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田中利幸 アーカイブ

2011年4月 5日

田中利幸:オバマ政権「核兵器廃絶」という名の戦力強化

昨年末、米国オバマ政権は、核兵器関連(特に「核兵器体制の現代化」)予算の増額の約束と引き換えに、野党が多数派を占める連邦議会上院で新戦略兵器削減条約(新START)の批准承認をなんとか確保した。これを受けてロシア議会もまたこの批准法案を承認し、今年2月5日に新STARTが発効した。この条約により、米露両国は、向こう7年間で、それぞれの戦略核兵器発射装置を700基に、配備済み戦略核弾頭数を1,550発にまで削減することになっている。

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2010年9月20日

田中利幸:広島オリンピック代替案──国際平和芸術文化際の定期的開催を!

 2020年夏のオリンピックの招致を目指す広島市は、基本計画の焦点とされている財政計画案を進めています。20日のNHKでは「大会の経費の総額は既存の施設を活用することなどでおよそ5,500億円に抑えた」と財政問題を焦点にした報道がありました。

■広島 五輪招致へ経費圧縮の案(9.20/NHK)
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100920/t10014088841000.html

 本誌に記事を寄せていただいている広島平和研究所教授・田中利幸氏は「単に財政的なものだけではない」と広島へのオリンピック誘致を批判をしています。7月にはその田中氏のもとに、広島市役所のオリンピック誘致担当職員のうち2名が説得のため「ご説明」に訪れたそうです。今回は田中氏がその時、市に対して提案した代替案を紹介します。

* * * * *
オリンピック代替案─国際平和芸術文化際の定期的開催を! 広島市民球場跡地利用への展望も含めて
広島平和研究所教授 田中利幸

◆市役所の無謀な計画

 広島市、と言うよりは、秋葉市長が熱望している2020年オリンピック開催についての様々な問題点については、すでに拙論「オリンピック広島誘致批判 -- 税金の浪費、政治腐敗の原因、まやかしの「平和祭典」--」で批判を試みた。

 広島市のオリンピック招致検討担当部の説明によると、「最小の経費で最大の効果を挙げる」ことを目的に、できるだけ簡素なオリンンピックの開催を計画すると言う。

 すでに批判したように、問題は、単に財政的なものだけではなく、そもそも現在のオリンピックが「平和の祭典」などでは決してないこと、したがって、被爆者をはじめ広島市民が市の根本理念と考える「核廃絶・反戦・平和構築」とはむしろ相反する「国力・ナショナリズム誇示」という要素が、現在のオリンピックの主たる性格であることをまず強く認識しておく必要がある。オリンピック招致検討担当部が今年4月に作成した「2020ヒロシマ・オリンピッック開催基本方針」なる資料では、なぜゆえにオリンピックが「平和の祭典」であるのか、その根拠がほとんど説明されておらず、競技会場、選手村、宿泊施設、交通輸送といったインフラ問題をどうするのかという問題に対する、極めて漠然とした対応策について説明することにとどまっている。

「最小の経費」という目的を達成するための手段として、競技会場や選手村を「仮設施設として新設」し、オリンピック終了後にはそれらを解体し、必要に応じて再利用すると言う。例えば、競技会場は次回以降のオリンピックに、選手村の仮設ユニットも次回以降のオリンピックや災害時の避難住宅等として活用する、と言うのである。メインスタジアムとして、アジア競技大会のメインスタジアムであった(5万人収容)広島ビッグアーチの利用可能性を検討する、と「2020ヒロシマ・オリンピッック開催基本方針」では記されている。しかし、オリンピック招致検討担当部の説明によると、10万人収容が必要なメインスタジアムとしては、広島ビッグアーチは小さすぎるため、仮設の大規模スタジアムの建設を構想しているという。仮設とは言え、これほど大規模なスタジアムの建設には莫大な予算が必要であり、オリンピック終了後に解体しても、このような巨大な建物の再利用が果たして可能なのか、という疑問が当然わく。しかも、次回の再利用までに解体した鉄骨その他の大量の資材をどこに備蓄しておくのか、備蓄用倉庫のために毎年嵩む費用だけでも膨大なものになるはずである。次回オリンピック決定都市が、そのような仮設スタジアムを再利用するという保証は全くないし、おそらく現実にはそのような可能性はほとんどないであろう。選手村の仮設ユニットにしても、再利用のメドがたたずに、長期間の資材備蓄が必要となり、これまた多額の予算が毎年必要となる。なんという税金の無駄使いであろうか。「仮設利用」という言葉は合理的に聞こえるが、実際には中身の伴わない空論にしか過ぎない。

