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2009年8月。異国から見えた日本の風景。

090813kanehira.jpg

 オバマ大統領が今年の4月にプラハで行った核廃絶演説に、本来ならば最も大きな反応が巻き起こっているはずの日本で、広島・長崎に原爆が投下された8月という月が、特別の意味合いをもっているだろうなどという甘い考えは、この際、放棄せざるを得ないのではないか。なぜならば、僕らの国のメディアは、酒井法子の逃亡・逮捕に「発情」し、押尾学の事件に「憤慨」し、だから芸能界の薬物汚染をもっときびしく取り締まらなければならないのだという「世論」を形成し、それに即応したかのようにネットを中心に反応が拡大し、さらにそれに負けじ、とテレビ・週刊誌・夕刊紙・新聞が再呼応している風景がはるか遠くにみえるからだ。見えてどうする。視聴率が跳ね上がり、夕刊紙・週刊誌が売れて、それで何が悪いのだ、と凄まれるのが関の山だ。

 オバマ演説に触発されて、NYタイムズ紙に寄稿した三宅一生氏のことは以前にこの欄でも触れたが、この8月、アメリカ人の書いたいくつかの原爆にかかわるエッセイを読んで、原爆を投下した側のこのアメリカの方にこそ、まだ希望があるのではないかとさえ思ってしまった。日本では「外務省首脳」が、「両国の首脳が互いに訪問し謝罪するようなことはいかがなものか。あまり期待感を高めない方がいい」などと述べて、広島・長崎へのオバマの訪問は困難との認識を示したのだそうだ(毎日新聞)。その「首脳」にとっては、被爆地への訪問などという厄介事を抱え込むのは、たまったもんじゃないという本音が透けて見えるような発言である。

 ダニエル・エルズバーグが「Japan Focus」 に寄稿した「Building a Better Bombs:Reflections on the Atomic Bomb, the Hydrogen Bombs, and Neutron Bomb」はこころを打つ文章である。彼が13歳の時に体験した原爆投下のニュースへの第一印象と、ほぼ同じ時期に被った家族の交通事故による彼自身の運命の転変(母親と妹を失った)、さらに後年になって、彼の父親がエンジニアとして核兵器の製造に関わっていたこと、水爆を作らないかという提案を拒否して職場を去った事実を父親本人から告白されたときの心の動揺が回想録風に記されていた。あのベトナム戦争をめぐるペンタゴン文書のすっぱ抜き(内部告発)には、原爆投下の日のあの原体験が深くかかわっていることを示唆している文章だ。(http://japanfocus.org/-Daniel-Ellsberg/3201

 この文章では核開発にかかわった科学者たちの苦悩についても触れられていて、オッペンハイマーらの脆弱さが批判的に記されていたが、Bulletin of the Atomic Scientists誌の創設者の一人であるユージン・ラビノヴィッチらが、原爆使用の非人道性について早期から発していた嘆願書が握りつぶされていた事実についても触れられていた。そのBulletin of the Atomic Scientists誌最新号には、広島の原爆投下に関わる記事が2本掲載されていて、実に考えさせられる。ローラ・カーンの記した「Hiroshima,(re)visited」は、広島の原爆記念資料館を初めて家族で訪れた際の訪問記である。とても素直でこころに沁みる内容だ。オバマの核廃絶演説の背後には、このような人々の「希望」があるのだろう。

 アメリカ政府は、核兵器政策ガイドラインの見直し作業を定期的に行っている。Nuclear Posture Reviewと呼ばれるこの作業は現在進行中であり、年内には公表される。オバマのプラハ演説を受けて、根源的な核政策の見直しをと意気込んでいたアメリカの人々を打ちのめしているのは、日本政府とアメリカ国防総省、国務省、国家安全保障会議等に巣食う「安保屋」(©寺島実郎)たちの「アメリカの極東核政策は極力変更なしで」行ってほしい、という主張なのだ。「唯一の被爆国」である日本の一部官僚たちの要請によって、オバマの核廃絶演説が後退させられる事態が来るとすれば、それは「皮肉であり悲劇的でさえある」(「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキー)とアメリカのある科学者は語っている。もちろん、そのような人々にとってはオバマの被爆地訪問などは好ましからざることがらであろう。

