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野田内閣の"脱原発"はますます怪しくなってきた(その1)── 根底にある政策的発想が間違っている! »

農文協の主張:原発から農発へ──いまこそ農家・農村力発電を

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『現代農業』2011年11月号

 本論説は、農文協が発行する『現代農業 2011年11月号』に掲載されたものを許可を得て転載したものです。著作権は農文協にありますが、以下のリンクに書かれているとおり、本論説はコピーフリーとなっています。
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2011/201111.htm

 農村をまわり続けてきた農文協が「再発見した」という農の力、ぜひ中小水力発電をキーワードにご覧下さい。そして『季刊地域』を手にみなさまの地域に隠れた"宝探し"をしてみては?(「季刊地域」については文末参照)

───────────────────────────

原発から農発へ──いまこそ農家・農村力発電を
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2011/201109.htm

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富士緒井路第二発電所水圧鉄管わきの歌碑

《減反の 余水生かさむ 発電の
  夢の叶いて 賦課金下がる》

 大分県豊後大野市(旧緒方町)、富士緒井路(ふじおいろ)第2発電所。取水槽から発電所に下る山道には、用水路と発電所への感謝の念が刻まれた歌碑が建立されている。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故による被害が深刻化するなか、太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスなど、再生可能エネルギーで発電した電力の全量を、電気事業者に一定期間、一定価格で買い取る義務を課す「再生可能エネルギー促進法」が成立した。

 この法案の成立を受け、ソフトバンクの孫正義氏が、数百億円を投資してギガワットクラス(1ギガワットは100万キロワットで、原子炉1基分に相当する)の太陽光発電施設を建設する計画を発表し、マスコミはこれを大きく報道しているが、本誌と同日発売の『季刊地域』7号の特集は、農家、集落、農協、土地改良区、自治体による中小水力を中心とした「いまこそ農村力発電」だ。

■大正の通水開始と同時に発電を開始した土地改良区発電所

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白いレースのカーテン状に水が落ちる白水ため池(富士緒井路土地改良区)

 農山村における小水力発電の歴史には、これまで3回の画期があった。1回目は発電事業の黎明期である明治・大正期であり、2回目は昭和27年(1952年)制定の「農山漁村電気導入促進法」を受けた昭和30年代、3回目は減反政策の開始とオイルショックを受けて、農業用水の余水活用策として水力発電所が建設された昭和50年代である。

 冒頭の豊後大野市富士緒井路土地改良区(「井路」とは用水路のこと)には、第1、第2の2カ所の発電所がある。

 富士緒井路開削の歴史は慶応3年(1867年)の大干ばつにまでさかのぼるが、実際に起工式が行なわれたのは明治四十四年。幹線水路総延長15kmのうち隧道が70カ所、10.5kmにもおよび、ダイナマイトや機械力のない時代の手作業による開削は困難をきわめた。

 大正3年(1914年)の井路通水と同時に発電を開始した第1発電所の有効落差は25.5mで出力200キロワット。電気そのものが普及していなかった当時、発電所建設をめざしたのは、井路より標高の高い地域に電動ポンプで揚水し、開田を進めるためだった。また近くの竹田市に、明治33年(1900年)、電力会社「竹田水電」が設立されていたことも影響した。西南戦争で町が焼かれた経験から町に防火水道が引かれ、その水道から川に落ちる水の落差10mを利用して水力発電を行なうため、県内に先駆けて商家や医師が設立したもので、60キロワットの発電機を設置して夜間は電灯用の電気を、日中は精米用の電気を供給していた。当時は町でも村でも電気は地域でつくるものであり、大分県では第二次大戦中に九州電力に統合されるまで、地域ごとに四十数社の電力会社があった。

 第1発電所による揚水と灌漑は昭和に入るまで実現しなかったが発電は順調で、「水利組合の経営を助けるために電力を売り、財源に充てよう」と、大正10年(1921年)に株式会社「富士緒電灯所」として、周囲の集落に電気を供給し始めた(昭和11年からは電力会社に売電)。

 戦後、第1発電所は機械の老朽化と人件費増大のために廃止か改修かの議論が重ねられたが、昭和52年(1977年)に総額6500万円をかけて改修工事に着工、出力380キロワットに増強し、遠隔操作による無人化で再び経営を軌道に乗せることができた。

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昭和52年の大改修で出力380キロワットに増強(水車はイームル社製)

 一方で同時期の土地改良区には水路改修工事のために約10億円の借入金があり、その返済や、減反政策による賦課金対象面積の減少のため、10a当たり1万8000円の賦課金を3万円に値上げしなければならない事態となっていた。その打開策として、第1発電所改修による採算性向上の実績を受け、幹線水路末流の落差100mの地形に着目して計画されたのが第2発電所建設である。

