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2010年7月30日

政局はもう結構、政策の議論をしよう!── どんなに急いでも2025年までかかる民主革命

takanoron.png 小沢一郎前幹事長が7月29日の民主党両院議員総会に敢えて欠席して、側近やチルドレンに菅直人代表はじめ執行部の責任追及の声をあげさせるだけにとどめたのは、かなり致命的な失敗で、9月代表選を通じての"小沢復権"とそれに伴う政局変動の可能性はほぼ遠のいた。本来であれば、小沢はここで自ら堂々の論陣を張って、「何で菅政権では日本を救えないのか」を全党と全国民に向かって語り尽くし、そして9月には自分が菅に対抗して立候補して政権を引き受けるつもりであることを宣言すべきだった。

 そうしなかったことで、彼は、9月にはまたもや裏に回って、原口一博だか海江田万里だかをダミーに立てて政局を操作しようとするという以外のアイディアを持っていないことを表明したに等しい。

 これでは、小沢がかつて最高実力者とか二重権力とか闇将軍とか言われながら何の"実力"も発揮せずに細川護煕政権を8カ月で、羽田孜政権を2カ月で潰し、今回また同じように言われながら鳩山由紀夫政権を8カ月で潰し、菅政権を3カ月で潰そうとしているのか、その総括がつかない。今度はもう自分で背水の陣を敷いてやるしかなく、その起点は党大会に次ぐ意思決定機関であるこの両院議員総会であったはずで、そこでもまた全党と全国民へのメッセージを発することを回避して裏でボソボソ言っているということは、(私個人はそれを半ば残念に思っている1人ではあるが)民主党にとっての小沢時代はほぼ終わったということである。

●世論はそこを見抜いている

 そのような、裏に回って操るという小沢スタイルが一種の"小沢神話"を作り出しているのは事実だが、国民は醒めた目で見ていて、例えば『毎日新聞』26日付の世論調査では、「菅内閣を支持するか」は41%で、不支持の40%と拮抗しているものの、菅総理が辞任すべきかどうかには「辞任すべきでない」が80%を占め、また小沢復権が好ましいかどうかには「好ましくない」が85%を占めている。この世論状況を突破して"小沢復権"を成し遂げるには、ダミーなんぞ立ててコソコソしていては駄目で、小沢が自分で体を張るしかないが、29日の状況は彼にそのつもりがないことを示したことになる。国民は、党内というコップの中の嵐に期待しておらず、欠陥は承知の上で菅内閣に落ち着いて仕事に取り組むことを求めている。

 『毎日新聞』29日付の「参院選特別対談」で飯尾潤政策研究大学院教授は、

▼過半数は持っていないものの、参院の第1党は民主だ。これは1989年から自民が何回も陥った状態で、2007年以降のねじれ国会とは違う。しかも、現在は野党に政策的な一体性がなく、与党が個別に協議することも可能だ。

▼自民も政権の邪魔ばかりしていては、政権復帰が遠ざかる。

▼衆院の解散がなければ、今後3年間は日本の政党政治を立て直す期間になる。民主は政権運営能力をつけ、自民は腰を落ち着けて過去を反省する。

▼国会で主張をぶつけ合い、たとえば「税制改革で何が一致できるか」を探っていけば、論点が明確になってくる...。

 と語っているが、その通りで、バタバタせずに政策の議論を巧く進めるのが何より肝心である。それに対して対談相手の中西寛京都大学教授は言う。

▼菅さんが「今後3年間でこういう内容を国会で話し合う。その代わり13年まで衆院選をしない」と宣言してもよい。民主、自民両党が、財政や外交・安全保障などで政治レベルでの基本方針を作るべきだ。そこから、この間の失われた20年を脱却する道も見えてくるかもしれない...。

 実際、「明治以来100年余の官僚主導体制を打破する革命的改革」(小沢)あるいは「平成維新」(鳩山)は、まだ始まったばかりである。衆院の残り任期3年間を思い切った試行錯誤の期間と位置づけて、走りながら政策を大いに議論した上で、2013年の(恐らくは)ダブル選挙では、地域主権国家への「100年目の大転換」と「東アジア共同体」の形成とを中心的なアジェンダとして国民に支持を訴えて、それで支持を得られれば、それから10年もしくは衆院の任期3期分として12年、つまり2025年頃までに内政と外交の一大変革を成し遂げなければならない。その総仕上げは、憲法改正と日米安保条約改定だろう。今から全力疾走してもまだ時間が足りないこの大事業を前に、コップの中の嵐のような党内人事抗争で遊んでいる暇はない。

●サルに学べ

 衆参両院がネジレているから、その面からも菅政権はたちまち行き詰まるという観測も多く行われている。が、そのことをそのように政局波乱への期待からではなく、むしろネジレが常態である中で、いかにして"熟議"の文化を作り上げていくかという観点から論じるべきである。パーシャル連合というのは容易なことではないが、サルやチンパンジーの世界でも普通に行われていることで、サルの一種としての人間に出来ないわけがない。

 哲学者=マーク・ローランズ『哲学者とオオカミ』は、サル≒人間とオオカミとの生き方の違いを哲学的=文明論的に論究していて面白いが、その中で彼が、3頭のオスがリーダーの地位をめぐって争っているチンパンジーの"サル山"の政治学について述べていることは参考になる。

 長老Aは長くボスの座にあったが、中堅Bは若手Cと連合してAを追い落とす。しかしAは、今度はCと手を組んでBを排除し、Cを名ばかりのボスの座に就けるが、実権は自分が握って長老支配を続けた。

▼BやCよりAが賢明であることは、異なる目的に応じて異なる連合を組んだという能力に表れている。...本当に成功したサルになるためには、ただ1頭のサルだけに対抗するのではなく、複数のサルに同時に対抗して陰謀を企てる能力を持たなければならない。そしてもっとも成功するサルとは、まさに陰謀の対象であるサルと場合によっては共謀もできるようなサルなのである。

▼単純な連合であったとしても、連合が成功するための鍵は、自分の行為が他者にどのような理解と反応を引き起こすかを理解することである。

▼手短に言えば、ほかの社会的動物には見られないような知能の発達を類人猿や有尾猿が達成できたのは、二重の必要性に駆られた結果だ。自分を謀ろうとしている他者よりも、もっと巧みな謀略をする必要性と、自分が欺かれるよりも、もっとうまく相手を欺く必要性だ。わたしたちは、自分の仲間の心をより良く理解し、それによって仲間を欺き、自分の目的のために利用できるように(もちろん、まさに同じことを仲間もわたしたちにたいしてしようとする)、知能を発達させた...。

 菅執行部にもサル程度の知恵はあると信じたい。冗談はともかく、パーシャル連合には前例もある。89年6月の参院選で宇野内閣が惨敗して退陣、そのあとの海部・宮沢両政権は、政策ごとに公明・民社両党の意見を重んじる「自公民路線」を採った。その時の立役者は、海部政権の幹事長だった小沢一郎で、公民の主張を採り入れてPKO協力法案などを成立させた。98年6月の参院選では、橋本内閣が惨敗して退陣、後を襲った小渕政権は9月からの「金融国会」で民主党案を"丸呑み"して政府案を修正した。この時、民主党側の中心は枝野幸雄、前原誠司、玄葉光一郎らとその後ろ盾の仙谷由人、自民党側は渡辺喜美、石原伸晃、塩崎恭久らとその後ろ盾の梶原静六元幹事長で、両者は巧く連携して小渕首相・森喜朗幹事長を追い詰めた。07年6月参院選では安倍政権が惨敗、やがて退陣し、続く福田・麻生両政権は公明党を足しても参院過半数に達せず、かといって効果的なパーシャル連合も組めずに、いずれも短命に終わった。

 民主党は、国民新党と合わせても、05年9月の衆院選以降の自公連立政権のように衆院で3分の2を確保できないため、さらに難しい運営を強いられるが、考えようによっては、むやみに強行突破できないからこそ余計に熟議を旨とせざるを得ない訳で、その中でネジレ国会なりのルールとマナーが形成されていくことになろう。斎藤十朗元参院議長は『毎日新聞』24日付の竹中治堅政策研究大学院教授との対談で「ネジレがあっても一国会で7〜8割の法案は通る。残り2〜3割はよく話し合って修正すべきは修正すればいい。...ネジレだからといって連立を組むことは邪道だ」と語っている。

 とは言え、それは相当に非効率で苛々するようなプロセスであるに違いなく、それを通じて改めて参院改革論が持ち上がってくるだろう。参院無用とする一院制論、衆院=小選挙区/参院=比例でむしろ完全なネジレにする考え方、地域主権国家論と連動して参院を地方利害の代表とする案など、いろいろあり得るが、それも2025年の憲法改正に間に合うように議論する必要があろう。▲

2010年7月29日

〈著者インタビュー〉森功:『腐った翼─JAL消滅への60年』

 発売直後に増刷が決まった注目作品『腐った翼―JAL消滅への60年』の著者・森功(もり・いさお)氏が、JALが再生できなかった最大の理由や今後の課題などについてインタビューでたっぷり話していただきました。

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腐った翼―JAL消滅への60年』(2010年6月、幻冬舎)

*   *   *   *   *

森功氏(ノンフィクションライター)
「JALが生まれ変われなかった最大の理由」
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─発売直後に増刷が決定され、読者からたくさん反応が来ていることと思います。特にJAL内部の方から反響が大きいのではないでしょうか

「JALはこのままでは潰れるのではないか」

 本書ではそのような書き方をしています。「JALがよくなるように取材協力してきたのにJALがなくなったら元も子もないじゃないか」と協力者から怒られるケースがありました。

 取材に協力いただいた人に対して心苦しい気持ちはなくもありませんが、私はJALのために執筆しているわけではありません。JALのあり方を伝えることが本書の目的であり、主眼です。お怒りは甘んじて受けます。その一方で、「よく書いてくれた」という声や「現在のJALの状態まできてしまったら、色んな意味で清算すべきだ」という冷静な意見も、JAL内部から寄せられています。

─前回執筆された『血税空港』は空港政策が問題点でした

 私は以前からJALの取材をしていました。取材を進めていくにつれて、JALの経営の足を引っぱる要因の1つに航空行政の問題点が浮かび上がってきました。それをまとめた本が「血税空港」です。もともとはJALの取材から派生した作品でした。

─航空業界の「政官業」のつながりの強さが非常に伝わってきました

 世界中の航空会社は軍事目的の国策企業として始まり、民間経営になってからの歴史はまだ浅いです。

 JALは民間経営に移行した後も政・官とのつながりが強く、最後まで国策企業として体制を保っていました。

─JALが民間企業として生まれ変われなかった最大の理由はなんでしょうか

 稲盛和夫(元京セラ代表)氏がJAL会長に就任し、「部長以上の人たちは当てにならない」と言いました。

 JALが生まれ変われなかった最大の理由は、経営者が育たなかったことでしょう。確かに優秀な人は多いです。しかしJALは官僚が経営してきた会社であり、1987年の民営化以降に育った民間人経営者についても民間会社の経営者とは違います。国策会社の中の経営者です。経営者の意識が薄く、結局民間会社として一本立ちできなかったのです。

 社内には問題が起こればあいまいにするという経営手法が踏襲され、サービス業としての経営視点が不足していました。

─本書の「JALと自民党」では、民間企業では考えられないような政治家への営業の実態が綴られていますね

 JALの営業は一般企業の法人営業とは違います。民間企業の法人営業は、営業部隊が法人にアプローチします。JALは代理店営業方式をとっていて、代理店任せの殿様営業を展開していました。

 その一方で政治家に対しては無料の搭乗チケットを渡すなど、根深い癒着構造があります。独占企業のようなものですから、政治家を取り込み、路線配分や機材購入時に便宜をはかってもらい経営が成り立っていたのです。「親方日の丸」体質と言われる所以です。

─昨年8月に政権交代が起こりました。政権が代わりJALの処理に変化はありましたか

 2009年夏に同年4月から6月までの第1四半期決算で史上空前の赤字が判明しました。1000億円近い赤字は、苦労して取り付けた政策投資銀行からの緊急融資額とほぼ同額で、ここからJALの経営陣や国交省は大慌てしていきます。

 JALの臨界点、つまりどうしようもなくなる時期と政権交代の時期がたまたま重なりました。当時の民主党政権は自民党とは違う方法でJALを処理しようといままで裏に隠されてきた腐敗を表に出し、新たに再生させる期待が持たれました。

─本書の中で政権交代直後の民主党政権の動き批判していますね
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 新しく大臣に就任した前原は新たに「JAL再生タスクフォース」を結成しますが、わずか1カ月で解散させています。その迷走ぶりはJALの先行きをますます不透明な状態に陥らせました。企業再生支援機構に処理を委ねられたJALは、年明けには会社更生法の申請をして倒産します。

 結局自民党とやっていることはかわっていません。法的整理に踏み切ったことは今までにないことです。では法的整理によってJALの負の部分を明るみに出し、膿を出せたかというと、十分に出し切れていません。

 JALを破綻に追い込んだ経営責任はどうなっているでしょうか。誰が何をしたのか、責任の所在はどこか、未だに明らかにされていません。スポーツでも、まずは反省すべき点を明らかにすることが次の試合に向けた改善の第一歩になります。反省すべき点をうやむやにしたまま次に行き、さらに進むということを繰り返すのがJALの特徴です。1985年の御巣鷹山事故以降続いている最大の問題点です。

─今後のJALの課題は

 JALはこれからが大変です。

 8月末提出期限の更生計画づくりに四苦八苦してきました。結局、新聞などでは銀行団との協議が合意したと書いていますが、実態は合意決着にはほど遠い内容です。肝心な問題解決を秋以降に先送りすることになりました。事態はさほど変わっていません。

─マスメディアは十分に伝えきれていませんか?

