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2010年3月31日

《第16回》竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:よ〜く覚えておこう!供述調書は検察がいうところの 『真実』に沿ったものしか作成されへんよ!

3月29日(月)花冷えなんてもんやない、寒風の大阪!ぶるぶる...(^o^;

あ、今朝も江川さんが傍聴に来られてる! 早朝東京を出られたそう。紹子さん、ありがとうございますm(__)m

傍聴席に入ると、江川さんに名刺を渡して挨拶する傍聴者あり。
う~む、さすが著名なジャーナリスト!! 今日は、厚子さんのお嬢さんも傍聴に。

10:05開廷。
今日は上村、河野、木村の3氏を取り調べた國井検事2回目の出廷。彼こそ私に「検察の取調べノウハウ」を書かせた検事だ。再度、第9回公判傍聴記(被疑者ノートを公開したTOM氏の傍聴記も併載)を確認の上、今日の傍聴記を読んで戴ければと思う。
http://www.prop.or.jp/court/2010-02-25.html

今日の公判は、検事側からの尋問で公判の幕開け。

白井検事「あなたは遠藤検事と途中で上村氏の取調べを交代してるが、上村氏が村木被告の関与を否定していることを聞いていたか?」「いえ、聞いていません」「遠藤検事の調書は読んでいたか」「いえ、読んでいません。でも前田主任検事からは(村木元企画課長の関与を)聞いていた。」と國井検事が答える。

先日出廷した林谷検事を含め「前田―林谷―國井」3検事が、厚子さん主犯説を主導したことが、冒頭から明確になったことを実感する。

「あなたは上村氏の否認証言を調書にしていないが・・・上村氏が(調書に書かれた村木主犯説を)覆す可能性が有ったのでは?」と聞く白井検事。

「最初から単独犯と主張していたので、覆す可能性を感じた」と応える國井検事。

「なので、村木さんやあなたの起訴は決定してるよと(上村氏に)伝え、もう一度きちんとはなして下さいというと上村氏は・・・スラスラと、翻すことなく喋ったので、調書にした。否認している間は不確定な状態なので調書にする必要はない。(被疑者が)『真実』を語ってから調書にする。」と応える國井検事。

どうやら「真実はすでに決まってるんや、それに沿って供述せんかい!」っていうのが、検察の姿勢らしい。もしかして心の底では「裁判も不要」って思ってる!?

「上村氏が、被疑者ノートに取調べの様子を詳細に書いているのは知っていたか?あれは真実か?」と白井検事。「自分の記憶とは違う。彼は揺れていたということだと思う。それにしても、うまく私の会話を取り込んで狡猾に書いているなぁという印象だ。」上村氏の被疑者ノートを真っ向否定する國井氏。

「被疑者ノートに、トランプを2回したことが書かれてるが・・・どんな理由でトランプを?」と白井検事が聞く。

「最初は、両親が面会するという前日に、暗い顔をしてたら心配をかけるだろうということで、トランプをした。2回目は保釈前日。翌日保釈されて外へでるとマスコミが居てインタビューされるので、暗い顔では・・・と(本人が)気にしてたので、気を楽にさせるために、トランプをした。」まるでブラックジョークのような話を、平然と語る國井検事。「もう何を言っても無駄、あきらめた、投げやりな気持ちになった・・・」と被疑者ノートに心情を吐露した上村氏。

そんな上村氏を、まるで親切心からトランプ遊びに誘ったかのような國井検事の証言に、國井氏の取調べに対する冷酷な姿勢が伺える。猛獣が、か弱い小動物を弄ぶかのような取調室の風景を想像し、慄然とする私。

上村氏は被疑者ノートに「取調室に行ったら今日はトランプを持ってきたから一緒にやろうと大貧民とかダウトをやった。嫌だというとどうなるかわからないから応じた。こんなことしている時間があるなら早く調べて早く出して欲しかった。」と記している。

「取調べメモについて聞くが」と話題を変える白井検事。「メモはいつも取っているのか? 破棄の理由は?」質問にキッとした口調で國井検事が答える「私はメモをとるために取調べをしてるのじゃない! メモは全て調書に反映してるので、破棄に問題はない。」

國井検事に言い返された白井検事は「上村氏は調書が間違っていると公判で証言したが・・・」と尋問しかけ、少し間をおいて尋問内容を変える。「取調べでは号泣した後、村木さんの指示を認めたんですね?」同僚である國井氏の態度に気分を害したが、気を取り直そう・・・と自分に言い聞かせたかのように見える白井検事。微妙な態度の変化が感じられる。

公判直前に、塩田氏に石井議員との交信記録が無かったことや、(倉沢氏の押収物に)実は名刺が無かったことを北村元課長補佐に知らせたばかりでなく、取調べメモの破棄を問題視する白井検事と、今回の事件を政治案件&厚労省ぐるみ犯罪というストーリーに創り上げて、村木厚子現役局長逮捕を実行した、前田―林谷―國井3検事ラインとの「確執」が、ほんの少しだが垣間見えた瞬間だった。

白井検事は、上村氏が最初の取調べから「単独犯を主張していた」ことを、どう考えるかと國井氏に重ねて聞くが、「単独犯である動機が、予算で忙しかった、凛の会からせかされて一人でやったなど、同じ国家公務員として私にはそんな動機は理解できない! 偽造とはいえ稟議書も作成しているし不自然な供述だ。フロッピーのバックデートなど、第3者の指示があったに決まっている、村松氏など周りのみんなが証言してる、と追及すると、ちくしょう!と号泣しながら、分かりました、認めますと・・・そういう流れだ。」白井検事を鼻先であしらうように応える、國井氏。

