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"熟議の民主主義"という新次元 ── 単なる"ねじれ国会"対策を超えて

takanoron.png 菅直人首相が24日の施政方針演説で「熟議の国会」にしたいと改めて野党に呼びかけたことから、"熟議"や"熟議の民主主義"についての論評が広がっている。

 例えば、早川誠(立正大学教授/政治学)は1月31日付読売新聞「"熟議"に潜む対立激化」と題したコラムで、「菅直人首相が主張する"熟議の国会"は、今のところ掛け声倒れとの評判のようだ。ねじれ国会でも低調な審議に、不満や不安を募らせている有権者は少なくないだろう」と書き出しつつ、次のように指摘する。

 1990年代に欧米で"熟議"が論じられるようになったのは、今までの多数決型=利益分配型の民主主義では解決不能な難題が登場して、単なる"議論"や"審議"では間に合わなくなってきたからで、かと言って"熟議"で議論を深めれば必ず解決を見いだせるかと言えばその保証はなく、熟議すればするほど逆に対立が激化することさえありうる。となると、政治家レベルでも市民=有権者レベルでも、結局は多数決に頼ろうとする衝動が働く。「熟議の質を左右するのは、市民による投票ではなく、市民による議論である。妥協しがたい課題についての熟議に、どこまで踏み込むか。試されるのは、むしろ有権者の覚悟と判断である」と。

 これは結構、本質をついた議論で、熟議しなければならないのは議会=政治家よりもまず市民であるという根本的な問題を提起している。

●民主主義の複線化

 例えば、岩見隆夫(毎日新聞客員編集委員)は1月29日付毎日新聞連載「近聞遠見」の「"熟議"という新しい思想」と題したコラムで、熟議を「字面から、熟した議論を十分にする、といった程度(の理解)なら、浅い」と断じている。彼は言う。

▼もともと、投票し多数決で決めるという《集計民主主義》は硬直化の傾向にある。数に対する信奉は、選挙至上主義にもつながった。それを補うものとして、欧米では90年代から《熟慮の民主主義》の考え方が取り入れられている。

▼《熟議》という日本語を当てはめたのは、民主党政権発足時から副文部科学相をつとめる鈴木寛(参院議員・東京選挙区)で、鈴木のいわば造語だ。教育界ではすでに鈴木のイニシアティブのもと、多様な《熟議教育》の実験が始まっている。

▼鈴木の著書『《熟議》で日本の教育を変える』(昨年9月、小学館刊)によると、《熟議の民主主義》はドイツの社会学者でコミュニケーション論の第一人者、ユルゲン・ハーバーマスが言い出した言葉で、彼は何十年も前に、民主的手続きの中からナチスが出てきたことを反省し、熟議が必要だと主張した。「大衆民主主義における議会での政治的討議は、それだけでは宣伝の対象にされ、選挙でさえ見せ物になってしまうと指摘した。日本でもそうなっている。民主主義を複線化して、代議制民主主義を現場での熟議で補完することが必要だ」(鈴木)。

▼《熟議》とは、熟慮して議論すること。まず自分の中で考えを磨き、温め、煮詰め、それから他者との議論の場に臨む。他者を批判する前に、《自分》を真剣に問う。そんな議論の収監が身に着けば、国会も面目を新たにするかもしれない。

 国会のねじれというのは現象に過ぎず、より本質的なのは、日本に限らずどの先進国でも代議制による多数決型の民主主義の限界が露わになり、議会に任せておいても何によらず社会が必要とする問題解決が得られないという事態が進んでいることである。当然にも政治不信が深まり、無責任で興味本位のマスメディアがますますそれを煽って社会の傷口を広げていく。御厨貴=東京大学教授によると(31日付読売「地球を読む」欄)、大正期の宰相=原敬はジャーナリストに向かって「君たちは出る釘、出る釘をみんな叩いている。そんな風にすると世の中に偉い人が出なくなって平凡な人間ばかりになるではないか」と言ったそうだが、まさにそのようにしてマスメディアが政党政治を潰し、軍部独裁への道を掃き清めたのだった。似たようなことが今、世界各所で起きていて、その打開策の1つがインターネットという双方向メディアも活用した熟議だと鈴木は言う。

「人々が自分の利害を実現するために、利益代表を送り込み、多数派を工作する代議制民主主義だけでは、足るを知らない分捕り合戦に陥ります。経済成長期ならば、大勝ちと小勝ちに分かれますが、成長が止まると勝ち組と負け組に分断されます。そこにステレオタイプなイメージを増幅するテレビポリティックスが加わると、衆愚政治になってしまうのです」

「コミュニティ・スクールというのは、みんなで熟議する学校です。熟議で変わる学校、熟議で変わる地域、そして熟議で変わる日本というふうに、日本社会全体が、家庭→学校→地域社会→国とポジティブに変わっていけばよいと私は思います」

●文科省の「熟議カケアイ」

 青臭い書生論のように聞こえるかもしれず、例えば池田信夫のような評論家からは「こういう"コミュニケーション的理性"で市民的公共性が形成されるとかいう類の啓蒙主義は、もう思想的には葬られたものだ。民主主義が合意による統治だというのは、井上達夫氏の言葉によれば"便利な嘘"にすぎない。論理と説得で政治が動くなら、政党も選挙もいらない。民主主義とは議論するための制度ではなく、利害の対立する中で国家意志を多数決によって決定する装置である」と一刀両断されてしまうが(昨年10月18日付池田ブログ)、鈴木のこの点に関する理論と実践は筋金入りと言っていい歴史を持つ。

 1986年に旧通産省に入った鈴木は、92〜93年にかけてシドニー大学に研究員として派遣され、この間に当時はまだ日本では解禁されていなかったインターネットの技術と文化を学んだ。帰国して3年間は山口県に出向し、そこで松下村塾の歴史に触れて「これからはITを駆使して社会を変えていく若者を育成しなければ」と思い立ち、95年に本省に戻ってからは、専ら電子政策、情報処理関係の仕事に携わり、神奈川県藤沢市の「市民電子会議室」の実験にも参加する一方、個人的に「すずかんゼミ」と称する若者塾を東京と大阪で起ち上げ、以後15年間に1000人を超える学生たちを育ててきた。このゼミ生や卒業生たちが取り組んだことの1つが、コミュニティ・スクールへの初歩段階とも言える「放課後子ども教室」「土曜学校」である。

※すずきかん公式HP:http://www.suzukan.net/

 藤沢市のプロジェクトは、NTTや慶応大学藤沢キャンパスのサポートの下、自治体がインターネットを活用して市民の提言を受け付け、それを政策に反映するという、電子的熟議の最初の本格的な実験として全国からも注目されたもので、97年に実験が始まり、01年から本格稼働した。この中心にいたのが鈴木、慶応の金子郁容、編集者の松岡正剛らネット社会論の先駆者たちである。この縁もあってか、やがて99年に鈴木は通産省を脱藩して慶応藤沢で教鞭をとり、そこにいた2年間のうちに金子と共同で「コミュニティ・スクール構想」を提唱、それを熟議する教育改革フォーラムをネット上に開設した。コミュニティ・スクールは、各学校にボードを作って、そのメンバーに学校側だけでなく保護者、地域住民が入って学校評価を行い、学生ボランティアなどにも参加して貰って地域に向かって開かれた学校を実現していこうというもので、まさに熟議する学校をさらに熟議する地域の拠点に育てていこうという考え方である。