 第2発電所は昭和58年(1983年)に総事業費7億6700万円で着工、翌59年に竣工した(最大出力1500キロワット)。第1、第2合計の年間売電額は推計約1億2000万円となり、土地改良区はその収入を借入金の償還に充てるとともに、冒頭の歌碑にあるように、賦課金を昭和60年には8000円に、平成12年には2000円に軽減した。さらに売電収入によって毎年水路を改修して隧道以外の水路の90%を有蓋化し、豪雨時の土砂流入を防ぐことができるようになった。発電所建設のための資金は、25年で償還し終えた。

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富士緒井路第二発電所の水圧鉄管

 この特集には、標高1400~1700mの祖母傾山系に富士緒井路と同じ水源をもつ豊後大野市の長谷緒井路発電所、宮崎県の日之影発電所も登場する。いずれも江戸時代末期に発案され、明治・大正・昭和初期にかけて開削された農業用水を利用して昭和50年代に建設された土地改良区の発電所で、長谷緒井路は落差173m、出力1300キロワットで売電収入年間6000万円を得、日之影は落差209m、出力2300キロワットで1億3000万円を得て、農家の賦課金を大幅に軽減している。

■農村の小水力発電を支援する企業

 一方、中国5県(広島・岡山・鳥取・島根・山口)には昭和20年代から30年代に94カ所の小水力発電所が建設され、うち54カ所が現在も健在である。これに大きく寄与したのは昭和27年に議員立法で制定された「農山漁村電気導入促進法」だ。この法律により通産省は売電方式による小水力発電の規制を緩和し、農林省は農林漁業金融公庫から建設費の80%を貸し出すことになった。これは元利均等償還25年という優遇措置で、小水力発電の建設資金確保に大きな道を開いた。

 この法律の制定を働きかけたのは、当時の電熱温床による米増産の電源には農業用水路や小河川を利用した小水力発電が最適と考え、中国電力の要職を辞して昭和22年に地域の水力発電を支える「イームル工業」(本社東広島市)を設立した織田史郎(1895~1986)だった。イームル=EAMLの社名は、electric(電気)のE、agriculture(農業)のA、machine(機械)のM、life(生活)のLからなり、「小水力発電で農業を支え、農家の生活を向上させる」という織田の想いが込められている。

 同社は、中国地方の小水力発電所(出力50~500キロワット)の大半(74カ所)を直接受注建設するとともに、電力会社への売電価格交渉の仲介も行なった。

 徹底した現場主義の織田は全国の5万分の1地図1255枚すべてを購入し、各地を歩いて発電可能地点を計算したという。調査対象は、大規模発電所の開発可能性がある大河川を避け、有効落差10~150m以内の出力10~300キロワットの範囲に限定していた。織田は、「小水力の使途は大水力のように大都市や工業地帯の大需要を対象とするものではなく、農村の小需要を地元において供給しようとするものであるから、使用効率が非常に高く、農村の需要電力を大水力に依存している従来の非能率的なやり方と比較にならない利益がある」と語っていたという。

■地元住民が運営する農協発電所

 1950年から1967年までの18年間にイームル工業が支援し、建設された農山村の小水力発電所は73カ所。そのひとつ島根県奥出雲町(旧仁多町)三沢地区(人口720人・254戸)の出力90キロワットの三沢小水力発電所は、昭和32年(1957年)の稼働開始。建設当初の目的は、地域の産業振興を図り、住民の経済発展に併せて無点灯家屋を解消することにあったが、発電所建設には多額の資金が必要で、当時の村の財政事情では困難だった。そうしたなか、農山漁村電気導入促進法の融資対象が「営利を目的としない農林漁業団体」であったことから、旧三沢村農協が発電所の経営主体となることで着工可能となった。建設費用は1866万円。うち7割は農林漁業金融公庫からの借り入れでまかなったが、残りは地区の農協理事の借入金や、農協組合員からの出資金(1口200円で1万1039口、合計約220万円)が充てられた。

 1957年の発電所の稼働以降、運営のすべては農協役員(1962年合併の仁多町農協)に委ねられてきた。だが、創業以降の売電料の据え置きや運転員の人件費上昇で、1975年には100万円の赤字を出し、経営の合理化が求められることになる。

 そこで82年、旧三沢村の10の自治会代表で構成する「三沢小水力発電運営委員会」が、農協と業務請負契約を締結。以後、運営は地元住民に任されることになった。

 現在は1993年に合併したJA雲南から年間500万円で運営委員会が運営業務を受託。売電収入と請負料の一部を使って、自治会集会所の電気料助成(5万5000円)や、地区の文化活動を行なう福祉振興協議会への助成(25万円)を続けており、その他にも地元の小学校の備品購入などに充てるなど、さまざまな地域振興策の財源となっている。なかでも2002年に発足した農産加工所「味工房みざわ」へは、売電料と委託料の一部から、これまで合計400万円ほどの助成金を出してきた。