 オリンピックを開催するにあたって、すでに競技施設の多くが整っている東京都の場合、2016年オリンピック推定必要経費が7,089億円であった。福岡市の場合は、7,754億円という必要経費を算定していた。したがって、インフレ率を考慮すれば、どんなに少なく見積もっても広島市は、2020年オリンピック開催のために7,000億円を用意しなければならないであろう。周知のように、日本政府の累積赤字が1,000兆円という目がくらむような驚愕的な額になっている。したがって、政府からどれほど財政支援を得られるかひじょうに疑問が多いし、あまりあてにしない方がよいであろう。本年度の広島市の一般会計歳入予算は5,916億円、そのうち税収入が2,000億円に満たない。このような財政状況にある小都市が、6〜7,000億円もの必要経費をどうやって調達するというのであろうか。あまりにも無謀である。

 しかも、すでに別稿で述べたように、オリンピックは極めて一過性的なものであり、オリンピックが終了すれば、すぐに忘れ去られてしまう。2年前の北京オリンピックについていまだ熱っぽく語る人は、どれだけいるであろうか。そのようなオリンピックに、長期持続的で地道な努力が必要な核廃絶のメッセージ発信を託そうなどと考えること自体が、はなはだ浅はかな考えである。

◆反核の持続的メッセージ発信源としての国際平和芸術祭を!

 核廃絶という目的をあと10年で達成することは、残念ながら、現在の世界状況を考えてみるならば、極めて困難である。したがって、我々は地道な反戦・反核運動を持続させていくことが大切である。しかし、運動の方法としては、「平和構築は、夢のある、楽しい活動である」ということをできるだけ多くの人、とくに若者に体感してもらい、「平和構築のために自分の想像力を存分に発展させ、それを使うことの喜び、快感を味わう」という経験を、国内外の多くの人たちと共有することができるようなやり方を、私たちは熟慮してみる必要がある。

 平和を創造するということは、広い意味では、楽しい「芸術活動」であるべきだというのが私の個人的な考えである。そこで、私たちの同じ貴重な税金を使うのであれば、平和創造につながるようなエキサイティングな文化活動のために使うことを私は提唱したい。

 具体的には、国際平和芸術祭の定期的、持続的開催である。2年に一度、夏の終わり、あるいは秋の初めという気候が良い時期の3〜4週間ほどにわたり、広島で、オペラ、音楽、演劇、映画、ダンス、絵画・彫刻、文学など芸術の多面にわたる総合芸術祭を広島で開催し、国内・国外から一流のアーティストを毎回招待して、パフォーマンスあるいは作品を披露してもらうという企画である。毎回、各分野での最高賞を市民の投票で決め、分野ごとに「ヒロシマ賞」を授与するということを考えてもよいであろう。作品は「広義の意味での平和」に関連するものなら、古典作品であろうと現代作品、あるいは新作であろうと、世界のどの国や地域のものであろうと、いかなるものも公演あるいは展示の対象とするという文化的寛容さを示す多文化的芸術祭であって欲しい。文学の分野では、「writers week (作家週間)」という期間をもうけ、世界トップの作家を複数招待し、聴衆の前で自分の作品(一部分でもよい)を読み上げてもらい、聴衆との意見交換を行うというような企画も可能であろう。

 こうした様々な深みのある芸術活動を通して、多くの聴衆や観覧者に平和について考えてもらい、創造的芸術活動を通して平和のメッセージを持続的に広島から発信し続けることができるのが芸術祭の特徴である。プロの芸術家だけではなく、市民や子どもたちが、それぞれの想像力を活かした作品を、一流のプロの前で紹介できるような企画も必要である。そのことによって、市民や子どもが仲間たちと共同でなにかを創造する楽しさを知ることは、平和的な人間関係の構築にとっては根本的に重要なことである。また、この芸術祭開催の時期を利用して、原爆写真展や核問題に関する講演会を開くことも、もちろん考慮すべきであろう。

