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2009年12月31日

あと3時間で終わる2009年を回顧する

 「いいことばかりはありゃしない」。そう歌っていた忌野清志郎がこの世を去ったのは、09年の5月だった。そうだよな。「いいことばかりはありゃしない」。NYに住んで1年半になるが、先日、ちょっとだけ日本に一時帰国して日本の様子を垣間見て、本当にそういう気持ちがこみ上げてきてしまった。「いいことばかりはありゃしない」。日本の判断基準とは相当ズレているかもしれないけれど、以下が極私的2009年10大ニュース。

(1)オバマ大統領の就任と大胆な政策転換およびその挫折の始まり。米大統領の任期は4年。就任からまだ丸1年がたっていないことを考えると、オバマ大統領は果敢にチャレンジを続けているのではないか。だが、チェンジはそう簡単ではない。国民の価値感を変えるにはそれ相応の時間がかかる。医療保険制度改革や最高裁判事の人事、文化への理解・保護などで大きな転換が進んでいる。経済の立て直しはまだ先行きが見えない。そうしたなかで、戦争には「正しい戦争」もあるという価値感はオバマ自身のなかでも否定できないまま、ブッシュ政権から継承されている。

(2)「核なき世界」の理念をオバマ大統領が高らかに宣言したこと。4月5日の歴史的なプラハ演説のなかで、オバマ大統領は、実際に核兵器を(戦争で)使った国としての「道義的な責任」について初めて言及した。歴代のアメリカの大統領でここまで踏み込んだ表現をした者はいない。「唯一の被爆国」日本では、このプラハ演説が北朝鮮によるミサイル発射実験の直後だったことから、日本独自核武装を唱える論調まで自民党議員の中にあらわれた。そのようにして、ヒロシマ・ナガサキが記号にしかすぎなくなることを恐れる。

(3)日本の政権交代。それに便乗しようとする輩。それを否定しようするアンシャン・レジーム(旧体制派)。政権交代のポジティブな意味が急速に失われていくことと、日本の国際社会での地盤沈下が明らかにリンクしている。僕自身は、09年の民主党の圧勝は、自民党の壮大な自己崩壊であって、民主党への積極支持ではないといまだに思っている。現象的には05年の小泉郵政民営化選挙の裏返し。「AとA´の選択」であって、「AとBの選択」ではなかったのではないか、と。また、選択肢が2つしかないことは決して理想型ではない(二大政党制は欠陥だらけだ)と考えている。

(4)沖縄・普天間基地移転問題をめぐるメディアの混迷。この問題に関して、聞く前から答がわかっているようなかつてのブッシュ政権下のジャパン・ハンドラーたちに、すごすごとコメントを求めにいくこと自体の意味から、まず日本のメディア(僕らの仲間だ)は考えてみるべきではないのか。辺野古移転を実施しなければ「日米関係が崩壊する」といったドウカツ的な言辞を疑ってみたこともない人々は、ある意味で、前項のアンシャン・レジームの一員ではないのか。

(5)読売新聞の核密約文書現存のスクープ(12月22日夕刊)。同紙社説が密約問題にどのようなスタンスをとっていようとも、これはれっきとしたスクープだった。この密約文書の現存の意味を的確に評価しなければならない。非核三原則の提唱でノーベル平和賞を受賞していた佐藤元首相が、三原則に明らかに抵触する規定を「密約」の形で文書化していた事実は、非核三原則の有名無実化に自らが関与していたことを示す。密約文書のなかに明記されていた「現存の核兵器貯蔵地」のなかに辺野古があることに留意しなければならない。辺野古は特別な意味を持っていたのだ。今後、他の密約文書の「現存/破棄」をめぐる調査が行われるべきである。蓋をしてはならない。歴史的公文書の破棄は明らかに刑事犯罪を構成するのだから。

(6)主要メディアのエディトリアルの劣化、代替メディアとの不毛な競合。外からみていると、クサナギ君報道やのりピー報道が連日、一斉に横並びでテレビのトップ項目を張り続けるエディトリアルのセンスは異様にうつった。ありていに言えば、もっと大事なことがあるだろう、ということ。報じるな、と言っているのではない。それがニュースという公的な情報空間で、最も重要という評価が編集過程で行われ、取材のための相当のエネルギーが注がれた事態について、少数でも自覚的であるメディアがなかったのか、という思いが残るのだ。

