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菅首相「補正予算が今国会最大の課題」 所信表明演説全文掲載 »

「特捜部」体制を支えるのは絶対服従の精神?

森達也氏(映画監督・ドキュメンタリー作家)

 いまこの原稿を書こうとしている9月27日の段階で、大阪地検の前田恒彦主任検事が証拠を改ざんした事件についての報道は、急激に少なくなっている。

 ある意味で仕方がない。事件は日々起きる。その後に起きた(やはり検察がらみの)尖閣沖衝突事件の中国人船長釈放の経緯や中国の対応に報道の比重が移ることは当たり前だ。

 でもすべての事件が時間の経過とともに忘れ去られてよいわけではない。起きた事件を端緒にして、取材や調査をさらに重ねなくてはならない事件はたくさんある。

 大阪地検の証拠改ざんは、まさしくそんな事件だ。



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コメント (16)

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そして問題はさらには裁判官裁判所に至る。この機構の持つ神学的な体型故のゆがみ、非倫理性は、どうすればいいのか。最高裁の判事を忌避するだけで解決するのだろうか。法理は倫理ではないことについては、もし可能性があるのなら公共性の議論を経る以外にはその限界は乗り越えることはできないように思う。すると、やはりマスコミの能力の問題に行き当たる。官僚機構の心理はその心理的な構造としてあらゆる集団組織が普遍的にかかえてしまう。マスコミの中にある個人は、やはりアイヒマンになっていく。ネットの拡大は個人としての意見表明で強力だが、正当性にほど遠いのが現状ではある。しかし問題は少しずつではあるが明示化されてきた。繰り返し意見表明を行うこと、行動としては目の前の少しずつ、という平凡さの持続を自分に強いていきたい。

官房機密費をマスコミに配って、敵対政党を批判させていたと言う有ってはならない事件も、結局誰一人責任を取っていない。

先進諸外国で、同事件が明るみに成れば、恐らく大問題に発展し、出演者が大多数処分されていただろうに。

幾らフリーランスの上杉さんらが頑張って追及しても、結局何も出来なかった。

そして今回も、結局ありえない大問題なのに国民は冷めた目で事件を見、そう遠くないうちに忘れていくのでしょう。

当事者、関係者にとっては、一生抱えて戦っていかなければならないのに。

宗男議員、三井さん、佐藤さん、植草教授、白バイ事件の片岡さん
・・・

国家権力をバックに、無慈悲な行為を平然と繰り返してきたであろう組織に対して、何も出来ないで幕引きとなるのだろう。

例え国会議員が相手で有ってでも、冤罪を背負わされ、証拠をでっち上げられ、マスコミに風を吹かしていれば簡単に国民は洗脳されてしまっている。

戦後の教育と、マスコミの洗脳、社会のシステムが、国民の立ち上がる団結力さえも失わせてしまい、既得権者にとって扱いやすい下僕に国民を変えてしまったのだろうか?

今はネット社会が唯一の真実追及の出来る媒体であり、その影響力の拡大を期待するしかない!?

真のジャーナリスト達が、マスコミ報道で、ありのままの真実を堂々と語れる時期が来ることを願っています。

<根源を突く指摘>
 官吏養成を目的とした東大を頂点とする教育システムが貫徹している我国では社会的序列が「賢い」ではなく「勉強の出来る」順に与えられることになります。
「勉強が出来る」ということは評価者(先生、上位者)の尺度に沿った答えを出せる能力に長けた人物を意味します。即ち、強者=権力者の意に沿う行動遂行能力で組織の重要な役割を担っているのです。
 本来ならば、法と正義のもとで行動することが最も期待されている裁判官や弁護士も残念ながら例外ではありません。
 何故、日本では有罪率が99.9%となってしまうのか? 検察・司法の上部組織の都合に従うからです。
 鈴木宗男氏の事件では二審の裁判において法廷内の証言よりも検事調書を信用するとして実刑判決がなされたとのことです。それであれば、証人は偽証罪を問われるべきであり、証言を無視するなら公判を開く意味すらありません。しかも、この上告を却下した最高裁判所判事には司法資格もない天下り官僚が含まれ、その一人は宗男追放に尽力した元外務次官です。
 日本が真の民主主義国家となる為に司法人事が国民の直接的な監視を受ける制度に改める必要があると思います。
 

無罪の人間を、でっち上げた証拠や証言によって有罪に持ち込むための国家組織(特捜検察)が存在することは信じられないし、あってはならない。
東京や名古屋も含めて即刻廃止すべきだろう。