 この種の持続的な、しかも世界に注目されるような芸術祭を定期的に開催するためには、常設の企画準備組織とスタッフ、とくに世界的に活躍している芸術ディレクターを、例えば4年契約で高額の年俸で雇うということが必要かもしれない。一人のディレクターによるマンネリ化を防ぐために、こうした柔軟な運営方式が理想的である。また、そうした芸術祭を定期的に行うには、それに見合った施設 -- オペラ・ハウス、コンサート・ホール、演劇場、野外音楽堂/劇場 -- といったものを整える必要がある。これらの施設の建設には、もちろん多額の予算が必要であるが、オリンピック必要経費と比較すれば格段に少ない額の予算ですむし、しかも、オリンピックのような一過性ではなく、芸術祭の時期以外にも、継続して使える性質の施設である。芸術祭が回を重ねるごとに、広島市は、招待された芸術家の名声と共に、「平和芸術文化都市」として世界に知られるようになるであろう。観客も国内、海外の様々な国々からこの芸術際を目的に、観光をかねて広島を訪れるようになり、彼らを通して、反核・反戦・平和のメッセージが世界に、静かにではあるが着実に浸透していくであろう。

 実は、人口100万人ほどの地方都市がこの種の芸術祭で大成功をおさめている具体的な例として、南オーストラリア州の州都アデレード市を挙げることができる。2年に1度開かれるアデレード芸術祭は50年近く続いているが、開催期間中は国内外から、世界トップの芸術家のパフォーマンスを見るために、あるいは作家の話をじかに聞くために、観光客がおしかける。

◆広島市民球場跡地を「平和芸術公園」に!

 現在、その跡地利用の方法をめぐって論争が起きている旧広島市民球場も、こうした国際芸術祭の計画との関連で活用することを考えてもよいのではなかろうか。

 広島市には、残念ながら、多くの観客が集える野外音楽堂/劇場が存在しない。現在の平和公園は「祈りの場所」=「静寂の場所」という性格を色濃く持っている。平和には、そのような平和的安らぎの「祈り・静寂」という要素と、平和創造という「躍動・喜び」という要素がある。したがって、平和公園に隣接する場所に、「静」と対照的な「動」の空間が存在すべきではなかろうか。それゆえ、旧広島市民球場の跡地を、「平和創造の躍動・喜び」の空間とするという提案を私はしたい。その中心となるものが「野外音楽堂/劇場」であるが、しかし公園全体が「平和創造の躍動・喜び」という要素を強くもつようなデザインとなることが理想的である。(私個人が考えているのは、例えば、フランク・ゲーリーがデザインしたシカゴの野外コンサート・ホールのある公園Millennium Parkのような楽しい公園である。)

 公園ならびに「野外音楽堂/劇場」のデザインは、平和公園のデザインがコンペ形式をとり、その結果、丹下健三のデザインが採用されたのと同様に、これもまた、建築家のコンペ方式で世界の建築家に応募を呼びかける、というのが私の提案である。その審査には、安藤忠雄、磯崎新、槙文彦、伊藤豊雄といった、現在、世界各地の様々な建築デザインで活躍しており注目を集めている日本の代表的な建築家や、彼らが親しくしている海外の有名建築家(例えば、ダニエル・リーベスキント)で構成するグループに審査委員になってもらい、彼らに最優秀デザインを選ばせるという方式をとることを考えてもよいであろう。

 ただし、選考の際に最も重要視すべき点は、すでに述べたように「平和創造の躍動・喜び」といった基本理念がデザインに深く強く含まれていることである。また、極力、多額の金を使わなくても、環境にやさしい、自然と調和するようなデザインにすることなど、といった基本原則をコンペの条件として入れること。さらには、日本全国のみならず世界各地から公園建設のための募金を募り、募金者の名前と短い反核メッセージを公園のどこかの場所に、なんらかの形で残すことを建築デザインの条件にいれる、などというアイデアがあってよい。世界に知られる丹下健三がデザインし、イサム野口のデザインした橋が架かっている平和公園と併存する場所に自分のデザインした公園拡張地ができるとなれば、これは世界各国から建築家がコンペに参加するはずである。とくに、まだ名前の知られていない若手建築家は、こぞって応募するであろう。採用されれば報酬ゼロでもやってもよいという建築家が現れても不思議ではない。こうした企画は、世界に名前が知られている「ヒロシマ」だからこそできることで、 他の都市にはできない。「ヒロシマ」の名前を、こういうところで多いに利用すべきである。