(7)日本の外からみていると、最高裁のビラまき有罪確定判決とか、警察による写真家・篠山紀信の撮影行為(1年以上前の)に対する一斉家宅捜索など、何だか日本がどんどん「警察国家」の方向に突き進んでいっているようにみえること。また、それに対してメディア・表現者・知識人らの側から強い抗議・疑問の声があまり出てこない状況。同じことがアメリカで起きたら、確実に大きな表現の自由論争になると思うので。ああ、それから一時帰国して気づいたけれど、駅の構内とか道路とかにゴミ箱がないのはとても異様だ。オウム事件(1995年)以降、こんな状況が常態化しているのはおかしい。おそらく公共空間にこんなにゴミ箱がない国は日本が突出しているんじゃないだろうか。

(8)リアリティ・テレビが本当のリアリティ=現実を侵食する出来事が頻発したこと。10月、コロラド州のバルーン少年事件の両親は、狂言を働いた動機として、世の中の注目を引きつけて、リアリティ・テレビの出演者の契約を有利に進めたいと考えていたという。この両親は「ワイフ・スワップ」という異なった家庭間の主婦入れ替わりゲーム番組の出演者で、番組終了後に地元で一躍脚光を浴びた。11月24日、ホワイトハウスの公式晩さん会に、招待客を装って侵入した夫妻は、ホワイトハウス内でオバマ大統領、バイデン副大統領らと握手を交わし堂々と記念撮影をして帰宅した。いわば、電波少年がアポなしで宮中晩さん会に入り込んで、ちゃっかり記念撮影までしてきたようなものだ。これを「病理」と片付けるのはむしろ簡単だが、これがアメリカ大衆文化の基層の一部をなしていること。アンディ・ウォーホルの「15分間の名声」は真実を言い当てていた。

(9)松井秀喜選手のワールドシリーズMVP。パレードも見に行きましたよ。

(10)アメリカ国内で、新聞社がどんどん潰れていって、新聞という媒体がいよいよ生き残りをかけた最終局面に入りつつあること。アメリカのメディア絡みで言えば、CNNがケーブル・ニュースの他局との関係でとうとう4位に凋落したことも大きなニュースだった。

 さて、2010年のアメリカはどのような年になるのか。日米関係は、この年がちょうど改定安保50周年の節目にあたる。ものごとも根本を考えるにはまたとないチャンスであろう。そのためには日米関係の真実の姿を直視しなければならない。直視するのにどのような困難がともなおうとも。THE JOURNAL読者の皆様、よい新年を!

2009年12月17日

「正しい戦争」はアメリカの専売特許?

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↑ 反戦派のデモ

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↑ 反戦派のデモ

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↑ アメリカから参加したシンディ・シーハンさん

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↑ オバマ夫妻の滞在ホテル前では身動きとれず(いずれも筆者撮影)

 ノルウェーのオスロで開かれたノーベル平和賞授賞式では、さまざまなことを考えさせられた。特に、オバマ大統領が受賞演説で述べた内容は、「正しい戦争」という概念の容認、世界の安全保障を裏書きしているのは戦後60年以上にわたってアメリカだ、という一種の覇権国家宣言、キング牧師やガンジーの非暴力主義に対して、「この世界には悪が存在する」ことは現実なのだから、自分はアメリカ軍の最高司令官として、過去の先例なんかにとらわれないで物事を決めていく、と宣言したあたり、こころのなかに言いようのない感情が広がっていくのを認めざるを得なかった。だが、オバマに他にどんな選択肢が残されていただろうか。特にアフガンへの3万人増派を発表した直後というあのタイミングにあっては。それにしても、「正しい戦争(just war)」か。

 オバマ夫妻の滞在していたオスロのグランドホテル前の広場には、夜の7時頃に向けて大勢の市民たちが集まり始めて、バルコニーからのオバマ夫妻の「お出まし」を待ち続けていた。ホテルのベランダの窓越しに2人が現れて手を振るや否や、ものすごい歓声が沸き起こった。僕は、当日、プレスセンターでオバマの演説を聞いたあと、市内で行われていた反戦派市民らの抗議集会・デモの流れを追っていた。当日は、オバマ大統領の受賞を祝福する大規模な松明行進があり、それが先に記した抗議デモの一行とグランドホテル前広場あたりで合流したものだから、混沌とした空気が流れ、とてもシュールな光景が展開されているどまん中にいた。集まった市民は1万5千人くらい。反戦派のデモはそれでも千人以上はいただろうか。これらの反戦派の人々はおそらく1年前にはオバマ大統領誕生を祝福していた人々ではなかったか。集会には、アメリカから例の「反戦の母」シンディ・シーハンが来ていた。オバマの宣言した「正しい戦争」は、「オバマ・ドクトリン」と命名されて、今後さまざまな局面で引用されることになるだろう。

