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平田伊都子:アフリカ最後の植民地でインティファーダ

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アルジェリアのチンドゥーフ砂漠にある西サハラ難民キャンプ。難民生活35年、独立運動37年、国連投票を待って20年、西サハラ人の不屈の闘志には頭が下がる。

 2年前の11月8日は、世界中が夢見心地だった。あの超大国アメリカが黒人大統領を選んだのだ。アフリカは歓喜に涙し、アフリカ最後の植民地.西サハラは、翌日にでも独立を勝ち取れそうな希望に包まれていた。西サハラ難民は早々に帰国の支度を始めた。しかし、2年後の今日2010年11月8日、西サハラ情勢はチェンジしていない。35年前に祖国西サハラを銃で追われた西サハラ難民は約20万に膨れ上がり、相変わらずアルジェリア砂漠でテント生活をしている。35年前に西サハラを脱出できなかった西サハラ住民約7万も、相変わらずモロッコ占領下で2級市民生活をおくっている。モロッコが作った約2,500キロの地雷原で、西サハラ人は分断されたままだ。

◆14才の西サハラ少年をモロッコ兵が射殺

 2010年 10月25日の夕方、西サハラ砂漠にデッカイ太陽が落ちようとしていた。日没の礼拝前に、援助の水や食料や薬品などを届けようと、2台のニッサン・ピックアップが西サハラ被難民のキャンプへ急いでいた。その時、追跡してきた2台のモロッコ軍用車が銃を乱射した。助手席の少年が血を吹いて倒れた。運転していた西サハラ人活動家は銃弾の中をUターンし、モロッコ軍検問所を突破、15キロ離れた病院に向かった。

 病院に着いた時、少年は息絶えていた。
 パレスチナ・イスラエル占領地での事件ではない。ここはアフリカ西北端、西サハラ砂漠、西サハラ・モロッコ占領地である。<アフリカのパレスチナ>と例えられる西サハラ・モロッコ占領地でインティファーダ(住民蜂起)が燃え出したのだ。

 西サハラ・モロッコ占領地でのインティファーダは2010年10月13日、火が点いた。
 息を潜めてモロッコ占領の圧政下で暮らしてきた西サハラ被占領住民が居留区を脱出し、首都ラユーンから15キロ離れた砂漠で抗議のテントを張り出した。名づけて<蜂起キャンプ>。今も、西サハラ非占領民の30%、約2万人が抗議活動を続けている。彼らを指導しているのは、アルジェリアの西サハラ難民亡命政府ポリサリオだ。いよいよ、モロッコ占領地とアルジェリア難民キャンプに別れて住む西サハラ人民が一体となって、ポリサリオ指導の下で<国連西サハラ住民投票の即時実施>と<モロッコ占領反対>を世界に訴えだした。
 アルジェリアの西サハラ難民と、モロッコ占領地西サハラの住民を指導するポリサリオは、1973年に遊牧民の息子エル.ワリによって創設された。現在、国連は西サハラ紛争両当事者を<モロッコVSポリサリオ>と指定している。

◆西サハラ.モロッコ占領地、2万人の<蜂起キャンプ>

 2010年10月25日、ポリサリオ西サハラ亡命政府は、次のような抗議声明を出した。
 「10月25日、モロッコ占領軍がエルガリ・ナエム少年(14才西サハラ人)を射殺した。
 彼は西サハラ占領地の<蜂起キャンプ>で、水や食料や薬品を配給していた。彼と一緒に援助活動をしていた7人の西サハラ平和活動家たちも銃撃され、病院に運ばれた。が、その後、モロッコ軍に逮捕された。彼らの車2台は、蜂の巣になって砂漠に捨てられていた。
 彼らは平和活動家だ。彼らの即時釈放をモロッコに求める。(ポリサリオ)」

 一方、加害者のモロッコは、10月29日にやっと、モロッコ内務省の名で声明を出した。
「10月24日、モロッコ領南サハラ州都ラユーン近郊の住民キャンプで、検問に当たっていたモロッコ兵に向け2台の四輪駆動車が突然発砲してきた。モロッコ兵は応戦し、14才の少年が死亡、7人が軽傷。モロッコ国王に刃向かうテロ行為だ。ポリサリオ・シンパのテロリスト2人が指導し、そのうちの一人は、イタリア・テロリストグループに属している」
 モロッコは<蜂起キャンプ>の2万人平和抗議を、国際テロ組織に指導される反国王テロにでっち上げようとしている。

