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気球少年とメディアの病理 »

「核なき世界」への想像力がオバマをノーベル平和賞に導いた

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フランスのムルロア環礁での水爆実験

 出張先のアリゾナ州ツーソンで、オバマのノーベル平和賞受賞決定のニュースを知った。まだ朝の5時半だった。ちょうどツーソンで第五福竜丸事件関係の取材を終えたばかりだったので、何だか感慨がひとしおだった。世の中、捨てたもんじゃない、と。ユニラテラリズム(単独行動主義)からの脱皮や気候変動への積極的取り組みなどと並んで、受賞理由のひとつにあげられていたのは、「核なき世界の理念が、軍縮や軍備管理交渉に力強い刺激を与えた」ことだった。この「核なき世界」への想像力こそが、オバマを今回の受賞に導いたのだろう。気候変動では、すでにゴアがノーベル平和賞を2007年に受賞している。単独行動主義については、ブッシュにノーベル助演男優賞を謹呈してもいいくらいだし。

 ホワイトハウスの地下にはSituation Roomと呼ばれる24時間体制の危機管理室があって、あらゆる「異変」が即時に上官へ報告されることになっているが、ノーベル平和賞受賞決定の第一報も、この危機管理室からの上官へのe-mailだったという。

 例によって、共和党や反オバマ右翼の連中は、この授賞決定に怒りで煮えくり返っている。「タリバンやイランに屈したようなもの。ノーベル賞に巣くっている野郎たちの自身に対する自爆攻撃だ」(ラッシュ・リンボー)、「ゴルバチョフが受賞した翌年にソ連が崩壊したごとく、オバマは2012年の選挙で敗北する」(ビル・クリストル)、「ノーベル賞に少数者保護枠があるとは知らなかった」(エリック・エリクソン)、「オバマは賞を返上すべき」(ジョン・ボルトン)云々。その煮えくり返り方が、かえって可笑しい。

 オバマは、歴代のアメリカ大統領のなかで、初めて核兵器をこの地球上からなくそうと宣言した人間だ。核兵器は究極の大量破壊兵器である。通常兵器とは異なる。一瞬にして数万、数十万、数百万の人間を消滅させることができる。9・11が10回以上起きてもまだ及ばない破壊力をもつ。仮に、核兵器によって生命の消滅を免れたとしても、放射能による被害が一生その人間を苦しめる。それをアメリカは戦争の実戦で使った。広島と長崎で、である。核実験によっても多くの人間が被害を被った。第五福竜丸はアメリカの水爆実験に巻き込まれてヒバクした。この事件がきっかけになって、杉並区の主婦たちが立ち上がり、日本に初めて原水禁運動が誕生したという歴史がある。マーシャル諸島やムルロア環礁でも米・仏の核実験によって島民が被害を被った。旧ソ連のカザフスタン共和国にあるセミパラチンスクの核実験場跡地に取材に入ったのは1994年のことだから、もう15年も前のことだ。モスクワから持って行ったガイガーカウンターの針が振り切れて使い物にならなくなったことを記憶している。新生児の奇形・異常が当時でも多発していた。中国の核実験は広大な領土の辺境地域で行われたが、それらの地には少数民族が住んでいた。現在も続くチベットやウイグルの反乱は、根っこのところで、どこか核実験につながっているところがある。核による被害の連鎖は、まるで核分裂の連鎖反応のようにつながっているのだ。何ならそこに原子力発電所でのヒバクを付け加えてもよい。ベラルーシのチェルノブイリ周辺は今でもセミパラチンスクと同様の現象がみられる。ツーソンで聞いた話だが、米空軍参謀総長カーティス・ルメイ(東京大空襲の立案・実行責任者)はベトナム戦争のさなかに、インドシナで核兵器を使えとホワイトハウスに提言した。当時のニクソン副大統領がそれをアイゼンハワー大統領に伝えたところ、「Crazy」の一言で片づけられたという。

 僕らは、広島・長崎で起きたことを他国の人間より知っているべき立場にある。なぜなら僕らの自国の広島・長崎で今も人々は暮らしを営んでいる。原爆が投下された土地で彼らは復興を遂げた。それ自体が非常に貴重な歴史なのである。だから、日本には、核兵器に対する態度に関して、より強い道義的責任(moral responsibility)がある。オバマは今年4月の歴史的なプラハ演説で、核兵器を実際に使った国(=アメリカ)に生じた道義的責任(moral responsibility)に初めて言及したアメリカ大統領である。原爆投下を命じたハリー・トゥルーマンは、1947年の一般教書演説=トゥルーマン・ドクトリンにおいて、共産主義(具体的にはソ連)を全体主義のひとつとして位置づけ、民主主義の敵と定義づけ、世界におけるアメリカの使命=パックス・アメリカーナを高らかに宣言した、とアメリカ人は教えられている。その後ろ盾が核兵器だった。広島・長崎はソ連を念頭において投下された。核兵器は全体主義をも含めた全体を消滅させるほどの威力があるというのに。