 いずれにせよ、「オリンピックは是か非か」といった議論を市民が多いに、しかも公開の場所でできるような機会を、市長ならびに市役所はもっと積極的に作っていくべきであろう。そのとき、オリンピックに替わる斬新なアイデアも同時に市民から募集するという、開かれた且つ柔軟な姿勢で市長には対処してもらいたい。

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2010年9月 4日

田中利幸:「2010 NPT 再検討会議」の結果とオバマ政権の核政策批判(後編)

増大する軍事予算と戦費=オバマ政権の軍事戦略の実相

 増大したのは核兵器関連予算だけではない。2010年度に国防省に配分された予算額は6,800億ドル(約61兆円 比較:日本の国家予算85兆円)であるが、これがアメリカが使う軍事費の総額ではない。この数字には、前述の核兵器関連予算や、国内警備関連予算、情報収集関連予算、退役軍人年金など諸々の国防省以外に配分されている予算は含まれていない。したがって、実質的には、アメリカの軍事支出は国防省予算の倍額になると言われている。その上、アフガニスタンでの戦費200億ドルもまた、これとは別建ての予算である。2009年ブッシュ政権下での国防省予算・核兵器関連予算・戦費の合計が6,810億ドルであったので、今年度のオバマ政権の軍事費は、それをはるかに超える金額となっている。2011年度国防省予算として、オバマは7,080億ドルを要求している。かくして、実に皮肉なことに、ノーベル平和賞を授与された大統領の下で、軍事費が史上最大のものとなっているのである。

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2010年9月 2日

田中利幸:「2010 NPT 再検討会議」の結果とオバマ政権の核政策批判(前編)

 広島平和研究所教授で『空の戦争史』の著者でもある田中利幸氏がオバマ政権の核政策についての文書を寄せて下さいました。オバマ政権が発表してきた関連政策を客観的に分析することで、いかに「核廃絶の夢」が「幻想」であるかを批判しています。「核軍縮・核廃絶を目指す、すばらしい大統領、オバマ」という「オバマ神話」を崩し、市民社会側が今後どのように核廃絶運動を進めて行けばよいかを示したものです。(前・後編にわけて掲載)

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NPT再検討会議の失敗

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2010年8月11日

田中利幸:オリンピック広島誘致批判(後編)─ まやかしの「平和の祭典」

 現代オリンピックには2つの性格がある。1つは、すでに述べた「国家力誇示=ナショナリズム高揚」であり、もう1つは「市場経済=金銭的腐敗」である。

 オリンピックでトップ選手がどの会社が製造した水着や靴、スキー、スケート等々を使うかは、製造会社にとっては巨額の富をもたらすか否かの大きな違いにつながる一大事である。そのためスポーツ用品製造会社は選手やコーチに莫大な「投資」を行う。メダルをとるためには、選手は一流のコーチ、スポーツ・ドクターを雇い、豊富な練習設備と自己のパフォーパンスの科学的分析を行う高価なハイテク機器と分析専門家、働かなくとも毎日練習できる生活を数年間おくるための資金、練習キャンプ地に出かける旅費、宿泊費等々、これら全てを総計すると億単位の金が必要となると言われている。金メダルをとるには、文字通り巨額の「金(かね)」がまず必要であり、純粋な「能力」だけでは決してメダリストにはなれない。したがって、選手も、いやがおうでも大企業をスポンサーにして「金浸し」になる。1974年のオリンピック憲章改訂までは一応「アマチュア主義」を維持してきたオリンピックも、改訂以後は急速に商業化の道を強化拡大させていき、今では「五輪サーカス」と称されるほどオリンピックはあらゆる面でショー・ビジネス化され巨大産業化されてしまっている。

 それだけではなく、オリンピックは徹底的に資本家たちに利用され、そのため長年の間IOC委員会は腐敗と汚職で堕落しきっていることは周知の通りであるが、オリンピック誘致をめぐっては、誘致都市や国家の政治腐敗をも引き起こしている。

 例えば、長野冬期オリンピック開催にあたっては、堤美明が自分の会社が経営するスキー場やホテルを利用させるため、当時のIOC会長サマランチを買収するなどして誘致に狂奔したという噂は良く知られている。さらには長野県もまた、ゼネコンと結びついて新幹線や高速道路の建設を推進し、活動予算の不明朗会計、招致委員会帳簿の消却、町内会への圧力による動員=反対派の孤立化・非国民扱い、といったがむしゃらな「誘致活動」を行った。