◇  ◇  ◇

ここで尋問が弁護側に変わる。

弁護側は、國井検事が上村氏取調べの当初から「(上村氏が)大臣印を勝手に使って(本事件とは無関係の)証明書を作成したことがある」ということや、「厚労省職員が、法令集への執筆謝金を係長の口座(当時の係長は上村氏だった)にプールしていた、いわゆる裏金事件」などの話題を上村氏に投げかけ、「色んな不正を働いていたことは分かっている」と、あたかも別件での逮捕や勾留延長が有るかのように迫って「村木課長主犯説」を供述させた取調べ手法に、疑問をなげかける。

「それは脅しではないか!?」と問う弁護人に対し「真実を話すことを渋るので(裏金の件などを知ってると伝えて)楽にしてあげようと思った。色々やってるのに、この事件だけ隠しても意味ないことを伝えただけ。」と國井検事。

う~む、検察の取調室に連れ込まれたら、どんなささいな悪事でも(大きな悪事は勿論のこと)調べ上げられ、追い詰められ、いったい自分が今、何の罪状で取り調べられているのか分からんような心理状態に追い込まれ、自分の返答の結果の軽重を自覚する機会も与えられないまま、喋らされ、検察がいうところの『真実』に沿った供述調書が作成されるものなんや、ということを、よ~く覚えておこう!! そして、疲れ果てたら「トランプ遊び」をさせられることも・・・

心底「怖いなぁ・・・」と思いながら傍聴していたが、少しだけ痛快な場面が。

國井検事は、木村氏(石井議員の事務所に、河野氏とともに口きき依頼をしに行ったことを否定した証人)への取調べで、机を叩いたり大声をあげたことから、木村氏の弁護人から「脅迫まがいの取調べだ」と申し立てがなされ、検察の中で「調査・措置」が行われた。その内部調査の記録を、弁護人が裁判長の承諾を得て法廷内のディスプレイに表示すると、猛烈に抵抗をはじめた。

その記録、大坪弘道特捜部長作成の「取調べ関係申し入れ等対応票」によると、佐賀元明副部長の聴取を受けた國井検事は「(取調べにおける)木村氏は、真摯に記憶喚起に努めており、机を叩く必要はなく、そのような事実は無い」と述べたことになっている。
この弁明によって、大阪地検は「恫喝的取調べは無かった」と判断したようだが、今日の國井氏は証言席で、怒鳴ったことと机を叩いたことを認めている。
証言の信憑性が、根底から疑われる状況に慌てた國井検事は、「副部長と自分の間で認識の齟齬が有っただけだ」と、さかんに弁解を繰り返したが、弁護人から「では、特捜部長名で出ているこの文章は、作文だと言うんですか!?」と問われ、傍聴席からも失笑が湧いて、唇を噛むという一幕があった。

しかし「少しだけ痛快」だったのは一瞬のことで、その後、國井検事が木村氏に「弁護人解任届」を書かせたことが明らかに。弁護費用(の額?)のことを國井検事に相談をした木村氏に「弁護人は解任できる」と言うやいなや、すぐさま検察庁の紙を持ち出し、書き方を指導(!?)しながら自筆で「解任届」を書かせ、即刻木村氏の弁護人は解任されたという。その「解任届」もディスプレイに表示された。

「検察庁に解任届を出しても弁護費用の問題解決にはならないということは、法律の専門家ではない木村氏には分かりませんよね。解任しても、費用の話はそのまま残るんですよ。」と、國井検事の画策を指摘する弁護士。検察はそれで溜飲を下げたとしても、木村氏が相談したかった「弁護費用の話」には、実はな~んも繋がらないのだ。弁護士の指摘に、「はぁ」と鼻先で答える國井検事。「(これで)けっこうです!」と、弁護側が尋問を打ち切った。

◇  ◇  ◇

検察側、弁護側の尋問が終わり、裁判官たちがとりまとめの尋問に入る。

右陪席裁判官が「組織的犯罪だと國井検事が考える理由」について、聞く。「キャリアからノンキャリは蔑視されており、上村氏はノンキャリ仲間を庇って単独犯だと言っていた。ノンキャリの仲間に迷惑をかけたくないと思っていたのだ。」と國井検事。「ノンキャリの上村氏が単独でやっても、迷惑をかけることに違いはないのでは?」と裁判官。「単独と組織的とでは重みが違う。」と答える國井氏。「そのように上村氏が供述したのですか?」と裁判官。「いえ・・・私がそう感じたということです。」

「木村氏に対して、大声や机をたたいた理由は?」「足を組むなど態度が悪かったことや、客観的証拠を示しても『分からない』などと言って、真剣に対応しなかったから。」と國井氏。「机をたたくと、すぐ変わった?」「他人事のように考えていた、申し訳なかったと謝った。」「被疑者としての取調べですよね。逮捕されるのではないかと感じている状態ですよね。」「はい・・・」

左陪席裁判官からの尋問に移る。「ノンキャリが虐げられ、蔑視されていることが(本当に)動機なんですか?」「それが背景にある。」「本件の背景に?具体的には?」「キャリアから汚れ仕事をやらされるのがノンキャリ。」「具体的には?何人のキャリアから?」「塩田、村木・・・と聞いた」「かなり特定されますね。」「この話は、特定というより厚労省全体に渡っている。この件だけではない。直さなければいけないと上村氏は言っていた。」と國井検事が言う。「それなのに単独犯と主張? 矛盾していない?」と裁判官が突っ込む。「たしかに・・・でも、同僚の心配をしていると思った。」「同僚?具体的には誰?」「・・・一般的に・・・特に誰ということではなく・・・」口ごもる國井検事。