 なぜか甘いですね。問題点を指摘していません。この本にはJALがいかに同じ過ちを繰り返してきたかが書かれています。新聞社も当然わかっているはずなのに伝えきれていません。なぜなんでしょう。遠慮しているとしか考えられません。

─不要と言われ続けてきた静岡空港が昨年6月に開港しました。開港前に県行政のミスがあったにも関わらず、県内で圧倒的なシェアを誇る静岡新聞は批判をしませんでした。一地域における政官業と、広告費を受け取る報道のもたれ合いがわかりやすい構造でしたが、全国紙となると別の問題があるのでしょうか。

 それに近いことでしょう。例えばJALが新聞記者に対して接待してきたり、新聞記者を始めマスメディアと経営層が一蓮托生になっている部分があります。本来チェックしなければいけないはずのメディアが企業の派閥抗争にまで荷担しています。メディアとしてあまりにも距離感のとり方がおかしいです。JAL報道に関してはいくつも見られました。

─森さんが取材する際に気をつけていること、取材スタイルなどありますか

「隠された部分をのぞき見る」というイメージを持って取材をし続けています。

 私が育った週刊誌ではいろんな分野の取材をやらされます。政界、経済界、ヤクザ、芸能界や相撲業界など、一見別分野に見えて、意外と何でもつながっているものです。幅広く取材しなければそのつながりはわかりません。

 とはいえ、最近は興味をそそられる取材対象が減ってきています。政治家も面白い人がいないでしょう。相変わらず小沢氏の動向が雑誌で取り上げられているのはそれだけ魅力があるからです。菅直人総理や鳩山由紀夫氏ではダメなのです。

─本書をどんな方に読んでもらいたいですか

 典型的な日本の古いタイプの会社のあり方を書いたつもりです。そういう意味では、ビジネスマンであれば思い当たる方も多いと思いますので、航空業界に限らず幅広く読んでいただきたいです。

─最後に、これからどのようなことを執筆する予定ですか

 航空業界は政界との競争もあり、航空行政の行方も気になります。引き続き取材して伝えていきたいと思います。

2010年7月22日《THE JOURNAL》編集部取材&撮影 

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isao_mori100722_3.jpgのサムネール画像【プロフィール】 森功(もり・いさお)
1961年福岡県生まれ。ノンフィクションライター。
ヤメ検―司法エリートが利欲に転ぶとき」「同和と銀行」(ともに「月刊現代」連載)が2年連続「雑誌ジャーナリズム賞作品賞」受賞。その他著書に『黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人』『サラリーマン政商 宮内義彦の光と影』『血税空港 本日も遠く高く不便な空の便 (幻冬舎新書)』がある。

2010年7月28日

新企画!《 KALEID SCOPE 2025》── 2025年の日本と世界について語ろう

 真夏の参院選は民主党の大敗で幕を閉じ、日本の政治状況は一気に不安定な状態となっていますが、THE JOURNALではそんな政治状況とは一線を画した新企画《KALEID SCOPE 2025》を開始します!

 もちろん、時々刻々と変化する日本や世界を取り巻く情勢については、これまでと同じく「NewsSpiral」やコラムコーナーの「Commons」でお届けします。

 一方、《KALEID SCOPE 2025》では各界の著名人・政治家・ジャーナリストらを総動員し、15年先の日本に向けて大胆な提言をしてもらいます。いわば2025年の日本を「覗く」ため、日本人の想像力をフル稼働させるための万華鏡(=KALEID SCOPE)を目指します。

 第1回は本誌主幹の高野孟にこの企画の野望と展望について語ってもらいました。いま日本は2025年に向けてどのような旅立ちをすべきなのか。さあ、みなさんも一緒に語り合いましょう!

2010年7月24日

海江田万里:消費税より前に相続税を

民主党衆議院議員の海江田万里(かいえだ・ばんり)氏が、ご自身のメディア、【海江田万里の政経ダイアリー】2010.7.21号で、

菅総理の発言に端を発した消費税議論

について書かれていますので、全文転載いたします。

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★ 社会保障の財源として、消費税より前に相続税を ★

菅総理の発言以来、消費税の議論が一挙に盛り上がっています。菅総理の発言では、増税した消費税の使い道がいまひとつはっきりしませんが、大方の理解では、消費税を引き上げて、その収入を社会保障の財源に充てようということではないでしょうか。

ところが、社会保障の財源ということになると「消費税の前に相続税だ」との声があることも事実です。こうした声が上がる理由は、言うまでもなく、将来の年金や医療保険、介護保険などの社会保障が心配なのは、そもそも少子高齢化に原因があるからです。

現在のまま少子高齢化が進めば、年金や医療保険、介護保険の制度が現行の制度のままでは早晩「持続不可能」になるのは明らかです。ならばその財源をどこに求めるかの議論の際に、少子高齢化によって、高齢者の資産が増えていることに着目して、先ず、そこから税金を確保しようとの考えが浮かんでくるのも無理からぬことです。

私たちの父母の世代は、子どもが3人4人といましたから子育てにお金がかかって、自分たちの老後に資金の準備をすることができませんでした。それでも3人、4人と子育てをした分、その子どもたちが年金や医療保険の保険料を払って、ちゃんと親の世代の面倒を見てくれたのです。

それが今や、子どもの数も一人っ子が圧倒的に多数になりました。もちろん、その一人の子どもに塾や習い事などお金をかけていますが、それでも子どもの数が多かったときに比べると、全体で子育てにかかるお金が少なくなったことは事実です。その結果、お年寄り
に結構な財産が残ることになりました。過剰な貯蓄があっても、お年寄りは必ず「少子化で年金や医療保険の将来が不安だから、自衛のために自分で資金を準備しておかなければ」と説明しますが、本当にそれだけの資金が必要なのでしょうか。

もちろん、老後の資金に困っているお年寄りがたくさん居る事実はあります。裕福なお年寄りはほんの一握りだとの指摘は正しいでしょう。しかし、総務省の家計調査によっても65歳以上の高齢者が世帯主の世帯で4000万円以上の貯蓄があるケースは20%、3000万円以上となるとおよそ30%を占めています。将来不安があって、この程度の貯蓄は必要だと考えても、それらの人の多くは結局、その貯蓄をあまり使わずにこの世を去ってしまうのです。その人たちが残した資産に対して適切な課税が行われているかというと、残念ながらそれははなはだ不十分だと言わざるを得ません。

★ 相続税の税率の刻みや、課税ベースの見直しも ★

現在、毎年およそ100万人のお年寄りが亡くなりますが、そのうち残された遺族の方々が相続税を支払わなければならないケースは、亡くなった方ベースで約5万人です。そしてその金額は1兆5000億円(2010年予算見込み額)です。この税額はガソリンの税収2兆6000億円の57%、酒税1兆4000億円よりやや多いのが実際の税収です。このデータを見てどう考えるかが問題です。

わが国の税制を考える際に、「所得、消費、資産に対してバランスのとれた税制」とよく言われますが、所得税が約15兆円、法人税が10兆円、消費税が10兆円となっているのに対して、資産課税である相続税が1兆5000億円では、やはり資産に対する税金が軽すぎるのでないでしょうか。

相続税の見直しについては、これまでも何度か議論されてきましたが、その大きな流れは、従来、累進性がきつかった税率構造を簡素化する方向でした。私が本格的に税制について勉強し始めた1980年代の前半には、相続税の最高税率は75%で、税率の刻みは14段階でした。それが度重なる税制改正で、現在は最高税率が50%で、税率の刻みは6段階になってしまっています。

お年寄りの間でも格差が広がっている現在、相続税の累進性を元に戻してもいいのではないでしょうか。

また、わが国の相続税は前述したように、課税の対象になるのが亡くなった方の約5%つまり20人に一人と、圧倒的に多くの方は、残した資産に税金が課税されていないのが実情です。これはひとえに、基礎控除や各種の控除があって、税額の計算上、課税対象となる資産が少なくなってしまうからです。この種の控除を圧縮して、課税ベースを広げて、より多くに方に相続税を負担していただくことも必要です。

★ 法定相続分課税から遺産取得課税方式へ ★

さらに、現行の相続税の課税方式は「法定相続分課税」といって、実際の相続割合とは関係なく、法定相続割合で相続したという前提に立って税額を決定します。長男が遺産のほとんどを相続しても、法定相続分の計算式で税金が決定されますから、これではせっかく設けた累進税率の効果がほとんどなくなってしまいます。各相続人の法定相続割合で計算した相続税を合計して全体で払う税額を決め、それをそれぞれの相続割合に応じて負担するのが通例です。

これを、実際に相続を受けた割合に即して、税率をかけて個々の税額を決定する方式に改める必要があります。「遺産取得課税方式」と呼ばれるこの方法に改めれば、多くの遺産を相続した人には、累進税率が効き多額の税金を納めることとなり、結局、全体の相続税額も増額されるのです。

これまで相続税収は土地の評価額の上下に左右されていましたが、こうした相続税の見直しによって、土地の評価は上がらなくても、毎年の相続税収を増やすことは可能になります。

もちろん、少子高齢化社会で年金や医療保険、介護保険をしっかりしたものにするには、相続税だけを増税すればいいわけではありません。将来は必ず、消費税についても増税をしなければならないと考えますが、その前に、相続税の増税というのが多くの方の理解を得られる順番ではないでしょうか。

高野孟のほろ酔い談義──2025年までの遙かなる道程

 好評をいただいている「《THE JOURNAL》SPECIAL ほろ酔い談義」。昨年末のほろ酔いLIVE以来、約7ヶ月ぶりとなります。

 今回は2025年までの道筋と、忘れられつつある民主党の原点について《THE JOURNAL》主宰の高野孟がほろ酔い気分で語ります。

 読者の皆さんも、お酒を飲みながらご覧ください。(7月20日収録)


《パート1(再生時間:9分57秒)》


《パート2(再生時間:9分31秒)》

【関連記事】
■高野論説:ドタバタは止めて菅政権に仕事をさせようではないか! ── 平成維新:2025年までの遙かなる道程

2010年7月21日

森達也:映画「ザ・コーヴ」を観た(3)

 多くの人が「ザ・コーヴ」を批判する理由のひとつは、大がかりな盗撮によって、作品のクライマックスであるイルカ漁のシーンが撮られていることだ。

 確かに僕も盗撮は好きではない。この手法を使ったことはほとんどない。でも盗撮は倫理的に絶対に許されないとするならば、僕のつくってきた作品もすべて、上映や放送などできなくなる。

 『A』や『A2』を例に挙げれば、オウム信者を逮捕する警察官、あるいはオウム施設を取り囲むメディアや地域住民たちなどを、僕は被写体にした。街を撮るときには多くの人がフレームに映りこむ。現場にいた彼らすべてに僕は、これは映画の撮影であり、いずれスクリーンに上映される可能性があるなどと説明していない。許可も得ていない。そんなことは物理的に不可能だ。

>>続きは「Infoseek 内憂外患」で

2010年7月19日

今井彰×高野孟:元プロジェクトXプロデューサーが語るNHKの真実


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ガラスの巨塔(今井彰 著・幻冬舎)

 TOKYO FM・JFN系で大好評オンエア中の『高野孟のラジオ万華鏡』。

 今月のゲストコーナーには元NHKプロデューサで現在は小説家として活躍中の今井彰(いまい・あきら)さんをお迎えし、野望と嫉妬うずまくNHKの内実からテレビというメディアの未来について語っていただきました。

 ぜひお聴きください!

◇   ◇   ◇   ◇

■今井彰×高野孟:元プロジェクトXプロデューサーが語るNHKの真実(mp3)
http://pod.jfn.co.jp/people/scope/dl/takano_56.mp3
※音声が視聴できない場合は「右クリック→ファイルを保存」を選択してください

■高野孟のラジオ万華鏡 ホームページ
http://www2.jfn.co.jp/people/scope/voicecommons/

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2010年7月16日

<インタビュー>岸裕司:「新しい公共」を問う─学校を365日開放してスクール・コミュニティを目指そう!

【「新しい公共」と日本の将来ビジョン 】

「新しい公共」がつくり出す社会は「支え合いと活気がある社会」である。すべての人に居場所と出番があり、みなが人に役立つ歓びを大切にする社会であるとともに、その中から、さまざまな新しいサービス市場が興り、活発な経済活動が展開され、その果実が社会に適正に戻ってくる事で、人々の生活が潤うという、よい循環の中で発展する社会である...

─(「新しい公共」宣言(H22.6.4)より引用)─

 鳩山内閣総辞職の直前にまとめられた「新しい公共」宣言は鳩山氏肝いりの政策テーマで、菅政権にも引き継がれた。「理念的で現実がともなっていない」と批判され続けた鳩山元首相のもとで、新しい公共の形づくりは進んでいたのか。

 千葉県で唯一のコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)指定校である習志野市秋津小学校を拠点に、住民だれでもが参画できる生涯学習のまちづくりを実践してきた秋津コミュニティ顧問・岸裕司(きし・ゆうじ)氏に「新しい公共」に関わる地域や学校の課題を聞いた。

 *   *   *   *   * 

岸裕司氏(秋津コミュニティ顧問)
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──岸さんが運営している秋津コミュニティは「新しい公共」の先駆けとなる現場だと思います。学校の授業や施設を地域住民に開放し、そこを拠点に子どもから年配の方までが活動しています。学校が「居場所」であり、生涯学習の場になっていますね。

 僕らの取り組みは、いつでもどこでもだれでも学べる生涯学習の学校づくりです。

 改定教育基本法の第3条には「生涯学習の理念」が謳われ、その後に学校教育や社会教育が続いています。つまり教育目標の第1に生涯学習社会の実現が位置づけられたのです。

 2009年11月鳩山政権当時、政府に呼ばれて意見を出しに行きました。すでに秋津コミュニティに「生涯学習の理念」の実践例があることを話しました。既存の学校の授業と施設を開放すれば、身近な学校で十分生涯学習の推進効果があるということを説明しました。

──昨年政権が自民党から民主党へ変わりました。変化は感じられましたか?

