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北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方〈2〉

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■『月刊マスコミ市民』ホームページ
http://masukomi-shimin.com/

(『月刊マスコミ市民』2010年4月号より転載)

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■捜査費・報償費はほぼ100%裏金

川﨑:一般の人に「裏金」と言ってもよく分からないでしょうが、道新の記事を読んだ人は、皆分かるようになったでしょう。

高田:「裏金」の意味合いは、ほぼ分かってくれたのではないでしょうか。予算は、法律や条例その他の法的枠組みで使途が決められます。これに対して、裏金とは、決められた予算の使途通りに使ったと装って、実際には別の用途に使用することです。使途の縛りを自分たちで勝手に外すわけですから、一種のマネーロンダリングでもあります。その中には、私的な用途に使ったものもあるはずです。北海道では、警察の裏金問題が発生する7年〜8年前に、すでに北海道庁で裏金が大きな問題となっていました。当時、私はその取材チームにいて大々的に報道しましたので、北海道の人にとって裏金そのものは目新しいことではなかったでしょう。ただ、道警裏金報道での読者の反応はすさまじく、電話やメール、ファクス、手紙で激励が殺到しました。「道新を見直した」という声もずいぶんもらいました。あれはどの反響は、その前も後も経験したことがありません。入社試験の面接で「自分も調査報道をやりたい」という志望者が増えたとも聞きましたし、私に直接連絡を取ってくる若い学生が今もいます。うれしいことです。

川﨑:そして、問題は裏金だけに留まらず、稲葉事件(註3)にも及んできましたね。

高田:稲葉事件に関する「泳がせ捜査」の記事については、その後、道新がお詫びを出すに至りました。道警は、「泳がせ捜査」の記事がポイントとなり引くに引けなくなったというよりも、最初から反撃するきっかけを探していたのだと思います。実際、裏金問題の追及を開始した直後から、種々の記事について、口頭や文書での道警の抗議が何度もありました。「泳がせ捜査」の記事に抗議文が来たときも、現場では「また来た」という感覚でした。

川﨑:稲葉事件では、上層部が捜査に必要なお金を使いきってしまい、拳銃の摘発に際して正当な捜査費がなくなっていたので稲葉氏が金をつくった、という構造があるのでしょうか。

高田:警察の捜査費とは、例えば拳銃の密売にかかる情報を暴力団関係者から入手しようとしたとき、それにかかる部屋代や飲食費、謝礼などの必要経費です。国費の場合は「捜査費」、都道府県費の場合は「捜査用報償費」といいますが、両方とも同じような予算です。これらはほぼ100%が裏金になっており、真っ当に使われたことはほとんどなかったとされています。会計書類上の金の動きと実際のお金の動きが合致していないのです。

 当時は、拳銃を摘発するために各都道府県に銃器対策課銃器対策室ができていましたが、捜査費、捜査用報償費は本来の使途通りには使われていませんでしたから、稲葉元警部も含め、現場の捜査員は、自腹を切って捜査にかかるカネを捻出していたはずです。

川﨑:いわゆる「平成の刀狩り」といわれた拳銃の一斉摘発は、警察庁の指示で全国的に行われました。それに絡む組織的な裏金作りは道警に限りませんでしたが、メディアでは単に「悪徳刑事がやった」という報道しかされませんでした。

高田:似たような事件は、長崎や大阪や兵庫でも表面化しています。全国の警察における捜査費と捜査用報償費の大半は裏金になっていたはずです。長崎県警の場合は、県警元刑事が自ら公判で裏金作りを暴露してしまいました。

川﨑:北海道警元釧路方面本部長の原田宏二さんが「北海道新聞が警察に屈した日」(「明るい警察を実現する全国ネットワーク」ホームページ、http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou1.htm#15http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou1.htm#18)で指摘しているように、道警は道新の内部で起きた不祥事を摘発する中で、それとのバーターで裏金問題に関する道新の報道を抑えようとした疑いが濃厚です。しかし、メディアの中ではそうしたことは頻繁にあります。オウム真理教の事件に絡んでTBSが放送前のテープをオウム真理教側に見せていたことが発覚した際、故筑紫哲也さんは「TBSが死んだ日」と言いました。裏金問題の報道とその後の動きは、道新の歴史の中で最も大きかった出来事ではないでしょうか。

