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2009年9月28日

鳩山「核廃絶演説」を聞いて

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ガラガラの国連メディア・センター(25日)

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核不拡散の安保理首脳級会合に出席していたキッシンジャー氏(24日)

 国連総会会期中は、NY市内の交通がマヒ状態になる。これは年中行事みたいなもんだ。理由は警備当局が国連本部に至る主要道路を各所でブロックし、また大変な数の国連代表団の車両を信号をとめて最優先に通すからである。僕は自分がかつて勤務していたソ連の末期やロシアの初期の交通事情を思い出す。クレムリンへの(からの)大統領の車列が通る時には、すべての交通が遮断され、その車列が一度もストップすることなく目的地点に導かれるのである。乗っていたのはゴルバチョフ、エリツィンだった。それと似たような現象が民主主義国家のNYで起きるのだ。やれやれ。今日現在(9月28日)、国連総会まだ続行中なのだが、NY市内は交通マヒもほぼ消えてなくなり、通常通りの交通の流れになっている。なぜならば、G20の金融サミットがピッツバーグで開催された24日の午後には、国連の先進主要国の面々は一斉にNYからピッツバーグへと移動してしまったからだ。同行記者団も同様。25日以降も国連総会の演説はちゃんと続いているのだが、メディアセンターにも議場にも人影が激減し、すーっと熱気が引いていったような状態になった。ちなみに僕は25日の午前中に国連総会をのぞいてみたが、演説国はこんなありさまだった。グアテマラ、パキスタン、中央アフリカ、ぺラウ、エストニア、ナウル、ブルキナファッソ、レバノン、トーゴ、ソマリア、マケドニア、キリバチ、ジンバブエ、パレスチナ、バーレーン、Antigua and Barbuda。正直に言って聞いたこともない国から代表が来て演説をしている。日本のメディアは28日最終日の午後の北朝鮮に一点集中で注目しているくらいで、あとは放置される。国連の取材はだいたいそんなものなのだ。

 さて、ここまでが長い前置き。今回の国連総会の成果の一つは、「核なき世界」をもとめる安保理決議が全会一致で採択されたことだろう。オバマ大統領が議長をつとめたその安保理首脳級会合で、鳩山首相が短いスピーチをした。中身のある演説だったと思う。とりわけ、CTBT=包括的核実験禁止条約に触れて、第五福竜丸事件に言及したことに大いに感心させられたのも事実だ。ただ、敢えて言うと、この種の演説を聞いていつも思うことがある。それは「唯一の被爆国」という表現に接するたびに感じる居心地の悪さ、と言うか、疑問なのだ。鳩山スピーチ中にあった、日本は「核兵器による攻撃を受けた唯一の国家」という表現はまさに事実だろう。だが、日本が「唯一の被爆国」と言及されたときには、僕は一応の留保を感じざるを得ない。それは、アメリカの原爆・水爆実験によって被害を受けた太平洋マーシャル諸島の人々の存在を考えるからだ。ビキニ、エニウェトクの2つの環礁で、アメリカは計67回の核実験を行った。甚大な被害を被った人々がいる。これは核爆弾による被害者である点で、広島・長崎の被爆者とつながっている人々ではないのか。フランスもムルロア環礁で同様の核実験を行い、島嶼の住民に被害が出た。さらに異和感の根拠の一部をなすのが、「唯一の被爆国」という表現によって、日本の被害者意識が前面に押し出され、あの戦争のもっていた日本の「加害性」が後方に退くeffectが生じているのではないか、という危惧である。そして、さらに附言すれば、広島・長崎で被爆した外国人の存在(在日韓国朝鮮人や中国人、オランダ人などの戦時捕虜たち)について、「唯一の被爆国」という表現では、こぼれてしまうおそれがあるのではないか、という点である。
 
 広島・長崎での2発の爆弾によって一瞬にして膨大な数の日本人の命が失われた事実に比べれば、それらは些事だろう、と思う人がいるかもしれない。だが、オバマの言う「核なき世界」のスケールは、これらの人々をも含みこんだ理念だと思う。
 