※藤沢市市民電子会議室:http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/~denshi/

 01年参院選で初当選した鈴木は、すぐにコミュニティ・スクールのモデル事業を始めるよう働きかけ、02年から3年間の予定で7カ所で始まった。こういう事業は、最初の予定期間が終わるとそのまま立ち消えるのが普通だが、彼は04年、まだ野党議員だった時代にそれこそ自民党政権と熟議を重ねて「コミュニティ・スクール法案」を成立させ、それによって今ではコミュニティ・スクールは全国に約630校、藤原和博らが東京都杉並区で始めた「学校支援地域本部」が約3800、すずかんゼミが始めた放課後子ども教室・土曜学校が1万以上と、大きな広がりが生まれた。その実績の上に立って、文科副大臣としての鈴木が昨年4月に開設したのが、文科省「熟議カケアイ」である。

※文科省「熟議カケアイ」:http://jukugi.mext.go.jp/

 政務3役はじめ文科省の役人が、現場の教職員や保護者とリアルでもネットでも熟議を重ね、それを元に政策提言をまとめて中教審での議論や文科省の施策の中に持ち込んでいくという、鈴木に言わせれば「ポストモダン」のこの政策形成装置は確実に作動していて、開設から9月初めまでに12カ所で「リアル熟議」が行われ、さらに年度末までに計100カ所で行われる。また「ネット熟議」では最初の3カ月半で投稿1万件強、閲覧120万件強を記録した。最初の大きなテーマとして取り上げられた「教員の資質向上」では、参加者によって30ページ余りの文科省への提言書がまとめられ、それが中教審でも議論の参考とされている。この「熟議カケアイ」のシステムは、文科省の若手官僚とすずかんゼミ卒業生約40人が協力して6カ月かけて立ち上げたもので、鈴木に言わせれば「日本政策形成史の1ページを切り拓いた」画期的な仕事である。

●上からと下から

 民主主義には「上から」と「下から」という問題次元がある。民主党政権が発足して以来、言われているのは「官僚主導を排して政治主導を実現する」ということだが、政治家と官僚の双方が巧く間合いが取れずに不毛な睨み合いや駆け引きが続いている。そういうふうになりがちなのは、「上からの民主主義」の内部での空中戦的な綱引きに終わっているからで、そこへ今度は現場に近いところでの市民自身による熟議という「下からの民主主義」を噛み合わせることで、より現実的な問題解決に行き着くことが出来るというのが、鈴木の問題提起と考えていいだろう。

 思い返せば、96年旧民主党の結成宣言は、第1節「社会構造の100年目の大転換」で次のように述べていた。

▼明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。

▼3年間の連立時代の経験をつうじてすでに明らかなように、この「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党とその亜流からは生まれてこない。いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。

▼政治の対象としての「国民」は、何年かに一度の選挙で投票するだけだった。しかし、政治の主体としての「市民」は、自分たちがよりよく生きるために、そして子どもたちに少しでもまし未来をのこすために、自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、いくばくかの労力とお金をさいてその実現のために行動し、公共的な価値の創造に携わるのであって、投票はその行動のごく一部でしかない。私たちがつくろうとする新しい結集は、そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、市民の日常的な生活用具の1つである。(以下略)

 過去100年余りの官僚主導の中央集権国家体制の下では、「公」すなわち公共的な価値の創造は専ら「官」に委ねられてきた。しかし次の100年には「民」こそが「公」の担い手となって「官」を使いこなすのでなければ世の中が立ち行かない。鈴木が単独先行的に実践しているように、熟議のシステムを使って「民」の思い、夢、エネルギーを新しい公共圏の中に解き放つことこそ、真の政治主導ということではないのだろうか。▲

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《参考》熟議カケアイとは(同HPより)

★関心ある方はHPを開いて貰えばいいのだが、参考までに文科省「熟議カケアイ」HPからその概要を示す部分を引用しておく。末尾の「熟議参加の5箇条」は勉強になる。

■教育を取り巻く環境の変化

教育を取り巻く状況は、地域や学校によって様々です。
どのような子どもたちを育て、どのような地域づくりをしていくのか。
それはまさに当事者の方々のみが考えられ、決断できる問題です。

教育政策も、行政が一元的に決め、画一的な展開を出来る状況ではなくなっています。

子どもたちを取り巻く変化を踏まえつつ、課題に立ち向かい、そして、より良い教育現場を創りだす知恵と実行力を生み出していくためには、教育現場に関わる様々な立場の方が、政策形成のプロセスにも参加し、真に現場の皆様に役立つ教育政策をつくり出していくことが求められています。

■「熟議カケアイ」とは

「熟議カケアイ」は、学校・家庭・地域の教育現場の方々の声を集め、「熟議」を通じて教育政策を創り出す、文部科学省公式インターネットサイトです。

今回の「熟議」による新たな意見の収集、政策形成の進め方については、 平成22年年2月4日に設置された「「熟議」に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」(通称 熟議懇談会)に、教育現場やインターネット関連事業者等の委員の方にご参加いただき、検討を進めてきました。

その結果、下記のような形で「熟議」を実施していくこととなり、「熟議カケアイ」が開設されました。

現場の方との対面での現場対話と、インターネットでの熟議をハイブリッドで実施する。

教育現場の当事者が政策形成のプロセスに参加する意義は大きく、多くの人にその狙いを理解いただき、参加いただくためのコンテンツを発信する。

インターネットでは、Webサイト「熟議カケアイ」を開設し、下記のステップで熟議を実施する。
・政務三役が教育政策に関する検討課題について「熟議(コミュニティ)」を設置し、意見を募集
・教育現場に関わる方々は、会員登録をして「熟議」に参加し、議論をして頂く。
・約1ヶ月の間「熟議」を実施し、その後、政務三役は得られた意見を参酌しつつ、政策形成を行う。(得られた意見は中央教育審議会等の審議の材料としても活用する。)

なるべく開かれた形で政策形成を行うために、まずは参加人数を絞らずに熟議を 実施することとする。しかしながら「熟議に適切なコミュニティサイズ」の見極め は必要であり、熟議の実施状況如何では参加人数の限定を検討する。

■熟議カケアイ参加の五箇条

より多くの当事者の方にご参加いただき、より良い「熟議」が行われるよう、熟議懇談会から「熟議カケアイ」に参加いただくための五箇条が提案されました。

1.【発言する前に】資料やほかの人の発言をよく読んで理解しましょう。
2.【発言する時に】毎回、挨拶からはじめましょう。
3.【発言する時に】簡潔に、分かりやすく伝えましょう。
4.【発言する時に】人を傷つけない発言を心がけましょう。
5.【議論の途中で】共感や感想、考えの変化なども投稿しましょう。

※すべての発言は、利用規約に同意の上のものとしてみなされます。発言の際は、利用規約をお読みいただくようよろしくお願いいたします。またあわせて、熟議懇談会のワーキンググループであるサイト運営委員会にて、利用規約、プライバシーポリシーの内容も検討いただき、文部科学省にて定めています。▲

