Calendar

2010年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

Recent Entries

« 【インタビュー】高野孟推薦!菅野芳秀氏の新刊『玉子と土といのちと』が発売
メイン
根本行雄:布川事件と袴田事件で新しい展開 証拠の全面開示の重要性を示す »

田中利幸:広島オリンピック代替案──国際平和芸術文化際の定期的開催を!

 2020年夏のオリンピックの招致を目指す広島市は、基本計画の焦点とされている財政計画案を進めています。20日のNHKでは「大会の経費の総額は既存の施設を活用することなどでおよそ5,500億円に抑えた」と財政問題を焦点にした報道がありました。

■広島 五輪招致へ経費圧縮の案(9.20/NHK)
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100920/t10014088841000.html

 本誌に記事を寄せていただいている広島平和研究所教授・田中利幸氏は「単に財政的なものだけではない」と広島へのオリンピック誘致を批判をしています。7月にはその田中氏のもとに、広島市役所のオリンピック誘致担当職員のうち2名が説得のため「ご説明」に訪れたそうです。今回は田中氏がその時、市に対して提案した代替案を紹介します。

* * * * *
オリンピック代替案─国際平和芸術文化際の定期的開催を! 広島市民球場跡地利用への展望も含めて
広島平和研究所教授 田中利幸

◆市役所の無謀な計画

 広島市、と言うよりは、秋葉市長が熱望している2020年オリンピック開催についての様々な問題点については、すでに拙論「オリンピック広島誘致批判 -- 税金の浪費、政治腐敗の原因、まやかしの「平和祭典」--」で批判を試みた。

 広島市のオリンピック招致検討担当部の説明によると、「最小の経費で最大の効果を挙げる」ことを目的に、できるだけ簡素なオリンンピックの開催を計画すると言う。

 すでに批判したように、問題は、単に財政的なものだけではなく、そもそも現在のオリンピックが「平和の祭典」などでは決してないこと、したがって、被爆者をはじめ広島市民が市の根本理念と考える「核廃絶・反戦・平和構築」とはむしろ相反する「国力・ナショナリズム誇示」という要素が、現在のオリンピックの主たる性格であることをまず強く認識しておく必要がある。オリンピック招致検討担当部が今年4月に作成した「2020ヒロシマ・オリンピッック開催基本方針」なる資料では、なぜゆえにオリンピックが「平和の祭典」であるのか、その根拠がほとんど説明されておらず、競技会場、選手村、宿泊施設、交通輸送といったインフラ問題をどうするのかという問題に対する、極めて漠然とした対応策について説明することにとどまっている。

「最小の経費」という目的を達成するための手段として、競技会場や選手村を「仮設施設として新設」し、オリンピック終了後にはそれらを解体し、必要に応じて再利用すると言う。例えば、競技会場は次回以降のオリンピックに、選手村の仮設ユニットも次回以降のオリンピックや災害時の避難住宅等として活用する、と言うのである。メインスタジアムとして、アジア競技大会のメインスタジアムであった(5万人収容)広島ビッグアーチの利用可能性を検討する、と「2020ヒロシマ・オリンピッック開催基本方針」では記されている。しかし、オリンピック招致検討担当部の説明によると、10万人収容が必要なメインスタジアムとしては、広島ビッグアーチは小さすぎるため、仮設の大規模スタジアムの建設を構想しているという。仮設とは言え、これほど大規模なスタジアムの建設には莫大な予算が必要であり、オリンピック終了後に解体しても、このような巨大な建物の再利用が果たして可能なのか、という疑問が当然わく。しかも、次回の再利用までに解体した鉄骨その他の大量の資材をどこに備蓄しておくのか、備蓄用倉庫のために毎年嵩む費用だけでも膨大なものになるはずである。次回オリンピック決定都市が、そのような仮設スタジアムを再利用するという保証は全くないし、おそらく現実にはそのような可能性はほとんどないであろう。選手村の仮設ユニットにしても、再利用のメドがたたずに、長期間の資材備蓄が必要となり、これまた多額の予算が毎年必要となる。なんという税金の無駄使いであろうか。「仮設利用」という言葉は合理的に聞こえるが、実際には中身の伴わない空論にしか過ぎない。

 オリンピックを開催するにあたって、すでに競技施設の多くが整っている東京都の場合、2016年オリンピック推定必要経費が7,089億円であった。福岡市の場合は、7,754億円という必要経費を算定していた。したがって、インフレ率を考慮すれば、どんなに少なく見積もっても広島市は、2020年オリンピック開催のために7,000億円を用意しなければならないであろう。周知のように、日本政府の累積赤字が1,000兆円という目がくらむような驚愕的な額になっている。したがって、政府からどれほど財政支援を得られるかひじょうに疑問が多いし、あまりあてにしない方がよいであろう。本年度の広島市の一般会計歳入予算は5,916億円、そのうち税収入が2,000億円に満たない。このような財政状況にある小都市が、6〜7,000億円もの必要経費をどうやって調達するというのであろうか。あまりにも無謀である。

 しかも、すでに別稿で述べたように、オリンピックは極めて一過性的なものであり、オリンピックが終了すれば、すぐに忘れ去られてしまう。2年前の北京オリンピックについていまだ熱っぽく語る人は、どれだけいるであろうか。そのようなオリンピックに、長期持続的で地道な努力が必要な核廃絶のメッセージ発信を託そうなどと考えること自体が、はなはだ浅はかな考えである。

◆反核の持続的メッセージ発信源としての国際平和芸術祭を!