 ちなみにマーシャル諸島のリトクア・トメイン大統領は、日本と同じ24日の午後に国連総会で演説を行ったが、そこで「核なき世界」決議に、被爆国民としてそれほど勇気づけられたかを語っている。以下はその原文である。こちらもこころを打つ演説であることは論をまたない。

Mr. President, I now turn to a matter which is very dear to the heart of every Marshallese. We are deeply encouraged by the UN Security Council Session today, moderated by President Obama, on Nuclear Weapons Use and Testing. Nuclear weapon testing was conducted on our islands between 1946 "and 1958, at the time when we were a ward of the UN Trusteeship System.
Our first hand experience as victims of nuclear weapons testing on our islands, and the painful memories that continue to haunt us over six decades, are nightmares we would not wish on anyone. The toll on human sufferance and environmental damage has been devastating.
Sixty years now since the detonation of some 67 nuclear bombs, the Marshall Islands is still grappling with their after-effects. Complete recovery in terms of restoring affected islands to full economic productivity, and adequate compensation of the victims remain uncertain.
Mr. President, We have not come here to condemn or to point fingers. However, we are compelled by our moral duty to humanity to raise our voice in gatherings such as these, and to appeal to the conscience of the world community. We call for the formulation of a new perspective by which the specter of war and the use of nuclear weapons may forever be wiped off the surface of the earth. Banning nuclear weapons alone will not remove the root cause of war. Important as it may be, it does not exert an enduring influence. People are too ingenious to invent yet other forms of warfare. Political agreements or good intentions alone are not enough. The world craves for something much more deepseated than pure pragmatism. They yearn for permanent peace that springs from an inner state supported by a moral attitude.

 先に記したように鳩山演説でも、第五福竜丸事件のことが触れられていた。願わくば、日本の漁師ばかりか、そこに住む人々にまで言及があれば、私たちは結びついていける。

2009年9月24日

反イラン・デモと鳩山首相の距離

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Japan Society前の反イラン・デモ

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デモでの死者を演じるパフォーマンス

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国連総会(一般討論演説)のオバマ

「国連にアメリカがやっと戻ってきた」。ここまで変わるものか、と思うほど国連総会でのアメリカの関与政策への方向転換は明らかだった。23日の国連総会でのオバマ大統領の一般討論演説を聴いての率直な感想だ。

僕はブッシュ時代のうんざりする国連総会での取材を思い出して、単独行動主義(unilateralism)というキーワードが飛び交っていた時代のことを思い出していた。イラク戦争に突き進んだあの政権は致命的な過ちを国連の場でも犯した。コリン・パウエルは悔やんでも悔やみきれないだろう。イラクが大量破壊兵器を保持している疑いが強いと国連で熱弁をふるったのだから。

で、書きたいことはそのことではない。国連のそばにあるJapan Societyに鳩山首相が昼食会出席のためやってくるというので、国連のメディアセンターを抜け出して出かけてみた。ところがJapan Societyに面しているハマーショルド公園は、今日はさまざまな抗議行動、デモ隊の人々が集結していて、一種のお祭り状態になっていた。すごいエネルギーである。彼らを規制するために警察官が大量動員されていて、通行が厳しく制限されている。この期間はNYのミッドタウンは完全に交通がマヒする。おまけにNYPD(ニューヨーク市警)は、要人が来れば完全シャットアウトという全く理不尽な警備をするので、このJapan Society に近づくことができないのだった。

かれこれ30分以上たらい回しにあった挙句、一番最初のチェックポイントに行ったら、さきほどの警官が交替していて、今度は鉄柵のなかに入っていくのがOKになっている。何てこったい!デモの人々の顔ぶれは、イランの「独裁制」に抗議するFree Iran系の大規模な集会が突出していた。さらにはチベット「弾圧」に抗議する人々や法輪功といった反・中国指導部の人々、タミール人解放を訴える人々、反カダフィの人々などで大変な熱気である。鳩山首相は、このうちのイランの反アハマディネジャドの集会が最高潮にさしかかろうとしている時間帯に、このJapan Societyに到着することになっていた。建物のエントランス前のSPらしき男たちの顔がちょっとこわばってきている。