 この8月に、日本では「戦後もっとも重要な選択」になるかもしれない総選挙を前に、この原爆投下にまつわる話がどれだけ深く論議されているのだろうか。遠い異国の地からはなかなか見えない。代わりに見えてくる風景は、この文章の冒頭に記したとおりである。

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外務省首脳の発言は、まあ、想定の範囲内でしょうか。
マスコミなどへの思いは、私も同感です。
金平さんと同じ思いを抱いている人も、多いと思います。
「安保屋」の、占領を、どれだけ崩せるか、8.30が、興味深いです。

この国は、過去の戦争と手を切っていない。その一方で日本をねじふせたアメリカにも手をもみ、愛想笑いをし、逆鱗にふれはしないかとおどおどしているようにみえます。
この国のメディアもまた、国の未来を憂うることなく、芸能人の犯罪を微にいり、細を穿ち、電波を通して報道することに日夜腐心している。
日本には、長期の自民党政権によって形骸化した民主主義しか存在しないのに、他国の独裁政治に眉をひそめるに至っては、苦笑するしかありません。
さらにそのなかで暮らす私たち国民は、世論調査で首相に最もふさわしい人物と問えば、いまに至っても、小泉元首相と答えるのです。
私たちには、政治に対する敏感な反応がなくなっているのだろうか。何が起ころうと、メディアのそここにちりばめられた政治に対するしらけの決まり文句を引用して、「自民もだめだけど、民主党は政権能力がいまひとつ」、「財源根拠に乏しい」などと、政治に対する国民自身の責任などまるでどこ吹く風のような、それこそ前首相への批判にあった「ひとごと」にしか感じていない言動しか聞こえてこない。
なぜならば、メディアは提言することをせず、左右のいずれにも、与野党のどちらにも偏らないように気をつかうことだけに努力を傾注しているから。それでは報道は受け身なものにならざるをえないでしょう。
報道の独立とはこういう姿勢をいうのでしょうか。
報道とは基本的に反権力であるべき。権力の腐敗を監視し、これを批判し、統治姿勢を修正させる能動的なものであるべきだと思います。
他方で、国民はなぜこの国の形をこうしたいのだと、みずから提言しないのでしょうか。国民もメディアも、本当に今度の選挙はマニフェスト選挙だと思っているのだろうか。
極論をいえば、私はマニフェストなどこの際は、大きな問題ではないと思います。
自民党に権力にしがみついているその手を離させることしかないと思っています。
国民がこの国の政治は危ういと感じたとき、別な方向に舵をきることができるシステム、現実的な手段を手にすることだと確信しています。

 外交的に相互主義を標榜するなら陛下のパールハーバー訪問とアメリカ大統領の広島(長崎)訪問は一対の案件です。
 今回の陛下のハワイ訪問でパールハーバーを訪れた報道はありませんでした。
 政府、外務省、宮内庁の怠慢でしょう。
 寺島実朗氏の外務大臣でも良いし、発言を行う駐米大使か国連大使を希望します。
 

マスコミは、面白おかしく覚せい剤問題を騒ぎます。
問題を感じるなら、外から見た日本の麻薬問題をも語っていただけないだろうか。

オバマが何を言ったか、憲法をさえも他国に与えられた状態の国が、その国民が大騒ぎすることだろうか。
あの大統領は、とびきりの現実主義者。
そして、とびぬけた自己演出者だ。
あまりアメリカの大統領に、あおられない方がよいのではないか。

ノリピー云々は、あくまでもくだらない話題かもしれないが、その背景にある麻薬そのものの問題は、決して小さな問題ではない。
TVなどは、もともとくだらない全く信頼できないものである。
それを嘆くなら、せっかく麻薬の本場におられるのだから、その対策についてでも言及いただいた方がありがたい。
大所高所から、日本のマスコミを叱ってもらいたい。

あくまでも、「そんな感じ」といったレベルだが、今度の押尾と馬鹿ママの件は、警察・マスコミがその気になってやれば、日本の大きな闇の一部の解明にもつながるような気がする。