「上村氏の不眠について。眠れないと言ったのですね」と聞く裁判官。「寝付きが悪いと言っていた」と國井氏。「薬は?」「必要なら拘置所で処方されるでしょう」「一般論を聞いてるんじゃないんです。」と裁判官。実際には、薬は処方されなかった。

最後に裁判長が、メモ破棄に関して再度聞く。「上村氏が公判で(証言を)ひっくり返すという危惧は?」「はい、ありました」と國井氏。「すると調書との食い違いが出ますね。裏付けをとっておこうとは思わなかった?」裁判長の問に國井氏が声を強めて「メモや被疑者ノートと調書では重みが違います。調書は署名し指印を押してある。メモはとっておく必要は無いと思っています。」と、言い張る。「検察事務官は、たとえば上村氏が泣き出したとか記録はとってる?」「何もメモしてないと思います・・・そんなこと書かないですね。」となぜか少し笑いを含んだ声で答える國井検事。「(被疑者の供述時の態度は)調書を読むと思い出すので、大丈夫ですよ。」

「こういう時は保釈が難しい、といった話は?」と裁判長。「ふだん刑事事件をやってるので、いくつか事例を・・・一般論で言いました。」「今回の事件で保釈になるかどうか、という話は?」「調書に書いてる一回だけ。保釈前日に弁護人と迎えの車の話をした時だけ」「余罪について、穏便にすると言ったのは?」「本人が再逮捕を怖がっていたので・・・個人的には大丈夫と思う・・・と別れ際に言いました。」「あなたが紙に、塩田、村木、上村など相関図を書いたと、被疑者ノートにありますが。」「氏名と矢印を書いた記憶がありますが・・・あれは彼のほうから、供述の概要を教えて欲しい、弁護人と相談させて、と言われたので、分かりやすくなればと思って書いたのです。」と國井氏。

「終わります!」裁判長が、もう充分、という声で終了を告げる。

最後の尋問で「取調べ中に起きた多くの出来事が、供述調書には記載されていないこと。そしてメモは破棄されていること。」を裁判長が明確にして、國井検事の証人尋問は終わった。

休憩のあと2名の検事の尋問が残っているが、上京の時間が迫ったので、江川さんに後を託して大阪地裁を出なければならない。夕刻から、総理主導で設置された「雇用戦略対話」のワーキンググループ(WG)会議に出席するのだ。過去に2回、官邸で開催された「雇用戦略対話 本会議」にゲストで招かれたが、一人3分間の制限があったうえに意見交換の時間も無かったが、今日から開催されるワーキンググループでは「エンドレスの議論」が出来るという。(注:会議終了後にこの傍聴記を書いているが、残念ながら第1回のWGは、エンドレスではなかった!)

メンバーは、労働界から連合、産業界から経団連と日本商工会議所、全国中小企業団体中央会、有識者として慶応大の樋口教授と北大の宮本教授、そしてナミねぇという顔ぶれ。厚子さんと一緒に長年取り組んできた「チャレンジドの就労促進とユニバーサル社会の実現」について、厚子さんの分も一生懸命発言しなければ!と決意を新たにする私。

法廷を出る前に、厚子さんとハグを交わす。

今日の厚子さんは、チャコーツグレーでスタンドカラーというとてもお洒落なスーツ姿。「めちゃ似合っててナウいやん!」と、思わず古臭い言葉で褒めてしまう。「ありがとう」と、はにかむ厚子さん。

今日で、取調べ検事の出廷が終わり、次回からは3回にわたって「被告人質問」つまり、厚子さん自身が証言台に立つ日が続く。

「頑張ってな!!」と厚子さんの耳元でささやいて大阪地裁を後にし新大阪駅へ向かう。
寒風の中で健気に咲く新御堂の桜に、厚子さんの姿をだぶらせながら・・・・

○追記

私は第16回公判傍聴を中座したが、江川紹子さんの傍聴によって、國井検事に続く遠藤検事の尋問において裁判長が「取り調べ検事の裁量で録音録画することは認められないのか」と問い「申請したことがない。(取り調べを行った)拘置所には器具はないし」と遠藤検事が答えたところそれに対し... 「ICレコーダーとかがあるでしょう」と、裁判長がソフトな口調で鋭い突っ込みを入れたとのこと。

結局、取り調べ状況を記録に残す「可視化」が必要であると、一連の検察官証人が如実に示す結果となった公判であった。

<文責:ナミねぇ>

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

2010年3月30日

さあ、鳩山政権、ここが正念場(その2) ── 普天間移設問題の結着成るか?

takanoron.png 訪米中の岡田克也外相は日本時間今夜、ゲーツ国防長官及びクリントン国務長官と会って、沖縄海兵隊の普天間基地の移設問題について日本政府の検討状況を説明する。それに先だって岡田は記者団に、日本側が辺野古沖の現行案を含め「ゼロベース」で複数の案を検討中であることを米側に伝えるのみで、1つ1つの案の中身にまで踏み込んで議論することにはならないと語った。

 これについてマスコミは、鳩山由紀夫首相が26日の会見で「最終的には政府案を1つにまとめなければ交渉をやることにならないので、3月末を目途にまとめなければならない」と語ったことと「食い違う」と責め立てているが、これは岡田が「閣僚間では3月に1つにまとめるとは話していない。米国との調整を踏まえて5月末までにまとめるのが政府案だ」と言っているのが正しい。3月末までにまとめるのは、いくつかの有力案を交渉材料として絞るということであって、最終的に1つに絞られて公表されるのは米国側及び沖縄を含む国内地元との調整が終わった後の成案以外にあり得ない。岡田が言うように「早く一つに絞ると、米国、地元(沖縄)との関係がうまくいかなくなった段階で(案は)なくなってしまう」からである。鳩山も、3月末に絞った案を公表するかどうかについては言葉を濁し、「交渉事だから機密はあるが、一定の段階では公表して国民の理解を得たい」というような言い方をしたが、彼の物言いは全体として不正確で誤解を招きやすい。