鳩山首相は諸行事が押してきて、1時間以上遅れて建物に到着した。Japan Societyの前の道路はデモ隊で溢れているので、車をつけて停めることができない。そこで当局は、隣のトランンプ・ビルの駐車場を使って、あとは鳩山首相御一行は歩いてJapan Societyまでやってきたのだった。僕は何食わぬ顔でつかつか寄って行って、鳩山首相に挨拶し言葉を交わした。「オバマさんはとても暖かかい人でしたよ」とは、その時の首相の言葉である。反イラン・デモの溢れかえる人々が鳩山首相の視界にしっかりとおさまっていたはずである。国連のすぐそばで、このような示威行動を行うことがアメリカではちゃんと認められている。日本ではどうだろうか。国会や官庁の建物周辺で、デモを行うことは「市民の基本権」として認められているはずなのだが。

この昼食会、在NYフランス人3千人を招いて昼食会を開くフランスのサルコジとは違って、プライベートな昼食会ということで、参加者50人足らずのexclusiveなランチなのだった。エントランス脇でどんな人が昼食会にやってくるのか見ていた。知った顔が近付いてきた。コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授だった。SONYのCEOのハワード・ストリンガー氏もやってきた。もちろんNY総領事や国連大使の顔もみえた。そして、その目の前では市民の大規模集会が開かれている。なんだかとてもシュールな風景なのだった。

2009年9月23日

鳩山首相の外交デビュー、プレスセンターでの感想

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国連本部内のメディア・センター

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国連本部のそばで抗議するタミール人支援運動の人々

国連総会の時には、国連本部地下1階に大きなプレスセンターができる。そこにいろんな国からやってきた記者たちが集まって「メディア・サーカス」を演じる。

鳩山首相がせっかく国連で演説をするというので、大学には行かずに朝からプレスセンターにいた。僕の前には、ラジオ・ウガンダの人がおり、となり横には、BBCアラブの女性記者、反対隣りには、ラジオ・イスラエルの男の記者たちがいた。

今日は、総会のキックオフ的な意味合いの気候変動サミットが開かれた。オバマは本当に人気があって堂々としており、議場の盛んな拍手を浴びていたが、中国のコキントウ国家主席の後に登場した鳩山首相は、なかなか新鮮な印象を残したようだ。「自分は日本の首相に6日前に選ばれたばかりだ」と英語でスピーチすると、温かい拍手が沸いた。25%という温室効果ガスの削減目標数値を明言するなど、「鳩山イニシアティブ」の提唱は、そのあとのサルコジ大統領の琴線にも触れたようで、「日本から来た同僚の考えを支持する」とか言っていた。

所詮は演説は演説だ。けれども、その演説がこれまでの日本の首相は大の苦手で、官僚の書いた作文を読んでいた。言葉はときに人を動かす。国際舞台においてはなおのこと。

それにしても、このプレスセンターには日本の記者がまばらだった。日本からの同行記者たちには別のホテルの日本人専用プレスセンター(小さい、小さいもの)が設置され、そこでブリーフィングその他が全部行われる仕組みになっている。まあ、自分もかつてはそのような仕組みのなかで動いてきたので、何かを言うのはおこがましいけれど、場の空気だけは、国連本部内の大プレスセンターとはぜんぜん違っていたことは確かだ。

何を隠そう、ホワイトハウスの同行プレスもアメリカの主要プレスは独自にワークスペースを設営することが多い。空気には境目が自然にできる。あっちとこっち、彼らと我々というように。メディアは本来それを打破する役割を果たしてきた。となりのBBCアラブの女性記者は大声でプレスセンターからラジオ放送向けのリポートをアラブ語で行っていた。チンプンカンプンのそのリポートのなかにハトヤマという語がかすかに聴きとれた。そのようにして、ひとは世界に認知される。

国連ビルの外に出ると、チベットの弾圧に抗議する人々、法輪功、タミール人弾圧に抗議する人々などさまざまなデモの人々がいた。歩けども歩けども、国連総会をとりまく全体は見えない。

2009年9月21日

誰が核密約文書の破棄を命じたのか?