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■有料会員制度スタートのお知らせ

《THE JOURNAL》では10月に有料会員制度をスタートしました。本記事も、有料会員の皆様の支援によって制作されたものです。有料会員制度の詳細については下記URLをご参照下さいm(_ _)m
http://www.the-journal.jp/contents/info/2010/10/post_66.html

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■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。投稿される方は、投稿前に下記のリンクの内容をご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

高野様

すばらしいご意見です。
しかし、私は賛同しません。
教育に関しても中央集権でやることでないです。
大阪府は大きな教育変革を始めました。
教育制度を作れば、あとは県市に任せば良いのです。
熟議の前に
①システム変更が必要です。
教科書や指導要領も自由に県と市が選ぶなり決めればよいのです。
今の教育システムやマスコミキー局制度、更に決定権と金を中央官僚が握る限り、細部の討議で変更をしても何の意味もありません。
地方主権で国の役割縮小と独法や政府系会社の完全民間化か廃止が必要です。
鈴木氏は優秀でもシステムを守る官僚政治家、選挙行政官。今日本に必要なのは欧米でいうシステムを壊し、つくる政治家です。日本には少数しかいません。

次に菅総理の熟議は謀議の間違いではないですか。
②菅氏は謀議の政治家です。
最初に結論ありきで何が熟議か、高野様こんな熟議があるのですか。
消費税、TPP結論ありき、細部の討議です、しかも意見を同じくする政党との。
党内のマニフェスト民主党を無視して、切捨て、今までの修正民主党から増税論の与謝野自民党へと変更してまで結論を急いでいます。
財源論に至っては何もせずに与謝野氏に民主党は無知といわれ、総理はその通りですと全面承認、これではでは熟議でも何でもなく、討議もなく、多数決もなく、独裁です。
高野様しっかり解説してください。言葉に酔うなんて高野様らしくありません。
熟議という言葉を使えるのは鳩山氏でしょう。
菅氏は常に結論ありき、結論達成に与謝野と柳田を利用している。
しかし、これが熟議の政治と称賛するなら、政権交代選挙の民意はどうなるのですか、説明してください、高野様。
消費税に関しては12年度からといい始めています、国民には熟議どころか騙しです。言葉をもてあそぶ謀議の政治家ではないですか、菅氏は。いかがですか。
私は菅氏は離党して自民党に移るべしと考えています。
鳩山・小沢に民主党は戻すべしです、それができない民主党ならいらないです。

「 熟議 」 などと偉そうな言葉を用いている菅直人首相自身が, オリジナル民主党一派のスターリン主義独裁を信奉して, 強行している。 お里が知れている。 菅直人・仙谷由人の専横主義を振り回しているオリジナル民主党一派の, もっともらしい主張に騙されてはならない。 都合のいい二枚舌を使って, ジャーナリズムをうまく泳ぎ回る詐術が通用する程, 「 THE JOURNAL 」 の読者, 投稿者は甘くはない。 まずは無能菅直人内閣の総辞職を主張しろ。 仙谷由人一派を民主党から追放しろ。 小沢一郎氏を支持して, 裁判闘争に勝利する闘争, 今やるべき事はそれしかない。 何が 「 熟議 」 だ。 

「熟議」の民主主義としての哲学的な提起は、たしかに国会を中心とした上からの「熟議」とむしろそれを引率する市民レベルでの「熟議」という形で民主主義を「進化」させていかねば現実社会の改革は進まないでしょう。
しかし、それをどのようにして実現していくのでしょうか。
これは一つ間違えればアメリカの「ティーパーティー運動」の様な「ポピュリズム」に流される事にもなりかねません。
市民の間に「熟議」を行う土壌を育成する具体的な政策がいりますね。
紹介されている「熟議カケアイ」では「政務三役は得られた意見を参酌しつつ、政策形成を行う。」ということ、これって結局いつもの「聞きましたよ」ではないでしょうか。

市民の熟議と言うことでは昔、労働運動が盛んな頃は「居酒屋」や「立ち飲み屋」などでいろいろ政治や経済その他社会問題を議論していたものですが、労働運動の停滞とともに消え去りましたね。
学生運動の時も議論はされていてのですが、いかんせん地に足がついていない、空想論の教条主義が「生き生き」と語られていただけですからね。この学生運動の「熟議」は一つ間違えればファシズムを生み、別の方へ行けば「オカルト」に行っちゃうかも知れませんね。
やはり、地に足を着けた生活の中から「熟議」が生まれなければ、そしてそこから市民がその「熟議」を選挙の投票行動だけでなく、自ら社会運動として取り組む方向が必要でしょう。
その取り組みの中でより現実が見えてくるし、具体的な現場から具体的な「熟議」へと進化するでしょう。その事実に裏打ちされた「熟議」こそが社会を改革し進化させていくことになると思います。
今ネットによる呼びかけで「検察・マスコミを糾弾するデモ」が行われていますが、これもその一つだと思います。

「熟議」とは、素晴らしい事ですね。
そんな事が、正面から話題に出来る国になる事を、心の底から希望いたします。

しかし、現在の日本で、この事を話題に出来るのでしょうか。
今の日本は、民主主義がどうにかなってしまうんじゃないかと、危機感を抱かせる状況にあるのではないでしょうか。

昭和の官僚テロは、軍部による暗殺でした。
平成の官僚テロは、検察による控訴テロリズムと、これにタイアップするマスゴミの「言葉爆弾」テロです。

国民の代表、犯すべからざる選良に対する、罪状希薄な逮捕・拘束・嫌疑のリークばらまき。

このような状況で熟議の時代が来たとは、火事で燃えさかる家の中で、壁紙の張り替えを相談する仲良し夫婦みたいですね。
さすがに、少し空気が違うんじゃないかと・・・

「菅直人首相が24日の施政方針演説で「熟議の国会」にしたいと改めて野党に呼びかけたことから、"熟議"や"熟議の民主主義"についての論評が広がっている。」の書き出しでこの評論に対する期待はしぼんでしまいました。
高野氏は相変わらずオリジナル民主党への思い入れが強く、現実を直視しておられないように思います。
昨年代表就任して以後の菅総理の言説からは、「熟議」を本心から臨んでいると受け止めることはできません。菅氏の言う熟議とは、自分(或いは自分を含めたごく一部の「優秀な」人たち)の思いつきで政策を発案し、それを実現するために議論しましょうというものです。
「議論に応じないのは歴史への冒涜だ」という言葉から受ける印象は「熟議」ではなく「闘議」。
共に闘った小沢氏を捨て、与謝野氏などという全く相いれないはずの政治家を閣僚にし、2009年の歴史的な政権交代の意義を台無しにしている彼らの行っていることは、まさに歴史への冒涜と感じています。

民主党が今のような状況になったのは、まさに熟議がなかったからではないのだろうか。脱小沢を掲げ、左翼的な発想で合法的な粛清を行い、党議員を恫喝的なやり方で小沢支持議員を寝返りさせて成立した管内閣だが、ここまでは党内闘争で許された。しかし、「選挙で掲げてきたマニフェストは、ど素人が机上の空論」とまでいい、「正しかったのは今までの官僚主導。自民党がやっていたことは大筋正しかった」、とまで言うならば、それこそ熟議すべきだろう。マニフェスト推進なのか、路線変更なのか、すぐさま党内で熟議して、場合によっては解党して出直しすべきだろう。高野さんは、仙石氏や管氏とも親しいと思うが、この二人の心理状況はどうなっているんでしょうか?高野さんはどう思いますか?今の政権のまま続けて日本は大丈夫なのか?、そこをお聞きしたい。

