどこまでとするか等々、明確なものにするためには、未だ多くの国民的議論が必要だろうと思います。

総務省中心に侃々諤々とやっていることと推察していますが、ある段階から、公開討論形式で、国民も参加して、地方主権の有り様の議論に参加することが望まれます。

いずれにしても、多様で複雑化する現代社会において、地方の特徴を活かした合理的、公正な公共サービスの観点から俯瞰しても、制度疲労を起こしている中央集権制度を全面的に見直し、現在の国の部門をガラポンして、国には必要最低限を残し、殆どの部門は人、予算、権力ごと地方に移す再構築が問われており、まさに平成維新ものではないかと思います。

当然、市民の負担も重くなりますが、逆にそれだけやりがいもあり、役所だけでは出にくい市民の多様かつ斬新なアイデアが出て、地方の活性化にも繋がっていくのではと期待しています。

長くなりますので、この辺で。

 おはようございます。
かなり長くなりますが、ご容赦下さい。

★ 貧富格差が招く「正しさ」基準の相対化 ★

 今、COP15で、主に先進国と発展途上国との間で、規制義務化をめぐって激しい議論が戦わされている。どうやら米国と中国、とりわけ中国の頑なな態度が合意を阻んでいるようだ。

 富裕国生活水準(中国富裕層も含む?是)と貧困国生活水準(日本国OECD指摘貧困庶民も含む?非)の格差を知りつつ、富裕国国民はその生活を享受し続け.る。貧富の差は自立自尊の結果であって、豊かな生活の享受は権利であると嘯きながら、自らが語る「正しさ」の「正しさ」を主張する。

 全ての命は大切と言いつつ、自らや自らの家族の命を脅かされれば、敵対者の命を奪うことは厭わない。全ての命が大切なわけでは無いのなら、どの命が守られるべきか、どの命が奪われるべきかを明確にすべきである。その判断基準を与える一つが宗教であり、宗教は貧困と偏狭から生まれた。宗教は、その貧しさや偏狭の共有を確認する、生きていく為の精神を維持する方便である。

 貧しい者が豊かな者に、急迫する生きる危機に救いを求めたとき、豊かな者が目を背ければ、貧しい者が生きる為には豊かな者から奪い取らねばならない。豊かな者達が知らぬ振りをして、自らの豊かな生活を維持する権利を振り翳すとき、「正しさ」の相対化が顕在化する。貧しい者達の全てが生き残らなくとも、せめて貧しい者たちの家族・同胞の幾らかが生き残ることを願い、貧しい者達の先兵は、自らの命を擲って、豊かな者達から生きる糧を奪い取る、命を懸けた戦いを挑む。一つの戦争形態である。それぞれの「正しさ」の「正しさ」が問われる瞬間である。

 双方の「正しさ」を相対化し、優劣を判断しようとするなら、より上位の価値観が必要になる。風土や歴史によって培われた道徳・倫理観、生活習慣の違いによる肉体的異質性、様々な教育によって養われたそれぞれの先入観、・・・etc.、そういった異質な下位価値観を乗り越えて、より上位の価値観が創られねばならない。一方で、そのより上位の価値観が齎す、価値観の平準化による生物種人間の活力阻害の危険もある。人類異種ネアンデルタール人が絶滅して数万年、もはや人類はホモサピエンス1種になり、人類に限ってみれば、異種間競争は無く、今、主に男性生殖機能の低下が欧米・日本で顕在化し、人類内の多様性による生物的活力に危機が迫っているとも言われている。

 今、COP15で語られるテーマ、地球温暖化問題が、ひょっとしたら、新たな、より上位の価値観を、唯一の人類種ホモサピエンス、人間に与えてくれるかもしれない。しかし、議論の行くへによっては、それが先送りになり、更に視野を広げて、思索や検証、議論や確認が必要になるのかもしれない。その視野を広げた先には、漆黒の闇に浮かぶ、青く瑞々しい地球があり、命の源、太陽系、銀河系、宇宙がある。

☆ 新しい、より上位の価値観、『人間の存続』 ☆

 我々人間が生息する唯一の天体、地球は、速度約0.47km/s(赤道上、マッハ1.4に相当)で自転し、太陽の周りを速度29.8km/sで公転し、我が太陽系は我が銀河系中心周りに速度約220km/sで回転し、我が銀河系は隣接銀河相対速度約600km/sでほぼ北極星方向へ移動し続けている。太陽は誕生以来約46億年、地球誕生以来約44億年、地球上生命誕生以来約40億年、光、熱、高ネルギー粒子を放出し続け(それらの届く範囲はヘリオスフィアー)、我が地球へ、そこに生息する生命体存続の為のエネルギーのほとんどを供給し続け、太陽系外から降り注ぐ超高エネルギー粒子から我々生命体を保護するヘリオポーズ(ヘリオスフィアーとの衝突境界面)を提供し続けている。このヘリオポーズ内が我々地球上生命体の生命圏であろうと考えられるが、一説には、地球上生命体の元は、太陽系が周期約2億2600万年の銀河系公転中に遭遇した塵が齎したとも言われている。