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金平様、こんにちは。

さて、このオバマ大統領のノーベル賞受賞に関して、日本でも面白い動きが出てきました。
それは、広島・長崎の共催によって2020年の五輪を召致しようという事です。
金平様は御存知でしょうか?
広島市長、秋葉忠利市長は、米タフツ留学中に米民主党の活動をされていた、という事を。私は、この事を市長がキャスターをされていた伝説的な海外情報番組「CNNデイウォッチ」で知ったのですけど、市長は米民主党への政治献金もされた事があったらしいです。
その召致しようとしている五輪の理念は「平和主義・核廃絶」という事です。
市長は、確かに、オバマ大統領のノーベル賞受賞に刺激を受けた、と言われていました。
このオバマ大統領と筋金入りの平和主義者の広島市長の秋葉忠利さんが「会う機会」を作る事できませんかね?
オバマ大統領も天性の外交家だと思いますが、秋葉市長も地方自治体の首長としては、あの石原都知事も及ばない日本で最高の外交能力を持った首長だと思います。海外のメディアにも積極的に出ていらっしゃるし、こういう秋葉市長の発信能力は無視できない、と感じています。
オバマ氏が掲げる「核なき世界」と広島・長崎が長年言い続けた「核兵器廃絶」が上手く歩調があってくると、本当に世界は格段に安全で平和になるでしょう。

オバマ大統領のノーベル賞受賞を批判しているアメリカ人の声をよく聞いてみると、2つの勢力に分類できると思います。

ひとつは、「核廃絶構想は立派だが成果を出すのはこれからであり次期尚早だ」という意見の人たち。もうひとつは、アメリカの覇権主義縮小に反対し、軍産複合体・ネオコンをバックに抱える右翼勢力です。

問題なのは、後者のほうの存在で、この勢力は共和党を中心に人種的偏見をもつ白人が多く、強いナショナリズムに毒されすぎていている人たちです。 ベトナム戦争以降、世界各地での米軍やCIAがお膳立をてした軍事紛争を演出しました。 自作自演の可能性が高い911テロ事件を画策してアフガン戦争をやり始め、さらに米軍増派を求める勢力でもあります。 また、世界経済では弱肉強食の市場原理主を協力に推進して、戦後最大の世界恐慌を巻き起こした主犯でもあります。 過去の歴史を見れば、リンカーン大統領やケネディ大統領などを暗殺した勢力であり、殺人をもいとわぬ犯罪志向を持つ危険な右翼です。

このような、悪質な勢力と対峙するオバマ大統領は、命の危険と隣り合わせです。 オバマ大統領を批判する前者の人たちは、オバマ大統領と同じ志を持ちながら、その成果が不十分だとして足を引っ張るような発言をして、後者の右翼勢力を利するようなことをすべきではないと思います。

核は絶対悪か

核という恐怖の均衡の上に世界が置かれることで、冷戦が 熱い戦争にならなかったすれば、
核というのをどう評価したらいいのか なかなか 割り切れないですね。

核がなければ、米ソは 直接的な戦争を繰り広げていたかもしれない。となれば、日本も無傷では
すまされなかった。

冷戦は 第三次世界大戦だと言われる場合がありますけど、そう言われても ピンとこないのは
核抑止ために 米ソの軍事力が お互いに睨み合って こう着状態に陥っていたからだ。
その こう着状態のおかげで、 日本は60年以上の平和を謳歌できた。そして、経済繁栄も実現した。
ということは、やはり 核抑止は 日本に幸いしたと言えるかな(?)

