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2009年2月11日

変わる、変わるよ、ホワイトハウス

 ハネムーン期間の100日と言われる時間の5分の1が過ぎたが、オバマ新大統領の実行力はやはりかなりのものだと思う。ニューヨークからみているだけでは細部まではわからないけれども、おそらく日常的に取材しているホワイトハウス詰め記者たちも、おちおち休みもとれないピッチで物事が進捗しているのではないだろうか。そこで何が変わっているのか、変わりつつあるのか。ここでは手法=スタイルという面だけに焦点をあてて、その変化のありようを確認しておこう。

 <進化するメディアに対応する大統領>オバマはホワイトハウスで歴代大統領のなかで初めて執務の一環として携帯電話(かつての愛用の機種はBlack Berry Boldだった)を使い始めた人物である。それまでは安全保障と記録保全(Presidential Records Actによって行動・会話の記録保管が義務づけられている)の観点から、大統領の携帯電話使用が控えられていた。大統領という「公人」になった瞬間に、コミュニケーションの分野でのプライバシーは放棄してください。こういう基準自体がもはや「古すぎる」と宣言されたのだ。オバマは自他共に認めるブラックベリー中毒。選挙キャンペーン中も肌身離さず愛用のブラックベリーでメールをチェックしていた。主として、大統領の公的・私的な会話が外部に漏えいする危惧からの禁止要請だったが、オバマはこれを敢然と拒否、限られた交信先(40人以上と言われている)とのあいだで、しかも厳重なセキュリティ・システム(会話の暗号化など)を施した特別仕様の携帯電話を使いだした。すると、不思議なことに、オバマと交信できる「選ばれた」人物が誰か、というのがホワイトハウスのエリートのステイタス・シンボルになりだした。権力とはそのようなものである。
 
 <ユーチューブ大統領(YouTube Presidency)>歴代の大統領が続けてきた定例の「週刊ラジオ演説」を「週刊ラジオ&インターネット演説」に、あっさりと変えてしまった。それまでは毎週土曜日の朝の決まった時間に録音された大統領の演説(もちろん音声だけ)が流されていたが、オバマは、ラジオ放送と同時に、ホワイトハウスのウェブサイトに、映像版を発信し出した。それと同時にYouTubeに立ちあげられたオバマの映像付き演説が、インターネットを通じて支持者リストのアドレス(何と1300万人!が登録されている)に時間をおかずに届けられる。実際にこれが始まって、僕自身のアドレスにも映像が届いてくるのをみると、今まで律儀に続けられていたあの「ラジオ演説」って一体何だったのか、と思うほどだ。インパクトがまるで違うのだ。大統領のウィークリー演説のYouTube閲覧者は何と60万人にものぼるという。MTV並みの人気である。
 
 <大統領=コミュニケーター>大統領記者会見が様変わりした。2月9日のテレビのプライム・タイム(東部時間夜8時から9時)に照準を合わせた就任後最初の記者会見。実はここでも変化があった。会場はホワイトハウスのイーストルーム。定例の記者会見が行われる場所ではない。ここのドアが開くまでの長いアプローチの後、前のブッシュがプライムタイムにやっていたのは一方的なテレビ演説だった。無人の空間でテレビカメラに向けて話し出す。記者はいなかった。今回はここに記者席が設けられた。記者からの質問は全部で13問。もちろんあらかじめ選ばれた記者たちだけが出席した会見だったのだが、そこで初めて「ブログ・ジャーナリスト」が列席を許され質問をした。リベラル派の代表格、『Haffington Post』のSam Stein記者だ。ブッシュ前大統領の誤り(具体的には拷問を認めた政策など)についての真相究明委員会設置提案についてどう思うか、というものだった。「法律を超越する者はだれ一人としていない」とのオバマの答を引き出していた。「ブログ・ジャーナリスト」が、たとえば日本の総理会見に列席し質問するなど、まだ想像の外の出来事だろう。ブッシュ政権時代の末期には、ほとんど質問を封じられていたヘレン・トーマス女史の質問も受けつけたが、もはやこの世にコワい者なしの彼女は「中東諸国で核兵器を所持している国をご存じですか?」(もちろんイスラエルのことを聞いている)と来た。オバマはさすがに直接的な答を避けていたが。この最初の記者会見に対する評価は、主要メディアを見る限り、まだまだ好意的である。今後、どうなるかはわからないが。
 
 <脱・権威・堅苦しさ>スーツからYシャツへ。ホワイトハウス内での身内との会議では、オバマは堅苦しいスーツを脱ぎ棄てて、Yシャツ姿で人と会うことがある。もちろん公賓やセレモニーではきちんとスーツを着るが、それ以外では実に身軽になるようだ。これが今後ノーネクタイまで行くのかどうか。さらに、選挙キャンペーンで実に有効に機能したタウンホール・ミーティング方式の市民対話を大統領に就任した後も、積極的に活用している。2月10日、フロリダ州フォートマイヤーでの市民対話で、オバマは貧困で悩むホームレスの女性の傍らに近付き、キスをした上で、部下に話をさせて助けてあげたいと言っていた。ポピュリストの人気取りだと片付けられない、政治の立ち位置の変化がみえてくるようだ。

 間違ったらすぐに謝る。オバマ政権の閣僚指名の段階で、すでにいくつかの躓きがあった。商務長官候補だったリチャードソンが州の汚職がらみのスキャンダルで指名を辞退、さらに、財務長官のガイトナーらが家政婦さんの税金未納などで叩かれた。ダメ押しは、厚生長官候補だったトム・ダッシュル。彼が税金未納で叩かれると(指名辞退)、オバマは指名した自分の責任を全面的に認め、「権力者と一般国民の扱いは一緒でなければならない。自分はヘマをやらかした(I screwed up。)」と、ABCとのインタビューで素直に謝った。こういう無謬主義との決別は、今でもイラク戦争は間違っていなかった、という前政権とはえらく違う。そして次の手を打つのが早い。
 
 などなど、このように書いてくると、いいこと尽くめのようにみえるかもしれないが、オバマという人物がいかに傑出していようと、無批判に権威化、神格化することはメディアの役割ではないだろう。中東政策などでは臆病なほどの慎重さをみせている。ただ、いまだに揚げ足取りに精出しているラッシュ・リンボーやローラ・インングラハムらのトークラジオの連中は論外だけれども。

Profile

金平茂紀(かねひら・しげのり)

-----<経歴>-----

1953年北海道旭川市生まれ。1977年に在京の民間放送局に入社、以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、同局で筑紫哲也氏がアンカーマンをつとめるニュース番組のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。

BookMarks

-----<著書>-----

ブログが本になりました!
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『報道局長業務外日誌』
2009年6月、青林工藝舎


『米原万里を語る』
2009年5月、かもがわ出版、共著


『テレビニュースは終わらない』
2007年7月、集英社

人気のWeb日誌、出版!
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『ホワイトハウスから徒歩5分』
2007年6月、リトル・モア


慶應義塾大学出版会、部分執筆


『ジャーナリズムの条件4』
2005年5月、岩波書店、部分執筆


『従軍のポリティクス』
2004年7月、青弓社、部分執筆


『二十三時的』
2002年11月、スイッチパブリッシング

『電視的』
1997年12月、太田出版

『ロシアより愛をこめて』
1995年3月、筑摩書房

『世紀末モスクワを行く』
1994年12月、パルコ出版

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