 11月の説明で印象的だったのは横に座っている官僚たちです。2時間発言せずに座っていました。意見を求められないわけですから当然ですけどね。

──大臣の前に官僚が資料やデータをさっと出すような仕草もなかったのですか

 川端達夫文科大臣や鈴木寛文科副大臣は自信満々で、官僚の方を見向きもしませんでした。報道で聞いているのとは違い、政治主導の決意を目の当たりにした瞬間でした。

──「脱官僚主導」「脱中央集権」は進んでいるということですか

 その一方で地方自治体は変わっていません。

 国会で法律がつくられると、法律の所轄の中央省庁におりてきます。2004年に法制化されたコミュニティ・スクールの場合、文科省におりてくると理念が薄まり、さらに地方自治体までおりると文科省の顔色を伺うようになります。つまり地域に近づくにつれて理念が矮小化される傾向があります。

──地域に近い地方自治体の進むスピードが遅いのですね。

 例えば地方自治体がコミュニティ・スクールの規則をつくる際に、地域に合わせて独自につくればいいのに文科省の例示を真似てしまいます。自分たちの独自性を出すことに躊躇してしまうようです。

「指導行政」という言葉があります。それは文科省が都道府県を指導し、都道府県が市区町村の教育委員会を指導し、市区町村の教育委員会が学校現場の教員を指導するという明治時代からの一貫した上意下達の「指導」のあり方です。

 コミュニティ・スクールは生徒や保護者・地域住民が委員になれます。その委員に対して教育委員会が「指導・助言」という文言でコントロールするように規則で縛るケースが多いのです。

 なぜ保護者や地域住民が教育委員会に指導されなければいけないのでしょうか。指導されたくないですし、逆に法制化の理念を教えてあげたいぐらいです。

──今後のキーワードは

 コミュニティ・スクールが法律になったのは、まさに地域主権と民主主義を築くためです。

 約140年まったくタッチできなかった学校の人事にもようやく関与できるようになりました。納税者市民が教員の人事に意見できるようになったのは画期的で、実際に秋津小学校では教員を1人増やしてもらいました。

 今後のキーワードは「子どもとともに」です。「子どものために」「学校のために」「教育のために」と言っていると、いつまでたっても地域は学校や教員の下請け役から脱却できません。学校を365日開放し地域住民による自主運営型の生涯学習学校に変えれば、大人にもメリットが出てくるのです。

 こういうあり方の秋津モデルを、スクール・コミュニティと呼び、学校運営改革を意図するコミュニティ・スクールの上位と感じています。

【参考資料】
■「新しい公共」宣言(内閣府)
http://issuu.com/j_the_journal/docs/100604_newkokyo

■全国コミュニティ・スクール一覧(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/1283399.htm

【告知】
100716_pta1.jpg

 岸裕司氏をはじめ、《THE JOURNAL》主宰・高野孟も呼びかけ人になっているPTAに関するフォーラムが8月に開催されます。

 政府の「新しい公共」宣言では、「PTAの活性化によるコミュニティ・スクール(「学校運営協議会」制度)への道」が提唱されました。

 「寺脇研氏(京都造形芸術大学教授)や川端裕人氏(作家)と『新しい公共』とPTAをテーマにフォーラムを開こうということになりました。秋津コミュニティの実践例を紹介する予定ですので、ぜひ参加していただければと思います」(岸裕司)

<日時>
2010(平成22)年8月7日(土曜日)9:30受付、10時開始-16時終了

<会場>
福武ラーニングシアター(東京大学本郷キャンパス内)赤門入って左20mの建物地下1階

<参加費>
500円(予定・資料代)

<連絡先>
〒113-0033 東京都文京区本郷1-30-16-402
(株)パンゲア・岸裕司
TEL:03-5689-5711
FAX:03-5689-5710
E-mail:pangea@pb3.so-net.ne.jp

<フォーラム詳細>
http://pta-forum.seesaa.net/

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【プロフィール】岸裕司(きし・ゆうじ)
1952年東京生まれ。中央大学法学部通信教育課程中退。1980年東京湾の埋め立て地・習志野市秋津にまち誕生と同時に家族と転居。1986年から秋津小学校PTA会長を含む役員経験7年。以後小学校区の生涯学習の充実に努め現在に至る。著書に『学校を基地に「お父さんの」まちづくり―元気コミュニティ!秋津』『「地域暮らし」宣言―学校はコミュニティ・アート!』『学校開放でまち育て―サスティナブルタウンをめざして』『中高年パワーが学校とまちをつくる』がある。

菅総理オウンゴールが招いた衆参ネジレ地獄 ── 公明党の去就が政局の目に

takanoron.png 参議院選挙は、民主党が改選54議席を10も減らす当選44に止まり、改選議席数で自民党の51を大きく下回る屈辱的な結果となった。民主党は非改選62と合わせても106議席で、過半数の121には遠く及ばない。連立相手の国民新党は改選3に対して改選0で非改選3のみの勢力半減で、これを足しても与党は109議席で、過半数にはまだ12議席足りない。かといって他に連立相手が見付かる訳でもなく、自民党政権時代に政府・与党をさんざん苦しめてきた衆参"ネジレ地獄"が、主客入れ替わって菅直人内閣を襲うことになる。

●ネジレは常態とはいえ・・・

 もっとも、平成以降は衆参のネジレはほとんど常態化しており、各政権はその都度、政策協調、閣外協力、連立などの形で他党との連携を図ってこれを乗り切ってきた。

 89年参院選で宇野内閣が選挙前は143あった議席を109にまで減らす大惨敗を喫し、初めて深刻なネジレを現出させた。これを受けて直後に発足した海部内閣は、小沢一郎幹事長の下、「自公民路線」と呼ばれた政策協調路線を採り、重要法案ごとに公明党・民社党と協議し、必要な場合は修正を受け入れて成立させた。この方式は宮沢内閣にも引き継がれ、例えば92年のいわゆる「PKO国会」でのPKO法案は自公民の賛成で国会を通過した。93年8月に発足した非自民8派連立の細川政権ではネジレは生じず、それを継いだ羽田政権では8派から社会党とさきがけが離脱、さきがけは閣外協力には応じたものの、衆参共に少数与党政権となって2カ月で潰れた。94年6月発足の自社さ連立政権では、村山政権から第1次橋本内閣まではネジレはなかったが、96年11月の第2次橋本内閣発足時に社会党とさきがけは閣外協力に転じた。

 98年参院選で橋本内閣は103議席にまで落として引責辞任、その後を襲った小渕政権は、すでに参院選前に社会党・さきがけが閣外協力も解消していたため、政局の運営に苦しみ、特に同年9月の「金融国会」では、民主党が第1党を占める参議院で政府法案がことごとく通らず、結局、民主の対案をほとんど丸呑みすることで何とか乗り切った。事前の根回しでなく国会でのオープンな議論を通じて修正して通過させるという、これも政策協調の1つの新しい形と言えた。しかし、これに懲りた小渕は連立を模索、99年1月の小沢=自由党の政権参加による自自連立を導火線として同年10月に公明党を引き込むことに成功、ようやくネジレを解消した。この自自公は、次の森政権では自由党が離脱して保守党が残って自公保となり、さらに保守党が自民党に吸収されて自公となって、昨年まで10年間続いた。

 言うまでもないことだが、連立は第2党以下の党が与党として閣僚も送り込んで政権運営に共同責任を負うことである。それに対して閣外協力は、普通、与党入りはしないが包括的な政策協定を結んでその限りで法案通過に協力するもの。政策協調はそのような協定もないまま個別案件について、場合によってはいちいち別の相手と、協議しながらまとめていかなくてはならず、恐ろしく手間がかかる。菅政権としては、この政策協調方式を採らざるを得ない訳で、一面においてそれは、細野豪志幹事長代理がNHK番組で「むしろチャンスだと思う」語っていたように、ネジレ常態化の下で新しい政策形成と国会運営のマナーとルールを作り出していくきっかけとなり得るかもしれないが、他面、一歩間違えればたちまち政権が吹っ飛ぶ地獄の地雷原でもある。とはいえ、民意が菅政権の "暴走"を恐れて安定多数を与えず敢えてこの苦難を課したのだから、ここはそろりそろりと進み出すしかあるまい。

●消費税論議の不毛

 これほどまでに酷い結果を招いた直接の原因が、菅総理の「消費税10%」発言の唐突とその後の弁解的な追加説明のコロコロぶりにあったことは論を俟たない。私の意見では、彼は「一」だけを言って後は黙りを決め込むか、そうでなければ逆に「十」まで全面展開して本格的な論争を仕掛けるか、どちらかにすべきだったのであり、「一」を言った反応に驚いて「二、三」くらいまで踏み込んで散漫な発言を繰り返した中途半端がこのオウンゴールによる敗北を生んだ。必ずしも「選挙前に増税はタブー」なのではなく、選挙前でもいつでも増税を軽々しく口にすることがタブーなのである。

 善意に解釈すれば、菅は財務相としてG20などに出席した体験から「ギリシャの財政危機は他人事ではない」と心底実感し、またそのG20で目標とされた公的債務のGDP比を16年までに安定させるとの合意で日本だけが「例外扱い」とされたことに屈辱感も味わっていて、新総理として選挙に挑むに当たって、世界と市場と国民に向かって財政再建に真剣に取り組む覚悟を示そうとしたのだろう。そのこと自体は、戦略的に間違っていない。

 また、現に自民党が先手を打って「10%」を打ち出している中で、これまでのように「私の政権中には上げない」とだけ言っていたのでは、「どうするんだ」「逃げるのか」と毎日のように野党とマスコミから突き回されることは目に見えていた。そこで逆手を取って、消費税増税に取り組むことを積極表明し、自民党などに超党派の協議を呼びかけることによって、消費税問題が「上げるのか上げないのか」という低次元で選挙の争点となり続けることを予め回避しようとした。これ自体も戦術的に間違っていない。

 が、そうだとしたら、彼は計算され尽くした「一」を口にすべきで、まず第1に、財務相時代の彼が今年1月21日の衆院予算委で自民党の谷垣禎一総裁に答えて、消費税増税について「逆立ちしても鼻血も出ないほど、完全に無駄をなくしたと言えるまで来たとき、必要であれば措置をとる」と述べていたこととの整合性をキチンと語るべきだった。その答弁の中で菅は、麻生前政権などが消費増税に踏み切れなかった理由として「無駄遣いしている政権に増税させたら、もっと無駄遣いするという国民の不信感が最大の理由だ」とも述べていた。であればなおさら、同じ不信感を持たれないよう慎重な上にも慎重な言い回しが必要だったろう。それを抜きにしては、「菅はやっぱり財務官僚に取り込まれた」「増税の前にやることがあるだろう」と言われるに決まっている。

 そうなると、昨年の政権交代の意義さえもが疑わしく見えてくる。この政権は、「国民の生活が第一」と言い、国民の側に立って「明治以来100年余の官僚主導体制を打破する革命的改革」(小沢一郎)を遂行することを中心使命として登場してきたというのに、菅の言い方では、民主党が官僚の側に立って国民により多くの犠牲を押しつける真逆の方向に転換したかの印象を生んでしまう。これでは、特に無党派層が潮が引くように去っていくのは当たり前だろう。

 第2に、消費税をめぐっては、鳩山由紀夫前総理が「4年間は引き上げない」と言い続けてきたこととの整合性も取る必要があった。本当のところは、「4年間」というのは今になれば「3年間」であり、今から早急に党内議論を始めて民主党案をまとめ、それを超党派の協議にかけて成案を見、それから制度設計して法案化するのに、誰が考えても1年や2年はかかる。増して、菅が後に口にしたように、低所得者層への全額還付方式をとるとすればその所得の把握をどうするのか、納税・福祉番号制を導入するのかどうかの大問題と関連してくるし、食料品など生活必需品の低額税率をとるにしてもその範囲をどうするかは各業界の死活がかかって大変な議論になって、どうしても2年や3年かかる。つまり、今から始めても2013年の総選挙もしくはダブル選挙に間に合うかどうかの話なのである。

 それを、「消費税を上げないと2〜3年でギリシャのようになる」などと恫喝的なことを言い、「今年度中に案をまとめたい」と、来年から増税するつもりであるかの性急な印象を振りまいたので、なおさら反発が広がった。

 第3に、自民党案を引用して「参考にさせて頂く」と言っただけとはいえ、「10%」という数字を口にしたのは拙かった。飢えたマスコミはたちまちこれに飛びついて「菅が10%にすると言った」という話になって一人歩きした。

 だから彼は、単に「引き続き無駄の削減を鼻血が出ないところまで追求しつつも、それと並行して消費税増税を含む抜本税制改革とそれに基づく財政再建の展望を私の政権中に必ずまとめ、次の総選挙で国民の判断を仰ぎたい。参院選後に自民党案も参考にしてじっくりと超党派の議論を始めたい」とでも言って、後は何を聞かれても同じセリフを繰り返しておけばよかったのである。

●日本型福祉国家のモデル

 そうでないなら「十」を言わなければならなかった。「十」とは、まず第1に、将来の日本型の福祉国家のモデルをどう設計するかから語り始めるということである。榊原英資は昨年来「民主党はヨーロッパ型福祉国家を目指すと言ってしまえ」と言っていて、私も賛成だが、その場合、同じヨーロッパ型と言っても、国民負担率で見てスウェーデン(64.8%)、フランス(61.2)並みの高負担・高福祉なのか、ドイツ(52.4)、イギリス(48.3)並みの中負担・中福祉なのか。仮に中負担・中福祉なら麻生政権が言い出していたそれとは同じなのか違うのか。また例えば大学の授業料はスウェーデン、フランス、ドイツは無料だがイギリスはそうではないが、そこはどうするのか。どれだけの負担をすればどれだけの公共サービスを受けられるのかをまず明確にしなければならない。

 第2に、その負担をどのように税と社会保障費とに振り分けるのか。極端にはオーストラリアのように全額税方式というやり方もあるが、いずれにせよ日本の場合は年金も介護も医療も教育も、全部がバラバラなまま、そのそれぞれがつぎはぎだらけの不法建築物が傾いでいるような有様となっていて、一旦すべてを取り壊して更地の上に統一されたデザインで建て直す必要がある。その場合、かつて民主党は基礎年金を税方式にするために消費税3%分の財源が必要と主張していたが、その案が今も有効なのであれば10%でなく13%にしなければならないが、そこはどうなのか。

 第3に、それによって税のあり方が決まるが、そこでこの際、直間比率すなわち直接税と間接税のバランスをどうするのかを考えなくてはならない。日本では、所得税・法人税はじめ直接税に大きく依存する産業社会=高度成長時代の税制が続いていて、それに税収不足を補う目的で5%だけ消費税を付け加えるという半端な形となっているが、そもそもポスト産業社会=成熟経済においては直接税中心では税の捕捉そのものが次第に難しくなるのであって、かなりの程度、間接税の比重を大きくしなければ財政は成り立たない。税制と産業構造がミスマッチを起こしていることが日本の税収不足の構造的原因であり、そこから正さなければならない。またその場合、今の消費税のままでいいのかEU型付加価値税を参考に制度そのものを改変するのかという議論も蒸し返されるかもしれない。

 第4に、そのようにして消費税のあり方が決まって、しかも、仮にスウェーデン型を目指すなら例えば30年後には消費税は25%にまで上げなければならないが、当面は3年後に10%に上げれば済むのか15%にしなければ間に合わないのかという話が、そこで初めて、俎上に上るはずなのだ。

 大体、10%へのアップでは、現在消費税以外の税源から社会福祉費用に回している分が埋め合わせられるか、それにも足りないかという程度で、その分だけ赤字国債の発行額は減らせるかもしれないが、新しい福祉サービスを付け加えたり充実させたりするには到底足りないのではあるまいか。菅が増税分から1兆円を介護に上乗せすると言ったのはどういう根拠なのかよく分からない。財政赤字の拡大を止めてなおかつ福祉の充実を図り、それを消費税だけで賄おうとすれば、素人目に見ても15%、上述のように基礎年金の税方式も考えるなら18%へのアップが必要だろう。となると、他の税源でどのくらい増税は可能か、成長戦略との兼ね合いで税収増が見込めるのか、事業仕分けや天下り団体改革さらには議員定数の大幅削減などでどれほどの経費節減が出来るのかなども含めて、多元連立方程式を解かなければならないだろう。

 財務省は常に、財源が不足だから消費税を上げたいが、国民の反発が強いので福祉目的ということにして納得してもらおうというように、手前のほうからしかものを考えない。それに対して民主党は本来、どうすればそれこそ世界一、安心できる福祉社会を作ることが出来るかの将来像を示して、そこから手前に向かって逆算して年金・介護・医療・保育・教育などの諸制度改革の方向を示し、それを可能にする税制のあり方を問題にしなければならず、そうでないと財務官僚の罠に嵌る。同じ「10%」だとしても、それへのアプローチは財務省=自民党的なものと民主党的なもので180度違うのだということまで語り尽くさないと、お話にならない。

●公明党の怖さ?