浅山 in 武蔵野の大地様

浅学ながら一言。核の均衡存在により冷戦が拡大しなかったと見るは、現象論的にはそのような見方も確かにできるかと思います。しかしながら、核均衡存在は平和にとり、はたして必須なのでしょうか。

核の均衡有無に関係なく、歴史的には戦争はある集団がある意図を持って故意に拡大、縮小を繰り返してきただけではないのでしょうか。実際に冷戦構造形成以降、大小の戦争がどれほどなされてきたことでしょう。想像を超えるものがあります。

そもそも、冷戦構造そのものも国際金融資本をバックにした民間、政府含めた裏の国際ネットワーク組織により作られたものではなかったのでしょうか。

政権を巣食う軍産複合体組織は、ひたすら利権、利益を得るために国際平和を故意に乱し、戦争へと暗躍しています。

米国、英国をはじめ世界の単独覇権主義者達の暗躍により世界平和が乱されてきたのではないでしょうか。

一国の大統領一人の正義感での活躍では下手をすればすぐに暗殺という非道な国が現に存在している。

やはり世界が連携して戦略、戦術を駆使して「単独覇権主義者の暗躍」にメスを入れなければ、地球上の人類の多様性を認めた平和は訪れないように思います。如何にメスをいれるかが問われています。

ノーベル平和委員会がオバマに平和賞を与える政治的意味は何なんでしょうか。勘ぐると、核不使用の下でヨーロッパがどこか(イランとか東欧とか)と戦争をするための布石かもしれませんね。

世界が変わる時、小さな隙間から、小さな事柄から変わる事が有る事今まで経験しました。 韓国との壁が低くなったのも蟻の一穴のようなドラマから始まりました。 オバマ氏の宣言はかなり勇気のいる事だったと思われます。誰もが言うは易し、行うは難し!と思ってますよね。 でもこんなことからこの世の流れは変わってゆくように思うこの頃です。 本気になれば叶うと思います。理想だ 夢だといわれても私はオバマを信じたい!

アメリカ国民も本当は核使用は間違っていたと思ってるはずです。でもそれを言ったらくず折れてしまうもの。 正当化しないと成り立たないようにしむけてるし。
でも間違いを認められたらアメリカはきっと本当のリーダー国になると思う・・・・。

第二次世界対戦を実際に経験された方々の高齢化と減少に伴い、これまで、現実だけが一人歩きしていた軍事情勢に「真実」というものが加わりはじめているようです。

さて、そもそも、オリンピックは、紛争や戦争を平和裏に解決する手段として発案されたと聞いておりますので、広島や長崎で開催するということに異論はありませんが、被災地側から申し込んで開催される事なのか?ということに違和感を抱きます。

広島・長崎は、人類最初で最後の被爆地として記憶され続けられるべき「聖地」だと思います。

さて、ノーベル平和賞は、ダイナマイト(爆薬)の発明を起源としています。
戦争に爆薬が用いられて、そして、その究極の姿としての核兵器が在るわけですが、平和賞の授与は、その脅威に対する、一種の抑止として行われてるのであり、オバマ氏のプラハ宣言は、まさに意を得た出来事でした。機敏に反応したのは、その成り立ちからして、当然のことだと思います。

なので、被爆地から開催要請を行うというのは、如何なものでしょうか?、私は、全く逆だと思います。

米国大統領のメッセージに呼応しノルウェー議会がノーベル平和賞を授与したことを受け、国際オリンピック委員会は「自主的に」その後押しとなるような開催地として、広島・長崎を推薦し、それを受けて初めて、広島・長崎の方々及び日本国民が検討するということではないでしょうか?。

どうにも、北朝鮮問題などと同様に、物事の順序を間違え、不当な扱いと結果を残してしまうような予感がします。

東京が敗北した直後でのマスコミを通じた開催誘致発言も、思慮深さを欠いているように思います。

「案ずるときは慎重に、決するときは大胆に」

勇み足は禁物です。日本国民には、もっと冷静な対応を期待したいものです。

>単独行動主義については、ブッシュにノーベル助演男優賞を謹呈してもいいくらいだし。

本当にそうですね(笑)。

>例によって、共和党や反オバマ右翼の連中は、この授賞決定に怒りで煮えくり返っている。・・・。

日本にも同じような連中がいますね。笑えます。彼らの発言はお下品この上なしです。

>日本には、核兵器に対する態度に関して、より強い道義的責任(moral responsibility)がある。

本当にそうですね。われわれには特別な歴史がありますね。それに基づいて責任をもった、世界に向けた、発言が必要なのでしょう。
被害ばかりに目が行くと、どうかすると、われわれは加害の責任を忘れてしまうことにもなりかねないので、この点にも私たちは注意していく必要がありそうですね。

核や戦争が無い事だけが平和ではない。平和とは非常に深い意味があります。

相互尊重、平等(人種・機会等)、民主主義概念の理想、自由・・・ある集団・人種がその属性と言うだけで圧倒的トップというのは、決して平和と言えない。未だあらゆる分野で白人・欧米が圧倒的に君臨してるのは、真の平和・民主から完全に逸脱している。