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沖縄への核兵器配備を記した米国防総省文書

 このところ米公文書館や議会図書館などに収蔵されている資料を読む機会があって、つくづく考えさせられるのは、「公文書は国民の財産である」というアメリカの確固とした理念と、記録をきちんと残すことによって「歴史の審判を仰ぐ」という公職に就く人間たちの職業倫理の潔さについてである。もちろん現在に至るまで所々が黒く消されて肝心かなめの箇所が隠されているという不満があることはあるのだが、一定の年数が経過すれば順次公開していくシステムが確立しているアメリカのありようは、日本の随分先を行っていることは確かだ。オバマ政権になり、前のブッシュ政権下での秘密主義の傾向が改められる傾向が出てきていることにも大いに勇気づけられる。

 外交公文書は歴史の重要な記録だ。すでに単行本となって日本でも出版されているが、1972年の米中国交回復前後に行われたニクソンの密使キッシンジャーと中国の指導者・毛沢東、周恩来とのあいだで交わされた会話の記録文書(もちろん当時はトップシークレット扱いだった)などを読むと、その会談の場の様子が目の前に浮かんでくるように感じるほど生々しくスリリングだ。
 日米間のいわゆる「核密約」文書については、アメリカ側の資料はすでに数多く公開されており、元米政府関係者たちも「密約はあった」と明言しているにもかかわらず、歴代の日本政府は「核密約」およびその関連文書の存在を否定してきた。日米間でこのことに関わった人間の行為に関して言えば、どちらかが嘘をついているのであり、文書の存在に関して言えば、日本において誰かが破棄したという以外に合理的な説明が成り立たない。共同通信や朝日新聞などが、2001年の情報公開法施行直前に、外務省内で核密約関連文書を破棄する作業が秘かに行われていたという同省元幹部の証言を引き出し、それがすでに報じられている。
 これは明白な刑事犯罪を構成する行為だ。「歴史の証拠隠滅」は、国民に対する背信行為であり、それだけでも公務員として罷免されるべき事案にあたる。
 外務省内にもシュレッダーがたくさん設置されているが、その稼働率が政権交代前にやたら高くなっていたとの噂が流れている。もっとも同省では、「書類を水に溶かす」という方式もとられているようだが。こんなことを記そうと思ったきっかけは、講談社の新雑誌「g2」に掲載されている『沖縄密約事件 西山太吉の妻 37年目の初告白』という優れたノンフィクションを読んだからだ。政府の嘘・証拠隠滅が裁かれず、その嘘をあばいた個人が罰せられる。そのような不条理劇のなかで、個人がどのような苦悩を背負わされたのか。このノンフィクションを含む「g2」の創刊にノンフィクション・ジャーナリズムの復興の希望をみたように感じる。
 もし、核密約文書破棄が証明されるのであれば、次のことがらが明らかにされなければならない。外務省内でいつ(2001年の○月○日、何時頃に)、いったい誰の発議によって「核密約」関連文書の破棄が命じられたのか? それに先立ち、何らかの合議があったのか? 破棄を命じたその人物の肩書はどのようなものか? その時のその人物の具体的な言い方はどのようなものだったのか? 「破棄してください」? 「適当に処理、お願いします」? 「始末してください」? その破棄作業を実際に行った人物は誰か? どのように行われたのか? 焼却? 水に溶かした? シュレッダー? それは外務省内外のどの場所で行われたのか? 破棄の事実は外務省内のどの範囲の人々が知っていたのか? 
 2009年9月7日付で共同通信が配信した記事を読んで、笑えない現実が目の前にある。

 『外務省内には「大物外相」への期待の一方で、「原理主義者」と評される政治姿勢に不安も消えていない。(略)懸念材料は岡田氏がこれまで、核持ち込みに関する日米密約問題で事務次官に関連文書の提出を指示する考えを表明(略)(している)点だ。(略)外務省幹部は、「岡田氏は(略)政権に入ったら現実路線を取ることになるのではないか」と祈るように語っている。』(共同記事より)

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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