高野 様

久しぶりの論説、興味深く読ませていただきました。読み応えのある内容ですが、それだけに、納得できるところと、納得できないところがあります。

納得できないところは、

1.菅氏の「熟議」の意味は、国会に提出した予算、ならびに関連法案を速やかに成立させていただきたいということと、同義語ではないか。国民に直結する法案は、与野党一緒に成立していかなければならないので、野党の修正要求は、議論の中で組み入れていきたいということである。「熟議」ではなく、菅氏が別の表現すなわち歴史に残る汚点のようなことを言っておられることを考えると、「妥協」という言葉が適当ではないか。

2.さまざまな方の政策、意見などを論説されておられるので、私どもにとってありがたいことではあるが、それはそれとして、高野様の「熟議」のご主張がどういうことなのかが、全く分からない。立ち位地が明確ではないのではないか。

納得できる点

1.現在の既存マスメディアの主張は、一方的に権力に擦り寄った内容になっている。特に酷いのは、アメリカを批判する記事など、殆ど見かけなくなった。其の傾向の酷いのは、朝日新聞である。昔は、かなり自由に意見を述べていたが、最近は全くないのである。一方、ネット社会においては、双方向的意見交換が進んでおり、この情報社会がシステム化され、政策に反映することができるようになれば、それこそが、民主主義の「熟議」ではないかと考えています。

今回は、大変考えさせられる素晴らしい論説であることに間違いはなく、文中の失礼な言葉はご容赦ください。

投稿者:元株や様 2011年2月2日 10:30
時折投稿されるコメント、いつも頷きながら読ませて頂いて居ります。敢えて平易な言葉で、一般市民の目線でコメントして下さる。また、ご専門の経済分野のコメントは鋭い視点で実に端的に表現されている。私自身はこちらにコメントしたことは有りませんが、元株や様のコメントは心待ちにして居ります。これからも投稿を宜しくお願い致します。

>このような状況で熟議の時代が来たとは、家事で燃えさかる家の中で、壁紙の張り替えを相談する仲良し夫婦みたいですね。
さすがに、少し空気が違うんじゃないかと・・・

言い得て妙だと思います。長い長い高野論説を最後に見事に締め括って下さった。自分では上手く書けないので、溜飲の下がる思いで読ませて頂きました。有難う御座いました。

 はぐらかし答弁に終始する首相以下閣僚では真の熟議ができるはずがない。
 国会答弁で野党の質問に対しちゃんと答えている答弁は非常に少ない。また自分の信念理念を野党と意見が違い予算審議や採決に影響することを恐れた自信のない抽象的な答弁ばかりと思うが。
 熟議を言う菅政権の態度がこれでも【有言実行」ではなく【有言不実行】ではないか。
 最初から修正を公言するほど最悪予算案だからかも

論説を読んでの感想ですが、まったく心に響くものがありませんでした。
なぜなら当の菅氏や党執行部のやっていること、言っていることが高野さんの論説とは真逆だからです。
菅氏は「民主主義もある意味、期限を切った独裁」と言ってるらしいじゃないですか。これのどこが熟議カケアイでしょうか。
岡田氏は「我々はマニフェストではなく菅代表のもとに集まってる」との趣旨の発言があった。これで国政選挙やる意味あるでしょうか?
私も昔はスマートで弁舌さわやかな議員が目立つオリジナル民主党に好感を持ったことがありましたが、いまでは高野さんも含めてその薄っぺらい正体を見た思いです。見てくれが悪くとも小沢氏や亀井氏らの言動の方がはるかに信頼がおける。
高野さんはいつまでも枝野氏や蓮ほうさんらと仲良くしていてください。TBSの時事放談に出演されてみてはいかがですか?もっとお友達が増えると思いますよ。岩見隆夫とか。

理解しようと何回も何回も読み返しても、何を言わんとしているのか認知が罹った高齢者には理解できません。

熟読してもままならず。

久しぶりの高野さんの投稿ですが、言葉の羅列・引用の多用で誤魔化しているのではないでしょうか?

今のこの政治情勢の中で難しい事を考えるより、難しく誤魔化すより「管政権は国民にとって良いのか?」「このままもう少し続けるべきか?」

或いは民主主義・議会制の根本を覆す様な人材の起用。

与謝野さんを大臣にするのは良いことか?

小選挙区で落選し、比例にも掛からない柳沢氏の起用は選挙民を愚弄してはいないか?

小沢氏に対する検察審査会の問題。多くの人達が捏造によって西松・水谷建設問題は始まったと考えているが、それをどう思うか?


多くの新聞やテレビは陸山会問題・水谷建設問題に前田元検事が関わっていた事すら報道しない。

元検事の大沢氏などは村木さんも起訴されてかなり長く拘束されたのだから、小沢さんも拘束さえて当然と言う。捏造された村木さんに申し訳ないという気持ちすらない。  こういう考えをどの様に思われますか?

何故、小沢氏の騒動を昨年の暮れに、大袈裟に行ったのか。今年度の予算が、官僚丸投げにしてしまい、本来菅政権に行くべき批判を、無関係な「一兵卒」小沢氏に向けて、目くらましに利用したのではないか、と思います。

だから、菅氏以下、与党議員の誇りも無く、野党の言う通りに修正しても良いと言えるのでしょう。

与党だった、自由民主党でも言わなかった筈ですが。

ウィキーリークスでの、キャンベル氏の言動暴露の内容は、菅政権は何の正当性も無い事を明らかにするには、十分な証拠です。
加えて、中東情勢の変化で、米国は掌を返した様に、菅政権を見限りつつある様です。馬鹿馬鹿しいの一言に尽きます。

