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田中利幸:オリンピック広島誘致批判(後編)─ まやかしの「平和の祭典」 »

田中利幸:オリンピック広島誘致批判(前編)─オリンピックの「祭典化」とナチスの「神話化」

 周知のように、近代オリンピックは、教育改革の一環としてスポーツを取り入れるべきだと考えていたフランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863年〜1937年)が提唱したものであり、その賛同者たちが国際オリンピック委員会(IOC)を設置して、1896年にアテネで開催したのが始まりであった。クーベルタンは万国博覧会の理念と運営方式にいたく感銘していたため、当初はオリンピックを万博の一部分として開催することを目指した。そのため、1900年のパリ大会、1904年のセントルイス大会は、両方とも万博会場の中で小規模に行われ、しかも競技は国別代表形式はとらず、純粋に個人的な能力を競うものであった。したがって初期オリンピックでは、参加選手の帰属国間の「ナショナリズムの対立」は見られなかった。さらには、厳格な「アマチュア主義」方針が守られたため、メダル獲得後に実はプロの選手であったことが判明してメダルが剥奪されるというケースもあった。IOCの運営も会員が納める会費によって賄われていた。

「参加することに意義がある」というクーベルタンの有名な言葉にシンボリックに表れているように、こうした比較的純粋なスポーツ精神に則って運営された初期オリンピックではあったが、IOC委員はもちろん参加選手もそのほとんどが裕福な中産階級もしくは上流社会に属する白人男性であった。そのため、1920〜30年代には、これに対抗する形で労働者スポーツ運動が起こり、「労働者オリンピック」が開かれるようになり、中産階級の女性たちも国際女性スポーツ大会を発足させるなどの動きがみられ、一時はオリンピックを凌ぐほどの勢いをみせた。ところが、1930年代半ばになると、「代替オリンピック」とも称せるこうしたスポーツ民主化・普及運動は、台頭してきたファシズムによって弾圧されるようになった。1936年7月にバルセロナで開催される予定であった第3回国際労働者オリンピックは、スペインのフランシス・フランコ率いるファシスト反乱軍による内戦勃発によって中止となった。一方、同年8月にベルリンで開催された第11回オリンピックは、ナチスの政治プロパガンダとして最大限に利用され、このベルリン大会を機に、オリンピックは政治的に利用される「大規模な催し物」と化し、今日に至っている。その意味で、現在のオリンピックの実態を知る上で、その原型とも言えるベルリン・オリンピックの歴史的背景の考察は避けて通れないものである。

 ヒットラーのナチス政権はドイツ国家の軍事支配力を世界にアピールするための恰好の催し物としてベルリン・オリンピックを徹底的に利用した。オリンピック開催中は、外国からの批判を避けるため、反ユダヤ主義を唱えるポスターや看板は市内から撤去されたが、ベルリン市内の美観整備と安全維持と称してロマ民族(いわゆる「ジプシー」)を全員逮捕し強制収容所に送り込んだ。これが、前回の北京オリンピックのみならず、今では開催都市が必ず行う「ホームレス追い出し」や「貧民街の取り壊し」政策の始まりであった。ナチス政権はこのオリンピックのために、当時としては驚愕的な額にのぼる3千万米ドルを使ったと言われている。国家政府が一都市で行われるスポーツ行事であるオリンピックに多額の国家予算を提供し、ナショナリズムを高揚させる一大祭典として利用するようになったのも、このベルリン大会からである。

 かくして、国家の最大限の介入による財政支援の下で、10万人の観衆を収容できるスタジアム、プール、野外劇場、ドイツ・スポーツ行政ビルなど様々な施設を一カ所に集中的に建設し、ベルリン郊外には選手村が建設された。因に、この選手村はオリンピック大会後には兵舎に転用された。観衆で埋め尽くされたスタジアムでは、オリンピック競技とは関係のないマスゲームが繰り広げられ、夜には高射砲の空砲を利用して作られた光のドームがスタジアムを幻想的な舞台に変化させた。このようにオリンピックをショー的なスペクタクルとして演出することによって、主催国であるナチス国家自体が荘厳で聖なるものとして提示され、英雄化され、ナチズム=国家社会主義の強大さが大衆に強く印象づけられた。

 さらには、ギリシャのオリンピアから開催都市まで聖火リレーを行うという今ではおなじみの行事も、ナチス政権がドイツの国家力を外国人に誇示するために最初に始めたものであった。開会式を大々的な祭典とするようになったのも、これまたこのベルリン・オリンピックからであり、周知のように、ヒットラーは鬼才レニー・リーフェンスタールに、開会式や閉会式はもちろん、様々な競技を映画記録として撮影させた。『オリンピア』と題されたこの記録映画は、第1部「民族の祭典」と第2部「美の祭典」から構成されており、ドイツ民族の力と美を讃える内容になっている。この映画製作も、その後慣例化されたオリンピック映画製作の端緒となったものであった。この時代にはテレビは未だ普及していなかったが、実は、オリンピック競技の生放送が行われたのもこのベルリン・オリンピックからであった。当時はまだ試験的放送にとどまっていたテレビの受像機はごく限られた台数しかなかったため、ベルリン市内とポツダム市内の数カ所の郵便局にテレビが設置され、合計70時間にわたって、多くの視聴者にスタンドと一体感をもたせるような工夫がなされた。また、限られたエリート層にだけ利用可能な特別室が設けられて、このテレビ放送サービスが提供された。

 このように、現在私たちが目にするオリンピックの様々な関連行事や国家政策の多くの原型は、ナチス政権がそのファシズム国家の軍事力・支配力誇示のプロパガンダとして考えついたものであった。かくして、オリンピックの一大「祭典化」という大衆操作を通して、ナチス国家の「神話化」が計られたのである。

 オリンピックのこうした背景を考えてみると、最近のオリンピックがますます国家力を誇示するような、いわば(ナチスの巨大建築をいくつも設計した建築家)アルバート・シュペーア的とも称せるものになってきていることに気がつくはずである。かくして、大衆操作でナショナリズムを高揚させるためのオリンピック利用はますます大規模で且つ様々に工夫を凝らしたものになってきている。(後半につづく)

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【プロフィール】
田中利幸(たなか・としゆき)
広島市立大学広島平和研究所教授。西オーストラリア大学にて博士号取得。オーストラリアの大学で教員を長く務めた後、敬和学園大学教授を経て現職。第2次大戦期における戦争犯罪の比較分析を研究テーマとしている。著書に『空の戦争史』(講談社現代新書)、『戦争犯罪の構造―日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店)などがある。

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