 多くの人間は、人間数が地球上で養える許容数を間も無く越えようとする時、人為的に人間数を調整出来無いのであれば、人間は地球外惑星、太陽系外天体系などへ、生息域を広げるほか無いと、薄々気付いていると思う。また、太陽の有効な寿命が50億年強と見積もられている中、既に、約46億年が過ぎ、地球上生命誕生から39億年後のほんの少し前(数10万年前)に誕生したばかりの人間に、残された有余は高々数億年と知ったとき、人間は他の惑星系へ、その生息域を広げなければならないことにも気付くはずだと思う。

 我が銀河は、漆黒の宇宙の闇の中を移動し続け、ヘリオスポーズに守られた太陽系は、我が銀河系内を塵と遭遇しながら回転移動し続け、地球は木星や土星など大質量惑星によって太陽系外辺からやって来る小天体との衝突を避けながら、太陽の周りを回っている。地球内外にある放射線などが原因とされるDNAダメージにより、突然変異を繰り返し、変化し続けるウィルスや細菌が、何時、人間に牙を剥くかも知れず、地中マントル対流のちょっとした変化で起こりうる地殻変動や、気候大変動が何時人間を襲うかも知れず、幾度と無く絶滅の危機を齎した天体衝突が何時起こるかもしれず、人為による環境変化が、人間生存条件にカタストロフ的ダメージを生じさせるかも知れない状況下で、我々人間はこの地球上で生きている。今のところ、その狭い、地表付近を唯一の生息域としている人間は、これからやって来るだろう大きな困難に立ち向かい、生き延びる為に、『人間の存続』の志を一つにし、人間「同胞愛」を育んで、人間「同志の絆」を強固にし、知恵を出し合っていかなければならないのだと思う。

 人間は誕生以来、様々な自然現象を経験する度、それに慄き、怯むのではなく、好奇心を以って自然と正対し、自然の有様を知りたいと願い、論理や法則を見出し、哲学や科学を生み出し、冷静で論理的な考察を続けることによって自然への理解を深め、自然の活用方法を考案して生活の利便を広げ、この考察への、知への注力を拡大増強してきた。恒星の爆発と生成を幾度と無く繰り返すことによって生成された地球上の元素、物質を、はじめは石を、土を、大地の中の銅を、鉄を利用する術を発見し、身に付け、中性子星衝突以上の高エネルギー状態でしか生成し得ない金など、重い元素の利用法も身に付け、電気や磁気など目に見えないものを発見し、利用法を身に付け、等価原理を発見して原子力を獲得し、矛盾律に反する量子論を編み出して利用し、・・・etc.、また、草木火を利用し、獣魚を食することで脳を発達させ、動物を飼育し、植物を耕作し、それらを食料や道具として利用し、目に見えない発酵菌を利用し、様々な病と戦う中で病原を発見し、治療法を編み出し、人体構造を知り、人体機能や器質を解明し、遺伝子を発見して利用し、脳機能の量子論的過程を発見し、・・・、リーマン予想が宇宙真理解明の端緒になるかもしれないという示唆を与えた一人、物理学者フリーマン・ダイソン氏は「人間の進化形は、形の無い電磁体かもしれない」と語り、「人間はいずれ言葉を使わない、心同士、直接コミュニケーションが出来るようになるだろう」とも語っている。

 我々人間は、未だ、地球気候変動の詳細を知るに至らず、人間の心の動きの詳細を知るに至らず、更なる自然界探求と、その活用法の研究に暇が無い。それらのこと等を踏まえ、これからやって来るだろう大きな困難に立ち向かい、生き延びる為に、未来へ連続する『人間の存続』を共通の価値観とし、人間「同胞愛」を育み、人間「同志の絆」を強固にし、行動していかなければならないのだと思う。

 最後に、先のフリーマン・ダイソン氏の詩作を書いて終わりとします。(著作権を侵すかな?ゴメンナサイ)