 もう一度繰り返すが、(1)3月末までに複数の有力案を政府としてまとめるが、もちろんそれを公表することはない、(2)それらの案を持って米国側、現地側と表と裏で対米交渉と国内調整を行う、(3)5月末までに必ず交渉・調整を成し遂げ、その段階で公表するから、マスコミはああだこうだと片々たる情報を書き飛ばして政府を妨害することは止めて貰いたい----と鳩山は言えばよかったのである。

●本質は対米「抑止力」論争

 それにしても、本論説が昨年11月以来繰り返し(i-NSIDER No.521、524、とりわけ533と536で)述べてきたように、鳩山政権が「なぜ一部でなく全部がグアムに撤退できないのか」を一貫して執拗に米国側に問いかけて、「在沖縄海兵隊の抑止力とは何なのか」という論争を真正面から挑まなかったことが悔やまれる。

 それを国民の眼前でやってきていれば、仮に「5月末」でその論争に結着がつかなかった場合でも、鳩山は「我が政府としては今後も引き続きグアム全面移転を目標として粘り強く交渉を続けていく」と宣言し、それを前提に、「しかし"世界で一番危険な基地"である普天間は一刻も早く撤去しなければならないので、あくまで暫定措置ということで移転先を○○に引き受けて頂く」という説得の仕方もあったはずなのだ。ところが鳩山も岡田も、岡本行夫あたりにすっかり騙されて、早々と「海兵隊の抑止力は必要」などと口走ってしまった。

 彼らがアドバイスを受けるべきだったのは、すでに本論説がこれまでも引用しているように、例えば柳沢協二=前内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。

「普天間問題の核心は、抑止力をどう考えるかにある。...問われるのは『海兵隊が沖縄に駐留することで得られる抑止力とは何か』だ。それを明らかにしなければ、普天間問題は永久に迷走する。...冷戦期、米ソは明確に敵対していた。だが今日、米中日は生存のためお互いを必要としている。経済の相互依存の深まりが抑止戦略をどう変化させるのか、検証が必要だ。...自戒をこめて言えば官僚も政治家もこれまで、そういう深刻な戦略問題を十分に検証してこなかった」(1月28日付朝日新聞)

 例えばジョージ・パッカード=米日財団理事長(元ライシャワー駐日大使特別補佐官)。

「今も沖縄にあれほどの基地が必要なのか。想定している敵はどこなのか。北朝鮮はどう出る、中国をどう見る。そんな掘り下げた議論をしないで、やれ離島だ、やれ既存基地だと、候補地をむやみに挙げるばかりでは、いつまでたっても解決しません」(2月17日付朝日新聞)

「そもそもなぜ海兵隊が沖縄にいるのか、彼らは何の脅威に対抗しようとしているのか、と問う人もいる。 ワシントンは鳩山新政権に普天間基地の問題を解決するために[5月末などと言わずに]もっと多くの時間を与えるべきである。しかしそのような問いにも鳩山の懸念表明にも応えようともせずに、ゲーツ国防長官は昨年10月に東京に来てただ06年合意を実行するように迫った」『フォリン・アフェアズ』3・4月号)

 このようなアドバイスに従えば、日米では次のような対話が成り立っただろう。

日「海兵隊の沖縄駐留は本当に必要なのか」
米「抑止力の維持である」
日「抑止力とはどこからのどういう脅威に対する抑止なのか」
米「日本防衛と東アジアの安定に決まってるじゃないか」
日「まず日本防衛だが、今時、大挙して日本に渡洋侵攻・占領しようとする意図と能力を持った近隣国があるのか」
米「全くないとは言えない」
日「そうとは思わない。では、96年合意で在沖縄の海兵隊のうち8000人をグアムに引いて5000人を残すというのは、どういう脅威の見積もりから出てきた話なのか」
米「他にもいろいろな危機がありうる」
日「具体的に言って貰いたい」
米「例えば台湾海峡危機だ」
日「第7艦隊は急行するが海兵隊が出て地上戦闘に加わることはないだろう」
米「北の核の危険もある」
日「大規模陸上戦闘ならともかく核の脅威と海兵隊は無関係ないでしょう」
米「海兵隊はイラクやアフガンに出撃しているし、またインドネシア災害出動やパプアニューギニア人権活動にも従事している」
日「それは沖縄から出て行かなければならないことではない」
米「...」
日「全部、グアムに移転したらどうなのか」
米「グアムの知事もこれ以上の基地負担には反対している」
日「それは米国内の問題だ」
米「...」
日「近い将来、グアムかハワイか米本土か、どこでもいいが、沖縄から海兵隊を全面撤退させることは可能ではないのか」
米「...」
日「結局あなた方は、占領・冷戦時代の惰性で、沖縄に基地を置く既得権益を守ろうとしているだけではないのか。96年合意のグアム移転費用も残存部隊の駐留費用も普天間代替基地の建設費用も、大半を日本国民の血税で負担する以上、我が政府としては国民に対して説明責任を負っている」
米「...」