 11月2日、<蜂起キャンプ>の中に潜伏している外国人人道援助団体のダニエルが、携帯電話でBBC英国放送に悲痛な声を送ってきた。
「10月中頃、西サハラ人居留区から西サハラ被占領民の脱出が始まると、モロッコ軍が居留区に乱入し平和活動家を拘束し始めた。我々外国人援助団体にも危険が迫ってきた。我々は居留区の屋根から屋根へ飛び移り逃亡し、やっとこの<蜂起キャンプ>に辿り着いた」

◆植民地宗主国モロッコの企み

 モロッコの狙いは「西サハラ独立運動はポリサリオというテロリストが指導する分離運動」という印象を国際社会に浸透させることにある。 モロッコが言う分離運動とは、一部モロッコ人による反国王運動を指し、西サハラ人の存在を否定している。そしてモロッコは、<西サハラはモロッコ領土で、南モロッコ地方州>と位置付けている。
 しかし、モロッコの西サハラ領有権は、1975年10月14日に国際司法裁判所によって、はっきりと否決されている。国連も1960年の<国連植民地独立付与宣言>以来、西サハラは領有権未確定地域で植民地と規定している。 現在、世界でモロッコの西サハラ領有権を認めている国はない。

 何故、モロッコは国際司法裁判所の判決を無視し、国連憲章や国連安保理にたてついてまで、モロッコの西サハラ領有権を主張し続けるのか? それは、西サハラが天然資源の宝庫だからである。
 モロッコは鉱物資源に乏しく、漁業資源も乱獲が災いして枯渇してきた。 現在、外貨獲得NO.1であるリン鉱石は、ほとんどが西サハラ領土内で採掘されている。モロッコ産の表示があるタコやまぐろは、西サハラ領海内の海産物だ。国連はモロッコの西サハラ領有権を認めていないから、モロッコによる西サハラ領域内での生産活動は盗掘.盗漁になり、明らかに国際犯罪である。
 加えて、20世紀末には石油や天然ガスや希少金属などが確認された。 資源貧乏のモロッコが西サハラを手離すわけがない。

 モロッコの西サハラ略奪小史をざっと見てみる。
*1975年11月14日、マドリッド秘密協定でモロッコは、西サハラ旧宗主国のスペインから北部西サハラを闇取引で入手。
*1979年から西サハラ全土にモロッコ軍を侵攻させ、ポリサリオと熾烈な砂漠戦を展開。
*1981年から1987年にかけイスラエル軍高官の助言で<砂の壁>という約2,500キロにわたる防御壁を建造。壁の両側50メートル巾で地雷原を設置。

◆役立たずの国連だが...

 1991年に国連は<国連西サハラ住民投票>という和平案を提案した。 ポリサリオは国連和平仲介を歓迎し、砂漠消耗戦に疲労困憊したモロッコもこの案を呑んだ。この投票とは「西サハラ住民が西サハラ独立かモロッコ帰属かを選ぶ二者択一の投票」の事を言う。
 2002年には東チモールがこの国連投票で独立を勝ち取っている。
 <国連西サハラ住民投票>では、投票人の認定を、1975年のスペイン人口調査に基づいてやることにした。国連事務総長個人特使に元米国務長官ベーカーが任命される。1998年、西サハラ難民キャンプで投票人認定作業が行われ、筆者もこの模様を取材した。

 しかし、国連基準による投票人ではモロッコに勝ち目はない。そこでモロッコは、大量のモロッコ人入植者とモロッコ兵を西サハラ占領地に棲みつかせた。が、彼らが西サハラの投票人として認められないと分かると、モロッコは<国連西サハラ住民投票>を拒否しだした。2006年になるとモロッコは、「西サハラは昔も今もモロッコ王のもの、モロッコ南部の一地方州」と、主張し始める。2007年には前ブッシュ米政権や前国連事務総長個人特使ピーター・バンを巻き込んで、モロッコは西サハラ領有権を強引に押し通そうとした。が、失敗した。
 1991年に<国連西サハラ住民投票>を承認した国連安保理は、同じ年にMINURSOという投票作業派遣団を編成した。そして毎年、4月30日になると改めて、さらに一年間の派遣団延長を安保理が認める。年中行事だ。 こうして早20年、MINURSOは何一つ西サハラ住民投票に関する作業はせず、これまで約2,120億円も浪費してきた。