 そういう訳で、菅の無思慮な発言で特に無党派層がサーッと離れていったのが最大の敗因だが、組織的な要因としてもう1つ、全部で33選挙区、うち29の1人区のうち23選挙区での自公選挙協力の効果は無視できない。

 野党になってからの公明党は、前国会を通じても与党案に度々賛成するなど盛んに民主党に秋波を送ってきたものの、選挙となるとまた違って、「比例は公明党、選挙区は自民党」という自公選挙協力を復活させた。

 民主党、自民党、公明党の前回参院選、前回衆院選、今回参院選の選挙区と比例代表の票をまとめたのが次表である。

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 民主党は、選挙区でも比例でも自民党の得票を上回っているが、それでも大敗したのは1人区で8勝21敗と苦戦したことが大きい。公明党は、比例で734万票獲っているが、選挙区では東京、埼玉、大阪にしか候補者を立てていないので、その3人分の227万票である。その差の537万票がそのままそっくり自民党の選挙区候補に回った訳ではなく、一部はみんなの党やごく一部は民主党などにも流れたことだろう(例えば山梨選挙区では公明支持層の22%は民主党の輿石に入れた)が、多くは「比例は公明党、選挙区は自民党」となったはずである。他方、自民党は、比例では1407万票と長期低落傾向を免れていないものの、選挙区では1950万票を得ており、その差は542万票である。無党派票の流入もあったに違いないが、それにしても公明党の比例と選挙区の差にほとんど照応している。

 今回の比例代表での各党の市町村別得票数を衆議院の小選挙区や比例代表のブロック単位に置き換えて共同通信社が行った試算によると、次期衆院選で各党が各個に戦った場合は、民主党は衆院定数480に対して305議席で前回に引き続き圧勝し、自民党は105議席、公明党は26議席となる。ところが、小選挙区で自公が完全に選挙協力を行った場合は、一転、自公合わせて307議席となり、民主党は135議席しか獲れない。

 自民党は一見、復活へのきっかけを掴んだかのようで、谷垣総裁も満面の笑顔で喜んでいたが、実体はそうではなく、今のところ公明党にすがりつく以外に政権復帰への展望を描くことが出来ない。公明党は今では、与党でいること自体が目的であるような党であり、さてそこで、秋の臨時国会以降、民主党とのパーシャル連合協議に応じて半ば与党化しようとするのか、それを拒んで菅政権を追い込んで早期総選挙で自公政権大復活を狙うのか、両様で政局に臨むことになろう。政局の目はみんなの党よりも公明党と言えそうである。▲

2010年7月15日

北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方〈3〉

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■『月刊マスコミ市民』ホームページ
http://masukomi-shimin.com/

(『月刊マスコミ市民』2010年4月号より転載)

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■社内の情報が道警に漏れた疑い

川﨑:甲84号証に話を戻しましょう。これが裁判に出された当時、週刊新潮や宝島など雑誌がいろいろ書きました。

高田:先ほど言いましたように、私と編集局幹部が夕食を一緒したのは、2005年9月初旬です。ところが、甲84号証によると、それ以前に、佐々木氏と新しく幹部になった編集局幹部が2人で会っているのです。記録によると、編集局幹部は、佐々木氏との最初の面談で、「とても上座に座れません」「2冊の本についての佐々木さんの指摘と、泳がせ捜査記事を車の両輪として解決していく」「私たちは社内では少数派ですが、これから少数派が実権を握ってやっていこうとしているのだから、交渉は内密にして欲しい。社内に交渉のことが漏れたら、動きは潰される」という趣旨の話をしています。さらに、「ご迷惑をかけました」と謝っている。「どうやったら許してくれるのですか」というのが、最初からの立脚点だったとしか、私には思えません。それに記録によると、この初回の面談で、編集局幹部は「道警の幹部に言われて、あなた(佐々木氏)に会いに来た」という趣旨のことを明かしています。佐々木氏はこの時点でOBですが、現職の道警幹部のアドバイスによって、佐々木氏に面会を求めたのだ、と。その会談後に、イタリア料理店で、私は編集局幹部から「道警と道新の関係修復には、けじめが必要だ」と言われたわけです。どう考えても、おかしくないですか。

川﨑:手打ちの条件としては、おそらく「高田を外せ」という人事の取引でしょう。

高田:甲84号証によると、それに類するやり取りはあります。高田や佐藤を絶対に許さない、とか。でも、交渉が始まった時点では、私や佐藤はもう東京に転出していたわけですから...。

 記録では、裏交渉は7月の終わりに始まって翌年の5月頃まで30数回続いています。先ほども言いましたが、会社側からは裁判が起こるまで、2冊の記述の真偽についての問いかけは一度もありませんでした。これは大事なポイントだと思います。本の記述内容に対する問い掛けすらないまま、道新側は「内部調査の結果、書籍の記述はねつ造だと分かった」という趣旨のことを言っていたのです。佐々木氏はそうした部分を根拠にして、裁判で自らの主張の正しさを立証しようとしており、控訴理由書でもそこを強調しています。それに、裏金報道に限らず、どんな記事にも該当する話ですが、取材して記事を書いた記者が何も知らないところで、「うちの若い記者が誤報を書いて失礼しました」「どうやったら許してくれますか」と上司が勝手にお詫びの交渉を相手側と始めてしまうのは、どう考えてもおかしいでしょう。

川﨑:私の経験では、その類のことはよくあると思います。権力は何をしてくるか分かりません。

高田:イタリアンレストランに呼ばれた後に、「泳がせ捜査に関して編集局内部で調査をする」と言われました。先に言いましたように、その記事の組み立て自体はすでに説明済みでしたから、あらためて何が聞きたいのか不思議に思いました。一方、ちょうどその頃、道新の内部情報が警察経由で同業他社にボロボロ漏れていることが分かってきました。「高田や佐藤は社内の調査から逃げ回っているという話は本当か」と、他社の記者仲間から電話がかかってきたこともありました。

 そして後日、「本件原告の佐々木氏が道新にクレームをつけている本の記述、および『泳がせ捜査』の記事に関して、北海道新聞社が事の真実を明らかにするために内部で調査委員会を作ることが決まった」と、4〜5段くらいの記事が毎日新聞に載ったのです。当時(2005年11月初旬)、そんな話は全然聞いていませんでした。「調査委員会とは何ですか」「そもそも、どうしてこういう記事が他社から出るのですか」と聞きましたが、編集局の幹部は「そういう事実はない」「毎日新聞の誤報だ」と言うのみでした。「では毎日新聞に抗議してください」と言うと、「そこまでする必要はない。先走って書くようなことはお前らもあるだろう」と言われて終わりました。

 ところが、その後、佐藤が編集局幹部に呼ばれ、続いて私も呼ばれ、当時の取材班メンバーが次々と呼ばれて、「泳がせ捜査」に関する情報源を聞かれたのです。「階級は何だ」「せめて所属は言えないのか」と聞かれましたが、誰も言いませんでした。道新の内部情報が道警に漏れている疑いが濃厚なときに、「実はOO警部からの情報です」などと言えるはずがありません。甲84号証によると、道新側が佐々木氏に対し、「きょうは佐藤を呼んである」とか、「先日のヒアリングで彼らは何も答えなかった」とか、そういうやり取りがボロボロ出てきます。社内情報は、まさに湯水のように漏洩していたわけです。

川﨑:そして2006年1月の「お詫び」記事(註4)になるのですね。

高田:そうです。「道新は『道警は泳がせ捜査を失敗した』と書きましたが、それが事実だという最終的な確証が得られずに、読者に誤った印象を与えかねない記事になってしまったことをお詫びします」「しかし道警の『泳がせ捜査』の失敗を『なかった』という証明もできませんでした」という趣旨の記事です。社告は1面でした。誰のために何を書いているのかわからない中途半端な内容だとの批判も受けたようですが、それによって、編集局長以下、私も佐藤も含め8人が懲戒処分を受けました。

 処分自体はもう済んだことなので何も言うつもりはありません。しかし、甲84号証によると、それに至る過程では、裏側でずっと佐々木氏と交渉や相談が続いていたわけです。外部の人と相談しながら、もっと言えば外部の人から新聞社内部に手を突っ込まれた形で、ものごとが進んでいる。新聞協会が定めた新聞倫理綱領は「あらゆる勢力からの干渉を排し、利用されないよう自戒しなければならない」としていますが、裏交渉はその真逆のように思えます。

 そして懲戒処分の後も、佐々木氏と道新側の交渉は続いています。むしろ、その後にヒートアップした感じです。「高田たちを訴えてくれ、訴えたら佐々木さんに協力する」とか、「民事がだめなら刑事の名誉棄損もある」とか、「新聞協会賞を返上すべきだ」「自分もそう思う」とか。そんな趣旨のやり取りが頻出します。もうなんと言いますか、裏交渉の後半は、はちゃめちゃな感じですね。甲84号証でそれらを初めて知った時、私はロンドンに駐在していましたが、信じられない気持ちでした。

川﨑:朝日新聞の落合博実さんが、「警察に屈した日」という記事を「月刊文藝春秋」2005年10月号に書いていますね。

高田:落合さんが追いかけていたのは、漆間厳・前内閣官房副長官(元警察庁長官)の愛知県警本部長時代の裏金問題だったと思います。落合さんは裏帳簿を人手にしたのに、朝日新聞は活字にしないで「握り潰した」話ですね。

川﨑:そのとき朝日新聞が書いていれば、漆間氏は官房副長官にはなれなかったし、政治情況や権力とマスコミの関係も変わっていたと思います。

高田:そうかもしれません。ただ、何かの理由があって、権力監視型の報道を行うことに怯んでしまう人が幹部にいるということは、マスコミではよくある話かもしれません。落合さんの記事は、そのことを示しています。

川﨑:きょう語ってもらった道警との裁判の内容、とくに甲84号証に関する話は事実はまだ活字になっていませんね。

高田:民事訴訟の記録はだれでも閲覧できますし、札幌の司法記者は皆知っていると思いますが、新聞では活字にはなっていないと思います。各社がどういう判断をしているのか、それは分かりません。大谷さんは、ご自身のウェブサイトと平凡社の「月刊百科」に書いています。そのほかには、知っている限りでは、雑誌の宝島や週刊新潮などに関連の記事が出ました。

■意味もなく萎縮している現場の記者

川﨑:裁判の結果は各紙に載ったのですか。

高田:一審判決は昨年の4月27日にありました。各紙では、「報道の自由」「表現の自由」という観点から、それぞれ展開を見せました。裏金問題を同じように追及していた高知新聞は、判決のとき記者2人が札幌まで取材に来て、夕刊と翌日の朝刊に続けて大きく掲載しました。NHKも好意的に6時半のローカル・ニュースで10分間ほど取り上げてくれました。北海道新聞は2段見出しの小さな記事が夕刊に載って終わりました。

川﨑:一連の裁判が終わったら、出版の形でしっかり記録を残しておいたほうがいいと思います。

高田:それは私も考えています。

 一審判決の後、私は記者会見をしました。その後、報告集会も開きました。その合間、コピー機を貸してもらうために札幌の司法記者クラブに行ったとき、記者が群がってきたら面倒だと思っていたのですが、誰も何も聞きにこないのです。私がクラブに入ると、「モーゼの十戒」の如く海が割れるように、人混みが左右に割れ、コピー機に辿り着くまでの道ができました。コピーしている間も、若い記者やテレビ局の記者も黙っているのです。裁判の当事者がのこのこ現れたわけですから、'ふつうなら、会見で聞けなかったことを聞こうとするじゃないですか。あるいは、名刺だけでも交換しようとか。現場の記者が意味もなく委縮している、まさに今のムードを的確に表していると感じました。

川﨑:「道新が死んだ日」ではなく、「ジャーナリズムが死んだ日」だと思いますね。道新の取材記事は、菊池寛賞、新聞協会賞、JCJ大賞など各賞を総ナメにしましたが、社内ではそうした賞についての評価はなかったのですか。

高田:いろんな場面で「よくやった」「がんばった」と言われました。若い記者ほど誇りに思ってくれているようにも思います。ただ、最初にも言いましたけれど、裏金報道にしても、その他の報道にしても、自分たちの方法が最高だとは思っていないわけです。批判があるのは当然だから、批判や疑問はどんどん言って下さい、と。ただし、面と向かって直接。それが何より大事です。

 他社も含めて若い記者と話す機会も多いのですが、どこの新聞社も内部での議論が最近はどんどん少なくなっているようです。日本では職場、つまり組織内での言論が一番不自由なのです。大企業を見れば、一目瞭然でしょう。報道機関はそれでも、組織内言論が比較的自由だったのに、最近はそれがいよいよ少なくなってきたと思います。

 新聞の役割は権力監視だと言います。それはその通りです。また新しい時代には、新しい報道も必要です。このネット時代にあって、漫然と同じような報道を繰り返していたら、読者の支持を失うのは自明です。ただし、新しい試みはしばしば、組織内の古い価値観と衝突する。そのとき、記者1人1人がどうするかです。報道の古い体質は、日々の仕事においては「前例踏襲」「議論を避ける」「事なかれ主義」「萎縮」のような形で表れます。その壁を崩す気概を現場も幹部も持つことができるかどうか、それがポイントだと思うのです。

 実は、裏金報道のときは、裏金追及そのものというよりも、事件報道全体のあり方を見直すきっかけにしたいと考えていました。捜査当局と一緒になって「悪者」をつくり、叩く。「逮捕」時の報道に一番の力点が置かれてしまう...。挙げればきりがありません。事件報道の構造的欠陥は昔から何度も指摘されているのに、なかなか変革できない。それが実態です。裏金報道のときは、警察担当記者が真正面から警察組織と対峙する中で、そういう古い体質を変えたいと思っていたわけです。警察取材に限りません。古くさい構造は、どの取材部門にも残っています。青臭い理想論かもしれませんが、「変革」を常に考え、実践していかないと、取材力はさらに劣化し、新聞はますますダメになる。その分水嶺は、すぐそこに迫っている感じです。

川﨑:今日は、多岐にわたるお話をいただき、本当にありがとうございました。(了)

[註4]道新の「お詫び」記事
北海道新聞は2005年3月13日付朝刊で「北海道県警による『覚せい剤泳がせ捜査』が失敗し、北海道内に大量の麻薬と覚せい剤が流入した」と報じた。しかし翌2006年1月14日には、「裏づけ取材不足」「『組織的捜査』確証得られず」という見出しで、「泳がせ捜査失敗」報道に対する「お詫び」の社告記事を掲載した。直後の1月31日には' 編集局長のほか、北海道県警の裏金問題の記事を書いて日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞や新聞協会賞、菊池寛賞などの各賞を総なめした取材班のデスクとキャップら8人が処分された。