麻薬の問題って、わりと国際問題なんではないですか。

核廃絶に日本がイニシアチブをとるべきというご意見には賛成しますが、冒頭の論説に違和感を覚えましたので最近見た映像・映画から思うところを書きます。NKHアーカイブ「若い広場・矢沢永吉」を懐かしく見ました。ここで、若き日の矢沢氏は「芸能人というのはプライバシーがない。それは判っている。おれだってマッカートニーが隣に引っ越してきたら毎日見学に行くよ。理屈はわかっている、けどくやしいね」という主旨のコメントをしてました。恐らく江戸時代の人気歌舞伎役者なんかも瓦版のよいネタになっていたのでしょうね。もう一つは「笑いの大学」という映画でした。前大戦時におけるお芝居と検閲がテーマの映画でしたが、戦時中でも大衆が笑いを求めていることが良く描かれていたと思います。
 何が言いたいかと申しますと、多くの識者が今回のような芸能スキャンダルばかりを取り上げるマスコミを批判されますが、大衆はそれを望んでいるのです。現実離れした「芸能界」という世界に憧れ、その噂話に耳を傾け、自己同一視して笑ったり泣いたりして日々の息抜きをしているわけです。毎日毎日「政治とは」「外交とは」「政権交代の必要性」では息が詰まるのです。芸能ネタに対するマスコミ報道が過激なのは世界共通です。日本のマスコミだけが特異な訳ではありません。庶民の楽しみを批判してしまえば、「笑いの大学」の中の検閲官と同じになってしまいます。それと、原爆の日には一斉に核廃絶に向けた取り組みの特集が新聞で組まれていました。決して無視されたわけではありません。
 最後に、「矢沢さん選挙に行ったことありますか?」と聞かれた矢沢氏が「コンサートで全国駆け回っているから投票に行く暇ないね。これってよくないよね。本当はよくない。でも、政治家も投票に行きたいと思わせるような政治をして欲しいよね」とコメントしてました。今回、国民が皆投票に行きたい、行かなくちゃと思うような選挙にして欲しいですね。

あったことを無かったことにはできないし、因果応報のあたりまえ故に過去から手切れるコトはありません。
歴史から解ったことは人は歴史から学び知るコトはあっても、そのことをおもって得ることはない、ということです。
その時代の流儀で似たようなことを繰り返すのです、おそらくこれは正邪善悪ではなくてその手前の人そのものの性癖根性なのであろう。
こうした性癖根性のまま正邪善悪のお彼岸に往くには余裕に満ちた大人たちと逞しい想像力と素直な良心だけで良い、アソウや小浜はどうでもよい。

我々は、終戦までの歴史の実感は全く無い。しかし、核の問題はズーッと世界で語られてきた問題だ。そして今、やっとアメリカが核の廃絶に踏み込む発言を大統領から発せられた。しかし、唯一の被爆国日本は何故かこの問題を大きく取り上げない。不思議に思っていた。それよりも更に日本の政府の姿勢は何故か、むしろ核を含めて戦争参戦の方向に一歩ずつ踏み込んでいる。日本は世界でも有数の自衛隊の軍備を持っている。しかし、日本の信頼は、憲法で戦争放棄を謳い。その前提としての被爆国としての現実のキズと被害者が現実に存在するのに、されば日本は声高に戦争放棄を世界に訴えるべきだし、日米安保の関係でもオバマへの支援と説得を出来る唯一の国なのだ。そんな状況の日本が、インド洋海上給油に無条件継続、核持ち込み密約問題等アメリカとは更なる話し合いのチャンスが多々あるのに、麻生は結局何もしなかった。国内では責任力なんて威張っているけど、世界に対する責任はこの核廃絶問題には責任があるはずだ。戦争をやめようとしている大国アメリカと戦争に積極的協力を進めようとしている日本、何が裏に有るのか?疑問だ。