 味工房取締役の田部和子さん(68歳)は、「発電所の助成金には助けられています。これまでも圧力釜や麹の発酵機、冷凍ストッカーなど、機器の購入に使わせてもらいました。こうした設備投資ができたおかげで、農家の手取りを増やす農産加工の手伝いができるのです」と語る。

■原発とは真逆の農発の思想

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平成3年完成の長谷緒井路発電所取水槽(左が農業用水、右が発電用水)

 こうした九州地方の土地改良区発電所、中国地方の農協発電所の例をみていると、この農家、農村の力による発電、すなわち「農発」は、つくづく原発とは真逆の思想に立つものだと思い知らされる。

 原発の寿命は当初30年で設計されていた。しかし経済性を重視した延命を重ねるうち福島第一原発の事故は起きた。また、事故が起きなくても、すべての原発は廃棄物、使用済み核燃料、廃炉の問題など、ことごとく問題の解決を先送りにして運転されており、たかだか1、2世代の経済的繁栄のツケは、未来永劫子々孫々に回される。

 一方、土地改良区や農協の発電所の多くは、江戸末期から昭和初期にかけての先駆者たちがひたすら地域と子孫の繁栄を願って開削した用水路を生かしたもので、開削に私財を投じた先駆者のなかには困窮して故郷を離れた一族も少なくないという。しかし、その水路を生かした発電事業のおかげで、冒頭で紹介した歌碑のように、現代を、そして未来を生きる子孫が恩恵を享受する。

 原発と農家・農村力発電が真逆であるのはそれだけではない。原発のエネルギー源は地球上の特定地域に偏在する有限かつ希少資源のウランだが、農家・農村力発電のエネルギー源は普遍的に存在する無限かつ希薄資源の「雨」である。「雨は地上に降ると、地形のひだに集まり、せせらぎとなる。小さなせせらぎは沢となり、沢が集まり渓谷となり、渓谷が集まり川となる。単位面積当りのエネルギーが薄い雨粒が、地形と重力によってしだいに集積され、濃いエネルギーとなっていく」(※1)。「雨」という希薄資源の「地形と重力による集積」を、人の力が助けるのが農業用水であり、それは農業の本質にもかかわることだ。「『農業とは生きものの力を借りて、再生可能な地球上の希薄資源を集め利用する営みである』、この点が居座りで有限の資源を使っている工業との基本的なちがいなのです」(※2)。

(※1)小水力利用推進協議会編・オーム社刊『小水力エネルギー読本
(※2)西尾敏彦著・農文協刊「自然の中の人間シリーズ」[農業と人間編](1)『農業は生きている―三つの本質

■農家・農村の発電はむしろ「本業」「本流」

 「いまこそ農村力発電」で茨城大学農学部の小林久教授は、水力は「不確実な予測しかできない状態で海上にまで広く展開するような風力発電や、あらゆる土地に敷き詰めることを前提とするような太陽光発電、あるいは深々度まで掘削する地熱発電のような『大風呂敷の開発』を語ることができない。逆説的な言い方をすれば、小水力は推計に見合った開発が確実に見込める堅実な再生可能エネルギーといえる」と述べている。さらに「水力は、水が豊かで、地形の起伏が大きい地域で包蔵水力も実際の開発量も多い。小水力の適地も同様のところである。先人たちは平地や台地を耕し、丘陵地や山麓まで拓き、さらに勾配が急な山地まで水が容易に使え、水を引くことのできる限り谷沿いに集落をつくって農地を拡大した。拡大の限界が、サト(里)とヤマ(山地森林域)の境界である」「つまり、『限界集落』と後ろ向きに表現されることが多いサトとヤマの境界部(里のフロンティア)こそ、小水力開発に適している」と述べ、環境省が開発余力(導入ポテンシャル)として推計した1000キロワット未満の1万8756地点の多くはサトとヤマの境界に近い山間地域に位置しているはずであり、「小水力は農山村地域、とくに水源域に近い山間農業地域の集落においてこそ、最初に開発すべき再生可能エネルギー」だと述べている。

 電源別の発電コストは、水力がもっとも高く、1キロワット時11.9円、ついで石油火力10.7円、LNG火力6.2円、石炭火力5.7円、原子力5.3円とされている(総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会資料による。むろんこの原子力のコストには、事故処理費用や使用済み核燃料、廃炉等のコストは含まれていない)。しかし、九州の土地改良区発電所、中国地方の農協発電所は、10円以下と推定される売電単価で発電所建設のための借入金を返済するだけでなく、改良区の賦課金を軽減し、地域の農産加工所に助成金を出し、また、地域にさまざまな雇用をつくりだしている。それが可能だったのは、たとえば富士緒井路では総延長15km、長谷緒井路では21.8km、日之影ではなんと35kmにもおよぶ用水路が先人の無償の努力によってすでに完成しており、新たな取水堰や導水路の建設が不要だったからだ。

