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2009年11月20日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(6)── 天皇へのお辞儀論議からみえる日米関係

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↑ オバマお辞儀を報じたLAタイムズのブログ記事

 オバマ大統領のアジア歴訪が終わった。この時点で書いておきたい材料は山ほどある。中国訪問でのオバマ大統領の人権問題への言及。上海でのインターネット規制批判発言。官製タウンホール・ミーティング(上海)の内情。質問を受け付けない北京での記者会見。気候変動問題の後退。アフガニスタン戦略の重大局面、そして沖縄・普天間基地をめぐってあぶり出された「化けの皮」等々。でも、ここでは外交問題になんかあんまり興味のない普通のアメリカ人の関心を引いてしまった一つのエピソードについて記しておこう。

 きっかけは、ロサンゼルスタイムズ(親会社のトリビューン社は破たんした)が掲載したブログ記事だ。「How low will he go? Obama gives Japan's Emperor Akihito a wow bow.(どこまで低く彼は頭を下げる気だい?オバマ、天皇アキヒトにびっくりのお辞儀)」との見出しで、オバマ大統領が11月7日に皇居を訪問した際、深々とお辞儀をしたことが不適切ではないか、との批判的な記事を掲載したことだった。まあ、このブログ記事自体、オバマ大統領のお辞儀以上に相当に低いレベルの記事だが、ご丁寧なことに、チェイニー副大統領(当時)が天皇を表敬訪問した時に、単に握手を交わしている写真やら、挙句の果てはマッカーサーと昭和天皇が並んでいる例の有名な写真まで掲載して、今回のオバマ大統領のお辞儀がいかに不適切であるかの旨をあれこれと披瀝していた。これをきっかけに、反オバマ陣営がにわかに活気づき、FOXニュースではウィリアム・クリストルが「アメリカの大統領たる人間が外国の連中にお辞儀をするなんて不適切だ」とぶちあげたほか、このところ凋落の激しいCNNでも、ジョン・キングの「State of Union」という番組で、超保守派コメンテーターのビル・ベネットが「醜悪で見るに堪えない」とコメントしていた。ついには、ディック・チェイニー元副大統領までが「Politico」紙にコメントして「オバマはアメリカの弱さの宣伝役を果たしている」と批判し、「アメリカの大統領は誰に対してであろうとお辞儀をする理由などない。我が国の友好国や同盟国はそんなことを望んでいないし、敵国はそれを弱さのしるしと見做すだけだ」と述べた。もちろん、オバマ側近たちは、大統領は単に訪問国の儀礼に従っただけで、善意を示す所作であり、それを政治問題化させることがどうかしているのではないか、と反撃をしている。すでにYouTubeにはこの際の映像がUPされているので確かめてみることも可能だ。正直に記せば、動画映像をみても、日本人である僕には、ことさら不自然なようには思えないのだが、一部のアメリカ人にとってはそうは映らないのである。これは典型的な文化摩擦の一例だと片付けることもできるが、このような反応がアメリカ国内で出たこと自体に大いに考えさせられるところがある。つまり、日米間に横たわる歴史認識の違いの機微に触れるところがあるのかもしれない、と僕は思うのだ。

 というのは、たまたまこの論議が持ち上がってから日を置かずして、ニューヨークタイムズ紙に、ある映画についての評論記事が大きく掲載され、日本の昭和天皇役の俳優(イッセイ尾形が好演している)に対して側近が深々とお辞儀するシーンの写真が大きく掲載されているのを目にしたからだった。「あれれ、何だか構図だけは似ているな」と。けれども内実は全く違っているのではないか、と。その映画とは、ロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』(2005年)である。この映画がようやく製作から4年たって、ここニューヨークで公開されているのだ(フィルム・フォーラム)。ひょっとして、オバマ大統領のお辞儀に対しての否定的な反応は、過去の日本の天皇制に対するイメージに起因している部分があるのかもしれない。それとも、単純にアメリカの保守層の「唯一の超大国」幻想の反映なのか。