原爆製造に取り込まれてしまったオッペンハイマ-のような科学者もいれば

>水爆を作らないかという提案を拒否して職場を去った、ような「良心」を忘れなかった科学者もいたのですね。

失業を覚悟で抵抗するしかできない科学者の非力と厳しさを考えさせられます。

金で魂を売ったカーン博士みたいなものもいるし、「良心」というのは難しいものです。

メディアの低俗さにあきれてしまいます。もっと大事なことを採り上げて報道すべきでしょうに。

「日本政府とアメリカ国防総省、国務省、国家安全保障会議等に巣食う「安保屋」(©寺島実郎)たちの「アメリカの極東核政策は極力変更なしで」行ってほしい、という主張」

本当に酷いですね。

>「唯一の被爆国」である日本の一部官僚たちの要請によって、オバマの核廃絶演説が後退させられる事態が来るとすれば、それは「皮肉であり悲劇的でさえある」(「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキー)

こんなこと、決してあってはならない。

鳩山さんは核廃絶を「鳩山外交」の柱に位置付け、核廃絶に前向きなオバマ米大統領との連携強化を図る考えであるそうです。
「鳩山氏はこの後、記者団に「唯一の被爆国である日本がリーダーシップを発揮し、例えば米ロの非核化交渉を演出する役割を果たすべきではないか。オバマ大統領が(核廃絶に関して)あそこまで言った以上、日本としてこの機を絶対にうまくつかまなければいけない」と指摘。また、オバマ大統領の広島招請について「意義のあることと強く感じる」と述べた。」(時事通信)。

大賛成です。ぜひ、積極的に、核廃絶のリーダーシップを発揮して下さることを強くお願いしたいです。オバマさんをひっぱっていくくらい強いリーダーシップを。
いま、鳩山さんの、国民のための政治の実現へと向かう、使命感燃えている表情、あの光り輝く目をみれば、それができるに違いと私は強く思っています。あの鳩山さんの変革者のオーラに私は深く感動しています。あの表情、目がそれを語っています。

12日東京新聞Webによると、
「オバマ米大統領は11日、ニューハンプシャー州での対話集会で、焦点の医療保険改革に反対する保険業界や保守派が、既得権益を守るため虚偽情報を流して世論をミスリードしていると非難。多額の補助金を受給する同業界は不当な巨利を得ているとして「米国民は保険会社の人質だ」と述べるなど、従来にない激しさで“抵抗勢力”の切り崩しに攻勢を強めた。」
とあります。

この医療保険改革については、前回の金平さんのエントリーにもありました。オバマはオバマ・ヘイターたちとの激しい戦いをしているようです。
日本も、既得権益を持つ勢力との激しい戦いを国民とともに、国民一丸となって、はじめていかなければならないでしょう。それらを打ち砕き、戦いを勝ち取らなければならないでしょう。

金平さん、興味深い記事をありがとうございます。原爆の話題は日本では8月の風物詩化しています。むしろ、原爆を正当化する人が6割といわれるアメリカで、今も原爆論争が活発におこなわれていることは、アメリカの掲示板などでも明らかです。

日本における論争の不活発化のワケは様々あるでしょうが、一番大きいのは日本人が「諦めた」ことにあると思います。以前は、アメリカに原爆投下の犯罪性を謝罪させよう、という声もかなりありましたが、日本政府にそのような覚悟も力もない事は明らかです。

オバマの核廃絶をみなさん高く評価していますが、私はあれを「他国が捨てないうちはアメリカは核を捨てることはない」という宣言と聞きました。たしか、アイム・ナット・ナイーブというセリフがあったはず。

こういう点から考えて、私は日本政府の核廃絶妨害行為に見えるものは、案外、オバマ演説の真意を掴んだ行動なのではないか、と勘繰っていますが。

関連意見としてお読み頂きたい。「核兵器廃絶を悲願とし、非核3原則を遵守する日本国」と「するに至る日本国」はまさに理想と現実の相剋といえる。今、改めて、広島、長崎への原爆投下により亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

国内、国外問わず、不法、合法関係なく、例えば、銃を所持すれば、人の心が乱れれば、いつでも使用され、悲惨な事件が起きていることは周知の通りである。米国が原子力発電技術を北朝鮮に原子力平和利用として供与したが、結局、現実は核兵器と核拡散の脅威にさらされている。原発の原子力平和利用とは名ばかりである証左である。いずれにしても、日本とて、北朝鮮とて、イデオロギーと関係なく、置かれた状況が変われば、邪悪な道へ振り子は動くことは過去の多くの歴史が教えているところである。その位、人間は邪悪なものが潜在意識に容易に入り込むことを前提に物事に対処して丁度よいのである。