今年度予算が成立しなくても、構わない気分に成って来ました。
今日にでも菅内閣は総辞職してくれと思っています。「国際的信用」の名目何か、糞食らえです。

小沢氏は、「予算の成立には協力する」とは言っていますが、これはどう言う意味なのか・・・。

<民主党なんかいらない>
そもそも「熟議」の前提からして崩れている。民主党は嘘つき政党であり信用できない。これが偽らざる有権者の気持ちで、そうでなければ地方選挙候補が「民主党」と口にした途端にツバをかけられたり、チラシをビリビリに裂かれたり、ポスターを剥がされたり、この嘘つき!と罵られたりしない訳です。
09年マニフェストを捨て去り、座標なきままさ迷う民主党は、もはや党ではなく、議事堂の席順を決める程度の存在でしかありません。
菅総理は、側近の諫言すら聞かず、凌雲会、花斎会、財務省、アメリカ金融資本に軸足を置き、最近では菅側近が原口氏と政策集団を結成して、反菅に回っています。
はっきりいって、こんな党なら不要です。熟議の前に自分のグループすら説得できない菅内閣が、どうして野党と議論などできるでしょう。
プライムタイムでは視聴率トップの報道ステーションの視聴率を半減させる総理=菅氏は、もはや国民にとっては憎悪の対象であり、退場するしかありません。俺って人気者?と思っているのは菅総理だけであり、麻生総理ですら一定の(秋葉系や新右翼系)一般人が支持しましたが、菅総理支持の一般国民など私の周りには誰もいません。
経団連や財務省、マスメディアの論説など既得権益を持っている人々がでかい声で支持しているだけであり、それに影響された一般国民が何となく支持している位でしょうか?
だから、菅総理には名古屋や愛知に入って頂き、積極的に石田氏支持の演説をして頂きたいものです。彼がひと言しゃべるたびに票が逃げていきます。それでも菅は、万一にも責任をとりたくないから、岡田氏ばかり現地にいかせるのです。卑怯者です。石田が当選すれば、手柄を自分の者にするのでしょう。
この際は、鳩山さんに決心して頂きたい。お爺様がつくられた「民主党」(=のちに自由党と保守合同をして現在の自民党に至る)を捨てて頂きたい。鳩さんが個人的なロマンチシズムに拘る為に小鳩新党ができません。後生大事に爺様のつくった党名に拘れば、肝心の友愛精神にねざした共生社会の実現ができません。国民にとっては名より実が大事なのだから、爺ちゃんの為にも小鳩新党で理念の実現・民主主義国家日本の再構築を目掛けて頂きたい。
徹底的にイメージダウンした民主党は、国民の評価外になります。民主党の再生は不可能だと私は考えています。共生新党でも良いじゃないですか?
民主党なんか菅一派にくれてやればいいのです。

熟議の国会とい言葉が、最近管総理がよく使われて、ご本人も気に入っているようです。

ただ、議論を行うにおいても、まずデータなどを議論に参加する者が共有することが大事ではないか、そんな風に思っています。

国会の質疑を拝見していると、与党側は各省庁から、政策に必要なデータを取り放題であるが、野党側は、省庁側の協力があまり得られないようです。

同じデータを共有せずに議論をしていても、なかなか先に進まないのではないかと危惧しますし、データを取れない側は、提示された議案のデータがどれほど信憑性があるのか、疑問を持ちつつ議論に参加しなければなりません。

政策立案に必要なデータを与野党問わず、簡易に入手できる制度を構築してはいかが、と考えています。

もっと欲を言えば、一般国民にも解放してほしいと思いますが、まずは国会議員への情報公開が進んで行ってほしいと願っております。

今日の国会質疑でも、民主党が以前提案していた基礎年金への税金投入には、いくら税金を投入すればよいのか、という野党の質問に具体的な数字をあげて答えられませんでした。結局、具体的な数値を検討することなく、案だけを考えた、いわゆる絵に描いた餅状態であったと懸念されます。

これも正確な数値を省庁から取り寄せられないことが原因だったのではないでしょうか。

熟議ですかぁ~。

小沢系の議員をその時の為に
委員会から外したりする姑息
な執行部、マニュフェストと
正反対な主張を突然はじめ
選挙惨敗の責任も取らない
そんないい加減な政府、執行部と
まともに議論に応じるほうが
馬鹿らしいとおもうけどなぁ。

この人たち、どれだけ一般納税者
の事を馬鹿にしているのだろうか。

高野さん

色々な立場の方の御説を紹介して頂きましたが全く脳裏に入らない。空しい戯言を聞かされたようです。

「熟議の国会にしたい」と語るが今行われている国会の現実は『マニフェストを反故にするからね。貴方達と同じように既得権益を吸う為に、官僚の言い成りになるから、賛成してね。』と言う事でしょ?

で、誰も支持しない落ち目の政権に擦りよる馬鹿野党も居なくて立ち往生。当然、駄目政権打倒のほうが簡単でしょう。


出来るのは、機密費を渡したマスコミ捏造捜査による小沢切りパフォーマンスの支持率アップだけでは・・・

高野さん、現執行部と同じで国民の疲弊を知らなさ過ぎです。地方経済は本当に大変なのですよ。

その苦しみから救ってくれるかもしれないと政権交代を選んだ国民からしてみれば、何を答弁しても民主党・とくに菅政権は裏切り者です。

だから回りで、どんな「名文の論説」を唱えても誰も心に響くことはない。この論説のように。

菅政権が続けば続くほど、民主党の議員全員が支持率が下がり、顔も見たくない程 嫌われてしまいますよ。

小沢さんの様な、作られた国策操作・冤罪事件なら、無実が晴らせれば世論など一瞬にして変わる。真の悪者は責めていた方(検察・マスコミ)だとね。

しかし、現政権の自滅政策への舵きりを国民は絶対に許さないのですよ。これは、造られた冤罪報道ではない。自らの無知?と利権への擦り寄り行動を裏切り者だと認識し、恨み・憎み出している。

菅総理の顔も声さえも嫌われ出していることを認識して下さい。私の知り合いでも菅総理を支持する方は皆無です。

政治への希望も期待も無くなって、自暴自棄に成る方も増えているでしょう。

このまま引きずって、既得権益の思い通りに自民党政権が復権すれば、本当にジ・エンドです。

時遅し感がありますが、現政権が総辞職し、09マニフェストをもう一度掲げて戦う新生民主党が唯一の希望なのだと思っています。

小沢総理でなくても良い、その改革の意思を次ぐもの達で出来るのならば・・・

しかし現実は、理念・実力・行動力・洞察力・そして人をひきつける魅力どれをとっても小沢さんを越える方は居ないだろう。

やっぱ,日本初の起訴総理誕生でしょうかね。これも日本史に名を残す看板でしょう。

平成維新の為に既得権益が仕掛けた国策をも凌駕して改革を貫いた偉大な人物だと。(笑)


熟議についてじっくり考えてみる時期だと思います。現在の議会制民主主義が結局は数の政治であるのは確かで、そのことが有効に機能しているかを検証することは大事なことです。但し、その有効性を正当性に置き換えているかのような議論はしてほしくありません。ややもすると、党の代表選で選出され、国会で多数の指名を受けた人物を、如何にダメであろうと(批判は自由だが)、まるで総理であることも認めないかのような中傷・誹謗を言うのは極端に走り過ぎです。認めないのであれば国会の場で不信任なり、或いは離党して別に多数派を形成するなりの動きがあって然るべきです。今はかっての米国のマッカーシー旋風のように全体が流されている一方で、それに対する過剰な反応があります。結局は手続きが正当であることが民主主義の根幹なのだと考えています。それにどれだけの議論を積み重ねることが出来るのか、熟議は確かに総理の専売特許ではなく、私達自身の中にあるはずです。

頭の悪さを痛感しました。
2度読む気になれないので、感覚として感じたことは、

オリジナル民主党の面々と学者たちが思い描いた理想を、党派を超えて官僚も加わってすでに10年以上前から実験していると。それがすでに文科省では政策として取り入れられていると。

(得られた意見は中央教育審議会等の審議の材料としても活用する。)

ここが問題。 いつものことで、言わせてあげるよ。 良いアイデアを出しなさい。 その中で我々に都合の良いところは取りて上げようね。
最期は我々エリートに任せて!