 農家・農村の発電は、農業のかたわらの「余業」ではなく、ある意味で「本業」であり、第二次大戦下の国策による電力会社への統合がなければ、日本における発電事業の「本流」でもあったのだ。

■原発から農発へ

 東電福島第一原発事故、再生エネ法の成立を受け、農山村の小水力発電は、4回目の画期を迎えている。その画期とは、原発が象徴する少数・中央の専門家管理の大規模集中型エネルギーから、多数・地元の住民管理の小規模分散型への転換の画期ともいえる。

 小林教授はこう続ける。

「大規模集中型電力システムは、中越沖地震の柏崎刈羽原発や東日本大震災の福島第一原発の例をみるまでもなく、災害に対してきわめてもろく、リスクが桁違いに大きい。また、福島第一原発の処理に地元がまったく関与できないという事実が示すように、地域の技術・人材や意思決定を排除して、集権的になりやすい。さらに、これがもっとも大きな罪かもしれないが、資源が生み出される環境や生産の現場を壁の向こうに追いやることで私たちを無知にさせている」

「これ対して、小規模分散型システムは地域の技術や人材を活かすことができる。さらに、住民や身近な関係者で、地域の環境や文化を、あるいは整備や管理を決めたりすることができ、一般的に分権的な意思決定を行ないやすい。このように、分散型は発電にも地域住民が直接かかわれる機会を提供することができる。小規模分散型エネルギーシステムは、私たちを無知にする危険性が少なく、むしろ地域の主体性を活かしてくれる。『地方分権』『地域主権』の実現は、行政や予算の地方への移譲だけではなく、地域が暮らしや産業にかかわる社会構造を、主体的に編み直すものでなければならない。地域性を活かした小水力などの再生可能エネルギー生産は、その実際の取り組みであり、エネルギーの未来と農山村の再生という『地域主権』に向かう具体的な第一歩でもある」

 福島第一原発事故は、原発と農林水産業は根本的に共存できないものであることをあらためて明らかにした。避難生活や農産物・土壌の汚染、風評被害に対する補償要求は当然のことだが、ここでは一歩進み、「原発から農発へ」への転換を農家・農村・農協が主導すべきときではないだろうか。

(農文協論説委員会)

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 各地域の中小水力の取り組みについては最新号『季刊地域』(農文協)掲載されています。全国の書店で発売中です。

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 
 
「 福島第一原発事故は、原発と農林水産業は根本的に共存できないものであることをあらためて明らかにした。 」


 そ~ でしょうか?
 東京地域にも 農林水産業はあります。
 原発の問題は “地産地消”でなかったことに ここで共存できない原因が 委ねられている。
 東京で使う 原発電力は 東京で作ればよいだけのこと。
 原発と農林水産業は 「根本的に共存できないもの」と 言い切る根本が 全くに理解できず、極めて了見の狭い・一面的な“幼い”視点が感じられます。
折角の 歴史的な「集落水力発電」の歴史的実績を語られながら、、、、、

 最後の“落ち”が 全てを台無しにするというか、これを記事にされた方も その地域に住まう方ではないのでしょう。。。
 
 

自然と一体化した循環型システムの活用が各地に根を張っていることを知り、まだまだ健全な人間社会の本来のシステムが廃れていないのは、驚きであると同時に、関係者の努力に頭が下がる思いがします。

戦後、一貫して日本は資源がないので、物を加工して輸出しなければ国が成り立たないし、国民の生活も豊かにならないと教えられ、私たちの時代は間違いなく右肩上がり、現在の中国がなんら違和感なく見られるのです。

しかし、世界に日本人だけが生活の豊かさを実感できればよいということではなく、生活が豊かになれば、次にのし上がってくる国々に市場を奪われていくのであって、豊かになった後、どのような社会を求めていくかが大切なのではないか。日本だけがお金をため続けてよいわけがありません。守銭奴にはなりたくないものです。

経済界をリードする指導者に、土光氏などのように、企業の立場と人間としての生き方のバランスを弁えた経営者が多かったのですが、前例とする見本がないと動けない官僚的経営者がのさばり、利益追求一筋の米国型の経営者しかトップに駆けあがれない会社風土を形成してしまった弊害があちこちに垣間見られます。

特に、長い間苦しんでいる円高対策の無能というか、すべて国任せの対応にはあきれてしまう。自分たちがまいた種であって自分たちで刈り取らなければならないのですが、いつまでも国に頼っているのです。

小泉改革によって、契約とか派遣社員を増やし、社会的不均衡をもたらし、国の所得格差に対する支出増に目をつぶり、今また雇用が確保できないと言って円高対策を国に求めています。求めているよ言うより脅していると言う方が的確です。