2010年7月14日

北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方〈2〉

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■『月刊マスコミ市民』ホームページ
http://masukomi-shimin.com/

(『月刊マスコミ市民』2010年4月号より転載)

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■捜査費・報償費はほぼ100%裏金

川﨑:一般の人に「裏金」と言ってもよく分からないでしょうが、道新の記事を読んだ人は、皆分かるようになったでしょう。

高田:「裏金」の意味合いは、ほぼ分かってくれたのではないでしょうか。予算は、法律や条例その他の法的枠組みで使途が決められます。これに対して、裏金とは、決められた予算の使途通りに使ったと装って、実際には別の用途に使用することです。使途の縛りを自分たちで勝手に外すわけですから、一種のマネーロンダリングでもあります。その中には、私的な用途に使ったものもあるはずです。北海道では、警察の裏金問題が発生する7年〜8年前に、すでに北海道庁で裏金が大きな問題となっていました。当時、私はその取材チームにいて大々的に報道しましたので、北海道の人にとって裏金そのものは目新しいことではなかったでしょう。ただ、道警裏金報道での読者の反応はすさまじく、電話やメール、ファクス、手紙で激励が殺到しました。「道新を見直した」という声もずいぶんもらいました。あれはどの反響は、その前も後も経験したことがありません。入社試験の面接で「自分も調査報道をやりたい」という志望者が増えたとも聞きましたし、私に直接連絡を取ってくる若い学生が今もいます。うれしいことです。

川﨑:そして、問題は裏金だけに留まらず、稲葉事件(註3)にも及んできましたね。

高田:稲葉事件に関する「泳がせ捜査」の記事については、その後、道新がお詫びを出すに至りました。道警は、「泳がせ捜査」の記事がポイントとなり引くに引けなくなったというよりも、最初から反撃するきっかけを探していたのだと思います。実際、裏金問題の追及を開始した直後から、種々の記事について、口頭や文書での道警の抗議が何度もありました。「泳がせ捜査」の記事に抗議文が来たときも、現場では「また来た」という感覚でした。

川﨑:稲葉事件では、上層部が捜査に必要なお金を使いきってしまい、拳銃の摘発に際して正当な捜査費がなくなっていたので稲葉氏が金をつくった、という構造があるのでしょうか。

高田:警察の捜査費とは、例えば拳銃の密売にかかる情報を暴力団関係者から入手しようとしたとき、それにかかる部屋代や飲食費、謝礼などの必要経費です。国費の場合は「捜査費」、都道府県費の場合は「捜査用報償費」といいますが、両方とも同じような予算です。これらはほぼ100%が裏金になっており、真っ当に使われたことはほとんどなかったとされています。会計書類上の金の動きと実際のお金の動きが合致していないのです。

 当時は、拳銃を摘発するために各都道府県に銃器対策課銃器対策室ができていましたが、捜査費、捜査用報償費は本来の使途通りには使われていませんでしたから、稲葉元警部も含め、現場の捜査員は、自腹を切って捜査にかかるカネを捻出していたはずです。

川﨑:いわゆる「平成の刀狩り」といわれた拳銃の一斉摘発は、警察庁の指示で全国的に行われました。それに絡む組織的な裏金作りは道警に限りませんでしたが、メディアでは単に「悪徳刑事がやった」という報道しかされませんでした。

高田:似たような事件は、長崎や大阪や兵庫でも表面化しています。全国の警察における捜査費と捜査用報償費の大半は裏金になっていたはずです。長崎県警の場合は、県警元刑事が自ら公判で裏金作りを暴露してしまいました。

川﨑:北海道警元釧路方面本部長の原田宏二さんが「北海道新聞が警察に屈した日」(「明るい警察を実現する全国ネットワーク」ホームページ、http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou1.htm#15http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou1.htm#18)で指摘しているように、道警は道新の内部で起きた不祥事を摘発する中で、それとのバーターで裏金問題に関する道新の報道を抑えようとした疑いが濃厚です。しかし、メディアの中ではそうしたことは頻繁にあります。オウム真理教の事件に絡んでTBSが放送前のテープをオウム真理教側に見せていたことが発覚した際、故筑紫哲也さんは「TBSが死んだ日」と言いました。裏金問題の報道とその後の動きは、道新の歴史の中で最も大きかった出来事ではないでしょうか。

高田:社史を読むと、道新も遠い昔には様々な事件があったようです。権力と報道機関の関係は、非常に難しい。権力と報道機関のひどい事例は、どの新聞社にもテレビ局にもあると思います。ただ、裏金報道のその後については、なかなか自己評価はできません。自分も当の組織にいる以上、問題解決や組織改革に一定の責任を負っているわけですし。

川﨑:報道機関というのは、隙を見せるとどんどん追い込まれてしまいます。ところで、裁判はどうなっていますか。

高田:裁判は『追及・北海道警『裏金』疑惑』(北海道新聞取材班著、講談社)、『警察幹部を逮捕せよ!・泥沼の裏金づくり』(宮崎学・大谷昭宏・北海道新聞取材班著、旬報社)という2冊の書籍について、そのごく一部の記述について「事実と違う」として佐々木氏が訴えて、始まりました。被告は道新、講談社、旬報社と個人被告の高田と佐藤です。そして補助参加人の大谷さんと宮崎さんが一審の途中から加わっていますので、3社プラス4人が被告席に座っていることになります。

 一審札幌地裁の判決は昨年4月にあり、被告が敗訴しました。主文は「被告は連帯して合計72万円を原告に支払え」とした一方で、「訴訟費用の9割を原告が払え」という内容でした。

 佐々木氏は、勝訴したのに訴訟費用の9割を払うことを不服として控訴し、また被告側も全員が控訴しました。控訴審は札幌高裁です。道新の顧問弁護士のほか、高田と佐藤は個人として、札幌の市川守弘弁護士、東京の清水勉、安田好弘、喜田村洋一の3弁護士と代理人契約を結んでいます。控訴審の初弁論が昨年12月にあって、互いの立証予定を示したところです。一審では予想もしない形で負けているので、控訴審で新たな証拠を出して様々な立証をしようとしています。次回は4月16日です。

川﨑:今回、われわれは、佐々木氏が一審の途中で提出した証拠「甲84号証」を入手し、目を通しました。これは、提訴前に、佐々木氏と道新幹部らが裏金報道をめぐって密かに交渉していた内容を、佐々木氏が密かに録音記録したものです。全体を通して読むと、信じがたいやり取りが延々と続いています。日本のジャーナリズム史上に残る汚点ではないでしょうか。このようなことがなぜ起きるのか。その道新の内部事情について、あなた方取材班は知っていたのですか。

高田:道新内部では裏金報道が続いていた2004年に室蘭支社の営業部員が使い込みをして逮捕され、有罪判決を受けました。2005年10月には、東京支社の広告社員が約500万円を使い込んでいたことも対外的に発覚しました。こうした問題は、もちろん知っていました。

 しかし、「甲84号証」に記された交渉は、まったく知りませんでした。私は便宜的にこれを「裏交渉」と呼んでいますが、甲84号証を読むと、2005年7月末から翌06年5月にかけ、編集局の幹部らが佐々木友善氏と30数回も話し合いを持っています。そこで話し合われているのは、簡単に言えば、「どうやったら許してくれるのか」という内容です。ひたすら媚びていく。裁判では、講談社と旬報社から出した2冊の書籍の記述が争点になっているのですが、その箇所について、当時社内では何も問題にされておらず、「高田、この本の記述は間違いか?」とか、一度も聞かれたことはありません。それなのに、裏交渉の中では、「本の記述はうそだと分かった」などと、それこそ、佐々木氏に向かって嘘をついている場面もある。そういう交渉です。

 当時から、「会社は何か変だな、何か裏でやっているのではないか」と感じてはいましたが、私をはじめとする取材班はここまで卑屈になって交渉しているとは、全く思いもしませんでした。甲84号証が裁判に出された後、私や佐藤は、この交渉が行われた理由などを会社に何度も尋ねました。当事者だから、当然、相対で聞く権利はあると思っていたのですが。

川﨑:あなたからすれば、甲84号証が示す交渉は、会社の裏切りに映るのですか。

高田:誤解を招くと困りますので、説明しておきますが、甲84号証はあくまで佐々木氏による記録です。

 私と佐藤、道新は連名で書面を裁判所に提出し、証拠採用すべきではないという趣旨の反論をしています。当時の編集局長も「提訴させないための交渉だった」という趣旨の反論の文書を出しました。30数回に及ぶ交渉の記録は、録音だけでなく、佐々木氏のメモに基づくものも含まれています。裁判所に提出した書面でも書いていますが、録音を文字に起こした中身は、必ずしも録音を正確に反映していません。佐々木氏が都合良く解釈した部分もあります。裁判では、佐々木氏に勝つことが最大の目的ですから、そうした反論は当然必要です。

 ただ、訴訟進行に限定せずに物事を考えた場合、権力とメディアの関係を考えるうえでも、一連の交渉は実に大きな問題を孕んでいます。仮に録音の文字起こしが細かな部分で正確ではなかったとしても、交渉があったこと自体は事実ですし、大筋は記録通りでしょう。こんな交渉がなぜ行われたのか、きちんと検証すべきだと、私は思ってきました。権力監視型報道の根幹にかかわる問題が、そこには横たわっているからです。

 例えば、一連の交渉では、道新側が佐々木氏に対し、「裁判を起こすなら起こしてください。その代わり、最初に道新がいくつまで負けを認めるか決めておきましょう。4つの事実のうち3つだったら納得しますか、2つだったらどうですか」という趣旨のやり取りが出てきます。さっきも言いましたが、訴訟で争点となっている書籍の記述について、提訴前に「本の記述に問題はなかったか」と会社から聞かれたことは、一度たりともありません。この交渉が行われている期間中、そんなことは一度も聞かれていない。それなのに、幹部が勝手に「誤りを一部認めましょう」と言い、こういう交渉をしてしまう。この部分は当時、週刊新潮に「道新が出来レース裁判を持ち掛けた」として記事にされました。

 佐々木氏との交渉は事実の検証プロセスではなく、どうしたら佐々木氏が納得するか、ひたすらひれ伏していく交渉でした。甲84号証を読む限り、誰でもそう判断するでしょう。記録の中には、提訴するなら被告に高田や佐藤を入れるな、道新だけを被告にしてくれと頼むシーンも出てきます。「高田たちを個人で被告にすると独自に動くから、会社が裁判をコントロールできなくなる」といったことを言うのです。一体何なのか、と思います。

■イタリアンレストランで知った「裏取引の始まり」

川﨑:高田さんが最初にデスクをされたときは、何歳でしたか。

高田:報道本部のデスクになった2003年3月です。当時は42歳で、部内では一番若いデスクだったと思います。部下の佐藤一は39歳でした。その下には佐藤とほぼ同じ年の中原洋之輔サブ・キャップがいましたが、あとの者は皆20代だったと思います。

 道警クラブには、佐藤をキャップとして常に7人〜8人の態勢でした。本部担当が3人、残りは札幌市内署担当です。報道本部は、社会部と政治部を合体させた組織です。私は警察担当デスクをやりたかったわけではないのですが、警察担当は忙しくて体力も必要なので、若い人がやるものだなと理解していました。

川﨑:会社側と道警の、衝撃的な「取引」を初めて知ったのはいつですか。

高田:裏金報道は2003年の11月から始まり、2005年6月まで行われました。道新の場合、定期的な人事異動は3月と7月です。私は2005年3月1日の人事異動に合わせて道警担当を外れて、同じ報道本部の「遊軍担当デスク」になりました。そして4ヶ月後の7月1日の人事異動で東京の国際部に移りました。佐藤も同じ7月に東京に社会部に異動しました。そして私は翌2006年3月にはロンドンに行くことになります。

 「変だな」と感じたのは、2005年9月初旬です。その年の9月は小泉郵政選挙があり、本社のデスクに応援が必要ということで、私は東京の国際部から2週間ほど札幌に応援に行きました。その最中の9月4日か5日の夜、編集局幹部数人に札幌・大通公園沿いのビルの地下あったイタリアンレストランヘタ食に誘われました。そして食事の途中に、ある幹部から「実は、あなたに考えてもらいたいことがある。このままでは道警と道新の関係がもたない」と言われました。「『もたない』とはどういうことですか」と聞くと、「取材の現場、道内のサツ回りは大変苦労している。何とか関係を改善しなくてはならない」と応えました。

 大変なのは今に始まったことではなく、裏金報道が始まった時からずっと続いていることですので、どういう意味なのかを聞きました。すると、「道警も道新とは仲良くしたいが、このまま仲良くなったのでは道警内部の組織に示しがつかない。道警は裏金を認めて億単位の巨額の金を国や道に返してけじめをつけた。道新もけじめをつけるためには、『この記事は行き過ぎでした』と示さなければならない。そう道警が求めている」と言うのです。そして、「道警が覚せい剤の『泳がせ捜査』に失敗して、北海道内に大量の麻薬が流人した」と書いた2005年3月の記事について、道警が「お詫び」を求めてきているので、道新としてそれに応じて関係を正常化したい、というのです。

 泳がせ捜査の記事が出た直後に道警から抗議がきた際には、当時の幹部に取材経緯等を説明してありました。そして「問題ない」という判断になっていたのに、なぜ今になって謝らなければいけないかを問うたのですが、明確な答えはありませんでした。そして、11月末までに回答しなくてはならないという話を、一生懸命するのです。その後もいろんなやり取りがあって、散会しました。

 私は北海道庁の不正事件を一年近く取材したとき、来る日も来る日同じような取材を続け、心底疲れた経験があります。道警担当デスクを外れるときも、何か特別の意図を感じたわけではありません。夜も昼もないような生活が続いていましたから、正直、ほっとした気持ちもありました。それに読者には申し訳ないですが、私自身、警察の裏金だけでなく、いろんな分野に関心がありましたから、いつまでも同じことをやることに疲れていました。しかし、イタリアンレストランでの一件から如実に疑問をもつようになりました。

川﨑:主要メンバーの異動が始まり取材班が解散となったとき、不信に思いませんでしたか。

高田:裏金報道や権力監視は、当時の取材班メンバーの専売特許ではありません。次の人にちゃんと引き継ぎ、裏金や不正を許さないという気持ちを記者の誰もが持ち、内部で広げて、記事という形にしていく。そういうことが何より大事だと思っていました。それが、新聞社という組織の有り様じゃないですか。それにさっきも言ったように、「これで少しゆっくりできる」という思いもありました。

川﨑:道新が海外にもっているポストはそれほど多くないと思いますが、そこに裏金問題を追及したデスクを回すことは、論功行賞だと思われたのではないでしょうか。

高田:当時、海外支局は10ヶ所だったと思います。人事は自分で決めることができませんし、その評価も難しい。いろいろな見方はあるでしょう。申し訳ないですが、今はこれ以上のことは言えません。(続く)