何も変わらない。欧米では議論の習慣はついているけれど、日本ではそこから始めなくてはいけないのでは。日本語の理解力の著しい低下がマスコミ界を多い尽くしていた。それが解ったこの数年でした。
熟議の前に分かり合える言語教育が必要です。


↓の事実は、与謝野さんを取り入れた理由。 すんなりとこのシンジケートのようなグループに入れてもらうための菅首相か誰かの考えだったなか。。。

東京新聞(2/1)の記事から
柳沢元厚労相ら起用
  税と社会保障 5日に集中検討会議

菅首相が議長、与謝野経済財政担当相が議長補佐に就任。

民間委員には柳沢伯夫下厚労相、吉川洋東大大学院教授
清家篤慶応義塾長、成田豊電通名誉相談役らが就任

福田政権の「社会保障国民会議」麻生政権の「安心社会実現会議」
に関与した有識者が主要メンバーになっているのが特徴。
3月下旬までは公開ヒアリングを実施し、その後、社会保障改革案
作りの協議に入る。  (要約)


これ程の国難は無いのです。

久々の高野氏の論説であるが、こんなものはビジネスの世界では当たり前のことである。何を大げさに目新しいことでも発見したかのようにおっしゃっているのか?この当たり前の話し合いのルールができていないのが、政界、マスメディア、教育界なのではないのだろうか?人間が一人で生きていない以上、全ての関わりあいは相手を尊重した上での自分の要求と相手の要求の合致点を見出す作業である。熟成された場合は”WIN=WIN”、未熟な場合は”分捕り合戦”なのである。分捕り合戦の新自由主義、市場原理主義から、WIN=WINの自立と共生の社会への進化を目指した小鳩政権に対して、新自由主義への逆戻りの菅=凌雲会内閣が”熟議”と言ったところで虚しいだけである。マスメディア、政界、先生と呼ばれる業界の方は大いに自己研鑽に励んでもらいたいものである。
 付け加えて言うならば、近江商人の”買い手よし”、”売り手よし”に付け加えて”世間よし”を最大限に考慮できるようになることが大人の熟議というものではないだろうか?

日本は法治国家である。明治以来官僚が作った法の下に今までこの国は生きてきた。

もし『熟議』『民主主義』等公平を求めるなら今までの法をなくさなければならない。

小沢率いる民主党が一番これらを改革するには手っ取り早く一番近道であった。

ただ、これを恐れた皇室、官僚機構、記者クラブは防御を固めた。

これに神道を擁護する馬鹿な国民が乗っかり『公平』はなくなった。

いかに日本の憲法、法律等法を変えれるかである。

山査子さん

丁寧なお言葉、本当にありがとうございます。
浅学非才な上に、つい脱線して乱暴な言葉が飛び出してしまいます。
御不快をおかけする事も有るかと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。

「熟議」?
これも、官僚がつけた入れ知恵だろう。
とにかく、官僚用語にこの内閣は汚染されている。

選挙で民主党に一票投じたのはマニフェストを野党の抵抗を排除して実現して欲しかったからである。「野党の政策は間違い」と論破して、どしどし進めてゆくものと思っていたらいつの間にか野党におもねるような発言ばかり。
いい加減にしろといいたい。自らが招いた「参議院選挙での大敗北」の責任をまず取ってからにして欲しい。「熟議」なんて、そんな物政治の世界ではたわごと以下だよ。
言葉のお遊び。

それより、
高野さんの菅改造内閣への評価を聴きたい。

<熟議?>
TVで少し国会の「議論」を聞いていた。菅ら馬鹿な連中に熟議などと理屈をこねることなどチャンチャラ可笑しい。ただの無責任な連中の誤魔化し言葉に過ぎない。元々何の責任を取ろうとしない連中の戯言。何にしても、「この問題は、我が党だけで決める問題ではないので、与野党含めた議論の上」全てこんな調子ですよ。何が熟語ですか。「自分たちの贅沢な生活第一」温存だけを考えてる犯罪集団であるというだけです。一日も早く葬り去るのみです。

>そんないい加減な政府、執行部とまともに議論に応じるほうが
馬鹿らしいとおもうけどなぁ。
ytomo019さん | 2011年2月 2日 15:24

スッカラ菅(率いるアッケラカン内閣)と認定した筈の相手とまともに応ずる滑稽さは兎も角として、他で何方かも仰っていたNext step が感じられない堂々巡りの議論展開を気怠く感じている人は少数派なのでしょうか・・

状勢はむしろ悪化の一途を辿っていると見る可きで、今こそ、ここでは一番アクティブな存在である恵美氏の指示に従って動くことが肝要と思うのだが。無論、一市民の出来ることは限られるが、分かっていてなお何も行動しないのなら、分かっていない八割方と結果は何ら変わるものではない。元株やさんも指摘されていたような、せめて実生活でも文句を言い続ける、ということは最低限の行為であろうと思う。

この国の凋落は、発展という意味を経済至上主義で捉えざるを得なかった敗戦国の辿った避けられない運命のようなもので、経済復興は遂げたが、その副作用に気づくのが余りにも遅過ぎた。この代物を後世代に残す訳にはゆかないだろうということは誰にでも分かる話で、分かったのなら即刻動く可し

議論は尽きた
後は、行動あるのみ(恵美氏談)

高野さん、こんにちは。

【熟議しなければならないのは議会=政治家よりもまず市民である】について賛成です。

【インターネットという双方向メディアも活用した熟議】のついても、賛成です。おっしゃるとおり、おバカなマスコミに扇動されて、国と国民とで暴走する過去の過ちを繰り返してはならないでしょう。

鈴木さんの、
【「コミュニティ・スクールというのは、みんなで熟議する学校です。熟議で変わる学校、熟議で変わる地域、そして熟議で変わる日本というふうに、日本社会全体が、家庭→学校→地域社会→国とポジティブに変わっていけばよいと私は思います」】
について、なるほど、それはいいと思いますが、【みんなで熟議する学校】とはいったい、どういうものなのか、と思いました。

勝ち組と負け組に分断された現代の社会にあって、それに参加する市民とは何なのか、ということです。

声を挙げにくい弱者はそれに、当然、含まれるとしても、参加するしやすさはどうなのか、それに参加しても、それを加わる、また、伝える力が存在するのだろうか。というような、気になる点ががあります。

結果、勝ち組だけによる熟議する市民ということになりかねないのでは?と不安に思います。

弱者には特別な配慮が必要なはずです。それがしっかりとされていて、尊重されているならば、熟議する市民社会の形成に、大いに賛成します。

インテリによる市民運動に対して、僕はいま、懐疑的でいます。

【現場に近いところでの市民自身による熟議という「下からの民主主義」】に賛成です。
その現場が貧困、弱者の生きる市民が尊重されるものであることが、絶対に必要と思います。