所得格差によって、労働分配率を減らし、200兆円を超える利益を蓄えているのです。すべて国民の犠牲の上に得られた利益なのです。

円高対策で過日介入した円は数兆円にすぎません。経済界は、国民の犠牲といえば語弊があるので、言葉を変えて言えば協力によって助けられ続けてきたのであるから、利益の半分位は円高対策に使えるようすべきではないか。日本の国債に投資すれば、わずかな利益しか得られないが、他国の国債を保有すれば、何倍かの利益が得られるのです。使い道がないのであれば、投資妙味のない日本の国債に投資するより旨味があるのではないか。使い道のない金であるから、多少のリスクは覚悟しても何ら差し支えないのではないか。

循環型自然利用の話に行く前段階の話が長くなりました。改めて投稿させてください。

私も農家でありながら、太郎 | 2011年10月21日 04:25様と同様に多少違和感を感じます。本文全体像には、共感を覚え、これまでの地域農業が自然やそこで暮す人々と共存し、自立自給体制を歩んできていることを表明する内容と感じています。脱原発を私も望みますが、原発とは共存できないと言うのは、やはり狭い了見での狭い視野とも受け取られます。こうしたことが、閉鎖的構造だと揶揄されても仕方ない面でもあると思えます。不要のものであっても、それすら受け入れるのが、農業の本質とも言えるものであると私は考えています。虫も害虫であると同時に益虫でもある。共存すると言うことは、それらとどう対峙するかに懸かっていると思えます。
更に、農村発電とする主旨にも賛同は、余りできません。地域農業は、その地域を農業を通じて地域に貢献することに意義があり、農村発電が、農家のためだけに発電するとも他の生業で生計を立てている方に受け取られてしまう恐れもあります。
農業関係者が築いたものだから、農業関係者の権益だとする意識にも繋がります。胸襟を開くことが、地域の活性化に繋がるものと私には思えるのです。

本文の【電源別の発電コストは、水力がもっとも高く、1キロワット時11.9円、ついで石油火力10.7円、LNG火力6.2円、石炭火力5.7円、原子力5.3円とされている(総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会資料による。】
この水力発電コストの数字そのものを私は、余り信じていません。
大規模なダムを作り、広大な土地(単価は安いが)、建設に必要な道路などの環境整備費用も見積もられたコストでないかと考えています。
現在の技術では、わずかな落差を利用して効率的な発電が可能なくらいに小口水力発電ができるようになっていると思っています。
大規模であることが、効率的で低コストなのかも問えます。
その象徴が、原発発電でないかと思えるのです。
今、現政権は、農業対策として、大規模化を前面に打ち出しています。私は、これにも反対です。同じ轍を踏むことになりかねない。この方針は、自民党時代の30年以上前の政策と遜色ありません。
以前に農業規模に関する投稿をしましたが、現在の米価や生産性から見ての限界値が20haであるとする投稿をしました。つまりは、これ以上の将来性がないことを示したつもりです。謂わば、未来がない政策と思わざるを得ません。
前農水大臣の山田氏が提言されている。5haで採算性が取れる政策を目指すことには、まだ将来性があるといえる。5haを20haまで規模拡大すれば、その利益率は上がると考えられるからです。
小規模、中規模で採算性を如何に上げるかが、国として支援する対象であると考えます。
大手企業、大規模農業は、それなりに資本があり、自助努力で対応はできるはずである。その大手の言い分ばかりを聞いていては、道を誤ることにも繋がると思える。
その言い例が、今のアメリカと私は考えています。

個人は個人で夫々に自立の為にやれることは遣る、
地方は地方で夫々に自立の為にやれることは遣る、
国は国で、国家国民の為にやれることは遣る、
同時に国は世界の中で自立の為にやれることは遣る。

現在の被災地のように緊急事態には馴染まないが、
平常時は、こういう様々な主体による様々な活動が複雑に錯綜している世の中が、結局は夫々に個性的で輝きのある個人や地域や国家を産み出すのだと思います。

其れを、国政を担う政治家が地方政治に降りてきたり、「悪賢いモグラ」が不作為を極め込んだり、我田引水の利益誘導をする輩が出て来るとそれを真似る人達も出て来たりして、全体の枠組みが歪んで仕舞うのだと。

まあ、このご投稿主のように高い自負は良いし足元の事業を活発に進めて戴きたいが、地方の農発が大国の経済を支えて来た核発電に取って代わるといった筋違いの論議は、健全な展開を阻害し兼ねないと思う。
草々

大都市、大企業という極度に人間から遊離した集合体は、どちらかというと無機質であり、効率に重点が置かれた社会です。

エネルギー問題一つを考えてみても、このご投稿のように自然に優しければ自然に任せたゆったりとした循環的サイクルに従ったエネルギーの創出ができるのであり、当然のことながらコストは高くなってしまう。エネルギーコスト低減を追求していけば、必然的に、社会に環境問題を引き起こしたり、人類の滅亡に至るかもしれない安全問題が起きてくる。