●勝連沖という案は面白い

 こういう論争をやってきていれば、あくまで暫定ということで、県内にせよ県外にせよ移転先を見つけることは不可能ではなかったろう。それがないままに、政府がいきなり県内・県外の移転先を「あそこだ」「いや、ここだ」と言ったところで、そんなものが通るわけがない。何万、何十万の抗議集会が開かれて「鳩山内閣打倒」が叫ばれて一巻の終わりとなる。

 従って、まず対米交渉の基本姿勢の立て直しが求められるのであるけれども、その上で、いまあれこれと取り沙汰されている案の中では、ホワイトビーチ(勝連沖)案というのはなかなか面白く、意外や意外、最終的な落とし所となる可能性を秘めている。少なくとも、小沢一郎幹事長 〜 平野博文官房長官のラインはそこを睨んでいるようである。

 勝連沖案とは、「県内」には違いなく、従ってハナから無理と見る人が多いが、そのなかなかに奥行きのある中身はあまり知られていない。

 これは、勝連沖の離島一帯に1000ha以上の巨大な人口島を建設し3600メートル級滑走路2本を整備、米海兵隊の普天間基地(481ha)だけでなく牧港補給地区(275ha) 、米陸軍の那覇軍港(57ha)、海空自衛隊の那覇基地(210ha)などを集約移転させ、自衛隊管理の日米共用基地とする案で、沖縄経済界の重鎮である太田範雄=沖縄商工会議所名誉会頭が2003年頃から提唱しているものである。

▼辺野古沖現行案と比べ珊瑚礁を破壊しないで済む。というのも、この一帯ではとっくに珊瑚礁が死滅しているからである。ただし、ここは最良のもずくの漁場で、それに対する漁業補償は必要となる。

▼辺野古沖は水深15メートルで本島や周辺の山を切り崩しても埋め立て用の土砂が調達できず、皮肉なことに中国から大量輸入しなければならないので、最悪の場合総工費1兆円になるかもしれない。それに対し勝連沖は水深3メートルの珊瑚が死滅した砂地で、それを浚渫すれば現場で土砂の調達が可能となる。中国をも睨む海兵隊基地を中国から土砂を輸入して作るというのはほとんど漫画である。

▼海上基地なので辺野古沖やシュワブ陸上に比べ騒音被害は極めて少なくて済む。

▼工期は2年程度で辺野古沖に比べて短かい。

▼第2段階としてさらに嘉手納空軍基地などの再編・一部機能移転などが可能になり、それが巧く行けば、沖縄本島の米軍基地面積の4分の3が縮小される(勝連沖の人工島などの日米共用化を含むので、あくまで名目上の数字ではあるが)。

▼米軍撤退後には人工島を東アジアの民間物流拠点や航空機修理施設として活用可能で、基地なき沖縄の経済発展をも視野に入れている。

▼主唱者が太田なので沖縄経済界や地元を説得しやすい。太田は1979年に沖縄・金武湾の離島を埋め立てて政府の石油備蓄基地を誘致し、地元の反対を説得し抜いて実現した実績がある。

▼最も強力な米側賛同者はロバート・エルドリッジ=在沖縄海兵隊外交政策部次長である。エルドリッジは神戸大学の五百旗頭真(現防衛大学校校長)の研究室で日米関係、沖縄問題を研究、著書多数でそのうち『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞も得ている。神戸大の後、米太平洋軍海兵隊司令部グレグソン司令官の政治顧問を務め、日本に戻って大阪大学准教授に就いたが、昨年8月に現職に移った。阪大時代の05年9月にに太田と協力して勝連案を緊急提言(添付資料)、その直後の05年に太田をグレグソンに会わせて説明させている。

 『週刊現代』4月3日号によると、太田は昨年10月に小沢幹事長に会ってこの案を説明、小沢は「こんないいプランがあったとは知らなかった」と言った。以後、平野は小沢の指示でその線で動いていて、今年2月には太田が北沢防衛相にも説明している。

 というわけで、この案は、言うまでもなく沖縄が一致して求める「県外」とは背馳し、民主党の「県外、国外」の公約にも違反するが、今のところ唯一の落とし所となるかもしれない有力案となりうる。▲

---------------《資料》---------------

《ロバート・D・エルドリッヂの緊急政策提言 2005年9月24日》

沖縄の基地問題への実行性のある包括的かつ長期的な解決及び日米同盟の真の強化のために

《背景》

 ブッシュ大統領が米軍の変革と世界的な基地再編を発表してほぼ2年になるが、日本に関して、とくに沖縄に関して言えば、実際の目に見える形での進展はほとんどない。日米両政府は、先の衆議院選挙も含め様々な理由で先延ばしになってきた中間報告を10月に発表すべく、準備を進めていると報じられている。しかし筆者は、この努力が実を結び目標----実際に抑止力を維持しつつ、地元、特に沖縄への影響を可能な限り軽減するという目標----を達成できるかどうかは疑わしいと考えている。

 疑わしく思う主な理由は、交渉の結論が、1972年の沖縄返還以降、日米同盟関係を蝕んできたガンに対して効果的な手術をするのではなく、ただ応急処置をするだけのようなものになるだろうと思うからだ。土地の返還、基地の統合、新たな施設の建設、訓練の制限などといった問題を解決するためのこれまでの取り組みも、病気そのものではなく症状のみに対処する上で最善の一時的な応急処置でしかなかった。1995年から96年の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)でさえも、重要性はあるものの、問題に完全に対処することはできなかった。実のところ、その合意の目玉であった普天間の返還は、ガンを切り離し縮小するのではなく、かえってガンが広がる結果を招いてしまった。その結果、日米それぞれのリーダー達は、世界中の人々に平和と繁栄をもたらすという、地域的・世界的な共通の目標に向けて同盟関係を発展させていくのではなく、ミクロなレベルでの同盟関係のマネージメントにとらわれてしまっており、同盟関係の可能性を十分に実現できずにいるのである。