 ほとんどの開催都市や地方自治体が、オリンピック関連施設建設を中心にしたこの種の巨大開発に多額の予算を使うため、その結果、住民のための福祉予算の大幅削減、住民税の増額、地価の高騰、借地借家賃の上昇、物価上昇などの深刻な経済問題を抱えることになる。さらには、すでに述べたように、貧困地区の強制撤去やホームレスの人たちの追い出しという人権侵害問題を引き起こすのが、開催都市でみられる共通の現象となっている。その上、オリンピック終了後は、開催都市は巨額の赤字を抱え込むことになるため、深刻な財政難に長年悩まされるのもまた、開催都市が直面する共通の問題である。

 昨年末、韓国政府は韓国最大財閥サムスングループ前会長で、背任や脱税で有罪判決が確定していた李健煕(イゴンヒ)氏を大晦日に特別赦免すると発表したが、その理由は、2018年開催の冬季五輪を韓国に誘致するためである。李元会長は現在、国際オリンピック委員会(IOC)委員の資格が停止されているが、李貴男(イギナム)法相は「資格回復の条件を満たし、五輪誘致の環境を整えるため」と特赦理由を説明した。経済界などが李元会長の赦免を求めていたことを踏まえ、「国益を最優先に考えた」としている。李元会長は昨年8月に、グループ会社の株式を安値で長男らに譲り渡して会社に損害を与えたなどとして、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が確定していた。このように、IOCに影響力を持つ人物は、犯罪を犯しても赦されるという政治腐敗を各国で引き起こしているのである。

 昨年秋、アメリカの『シアトル・タイムズ紙』が、いかにヴァンクーバーの冬季オリンピックがスポンサー企業と腐敗関係にあるかを徹底的に暴き出す連続記事を、数日にわたって掲載した。

 その企業とは「ジェット・セット・スポーツ」という名の会社で、持ち主はユーゴスラビアからアメリカに移民したセッド・ディザレヴィックという人物である。1984年のサリエボ大会のときに、故国とのコネを利用してオリンピック・ツアー業で大儲けをしてから、IOCとの繋がりを急速に強めた。IOC委員を「金浸し」にして、この数十年来、毎回の夏冬両方のオリンピック開会式・閉会式のチケットはもちろん、人気のあるゲームのチケットの大部分を独占的に販売できる権利を確保し、それらのチケットを飛行機とホテルのパッケージにして売り出し、大儲けをしている人物である。彼は、オリンピック誘致のためにもIOC委員に金で影響を及ぼすことができる人物の一人である。『シアトル・タイムズ紙』の記事を読むと、いかにオリンピックが腐敗に浸りきっているかが本当に良く分かる。誘致に数十億円という金が使われるが、その一部は、ディザレヴィックのような人物の懐とIOC委員の懐を潤すために使われる。

 しばしばオリンピックは「平和の祭典」と呼ばれ、広島市長である秋葉氏もこのことを強調して、広島でのオリンピック開催の理由づけの一つに挙げている。しかし、いかにこの表現がまやかしであるかは、オリンピックの歴史を少し振り返ってみるだけで明らかとなる。