 核廃絶という目的をあと10年で達成することは、残念ながら、現在の世界状況を考えてみるならば、極めて困難である。したがって、我々は地道な反戦・反核運動を持続させていくことが大切である。しかし、運動の方法としては、「平和構築は、夢のある、楽しい活動である」ということをできるだけ多くの人、とくに若者に体感してもらい、「平和構築のために自分の想像力を存分に発展させ、それを使うことの喜び、快感を味わう」という経験を、国内外の多くの人たちと共有することができるようなやり方を、私たちは熟慮してみる必要がある。

 平和を創造するということは、広い意味では、楽しい「芸術活動」であるべきだというのが私の個人的な考えである。そこで、私たちの同じ貴重な税金を使うのであれば、平和創造につながるようなエキサイティングな文化活動のために使うことを私は提唱したい。

 具体的には、国際平和芸術祭の定期的、持続的開催である。2年に一度、夏の終わり、あるいは秋の初めという気候が良い時期の3〜4週間ほどにわたり、広島で、オペラ、音楽、演劇、映画、ダンス、絵画・彫刻、文学など芸術の多面にわたる総合芸術祭を広島で開催し、国内・国外から一流のアーティストを毎回招待して、パフォーマンスあるいは作品を披露してもらうという企画である。毎回、各分野での最高賞を市民の投票で決め、分野ごとに「ヒロシマ賞」を授与するということを考えてもよいであろう。作品は「広義の意味での平和」に関連するものなら、古典作品であろうと現代作品、あるいは新作であろうと、世界のどの国や地域のものであろうと、いかなるものも公演あるいは展示の対象とするという文化的寛容さを示す多文化的芸術祭であって欲しい。文学の分野では、「writers week (作家週間)」という期間をもうけ、世界トップの作家を複数招待し、聴衆の前で自分の作品(一部分でもよい)を読み上げてもらい、聴衆との意見交換を行うというような企画も可能であろう。

 こうした様々な深みのある芸術活動を通して、多くの聴衆や観覧者に平和について考えてもらい、創造的芸術活動を通して平和のメッセージを持続的に広島から発信し続けることができるのが芸術祭の特徴である。プロの芸術家だけではなく、市民や子どもたちが、それぞれの想像力を活かした作品を、一流のプロの前で紹介できるような企画も必要である。そのことによって、市民や子どもが仲間たちと共同でなにかを創造する楽しさを知ることは、平和的な人間関係の構築にとっては根本的に重要なことである。また、この芸術祭開催の時期を利用して、原爆写真展や核問題に関する講演会を開くことも、もちろん考慮すべきであろう。

 この種の持続的な、しかも世界に注目されるような芸術祭を定期的に開催するためには、常設の企画準備組織とスタッフ、とくに世界的に活躍している芸術ディレクターを、例えば4年契約で高額の年俸で雇うということが必要かもしれない。一人のディレクターによるマンネリ化を防ぐために、こうした柔軟な運営方式が理想的である。また、そうした芸術祭を定期的に行うには、それに見合った施設 -- オペラ・ハウス、コンサート・ホール、演劇場、野外音楽堂/劇場 -- といったものを整える必要がある。これらの施設の建設には、もちろん多額の予算が必要であるが、オリンピック必要経費と比較すれば格段に少ない額の予算ですむし、しかも、オリンピックのような一過性ではなく、芸術祭の時期以外にも、継続して使える性質の施設である。芸術祭が回を重ねるごとに、広島市は、招待された芸術家の名声と共に、「平和芸術文化都市」として世界に知られるようになるであろう。観客も国内、海外の様々な国々からこの芸術際を目的に、観光をかねて広島を訪れるようになり、彼らを通して、反核・反戦・平和のメッセージが世界に、静かにではあるが着実に浸透していくであろう。

 実は、人口100万人ほどの地方都市がこの種の芸術祭で大成功をおさめている具体的な例として、南オーストラリア州の州都アデレード市を挙げることができる。2年に1度開かれるアデレード芸術祭は50年近く続いているが、開催期間中は国内外から、世界トップの芸術家のパフォーマンスを見るために、あるいは作家の話をじかに聞くために、観光客がおしかける。

◆広島市民球場跡地を「平和芸術公園」に!