高田:社史を読むと、道新も遠い昔には様々な事件があったようです。権力と報道機関の関係は、非常に難しい。権力と報道機関のひどい事例は、どの新聞社にもテレビ局にもあると思います。ただ、裏金報道のその後については、なかなか自己評価はできません。自分も当の組織にいる以上、問題解決や組織改革に一定の責任を負っているわけですし。

川﨑:報道機関というのは、隙を見せるとどんどん追い込まれてしまいます。ところで、裁判はどうなっていますか。

高田:裁判は『追及・北海道警『裏金』疑惑』(北海道新聞取材班著、講談社)、『警察幹部を逮捕せよ!・泥沼の裏金づくり』(宮崎学・大谷昭宏・北海道新聞取材班著、旬報社)という2冊の書籍について、そのごく一部の記述について「事実と違う」として佐々木氏が訴えて、始まりました。被告は道新、講談社、旬報社と個人被告の高田と佐藤です。そして補助参加人の大谷さんと宮崎さんが一審の途中から加わっていますので、3社プラス4人が被告席に座っていることになります。

 一審札幌地裁の判決は昨年4月にあり、被告が敗訴しました。主文は「被告は連帯して合計72万円を原告に支払え」とした一方で、「訴訟費用の9割を原告が払え」という内容でした。

 佐々木氏は、勝訴したのに訴訟費用の9割を払うことを不服として控訴し、また被告側も全員が控訴しました。控訴審は札幌高裁です。道新の顧問弁護士のほか、高田と佐藤は個人として、札幌の市川守弘弁護士、東京の清水勉、安田好弘、喜田村洋一の3弁護士と代理人契約を結んでいます。控訴審の初弁論が昨年12月にあって、互いの立証予定を示したところです。一審では予想もしない形で負けているので、控訴審で新たな証拠を出して様々な立証をしようとしています。次回は4月16日です。

川﨑:今回、われわれは、佐々木氏が一審の途中で提出した証拠「甲84号証」を入手し、目を通しました。これは、提訴前に、佐々木氏と道新幹部らが裏金報道をめぐって密かに交渉していた内容を、佐々木氏が密かに録音記録したものです。全体を通して読むと、信じがたいやり取りが延々と続いています。日本のジャーナリズム史上に残る汚点ではないでしょうか。このようなことがなぜ起きるのか。その道新の内部事情について、あなた方取材班は知っていたのですか。

高田:道新内部では裏金報道が続いていた2004年に室蘭支社の営業部員が使い込みをして逮捕され、有罪判決を受けました。2005年10月には、東京支社の広告社員が約500万円を使い込んでいたことも対外的に発覚しました。こうした問題は、もちろん知っていました。

 しかし、「甲84号証」に記された交渉は、まったく知りませんでした。私は便宜的にこれを「裏交渉」と呼んでいますが、甲84号証を読むと、2005年7月末から翌06年5月にかけ、編集局の幹部らが佐々木友善氏と30数回も話し合いを持っています。そこで話し合われているのは、簡単に言えば、「どうやったら許してくれるのか」という内容です。ひたすら媚びていく。裁判では、講談社と旬報社から出した2冊の書籍の記述が争点になっているのですが、その箇所について、当時社内では何も問題にされておらず、「高田、この本の記述は間違いか?」とか、一度も聞かれたことはありません。それなのに、裏交渉の中では、「本の記述はうそだと分かった」などと、それこそ、佐々木氏に向かって嘘をついている場面もある。そういう交渉です。

 当時から、「会社は何か変だな、何か裏でやっているのではないか」と感じてはいましたが、私をはじめとする取材班はここまで卑屈になって交渉しているとは、全く思いもしませんでした。甲84号証が裁判に出された後、私や佐藤は、この交渉が行われた理由などを会社に何度も尋ねました。当事者だから、当然、相対で聞く権利はあると思っていたのですが。

川﨑:あなたからすれば、甲84号証が示す交渉は、会社の裏切りに映るのですか。

高田:誤解を招くと困りますので、説明しておきますが、甲84号証はあくまで佐々木氏による記録です。

 私と佐藤、道新は連名で書面を裁判所に提出し、証拠採用すべきではないという趣旨の反論をしています。当時の編集局長も「提訴させないための交渉だった」という趣旨の反論の文書を出しました。30数回に及ぶ交渉の記録は、録音だけでなく、佐々木氏のメモに基づくものも含まれています。裁判所に提出した書面でも書いていますが、録音を文字に起こした中身は、必ずしも録音を正確に反映していません。佐々木氏が都合良く解釈した部分もあります。裁判では、佐々木氏に勝つことが最大の目的ですから、そうした反論は当然必要です。