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↑ ソクーロフ『太陽』についてのNYタイムズ記事

 日米関係が、今回のお辞儀論議でアメリカの一部陣営から出てきた「頭を下げるいわれはない」レベルにあるのなら、ましてや、沖縄の普天間基地移転問題など、日本側の意見など聞く必要さえないだろう。サンゴ礁の美しい自然が息づく海を破壊しようが、そこはアメリカではないのだから。あたまを下げるいわれはないのだろう。仮にアメリカ国内の自然の景勝地を、軍の基地建設で破壊しようものなら、このアメリカでは猛烈な反対運動が起きるだろう。裁判も提起されるだろう。大統領はアメリカ国民には頭をさげるかもしれない。だが、アメリカの大統領は国外の人々には誰にであっても頭をさげるいわれはないのだと「彼ら」は主張し続ける。そして、残念なことに、「彼ら」は、日米関係をハンドリングしている一群の人々のなかにも確実にいる。

 「オバマに2期目はない、彼はジミー・カーターの二の舞さ」。珍しく酒に酔いつぶれたアメリカ人が、カウンターの横で呟いているのを聞いた。ちなみに、ロサンゼルス・タイムズでオバマお辞儀を批判するブログ記事を書いたアンドリュー・マルコムという記者は、共和党の元副大統領候補サラ・ペイリンの新著「Going Rogue」に関する記事を書きまくっていて、「おまえはペイリンの宣伝係か?」と批判されている人物だ。

2009年11月16日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(5)── そのようにして沖縄にまた押し付けられるのか

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日米首脳会談の会食風景(ホワイトハウスHPより)

 オバマ大統領がアジアを歴訪中だ。今日、上海に着いたとの報道があった。アメリカ国内の報道は、一応は大統領の動向を伝えているが、やはり外国のこととなると心理的な距離ができるようで、国内のことの方が優先される傾向が強い。医療保険改革や失業増加に加え、9・11事件関連のの容疑者をNYの連邦裁で裁くことになったのでアメリカのメディアは大騒ぎしている。

 今回のアジア歴訪に向かうオバマ大統領の国内的立場はそれほど良好なものではなかった。直前にテキサス州フォートフッド陸軍基地で乱射事件が起きた。アメリカ国内の軍事基地で起きた事件としては最悪の規模のものだった。しかもアフガニスタンへの派遣を控えていたイスラム教徒の軍医(精神科医)が事件を引き起こしたことの深刻な意味合いは、いくら強調してもしすぎることはない。事件の被害者の追悼式典に出席するため、オバマ大統領はアジア歴訪の日程を一日遅らせた。アフガニスタン増派の規模をめぐって政権内でも意見の対立がある。経済の先行きも不透明で、医療保険制度改革も下院を通過したものの、まだまだ先は長い。支持率も徐々にではあるが下降気味だ。当選1年後の現実はやはり厳しいものがある。だが、それでもオバマ大統領は総じてアメリカ国民に支持されている。このことは動かない事実だ。

 そんな環境のなかで日米首脳会談が行われた。羽田空港に特別機で降り立ってから、オバマ大統領は駆け足でタラップを降りていた。それから3時間ちょっとで日米首脳会談にのぞんだ。90分間の会談だったという。会談後の共同記者会見の模様はホワイトハウスのホームページの動画でみた。最大の焦点であるとされた沖縄の普天間基地の移転問題は、いわば「先送り」の形で、ハイレベルのワーキング・グループを設置して早期解決をめざすとした。この場合「先送り」という言葉が適切かどうかはわからない。もともと首脳会談で決まるような簡単なテーマではないのだ。すべての国民が納得するような解決策はなかなか見出すのが困難なのだが、何といっても沖縄県民の意思が尊重されるかどうかが最も重要な点だ。県外移設の可能性をあくまでさぐって、一体何が悪いというのか。誰にとって何が不都合なのか? 政権が変わった。オバマ大統領も言っていたように、両首脳は変化を求める民意で選ばれた人物なのだ。だが、ハイレベルのワーキング・グループ設置とは実際は何を意味するのか。NYタイムズ紙はあけすけに、日本の新政権の「体面を保つための」方策にすぎないと記していた。