1982年4月5日の参議院での政府答弁に「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されておらない。したがって、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であろうと通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」とある。最近になり、自民党の閣僚経験者、総理大臣経験者が「核兵器の保有は憲法では禁止されていない」とか、「小型であれば原子爆弾の保有も使用も問題ない」とかの暴論を吐いているが、昔の政府答弁そのものを踏襲しており、自民党の非核3原則は、すでに有名無実化した実態のないものとはっきり認識しておかねばならない。さらに元外務省次官の「核密約の存在」の証言も奇しくも北朝鮮問題と絡みタイミングよくでてきた。また、外務省幹部の談話として、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たないという形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」と何のひねりも無くほざいている。北朝鮮核問題を引き金に、これまでの政府答弁からして、政策を官僚丸投げしてきた自民党は邪悪な道に、いつ転んでもおかしくない状況になっている。

自民党はあまりにも長きにわたり政権党として存在した結果、政官業癒着を進行させ、民意からかけ離れた政治家ならびに官僚を誕生させ、官僚丸投げの政策を次々と実施してきた。原発政策推進もその一つである。現在の日本の原発政策推進の結果、原子炉、再処理、ウラン濃縮技術による核兵器製造技術を手にし、さらにロケット技術はすでに有しており、これらの技術が合体すれば、いつでも核兵器ミサイルを発射できる。あたかも、エネルギー部局の官僚により歴代受け継がれてきたかのごとく、原発政策の強引な推進と過去の政府答弁とはあまりにもよく符合していることは偶然ではなかろう。

このような状況下で、電力会社を介した原子力発電による電気エネルギーの国民への供給という目くらましにより、おおかた原発政策の真の狙いは国民には見えていない。今こそ、皆、目を覚まし、非核3原則の有名無実化を根底で支えてきた原発推進政策にNOを突きつけることが問われているのではなかろうか。

私はオバマ大統領の演説を。
「先進国で有る我々が核兵器開発のコントロールが出来なく成ってきたので、もしテロリストの手に渡ってアメリカが狙われたら困るので皆さんもうそろそろ止めた方が良いんじゃないでしょうか」
と聞いたんですけど考え過ぎでしょうか。

文章が一部欠落していました。申し訳ありません。再度アップさせて頂きます。前のものを削除頂ければと思います。よろしくお願いします。

「核兵器廃絶を悲願とし、非核3原則を遵守する日本国」と「原発政策推進により見做し核兵器製造技術を保有するに至る日本国」はまさに理想と現実の相剋といえる。今、改めて、広島、長崎への原爆投下により亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

国内、国外問わず、不法、合法関係なく、例えば、銃を所持すれば、人の心が乱れれば、いつでも使用され、悲惨な事件が起きていることは周知の通りである。米国が原子力発電技術を北朝鮮に原子力平和利用として供与したが、結局、現実は核兵器と核拡散の脅威にさらされている。原発の原子力平和利用とは名ばかりである証左である。いずれにしても、日本とて、北朝鮮とて、イデオロギーと関係なく、置かれた状況が変われば、邪悪な道へ振り子は動くことは過去の多くの歴史が教えているところである。その位、人間は邪悪なものが潜在意識に容易に入り込むことを前提に物事に対処して丁度よいのである。

1982年4月5日の参議院での政府答弁に「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されておらない。したがって、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であろうと通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」とある。最近になり、自民党の閣僚経験者、総理大臣経験者が「核兵器の保有は憲法では禁止されていない」とか、「小型であれば原子爆弾の保有も使用も問題ない」とかの暴論を吐いているが、昔の政府答弁そのものを踏襲しており、自民党の非核3原則は、すでに有名無実化した実態のないものとはっきり認識しておかねばならない。さらに元外務省次官の「核密約の存在」の証言も奇しくも北朝鮮問題と絡みタイミングよくでてきた。また、外務省幹部の談話として、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たないという形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」と何のひねりも無くほざいている。北朝鮮核問題を引き金に、これまでの政府答弁からして、政策を官僚丸投げしてきた自民党は邪悪な道に、いつ転んでもおかしくない状況になっている。

