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平田伊都子:フランスのロマ サルコジ仏大統領にEUの審判が下る

 フランス政府が少数民族ロマをルーマニアに送還した問題で、欧州連合(EU、加盟27カ国)の行政府・欧州委員会は19日仏政府に対して法的措置を当面、取らない方針を決めた。

 ロマ送還を巡る問題は、サルコジ大統領がEU首脳会議の場でバローゾ欧州委員長と舌戦を繰り広げるなどEU諸国では注目されている。本記事は日刊ベリタで15日に掲載されたもので時間のズレはあるが、問題点が網羅されている記事は日本メディアでは少ないため本日《THE JOURNAL》上で掲載する。

* * * * *

 2010年10月15日、仏大統領サルコジに対して、彼自ら先導する<不法滞在ロマ追放>に、EUの審判が下る。ロマとはジプシーのことを言う。ジプシーがいない日本では、フラメンコ、<カルメン>や<ノートルダム・ド・パリ>のヒロインたち、ジプシージャズのジャンゴやジプシーキングスのリズムを通し、ジプシーに対してロマンチックでノスタルジックなイメージを抱いている。

 筆者も同様で、一緒に歌って踊って旅をしようとジプシーの中に飛び込んだ。しかし、「ジプシーって一体どんな人種?」と聞かれても困ってしまう。ジプシー研究のためにジプシーと付き合ったわけではないからだ。
 通説によると、ジプシーの起源はその言語的類似性からインドということになっている。ジプシーの共通語ロマニ語がインドのサンスクリット語に似ているからだとか、しかし、友人のジプシーたちはロマニ語を知らないし、喋らない。世間のざわめきをよそに、フランスで約40万人、ヨーロッパで約1,000万人、世界で約1,300万人のジプシーが、それぞれジプシーらしく生きていると言われている。が、なに一つ確かな話はない。

◆ジプシー、ジタン、ロマ

 ジプシー、ジタン、チガンヌ、チゴイネル、ジンガリ、ヒターノ、ボヘミアン、タタール、サラセン、ブーミアン、ヘイデン、ファラオニ、シンティ、マヌーシュ、カルデラシュ、などなど、通称ジプシーには無数の呼称がある。 南仏プロヴァンスではカラク(クズ)と呼び捨て眉をしかめる。 ジプシーが立ち寄った先々の住民が勝手につけた呼び名で、<邪魔者><異教徒><汚い奴>といった意味あいのものが多い。
 一方のジプシーは非ジプシーを<ガジェ(よそ者)>と、一まとめにくくって呼んでいる。
 最近になって<EUロマ権利センター>や<ガジェ(よそ者)>のロマ支援団体やロマ活動家たちが<ジプシーをロマと呼ぶ運動>を始めた。ジプシーは差別用語とヒステリーを起こすむきもあるので、以降は<ロマ>と呼ぶことにする。ただし、関係者の発言などは原文のままの使用語を残しておく。
 当事者のロマたちは「好きにほざけばいい」と、自分たちの呼称に関して無頓着だ。「ガジェはガジェ(よそ者はよそ者」という彼らの諺を盾に、達観している。

 そもそもロマたちがインドを出発し、小アジアからバルカン半島経由、又は北アフリカからイベリア半島経由で、ヨーロッパ大陸に入ったのは9〜10世紀頃だと言われている。
 フランスにロマが現れたのは15世紀頃で、1419年10月1日にシストロンでロマの一団がキャンプを張ったという記録が残されている。パリに初登場したのは1427年8月17日で、<奇妙な見世物>と、一市民が日記につけている。
 ロマの受難史は中世の魔女裁判からナチのアウシュビッツ.ガス室まで、ユダヤのそれに酷似している。600万のユダヤ人がナチに虐殺されたことは世界中が知っているが、その中に50万のロマ犠牲者がいた事など、誰も気に留めてこなかった。ユダヤ人のように犠牲を逆手にとって民族を復活させるという野心が、ロマになかったからなのかもしれない。

◆セント.エグナンのロマ事件

 2010年7月16日から17日にわたる真夜中、フランス中部を流れるロワール渓谷に沿った人口17,433の町セント.エグナンで強盗事件が起こった。通報を受けた憲兵隊が町を封鎖し犯人追跡を開始。空が青白く明け始めた頃、無灯火の車が一台、非常線に近づいてきた。車は止めようとした憲兵をはね、バリケードに突っ込む。張込んでいた他の憲兵たちが一斉に発砲し、運転していた若者は死んだ。若者の名はルイギ.ドゥケネ、22才のロマだった。
 ルイギの家族は「息子は免許証の期限が切れていたんで逃げただけだ」と抗議したが、憲兵隊はルイギの所持金2,500円を証拠に、強盗犯人だと主張した。