 ただ、訴訟進行に限定せずに物事を考えた場合、権力とメディアの関係を考えるうえでも、一連の交渉は実に大きな問題を孕んでいます。仮に録音の文字起こしが細かな部分で正確ではなかったとしても、交渉があったこと自体は事実ですし、大筋は記録通りでしょう。こんな交渉がなぜ行われたのか、きちんと検証すべきだと、私は思ってきました。権力監視型報道の根幹にかかわる問題が、そこには横たわっているからです。

 例えば、一連の交渉では、道新側が佐々木氏に対し、「裁判を起こすなら起こしてください。その代わり、最初に道新がいくつまで負けを認めるか決めておきましょう。4つの事実のうち3つだったら納得しますか、2つだったらどうですか」という趣旨のやり取りが出てきます。さっきも言いましたが、訴訟で争点となっている書籍の記述について、提訴前に「本の記述に問題はなかったか」と会社から聞かれたことは、一度たりともありません。この交渉が行われている期間中、そんなことは一度も聞かれていない。それなのに、幹部が勝手に「誤りを一部認めましょう」と言い、こういう交渉をしてしまう。この部分は当時、週刊新潮に「道新が出来レース裁判を持ち掛けた」として記事にされました。

 佐々木氏との交渉は事実の検証プロセスではなく、どうしたら佐々木氏が納得するか、ひたすらひれ伏していく交渉でした。甲84号証を読む限り、誰でもそう判断するでしょう。記録の中には、提訴するなら被告に高田や佐藤を入れるな、道新だけを被告にしてくれと頼むシーンも出てきます。「高田たちを個人で被告にすると独自に動くから、会社が裁判をコントロールできなくなる」といったことを言うのです。一体何なのか、と思います。

■イタリアンレストランで知った「裏取引の始まり」

川﨑:高田さんが最初にデスクをされたときは、何歳でしたか。

高田:報道本部のデスクになった2003年3月です。当時は42歳で、部内では一番若いデスクだったと思います。部下の佐藤一は39歳でした。その下には佐藤とほぼ同じ年の中原洋之輔サブ・キャップがいましたが、あとの者は皆20代だったと思います。

 道警クラブには、佐藤をキャップとして常に7人〜8人の態勢でした。本部担当が3人、残りは札幌市内署担当です。報道本部は、社会部と政治部を合体させた組織です。私は警察担当デスクをやりたかったわけではないのですが、警察担当は忙しくて体力も必要なので、若い人がやるものだなと理解していました。

川﨑:会社側と道警の、衝撃的な「取引」を初めて知ったのはいつですか。

高田:裏金報道は2003年の11月から始まり、2005年6月まで行われました。道新の場合、定期的な人事異動は3月と7月です。私は2005年3月1日の人事異動に合わせて道警担当を外れて、同じ報道本部の「遊軍担当デスク」になりました。そして4ヶ月後の7月1日の人事異動で東京の国際部に移りました。佐藤も同じ7月に東京に社会部に異動しました。そして私は翌2006年3月にはロンドンに行くことになります。

 「変だな」と感じたのは、2005年9月初旬です。その年の9月は小泉郵政選挙があり、本社のデスクに応援が必要ということで、私は東京の国際部から2週間ほど札幌に応援に行きました。その最中の9月4日か5日の夜、編集局幹部数人に札幌・大通公園沿いのビルの地下あったイタリアンレストランヘタ食に誘われました。そして食事の途中に、ある幹部から「実は、あなたに考えてもらいたいことがある。このままでは道警と道新の関係がもたない」と言われました。「『もたない』とはどういうことですか」と聞くと、「取材の現場、道内のサツ回りは大変苦労している。何とか関係を改善しなくてはならない」と応えました。