 例えば、1956年のメルボルン・オリンピックでは、イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト、レバノン、イラクが不参加。ソ連によるハンガリー侵攻に抗議してスペイン、オランダ、スイスが不参加。水球のハンガリー対ソビエト連邦戦は乱闘流血騒ぎにまで発展した。さらに中国は中華民国の参加に抗議してボイコット。1968年のメキシコシティ・オリンピックでは、当時アパルトヘイト政策をおこなっていた南アフリカの参加に抗議してアフリカ諸国26カ国が出場ボイコットを発表したが、これにソビエト連邦、共産圏諸国も同調し、合計で55カ国がボイコットを表明した。これを受けてIOCは同年4月21日に決議を変更して南アフリカの参加を認めないこととしたため、ボイコットは回避された。しかし開催日の10日前に、政府の民主化を求めて1万人近い民衆が抗議集会を開いたため、政府側は軍・警察・機動隊にこれを攻撃させ、300人余りを虐殺した上に2千人を投獄。1972年のミュンヘン大会では、武装したパレスチナ過激派組織である「黒い9月」のメンバー8名がイスラエル選手団宿舎へ突入し、数名を殺害したうえ9名を人質にとり、イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の解放を要求。しかし交渉は決裂し、テロ・グループは飛行機でエジプトの首都カイロへ脱出することを要求。ところが最終的には、警察部隊との激しい銃撃戦となり、人質9名全員と警察官1名が死亡し、犯人側も8名のうち5名が死亡するという悲劇的な結末となった。1980年のモスクワ大会では、前年末のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカがボイコット。日本もこれに同調し不参加を決定し、最終的に50カ国近くがボイコット。4年後のロサンゼルス大会では、今度はソ連側からの仕返しとして、アメリカのグレナダ進攻に抗議して多くの東側諸国が報復ボイコットを行った。まだ我々の記憶に新しいように、2008年の北京オリンピックでは、開催直前にチベット問題やダフール紛争への中国の対応を激しく批判する動きが世界各地でみられた。また開会式の翌日8月9日には、ロシア軍がグルジアに侵攻したが、この軍事行動がこの日行われたのは、オリンピックに対抗する国家力をロシアが世界に誇示したかったからというロシア政府の意向も働いていた。

 このように、これまでオリンピックが「平和の祭典」であったことなどはなく、むしろ紛争を煽る要因となった場合が多く見られるが、それは、すでに説明したように、オリンピックそのものがナショナリズムを競う場所となっているからに他ならない。

 こんな馬鹿げたことに、「広島・長崎の原爆投下の実態を知らせ、核廃絶を訴える」と称して、私たちの納める貴重な多額の税金を使うことは、まさに「ヒロシマの平和理念」に全面的に反する行為であり、被爆者を含む戦争被害者に対する侮辱行為とも言える。

 東京都は、2016年オリンピック招致活動のために、都の公式発表では2006〜09年度の3年間で73億5千万円(実際には150億円使ったと言われている)も支出したが、結局は誘致に失敗しただけではなく、当てにしていた企業寄付などの収入が大幅に不足して、7億円の赤字を出した。都民には、これがツケとして負担をおしつけられることになった。広島市に、オリンピクを開催するだけの経済力・財政力がないことは誰の目にも明らかなところである。自前で野球場一つでさえ建設する財政能力が広島市にはないのである。昨年3月、広島駅近くにオープンしたマツダ・スタジアムの建設には90億円かかった。建設費の分担は広島市が23億円、広島県11.5憶円、広島経済界11.5億円、国からの「まちづくり交付金」として7億円、市民からの募金 1.2億円、さらには球場を本拠地とする広島東洋カープが今後、広島市に払う球場使用料が35.6憶円である。このうち、広島市負担分の23億円は、球場建設のためのミニ公債を発行してなんとか調達。建設費総額90億円の球場一つ作るのに10年もかかっているのである。いかに近隣都市の協力を得るとしても、オリンピック開催に必要最低限の広島市内設備建設費を、いったいどうやって調達するというのであろうか。

 広島市では1994年にアジア大会が行われ、その結果、膨大な市財政の負担と借金ができた。アジア大会開催にかかった経費は、アストラム・ラインや幹線道路など新交通システムの整備費や起債などを含めて約4千億円かかった。広島市民が一年間に納める税金が約2千億円。広島市の借金は、アジア大会が行われた前年の1993年に9千8百億円近くに達し、毎年の借金返済が一般会計だけで502億円。これが市の財政を長年にわたって圧迫してきたことは周知のところである。

 秋葉市長は、「金のかからない新しいオリンピックの形を提案する」と言うが、いっこうにその「新しい提案」とやらの具体的な内容の説明がなされていないのが実情である。しかも、商業化で腐敗しきっている国際オリンピック委員会を相手にオリンピックを改革するのはとてつもなく大変なことである。にもかかわらず、すでに誘致活動費として2千6百万円が予算として計上された。しかし、それに携わる人件費をはじめとする関連諸経費を含めると、本年度分だけでも1億円をはるかに超える経費が出ていくとも言われている。市長はこの金は「オリンピック招致費ではなく、あくまで検討のための費用で、専門的な観点からの調査のため」に使われるものであると主張している。ほとんど可能性のないオリンピック開催のために、なぜゆえに1億円もの我々の貴重な税金が使われなくてはならないのか。「これは市長の次期選挙のためのキャンペーンのためではないか」とすら皮肉なコメントをする市民すらいる。しかも、市長は、「オリンピックは、2020年に核廃絶が達成されることを祝って広島で開催する」(今年5月2日のニューヨーク、タイムズ・スクエアでの平和行進における演説)と言う。これは、誰が考えても本末転倒で、まずは、いかに核廃絶を達成するのか、その有効な手段を考え、様々な可能性のある手段を実行に移すことにこそ税金を使うべきであり、達成のメドもつかない目標があたかも10年後には必ず達成されるがごとく国内外で公言するのは、全く無責任極まりない。