 決定的に重要なのはワーキング・グループの顔ぶれだ。これまで辺野古沖移転案を作ってきたその同じ面々が作業に携わるのであれば、結論が変わるわけがない。専門家を自称するワーキング・グループに丸投げすると結論は見えている。つまり、小手先の微修正のうえ、やはり辺野古へ。本当にそれでよいのか。ワーキング・グループの顔ぶれを変えなければ意味がない。基地がいったん建設されると、今後、数十年はそこに基地が現存することになるのだ。少なくとも、民主党政権よりは長く、基地は存在し続けるかもしれない。

 アフガン支援についての発表は、実質的に今後の日本の支援の方向性を決める重要な局面だった。つまり、軍事支援か民生支援か。インド洋上での給油活動を停止することを鳩山首相は明言した。代わって民生支援をJICAなどを通じて行う、と。職業訓練や警察官のサラリー支払いなどに今後5年で50億ドルを支援する。オバマ大統領もその支援の中身に感謝すると応じた。オバマ大統領が東京に到着する前の日に、ここNYのコロンビア大学で、JICAの緒方貞子理事長らを招いてのパネルディスカッションがあった。アフガニスタンと日本の二国間関係では実に1960年代から深い支援の絆があった。1965年には早くも政府事業としてカンダハルに水供給を行っている。緒方貞子さんの話す支援の中身は説得力を伴って耳に入ってきた。アフガン国営テレビ局への支援活動も復興に大いに役立っているという。アフガン国内にはすでに14の放送局があるのだという。「自衛隊によるインド洋上での給油活動を停めると日米関係はきわめて困難な状況になるぞ」と脅しまくっていた人々は、緒方貞子さんの言う支援の中身にこそ耳を傾けるべきではないか。

 日本を最初の訪問国に選んだことで「日本重視の姿勢のあらわれ」だとか、相変わらずの能天気なコメントが国内では聞かれたようだが、訪問の成果を吟味してみれば、そのような甘い考えは吹き飛ぶはずだ。気候変動やクリーンエネルギー分野での協力など総花的なステートメント部分への評価は割愛する。

 僕の耳に残ったオバマ大統領・鳩山首相の両首脳の言葉は、日米安保=日米同盟に触れた部分だった。来年2010年が日米安保改定から50周年にあたることに触れて、「日米同盟を深化させるため<新しい協議のプロセス>を進める」と述べていたことだ。<新しい協議のプロセス>? 聞き覚えがあった。オバマ政権への対日政策のアドバイザリー・グループの一人が2か月前に言っていた言葉がそのまま共同記者会見の文言になっていたのだ。だが、「日米安保が基軸」という位置付けだけでは、これまでの自民党政権と何の違いもない。また、後述するアジア政策の基調演説で、オバマ大統領が、アイゼンハワーが岸政権と取り結んだ改定日米安保条約を手放しで称賛するのを耳にしながら、自分の中で、ある種の幻想がすうっと消え去っていくのに気づいた。

In two months, our alliance will mark its 50th anniversary -- a day when President Dwight Eisenhower stood next to Japan's Prime Minister and said that our two nations were creating "an indestructible partnership" based on "equality and mutual understanding."  In the half-century since, that alliance has endured as a foundation for our security and prosperity.