[註3]稲葉事件
2002年7月、北海道警生活安全特別捜査隊班長であった稲葉圭昭警部が、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された。必要な捜査資金を捻出するため、押収した覚せい剤を自ら暴力団関係者に密売するに至った事件。裏金の発覚前に明らかになり、道警を揺るがす大事件となった。北海道新聞が報じた「泳がせ捜査」(拳銃を摘発するために覚せい剤の密輸をわざと見逃して行った捜査)を稲葉元警部は認めているが、道管は稲葉事件は稲葉個人の問題だったとして、組織的関与を認めず、闇に葬ろうとしている。

2010年7月13日

北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方〈1〉

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 『月刊マスコミ市民』2010年4月号に掲載されたインタビュー「北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方」がメディア関係者の間で話題を集めている。語り手は本誌執筆陣の一人でもあるジャーナリストの高田昌幸氏で、北海道警の裏金問題を追及していた北海道新聞が、現場記者の知らないところで道警幹部と「手打ち交渉」を持ちかけていたことを明らかにしている。今回は「月刊マスコミ市民」編集部から特別に許可をいただき、3回にわたって本誌に全文掲載する。まさに、権力と癒着する現代のマスコミの本当の姿がここにある。

■『月刊マスコミ市民』ホームページ
http://masukomi-shimin.com/

(以下、『月刊マスコミ市民』2010年4月号より転載)

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 北海道新聞は2003年11月下旬から05年6月にかけて、北海道警察の裏金問題を追及した。一連の報道からは相当の年月が過ぎたが、実は北海道新聞取材班が記した2冊の書籍をめぐって、札幌で裁判が続いている。原告は、裏金問題が沸騰していた際、道警最高幹部の1人だった佐々木友善・元総務部長。被告は、取材班の責任者だった高田昌幸氏、道警キャップだった佐藤一氏、そして北海道新聞社、出版元の講談社、旬報社である。さらに、ジャーナリストの大谷昭宏氏、作家の宮崎学氏も補助参加人として訴訟に加わっている。裏金報道はその後、北海道新聞と北海道警が「手打ち」して終わったとも言われたが、一連の報道とは何だったのか。そこからメディアが汲み取るべき教訓は何か。当時、北海道新聞の本社報道本部次長(デスク)だった高田さんに、事件や裁判に関する経緯、裁判で輪郭が見えてきた「手打ち」の実態などについて、率直に語っていただいた。聞き手は、マスコミ市民フォーラムの川﨑泰資理事長。

★   ★   ★

■他社より遅れて報じた道警裏金事件

川﨑:北海道警察(以下「道警」という)の裏金問題(註1)が起きてから、かなりの月日が経ちましたね。

高田:裏金問題の報道は2005年夏に事実上終わっています。もっと追及しろという声を今も時々聞きますが、私自身は、いつまでも道警裏金問題でもあるまい、という気持ちがあります。ただ、北海警の佐々木友善元総務部長が私や会社、出版社を提訴したため(註2)、この問題は続くことになりました。提訴が「道警裏金報道のその後」というタイトルの「芝居」のスタートだとすると、まだ真ん中を過ぎたくらいでしょう。それと、最初にお断りしておきますが、きょうは、裁判の被告として、ここに来ました。答えられないことは答えられません。内容は、一審判決後の記者会見、その後の支援集会などで話したことばかりになりますが、構いませんか。

川﨑:はい。結構です。前半戦の裏金報道では北海道新聞(以下「道新」という)は快勝しました。ところが、その事件報道をきちんと追う社がなかったことが、今の事態を招いていると思うのです。

高田:本格的に追う社がなかったのは事実ですが、もともとは我々も「追った立場」でした。2003年の11月23日の夕方に、鳥越俊太郎さんがキャスターをしていた「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)が、旭川中央署で捜査用報償費が裏金になっていたのではないかとの疑惑を見事にスクープしました。裏付けとなる内部資料も放映されました。それがすべての始まりです。その時点で、私たちは内部資料すら手に入ってなかった。翌朝、朝日新聞と毎日新聞の朝刊が報じ、道新は2日遅れて紙面化しましたので、3番手くらいでのスタートでした。

 旭川中央警察署の不正経理問題が発覚してから10日も経っていない2003年12月2日〜3日の段階で、我々は「裏金作りは全道警ぐるみで行われている」と、先に結論を書きました。その後の道新の報道は、この結論をどうやって道警に公式に認めさせるか、という内容だったのです。書きっぱなしにはしませんよ、ということです。あっちの警察署でも、こっちの警察署でも、と積み上げ方式で取材するのがふつうのパターンかもしれませんが、そうやって時間をかけていると道警内部で口裏合わせなどが進み、本格的な解明はできないと思いました。だから、最初に結論を書こうと。道警も他社も、そこまでやるとは考えていなかったでしょう。遅れてスタートしたものが、あっという間に何段跳びかで前に行ってしまい、他社は事件を追うこともしませんでした。

川﨑:道新の記事は、通常は北海道に居住していなければ見られませんね。

高田:この問題を、道新だけがガンガンやれば必ず孤立して「一人旅になってしまう」と、最初から思っていました。そこで、当時は珍しい試みでしたが、早い段階で社のホームページに道警の裏金関連の記事をすべてアップしたのです。それを見た全国各地の新聞社や市民から、問い合わせが寄せられました。警察問題に詳しいノンフィクション作家の小林道雄さんは、「毎朝、東京の自宅で道新のホームページをチェックするのが楽しみだった」とおっしゃっています。

川﨑:道新が快勝していた段階で、会社の上層部から「もういい加減にしてくれないか」という話があったのでしょうか。

高田:私かデスクとして采配をふるっている最中には、「書くのをやめろ」という圧力は一切ありませんでした。うわさの類は別にして、「やり過ぎだ」「道警との関係をどうするつもりだ」などと直接言ってくる人は、一人もいませんでした。編集局幹部もそろって「頑張れ」と言ってくれていましたし、ある地方の若い記者1人を除いて、直接疑問をぶつけてきた人はいません。その若い記者とは、いい議論ができました。

川﨑:そうだとしたら、道新の幹部は「何とかして高田さんを降ろしたい」と密かに考えたのでしょうか。

高田:それは分かりません。裏金報道が続いている間は、社内の圧力のようなものは本当に何もありませんでした。道新では、夕刊から朝刊への引き継ぎの午後2時前後に報道本部のデスクが集まる会議があります。その場で、「自分のやり方が100%正しいとは思っていないので、疑問や提案があればどんどん平場で言ってください」と、しょっちゅう言っていました。(続く)

[註1]北海道警裏金事問題
2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が不正経理を行なっていたことが発覚、後に各部署、各課、ほとんどの警察署でも同様なことが判明して、関係幹部が大量に処分された。日本の警察史上初の大規模な不祥事。北海道新聞の警察担当デスクだった高田昌幸氏は、道警キャップの佐藤一氏ら道警記者クラブ所属の警察担当記者を取材に当たらせ、記者クラブに陣取ったまま、長期に渡ってキャンペーンを張った。

[註2]北海道警元総務部長の提訴
2006年5月31日、元道警本部総務部長の佐々木友善氏は、北海道新聞社、旬報社、講談社、北海道新聞記者高田昌幸氏と佐藤一氏の5者を相手取り、出版によって名誉を毀損されたなどとして、600万円の慰謝科の支払いと書籍の回収などを請求する民事訴訟を札幌地裁に起こした。また、旬報社から出版された「警察幹部を逮捕せよ!」の共著者である大谷昭宏氏と宮崎学氏は、内容に責任があるとして被告側の補助参加をしている。裁判の経緯は、「市民の目フォーラム北海道」のホームページ内の「道警vs道新訴訟」(http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou.htm)が詳しい。初回から傍聴を続けている元道警釧路方面本部長・原田宏二氏が記録を綴っている。

2010年7月10日

<インタビュー>神保哲生:参院選マニフェストを分析する──日本は増税・再配分二大政党制になった

政権交代が最大の争点だった昨年夏の衆院選では、全国各地でマニフェスト(政権公約)の冊子がなくなる現象が起こり、有権者が投票先を決めるため大きな要素の1つとなった。今回の参院選では、与野党ともに似通った政策が並び、明確な違いが見えにくくなっている。

昨年と今回の政権公約に見える変化や、その変化の背景について、ジャーナリストでビデオニュース・ドットコム代表の神保哲生さんに話をうかがった。

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神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム代表) jimbo100630_1.jpg

──民主党のマニフェストを読んで、どのように感じましたか

「民主党らしさがことごとく落ちた」という印象を持ちました。マニフェストのとりまとめをした民主党の細野豪志さんは「現実的なものを並べた」と言っていますが、「現実的」という言葉の意味は「容易に実現可能」と「実現は困難だが、それを掲げて現実的な対応をする」では意味が異なります。今回の民主党のマニフェストは反対意見が少なそうな公約が多く、「現実的」が「物議をかもさない」「支持率に影響しない」という意味になっているように感じます。

──民主党と自民党のマニフェストの違いは

もともと民主党は、その結党宣言からして、欧州型の社会民主主義的な再分配を通じた公平・公正な社会の構築と機会均等を目指すことを掲げる政党です。党内にその理念と相容れない政治家も一部いるようですが、政党としての理念は、結党宣言を見ても政策集を見ても、社民主義的な再分配政党にその要諦があることははっきりしています。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

大内裕和:政権交代によって何が変わったのか―民主党の子育て・教育政策

 2009年8月の政権交代により、子育て・教育政策にはどのような変化が起こったであろうか。人々の関心を最も集めたのが、民主党2009年衆議院選挙マニフェストの目玉である「子ども手当」である。子ども手当は、子育てを「家族の責任」から「社会全体の責任」へと転換するという目的をもって、マニフェストで記載された。
 自民党政権下において実施されていた児童手当の予算は少なく、子育てへの政府の財政的支援は極めて貧困であった。日本の「家族関連の社会支出」は、GDPのわずか0・75%(2003年)であり、スウェーデン3・45%、イギリス2・93%を大きく下回っていた。日本社会の子育ては、家庭に過度に依存していた状態であったといえる。
 民主党2009年衆議院選挙マニフェストで、子ども1人当たり年31万2,000円(月額2万,6000円)を中学卒業まで支給すると明記し、2010年はその半額を実施するとした。2010年6月、子ども手当の支給が開始された。
 子ども手当が子育てにどのような影響を与えるか、少子化対策として有効性を発揮するかどうかについて、支給後約1ヶ月の現在、判断することは不可能である。しかしこれによって、子育てへの経済的支援が自民党政権時よりも大幅に充実したことは間違いない(予算1兆6,156億円、2010年)。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

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【プロフィール】
1967年神奈川県生まれ。松山大学人文学部教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。著書に『民主党は日本の教育をどう変える』(岩波ブックレット)、『教育基本法「改正」を問う―愛国心・格差社会・憲法』(共著、白澤者)、など。

<インタビュー>渡瀬裕哉:「争点すり替え選挙」を読み解く

 参院選挙は明日11日に投開票日を迎え、昨年9月に発足した民主党政権が初めて国民の審判を受ける。候補者の選挙活動はラストスパートに突入し、全国各地で街頭演説が繰り広げられている。

 候補者がいっせいに最後の「お願い」に奔走する一方で、有権者の反応はまちまちだ。政権交代が争点となった昨年の衆院選に比べ、有権者の盛り上がりは感じられない。

 本誌編集部はInfoseek内憂外患編集部と共同で、選挙プランナーの渡瀬裕哉さんにインタビューし、今回の参院選が盛り上がらない理由や、選挙戦に勝利するための極意などをうかがった。

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渡瀬裕哉氏(選挙プランナー) watase100707.jpg

■どうして参院選は盛り上がっていないか

渡瀬:選挙をやる側が、「これを変えれば、倒せば変わる!」という争点を示していないからでしょう。何を変えるための選挙なのか分からなければ何のために投票にいくのか、有権者は分からないのです。

 選挙は「敵」がいないと成立しません。たとえば、時代劇の「水戸黄門」のストーリーを作ろうとしたら、水戸黄門だけではストーリーは作れないでしょう? それと同じです。有権者は今回の選挙の敵がなんなのか、まったく分からない状態なのです。

 今回の選挙と最近の選挙を比較すると、「郵政選挙」や「政権交代選挙」のようなストーリーが作られていないことが大きな違いです。そのうえ、「増税」なんて意味の分からないことを言われたら、争点がぼけてしまって有権者の関心を失います。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

2010年7月 9日

ドタバタは止めて菅政権に仕事をさせようではないか! ── 平成維新:2025年までの遙かなる道程

takanoron.png 今日発売の『文芸春秋』8月号の巻頭エッセイで作家の塩野七生が「予測ではなくて願望」と断りながら、「来たる参院選には、民主党に勝って欲しい。しかもそこそこの勝ちではなく、絶対多数をとることを強く望む」と書いている。

▼政権安定のためである。他の党との連立を組む必要のない、強力で安定した政府にするためだ。

▼菅新首相に特別に期待しているわけではない。ただ一つ、参院でも過半数を制して安定した政府をつくり、それで少なくとも三年はつづいてくれ、という想いだけなのだ。

▼参院での過半数獲得に成功すれば、九月に行われるという党代表選にも再選されるだろう。そうなれば、もはや外国からは軽蔑の眼でしか見られていない、日本の政府の短命にもストップをかけることができる。国の指導者がこうも入れ代わり立ち代わりするのでは、『継続は力なり』という格言をもつ国としても、恥ずかしい......。

 実際には、最終盤の各社予測では、民主党は過半数どころか改選議席の54も確保することが難しく、下手をすれば50を割り込む可能性あるという厳しい情勢である。鳩山・小沢のダブル辞任直後には「これで60議席以上を得て単独過半数の達成は堅い」と思われたのに、ここまで苦しい戦いを強いられることになったのは、一重に菅直人総理の「消費税10%」発言の不用意さに起因する。それについてはまた別に論する機会があると思うが、私は塩野と同様、そんなことはこの際どうでもいいから、菅が好きでも嫌いでもいいから、民主党に可能な限り多くの議席を与えて、少なくとも向こう3年間、落ち着いて仕事に取り組む"本格政権"に育てていかなければならないと思う。

 指導者がコロコロ代わって外国からバカにされるからだけではない。民主党革命はまだ始まったばかりであり、そのほんの序の口での混乱や動揺にたちまちドタバタして、革命の大義を見失うことがあってはならないと思うからである。