普天間の辺野古移転問題関連ですが、在欧米軍ではこのような自然破壊は決して行なわれない(米国本土でもだろう)、負担を過剰集中させない、異常な地位協定は有り得ない(犯罪面・環境原状回復規定がない)、在日米軍の犯罪率の異常に高い(在米・在欧に比べ)、三沢などのアンテナ施設の意図等等あらゆる面で対等に見ていない。日本政府の異常な不甲斐なさは大きな原因だが、最大の原因は日本がアジアだからだろう。アジア・Asianはすべからく格下、これは抜き難く厳にある感覚です。

黒人の大統領になったとは言え、後ろのジャパンハンドラーの性格は変わってない。来日中のキャンベル国務次官補は辺野古以外は有り得ない、日米合意を守れと繰り返してる。サンフランシスコ地裁でアセスがされてなく建設不可と判決が出た基地の建設をです。ダニエル・イノウエも同意見、日系とて支配層には従わざるを得ない。

彼らは日本の事を真には考えてない。当然と言えば当然ですが。真の平等・民主・自由を目指してるとは思えない(そこまで目指してる国はあるのかって話でもありますが)。こういう状況でアメリカの意向・動向を、徹底的に重視してる現在の日本・世界は異常だ。そんな物に這い蹲って従う必要はない(そもそも孤立主義で他国・国際社会の動向情勢を非常に軽視してるのに、何故こちらが?)。

オバマになり白人支配体制に一穴は開いたが、国の関係・国際社会でもアメリカ・欧米の圧倒的体制から脱却すべきだ。それこそが真の平和に必要な方向で、今後の世界のあるべき姿なのではないでしょうか。
米国防総省が敗訴/沖縄ジュゴン訴訟
http://blog.goo.ne.jp/familymentalclinic/e/99fad77fd07cc864a000e1d9212ee8e1

日本の一市民さんの指摘は実に正鵠を得ていますね。

現在社会の不公平問題、主権国民の人権問題、暴力的国策などは全て平和を乱す典型でしょう。

暴力的国策としては無駄な大型公共事業(最近話題の八ッ場ダムをはじめとするダム事業、無駄な道路建設事業、高温ガス化ゴミ焼却炉建設等)、後世への負の遺産(死の灰)を増やし続ける原子力発電所&再処理工場建設などはその代表例でしょう。さらに原発ならびに再処理はプルトニウム核拡散、核兵器の根源となり、核廃絶を唱えるなら真っ先に原発から脱する道を選択する必要があります。平和を脅かす火種を自ら懐に抱えたまま歩むようなものですね。

また米軍問題に限らず、日本の政治を振り返ると、戦後の日本の外務省および関連団体、御用識者は自己保身上、米国追従が国益に叶うとかテレビ、新聞で声を大にしてましたが、これって単に長い物には巻かれよと思考停止していたに過ぎないのではないでしょうか。結局、見直しも無く米国隷属体制をずっと取り続けてきたことは国民に対する重大背任でもあります。

日本国の誇りと理念そして信念など無き霞ヶ関官僚や自民党政治家が跋扈するようになり、さらに思考停止の新聞、テレビ等のマスメディアがのさばり、そこに影響された国民も思考停止し、政権交代前まで最悪の国政状態が続いてきました。これも平和を乱してきた大きな要因です。しかし、思考停止していた国民が目覚め、意識ある国民が増え、見事に政権交代しました。今まさに政権交代の実感が湧いてきているのではないでしょうか。まだまだ不備だらけですが、長い目で叱咤激励し育てていかなくてはなりません。

同時に戦後から現在にいたるまで米国CIA組織が日本の裏組織と一体になり、日本の政治家、官僚、右翼、電通などの広告事業体、シンクタンク、新聞、テレビ等のマスメディアなどなど実にあらゆるところに食い込み、操り、日本の政治を歪なものにしてきました。これは看過できない重大事実です。今も裏の網を利用し暗躍しています。検察官僚、時の政権、あるいはCIA等の思惑通り事が運ばないとみるやネガキャンやスキャンダルをでっち上げる。国民はこのネガキャンを自民党政権末期には辟易するほど何度も見せられました。決して騙されてはならない。国民のメディアリテラシーが問われているのです。

かくなる民主主義を踏みにじる背景を理解する国民の思考の成熟度が問われているわけです。その意味から中央集権から地方主権への政治の変革により、市民参加により大きく意識を変えていくことこそ、平和な社会を構築する要となりましょう。