 2009年1月から西サハラ国連事務総長個人特使に任命された元米外交官クリストファー・ロスは、モロッコ・ポリサリオ両当事者非公式会合を2度開催した。が、「南サハラ州はモロッコ固有の領土」を固持するモロッコと「国連西サハラ住民投票早期実施」を主張するポリサリオは、全く歩み寄りを見せない。やっと本日、11月8日に非公式会合が再開される。が、先は見えてこない。

◆西サハラと国際社会

 2010年11月8日現在、ポリサリオが率いる西サハラ亡命政府を正式に認めている国は世界で約80カ国にのぼる。AUアフリカ連合は正式加盟国としている。先進国は正式承認をしていないが、各国に西サハラ支援民間団体や友好議員連盟がある。

 西サハラとEU、アメリカ、日本との関係を見てみる。
(1)EUヨーロッパ連合(アフリカ諸国の元宗主国連合)と西サハラ天然資源:
 EUはモロッコと漁業協定を結んでいる。EUはモロッコ産リン鉱石の一番のお得意さんでもある。 が、モロッコ主要漁場は西サハラ領海で、モロッコ.リン鉱石の鉱山は西サハラ領内にある。どちらも国連が領有権未確定地域に指定していて、その地域での生産活動はご法度だ。
 2010年10月末に開かれた<西サハラ支援EU連帯会議>では、モロッコの西サハラ資源盗掘と盗漁を糾弾し、EUモロッコ漁業協定とEUモロッコ通商協定の撤回を求めた。

(2)オバマとアフリカ最後の植民地:
 オバマが大統領になった時、西サハラ人民がどんなに期待したことか、、今度こそ、国連西サハラ住民投票が実現すると信じた。 オバマの指南役だった故エドワード.ケネディーが20年前に国連投票が提案された時から、ずっと国連案を支持してきたからである。
 が、ケネディーは死んだ。西サハラ人民は<アフリカ最後の植民地>というキャッチフレーズで黒人オバマの気を引こうとしているのだが、、オバマは人気挽回作戦で忙しい。

(3)日本民主党西サハラ問題を考える議員連盟:
  2010年6月末<日本民主党西サハラ問題を考える議員連盟>ができた。 何故こんな長ったらしい締まりのない名前になったかというと、<西サハラ友好議連>ができることを嗅ぎ付けたモロッコ大使が「西サハラに味方するのなら国交断絶!」と脅しをかけてきたからだそうだ。が、いずれにしろ、皇室王室の絆が固い日本で西サハラ関係の議連が誕生したことは、おめでたい。

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「日本民主党西サハラ問題を考える議員連盟」の会合。左から首藤信彦衆議院議員、アルジェリア大使、江田五月初代議連会長、生方幸夫現会長、筆者、NHK大貫康雄(敬称略)

 2010年11月3日、モロッコ内務省高官が異例の占領地西サハラ入りをした。占領当局主催の晩餐会後にこの高官は、次のような国王書簡を発表した。
「いかなる個人も団体も、国王に物申すことは不敬罪になる。11月6日までにキャンプを撤退しろ!さもなくば王令が執行され強制撤去だ!!」
  11月4日、<モロッコ軍突撃>の情報が<蜂起キャンプ>内に走った。 即、ポリサリオは全世界に向けて「西サハラ人民の正統で平和な抗議活動をモロッコが武力で押し潰そうとしている」と、SOSを発進した。このSOS、誰が受け止めてくれるのだろうか?

文:平田伊都子(ジャーナリスト)
写真:川名生十(カメラマン)

(この記事は「日刊ベリタ」から許可を得て転載しました)

P.S
「アフリカ最後の植民地.西サハラの講演」 2010年11月14日(日)午後1時から、神戸大学社会問題研究会LEAD
★誰でも歓迎!講師:平田伊都子

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