以上、ほほ賛成なのですが、弱者の市民はどうなのかが気になるのです。いままでの政治は弱者を切り捨てて来たからです。

無縁社会、格差と貧困、自殺者毎年3万人。きわめて異常です。

【熟議カケアイ参加の五箇条】、なるほど、勉強になります。

高野さん、考えてみてください。あなた方メディア人はTVでも新聞でも政治政策に関して問題がおきれば、いつもお決まりの文句「もっと議論するべきだ」こういってきたじゃないですか?朝生、TVタックル、たかじんなどあれだけ議論して日本は、現在このような事態になりました。日本人はいったい、何時、どれだけ議論してきたんでしょうか?
熟議などという言葉は、「議論すべきだ」というお決まり文句が賞味期限切れになって、誰からも信用されなくなったため、便宜上新しく作った言葉に過ぎません。
詭弁はもうやめましょう。議論などしても所詮実行と変革が起きなければ張子の虎に過ぎません。
国を変えたければ、議論をするのではなく国民が行動すべきです。無能な菅直人は国民の手で引き摺り降ろすし、冤罪の小沢氏は国民の手で守ります。マスコミは、みんなに狼少年と思われたから赤字経営なのです。信用を取り戻すのはあなた方自身であって、私たちが信用しないことが罪悪なのではありません。

高野さん
熟議の民主主義の哲学的基礎に遡られることは素晴らしいと思います。
コミュニケーション的理性を実現するためにハーバーマスが掲げるのは、討議参加者の発言の『真理性・規範適合性・誠実性』というルールです。
あえて平たく言えば、正しいことを、人の道に外れないやり方で、自分の言葉に責任を持って発言するということです。
菅首相に言っておあげなさい。でたらめを言うな、卑劣な策を弄すな、約束を守れ。
この熟議のルールについて、また別の言い方をする人もいます。曰く、「百術は一誠に如かず」と。
~~~~~~
参考 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/habermas.html
~~~~~~

高野孟様

一度目は、流して読みました。
二度目は、ちょっと考えながら読み直しました。
半分は分かったような…分からないような…
熟議の教育論に参加を促しているとは思えませんし…
曖昧模糊としていて、申し訳ありません。

熟議(あなたの考え、私の思う所。一堂に会して、種々の意見を十分に交換して相談する、決める。)と云うのであるならば、
民主党の、両院議員総会も党大会も、熟議のすえの映像とは思えない内容だったと記憶しています。
説く方が『言うは易く…』では、下々の私たちに体現(熟議の質を左右するのは~市民の議論である)せよと言われても無理と云うものです。
口だけなら、ペテン師にもほら吹きにも成って見せますが、それでは虚しいだけです。

『まず自分の中で考えを磨き、温め、煮詰め、それから他者との議論の場に臨む。他者を批判する前に、《自分》を真剣に問う』
この姿勢が、
菅総理にお有りであればと思います。

高野さま
熟議という言葉の意味はよく分かりましたが、熟議を言い出した菅内閣の実態が熟議とは遠く離れていることを、どう考えますか。
今の予算委員会を見ていると、熟議どころか言い訳と、不利になると相手に抱きつく事だけです。しかも興奮すると信じられない暴言を吐き何度か陳謝を繰り返しています。
とても熟議どころではありません。菅内閣が熟議といっているのは予算案を通す事だけのためにその言葉を使っているのように思えます。恐らく熟議どころか野党案丸呑みの結果になるような気がしてなりません。

もはや菅政権を持ち上げることもできず、使った言葉の歴史を取り上げるだけ。虚しい論説です。
いずれにせよ菅は3月には投了です。投了した時点でのご自身の論説の振り返り楽しみにしております。

>高野氏の論説に反応する逆説の熟論も数多くあると分かった。さすが主宰の高野氏高説だと思った。

自分のような知識に疎い人間にはチョと難しかった。
勉強の為4回も読み返した。やっと熟議の意味だけは分かった。
小沢氏の強制起訴が出たばかりなので高野論説に興味が倍加していたのですが、いささか私にとって論説が高説過ぎて大学の机上の講義を聴いているようで残念でした。勉強にはなりましたが・・・・

霞ヶ関の官僚世界は別にしてこのデフレ沈滞の不景気の時代、議論による、多数決に揺れる、政治家による、官僚による公平・効率の高い税の配分は殆んど期待していないのだが。それにしても、熟議はなかったにしても国民の選択であったはずの政権交代で、取り敢えず民主党から始まる熟議に?よる覚醒でタカリ自民党から市民側へ尺度を移して、少しはまともな市民レベルの政治に移行するのかと思っていた。

新聞テレビの横並びの官報メディアからは同一方向の情報しかタレ流さない現実では、市民はよっぽど暇と覚醒の意識を持つ市民でない限り既存メディアと真逆の情報を得るためのネット検索はしないと思った。熟議を求め協賛するにしてもいずれが本物か学習する最低限度の情報は必要です。

菅直人と小沢はどちらがまともに見えますか。市民は熟議して、最悪の民主党に化けてしまったと分かっても、選挙以外に熟議の菅追放リコールができない。政治の現実の事実の流れをよく見ると、一部の私欲に溺れ熟議のはるか彼方に住み着く、よからぬ見え透いた言い訳に走る人々が権力を行使しいていると思うのです。

熟議で政治が、国民の生活が良くなるのであれば参議院いらずの、少数の行政官僚、公務員、国会議員で政治と国が構築できると夢想はできます。どの程度腐敗した長期政権だったか詳細は知らないが、チェニジア、エジプト国民の反政府の怒りはけして熟議だとは見えない。しかい単純にネット革命と言われると日本でもあり得るのかと思ってしまう。

高野氏のテレビでの活躍を期待いたします。

与謝野に続いて、柳沢さん。
いや~、参ったな。
決めるとこを、しっかりと決めてくる菅総理大臣閣下。

次は、竹中平蔵しかないだろう。
これで決まり、
ついでに小泉総理に無任所の副総理でデモ入って貰えたら、大成功。

まさに歴史的馬鹿野郎の名に値する市民派総理大臣様閣下だ。

熟議というよりも、
脳みそジュクジュク・・・ナンチャッテ、

ホント、いくらでも書き続けたい気持ち。
植木等を西方浄土から連れ戻し、
無責任男を語らせ、
牧伸二を極楽より引き戻し、
「あ~ああ、ヤんなちゃった」だけを繰り返させたい。

もう、笑っているしかないのかね。

高野氏の「熟議の民主主義新次元」と、菅氏の予算委員会での答弁を重ねてみると、よく分かってきたことがある。

高野氏はご自身の主張はなく、単に菅氏発言の追認に過ぎないのではないか。

新しい言葉「熟議」などともっともらしく言っておられるが、熟議=55年体制の復活=馴れ合い政治(菅氏の成熟した議論政治)と、同義語として考えてみるとはっきりしてきた。

今の菅氏の発言、与謝野氏の政権起用、自公政権時代の政策復活、政権交代の原動力となったマニュフェスト取り下げなど一連の行動は、自民党回帰そのものである。

菅氏の体質は、残念ながら55年体制を脱していないのだ。今の民主党は、自民党内の左よりのグループ、すなわち菅グループが政権を担っていることとみなして間違いない。

政権交代などと、大仰なことを言っていたが、菅,仙谷グループは、権力を得たいがために、仮面を被って民主党にいたにすぎないのであり、鳩山、小沢グループはうまく利用されたことになる。

この様に考えてくると、仲間であるべきの小沢氏の異常なまでの排除行動が、妙に納得性が出てくる。

菅、仙谷グループの国民を欺く背信行為は、決して許されるものではない。

小沢氏の離党などはもってのほか、隠れ自民党の菅、仙谷グループが民主党からでて、自民党と一緒になればよいのである。正体がはっきりしたので、追い出して、もう一度やり直すしか仕方ないのではないか。