今までの国の政策は、効率、コスト一辺倒であり、ご指摘の小電力だけでなく、ロシアからの天然ガスをパイプを引いて発電するなどの計画が頓挫してしまった。すべてエネルギーについては東電に丸投げであり、実質的には、原子力委員会、保安院は東電の追認機関であって主導的立場が取れる組織ではなかった。東電にプラスにならないことは受け入れなかったからです。

再生可能エネルギー促進法が成立し、一定期間一定価格で買い取るシステムができたことは一歩前進であり、小規模分散型エネルギーの開発が進んでいくのを期待したい。

根本的な問題は、送配電の分離であり、需要家が自由にネルギーの選択ができるようにすることではないか。個人は、コストにとらわれず環境に優しい自然エネルギーを買えば、環境税を払わなくても済むようにし、企業などコストの安いエネルギーを求めるところは、環境税とかまさかの時の賠償金を払えるような価格設定にすればよいのではないか。

賠償リスクなどは、当然のことながら効率一辺倒の企業が負担すべきであり、そろそろ、この社会も企業のために国民が奉仕続けるのではなく、自然に逆らって安全を犠牲にしても企業論理を存続させようと言うのであれば、そのために生じる負の損害、賠償は企業が負担する当たり前のシステムに変えていくべきではないか。

国民もまた、企業に依存するのではなく、これからの新しい時代の生き方を真剣に考えるべきであり、先日NHKで報道された農協に依存しない消費者と一体化した地域農業の姿は一つの在り方を明確に提示していると、興味深く見ました。

「雨は地上に降ると、地形のひだに集まり、せせらぎとなる。小さなせせらぎは沢となり、沢が集まり渓谷となり、渓谷が集まり川となる。単位面積当りのエネルギーが薄い雨粒が、地形と重力によってしだいに集積され、濃いエネルギーとなっていく」(※1)。「雨」という希薄資源の「地形と重力による集積」を、人の力が助けるのが農業用水であり、それは農業の本質にもかかわることだ。「『農業とは生きものの力を借りて、再生可能な地球上の希薄資源を集め利用する営みである』
長い引用で申し訳ありませんが、この部分はごく自然に(私の)心に入り込んできます。なんというか、非常に合理的、という印象さえ持ちます。
ただ、人間はその本質からして、こういう合理性だけでは満足できなかった。常に「前のめり」な<人間>は、農業を足がかりにして別の世界を切り開いて行き、今日のいわゆる近代社会を造った、ということなのでしょうか。後戻りは出来ないでしょうね。経済を中心に回っている今の世界は、行き着くところまで行かないと変わらないと思います。

 
 
 この度の原発問題に関して 風評被害も深刻です。
風評被害は “国の対応の拙さ”に100%原因があります。
無責任に助長するのが、ワイドショー化したマスメディアです。
 
 それ以上に 原子力発電所は 想定外のトラブルで、放射性物質を飛散させる危険性を100%有してます。
今回の事で 不幸にも実証されてしまいました。
一度飛散してしまえば 原状回復に どれだけ地域住民が 長年に渡って被害を被るかは 現実が見せつけております。
これをクリア出来ない限り 経済規模を縮小させ 生活レベルを落としてでも、脱原発は 避けられない選択となってしまいました。

 も~ 電力不足を回避するためにという理由で、点検休止中の原発を再稼働させることも困難になり果て、構造上の脆弱さが疑われ、施設の耐用年数に疑問が存在する初期の原発は 廃炉しかないでしょう。。。


 大規模な従来の水力発電利水ダムも 同様です。
周辺地域の整備・地域住民対策・漁業権への補償を組み込めば、発電コストに疑問だらけです。
それ以上に 自然生態系を狂わしている現状を客観視すれば、即破棄がもとめられます。
ダムによって生み出された目に出来る自然には 美学がありません。
ダムの存在は 遠く河口付近の海の地形にまで影響を与えています。
川は 自然は 人間だけの都合で利用しては ダメなのです。。。。。
 今年の台風12号では 上流の利水ダムは“治水に対し法律的に何の責任もなく。” 予測される豪雨の前に ダム水量を少なくすることもせず、豪雨の最中に“国道の電光掲示板は 只今ダム放流中!”を点灯させ続けました。 結果的には 和歌山県新宮市地域の浸水水害を甚大化させたと非難されても 仕方がない状況があります。
 
 

 確かに小規模水力発電はいいことばかりで、ユートピアのように思えますが、狭い国土に1億2千万の人間がひしめきあって暮らす日本にそんなに多くの適地はないと思います。本命はやはり太陽のエネルギーを直接利用できる太陽光発電か太陽熱発電あるいは地熱発電ではないでしょうか。
 原子力発電には、人間の手に負えない放射能を発生させるという致命的な欠陥があります。それを素知らぬ顔で未来の世代に押しつけるのは犯罪です。福島の事故が起こり自分の頭の上から放射能が降りてきて、やっとそれに気付きました。
 もうすでに放射能の固まりは日本全国の原発の中に溜まりに溜まり一部は外界に漏れだしています。この状況を改善するのは私たちの責任だと思います。