 いま必要なのは、大手術である。過去の問題を解決する上で「正しい事」を行うためには、そしてこれが同様に重要なのだが、同盟関係を健全な基盤に置くためには、沖縄の直面する問題に対し、実行可能で、包括的、かつ長期的な解決策を見出し、同盟関係の可能性を十分に引き出すことが必要なのだ。現在我々は、分岐点にいる。返還以降初めて、沖縄が「負担」と呼ぶ数々の問題に真剣に対処しつつ、基地の構造および米軍各軍が相互に 関わる方法の両方を根本的に変えることができる地点にいるのだ。イマジネーションを働かせて刷新的な解決方法を生み出し、勇気ある大胆な決断を下すことで、このチャンスをつかまなくてはいけない。

 本提言は、様々な議論に弾みをつけるだけでなく、そのような解決策を示すために策定したものである。これが、さらなる議論を可能にするたたき台となることを期待する。本提言は特に、10月に発表が予定されている中間報告までに基地のあり方を大きく変更するための具体的な提案を行い、進むべき方向を示すことを目的としている。また、中間報告と最終報告の発表の間までに、さらなる基地の統合および閉鎖を求める。現時点から中間報告までの間、そして中間報告から最終報告までの間の二段階に分けるやり方は、現在の指導力の欠如した議論よりも現実的なアプローチであるように思われる。

 ただしここで、以下に挙げる2つの理由により、完璧な解決方法というものはないということを言っておかなくてはいけない。まず民主主義においては、お互いの要求は異なるものであり、指導者は、多くの意見を聞きそれを調整した上で、特定の個人や利益ではなく全体的な視野に立って、何がその県または国にとってベストかを判断することであるべきである。そのため、特定の問題や見解に関して「不十分な」ところもあろうが、総体的な結果は多数派の利にかなうものになる。第2に、いわゆる「沖縄問題」においては、関係者が3者いる。沖縄県、中央政府、米国である。この3者の利益は重なる部分もあるが、異なる部分もある。重要な事は、原理主義に陥るのを避け、他の二者の立場を理解し、相互理解と合意を得るということである。コンセンサスの範囲を広げれば、協力の基盤が得られる。イデオロギーにより、コンセンサスを求める必要性や、例えば自衛隊や米軍との協力を拒む者もいる。筆者はこれらの人々に対してこう言いたい:あなたも問題の一部なのだ。今や、解決策の一部となる時が来ている。 《前提》

 本題に入る前に、いくつかの前提を紹介したい。第1に、筆者は日米同盟を、近代史上最も重要で相互に有益な同盟関係の1つと考えている。日本と米国それぞれの利益、共通の利益、地域そして国際的な利益にかなうものであり、将来のためにも世界のためにも、これを足場としていくべきである。日米のパートナーシップがなければ、この地域の状態はもっと悪かっただろうし、世界全体の状態も同じであろう。もし現在日米間で行われている協議が、このまま向かっている結論に到達すれば、それは同盟関係を強化するのではなく、実際には政治的にも戦略的にも悪化させるのではないかと恐れている。

 第2に、この地域そして同盟関係における米軍の役割は、より重要になっている。米軍のプレゼンスが必ずしも「冷戦の産物」であり、冷戦終結後は必要のないプレゼンスというわけではない。それよりももっと普遍的な--特定の国の脅威よりも、不安定な危険に対処する--存在なのだ。日米同盟に関しても同じ事が言える。だからこそ、米軍、特に海兵隊は、世界各地で抑止力として貢献したり、必要とあれば侵略や自然災害・人災に立ち向かったりして、かつてないほど忙しい日々を送っている。しかしそれだけではなく、「戦域安全保障協力」として知られるプログラムの中で、他国の軍隊と協力関係を積極的に結んでいる。同プログラムは、地域の国々が協力し、防衛政策と軍事行動において透明性を保ち、能力を高め、相互に信頼と尊敬の念を培う習慣を根付かせるためのものである。この協力関係は、互いへの疑念を打ち砕き、より安定した地域を創り出す上で役立っている。

 米国主導の活動の中で、海兵隊はこの部分において主要な役割を果たしている。彼らなしでは、同プログラムの費用は増大し、頻度は減少し、効果は薄れてしまう。その結果もたらされるのは、地域の不安定さである。このような理由から、また同盟の利益を守るという伝統的な任務からも、筆者は、米軍、特に海兵隊の前方配備は、日本において特に沖縄において今後も必要だと考える。沖縄においては、その地理戦略的位置と素晴らしい施設が、必要性の理由である。(海兵隊の多面的任務に照らして見れば、数を増やす必要があると言うことすらできる)。そのため、海兵隊の削減を求める意見は、イデオロギー的な理由によるものであれば別だが、軍事問題、戦略(外交的戦略と軍事力とは強く結びついている)、海兵隊の役割といったことに対する理解が欠落していることからくると言える。しかしこれは、海兵隊が、例えばその方針において変化を一切拒むという意味ではない。海兵隊は、実は信じがたいほど柔軟な組織なのである(ほとんど知られていない事実だが)。ただ、海兵隊も数ある組織のうちの一つであり、官僚的な議論においては、直接彼らに関わる問題であっても(なぜか)多くの場合積み木の一番下に置かれてしまうのだ。そのため、海兵隊自身は状況を変えたいと願っていたとしてもその力が与えられず、沖縄では「悪者」にされてしまうことがよくある。