「ガイアの時間を学ぶ」 フリーマン・ダイソン

もちろん宗教は、人生にとってこの上もなく重要なものです。
ただし、それを科学と混同してはいけません。
宗教と科学は、一つの宇宙をそれぞれ異なった窓から異なった角度で見る見方なのです。
二つを同時に見ることはできません。
時に宗教的に、時に科学的にと、分けて見る必要があります。
これはガイアについても同じことで、そこにも宗教的な側面と科学的な側面があり、それぞれが別々に働きながら、協力しあっているのです。

人類の未来を考える時、数千年の単位で考える方がずっと刺激的です。
どうなるかを断言することはできませんが、想像することはできます。
この小さな星にひしめき合っているより、この星を美しいままに保つため、そしてほかの全ての生物たちのためにも、人類は宇宙に移住してゆくのが一番いいと思います。
そしてそれは数千年内に実現されると思います。
脳の働きが科学的にも分かり始めた今、人間の心は急速に進化してゆくだろうと想像できます。
人は多分、言葉を介さず心と心の直接のコミュニケーションがごく当たり前になってゆくことは、ある意味ですばらしいことです。
人類が個人の枠を超えて、全体としてより大きな知性体となる可能性があるからです。
しかし、こういう進化の結果は、創造的であると同時に大変危険でもあります。

ガイアの一生は、私たちの一生よりも遥かに長く、既に30億年以上この美しい姿のままで生き続けています。
私たちが生き続けるためには、自分の一生だけでなく、数百万年の単位で動いている時間のことも学ばなければなりません。
私たちはどうあがいても、ガイアの大きな生命の一部であり、そのとてつもなくゆっくりとした生命の時間に合わせて生きざるを得ないのです。
その時間はあまりにも緩慢なので私たちには意識するのが大変難しい。
私たちの一生はあまりにも短いからです。
しかし、だからこそ私たちは、目にみえない悠久の時の流れがあることを知らなければならないのです。

この地球上に初めての生命が誕生した頃、「死」はまだ存在していませんでした。
バクテリアや小さな細胞は分裂こそすれ、寿命が尽きて死ぬということはなかったのです。
事故で死なない限り、彼らは永遠に生き続けました。
もちろんその頃はsexもありません。
生命がより複雑に高等になってゆくためには、いくつかの要素が必要でした。
その第一番目が「死」です。それこそが、未来と過去と違ったものになることを可能にしたのです。
過去の記憶が死に、全く独創的なアイデアが生まれることを可能にしたのです。
sexの誕生もとても重要です。
それは、様々な困難な問題の元凶でもありますが、同時に、生命が大きく多様化してゆくことを可能にしたものでもあるのです。
オスとメスが生まれ、それぞれ違った遺伝子を交換し、組み合わせることによって新しい生命を作るという仕組みは生命の進化の速度を速め、新しい種の誕生する可能性を大いに高めたのです。
地球上の生命がこれ程長く生きながらえて来たのは、極めてヴァラエテイーに富んだ多様な種を作って来たからで、もし多様化していなければ、一度の大災害で全生命が絶滅していたでしょう。
私にとって、多様性とは美とほとんど同じ意味なのです。
この地球がこんなにも美しいのは、生命の多様性のおかげです。
生命は、根本的に、多様化しようとする傾向があります。
環境の変化に柔軟に適応して多様化するのです。
宇宙に生命を拡げてゆくことは、宇宙を多様化してゆくということでもあります。
そのためには、宇宙環境に適応できる新しい生命体を作ることも必要であり、それは可能なのです。

「死」があるということは、とても幸運なことだと思います。
次の世代に生きる場を明け渡すことができるからです。
なぜ絶望するのですか。
希望を失うのは馬鹿げています。
希望は本当に重要なものです。
もちろん美しいことだけを期待すべきではありません。
世界は必ず悲劇的な側面を持っているし、それが現実です。
しかし、悲劇的あるからこそ希望もあるのです。


p.s. 今、イラン軍がイラク南部の油井を占有したというニュースを、NHKBS1アルジャジーラが伝えている。また、戦争なのか?いやはや・・・!

明日香様

「外交や防衛等は,国で総括すべき対象であり,地方主権には向かいない」

「戦争への切符」は「地方主権云々とは,直接つながるものでは」ない。

以上了解しました。その通りだ,と私も思います。

ただ「市民意識が高まり,市民自治が自然と芽生えると,派生的ではあるにせよ,外交,防衛政策形成にも,市民意向が反映され易くなるのでは,と期待」はできるかも知れませんね。

早速のご回答ありがとうございました。

 ばろんでっせ様| 2009年12月19日 07:22

 ”これからやって来るだろう大きな困難に立ち向かい、生き延びる為に、未来へ連続する『人間の存続』を共通の価値観とし、人間「同胞愛」を育み、人間「同志の絆」を強固にし、行動していかなければならないのだと思う。”