 ところで、ノーベル平和賞授賞式にちなんで、シティ・ホールにはさまざまなミュージシャンたちが招聘されて、素晴らしい演奏を披露していた。中国のピアニスト、ランランがショパンやリストを演奏したあたりはまだ予想できたのだが、エスペランサ・スポルディングがさっそうと登場してチェロを弾きながら歌い出したのにはまいった。オバマ夫妻は彼女のファンで、ホワイトハウスでも彼女は演奏したことがある。音楽に対するセンスがやっぱり新しい。

 ところでこれに付随して授賞式翌日にノーベル平和賞記念コンサートがオスロ市内のスペクトラムというスタジアムで開かれたのだが、そこに何とトビー・キースが来ていた。ええっ? 誰が呼んだのかは知らないけれど、ノーベル平和賞の趣旨と最も対極にいるカントリー歌手だろう。予想通り、彼は記者会見で、「大統領が悪をやっつけるために兵士を送らなければならないというんだから、俺は勝つために応援するだけだ、いったい何を謝らなくちゃならないんだ?」と発言していた。さらには、オスロのクラブで、ウィル・スミスらとラップの曲のステージに登場したトビー・キースは、アジア人に対する侮辱のサインをジェスチュアで示していた。その模様がYouTubeにすでにアップされている。

 何だかトビー・キースのノーベル平和賞コンサート登場は、悪いジョークのように思えるが、それ以上に、後世の人々が、オバマ大統領の「正しい戦争」スピーチを、このノーベル平和賞の歴史のなかでどう位置付けることになるのか。2009年のオバマ演説のなかでも、もっともずっと後を引きずる内容だった。

2009年12月 9日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(7)── オバマは第二のベトナム戦争の轍を踏むのか?

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↑ コロンビア大で講演するチョムスキー(筆者撮影)

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↑ ジョンの命日にストロベリー・フィールズに集まった人々(筆者撮影)

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↑ 陸軍ウエストポイント士官学校で演説するオバマ大統領(ホワイトハウスHPより)

 今日12月8日は、28年前にジョン・レノンが射殺された命日にあたる。お天気がいいので、マンハッタンのセントラル・パークにあるストロベリー・フィールドまで行ってみると、たくさんの人々が集まっていて、ジョン・レノンの歌を歌っていた。多くの花がたむけられていた。僕と同世代の人たち(つまり、おっさん、おばさん)に加えて、若い人たちも結構いるではないか。何人かがアコースティック・ギターを弾きながら、「レボリューション」「イン・マイ・ライフ」「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」などを達者に歌っていた。それに合わせて集まっていた人々も唱和していた。ジョンが生きていたら、現下のアメリカの状況をどのように歌っていただろうか。

 12月2日のプライムタイムに、オバマ大統領は、陸軍ウエストポイント士官学校で新アフガン戦略に関する演説を行った。オバマの演説は今年いくつも聴いてきたが、この演説ほど彼の苦境ぶりを示していたものはなかったように思う。医療保険制度改革に関する議会演説でさえ、まだ情熱に満ち溢れていた。だが今回の演説はそれとは違った。主張の柱は、できる限り早期に3万人の追加兵力をアフガニスタンに派遣することである。それと同時に2011年7月(つまり18か月後)から兵力の撤退を開始するという「出口戦略」も示された。増派と「出口戦略」が同時に発表されたこと自体に、オバマ政権の苦渋があらわれている。さすがにブッシュ時代のような、中東に民主主義を植え付けるためといった主張はなりを潜め、増派の目的は「米国の安全を確保するため」と明確に限定されていた。「(アフガン占領を試みた)ソ連や他の諸帝国とは異なり、アメリカはアフガニスタンを占領することに何の関心(利害)も持っていない」とオバマは言い切っていた。そして、戦争のスタート地点となった9・11同時テロの「そもそも論」から説き起こし、米国民の団結を訴え、アフガン戦争はベトナム戦争とは違うのだとしきりに強調していた。とりわけカルザイ現政権に対しては、「アメリカが白紙小切手を切っていた時代は終わった」と、強くけん制していた。