 第3の前提は、沖縄も含め、皆が痛みを分かち合わなくてはいけないということだ。米軍内では、再編を現実にするために各軍が地元で互いに前向きに協力しなくてはならない。

 日本政府も前向きに、資金を提供し、防衛に関して、基地の共同使用も含め自衛隊が主体的な役割を果たせるようにしなくてはいけない。沖縄側も、前向きに協力し、沖縄が言うところの負担を軽減する上での新たな責任を受け入れなくてはいけない。

 同様に、第4の前提は、多くの理由から、沖縄は様々な問題に関して「犠牲者」というよりも自ら進んでなった共犯者であり、したがって沖縄の将来は実は沖縄の手にある(これまでもそうであってきた)ということである。問題は、非常に多くの場合、相反する利害とリーダーシップの欠如により、沖縄の前進する道が阻まれてきたことである。前に進む代わりに、一方からもう一方に跳ね返っているだけのようである。今こそ、これまでのどんな時よりも、沖縄にはリーダーシップが必要であり、沖縄の直面する多様な顔を持つ問題を共に協力して解決しようという、内なる意思が必要なのだ。沖縄はこのプロセスにおいて問題児となるのではなく、パートナーとなる必要がある。

《提言の5つの柱》

 沖縄が直面する問題に包括的に取り組むための提言は、5つの柱を基にしている。規模、兵力レベル、侵略および安全に関する問題、地域社会との関係拡大と社会経済的発展、そして最後に、制度的変革である。これらは、沖縄が常に軽減を要求する「負担」を生み出している様々な要因を包括していると考える。

 沖縄はよく、基地と人員の削減を要求している。しかしその両方に関して実際に望んでいるのは、返還後に適切な跡地利用ができて、最も影響が多く摩擦を生んでいる地域を目に見える形で返還することであり、一方では、犯罪等に関わる人間を撲滅するための犯罪防止策にほとんど効果がないように見えることから、人員を削減することだと言うことができる。基地の状況を冷静に見ると、イメージが現実を上回っているようである。米側には、もっと活発な地域活動および広報プログラムが求められるが、沖縄側には、沖縄県も含め地域のリーダーシップをさらに発揮していくことが必要である。そうなれば、沖縄の社会経済的な発展のための、新しい完全な形でのパートナーシップが実現するだろう。そこでは、基地とその人員も、単なる負担ではなく財産とみなされる。最後に、基地に対して、そして日本政府の決定に対して、沖縄が歴史的に抱えてきたフラストレーションを解決するためには、地位協定の改定だけでなく、例えば日米合同委員会におけるオブザーバーの席を設けるなど、基地問題に関して、沖縄(およびその他の地域)の声を反映する方法を制度化することが望ましい。

《基地の本格的な統合・整理・縮小》

 本政策提言の第1の柱は、沖縄県内に米軍が持つ施設の面積、いわゆる足跡、の目に見える大幅な整理縮小である。本提言は、第1段階として、返還可能な11施設(9つの米軍専用と2つの自衛隊の基地)を指摘する。なお、中間報告の発表から最終報告がまとまるまでの間、それ以外の基地返還に関する評価もおそらく可能である。これは、少なくとも米軍専用施設の78%(計22万6889平方キロメートルのうち17万6683平方キロメートル)にあたる大胆な削減につながる。多くの基地返還は、開発が進んでいる沖縄本島中南部が対象となるため、沖縄県が長年望んでいる経済とインフラの発展に拍車をかけるだろう。沖縄県発行の『沖縄米軍の基地』2004年版によれば、「基地の存在が、用地の確保等の大きな障害となっており、地域振興上の制約となって」いる。本提言はこの不満に直接答えることになる。次に説明するとおり、統合される基地の多くは、自衛隊の施設(共同使用、自衛隊の管理下)になるため、米軍の専用施設の数とパーセンテージ両方の削減になる。これは、県が、同盟国としての日本の役割や安全保障の重要性に対する理解からではなく、やや国家主義的、主権的な立場から長年指摘してきた課題である。本提言は、沖縄が米軍、自衛隊を問わず、基地など一切欲しくないという原理主義的な意見に対する答えにはもちろんならない。しかし中央政府には国土と国民を守る義務があり、一部の反対派の意見に応え、国全体にリスクを負わせるわけにはいかない。復帰後、自衛隊に対する県民の理解が深まってきており、基地の共同使用によって地元住民との接触の機会が増えれば、支持が得られるだろう。さらに、米軍と自衛隊が生活や訓練、仕事を共にすれば、お互いへの理解、尊敬、そして信頼が生まれ、対応能力も向上する。今日の同盟にはこのような相乗効果(シナジー)が欠けている。

 本提言の中心は、以前に提案されて最近再び浮上している、米海兵隊の普天間飛行場、牧港補給地区、米陸軍の那覇軍港、および航空自衛隊那覇基地の、与勝(与那城と勝連の周辺)への集合移転である。この新しい施設は、全ての機能を果せる大きさであり、自衛隊との共同使用基地(米軍との共同で、自衛隊の管理下)になる。筆者はこの6週間、同案について研究し、現地調査を行ない、推進する関係者の意見や利用者である海兵隊や他の軍の意見を聞いてきたが、軍事的、経済的、環境面、建設工法、および戦略的な面を総合的に考えた結果、最も優れており、実現可能なだけでなく、賢明な案だと思われる。