 7月18日、セント.エグナンのロマ50人が憲兵隊の車2台を燃やし街路樹を薙倒した。
 7月21日、サルコジ仏大統領がこの事件を利用し「一部の流民やジタン(フランス語でジプシー)がもたらす大問題」と、誇大キャンペーンを開始した。
 7月28日、仏政府閣議でブリス内務大臣が「騒乱ロマの追放と600の不法ロマ.キャンプ撤廃を3ヶ月内に強行」と、宣告した。
 8月19日、サルコジ仏大統領は最初のロマ追放をルーマニアに向かう民間機で強行した。
 8月22日、バチカンのパパ.べネディクトゥス16世がフランスのロマ追放を人道的観点から非難した。多くのロマはカトリック信者で、彼の信奉者でもある。
 8月25日、ヴィアンヌEU司法弁務官が「第2次大戦後、最も忌むべき人権侵害」と、サルコジのロマ追放を糾弾した。
 8月27日、国連人種差別委員会はサルコジに「ロマ集団追放を中止するように」と、勧告した。
 9月4日、「77,300のロマは追放の対象になる」と、サルコジは態度を硬化させる。
 9月9日、殺されたロマ青年の遺族たちは、ボア法務局に弁護士を伴って直訴する。息子の強盗嫌疑を晴らすために何度も憲兵隊や町役場に足を運んだが、取りあってくれなかったからだ。が、ついに司法大臣は書類の再検討をせざるをえなくなった。

◆フランス人のロマ嫌い

「おれは些細なことでガジェと喧嘩した。ところが監獄にぶち込まれたのはおれだけ、ロマだからだと看守が言うんだ」と、友人のアントワンヌは南フランスのトゥ−ロン刑務所から便りをよこしたことがある。ロマは非ロマをガジェ(よそ者)と一まとめに呼ぶ。
「普通のフランス人はロマを乞食だと思っている」と、BBC・TVがレポートしている。
 フランス人にとってロマは物貰い、泥棒、犯罪予備軍なのだろうか?

 サルコジ仏大統領は、移民.流民(ロマ)を目の敵にし、内相時代から締め付けを強化してきた。そういうサルコジ自身がハンガリー移民2世なのだ。2005年、2人の北アフリカ移民二世が警官の追跡で死亡した。この事件は、フランス全土で移民法に反対する大デモを巻き起こした。時のサルコジ内相は移民.流民(ロマ)を<人間のクズ>と罵倒し、強権を奮う。しかし移民2世サルコジ自身も<人間のクズ>ということになる。

 2010年9月に入ると<クズのサルコジ>はロマ追放をますます強化させていく。

 2010年9月4日、フランス全土で<ロマ不法滞在者送還反対デモ>を、社会党や共産党など約60の団体が打上げた。デモ参加者数は警察発表で77,300人、主催者発表で約100,000人。ベルギーのブリュッセルやポルトガルのリスボンにもデモは飛び火した。
 が、<クズのサルコジ>は、2005年のデモに比べたら屁でもないとうそぶいた。「ジタン(ロマ)のキャンプは子供の物乞いや売春や犯罪の温床だ」と、彼は自説を繰り返した。

 9月14日、EU司法委員会は、「サルコジ仏大統領のロマ追放はEU憲法に違反している」として、EUで法的審理を行うことをフランスに通告した。しかし<クズのサルコジ>はEUに逆らって、この日も160人のロマを追放した。「フランスはロマに3ヶ月の仏滞在を許可する。それ以後は労働許可書か居住証明書がいる。なければ追放する」と、<クズのサルコジ>は持論を曲げない。
 問題は、このロマ追放策をフランス国民の65%が支持していることだ。

◆ロマの友人たち

 EU議会や国連やルーマニア大統領がなんと非難しようと、<クズのサルコジ>はロマ追放とロマキャンプ撤去を止めない。 友人のロマたちが心配になり筆者は連絡を取った。

*アントワンヌ: 数年前に娑婆に出た彼は行方不明。収監者リストに載ってなかったので、ひとまず安心する。
*オルテガ一家: アルル郊外で約一ヶ月間、一緒に歌って踊ってゴミ捨て場を漁ったこの一家も消息不明。但しフランス市民権を持っているから追放される心配はない。
*ジェジェ一家: 南仏のアレスに一軒家を借り、ニンニクの行商をやっていたが、消息不明。仏政府がその商行為にも厳しい規制をかけていると、仲間の行商人が言う。
*ジプシーキングスのママ: 有名になりすぎた息子たちの金銭争いを嫌って、ローヌ河畔でキャンプ生活をしていた。しかし、最近は姿を現さなくなったそうだ。
*ル・タンブール・チガンヌ(ロマの太鼓)の音楽仲間たち: みんな行方不明。リーダーのピポは、パリ近郊のパピオン・スー・ボワ墓地の隅にあったジタン(ロマ)半強制収容所に1988年から住みついていた。最初はジタン(ロマ)権利闘争をやっていた。