三権分立は嘘っぱちではないか。憲法で定められたこの事が、司法へ、厚生労働省、外務省から判事になったりするのは憲法違反ではないのか。司法の独立無くして裁判の有効性は無い。検察調書に基ずく公判、最後の砦での被疑者の訴えを聞かずして、神でもない人間に罪の絶対性を問えるのか?飽くまでも人間が人間を裁く。間違いがあるのが当たり前。だからこそ公判がある。検察の暴露された遣り方を信じれば有罪率99.9%はうなずける。ここに間違いが無いと判断する判事の罪は大きい。裁かれるのは判事と検察検事だ。それなくして真実の裁判は生まれない。

無実と知りながら、でっちあげて【犯人】に仕立てるなんて、考えも出来なかった事件です。

本当にやり切れない思いです。

パソコンや電波の詳しい仕組みは知りませんが、こういうことを投稿すると、どこかの恐ろしい国家権力が私の投稿を調べ上げ、そのうちに何かの【犯人】にされるのではないでしょうか。

恐ろしい世の中です。

おはようございます(いま10月1日6:30頃です)

>絶対的な組織への服従と蛮行を合理化してしまうこのアイヒマンの心理は、アメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムによって、人類にとってとても普遍的な心理現象であることが明らかにされている。

まさしく、これなんですよね。
でも、これは検察のことだけではない。マスメディアもしかりというべきだろう。そこに新しい風(考え方・思想)を吹き込むことができない組織は必然的に腐敗するのです。
権力は腐敗する。
絶対権力は絶対的に腐敗する。
このテーゼは普遍的なことなのだ。
でも、そういっている僕らの世界も多かれ少なかれ、そのテーゼが生きていると思う。
権力を批判しつつ、自らにも常に問いかけねばならないと思っています。


検察の中でも、特捜の捜査は酷すぎます。

冤罪マシーンと言ってもいいでしょう。

官僚や米国が排除したいターゲットを決めます。

検察は、排除のストーリーを決め、そのストーリーに合った供述調書を、威す、騙すの手で作成し、有罪にしてしまいます。

ヤクザとなんら変わりません。

一番社会に大きな影響を与えたのは、小沢排除です。

メディアは、検察のウソ情報リークを流し、小沢氏を完全に悪者にしてしまいました。

検察とメディアのことについてブログに意見を書きましたので、ご覧下さい。

「一市民が斬る!」
http://civilopinions.main.jp/

マスコミと検察で「悪者」をつくりあげて「証拠、供述書」偽造して、「悪者」は検察(特捜)だったことが判明!
冤罪もかなりあったんだろう。気の毒だ。汚れた正義だ。

共同通信の記事によると、前田検事によるデータ書き換えは過去にも何度かあったらしい。

また、共同通信の記事によると、佐賀前副部長は、前田検事から電話で故意の改ざんであったことを知らされたとき、「FDにまで触らせてしまうとは苦労掛けたな」と慰労していたらしい(前田検事の同僚検事が聞いていた)。

「FDにまで触らせてしまうとは苦労掛けたな」とは、「大変だったけど、よくやったな」という感じの褒め言葉だろう。
組織的に腐りきっているのではないだろうか。

共同通信の記事
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-168161-storytopic-1.html

http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092801000113.html

前特捜部長と副部長に逮捕状が出たようだ。組織犯罪の解明が一歩進んだことは、喜ばしい。
報道によると、前田主任検事から始末書を取っているようであり、部長、副部長の判断で始末書を取るはずはなく、前検事正と次席検事の判断が入っているはずであり、前検事正と次席検事の責任は免れない。全体の組織犯罪まで、尋問、調査をさらに踏み込む必要があります。
徹底解明を強く期待します。

国会議員を蹴っ飛ばせ!ふざけんじゃーない。

先日「小沢一郎を励ます会」主催の特別シンポジウム「鈴木宗男 検察を語る」に出てきましたが、鈴木さんの口から語られる検察の悪業の数々は本当に想像を超えていました
。今、最高裁の「上告棄却」によって、菅政府の一行政府の「不当検察」の策謀によって、政治の世界から「檻の世界」に収監を余儀なくされた鈴木氏に関する「嘆願書」を我われ市民の立場で、すでに「行動」を起こしているというのに、一体国会議員達は何をやっているのだ!

 宗男さんの事件はどうやら小泉時代の自民党派閥争いに端を発しているとのことだが、その取調べの実体と犯罪と犯人を追い込み、でっち上げるやり方は、現在の「村木事件」そのものである。そして、その組織構造や発想構造も忠実に、今の今までさらに強化される形で、存続していることこそが問題なのである。当然、「小沢事件」にしても然りであり「推定無罪論」に関しても同様である。

 そのことに、この重要なる「検察の横暴とその闇」に、一体、国会議員は何をやっているのだ。鈴木氏は、すでに国会から「永続勤続栄誉賞」を謹呈された、名誉ある議員さんである。その彼が「意にそむいて国会議員の権利を剥奪される」ことに、何故、一片の発言も出ないのだ、おかしいじゃあないですか、議員さんよ。

 尖閣問題では「超党派」ができても、「検察問題」では、三すくみで、野党も与党も、皆、カキのようにだまりんこを決め込み続けるのでしょうか。そんな国会議員には、国民は蹴り飛ばす権利ぐらいあるでしょう。え、皆さん!