 サントリー・ホールで開かれたオバマ大統領のアジア政策に関する基調演説は、奇妙な雰囲気に満ちていたようにみえた(少なくとも映像上は)。なぜならば、聴衆はアメリカ大使館などによって「選ばれた人々」だったからだ。オバマ大統領が好むタウンホール・ミーティングの形式ではなかった。奇妙な緊張感のようなものが漂っているようにもみえた。基調演説は、アメリカがアジア外交をいかに重視しているかを強調し、自らを米国初の「太平洋出身」大統領だと言明して、子供のころ鎌倉に来たことがあるというエピソードなどを披露していた。そこで語られていたことの大きなポイントは、中国重視である。詳述はしないが、G2時代の幕開けを十分に認識させるものだった。米中首脳会談後の記者会見に注目しよう。また、上海で行われる中国の若者たちとのタウンホール・ミーティングで一体どんなやりとりがあるのかも。サンントリーホールでの催しとはおそらく対照的なものになるのだろう。もっとも、これには日本のメディアにも責任がある。今回の訪日にあたって、しっかりとした仕掛けができなかったのだから。

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↑ サントリーホールでスピーチするオバマ大統領(ホワイトハウスHPより)

 今後の展望について。アフガン増派の規模については、東京の共同記者会見でオバマ大統領が示唆したように、アジア歴訪を終えてまもなく、1万人から4万人の規模のあいだで、その数が決められ、発表されるだろう。アフガン戦略の行方はオバマ政権にとって命取りになりかねない。泥沼化の懸念は全く消えない。米軍再編構想のなかで、沖縄の米軍基地の位置付けにいくばくかの変化が起きると、日米安保見直しと連動して、いくつかの出来事が起きてくるだろう。その意味でも普天間基地の移転問題はどれだけの時間をかけてどのような深さの検討作業が行われるのかが重要だ。

 「核なき世界」の理想実現のために、広島・長崎という被爆地訪問は、自分の任期中に実現すれば「名誉なことだ」とオバマ大統領は明言していた。大統領任期中にという意味は、あと3年のうちに、という意味と、とりあえずは受け取らなければならない。この問題は、実はアメリカの国内状況とも密接に結びついており、2010年の中間選挙の行方、2012年の再選が大丈夫なのかどうかで、かなり可変的な性格を帯びる。もうひとつは受け皿の問題、つまり鳩山政権があと3年は続いているかどうかにも大いに関係がある。アメリカ国内には、広島・長崎への原爆投下を「戦争を終結させた正当な行為」とする退役軍人らの根強い主張が生きながらえている。彼らを説得できる論理と安定的な国内基盤がなければ訪問実現には不安が残る。

 来月10日、オバマ大統領はオスロでノーベル平和賞を受賞する。「核なき世界」の理念は授賞理由の大きな柱になっていた。受賞の意味を無化させないために、オバマ大統領には、これから長い長いたたかいが控えている。それを見守っていこう。

2009年11月11日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(4)── 続・戦争国家

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追悼式でスピーチするオバマ(ホワイトハウスHP)

 テキサス州のフォート・フッド陸軍基地で今日(11月10日)行われた乱射事件の追悼式に出席したオバマ大統領は、犠牲になった13人の名前と経歴をひとりひとり読み上げて、「いかなる信念も、このような残忍で卑劣な行為を正当化しない。公正で愛情に満ちた神も、彼らを慈しむことはない」と言い切った。情緒的なスピーチだった。この場合の神は乱射事件を引き起こしたアシン容疑者の信仰するイスラム教の神、アッラーを指しているのだろうか。けれども演説のなかで触れられた犠牲になった13人の短い経歴を聴いていると、今、現在、アメリカで兵役についている人々がどのような人々なのかの一端を知らされて、複雑な思いに陥る。

 リバルド・エドゥアルド・カラベオ少佐。十代でアメリカに来た時にはほとんど英語を話すこともできなかったが、カレッジで勉強に励んで、ついには博士号を取得し、ストレスを伴う戦闘部隊の任務をうまく遂行するよう力を尽くしていた。妻と息子と養子の娘さんを残して逝った。

 フランチェスカ・バレス二等兵。コロンビア人の父親とプエルトリコ人の母親のあいだに生れた娘。彼女は近年は韓国とイラクで軍務についており、陸軍での軍務につくことを切望していた。彼女は第一子を妊娠中で、母親になることに希望を持っていた。

 ハム・ジオン一等兵。小さな子供のころにタイからアメリカにやって来た。夫であり父親であり、軍にいる兄弟と同じ道を歩んだ。なぜなら彼の家族は多くが軍役についていた歴史があるからだ。彼は最初の任地アフガニスタンに配置される準備をしていた。