 触発されるところが大変多い、素晴らしい投稿ですね。 

 全くその通りなのですが、残念ながら、人間は未だ、「言葉を使わない、心同士、直接コミュニケーションが出来るようになる」ところまでは進化していません。
 それどころか、言葉を使ってのコミュニケーションすら、異なる国々に属する人々の間では勿論、同じ言葉を使う人々の間ですら、未だ充分にできないのが現状です。 
 共通の価値観、同胞愛の育成は、なかなか難しいでしょう。

 また、人間にとっては、”多様性とは美とほとんど同じ意味”であり、多様化しようとする”本能=傾向も同時にあるのでしょう。
 これは、個としての人間に刷り込まれた、生き続けたいという本能ではないでしょうか。
 他人より、良い生活がしたい、良いものがほしい、より美しくありたい、より強くありたい、そして自分の遺伝子を残したいという個としての本能が働いているのかもしれません。

 この本能は、積極的に、共通の価値観、同胞愛の育成を阻害する方向に働きます。
 ただ、これが無ければ種としてみた場合の人間の存続は、やはり殆ど不可能でしょう。
 多様性への欲求が無ければ、発見、発明、勤勉、改善等の進歩は生まれません。

 人間は自然のなすがままに翻弄され相変わらず、石器時代にとどまっていたことでしょう。

 或いは如何あがこうと、僅か5億年ほど後に太陽の寿命と一緒に、その寿命は尽き、私たちの子孫は、宇宙の塵となり、次の生命誕生可能な惑星を求めて、空間をさまよい続ける訳です。

 鳩山首相の「友愛」は、今の時代での国家とか、戦争とか言う馬鹿なものを廃絶し、より良く生き続けたいという人間の本能に訴えるものでしょうが、その支持率が落ちているのは、多様性を求める人間の本能が同じく働いているのかもしれません。 

 互いに否定しあう2つの本能に引き裂かれて、右往左往する、まことに、人間とは、ややこしいもので、とんでもない陥穽に落ち込まされた動物だと思います。 

 どうこの陥穽から抜け出すか、小生の拙い考えでは、小沢幹事長では有りませんが、仏陀の教えに帰るべきではないかと思います。

 ご存知のように、仏陀は菩提樹の下で結跏趺坐し、「中庸」の悟り、張りすぎた弦は切れるという悟りを開きました。

 片方の原理だけに入れ込むのではなく、矛盾する原理を同時に満たす道を行くというのが、この悟りの意味でしょう。 

 人間の同胞愛と多様性への欲求を同時に満足させる道。
 
 それは多分、鳩山首相が訴える、東アジア共同体の形成により、この地域の安全保障を担保し、同時に国境線に縛られない、厳しい、しかしそこに住む殆どの人々に様々な多様性の追及を可能とする市場を開くことだと思います。

 更に、地域主権の推進も一方では、地域の人々による共同体の創設で同胞愛の強化の方向に向かい、他方では、地域間の競争を誘発し(これは明示されては居ませんが必ず始まると予測します)人々の多様化の欲求を満たすものではないでしょうか。

 ばろんでっせ様、これは日本にとっては大変な変革ですが、EUは既にやっていることで、日本人の得意な追いつき追い越せの政治版です。

 小生は、鳩山首相、小沢幹事長の示すそういう方向こそが我々の今後進むべき道であると愚考いたしております。

正しいとかそうでないとかも意思に基づき創りだされた幻想でありましょう。意思は心によって創られている。
もしも煩悩がその心の主であったなら、自らの立場の正しさばかりを主張し他の主張を認めず自らを納得させうる悪のレッテルを張り、
派生煩悩により協賛者を増やし排除しようとする。これは、生存維持子孫維持の必要性から仕込まれた根本煩悩のなせる業であるかも知れません。

そんな業を背負いながらも心に宿る種々の煩悩を鎮め、あるいは消滅させる為に、人として生まれ修行に励み仏と成るとする思想との
乖離を覚えた「正しい戦争」思想でありましたが、様々な人の煩悩をも引受ざるを得ない立場への憐みも感じたしだいであります。

あと十日余りで今年も暮れます。今年生起した多くの煩悩を反芻し除夜の鐘の音に合わせ消化したいと願う今日この頃です。

 こんにちは。

  赤虎頭巾さん、コメントをありがとうございます。ご評価いただいた点については、大変恐縮です。ご意見いただいた点について、私の考えていることを、少し書かせていただきます。