自民党はあまりにも長きにわたり政権党として存在した結果、政官業癒着を進行させ、民意からかけ離れた政治家ならびに官僚を誕生させ、官僚丸投げの政策を次々と実施してきた。原発政策推進もその一つである。現在の日本は原発政策推進の結果、原子炉、再処理、ウラン濃縮技術による核兵器製造技術を手にし、さらにロケット技術はすでに有しており、これらの技術が合体すれば、いつでも核兵器ミサイルを発射できる。あたかも、エネルギー部局の官僚により歴代受け継がれてきたかのごとく、原発政策の強引な推進と過去の政府答弁とはあまりにもよく符合していることは偶然ではなかろう。

このような状況下で、電力会社を介した原子力発電による電気エネルギーの国民への供給という目くらましにより、おおかた原発政策の真の狙いは国民には見えていない。今こそ、皆、目を覚まし、非核3原則の有名無実化を根底で支えてきた原発推進政策にNOを突きつけることが問われているのではなかろうか。

日本の政治家の中には、日本も核武装したくてたまららない人達が沢山います。TV を観ながら夫が「この一連の芸能人逮捕劇は、もしかしたら『8月』への口封じかもな・・・」と、冗談には聞こえない様な事を呟いておりました。
考えすぎかも知れませんが、この時期を選んでのこの騒ぎ、仕組まれたモノだと思えなくもない推測が自分でも怖いです。

他に考えられるのは、メディアの衰弱です。
今日「新聞・テレビは死ぬのか」という気になる記事があったので、週刊現代を購入しましたが、この不況は今のメディアにとって、スポット広告の激減で想像以上の経営難なのですね。これじゃ、視聴率を取るために「発情」「憤慨」という撒き餌をするしかないのかもしれません。それは金平さん自身が私たち以上にお家事情を御存知なのではないですか? 金平さんが遠く異国に居ようと居まいと、ジャーナリストとして「見えない」などと呑気なことを仰っていていいんですか?
「見えない」モノを「見える」様にするのが、ジャーナリストの役割でしょう。

古い付き合いのアメリカの友人は、お母さんが政治家で、家族何がしかの反核活動をしています。お兄さんは広島平和記念館の理事か何かだったと思います。広島で活動し続ける本意がクリスチャンとしての使命なのか、個人的な核廃絶論に基づくのか、聞いたことはありませんが。とにかく、きのこ雲がデザインになる国での活動は、決して楽なものではありません。日本人が外国人の輪の中で原爆について話すのもご存知のように難しい。「あの時日本が何をしたか」の一線を越えることができず、話がかみ合わないもどかしさを何度経験するでしょう。

ところが、この夏はちょっとした変化を感じます。これまで原爆に関心があったとも思えないアメリカの家族や友人がその話しをします。広島、長崎を勉強したと言い、「あの時日本が何をしたか」を越えた人もいます。人類共通の視点に立つ危機の時代とも考えられますが、ほんの一握りの人にしかなかった「核を使った唯一の国」としての自覚を大統領が発言したことの影響かと、勝手に感じています。日本では三宅一生氏に続きあるタレントが被爆2世であることを告白。若い世代に影響するという見解のある一方、被爆2世って何?と言葉も知らない若者もいると。
もちろんアメリカの「原爆投下正当」論、日本の「核の傘の下」論など、簡単に越えられない壁は高く厚いけれど、オバマ大統領の登場で、市民の想像力を一笑に付することのないエポックになってほしいと思います。人類は愚かではないはずと信じたい。 Dr. Strangelove、We’ll meet again, don’t know where, don’t know when♪が悲しく聞こえます。

追伸 芸能ネタはアメリカ人も好きではないかと。以前、ブリちゃんが自宅から病院に運ばれるのをヘリコプターで生中継したと友人が呆れていました。金平さんが仰るのは、メディアが延々とトップに扱う事件か、という意味ですね。私が気になるのは、目に余る奇行ならともかく、足首に刺青、髪を振り乱して踊っている程度のことで、あの頃から覚醒剤というステレオタイプの解説です。薬物撲滅運動と、子供たちへの的外れの規制が混同しそうの感あり。