 前々稿で書いたように、この事件は根の深い出来事である。単なる乱射事件にとどまらない、戦争国家のとしてのアメリカのありようを問うているのだ、と思う。だが、この事件のアメリカでの報じられ方の推移をみていると、やはり、またか、というパターンが見えている。何とかアシン容疑者を極悪非道の人でなしに仕立て上げなければ納得が行かないのだろう。FOXニュースなどは、信心深いイスラム教徒というイメージを破壊するのに、彼は近所のストリップ・バーの常連だったとか、奇行が多いとか、さらには、アルカイダと接触を図っていたなどと報じている。週刊朝日の山口編集長がその昔、9・11直後のアメリカで取材した際に、主犯格のモハメド・アタがストリップショーに通っていたというガセ情報に米メディアが飛びついていたことに「いやあ、驚いたですねえ。間違っていても彼らは全然訂正しないんですよ」と話していたことを昨日のことのように思いだす。イスラム教徒の兵士が危ない、という心証がアメリカ社会全体に広がると、軍内部で深刻な亀裂や差別が生じるだろう。大体、差別のない軍隊とか、民主的な軍隊などという言い方が僕のようなへそ曲がりにはブラック・ユーモアのように聞こえてくる。これは本当の話だけれど、エネルギー消費量が少ない「環境に優しい」空母the Makin Islandが就航したというプレスリリースがこの夏ペンタゴンから送られてきたことがある。彼らは本気でこういうことをやるのである。この次は、環境に優しい銃弾とかが開発されるのかもしれない。

 このレトリックは戦争について適用される。つまり、戦争には、よい戦争と悪い戦争がある。いや、正しい戦争と邪悪な戦争がある。イラク戦争は間違っていたが、アフガン戦争こそはテロとの戦いを遂行するうえで正しい戦争である、というレトリック。

 同じレトリックは原子力=核エネルギーについても適用される。つまり、平和利用される核はよい核。兵器に使われる核は悪い核。かつて、社会主義国の核実験は是で、西側諸国の核実験は非だと強弁する人々がいて、日本の原水禁運動が長い年月、分裂したまま原水禁系と原水協系が2つの原水禁大会を並行開催していた時期があった。今になって思えば、何という馬鹿げた狭隘なレトリックだっただろうか。

 さて、オバマ政権の今に戻ろう。最新の報道では、オバマ政権がアフガニスタンに4万人の増派を決めたようだというCBSの報道があったが、まだ正式に発表されたわけではない。ただ、今日の追悼式でのオバマの表情をみていて、この増派への意志はおそらく変わらないのではないか、と思った。戦争経済という言葉がある。経済の停滞を打開する道筋と、戦争が結びつく愚だけは、避けられなければならない、と思う。軍産複合体がすべてを操っているという一種の陰謀史観を現実のものにしてはならない。

2009年11月 8日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(3)── 医療保険制度改革

 220対215。辛勝のようにみえるが、このオバマ政権の勝利の意味はきわめて大きい。オバマ大統領が国内政策の最重要課題に位置付けていた医療保険制度改革法案が、アメリカ下院をついに通過した。CNNで深夜に及んだ審議の模様が生中継されていたが、ナンシー・ぺローシ議長は、220対215の投票結果を告げて、ほっとした表情で「法案は可決されました」と宣言した。「歴史的」という形容詞が一々つけられているのには理由がある。アメリカの議会史のなかで、他の先進国ではごく当たり前の「国民皆保険制度」導入をめざした法案が、これまでことごとく頓挫してきた長い歴史があるからだ。これでアメリカ国民の96%は何らかの形での医療保険でカバーされることになる。ぺローシ議長は会見で、「Oh! What a night!」(何という素敵な夜!)と興奮を隠さなかったが、今夜の法案の議会通過を、1935年の社会保障法通過や、その30年後のメディケア法案の通過といった歴史的出来事に比していた。オバマ政権が当初目指していた国家運営の医療保険はさまざまな修正を迫られて妥協に妥協を重ねてきた経緯がある。特に年初以来のタウンホール・ミーティングで、国家運営の医療保険のあり方について、共和党陣営の草の根保守や医療・製薬業界からの抵抗にあい、「オバマ=社会主義者」といった中傷まで飛び交った。そして、きわめて強力なネガティブ・キャンペーンがはられてきた結果、法案は妥協と修正を迫られて大きく変容した。民主党内や進歩陣営には、譲歩しすぎて法案の意味が失われているとの声もある。