 けれども深い疑問が残るのだ。本当にアフガン戦争はベトナム戦争とは違うのか? つまり「戦争の大義」はあるのか? たかだか2万5千人と推測されるタリバン兵力と闘うために、結局10万人を超える兵力を、一応主権国家であるヨソの国に投入し、武力を行使することの根源的な意味(覇権国家としての定位)を、おそらくオバマ自身が最も知っているはずではなかったのか。イラクには10万を超える兵力が依然とどまっている。ベトナム戦争とイラク戦争は「まちがった戦争」で、アフガン戦争は「正しい戦争」か? 共和党(マケイン上院議員)や民主党中間派、そして何よりも軍の現場トップ(マクリスタル将軍)らからはこの新戦略を評価する反応が出た一方、チェイニー元副大統領らはアメリカの「弱さ」を露呈した演説と酷評している。注目しなければならないのは、オバマ政権誕生に力を発揮した草の根レベルの市民団体から失望の声が出ていることだ。ニューヨークタイムズのコラムニストらも「悲劇的な誤謬」(ボブ・ハーバート)、「3万の増派より3万の学校建設を」(ニコラ・クリストフ)といった論評が出ていた。来年の中間選挙や、2012年のオバマの再選の行方にも根本的な影響を及ぼす選択であることは間違いない。

 演説から2日後の12月3日に、コロンビア大学で講演を行ったノーム・チョムスキーは、アフガン戦争自体を「戦争犯罪」と言い切り、「殺されたくないのならば、まず彼らを殺すな!」と発言し聴衆からの大きな拍手を浴びていた。会場でチョムスキーの講演を聞きながら、正直に記せば、僕はチョムスキーの意見がアメリカ世論の大勢を代表しているとは思わなかったけれども、各種の世論調査では、アフガン戦争にこれ以上コミットすることに米国民が否定的であることも確かだ。アフガン戦争はオバマ政権の命取りになる恐れがある。

 その他にも疑問が残る。年間300億ドル(およそ2兆6千億円)にも達する戦費はどこから調達されるのか。「43カ国の広範な連合の支援」の内実はどうなのか? NATO諸国も増派には慎重だ。これまで増派数を明らかにしている国々は、ポーランド600、イギリス500、アルバニア85、チェコ100、スペイン200などだが、フランス、ドイツ、イタリア、フィンランドは数を明らかにしていない。それぞれの国内事情があるのだ。オバマの言うように合わせて5000という数字に届くのか。

 ホワイトハウスでJ・F・ケネディ以降の歴代の全大統領を取材し続けている大ベテラン記者ヘレン・トーマスは、「この戦争はベトナムに酷似している」と記してオバマ政権に強い警告を与えている。「オバマは若すぎるから、ベトナム戦争時代の国家の混乱状況を知らないだろうが、あの戦争では5万8千人以上の米国民と数千以上のベトナム人が死んだのだ。と同時に、あの戦争はリンドン・ジョンソン大統領の政治生命も終わらせ、1968年の再選出馬を断念させた」。「語られてはいないが、アフガン戦争とベトナム戦争のもうひとつの大きな共通点は、国民が、終わりの見えない戦争に、これ以上の兵員とお金をどんどん注ぎ込むことにうんざりしてきていることだ」(The Albany Times-Union 12月6日付ヘレン・トーマスの記事)。

 レーガン政権下で財務次官補をつとめたポール・クレイグ・ロバーツは、50年前のアイゼンハワー大統領の有名な「軍産複合体」批判演説を引き合いに出して、大統領となったオバマがもはや「軍事―安保複合体(military/security complex)」の操り人形にしか過ぎない、とまで述べている(Counterpunch.0rg 12月2日付Paul Craig Roberts)。

*      *       *       *

 僕は、1991年から94年までたまたまモスクワに駐在していた。ソ連という国がまだあった時代に赴任し、帰国した時はロシア共和国に変わっていた。そのソ連という国は1979年にアフガニスタンに侵攻した。11万8千人もの兵力を注ぎこんだ末に撤退し、完全撤退した2年後にソ連という国そのものが亡くなった。今回のアフガニスタン戦争に関する新戦略が、歴史の中でどのような位置づけをされることになるのか。皮肉なことに、2日後(12月10日)にオバマはオスロでノーベル平和賞授賞式にのぞむ。何というタイミングだろうか。ジョン・レノンの歌が目の前から聞こえてくる。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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