∃ 「上位の価値観」の醸成について ∈

 私は、あるべき社会構造、世界観を導く先に「より上位の価値観」が生まれていくことを期待するのではなく、その社会構造、世界観を志す理念として、「より上位の価値観」を私が考える「より上位の価値観」を『人間の存続』にすべきか否かはさておいて(笑、先ずはじめに、「より上位の価値観」を提示するべきだと思います。「より上位の価値観」を提示し、その上でそれについての是非議論も含めて議論、思索、確認などを経る中で、その理論的強化と啓蒙をし、あるべき社会構造、世界観の具体化方策を研究し、視程内のプロセスを示し、皆で実行する努力をべきなのだと思います。

 そのような「より上位の価値観」は、私が思う『人間の存続』以外、今のところ知りません。偏に、私の不勉強によると思います。

∃ 鳩山氏が唱える「東アジア共同体構想」や「友愛」について ∈

 私は、社会荒廃の源泉は【無関心】にあり(マザー・テレサの言をヒントに)、『【無関心】への能動的対処』として和語に根差す【おもいやり】があり、他者の内部にまで立ち入って、「愛」も「憎」も含んだ他者に「【おもひ】を馳せる」意味で、この【おもいやり】が、キリスト教思想に根差す観念「愛」の相互行為としての「友愛」(フランス市民革命時、「fraternity」は団結を鼓舞する「同胞愛」の意味であった)より良いのではないかと、「共生」社会への考察を交えながら

< 「愛」について、「友愛」への異論 >投稿者: ばろんでっせ | 2009年5月19日 12:33
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/05/post_263.html#comment-14348

< 「愛」について、「友愛」への異論 2 >投稿者: ばろんでっせ | 2009年5月24日 06:12
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/05/96.html#comment-14488

< 「共生(きょうせい symbiosis)」≠「共生(ぐうしょう)」⊃「共生(ともいき)」 ? >投稿者: ばろんでっせ | 2009年8月27日 08:25
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/2009/08/post_11.html#comment-19050

・・・
などで書きました。

 その後、「新しい公共」、「地域主権」などのヒントを得て、考えを進める中で思い当たったのは、社会構成最小単位としての「家族」のあり方と町内会などの地域互助システムのあり方で、モデルケースとしての日本の近世社会、つまり、所謂「江戸時代」(江戸などの都市部だけではなく、地方各地も)の庶民生活(米国日本近世研究某女史の著書、明治維新前後に赴任した英米公使の日本国庶民観察記などに刺激を受けて)です。

 鳩山氏の言説では、「家族」への言及が殆ど無いように思え、伝統・歴史や宗教が地続きなEU地域(EU統合を画策する中で、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「fraternity」は団結を鼓舞する「同胞愛」の意味であったと思う)への関心に比べて、東洋や日本国の伝統・歴史への関心が薄いと感じています。

 以上のような観点から、今まで様々に試され、幾つかが継続している中、欧州とは全く異なる思想基盤を持つアジアで、上記のような思想背景を持つ理念に基づく東アジア枠組み構想、鳩山氏の「東アジア共同体構想」の実現は不可能のように思います。しかし、国際外交のリアリズムの中では、その実現可能性はあると思います。

 しかし、東アジア枠組みのあり方に止まらず、世界の社会構造から、身近に引き付けて家族のあり方まで、これからの社会構造のあり方全体については、未だ考えを纏めるところまでには至っていません。ある程度纏まりましたら、皆様のお許しを得られる範囲で、機会を得て書かせていただこうかなと、・・・希望します(笑。

∃ 「言葉」と「コミュニケーション」、「国家」、「多様性」などについて ∈

 「多様性」を意味付けるのは「差異」です。人間個々が異なる「機能」、つまり、所謂「性格」等に象徴される「心の作用」(副交感神経が無意識に司る内分泌作用や心拍、呼吸なども)と、「器質」、つまり、所謂「身体的特徴」(毛、瞳、肌の色、内外生殖器、臓器・・etc.の大きさや形も)をそれぞれ持つことと、育った風土、伝統、宗教、教育・・・etc.の「差異」などによって人間間の「多様性」を保っているのだと思う。

 「文字」ではなく「言葉」の「差異」は、これら人間の「差異」に基づくものであると考えられ、人類最後の同胞ネアンデルタール人絶滅の原因は、口腔蓋の高低差と気道の長短差による、主に母音発音不全に起因するコミュニケーション不足にあったとの指摘があります。つまり、人間個々の「差異」は、使用する「言葉」の「差異」を齎し、「文字」の採用などを含めて、地域や文化による社会の「差異」が生じ、・・・「部族」や「国家」と言われるものが創られていくのだと思います。