これには久々に感動しました

農村の平和は風景の一部としての、小水力発電所は風景としてはのどかですが、発電の本来の営利や、規模としては全く成立しません。まして原発から、農発へなどと構えて語られるようないかなる成因もありません。所詮は、気安wめ、自己満足の範囲の話です。
 勿論、原発は全く賛成しません。人間が如何とも処理できない毒物を大量に、無限に生産してしまうような手法は、決して許されるものではありません。直ちに、全ての原発は停止して、廃炉にすべきです。
 その上で、代替電力としての、化石燃料による、コージェネを推進すべきです。当面、燃料はLNGでしょう。ほぼ数百年分の埋蔵量があります。さらに、石炭も次世代燃料として有望です。
 こういった記事は、正しい理論的理解を背景にして書かれるべきです。筆者に、聞き語り以上のどれだけの知識や理解があるかはなはだ疑問といわざるを得ません

私は、大規模化に問題あるとの投稿をしましたが、大規模化を否定しているわけではありません。横並びに大規模化を目指すことに疑問を感じているのです。
また、ダム建設を含む治水・利水事業も反対と言うわけでありません。自然回帰派ではありますが、人が生きていくうえで、自然と対峙しなければならない。昔から農業は、自然を敬いながらも、戦い続けてきた。豪雨被害があってもその被害を無くすために堤防を作り、田畑に水が行き通る様に用排水路を整備し、日照りが続くためにため池など貯水池を作ってきた。都市が、コンクリートやアスファルトで覆われるのも、住みやすい環境を人の都合で作っている。これらすべてを否定しては、現在の日本人は生きていくこともままならないだろう。ただ、こうした活動は、自然に負荷を与えている。
よく日本経済の話題で、経済活動は、人を豊かにするものだと言われる。それを転じて、人を豊かにするためには経済活動が、活発でなければならないと受け止められる。今現在直面ている状況を見て、日本の経済は、このままでよいのかと私には思えるのである。
人を含む動植物の自然に負荷をかけない経済活動を世界に先駆けて、日本経済が取り組む姿勢、そのことで人の豊かさを求めていくことが大切でないかと思うのである。
小口水力発電で生産される発電総量は、日本全体の電力需要の0.1%にもあたらないかもしれない。適正地は、年間降雨量や積雪量、傾斜地などの要件に左右されるが、私達田舎人から見れば、いくらでも適性地がある。逆に水不足になりやすい地域は、晴天日が多いだろうから、太陽光発電の適正地とも言える。海に面していれば潮流発電、年間風がよく吹く地域は風力など、作物と同様に適正適地がそれぞれある。地域の特色・特徴を生かすことが、地域主権・地域分権にも繋がる道でないかとも思える。
自然再生エネルギーによる発電量は、日本の年間総需要量のせいぜい10~20%とも言われる。どういう試算なのかは疑念があるが、少なくともそれだけ、自然負荷を軽減できると私には思えるのである。

東京新聞によると、被災地の復興特区において小電力発電の許認可を1カ月に短縮したようである。全国的に適用しても何ら差し支えないと思うのですが、利権団体の利権意識の凄さには驚いてしまう。

2週続けて朝のフジテレビを見たが、TPP参加賛成派と反対派の人数のアンバランスが気になるが、反対派の主張は具体的であり、賛成派は抽象的であり、どんなに贔屓目に見ても賛成派には私たちを納得させる材料が欠けていました。

このTPPで一番問題なのは、現在の交渉状況が全く分からないうえに、いったん交渉に参加すれば降りることができないことを、外務大臣、外務省が明確に答えていることである。

実質的には、交渉事ではないのであって、アメリカンスタンダード、即ち国境なき競争社会を押しつけられるのである。TPPによってどうなるかは、今のアメリカの不平等格差社会、食糧の配給切符など戦後の日本を彷彿とさせるような社会現象が起きて、アメリカ各地で格差反対デモが蔓延していることから理解できるのではないか。理解できないとすれば、直視する目が欠けているか、自分は問題ないという自己中心主義者であろう。

アメリカは、以前から個人主義が発達し、個人の自立意識が高いのであるが、戦争経済、金融派生商品経済に傾斜しすぎた結果、今の格差と混乱を引き起こしています。もし、TPPが締結されたならば、多くの人は苦しくなっても対応できるかもしれないが、現在弱者となっている年収200万円以下の人だけでなく、隠れ貧困者など予備軍はもちろんのこと、消費税導入によってさらに貧困者が増え、社会の混乱は、現在のアメリカ以上になることを覚悟しなければならないのではないか。セイフティネット無き競争社会は政治家の取る道ではないはずですが、今の若い苦労を知らない民主党指導者には困ったものです。