 無保険者4700万人という現実を前に、今日の法案の下院通過をどのように評価するかは今後の動きをつぶさに見なければならない。だが、これは長い射程で見た場合、アメリカ社会の大きな変化の第一歩と位置付けられることは間違いないだろう。

 共和党の下院議員からはただ1票のいわゆる「造反」が出た。ルイジアナ州のアン・ジョセフ・コー下院議員が民主党案に賛成の票を投じた。と言っても、アメリカでは投票が政党によって拘束されることはないので「造反」の意味合いが日本とはまるで違うのだが。現に39人の民主党下院議員が今日の投票で反対票を投じている。コー議員はベトナムの旧サイゴン市で生まれ、8歳のときにボートピープルとしてアメリカに辿りついた苦学の人物である。父親は南ベトナム軍にいたため投獄された。コー氏は、ニューヨークのフォーダム大学で哲学を学び、ルイジアナ州に戻り、難民や貧困層を支援する政治活動に入った。2007年以来下院議員をつとめているが、ハリケーン・カトリーナの被害をまともに被って事務所が破壊された経験が大きかった。

 このところ勢いを盛り返しているようにみえる保守層は、ティーパーティーなどを断続的に開催して、オバマ政権の医療保険制度改革に真っ向から反対する姿勢をみせているが、下院での法案通過の意味は時間が経過するにつれてますます重みを増してくるだろう。

 オバマ大統領はただちに声明を発表し「年末までに法案に署名したい」と表明した。舞台は今後上院へと移る。先週の木曜日には、リーバーマン上院議員の医療保険制度改革に対する姿勢に抗議して、彼の議会事務所前に座り込んだ市民ら9人が逮捕された。リーバーマン上院議員は、法案に国家運営の保険制度が含まれていれば、共和党の「filibuster」(議事進行妨害行動)に加わるとの意向を表明している。

 オバマの挑戦はさらに続く。

2009年11月 7日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(2)── 戦争国家

 明と暗。NYヤンキースの優勝祝賀パレードを沿道に並んで熱狂のなかでみながら、ちょうど同じ今日、金曜日に、テキサス州のフォートフッド陸軍基地では、「追悼の日」が営まれていることを心の片隅で思っていた。

 テキサス州のフォートフッド陸軍基地で起きた銃乱射事件は、アメリカ国内の軍事基地内で起きた事件としては史上最悪の乱射事件であり、13人が死亡30人が負傷した。この事件は、9/11以降、アフガニスタン戦争、イラク戦争に突き進んだ戦争国家としてのアメリカのあり方に大きな疑問符を付きつける象徴的な事件だと思う。事件から、オバマ政権の戦争をめぐる政策の今を考える上で、いくつもの手がかりを引き出すことができるだろう。アメリカ国民にも衝撃が広がっている。あまりにも生々しい事件で、僕はなぜか東京で起きた秋葉原の例の事件のことを思い出した。

 容疑者のニダル・マリク・ハシン少佐(39)は、この基地の精神科医で、戦場から戻った兵士たちの心の病の治療などにもあたっていた。近々、アフガニスタンに派遣されることになっていた。本人は敬虔なイスラム教徒で、イラク戦争、アフガン戦争に反対であることを公言していたという。そんな人物がなぜ陸軍に勤務していたのかがそもそもの疑問だが、親族の話では、本人は除隊を希望していたが受け入れられなかったという。