 従って、「言葉」、「国家」(西洋的価値観に基づき、本来、遊牧や狩猟などで生計を立てていた部族には馴染まない概念である「国家」を押し付けたとか、侵略地に無理やり「国家」を創ったとか、外的要因で成立した「国家」ものも含めて)は、人類、人間の「多様性」を担保する基本的概型であり、「多様性」が人間の生物としての生存活力を担保するものなら、その「多様性」は維持しなければならない、種々の「言葉」や「国家」は多様なまま維持、或いは、拡大しなければならないのだと思います。

 ユングが語った「シンクロニシティー」が、時間・空間的情報伝達作用であるとするなら、これも「コミュニケーション」の一つだろうと思いますが、フリーマン・ダイソン氏が語る「言葉」を用いない「コミュニケーション」とは、人間そのものが物質的形を持たない電磁体となって、その後の意志伝達手段、つまり、「コミュニケーション」を想定していると思います。物質的形を持た無い電磁人間集合体は、音媒体としての気体が存在しない宇宙空間で「コミュニケーション」するには、当然、電磁場への直接作用を電磁的にする以外無さそうです。「文字」については、伝達媒体が光、つまり、電磁場ですから・・・・「コミュニケーション」手段として活きる?? ゴメンナサイ、解りません(笑。

∃ 「より上位の価値観」と「多様性」について ∈

 生物として人間が持つ欲求、つまり、「本能」は、それ自体は多様な人間に共通のものでありながら、人間や状況に応じて多様に現れ、それぞれの「本能」テリトリーを交じ合わせて共存することによって、ぶつかり合うのは当然です。しかし、例えば、私が前投稿でお示しした『人間の存続』といった、換言すれば、『「本能」の存続』ともいえる価値観は、当たり前に個々の「本能」、つまり、個々の欲求を包含し、そのぶつかり合いも内包します。「より上位にある価値観」が理念として力のあるものなら、「多様性」からの阻害圧力を飲み込みながら、「本能」があるから起こる「多様性」故の「戦争」による悲嘆や歓喜の振幅を繰り返しながら、その先にある[希望]へ減衰振動しながら漸近して行くだろうと思います。

 そもそも、私が想定する「より上位の価値観」とは、既存の多様な価値観を包含して上位にあるのだから、既存の価値観の衝突によって起こる悲喜劇も受け入れ、より下位の価値観の正邪を断じ、その先にある希望を指し示すものでなければなりません。

 「そんなもんあるかいな?!」

と、訝る向きには

 「私は“ ある ”と信じています。」

と申し上げ、更に思索を重ねることをお誓いして(笑、この投稿を終わりにします。

約2時間待ちましたが、投稿が反映されませんので、リンクを外して投稿しなおします。
《THE JOURNAL》編集部の方には、前投稿が掲載可能であればそちらを掲載していただき、本投稿は削除していただきたいと思います。ご迷惑をお掛けしますが、ご差配をよろしくお願いします。


 こんにちは。

  赤虎頭巾さん、コメントをありがとうございます。ご評価いただいた点については、大変恐縮です。ご意見いただいた点について、私の考えていることを、少し書かせていただきます。

∃ 「上位の価値観」の醸成について ∈

 私は、あるべき社会構造、世界観を導く先に「より上位の価値観」が生まれていくことを期待するのではなく、その社会構造、世界観を志す理念として、「より上位の価値観」を私が考える「より上位の価値観」を『人間の存続』にすべきか否かはさておいて(笑、先ずはじめに、「より上位の価値観」を提示するべきだと思います。「より上位の価値観」を提示し、その上でそれについての是非議論も含めて議論、思索、確認などを経る中で、その理論的強化と啓蒙をし、あるべき社会構造、世界観の具体化方策を研究し、視程内のプロセスを示し、皆で実行する努力をべきなのだと思います。

 そのような「より上位の価値観」は、私が思う『人間の存続』以外、今のところ知りません。偏に、私の不勉強によると思います。

∃ 鳩山氏が唱える「東アジア共同体構想」や「友愛」について ∈

 私は、社会荒廃の源泉は【無関心】にあり(マザー・テレサの言をヒントに)、『【無関心】への能動的対処』として和語に根差す【おもいやり】があり、他者の内部にまで立ち入って、「愛」も「憎」も含んだ他者に「【おもひ】を馳せる」意味で、この【おもいやり】が、キリスト教思想に根差す観念「愛」の相互行為としての「友愛」(フランス市民革命時、「fraternity」は団結を鼓舞する「同胞愛」の意味であった)より良いのではないかと、「共生」社会への考察を交えながら