 1993年7月13日、「移民.流民(ロマ)ゼロ」と言うパスクワ内相の掛け声で「移民規制関連法」が制定されると、ピポは何度も当局から拘束されるようになる。そこでピポは人権運動の看板を文化運動に変え、フラメンコ楽団を作った。
 3度目にピポのキャンプを訪れた時、フラメンコ楽団<ル・タンブール・チガンヌ(ロマの太鼓)>は同名の楽譜を発行していた。曲目は(1)フランスとEUの新ジタン(ロマ)規制反対、(2)フォルパシュ市の水闘争支援、と、譜面ならぬ政治闘争ナンバーだった。
 風の噂で、ピポのキャンプはセーヌ・サン・ドニ市長に解体されたと聞いた。

*マテオ.マキシモフ: 1917年に生まれた作家兼牧師は、1999年12月25日キリスト生誕の日に天国に召された。「おれが読み書きを知ったのは、フランスのナチ収容所の中だった」と、動かなくなった家馬車の中で、マテオは筆者にロマ・ナチ収容所体験を語ってくれた。「足を悪くしてから杖集めが趣味になってしまった。昔は女集めだったんだけど」と、ねだるマテオに筆者は日本の杖を約束した。別れ際にマテオが見せてくれた<この世は我が世にあらず>という自伝小説には、難民カードを持つロシアン・ロマの受難が綴られていた。

◆10月15日、サルコジにEUの審判が下る日

 マテオに約束した杖を渡そうと筆者はパリ・オルリー飛行場に降り立った。1994年、故アラファト・パレスチナ大統領に会った帰り道だった。
 ところが、空港警察が筆者のフランス入国を拒否。フランス国家警察国土監視部から主任警部が出張してきて、証拠もないのに<この者は危険につきフランス領土、領海、領空、統治領への立ち入り禁止(1945年11月2日付け法令19項、22項)>というレッテルを、筆者に貼った。この部署は移民や流民(ロマ)などを担当し、日本で言う<公安>の管轄になる。空港留置所には、不法入国のイラン人兄弟、タイからの不法労働者5人、そしてルーマニア・ロマ家族8人などの先客がいた。

 日本に帰国後、筆者はパリ高等裁判所に上告した。 2年がかりで無実を勝ち取ったが、EU圏空港警察には記録が残っているとかで、フランス入国を拒否され続けた。

 約10年間、ロマの友人に会えなくて、音信も途絶えた。その間にEUが<EU人民のEU圏内移動の自由>を保障したから、少しはロマも生き易くなったのではと思っていた。が、逆に悪化していた。

「ロマ問題はその国の大衆意識を暴くリトマス試験紙になる」と、劇作家で初代チェコ共和国大統領ハヴェルが語った。ロマに対するフランス国民の大衆意識は、病的な嫌悪と蔑視に満ちている。フランス人自身が改心しないかぎり、ロマ差別はなくならない。

 一方、<クズのサルコジ>がいかに塞き止めようとしても、<EU圏内通行の自由>に守られた流民(ロマ)は、雪解け水のようになだれ込んでくる。ルーマニアに強制送還されたロマは、失業と差別で貧しい本国では生きていけず、再び豊かなフランスに戻る機を覗っている。
 さらに、世界中で失業者が溢れ職を求めて移動する移民.流民現象も止められない。学者から季節労働者まで、世の中みんなロマになりつつある。自分の問題としてロマとの幸せを考えたほうがいい。それにはまず、ロマを好きになることだ。

 2010年9月29日、「2週間の猶予を与える。ロマ追放を止めない場合は法的処置を取る」と、EU司法委員会はサルコジ仏大統領に最後通牒を突きつけた。

 <クズのサルコジ>にEUの審判が下る10月15日に向け<レチュード・チガンヌ(ロマ研究)>など、フランスのロマ支援団体が集会とパーティーを予定している。

 クズのサルコジ・フランス大統領殿、
 ロマと一緒に踊って昔の自分を思い出してみません? きっとロマが好きになりますよ。

文:平田伊都子 ジャーナリスト. 写真:川名生十 カメラマン

数字はBBC英国TVとフランス紙Le.Monde.fr. 参照

(この記事は「日刊ベリタ」から許可を得て転載しました)

【関連記事】
■フランスがロマ人送還を開始(字幕・19日 REUTERS)

■パスカル・バレジカ:フランスとロマ──ロマの強制送還を考える
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          二見伸明

Sarasate ( Sarrasatee ): Zigeunerweisen ( サラサーテ : ツィゴイナーヴアイゼン ) を久しぶりに思い出して, 懐かしくなり, Google で検索して, ヴァイオリンを聴いた。 東西ドイツ統一前の東ドイツの反体制作家の小説の中に, 東ドイツでジプシー達が流浪の生活を送っている姿が描かれているのを, 読んだ事があるが, 現在でもEUでジプシー達が苦境を強いられているとは思わなかった。 アウシュヴィッツの例は知っていても, ユダヤ人がイスラエル・パレスチナ問題でクローズアップされているために, ジプシーの事は失念していた, と言っていい。 論説の中の 「 流民 」 という言葉で, 韓国テレビ時代劇の 「朱蒙」 ( チュモン ) を連想した。 漢王朝に蹂躙された古朝鮮の民衆が流民となって, 悲惨な状況に置かれている物語だからである。

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