 大変なのは今に始まったことではなく、裏金報道が始まった時からずっと続いていることですので、どういう意味なのかを聞きました。すると、「道警も道新とは仲良くしたいが、このまま仲良くなったのでは道警内部の組織に示しがつかない。道警は裏金を認めて億単位の巨額の金を国や道に返してけじめをつけた。道新もけじめをつけるためには、『この記事は行き過ぎでした』と示さなければならない。そう道警が求めている」と言うのです。そして、「道警が覚せい剤の『泳がせ捜査』に失敗して、北海道内に大量の麻薬が流人した」と書いた2005年3月の記事について、道警が「お詫び」を求めてきているので、道新としてそれに応じて関係を正常化したい、というのです。

 泳がせ捜査の記事が出た直後に道警から抗議がきた際には、当時の幹部に取材経緯等を説明してありました。そして「問題ない」という判断になっていたのに、なぜ今になって謝らなければいけないかを問うたのですが、明確な答えはありませんでした。そして、11月末までに回答しなくてはならないという話を、一生懸命するのです。その後もいろんなやり取りがあって、散会しました。

 私は北海道庁の不正事件を一年近く取材したとき、来る日も来る日同じような取材を続け、心底疲れた経験があります。道警担当デスクを外れるときも、何か特別の意図を感じたわけではありません。夜も昼もないような生活が続いていましたから、正直、ほっとした気持ちもありました。それに読者には申し訳ないですが、私自身、警察の裏金だけでなく、いろんな分野に関心がありましたから、いつまでも同じことをやることに疲れていました。しかし、イタリアンレストランでの一件から如実に疑問をもつようになりました。

川﨑:主要メンバーの異動が始まり取材班が解散となったとき、不信に思いませんでしたか。

高田:裏金報道や権力監視は、当時の取材班メンバーの専売特許ではありません。次の人にちゃんと引き継ぎ、裏金や不正を許さないという気持ちを記者の誰もが持ち、内部で広げて、記事という形にしていく。そういうことが何より大事だと思っていました。それが、新聞社という組織の有り様じゃないですか。それにさっきも言ったように、「これで少しゆっくりできる」という思いもありました。

川﨑:道新が海外にもっているポストはそれほど多くないと思いますが、そこに裏金問題を追及したデスクを回すことは、論功行賞だと思われたのではないでしょうか。

高田:当時、海外支局は10ヶ所だったと思います。人事は自分で決めることができませんし、その評価も難しい。いろいろな見方はあるでしょう。申し訳ないですが、今はこれ以上のことは言えません。(続く)

[註3]稲葉事件
2002年7月、北海道警生活安全特別捜査隊班長であった稲葉圭昭警部が、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された。必要な捜査資金を捻出するため、押収した覚せい剤を自ら暴力団関係者に密売するに至った事件。裏金の発覚前に明らかになり、道警を揺るがす大事件となった。北海道新聞が報じた「泳がせ捜査」(拳銃を摘発するために覚せい剤の密輸をわざと見逃して行った捜査)を稲葉元警部は認めているが、道管は稲葉事件は稲葉個人の問題だったとして、組織的関与を認めず、闇に葬ろうとしている。

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貴サイトはいつも読ませていただいています。
道警・稲葉事件の陰で、1人のロシア人船員が拳銃おとり捜査の犠牲になり
服役した後帰国しましたが、このたび国家賠償訴訟で一部勝訴し、舞台は札幌高裁へ移っています。刑事再審請求も準備中です。私も弁護団の末席を汚している者ですが、いずれこの問題も取り上げていただければ幸いです。

道警と道新の在り方だけではなく、
犯罪事件など捜査当局を最大の情報源に
しているので関係を悪化すると取材に苦労する。
道新の編集局幹部が
「取材の現場、道内のサツ回りは大変苦労している」との
吐露は納得できないが理解できます。
稲葉事件に関する「泳がせ捜査」の道新のお詫び記事を
読んだとき(裏に何かある)と私は疑問を覚えました。
また、その後の道新の人事も妙な想像をさせました。

社会正義、国民の利益よりも、
お互いの組織の利益を優先させたとも考えられます。

司法や捜査機関とメディアをどのような構造に変えれば
国民の利益に合致するのか。
平野貞夫氏がいうように第三者機関の設置が必要か?
立法する政治家に知恵を借りたいが、彼等にも弱みがある。
現に「司法改革」を口にした小沢一郎氏はつぶされた。
日本の正義はどうなるのか〜嘆きは深い・・・。

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