小沢氏に対し検察が不当な政治弾圧を開始し始めてほぼ2年になります。
菅氏が使い始め、ここに高野さんが称揚する「熟議」なる言葉が実質的には無責任な言葉の発し合いであるとすれば今日の日本にとって最も重要な「小沢問題」は新聞・テレビによって十分に「熟議」はされたというべきでしょう。
恵美様をはじめ多くの方々がおっしゃっているようにまさに健在進行中の「不条理」に対して既に「行動」の時に入っているのです。
昨年の10月24日東京で始めての「市民デモ」がそのマグマが地上に出てきたものと私は思っています。
私も個人として出来ることをやっています。
陸山会に入会し、僅かですが献金し、石川議員、森ゆうこ議員、鈴木宗男さんなど頑張っておられる方方にも。
又、東京で行われる抗議デモには皆勤です。
今度は2月9日の「検察審査会の疑惑を究明するシンポジュウム」に参加します。
名古屋の実家で河村氏への3票も確保しています。
小沢氏の長い長い闘いにずっとつきあって行きたいと思っています。私の生きがいの一つですから。

高野様

菅直人が掲げた「熟議の国会」というアイデアは高野さん発だったのでしょうか?

とすれば、尤も彼に似つかわしくないテーマを捧げたものですね。

貴方は、与謝野氏や柳沢氏を起用し、三顧の礼で迎えたその与謝野氏に民主党は無知であったとまで言われて「確かに…。」と追随し反省を口にする総理・党代表を見て如何お考えなのだろうか?

思えば、菅総理誕生以降、貴方の論説は極端に少なくなり、たまの論説も抽象的で他人の言葉を借りた曖昧なものである事にがっかりです。

私は浅学ながら、政権交代前後の衆主の事件を通して、この国を支えてきた官民のシステム(政治・検察・マスメディア・財界等々)が如何に出鱈目なもので会ったかを知りこの国の民主主義の危うさを全身で日々感じております。

菅や仙石の率いる民主党をどう評価しているのか?小沢問題は?検察権力とメディアスクラムは?語るべき具体的課題が溢れているのに何故口を閉ざされているのでしょうか?

この日本の大転換期で一番難しい時期にこそ、高野さんが親仙石であれ菅であれその信じるところを言論人として真正面から論陣を張って語って欲しいと思います。
失礼ながら、熟議がどうのと当たり障りのない論説をこの時期に掲げるようでは言論人高野孟の存在意義が無いのではないでしょうか。

高野さんといえば、小沢氏と鳩山氏がスッカラ菅の代表に異を唱えた当時、「目糞鼻くそを笑うが如しだ」と仰ったことがある。「味噌も糞も一緒にするな」と書き込んだら、下品が理由(それ以外考えられない・・)で削除されたのは片手落ちではないのかと思っていたが、今回は無事載っけて戴いたようで・・

「熟議」で喧しいが、スッカラ菅を絡めているのならナンセンスも甚だしい

>もともと、投票し多数決で決めるという《集計民主主義》は硬直化の傾向にある。数に対する信奉は、選挙至上主義にもつながった。

結構まともな事を言う岩見氏に違和感を持つのは致し方ないとして、選挙民が熟成していないのに多数決で決めたら硬直ではなく溶解に繋がる・・既にその答えはスッカラ菅に著しいではないか。この国では、数を恃みの民主政治が過渡期にある・・

少なくとも、「二八国家」では、選挙資格条件が年齢だけというのは致命的である。

菅直人のは熟議ではなくて、詐欺だろう。
TPPも日本の壊国。

 高野さんは入閣なされたらどうか?

高野さんの論説は、所詮奇麗事にすぎず、おりこうさんの理想論で、現実のドロドロした生活の中から生ずべき血が通った政治を論ずることなど出来やしないのだ、と未だ気づいていらっしゃらないのは、哀れを誘ってしまいます。私は、菅さん一派は、「エリートの生活が第一」の政治を目指し、小沢さんの方は、まさしく「国民の生活が第一」の政治を目指しているのだと思っております。

高野さんは、
「何を騒がしい事を。もっと冷静になれないものか。」
くらいの事を、お思いかと推測いたします。

しかし、ここに書かれている事どもは、モノを考える人間たちの本当の所なのですよ。
マスゴミに侵された人々には、とてもの事に発信できない事が書かれているのです。
親小沢にしても、反小沢にしても、現在の日本の政府の在り方に満足している人間は少ないという事は、お分かりになるでしょう。
それが解らなければ、そりゃジャーナリストの看板は必要なくなってしまいます。

20歳の、若い心に戻って、やり直しのきく心に戻って、現在の日本政府を見渡してみてください。

それでも、熟議を述べられますか。
変革を述べたくなりませんか。

今国会で、菅内閣が苦労している一因は、小沢代表時代のねじれ国会におけるゴロツキ行動にあります。
 つまり自民党は、逆の立場に立った現在において、民主党に対する復讐を行っているのです。
 小沢氏が、政治倫理審査会への出席を拒否していることも自民党につけいるスキを与えています。
 
 今国会において予算案を成立させることは、行政府の責任でもあり、立法府(国会議員全員)の責任でもあるわけです。解散・総選挙しても現在の衆議院の顔ぶれが80%は変わらない以上、レベルアップは期待できません。新人議員が多少いても新米議員にできることはわずかです。
 
 また解散・総選挙しても、民主惨敗・自民大勝なら、自民党中心の政権に戻るだけで何の意味もありません。
 菅政権は自民党と変わらないから辞めた方がよい、という意見があるが、自民党中心の政権を願望しているだけではないのか。
 つまり菅政権の存在理由は、「自民党中心政権に戻るよりはマシである」というその一点に尽きるということです。国民に与えられている選択肢は、きわめて狭いということを自覚する必要があります。
 また民主党の政治家が政権担当能力を身につけるということは、長い目で日本政治にとってプラスになるということです。

熟議が実際に行われているTwitterでの結論から言わせて貰えれば菅政権は役立たず即座に総辞職し小沢派へ権力移譲が望まれている。菅+7奉行は無能でしかないとの結論である。多少口が立ったところで無能でしかなかったというです。また、政治にお金が必要との共通認識であり、政治家が政治資金を使って政治家を支援することは何の問題もなしとの共通認識に至る。資本主義である以上は政治家から政治資金を奪うことは弱体化でしかないとの認識なのです。人望もなく何の力もない口が少し立つだけの政治家は不要なのです。

>>熟議が実際に行われているTwitterでの結論

Twitterで熟議した結論(笑)
百万回読んでもここで説明されている"熟議"の意味は理解できないかもしれませんが、この文章を理解できるまで読むべきでしょう。
反"小沢信者"だからって菅支持者認定しないでくださいね。
世の中には今の菅内閣に絶望しながらも小沢に期待していない人も少なくないので。

しかし弱音を吐きながらも論説を書き続ける高野さんには頭が下がります。
安倍・麻生信者的"国士様"と同レベルで吹き上がっている方々のノイズのせいで伝えるべきことが伝わり辛いかと思いますが、数年も経てば状況は変わるかと思います。
これからも大事な話を書き続けてください。

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