 現在、その跡地利用の方法をめぐって論争が起きている旧広島市民球場も、こうした国際芸術祭の計画との関連で活用することを考えてもよいのではなかろうか。

 広島市には、残念ながら、多くの観客が集える野外音楽堂/劇場が存在しない。現在の平和公園は「祈りの場所」=「静寂の場所」という性格を色濃く持っている。平和には、そのような平和的安らぎの「祈り・静寂」という要素と、平和創造という「躍動・喜び」という要素がある。したがって、平和公園に隣接する場所に、「静」と対照的な「動」の空間が存在すべきではなかろうか。それゆえ、旧広島市民球場の跡地を、「平和創造の躍動・喜び」の空間とするという提案を私はしたい。その中心となるものが「野外音楽堂/劇場」であるが、しかし公園全体が「平和創造の躍動・喜び」という要素を強くもつようなデザインとなることが理想的である。(私個人が考えているのは、例えば、フランク・ゲーリーがデザインしたシカゴの野外コンサート・ホールのある公園Millennium Parkのような楽しい公園である。)

 公園ならびに「野外音楽堂/劇場」のデザインは、平和公園のデザインがコンペ形式をとり、その結果、丹下健三のデザインが採用されたのと同様に、これもまた、建築家のコンペ方式で世界の建築家に応募を呼びかける、というのが私の提案である。その審査には、安藤忠雄、磯崎新、槙文彦、伊藤豊雄といった、現在、世界各地の様々な建築デザインで活躍しており注目を集めている日本の代表的な建築家や、彼らが親しくしている海外の有名建築家(例えば、ダニエル・リーベスキント)で構成するグループに審査委員になってもらい、彼らに最優秀デザインを選ばせるという方式をとることを考えてもよいであろう。

 ただし、選考の際に最も重要視すべき点は、すでに述べたように「平和創造の躍動・喜び」といった基本理念がデザインに深く強く含まれていることである。また、極力、多額の金を使わなくても、環境にやさしい、自然と調和するようなデザインにすることなど、といった基本原則をコンペの条件として入れること。さらには、日本全国のみならず世界各地から公園建設のための募金を募り、募金者の名前と短い反核メッセージを公園のどこかの場所に、なんらかの形で残すことを建築デザインの条件にいれる、などというアイデアがあってよい。世界に知られる丹下健三がデザインし、イサム野口のデザインした橋が架かっている平和公園と併存する場所に自分のデザインした公園拡張地ができるとなれば、これは世界各国から建築家がコンペに参加するはずである。とくに、まだ名前の知られていない若手建築家は、こぞって応募するであろう。採用されれば報酬ゼロでもやってもよいという建築家が現れても不思議ではない。こうした企画は、世界に名前が知られている「ヒロシマ」だからこそできることで、 他の都市にはできない。「ヒロシマ」の名前を、こういうところで多いに利用すべきである。

 いずれにせよ、「オリンピックは是か非か」といった議論を市民が多いに、しかも公開の場所でできるような機会を、市長ならびに市役所はもっと積極的に作っていくべきであろう。そのとき、オリンピックに替わる斬新なアイデアも同時に市民から募集するという、開かれた且つ柔軟な姿勢で市長には対処してもらいたい。

【関連記事】
■田中利幸:オリンピック広島誘致批判(前編)─オリンピックの「祭典化」とナチスの「神話化」
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/08/post_613.html

■田中利幸:核兵器廃絶へ「市民による平和宣言2010」
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/08/2010_2.html

-----------------------------------------------

【プロフィール】
田中利幸(たなか・としゆき)
広島市立大学広島平和研究所教授。西オーストラリア大学にて博士号取得。オーストラリアの大学で教員を長く務めた後、敬和学園大学教授を経て現職。第2次大戦期における戦争犯罪の比較分析を研究テーマとしている。著書に『空の戦争史』(講談社現代新書)、『戦争犯罪の構造―日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店)などがある。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/7367

コメント (2)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。投稿される方は、投稿前に下記のリンクの内容をご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

【運動の方法としては、「平和構築は、夢のある、楽しい活動である」ということをできるだけ多くの人、とくに若者に体感してもらい、・・・】

すばらしいですね。
私も東京での平和運動に市民として参加しているのですが、やはり、楽しいというのが基本であると実感しています。

【平和には、そのような平和的安らぎの「祈り・静寂」という要素と、平和創造という「躍動・喜び」という要素がある。したがって、平和公園に隣接する場所に、「静」と対照的な「動」の空間が存在すべきではなかろうか。】

本当にすばらしいです。
私は仏教徒なので、平和を祈ります。祈るには静寂が必要となりますね。その静寂の場の必要性を実感します。以上のことは人間の静的な側面にのでしょう。

また、人間の活動的な側面に目を向けると、いのちの歓びの大切さを実感します。芸術家岡本太郎が芸術の要素として「歓喜」「祝祭」などをあげていたことを私は思い起こしました。

この静と動の両面が人間存在にとって不可欠なものなのかもしれません。

平和運動がこの両面が具わるとき、真に創造的になるのかもしれないと考えたりします。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

※[投稿]ボタンをクリックしてから投稿が完了するまで数十秒かかる場合がございますので、2度押しせずに画面が切り替わるまでお待ちください。

Profile

日々起こる出来事に専門家や有識者がコメントを発信!新しいWebニュースの提案です。

BookMarks




『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

→ブック・こもんず←




当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.