地方主権と同期して、日本の全国市町村の自治会も役所の下部機関のごとき役割でいいはずがなく、主権は国民に有りなのであり、市の行政、政策形成への市民参加により自らが考え、市民自治、協働等への時が来ているのではないでしょうか。

人間が地球上に誕生したときから人と人は互いに調和的に相互作用し、市民の単なる寄せ集めでなく、自己組織化するのが自然の摂理なのですが、なかなかなのが現実です。やはり人の我欲を如何に調和させるのかということ、すなわち「分かり合う」ということが始まりでしょうか。

平和という意味は実に深く、この世の社会問題のあらゆることと繋がっています。

【広島・長崎オリンピック共同招致の笑止】

以下の背景により、莫大な借金を重ねてアホなお金を使わないよう願うものです。石原氏でコリていない小児病的首長殿へ。

広島・長崎の人々が最初の原爆犠牲になったのではない。原爆投下の以前に核保有国が行った核実験によって被爆した多くの人々が存在することを忘れてはいないか。

元来、戦時中の天皇陛下、政府中央官僚、軍部、マスコミ、国民は一億総玉砕を叫んでいたのであり、このバカバカしい思いの結果、敗北・終戦を認めようとしないことから原爆投下に至った現実がある。為政者の判断ミスによるものであることは明白だ。

今日はありもしない核兵器攻撃の恐怖を唆し、またその攻撃を防衛するためと称して、核を保有する現実を作ってしまっている。米国の核の傘下にある日本の非核三原則などは、アジアの近隣諸国にとっては大いなる虚構にすぎないのではないか。

核兵器と被爆の意味を日本国民はどれだけの人が知っているというのだ。義務教育期間中に広島・長崎の原爆記念館見学を必修にするべきである。お飾りの施設で、天下り職場であれば不必要な施設。

国政・自治体の政治家、自衛隊軍人、全ての人が原爆記念館を訪問見学し慰霊しているのだろうか。
世界の各国の政府首脳、軍人幹部にも見学経験して頂いたら良い。

核廃絶に至るに10年やそこらで成る筈もなく、上述の運動を真剣に行うことが被爆者に対する慰霊ではないのか。赤字財政に苦しむ市民に耐え切れない負担を強いることが平和主義、民主主義に適うことではない。

核軍縮、あるいは軍廃絶の問題は、査察と管理の問題に集約できると
いっていいんでしょうね。 これまでも、核軍縮が米ソ間で話し合われてきたが、そのときの主要の論点は
査察と管理だ。
それは、廃絶するまでの問題で、廃絶してしまえば査察と管理の問題は起きないでしょうか。
つまり、廃絶してしまえば 核が一つもないわけだから、 管理も査察の起きようがない。
ということにはならないでしょうね。 むしろ、核の管理と査察の必要はさらに高まるでしょう。

それと、もうひとつ、核廃絶がなった後、 核について 米ロなどの優位性が固定されるとみますね。
つまりは、核についての知識の所有の優位性といっていい。
核が廃絶されてしまえば、他の国は 核兵器を作る機会を永遠に失うので、そのための「知識」を獲得するか機会を失い、 いざとなれば核兵器を作れる知識を有する米ロの優位性は絶対的なものになる。

1946年にアメリカが提起したバルーク案いうのは、当時アメリカのみが所有していた核を廃棄するというものでしたが、 それはソ連に拒否されて、実現しなかった。これは、アメリカのみが核を作る「知識」を所有していることの固定化をソ連が嫌ったからです。

ルース大使が家族で広島を訪問されたそうで、ニュースで声を震わせて感想を述べられていました。私も一度だけ原水禁大会に参加することになったときに、原爆資料館を見学しましたが、とても怖かった。展示物から感じる以上の何かがありました。あまりに思いが深すぎてその後感想やレポートなどが出せないくらいでした。(カザフの写真も見ました。人間てどこまでやれば気が済むんでしょうか...)オバマ大統領は広島に行くだろうか?でも平和賞をもらったのだから、やはり行くことになるような気がします。それは、本当にすごいことでしょう。。私は、やはりいちいち疑ってかかってしまうというかオバマさんはどの程度信頼に値するものかなとか思ったりするのですが、インディアンの部族会議をホワイトハウスでするとかブラックなんとか族の養子になった(オバマ ブラック イーグル)とかいうことを聞くと本当にすごい人なのかもと思ったりもしています。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
↓ ↓ ↓

『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
↓ ↓ ↓

『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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