 しかも、たとえオリンピック開催が可能であったとしても、オリンピックは極めて一過性的イベントであり、オリンピック直前と開催中の数週間だけは世界から注目を集めるが、終了すればたちまち忘れ去られる。こんなお祭り騒ぎに「核廃絶」というメッセージをのせようとしても、どこまで真剣に且つ深く受け止められ、実際の「核廃絶」につながるような影響をもたらすことができるか、極めて懐疑的にならざるをえない。

 オリンピックは金さえあればどこの都市であってもできる。広島は広島市にしかできない反核運動を考え、それに集中すべきである。

 例えば、核廃絶のための具体的で実行可能な方法に関するアイデアを、現在4千を超えた平和市長会議のメンバー都市の市民から募る、「核廃絶のためのアイデア・オリンピック」なるものを企画するというのも一つの案であろう。あるいは、「世界核被害者大会」の広島・長崎でのできるだけ早い時期での開催というのもまたひじょうに有意義なイベントである。これまで開かれた「世界核被害者大会」は、1987年ニューヨークと92年ベルリンで開かれた2回限りである。核兵器廃絶の声が高まっている今こそ、原爆、核実験、原子力災害の被害者が一同に広島・長崎に集まり、反核の声を世界に発信し、その声を「核兵器禁止条約」の設置のために活かすほうが、オリンピック誘致費用の数十分の一ほどの予算で、遥かに効果的な結果を生み出すと私は確信する。(終わり)

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2010年8月 9日

田中利幸:オリンピック広島誘致批判(前編)─オリンピックの「祭典化」とナチスの「神話化」

 周知のように、近代オリンピックは、教育改革の一環としてスポーツを取り入れるべきだと考えていたフランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863年〜1937年)が提唱したものであり、その賛同者たちが国際オリンピック委員会(IOC)を設置して、1896年にアテネで開催したのが始まりであった。クーベルタンは万国博覧会の理念と運営方式にいたく感銘していたため、当初はオリンピックを万博の一部分として開催することを目指した。そのため、1900年のパリ大会、1904年のセントルイス大会は、両方とも万博会場の中で小規模に行われ、しかも競技は国別代表形式はとらず、純粋に個人的な能力を競うものであった。したがって初期オリンピックでは、参加選手の帰属国間の「ナショナリズムの対立」は見られなかった。さらには、厳格な「アマチュア主義」方針が守られたため、メダル獲得後に実はプロの選手であったことが判明してメダルが剥奪されるというケースもあった。IOCの運営も会員が納める会費によって賄われていた。

「参加することに意義がある」というクーベルタンの有名な言葉にシンボリックに表れているように、こうした比較的純粋なスポーツ精神に則って運営された初期オリンピックではあったが、IOC委員はもちろん参加選手もそのほとんどが裕福な中産階級もしくは上流社会に属する白人男性であった。そのため、1920〜30年代には、これに対抗する形で労働者スポーツ運動が起こり、「労働者オリンピック」が開かれるようになり、中産階級の女性たちも国際女性スポーツ大会を発足させるなどの動きがみられ、一時はオリンピックを凌ぐほどの勢いをみせた。ところが、1930年代半ばになると、「代替オリンピック」とも称せるこうしたスポーツ民主化・普及運動は、台頭してきたファシズムによって弾圧されるようになった。1936年7月にバルセロナで開催される予定であった第3回国際労働者オリンピックは、スペインのフランシス・フランコ率いるファシスト反乱軍による内戦勃発によって中止となった。一方、同年8月にベルリンで開催された第11回オリンピックは、ナチスの政治プロパガンダとして最大限に利用され、このベルリン大会を機に、オリンピックは政治的に利用される「大規模な催し物」と化し、今日に至っている。その意味で、現在のオリンピックの実態を知る上で、その原型とも言えるベルリン・オリンピックの歴史的背景の考察は避けて通れないものである。