 当日の現場の記者会見では、記者のなかから、イラクやアフガンで伸びきった状態の軍は、任務を遂行するにはあまりにも「too small」なのではないか、との質問が出ていた。

 すでにアメリカのメディアはなぜこのような惨劇が起きたのかの動機解明に焦点が移っている。

 AP通信が報じているところでは、ハシン少佐がインターネットに最近書き込みをしていたことが、捜査当局の注視対象になっていたという。書き込みは、イスラム教徒の自爆攻撃を日本の神風特攻隊と比較して「自爆攻撃をする兵士を不適切と言うが、より高貴な大義のために命を犠牲にする勇敢な英雄という方がより適切だ」などと記していたという。

 ハシン少佐は、パレスチナ移民の子息である。父親は16歳のときにヨルダン川西岸地区からアメリカのバージニア州に移住してきた。両親はバージニア州ロノーキーのビントンという小さな鉄道の町でブルーカラー向けの飲食店を経営して生活を営んでいた。両親は勤勉に働いて家族を養った。アーリントンで生まれ、ロノーキーで育ったハシン少年は、子供のころから内気だが利発で、高校卒業後、カレッジに入学、その後、名門バージニア工科大学にまで進み、1995年に卒業している。ところが、父親は1998年に心臓発作で52歳で死亡、母親も49歳の若さで2001年に腎臓病で他界した。家族はその時点でバラバラになった。ハシンの叔母の証言では「9/11以降、イスラム教徒であることから様々な嫌がらせや中傷を受けていた」という。大学卒業後は、メリーランド州のウォルター・リード陸軍病院に8年間勤務していた。そこでイラクの戦場から戻った負傷兵の治療にあたり相当のショックを受けたことを親族に打ち明けていたという。

 ハシン少佐の親族は事件後、声明を発表したが、その内容は痛ましいものだった。「私たちは私たちの国を誇りに思っています。ですから今日の悲劇で悲しみに打ちひしがれています。状況はまだ明らかではありませんが、今は悲しみを皆さんと共有する以外に何もできません」。

 メディアの取材が集中したのは、敬虔なイスラム教徒であるハシン少佐が通っていた同州シルバー・スプリングにあるイスラム・コミュニティ・センターだ。同センターのイスラム教徒仲間のひとりは「彼はよき友人で、自分たちのお手本だった」とメディアに語っている。だが、同センターは当惑気味で、彼の行為と同センターは無関係だと防御の姿勢を示している。全米のイスラム教徒の権利保護団体であるCAIRも素早く声明を発表し、「卑劣で凶悪な行為」で、イスラム教の教義とは何の関係もないと強調している。 

 以上記してきたようなさまざまな事実の断片から僕らは何を考えるべきだろうか。ひとつは、戦争が「憎悪の連鎖」を確実に生み出してきたという歴史の連なりである。パレスチナ西岸地区での戦争は、ハシン少佐の両親の世代に憎悪を蓄積した。1967年のイスラエルによる占領を前にこれを恐れた人々の移民が急増した歴史がある。2001年の同時多発テロ事件で、イスラム教徒に対する憎悪がアメリカ国民のなかに広く蓄積された。アルカイダの暴力はアメリカ国民に憎悪を蓄積したのである。アフガン戦争、イラク戦争では、イスラム世界のみならずThe rest of the worldからのアメリカに対する憎悪が蓄積された。蓄積された憎悪はまるでマグマのように噴火の機会をうかがっている。より多くの暴力が費やされれば、より多くの憎悪が蓄積される。戦争はまちがいなく究極の暴力である。だから、アフガニスタンへの増派は、物理的な暴力の単純な増大以上の意味をもつ。

 もうひとつ。アメリカ銃社会という暴力の是認システム。ハシン少佐の卒業したバージニア工科大学では、2007年の4月に韓国系移民の子息(ハシン少佐と同じ第二世代)による銃乱射事件が起きて33人が死亡している。ハシン少佐が事件に使用した2丁の銃は軍のものではなく個人所有のもの(一個はセミオートマチック)だとされているが、基地内部では、銃の持ち込みの管理が甘くなっていた。なぜならば、軍では職業的に日常的に銃を扱うからである。その軍の文化の土壌は、基地外でも広く共有されていることが、アメリカ社会の病理である。