前田個人、大阪地検特捜部だけの問題で終わらせてはならない。第三者機関を設置して、検察全体の問題として徹底的に検証し、法律と機構を改正することが必要だと考える。
そもそも、検察が堕落したことは、裁判(官)に責任がある。多くの裁判で、裁判官が、自らが指揮する公判での「証言」よりも、密室で検察官が作成した「検面調書」を信用してきたことが原因だと言える。
法廷で被疑者が真実を訴えても、それを信用せず、検察官が密室で作成した調書を裁判官は信用してきたのではないか。
公判での被疑者の証言を裁判官が信用しないで、裁判官が検面調書を、ほぼ無条件で証拠として採用するのなら、裁判官は不要だと言える。

今後は、検察による調書が証拠として採用されるのは、その調書の内容を被疑者が認めた場合に限るべきだろう。
物証がなく、被疑者が否認した「検面調書」は、証拠として採用しない。それくらい厳しさを検察に与えないと、同じようなことを幾らでも繰り返す。

次にマスコミの責任である。報道の自由があると言うことは、報道の責任があると言うことだろう。処が、マスコミは報道の責任を取ったことがあるか。偶に、名誉毀損で記事が訴えられた場合だけだろう。 
例えば新聞が誤報や名誉毀損をした場合、これまでは訂正文を紙面の片隅に小さく掲載するだけであったが今後は、1面の左上にある一定のスペースで、何日間も連続で訂正や謝罪文を掲載する義務を課すなど、報道の「責任」を課すことを考えるべきだ。倫理規定で実施して、それでも守れないようなら法規制にする。それくらいのことが必要だろう。

この国は監視国家化してないか?

新宿渋谷池袋などの繁華街はもとより、暮す住む町、例えば私の地元の中野・杉並区あたりでも常にパトロールカーをものすごく目にする。勿論自転車の巡査も。しかし圧倒的に威圧感を感じるのはパトカーが低速で巡回しているほうだ(これが実に増えた!)。‥で、なかなか慣れなくてやはり(自分も一瞬吟味されているという)不快感を感じつつ、あさっての方を向いたままやり過ごす。‥実はかなりストレス。

私の最寄り駅の交番は、決まって朝の私を不愉快にさせる。めちゃくちゃ鋭い視線で駅に入る私や人を監視する。決して目など(私は)会わさないが、最近はそれがイヤで交番のない入り口へ回り道して駅構内に入ることもしばしば‥。(ふと思うに女の人はあまりこんな事は感じないのかも?とも思う。やはり主たる監視対象は男へと向かっていると思うから)本当に市民を威圧するような立ち方が必要なのか!?ズバリ、高円寺の朝などもっとのどかに立っていられないものだろうか!みどりのおじさんくらいに。不愉快極まる!

パトロール含めこういった監視事は、本当にここ二三年で明らかに変わった、という印象を個人的に抱いてます。‥あと意識は忘れがちですけど、街路上・駅・店内‥‥ありとあらゆる場所でカメラで撮られてます。十年前と比べると知らず知らず恐ろしいくらいに!これ実際に外出時の1週間分のありとあらゆる時と場所で自分が写された映像をまとめて観たら、さすがにちょっと怖く、気持ち悪くなるのでは。そして‥ここまで必要なのか!と思うのでは?

文中に、戦後殺人事件は年々減少している、というのを改めて意識して、疑問を感じました。本当に我々国民はそれ(ここまでの監視強化)を望んでいるのか?と。

なぜ、死刑を執行しないということが起こっていたのか。
時の法務大臣は、死刑囚について、検察による冤罪の疑いを抱いていたのかもしれないと予想される。
今や、多くの国民が、元検事の前田容疑者によるFDデータ改ざん事件で、検察によって冤罪が造られていることを知った。つまり、死刑囚も冤罪の可能性があるということであって、死刑執行してしまってから冤罪でしたと後から判明しても、生き返らせることはできないからだ。
亀井議員が主張する死刑廃止論は、こういう背景もあったのだろう。
小生も、悪を許さない、殺された家族の身になってみろ、とずっと死刑は必要だという考えであったが、検察の暴走がもたらす冤罪を否定出来ない限り、もう一度、死刑について国民は考える必要があるかもしれない。

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2009年11月、日刊工業新聞社

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