【News Spiral】(5/20)高野論説:鳩山民主党は「小沢院政」批判に惑わされるな!——戦術的後退と戦略的前進
< 「愛」について、「友愛」への異論 >投稿者: ばろんでっせ | 2009年5月19日 12:33

【News Spiral】(5/20)高野論説:鳩山民主党の原点をどこに求めるべきなのか?——96年旧民主党の結成宣言とその背景
< 「愛」について、「友愛」への異論 2 >投稿者: ばろんでっせ | 2009年5月24日 06:12

【Commons】(12/3) 平野貞夫:「友愛と共生社会」の実現へ(8)── 友愛と共生の社会づくりの理念
< 「共生(きょうせい symbiosis)」≠「共生(ぐうしょう)」⊃「共生(ともいき)」 ? >投稿者: ばろんでっせ | 2009年8月27日 08:25

・・・
などで書きました。

 その後、「新しい公共」、「地域主権」などのヒントを得て、考えを進める中で思い当たったのは、社会構成最小単位としての「家族」のあり方と町内会などの地域互助システムのあり方で、モデルケースとしての日本の近世社会、つまり、所謂「江戸時代」(江戸などの都市部だけではなく、地方各地も)の庶民生活(米国日本近世研究某女史の著書、明治維新前後に赴任した英米公使の日本国庶民観察記などに刺激を受けて)です。

 鳩山氏の言説では、「家族」への言及が殆ど無いように思え、伝統・歴史や宗教が地続きなEU地域(EU統合を画策する中で、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「fraternity」は団結を鼓舞する「同胞愛」の意味であったと思う)への関心に比べて、東洋や日本国の伝統・歴史への関心が薄いと感じています。

 以上のような観点から、今まで様々に試され、幾つかが継続している中、欧州とは全く異なる思想基盤を持つアジアで、上記のような思想背景を持つ理念に基づく東アジア枠組み構想、鳩山氏の「東アジア共同体構想」の実現は不可能のように思います。しかし、国際外交のリアリズムの中では、その実現可能性はあると思います。

 しかし、東アジア枠組みのあり方に止まらず、世界の社会構造から、身近に引き付けて家族のあり方まで、これからの社会構造のあり方全体については、未だ考えを纏めるところまでには至っていません。ある程度纏まりましたら、皆様のお許しを得られる範囲で、機会を得て書かせていただこうかなと、・・・希望します(笑。

∃ 「言葉」と「コミュニケーション」、「国家」、「多様性」などについて ∈

 「多様性」を意味付けるのは「差異」です。人間個々が異なる「機能」、つまり、所謂「性格」等に象徴される「心の作用」(副交感神経が無意識に司る内分泌作用や心拍、呼吸なども)と、「器質」、つまり、所謂「身体的特徴」(毛、瞳、肌の色、内外生殖器、臓器・・etc.の大きさや形も)をそれぞれ持つことと、育った風土、伝統、宗教、教育・・・etc.の「差異」などによって人間間の「多様性」を保っているのだと思う。

 「文字」ではなく「言葉」の「差異」は、これら人間の「差異」に基づくものであると考えられ、人類最後の同胞ネアンデルタール人絶滅の原因は、口腔蓋の高低差と気道の長短差による、主に母音発音不全に起因するコミュニケーション不足にあったとの指摘があります。つまり、人間個々の「差異」は、使用する「言葉」の「差異」を齎し、「文字」の採用などを含めて、地域や文化による社会の「差異」が生じ、・・・「部族」や「国家」と言われるものが創られていくのだと思います。

 従って、「言葉」、「国家」(西洋的価値観に基づき、本来、遊牧や狩猟などで生計を立てていた部族には馴染まない概念である「国家」を押し付けたとか、侵略地に無理やり「国家」を創ったとか、外的要因で成立した「国家」ものも含めて)は、人類、人間の「多様性」を担保する基本的概型であり、「多様性」が人間の生物としての生存活力を担保するものなら、その「多様性」は維持しなければならない、種々の「言葉」や「国家」は多様なまま維持、或いは、拡大しなければならないのだと思います。

 ユングが語った「シンクロニシティー」が、時間・空間的情報伝達作用であるとするなら、これも「コミュニケーション」の一つだろうと思いますが、フリーマン・ダイソン氏が語る「言葉」を用いない「コミュニケーション」とは、人間そのものが物質的形を持たない電磁体となって、その後の意志伝達手段、つまり、「コミュニケーション」を想定していると思います。物質的形を持た無い電磁人間集合体は、音媒体としての気体が存在しない宇宙空間で「コミュニケーション」するには、当然、電磁場への直接作用を電磁的にする以外無さそうです。「文字」については、伝達媒体が光、つまり、電磁場ですから・・・・「コミュニケーション」手段として活きる?? ゴメンナサイ、解りません(笑。