*            *

 オバマ大統領は、連邦政府の建物に半旗を掲げるように命じ、緊急声明を発表した。そのなかで「海外の戦場で勇敢なアメリカ兵が戦死するだけでも心が痛むが、まさかアメリカ本土の基地内で銃撃を浴びるとは、恐ろしいことだ」と述べている。オバマ大統領は、この事件の犠牲者の追悼式典に出席するために、予定されていた訪日日程を1日ずつ後ろにずらすことにしたようだ。このため、11月13日の金曜日に首脳会談などの日程が集中することになるのだろうが、オバマ政権にとっては、もちろん日米首脳会談よりは、この乱射事件の意味をしっかりと受け止める作業の方が重要であろう。それは戦争国家としてのありようの根本にかかわることがらだからだ。今後のアフガン政策の行方にも大きな影響を及ぼすことになるのだから。

*            *

 なお、フォートフッド陸軍基地から戦地に送られた兵士・軍人のうち、これまでイラク・アフガン両戦争でおよそ500人が戦死し、10人が自殺している。

2009年11月 5日

オバマ大統領当選から1年後の現実を直視する(1)

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NYタイムズの一面を飾った松井選手(筆者撮影)

 あの1年前の大統領選挙投票日の熱狂からちょうど1年目にあたる今年の11月4日に、州知事選や市長選挙などを含むミニ・チューズデーを迎えた。結果は、オバマの与党の民主党にとってはかなり厳しいものとなった。これまで民主党の牙城だったニュージャージー州の知事選で(この12年間は民主党知事が続いていた)、民主党現職のコーザイン知事が敗退して、共和党の新人クリスティーが知事の座を獲得した。またバージニア州でも共和党のマクダネル候補が知事の座を射止めた。両方の州とも、オバマ大統領が民主党候補の応援に訪れていた。これに対して共和党の両候補は経済の停滞に的を絞った形で選挙戦を戦った。ニュージャージーでは、検事出身のクリスティーが、州政府の汚職・腐敗をついたことも奏功した。失業率が増え続け、経済の急速な回復が望めない中で、1年前になだれを打ってオバマ民主党支持に動いた無党派層が、今度は共和党にかなり戻ったという見方が一般的だ。

 またNY市長選挙は、三選をめざした現職のブルームバーグ市長が、民主党のトンプソン候補を退けたが、事前の予測がはずれ、ブルームバーグの圧勝とはならず、トンプソンが善戦したことがむしろニュースになっている。何しろ、ブルームバーグが選挙戦に投じた資金は9千万ドル(=81億4千万円)という超金権選挙だったわりには、得票数の比率は51%対46%というのだから。

 これで来年の中間選挙に向けて、共和党は勢いづき、民主党は戦術の修正を迫られるという社説がアメリカの新聞には載っているが、本当にそうだろうか。

 オバマの政権運営は確かに困難な道のりを歩んでいる。国内政策で最大の力点を置いている医療保険制度改革は、何とか「国民皆保険」に近づく形での上院修正案の提出にまでこぎつけた。もちろん当初の国家運営の保険制度導入と比べるとかなり後退しているが、それでも現状に比べると、改善の方向に踏み出したことは間違いないだろう。外交政策の焦点は、アフガニスタン戦略だ。マクリスタル現地司令官の要請通り、大幅な増派がなされるのかどうか。そもそもアフガン戦争とは何なのか。世論はアフガン戦争への増派に懐疑的だ。

 と、ここまで書いている時に、ヤンキースの優勝と松井のMVP獲得のニュースが入ってきた! やったね! 松井はすごい。

 オバマ1年目の現実は、今週、来週、そしてオバマのノーベル平和賞受賞までの期間にわたって、集中的に記していくことにしよう。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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