●勝負は2013年ダブル選挙

 図は、私が1カ月ほど前から講演で使っている「平成維新イメージ図」である。

takano100709.jpegのサムネール画像

 まず第1に、国民は昨年8月になぜあれほどまでに熱く政権交代を支持したのか、その歴史的な意義を改めて確認しなければならない。小沢一郎は「明治以来100年余りの官僚主導体制を打破する革命的改革」と言い、鳩山由紀夫は同じ「革命的改革」という言葉を使いながら、昨年10月の初の所信表明では「平成維新」「官から民への大政奉還」と述べ、菅直人は今年6月のやはり初の所信表明で「市民自治の思想に基づいて真の国民主権を実現する」「官僚内閣制から国会内閣制へ」と語った。表現の違いはあっても、3人とも根本は同じで、彼らを筆頭に民主党にこれをやらせる以外にこの国は突破口を切り拓くことはできない。

 第2に、本当の勝負は2013年のダブルになるに違いない衆参両院選挙である。この選挙で恐らく民主党は、何よりもまず、明治以来の中央集権国家体制を解体して新たに地域主権国家体制を創設するためのプログラムとその工程表を、1枚の絵にして分かりやすく国民に説明して、同意を求めるだろう。昨年来取り組んできた事業仕分けをはじめ天下り禁止、公務員制度改革、地方交付税の見直し等々、いわゆる「戦後行政の大掃除」は、結局のところ「地域主権国家」構想を描き上げるための試行錯誤的な下地づくりの作業であって、今後3年間に一層精力的に展開してその全てを構想に流し込んでいくことになる。この地域主権国家構想を裏付けるのは、菅が言うところの「強い財政・強い社会保障・強い経済の一体的立て直し」計画であり、これも今後3年間に消費税のあり方を含む抜本的な税制改革=直間比率見直し、年金・介護・医療制度の整理、財政再建の見通しなどを次々に議論していって、この選挙でようやく全体像を示すことが出来るだろう。

 私の意見では、これにさらに、アメリカ式の金融資本主義モデルが壊れた後に、日本はどういう資本主義を目指すのかの大きな方向付けが必要で、それは日本の世界に稀なる精妙なモノづくりの知恵を極大化し、それをとりわけアジアはじめ21世紀ユーラシアの大繁栄の中で活かしていく「モノづくり資本主義の王道」路線ではないかと思う。

●12年の各国首脳交代

 また外交面では、東アジア共同体づくりへのイニシアティブを明確に打ち出さなくてはならない。前年の2012年は凄い年で、まず11年にベトナム共産党大会があって、ドイモイの第2段階とも言うべき次の発展戦略が打ち出される予定で、これにはすでに仙谷由人官房長官を中心に民主党政権が強くコミットしている。

 12年に入ると、春の全人代で中国の胡錦濤国家主席が退任し、またこれを機に「第6世代」と呼ばれる現在40代後半から50前後の若手幹部が大きく中央に進出して、北京の光景が様変わりするだろう。この世代は、文革のトラウマから全く自由な最初の世代で、外国留学の経験者を含め優秀な人材にあふれている。たぶん同じく春に、台湾で総統選挙があり、馬英九が再選されれば中台経済関係は一層深まろう。北朝鮮では、これもたぶん春に金正日が引退して息子に後を譲る。それまでに「強盛大国」をつくるという公約は達成出来そうになく、権力継承をめぐる混乱が起きないことを祈るばかりである。韓国では李明博大統領の任期が終わりに近づき、たぶん13年早々に選挙がある。

 アジア以外では米国とロシアが大統領選挙で、オバマ再選はあるのか(たぶんない?)、プーチン復活はあるのか(たぶんある?)。アジアを中心にこれだけの外交シーンの一新とも言うべき変化が起き、華々しく首脳外交が展開されることになるわけで、そこで日本が東アジア共同体の下地つくりをどれだけ仕込むことが出来るかが勝負になる。

 第3に、こうして民主党政権は13年ダブル選挙で、地域主権国家、財政と社会保障、経済、東アジアなど、まさにそのどれもが「百年目の大転換」の柱となるような大構想を掲げて信を問い、それで国民の支持を得られれば、そこから10年もしくは衆院の任期3期分で12年かけて、実際の国家改造に切り込んでいく。2025年頃になるであろう総仕上げは、憲法改正、日本型福祉社会モデルの作動開始、ユーラシアの大繁栄を日本の"内需"にしてしまうことによる経済のダイナミズムの回復、そして日米安保条約の改定もしくは新条約の締結、である。

 昨年始まった革命は、ここまで行き着かないと完結しない。しかものんびりしている暇はなく、このどれ1つとっても内閣の1つや2つ飛びそうな難題をすべて同時並行でこなしていかなくてはならず、それに失敗すればこの国は沈没する。消費税で菅がどう言ったとか、それを小沢が批判したとかしないとか、片言隻句を捉えて騒ぎ回るその日暮らしのマスコミに引きずられて、大局を見失うことは止めよう。オロオロするな、日本人!と言いたい。▲

松浦武志:特別会計改革への6つの注文

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特別会計への道案内(松浦武志 著)

 「事業仕分け第3弾」で特別会計(特会)を51の勘定ごとに仕分けする、と報じられています。

 私は6年前の拙著『特別会計への道案内』初版で勘定ごとの改革私案を示して以来、特別会計は勘定ごとに検討すべきと訴えてきました。また、今年4月には、東京市政調査会の『都市問題』誌上で、仕分け流に手直しした案(「我流仕分け」)も公表しています。

 ですから、政府・民主党が取り組むことは大歓迎ですし、「仕分け第3弾」が、私案を超える内容となるよう願っています。

 そこで、以下のツボを外さないで欲しいと注文を付けたいと思います。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

★   ★   ★

【関連記事】
■松浦武志:知られざる特別会計のカラクリを明らかにする(Newsspiral)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/07/post_301.html

【プロフィール】 松浦武志(まつうら・たけし)
京都大学法学部卒。元国会議員政策担当秘書。
特別会計の解説書がないことに気づき独自に研究、2004年『特別会計への道案内』を執筆。

参院選終盤で民主に逆風! 民主50議席で与党過半数割れ必至

 7月11日に投開票を迎える参議院選挙の終盤情勢で、民主党が逆風を受け苦戦している。与党過半数となる56議席の獲得は困難で、菅直人首相が設定した勝敗ラインの54議席も下回る可能性が高まってきた。

 大手メディアとは異なる独自の調査で今回の参院選を分析している政治評論家の石井一二氏によると、(1)今週に入って民主党の情勢が悪化、獲得議席は50議席程度(2)焦点の1人区は先週末に与党15・野党14議席だったのが、ここにきて与党13・野党16議席に(3)一時は惨敗が濃厚だったみんなの党が息を吹き返しつつある──という。ただ、1人区を中心に激戦が続いており、投票日前に情勢がさらに変動する可能性がある。

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石井一二氏(政治評論家)
「民主は50議席を少し超えるぐらい」

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──参院選の獲得議席数は

与党の過半数獲得は厳しい。さらに、今週に入って民主党の情勢が悪化し、獲得議席数は50を少し超えるぐらいにとどまりそうです。自民の獲得議席数と近づいています。

──民主・自民以外の獲得議席数は

みんなの党は選挙区が意外と伸びていません。「惜しいところまで行くものの勝ち上がれない」という選挙区が多く、比例と選挙区の合計で6議席程度。社民は比例で1議席のみ。比例で他候補の得票数が伸びれば、(比例区で出馬している)党首の福島瑞穂の落選もある。そのほかの政党では国民新党1、共産4、公明7。新党ではたちあがれ日本が1議席獲得して、片山虎之助が当選ラインにきています。ただ、終盤にきて情勢が変化していますので、投票日までに勝敗が変化する可能性があります。

──激戦が伝えられている1人区の情勢は

東北の青森・山形・秋田が激戦。秋田は石井浩郎が勝ち上がりそうです。四国は愛媛が自民優勢、高知・香川・徳島が民主優勢でしたが、民主党が四国で3議席取るのは容易ではありません。

──複数区の情勢は

2人区は民主1、自民1が基本ですが、静岡でみんなの党に勢いがあります。みんなの党は3人区の神奈川でも健闘していますが、その他では「惜しいところまでいくが、勝ち上がれない」という選挙区が多い。また、神奈川では民主の金子洋一が現職大臣の千葉景子を追い抜く勢いです。

──与党過半数割れとなると、選挙後に各党はどのように動くのでしょうか

与党過半数割れとなると、民主と公明の連立があるかもしれない。

消費税については菅首相は「全党で協議を」と言っているが、国民新党も含め、小さな党が反対するのでまとまることはありません。また、鳩山前首相が4年間が消費税を上げないと言って09年の衆院選を勝ったので、それを無視することはできず、消費税アップも次の3年間はない。ただ、選挙前に消費税を取り上げたことによって、議論は始めることができるでしょう。

──選挙後に窮地に立たされる菅首相はどう動くのでしょうか

小沢一郎の幹事長辞任で支持率が一時好転したことで、民主党のなかでも「小沢を排除した方がいい」という風向きになっています。これまでは小沢が幹事長職にあったから議員もついてきていましたが、小沢の勢力も弱くなってしまった。しかも、次の検察審査会の結果では、強制起訴の可能性もある。それも見極めないといけない。

ただ、参院選の結果が悪くても3分の2は鳩山内閣の責任。すべてが菅首相の責任にはならない。菅首相は9月の民主党代表選は乗り切れるでしょう。

──自民党の今後は

自民党の谷垣総裁はたくましくなったものの、総裁候補の石破茂も河野太郎もまだまだ力不足の感が否めない。ましてや小泉進次郎は1回生。選挙後に執行部交代となっても、代わりの人材がいないのではないでしょうか。

(文中敬称略)

【プロフィール】
石井一二(いしい・いちじ)
政治経済評論家。元自民党副幹事長、参議院議員18年、兵庫県議12年、徳田虎雄と自由連合を設立。現在は徳州会理事長代理。

2010年7月 2日

森達也:映画「ザ・コーブ」を観た(2)

 前回の原稿を書いてからずいぶんと時間が過ぎてしまった。その理由の一つは、ちょうど原稿送付後に、一部右派団体から配給会社や上映予定の映画館などに対しての激しい上映抗議活動などが展開されるなど、状況が激しく動いたからだ。

 結局のところ現状においては、東京2館・大阪1館で上映が中止されることとなったけれど、でもこの映画を誰も観ることができないという状況には至っていない。一部右派の動きがきっかけとなって全国的に上映中止運動が広がりつつあるけれど、抗議に晒されながら上映予定を変えない劇場は、(現状においては)今もまだ多数ある。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

《第22回》竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:最終弁論終了。厚子さんに一日も早い職場復帰を!

 2010年6月29日(火)厚子さん、第22回公判「最終弁論」梅雨の晴れ間の、実に蒸し暑い大阪地裁の昼下がり。最終弁論とあって、多くの人が傍聴券を求めて並ぶ。

 厚子さんのご家族、ならび要員を依頼したプロップ・スタッフ、あ、江川紹子さんも到着!「なんでこんな暑いの?!」と、江川さん。「大阪やもん」と私。

 13:00、抽選開始。

 「今日こそは傍聴券をGETするぞ!」と意気込んだ私やったけど・・・わ~ん、またハズレた!(><) このくじ運の悪さは、天文学的や! 江川さんもご家族も当たったので、私はなんとかスタッフの当たり券で入廷。

 13:30、開廷したが、傍聴席に居た一人のオッサンが大声で「裁判長、チョンマゲ切って下さい!」「誰も切らないなんて日本は終わりです!」などと意味不明のことを叫び続け、強制退廷させられるというアクシデントが。

 後で江川さんから聞くところによると、このオッサンは傍聴券を求めて並ぶ江川さんに近づき「あんたは機密費から、いくら貰ったんや!?」と話しかけたそうな。う~む、暑さのせいか、大阪という土地柄か・・・あ、大阪の皆さんゴメンナサイ!!

 オッサンが退廷させられ、法廷が落ち着いたところで厚子さんが信岡弁護士と入廷。今日の厚子さんは、白のTシャツにベージュのスーツという落ち着いた服装。いつものように毅然とした態度で弁護側に着席。

 弘中弁護士の最終弁論が始まる。3時間にわたる弁論は、冷静かつ理論的で丁寧な口調。傍聴者にも配慮した、聞き取りやすい話しぶりだった。

 弘中弁護士の最終弁論の論旨は以下のとおり。

「元凛の会会長であった倉沢被告の依頼により、石井議員が塩田元部長に電話で証明書の発行について口利き。塩田元部長が村木厚子元課長に発行を指示し、議員案件なので怪しい団体であるが、何がなんでも発行せねばと思った村木さんが偽造証明書の作成を部下に指示したことから、上村元係長がその指示に従って偽造証明書を作成した、という厚労省ぐるみの犯罪であり、その中心的役割を担ったのが村木さんである・・・という検察の創作ストーリが公判において完全に破綻した今、そのストーリを前提とした本件の争点はすべて瓦解し、村木さんは完全な無罪である」

 との論旨に基づいて、争点の一つ一つを詳細に論破していくというものだった。満員の傍聴席は、しわぶき一つなく、弘中氏の弁論に聞き入る。

 3時間におよぶ最終弁論の後、村木厚子さん自身が証人席で「意見陳述」を行った。
厚子さん意見陳述内容は、次の通り。

「私は、本件の証明書の偽造には一切かかわっておりません。いわゆる『議員案件』というものに対して、役所が事の善悪を考えず、『結論ありき』で、法律や規則をまげて処理をするということは、実際の行政の実態とあまりにかけ離れています。
 私は、昨年の6月14日に逮捕され、7月4日に起訴されました。その後、11月24日に保釈されるまで、5カ月以上拘置所で暮らしました。
 その間、夫やふたりの娘達にも大変な心労をかけました。起訴されたことによって、役所は休職という形になり、それまで30年以上続けてきた仕事から既に1年以上離れることを余儀なくされています。
 私は、一日も早く無実であることが明らかになり、社会に復帰でき、『普通の暮らし』が出来る日が来ることを心から願っています。」

 夫と二人のお嬢さん、そして満員の傍聴者の前で、背筋を伸ばし、静かな声で最後の意見陳述をする厚子さんに、201号法廷のすべての傍聴者が、心のなかで大きな拍手を送りました。

 弘中弁護士の最終弁論全文が届き次第、改めてご報告しますが、今日の公判内容に関する報道を、以下にご紹介します。

共同通信:村木被告弁護側の最終弁論要旨
NHKニュース:最終弁論で元局長の無罪主張
日経新聞:村木元局長「早く無実明らかに」 郵便不正、判決9月
毎日新聞:郵便不正事件:村木被告側、冤罪主張し結審...9月に判決
時事通信:村木元局長改めて無罪主張「検察捜査の犠牲者」判決9月
朝日新聞:厚労省元局長、無実訴える意見陳述 郵便不正事件 
読売新聞:郵便不正裁判結審...村木元局長改めて無罪主張