Longo 様

私もこの記事のトップのモノクロームのキノコ雲を見て、真っ先に Dr. Strange Love を思い浮かべていました。この映画、暗記するほど観ています。

ソ連が崩壊した時には、原爆が冷戦の「負の遺産」で済むとその頃単純に喜んでいましたが、遺産ではなく財産となってまだまだ増殖していることに、人間という生物はもしかしたら元々獰猛な獣かも知れないと、そんな事をふと考えていました。

金平さんが嘆いていらっしゃる今年の日本の8月は、オバマ大統領の「核廃絶演説」で、ヒロシマもナガサキもより多くの世代が刺激され、原爆に纏わる様々なイベントや映像や証言が8月に発信されている様な気がします。私もLongoさんと同じく、例年とは少し違う変化を感じています。

日本は唯一の被爆国として、アメリカは唯一の原爆投下国として、お互いの反省を世界に発信する必要が迫っています。相手に反省を強要するのではなく、互いが自発的に自らの清算をすべきです。
日本もまだまだ過去の清算が終わっていないのは言うまでもありません。

オバマ・ヘイター達はまさに Dr.Strange Love いや・・・リッパー将軍なのかもしれませんね。

LEE様
お返事ありがとうございます。
今夜は家でチェンジリングを見たんですけれど、警察の嘘八百やCuckoo’s nestも入っていて長い映画。最後に夫が、そもそも最初の駅のシーンで自分の子供でもないのに一緒に写真を撮るのが間違っている、と言うので2時間の疲れがどっと出ましたけれど、あれ本当の話しなんですよね。
そう、Dr. Strangeloveは何度見ても飽きないですね。1人3役のピーター・セラーズも。
LEEさんのコメント素晴らしい、特に、日本は唯一の被爆国として、の段、同感です。
もうすぐ選挙ですね。とにかく変わって欲しいとは思うのですが、平和憲法となると民主党も危ういところが。映画の中で博士が右手が上がってしまうのを必死に抑えるでしょう。「総督!」ではないけれど、うっかりすると右手が上がってしまう政治家が民主党にも結構いますよね。選ぶ人を慎重に見極めないと。

Longo様、Lee様。お2人の興味深いコメントには、いつも力をもらっています。2か月ほど前にNYの映画館で、実に久しぶりにDr.Strangeloveを見ました。自分の記憶がいかに曖昧なものかを思い知りました。というのも、核爆弾に乗って地上に落ちていく映像が自分の記憶のなかにあったものとまるで違っていたのです。考えてみれば、あの映画をみたのは、僕が高校生の頃で、確か池袋の文芸坐か文芸地下かのどっちかでだったと思います。今、再びこの映画をみて、ピーター・セラーズの快演におもわず拍手を送りたくなってしまいました。さらに、この映画で描かれている状況が、危機管理という掛け声に慌てふためく日本の現状況と重なってみえました。キュブリックはスゴい。それとともにイギリスが映画製作に噛むと、このような根源的な笑いが醸し出される。satire(諧謔)というセンスなのでしょうね。このセンスが活かされていたのが最近みた「In The Loop」という映画でした。僕がどうしてもても自分に欠けていると思うのは、この諧謔精神です。笑いのめすこと。こわばった空気をマッサージすること。目標達成のためにまなじりを決している人々を脱臼させること。このThe Journal に欠けているのも、この諧謔の精神だと思っています。
Longo,Lee さんとも僕とそれほど違わない世代に属した方だとお見受けしますが、今後とも生産的でsatireとしても質のいい議論をしてまいりましょう。ありがとうございました。