 ヒットラーのナチス政権はドイツ国家の軍事支配力を世界にアピールするための恰好の催し物としてベルリン・オリンピックを徹底的に利用した。オリンピック開催中は、外国からの批判を避けるため、反ユダヤ主義を唱えるポスターや看板は市内から撤去されたが、ベルリン市内の美観整備と安全維持と称してロマ民族(いわゆる「ジプシー」)を全員逮捕し強制収容所に送り込んだ。これが、前回の北京オリンピックのみならず、今では開催都市が必ず行う「ホームレス追い出し」や「貧民街の取り壊し」政策の始まりであった。ナチス政権はこのオリンピックのために、当時としては驚愕的な額にのぼる3千万米ドルを使ったと言われている。国家政府が一都市で行われるスポーツ行事であるオリンピックに多額の国家予算を提供し、ナショナリズムを高揚させる一大祭典として利用するようになったのも、このベルリン大会からである。

 かくして、国家の最大限の介入による財政支援の下で、10万人の観衆を収容できるスタジアム、プール、野外劇場、ドイツ・スポーツ行政ビルなど様々な施設を一カ所に集中的に建設し、ベルリン郊外には選手村が建設された。因に、この選手村はオリンピック大会後には兵舎に転用された。観衆で埋め尽くされたスタジアムでは、オリンピック競技とは関係のないマスゲームが繰り広げられ、夜には高射砲の空砲を利用して作られた光のドームがスタジアムを幻想的な舞台に変化させた。このようにオリンピックをショー的なスペクタクルとして演出することによって、主催国であるナチス国家自体が荘厳で聖なるものとして提示され、英雄化され、ナチズム=国家社会主義の強大さが大衆に強く印象づけられた。

 さらには、ギリシャのオリンピアから開催都市まで聖火リレーを行うという今ではおなじみの行事も、ナチス政権がドイツの国家力を外国人に誇示するために最初に始めたものであった。開会式を大々的な祭典とするようになったのも、これまたこのベルリン・オリンピックからであり、周知のように、ヒットラーは鬼才レニー・リーフェンスタールに、開会式や閉会式はもちろん、様々な競技を映画記録として撮影させた。『オリンピア』と題されたこの記録映画は、第1部「民族の祭典」と第2部「美の祭典」から構成されており、ドイツ民族の力と美を讃える内容になっている。この映画製作も、その後慣例化されたオリンピック映画製作の端緒となったものであった。この時代にはテレビは未だ普及していなかったが、実は、オリンピック競技の生放送が行われたのもこのベルリン・オリンピックからであった。当時はまだ試験的放送にとどまっていたテレビの受像機はごく限られた台数しかなかったため、ベルリン市内とポツダム市内の数カ所の郵便局にテレビが設置され、合計70時間にわたって、多くの視聴者にスタンドと一体感をもたせるような工夫がなされた。また、限られたエリート層にだけ利用可能な特別室が設けられて、このテレビ放送サービスが提供された。

 このように、現在私たちが目にするオリンピックの様々な関連行事や国家政策の多くの原型は、ナチス政権がそのファシズム国家の軍事力・支配力誇示のプロパガンダとして考えついたものであった。かくして、オリンピックの一大「祭典化」という大衆操作を通して、ナチス国家の「神話化」が計られたのである。

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2010年8月 5日

田中利幸:核兵器廃絶へ「市民による平和宣言2010」

 本日5日に「8.6ヒロシマ平和のつどい2010」が広島市内で開催され、「市民による平和宣言2010」が採択される予定だ。

 この宣言は毎年広島市長が読み上げる「平和宣言」とは別に、8月6日に市民が発表している「市民の平和宣言」だ。オバマ政権の核に関する矛盾点をあげ、日本政府の姿勢についても厳しい指摘をしている。

 平和宣言の起草者で広島市立大学広島平和研究所教授の田中利幸氏(8.6ヒロシマ平和へのつどい2010実行委員会代表)に許可を頂き、以下に草案全文を掲載する。


----- 【市民による平和宣言2010】(案)-----

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