 判決は9月10日午後2時からです。

 多くの人が、マスコミに報道された厚子さんと、本当の厚子さんの違いにショックを受けた公判やったと思います。

 厚子さんの今日の意見陳述には、母として働く女性として、何より公務員の矜持を持って実直に生きてきた厚子さんの思いが鮮烈に込められている、と私は感じました。
厚子さんは「裁判」というものに関わられる全ての人に、深い内省を呼び起こしたのではないでしょうか。

 そしてマスメディアを盲信し、ある時は踊らされてしまう私たちにも・・・

 無罪判決・控訴棄却(一審にて無罪確定)そして厚子さんの職場復帰に向けて、多くの皆さんのご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。

<文責:ナミねぇ>


【関連記事リンク】
◆過去の公判傍聴記(村木厚子さんを支援する会)
http://www.airinkai.or.jp/muraki_sien/index.html

◆なみねえのtwitter(公判速報はコチラから)
http://twitter.com/nami_takenaka

◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
http://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

2010年7月 1日

混迷の一途を辿る米アフガン戦略 ── 米軍撤退開始まであと1年というのに

takanoron.png 来年7月に予定されたアフガニスタン駐留米軍の撤退開始が1年後に迫っている中で、部隊増派による軍事的勝利とカルザイ大統領を軸とした政治的和解とを同時に達成しようとするオバマ米大統領の戦略は、虻蜂取らずのような恰好になってますます混迷の度を深めている。アフガン戦争は、すでにベトナム戦争を超えて米国史上で最も長い戦争となっており、この成否が今秋の米中間選挙のみならず2012年の"オバマ再選"に決定的な影響を及ぼすことになろう。

●現地司令官の解任

 オバマ戦略の破綻を象徴するのが、雑誌『ローリング・ストーン』に載ったインタビュー記事でバイデン副大統領はじめホワイトハウス高官たちを「腰抜け」などと罵倒したスタンリー・マクリスタル=アフガン駐留米軍司令官が6月23日、大統領に呼びつけられ即刻解任された事件である。

 この記事自体は、フリーランスの記者が1カ月にわたってマクリスタルに密着取材した間に拾った酒の席での放言などを、許可を得ることもなく面白おかしく書いたもので、取材ルール違反であった可能性が高いが、それにしても現地の最高指揮官が本音でそのように考えていることは疑いようのない事実で、それが表沙汰になった以上、解任は当然のことである。後任には、マクリスタルの上司に当たるデービッド・ペトレアス=中央軍司令官が兼務で当たることになった。

 この電光石火の大統領の決断で"事件"としては決着したものの、だからと言ってこれによってアフガンの困難が解決に向かうわけではない。英『エコノミスト』誌は最新号の社説で「オバマ大統領の決断はもっと深い事実を隠すことは出来ない。それは米及び同盟軍はアフガンで敗北しつつあるということだ。マクリスタルは対武装勢力作戦の達人であり、その更迭によって米作戦は失敗の瀬戸際に追いやられることになろう」と指摘した。『ニューズウィーク』7月7日号も「解任でも解決せず......米国は部隊を大量に撤収させざるを得なく」なるか、「極めて悲惨な戦争を非常に長期間続けることになる」かであって、「今後の見通しはあまりにも暗い」と述べた。

●「反乱鎮圧戦略」の無理

 オバマ政権のアフガン戦略は「反乱鎮圧(略称COIN)戦略」と呼ばれるもので、元はと言えばペトレアス将軍が策定した作戦プランに基づいている。ブッシュ政権時代にイラク駐在米軍司令官を務めたペトレアスは、当初ネオコン勢力が旧支配勢力であるスンニ派を敵視してシーア派にのみ頼ってイラクの国家再建を進めようとして一層の混乱を招いた間違いを是正して、(1)米軍増派によってスンニ派武装勢力やそれに混じる国際テロリスト集団と軍事的に対決しつつも、(2)スンニ派を切り崩して一部を政権構造に取り込み、(3)その間に漸次イラクの軍・警察を育成して治安維持の権限を移譲していくという方針を推進した。この方策は、少なくともワシントンでは「成功した」と信じられていて、そのため将軍は英雄扱いされ、ブッシュ政権末期にはロバート・ゲーツ国防長官によって中央軍司令官に任命されている。オバマはこのゲーツ長官とペトレアス司令官のラインを前政権からそのまま引き継いだので、イラクでの"成功体験"をアフガニスタンにも適用すべきだという同司令官の提言も採り入れた。

 元々オバマ政権は発足時から、(1)大規模な兵力増派でタリバンを一気に壊滅させるべきだとするペンタゴン・現地司令部と、(2)タリバンを相手にするのでなくパキスタンとの国境近くにいるアル・カイーダを特殊部隊による探索や無人機によるピンポイント爆撃で壊滅させることだけに作戦を限定すべきだとするバイデン副大統領との深刻な意見対立を抱えていた。そこでオバマは中を取る形で、ペトレアスのCOIN戦略をベースにして、(3)中程度の3万人増派で引き続きタリバン過激派やアル・カイーダとは軍事的に対決しつつ地方の拠点都市を確保し、何よりも民間人の安全と民生向上を重視して住民を味方に付けて彼らが自らテロやゲリラと戦うように仕向ける一方で、カルザイ政権にはタリバン穏健派との政治的和解と地方の治安確保を進めさせることによって、早期に米軍撤退を開始出来る環境を作り出すという方針を決めた。

 戦争一本槍ではなく、民衆を味方に引きつけることを重視するこの方針は、民主党リベラル派やヒラリー・クリントン国務長官のようなインテリには受けがよかったが、現実には、戦争をやりながら民生安定策を進めるとか、タリバンと戦いながらタリバンと妥協を図るとか、タリバン上層部を叩いて孤立させながら中下層部は買収や恐喝によって切り崩すとか、反米で一致しているタリバンとアル・カイーダを分裂させるとか、カルザイ政権の腐敗・汚職を非難しながら同政権が政治的イニシアティブを発揮するよう要求するとか、どれもが実行可能性が極めて疑わしい綱渡りのような矛盾に満ちた施策を同時並行的に進めることを前提としており、当初からペンタゴン内部や周辺の専門家の間で「泥沼化に道を拓くだけで、この先何十年も血みどろの戦いを続け巨額の資金を注ぎ込んだ挙げ句に、今のイラク程度の政権を作るのが関の山」という批判が出ていた。

●戦争とテロの弁証法

 ブッシュとその第1期政権を支配したネオコンは、米国の圧倒的軍事力を以てすればタリバン政権を叩き潰すなど簡単で、それを一掃した更地の上に米国風の民主主義を移植して国家を再建することなど造作もないという幼稚な幻想を抱いた。しかし、シルクロードの交差点とも言うべきこの国は、アレクサンダー大王以来、ペルシャ、ギリシャ、モンゴル、インド、英国、旧ソ連など様々な征服者や侵略者によって一時的・部分的に支配されることはあっても、それは頭の上を通り過ぎていくようなことでしかなくて、複雑に入り組みながら深く地面に根を張った部族支配の連合制が社会の統合を支えてきたという数千年の歴史がある。そのことは、人工国家たかだか数百年の歴史しか持たない米国人には到底理解するところではなく、軍事力さえあれば国家の破壊も再建も思うがままだと錯覚したところに、どうにもならない間違いの始まりがあった。

 さらに、一般論として、戦争ではテロはなくならないどころか、むしろテロの危険を増やす。テロリストは言わばNGOであり、目に見えず、固定的な居場所を持たないことが本質である。それに対処するに、どこぞの国のどこぞの政府がテロリストを保護していると断定してその国に対して古典的な国家間戦争を仕掛けても、テロリストは別の場所に移動すればいいのだし、その戦争は必ず罪のない一般市民を大量に殺すことになるから、それを恨みに思って反米闘争やテロ活動に参加しようという若者や子供を後から後から生み出すことになる。5月にニューヨークのタイムズスクエアで起きたパキスタン系米国人による爆弾テロ未遂事件に象徴されるように、米本土でのテロの危険は9・11以前よりも増大している。

 とは言え、今更覆水盆に戻らずで、結局、第2期のブッシュもその後継のオバマも、国家再建・選挙実施・経済復興・民生安定・治安維持など本来は戦争終了後に順を追って進めるべき課題に、戦争を進めながら取り組まなければならないという馬鹿馬鹿しいディレンマに苦しんで二進も三進もいかなくなっているのである。

●アフガンでの失敗の連続

 実際、アフガン戦略の失敗で現地事情はますます悪化している。

(1)CIAの失敗

 オバマの3万人増派が始まったばかりの09年12月30日、東部ホスト州にある米CIA直轄のチャップマン基地でアル・カイーダによる自爆テロが起き、同基地の女性指揮官をはじめ幹部7人とヨルダン王族の一員である同国情報機関GIDの幹部1人が死亡し、また基地を訪れていたCIAアフガン支局次長を含む6人が重傷を負った。

 犯人は、バラウィという名のクウェート生まれのパレスチナ系ヨルダン人医師で、イスラム過激派の主張に同情する活動家だったが、ヨルダン情報機関が彼を拘束して「家族の安全を保証しない」などと脅迫して転向させてスパイに仕立て上げ、パキスタン北部のアル・カイーダ基地に送り込んでいた。彼は09年春にアラブ義勇兵を装って潜伏に成功、同夏頃から極めて確度の高いアル・カイーダの内部情報をGID経由でCIAに送り届け、第一級のスパイとして高い評価を得ていた。が、もちろん転向は偽装で、彼は本物のアラブ義勇兵だったのである。

 バラウィは頃合いを見て、アル・カイーダNo.2のお尋ね者アイマン・ザワヒリの隠れ場所についてとっておきの情報があると誘い水を打ち、色めき立ったチャップマン基地の幹部が支局、本部、ホワイトハウスにまで連絡をとった上、この日バラウィを迎えることになった。基地警備責任者のアフガン軍人が運転する迎えの車に乗って二重三重の検問をチェックなしで通過したバラウィは、車を降りると、玄関前で列を作ってにこやかに"英雄"を出迎えたCIA幹部らの目の前で爆弾チョッキを炸裂させた。

 一度に7人ものCIA要員が殺されたのは数十年来なかったことで、それだけでも歴史に残る大失態だが、それ以上に、彼らのうち少なくとも5人はCIAでも数少ない対テロ、対アル・カイーダ情報活動の専門家で、それを一度に失ったことの打撃は計り知れなかった。彼らはこの基地で主としてパキスタンとの国境地帯の情報を収集し分析しては、ハイテク無人攻撃機プレデターを飛ばしてテロリストの居場所とされる部落にミサイルを降らせ、これまでに20人以上の重要幹部を爆殺したと自慢していた。しかし、米国にとっては"綺麗な"この戦争も、アフガンやパキスタンの民衆から見れば、誤爆や巻き添えで数千人の罪のない人びとを殺してきた汚い戦争で、確かに20人以上の幹部を抹殺したのかもしれないが、その何倍か何十倍かの若いテロ戦士を増やしているに等しい。

(2)マクリスタルの失敗 

 3万人増派開始を受けた第1波軍事作戦として今年2月に着手された、南部ヘルマンド州のタリバン拠点=マルジャに対する米・アフガン連合軍1万数千による総攻撃は、早々からロケット砲の誤爆で市民12人を殺害するという大失態を引き起こし、戦争と民間懐柔を同時に進めるなど到底無理であることが露わとなった。マクリスタル駐留米軍司令官(当時)はカルザイと現地住民に詫びを入れ「当分の間ロケット砲の使用を自粛する」ことを約束したが、こんなことでは作戦の成功はおぼつかなく、一旦はマルジャを占拠したものの、4月以降は再びタリバン軍のゲリラ的攻撃に晒されている。6月16日に米議会で開かれたアフガン戦略に関する公聴会では、掃討が進まず米兵の死者が過去最悪のペースに達していることへの議員たちの怒りが爆発し、「マルジャの掃討が成功したというのは本当か」と問い詰められたゲーツ国防長官は、「マルジャはタリバン支配からは解放された。予定より進捗は遅れているが、民生支援計画も始まっている」と苦しい弁解に終始した。

 こうした状況で、当初は引き続き着手されることになっていた南部カンダハル州カンダハルへの第2波大作戦は8月以降に延期された。マクリスタルが酒を飲んでホワイトハウスに悪態をつくしかなかったのも当然と言えた。

(3)カルザイの失敗

 3月にアフガンを訪問したオバマ大統領がカルザイ大統領に面と向かって「汚職・腐敗の根絶」を要求したのに対して、カルザイは「西側と国連は我々を傀儡政権にしようと言うのか」と反発、両者の関係は一時冷え切っていたが、このままではまずいということで双方歩み寄り、5月10日カルザイ訪米が実現した。12日発表された共同声明で米国は、カルザイが進めようとしている「アフガンの再統合と和解」の努力を支持し、特にカルザイが近々開催する予定の「平和協議ジルガ(長老大会議)」に歓迎の意を表した。

 そのジルガは、6月2日首都カブールに全土から部落長老や宗教指導者1600人が集まって開かれたものの、冒頭、カルザイが「タリバンとの対話方法を模索し、アフガン人の手で平和を築こうではないか」と演説をしているその最中に、会場近くにまで潜入したタリバン戦闘員が数発のロケット弾を撃ち込み、警備部隊と銃撃戦を演じるという皮肉な事態となった。もちろんそれは予想されなかったことではなく、5月に入ってからタリバンの米軍基地や州政府・警察などへのゲリラ攻撃が各地で続いていることから、このジルガも2度まで日程を変更し、当日は1万2000人の警備部隊を配置して万全を期したはずだった。政府高官が顔を揃え、多くの各国外交官も列席する中でのこの大失態に、カルザイは激怒し、直ちにハニフ・アトマル内務相とアムルラー・サーリフ国家治安局(NDS)長官のクビを飛ばした。

 ジルガは、タリバンと和解し彼らを政権構造の中に入れるというカルザイの路線を言葉の上では一応支持したが、この騒動自体がむしろ、タリバンと戦争しながら政治的に妥協するなど絵空事であることを示していた。

 辞任したサーリフはその後メディアにしばしば登場し、警備の失敗を認めながらも、「なぜ殺人者であるタリバンに頭を下げなければならないのか」と和解路線に公然と反対を唱え、さらにパキスタンの軍情報部(ISI)がタリバンを支援していると口を極めて非難している。サーリフは、北部同盟の中心勢力の1つだったタジク人系の故マスウード司令官の系統で、根っからのタリバン=パキスタン嫌いである。

 こうして、1年後の米軍撤退開始を確実にするためのCOIN戦略は、どの面から見てもすでに半ば破綻している。ペンタゴンや議会には、マクリスタルの後をペトレアスが襲ったことで、かえってCOIN戦略を見直すチャンスが遠のいたとの嘆きが聞かれる。年末までに事態に改善が見られない場合、オバマとしては、さらなる部隊の大増派で一気に軍事的に決着か(と言っても物理的・財政的に無理だろう)、バイデン案の軍事目標限定か、何らかの戦略大修正を迫られることになろう。▲

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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