>このThe Journal に欠けているのも、この諧謔の精神だと思っています。

なるほど、そうかも知れません。

Dr.Strangeloveは面白いのでDVDで買いました。そちらの映画館でかかってますか。終戦記念日にあの映画を見る、というのも諧謔になるかな?ー

>Longo様  金平様

お返事ありがとうございます。

私は The Journal に投稿される皆様のように博識ではありませんが、日本だけではなく世界中の不条理にはせめて敏感でありたいと心がけている毎日です。
その不条理を訴える方法として報道や評論がありますが、他にメッセージ性のある映画や小説や音楽は、様々なことを本能的にも感情的にも五感で捉えることが出来、私はそこから感じ「想像」をふくらますのが好きな類です。
ですので、ここでは少数派であると思いますが、映画の話が出来るのは嬉しいことです。
「In The Loop」、日本での上映が何時になるかわかりませんが、私も早く見てみたい映画です。

因みに、私は Dr.Strange Love は、昔、国立にあったオデオン座でロッキーホラーショーとの2本立てで見たのが最初です。

>Longo様

Cuckoo’s nestもチェンジリングも、怖い映画でしたよね。
権力というものが持ち合わせる「闇」が、如何に絶対的なものか、それが単に一市民であっても、私たちも含め、いつ行使されるか分からない立場であることに戦慄を覚えます。
それにしても Cuckoo’s nest のジャック・ニコルソン然りなのですが、チェンジリングのアンジェリーナのあの演技・・・。時が経つにつれ、どんどん痩せ衰えていくあの様を見ていると、その凄まじい役者根性に、役者には事欠かない国を羨ましく思います。

そうそう。私も政権交代を待ちきれないほどに今度の選挙を楽しみにしているのですが、私の住む東京3区は、民主に入れたくても候補者が民主党の中でも一二を争うネオコン議員・・・相手は自民の都知事の三男坊・・・。ネオコン対ネオコンの最悪な選挙区で、じゃあ共産党はと言えば、なんだかカビが生えたようなおじいちゃん・・・。マッタク、トホホな選挙区でイヤになっちゃいます。

>中尾友次郎様

>終戦記念日にあの映画を見る、というのも諧謔になるかな?

政治を語る時に、理論は絶対必要だと思いますし、その為に勉強や研究が必要なのは当然なのですが、何れ、人類の未来は全て「人間」が決めてゆくこと。
そう思うと、人間が持つ『喜怒哀楽』の部分も絶えず研ぎ澄ましてバランスを取っていきたいと私は思っていますので、風刺センスを磨くにはこの映画、もってこいですよね。

初めてコメントします。

私はテレビ報道の核心を知るものではありません。
金平さんのおっしゃるように、総選挙直前以前は、確かに国内の主流報道は視聴率の取れる酒井法子がトップニュースでした。
しかし、ご承知のように、国内の被爆地は国際的な非核化への動きを詳細に伝えています。
山陰中央新報の8/6 論説では、オバマ大統領のプラハ演説だけではなく、そこに至るまでのキッシンジャー、シュルツ両元国務長官、ペリー元国防長官らの核廃絶に向けた行動を報じています。

沖縄タイムスも平常時から、基地問題を主軸とする日米関係と平和運動を報じ続けているし、このコメントを書き込むのがタイミング的に遅くなってしまったことを除けば、偉そうには言いたくないけれど、むしろ地方紙に日本の平和教育の旗振り役を担う可能性があるのではないでしょうか。

私は大手メディアの信奉者ではなく、むしろオルタナティブな市民メディアの力や所属を持たないフリーランスの力にこそ、メディアと市民との信頼関係を修復していく可能性を感じています。

日本には、来年の2月に完成を予定している第二次世界大戦をテーマとした自主映画を作っている、前田真吹さんというフリーカメラマンもいます。 

ブログ
http://mahou9.blogspot.com/

真吹さんはアフガニスタンで井戸を掘り、インドネシアスマトラ島沖大地震でNGOのカメラマンとして現地入りし、新潟中越大震災でもボランティア団体のリーダーに密着してカメラを回し続けた。
彼女のようなフリーランスが日本にいる限り、平和教育の継承はなくなることはないのではないかと若輩ながら、思います。  

金平さん

ご無沙汰しています。

日本と核態勢の見直しの関係については、昨日UCSが発表した公開書簡をご覧ください。
http://www.ucsusa.org/news/press_release/letter-urges-us-japan-nuclear-0285.html

核情報
http://www.kakujoho.net/
にも関連記事があります。
公開書簡についても紹介する予定です。

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Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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