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2009年5月21日

オバマ政権・駐日大使人事から読み取れる「冷徹」

 本欄17日付けの駐中国大使人事の記事末尾で予告したように、20日になってからオバマ政権が、弁護士のジョン・ルース氏(54)を次期駐日大使に指名するとの情報が入ってきた。ルースという人物の名を聞いて、すぐにピンと来た人はオバマの大統領選挙に深く通暁していた人だろう。僕は知らなかった。恥ずかしい。ただ、ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授の指名を既定事実として報じることには抵抗感があった。知日派の人物から警告も受けていたからだ。「いくら何でもあのタイミングでのナイ報道はprematureだ」と。ジョン・ルース氏はオバマ選挙キャンペーンの大口寄付者の一人だ。本人はシリコンバレーをベースにしたIT企業のM&Aなどを手がける辣腕弁護士ということで、1980年にスタンフォード大ロースクールを卒業して、弁護士を開業。全米で最も有能な弁護士リストに2007年から3年続けて掲載されている。近い将来には中国、インド、イスラエルに事務所を拡張したいと豊富を語っていたそうだ。日本との接点をいくら探してもみつからない。本人に聞くしかないだろう。ただ彼がCEOをつとめるWilson Sonsini Goodrich & Rosatiのホームページには中国語版がちゃんとある。明らかに、これまでの駐日大使任命の系譜とは異なるようにみえる。敢えて言えば、シーファー前大使に近いとも言えるけれども、シーファー氏はオーストラリア大使を歴任している。全くの外交経験なしの人物の大使起用はいかにも大胆である。同じ年齢だが、駐中国大使のハンツマン氏(現ユタ州知事)のほうは中国との縁が深いし行政経験がある。この中国と日本とのコントラスト。

 駐日大使の人選をめぐっては、オバマの指揮するホワイトハウスとヒラリーの指揮する国務省とのあいだで確執があったという。当初、国務省はジョセフ・ナイ氏を押したが、主要国の大使をホワイトハウスから直接コントロールするという方針を打ち出す構えの「オバマ流」が人事政策にも現れ、先の駐中国大使や今回の駐日大使人事にもつながったのだという。知日派の一人は「ヒラリーに平手打ちを食らわせた」ようなものとまで言う。また別の事情通によれば、駐日大使人事をめぐって、NSC(国家安全保障会議)アジア上級部長のジェフリー・ベイダーとヒラリー国務長官が対立し、結局は「論功行賞」的な色彩の強いNSCの主張する方向になったのだという。「冷徹」なる力関係がそこに働いたのである。ルース氏の大使としての力量は全くの未知数。今後の日米関係がどのような方向に進むのかはわからない。外交をめぐるホワイトハウス(NSC)と国務省の対立は今に始まったことではない。ただ日本の位置づけを評価する際には、安全保障をつかさどる側の意見が優先されることになる。だが、それにしても従来の「安保屋」(©寺島実郎さん)とは異なる54歳の登場。企業買収とは訳が違う「安保」の方は大丈夫なのだろうか。

 そして、オバマとヒラリーという2人の立ち位置。そう言えば、きのう(19日)、ヒラリーは就任以来初めて、外国プレスだけを対象にした記者会見を行った。僕も以前、コリン・パウエル国務長官の同様の会見に出たことがあるけれど、その時はワシントンのナショナル・プレス・ビルに彼の方からやって来て1時間以上やった。ヒラリーの場合は何とホワイトハウスで会見をやって記者たちに来させた。しかもNYとイタリアと衛星回線で繋いでの仕掛け。質問は7問。予め質問者がピックアップされていた。僕はNYの会場にいたけれども、ヒラリー国務長官は何だかコワい感じがした。ひょっとして、こういう厄介な問題を抱えていて心中穏やかならざるものがあったからか。なお、ルース氏の指名についての正式な政府発表はまだ行われていない。

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『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版

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2009年5月17日

オバマ政権・駐中国大使指名の巧みさ

 指名が遅れていたアメリカの駐中国大使に、共和党知事のホープ、現ユタ州知事のジョン・ハンツマン(49)が指名されることになった。オバマ大統領が16日の午前になって発表した。ハンツマンは先の大統領選挙ではマケイン候補支持で精力的に動き回り、2012年の共和党大統領候補にも名前が挙がっていたほどの人物だ。中国語に堪能で、オバマ大統領とともに会見場に姿をあらわしたハンツマンは挨拶を中国語でしめくくっていた。この指名についてオバマ大統領は、米中関係の「特異な重要性を熟慮した」結果と述べた。意表をついた人選である。オバマの巧みな人事戦略をみせつけられたような気がする。21世紀の地球規模の課題は、これからはアメリカと中国という「G2」が協力していかなければならないのだという覚悟が伝わってくるようだ。
 
 ハンツマンは、環境問題への取り組みや同性婚への理解も示している共和党内穏健派。経歴も変わっていて、化学工業大手のハンツマン創業家の御曹司だが、高校を中退してロックバンドを結成して演奏を続けていたり、モルモン教の布教で台湾に住んでいたこともある。夫人とのあいだに7人の子供がいるが、そのうちの一人が中国からの養女である。中国の文化への理解も深い。

 ニューヨークでは、このところ、中国に対するアメリカの関心がますます深まっていくのを目の当たりにすることが多い。ガイトナー財務長官の訪中といった直近のニュースをはじめ、日本ではほとんど話題にもなっていない趙紫陽の回想録(英語版と中国語版。この内容がなかなか興味深い!今年は天安門事件から20周年にあたる。)が近く香港で出版されるニュース、チベットの人権状況への根強いコミットメント(パンチェン・ラマ11世の死亡説など)、さらにはグアンタナモ基地テロ容疑者収容所のウイグル人拘束者の解放問題など、中国に関連するビビッドな情報が次々に入ってくる。中国語を学ぶアメリカの学生数は年々増加し続けている。いやが応でも「G2」の時代がひたひたと目の前に現れつつあるのだ。

 さて、駐日本大使の指名はまだ発表されていないが、そろそろ発表の時期が近づいているようだ。

2009年5月 3日

速報:忌野清志郎さん、ありがとう

ニューヨーク時間の2日の朝、東京から一本の電話が入った。忌野清志郎さんのマネージャーの相澤さんからだった。「今日ね、清志郎がこの世からね、いなくなった」。絶句した。ガンと戦い続けて、ステージにも立ち続けた。最後の最後までロッカー、シンガーだった。かっこよかった! 忌野清志郎さん、たくさんの勇気を、ありがとうございました。同じガン闘病「仲間」の筑紫さんと、あちらで再会ですね。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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