∃ 「より上位の価値観」と「多様性」について ∈

 生物として人間が持つ欲求、つまり、「本能」は、それ自体は多様な人間に共通のものでありながら、人間や状況に応じて多様に現れ、それぞれの「本能」テリトリーを交じ合わせて共存することによって、ぶつかり合うのは当然です。しかし、例えば、私が前投稿でお示しした『人間の存続』といった、換言すれば、『「本能」の存続』ともいえる価値観は、当たり前に個々の「本能」、つまり、個々の欲求を包含し、そのぶつかり合いも内包します。「より上位にある価値観」が理念として力のあるものなら、「多様性」からの阻害圧力を飲み込みながら、「本能」があるから起こる「多様性」故の「戦争」による悲嘆や歓喜の振幅を繰り返しながら、その先にある[希望]へ減衰振動して漸近して行くだろうと思います。

 そもそも、私が想定する「より上位の価値観」とは、既存の多様な価値観を包含して上位にあるのだから、既存の価値観の衝突によって起こる悲喜劇も受け入れ、より下位の価値観の正邪を断じ、その先にある希望を指し示すものでなければなりません。

 「そんなもんあるかいな?!」

と、訝る向きには

 「私は“ ある ”と信じています。」

と申し上げて、この投稿を終わりにします。

「ばろんでっせ」さん | 2009年12月20日 14:56

お久し振りです。
申し訳ないですが、ご投稿の末尾部分だけに着目して反応を申し上げます。
私も「より上位の価値観は存在する!!」と申し上げます。今日現在に於いて其れが存在するかどうかは未確認ですが、人類の歴史は価値観を改め高める軌跡であると確信する故に・・。

私が最近使っている比喩「より広く大きい土俵」は二次元ですが、「より上位の価値観」は間違いなく複雑な三次元でしょうから、世界がその価値観の存在を知りその凄さを理解する前に、その価値概念を取り込んで公正さと健全性を装って軍事的影響力でトッピングすれば、「新しい世界秩序創り」を主導する可能性が出てくるでしょう。
哀しいかな、それは日本では有り得ない。
オバマ大統領は、核廃絶、NPT批准、グアンタナモ閉鎖、国際刑事裁判所制度の承認(言葉は違うかも?)などなど、国際社会の「より上位の価値観」に拘り続けて、それ故に苦戦していると観えます。

 おはようございます。

 (日本人を止めた)無国籍人 さん、お久しぶりです。またコメントをいただけて、とても嬉しいです。

 ご指摘いただいた点、その通りです。地表にへばり付いて対立を繰り返す既存の価値観ではダメですから、遍く人間の関心を外へ向け、その関心が長期持続的でなければ、偏狭を抱え込んで停滞する既存の価値観を包含するような「より上位の価値観」にはなりえないと思うのです。三次元的でなければなりません。

 その点、「地球温暖化問題」の齎す『人間の存続』を脅かす危機感は、それを創生する端緒になり得るような気もしますが、その問題への関心が、依然として地表の狭い地域に、偏狭を抱えた既存の価値観に根差し、互いにそれぞれの利害に固執することから逃れられないでいます。ヒマラヤ氷河が全融解したり、中国・インド・米国中部穀倉地帯が乾燥化、表層富養土喪失したり、同沿岸部水没しなければダメかも?

 一方、私は、周期的でありそうだとはいえ太陽活動の低下が齎す地球の寒冷化や、北極海塩分濃度低下による海水沈み込み減少が、温暖なメキシコ湾流北上を弱らせることによる寒冷化、・・・などの危惧も拭えず、「地球温暖化問題」への評価を定められていません。

 オバマ大統領が抱いているだろう危機感は、アジア、イスラム世界、EU地域が突きつける価値観相対化と、その相対化による米国の力の相対的減衰にあるように思え、ノーベル賞受賞演説における「正しい戦争」詭弁は、その焦りの現れであり、エゴイスティックなもののように思えます。短期的には、米国という重石が相対的に軽くなることによる、世界に及ぼす影響の方が少し心配です。その分を鳩山日本国が補えそうもないし(笑。

清志郎追悼番組、おもしろかった。
どうもありがとうございます。都立校文化
ですか。確かに以前はなんとなく匂いという
ものがありましたね。既製服がないのに、
わざわざ、「なんちゃって」制服を来ている都立高校生を見ると、建物は一緒でも別物だなと
感じながら、横を歩いています。都政のせいも
あるのでしょうけど。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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