閑話休題
今朝のTVのTPP関連報道番組で、「み党江田憲司某」がTPPに参加するに当たって、日本は「国益を背負う故の強い交渉力」と「自らの国益を守るために自ら土俵を用意するべきだ、相手即ちアメリカの土俵に乗るべきではない」と強調していた。非常に印象的だった。
予ての私の論点に重なった。

私見では、「従って、民主党政権下でのTPP検討は明らかに国益に反する、無謀に近い」、更には「次へ!」、其れが駄目なら「次の次へ!」という結論に至るが、彼は其処までは突っ込まない。
私が走り過ぎなのか、彼が中途半端なのか。
私が一介の民間人で、彼が政治の中枢の周辺に位置しているからなのか。

まあ然し、結論を「言う、言わない」の違いは大きくも有り瑣末なことでもある、ケースバイケース。
然し、江田某は視野の片隅には置いておくことにする。
草々

""<九電社長進退>枝野経産相 会長の続投意向に強い不快感""

報道によれば、枝野氏が不快感を示しているとか・・・とんでもない。自分の事を棚に上げてよく言いますね。


枝野氏の「今のところは健康に問題ない」とか「メルトダウン」を隠して国民に菅さんと共に被爆をもたらした男が未だ要職に付いている事に国民が不快感を示している。


マスコミもどうかしている!!!

前原氏は、これほど詭弁を弄する口先男だとは思わなかった。学習効果が全く出ていません。この方は一端自分の考え方を決めてしまうと全く修正が利かず、だんだん論理的矛盾の中に入り込んでしまう性癖があるようだ。

メイル問題対応の時も同じであるが、信じてしまうと修正がきかなかったが、今回のTPPも同じである。TPP参加賛成を推進するために、外務大臣、外務省が、いったん協議に参加したら、途中で参加をやめることはできないと言っているのに、参加をやめることができるなどと国民を欺く偽善者的軽口を叩いています。

前原氏は、TPPはどういうものか、細かいことは別にして概念的に把握しているのであろうか。関税撤廃を基本とすると言うことは、国境の垣根を越えると言うことである。

交渉事であるから、一部の例外は認められることがあるかもしれないが、24分野といわれるすべての対象が自由競争の中に放り込まれるのです。昔のアメリカであれば、整合性が認められないこともないが、現在の輸出輸入の実態を的確に把握し、今後伸びてくるであろう中国、インド、ブラジル、ロシア、インドネシアなどが含まれないのを注視すべきです。

実質的には日米の経済同盟と理解していいのです。安全保障の同盟関係があり簡単に経済も同じであればよいとする短絡的志向は排除されなければならない。軍備は国境間に越え難い垣根があるからこそ重要であるが、経済面では、垣根のない協定を限られた国で結ぶことの弊害の方が大きく、アメリカの救済にすぎないことが何故理解できないのか、不思議である。

参加を途中で断念できるものであれば、参加国の交渉が終わってから、その内容を吟味して、参加の可否を決めればよいのではないか。参加を急ぐのを見ていると胡散臭さが否定できないのです。

閑話休題
10/24日経【米倉経団連会長が苦言、TPP参加「途中離脱は不穏当」】

この台詞もその基にある発想も、米倉某には失礼ながら真にご老体に特有の視野の狭さと思考の膠着状態を曝している。
TPP交渉から途中離脱するには相応の理由がある筈、離脱理由はTPP参加が国益に適わないというものである筈。如何に民主党政権が未熟だとはいっても、途中離脱の理由は反国益しかない。但し、政権の未熟は、反国益という判断が適切であるかどうかに直接的に関係するが。

その反国益を理由とした途中離脱の事態を想定して「不穏当」だとする発想も、逆にその事態が想定できていない即ち何が何でもTPP参加しかないという短絡に支配されているなら其れ自体が、経団連会長という要職について「彼の不適任」の証左になる。

この脈絡でも、私は「何をやるか」と同時に、「誰がやるか」が重要な要素になると思う。世代交代は、政官財学のほか日本社会の全分野に亘って不可欠だと思う。
草々

日経社説【丁寧な説明でTPPへの誤解なくそう】
結語「TPPを主導する米国の圧力で、日本の国益が損なわれるという意識」は単なる疑念ではなく、程度の差こそあれ我が国の戦後の外交史を貫く事実だ。
其の疑念は未熟政権下の今、特に膨張するのが当然で健全だと。従って、「米国との対話の経緯と現状を詳しく説明」する意味は乏しい。
今政権が示すべきは「単なる現状の説明」だけではなく、国益を背負って厳しい外交交渉に臨むに当たって、国内の反対勢力の意を正しく汲む英知と戦略、その日本に固有の事情を例外措置として米国他を説得する戦術とその戦略を実現に導く覚悟などだ。
然し、今の野田某に限らず民主党政権にはそれらの全ての資質がないことが既に解っている(此れを端的に「未熟」という)。

此処では「何をやるか」は決まっているが、「誰がやるか」という重大な条件が充足されていない。
草々

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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