 以上の調査で、筆者は辺野古と比べた場合、約30もの利点があると見ている。例えば、航空機の飛行経路は海上となり、現行の案のように中国から砂利を輸入する必要もなく隣接地に浚渫できるため、迅速な施設の建設も可能であり、環境への影響も最小限に抑えられ、新たに誕生したうるま市に収入源を供給し、普天間・那覇軍港・キャンプ・キンザーが連なる国道58号線の渋滞も緩和され、基本的には滑走路しかない現在の辺野古案と同程度の費用で、より良い施設が建設できる。軍事的な面で言えば、辺野古のいずれの案との差が著しくなる。すなわち、有事になった場合、嘉手納、与勝が比較的に近く、運用上、指揮・統制上、非常に速やかに対応できると考えられる。また、有事の際だけでなく、普通の通勤でも兵士らは、わざわざ辺野古という90分もあるドライブをしなくて生活ができる(主な施設から与勝までの通勤は約20分程度)。米国は、隊員(とその家族)を大事にしているので、このようなハードな生活をさせたら、士気が弱くなり、身体的なストレスになり、事故などの可能性が生じ、危機対応が劣れてしまう。(ある米海兵隊の中将は以前に、辺野古案は使い物にならない、とまで発言したことがある。)この案の唯一の弱点は、中央政府と沖縄県が、果して実現可能性のない辺野古現行案を白紙に戻し、最初からやり直す政治的な決意があるかどうかということである。(政府では、辺野古の移設は不可能と共通認識を持ちながら、再検討の作業の責任を誰もとろうとしない。)

 与勝への集合移転は、本提言のほんの第一歩にすぎない。さらに、筆者は新たな3つの 再編が必要と考えている。すなわち、(1)嘉手納空軍基地における変化、(2)他の基地における変化(多くの基地を返還し自衛隊と共同使用化)、(3)10月に予定されている再編協議の中間報告以降の調整により生じる基地の整理縮小へ向けた話し合い、が挙げられる。

 最初に、嘉手納に関しては、最近の着陸の騒音やその他の事故等を考えると、空軍の戦闘機など騒音が基準値を越える航空機を、与勝に新たに作る第2滑走路に移動すべきである。P-3や MC-130などのプロペラ機は嘉手納基地に残るが、うるさくて問題の多いジェット機を移動すれば、地元への被害が減少し負担の軽減につながる。また、自衛隊と軍民共用の那覇国際空港にある自衛隊のジェット機(F4)や将来配備予定のF15も与勝に移動し、海上自衛隊のP3Cは嘉手納に行く。利用されなくなった嘉手納基地内の土地は、要望があり可能であれば、嘉手納町、北谷町や沖縄市に返還し、その開発に協力する。嘉手納基地は自衛隊との共同使用の施設とし、自衛隊の管理下に置く。

 それ以外の整理縮小も可能である。海兵隊第3遠征軍の司令部や兵舎を置くキャンプ・コートニーを閉鎖し、住宅部分などは嘉手納やその他の基地に移した上でキャンプ・フォスター(キャンプ瑞慶覧)に統合することもできる。司令部の任務に関しては、キャンプ・フォスターへの移転により同司令部と在日海兵隊司令部との調整がより促進される。他にも可能なのが、米陸軍工兵隊事務所のキャンプ・フォスターかトリイ・ステーションへの移転や、自衛隊との共同使用に指定されるであろう北部訓練場の残りの部分の返還である。

 同様に、陸上自衛隊の那覇駐屯地も閉鎖してキャンプ・ハンセンへ移転すれば、陸上自衛隊と海兵隊とのより緊密な行動が可能になる。または、近くのキャンプ・シュワブへの移転でもよい。このような協力は、両軍の能力を高めるために必要不可欠であり、抑止力の向上と同盟関係の強化という目標を達成するための相互運用性においても重要な要素である。また、日本がその西端地域での防衛能力を高める計画を維持するのであれば、陸上自衛隊に力を増す余地を与えることができる。移転のためには、キャンプ・ハンセンの訓練施設を改修し近代化する必要があるだろう。

[エルドリッヂ私案における在沖日米基地再編の第1段階(中間報告までに決めるべき事)]

返還する施設(軍別)および面積・・・・・・(1)
統合される施設の移転先・・・・・・(2)
自衛隊と共同使用する(自衛隊の管理下)施設・・・・・・(3)

====================================================
(1)米海兵隊普天間飛行場 481ha
(2)与勝の沖合(新設)
(3)与勝
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(1)米陸軍那覇軍港 57ha
(2)与勝
----------------------------------------------------
(1)空海自衛隊那覇基地 210ha
(2)与勝および嘉手納飛行場
(3)嘉手納飛行場
----------------------------------------------------
(1)陸自那覇駐屯地 31ha
(2)キャンプ・ハンセン又はキャンプ・シュワブ
----------------------------------------------------
(1)海兵隊牧港補給地区 275ha
(2)与勝
----------------------------------------------------
(1)海兵隊キャンプ・コートニー 135ha
(2)キャンプ瑞慶覧および嘉手納飛行場
----------------------------------------------------
(1)海兵隊キャンプ・ハンセン 5140ha
(3)キャンプ・ハンセン
----------------------------------------------------
(1)海兵隊キャンプ・シュワブ 2062ha
(3)キャンプ・シュワブ
----------------------------------------------------
(1)米空軍嘉手納飛行場 1995ha
(3)嘉手納飛行場
----------------------------------------------------
(1)海兵隊北部訓練場 7513ha
(3)北部訓練場
----------------------------------------------------
(1)陸軍工兵隊事務所 4.5ha
(2)キャンプ瑞慶覧又はトリイ通信施設====================================================
返還する総面積=17683ha
統合の数=約10
自衛隊との共同使用=5

 最後に、ここでは紹介していないが、この他にもより小規模の基地削減が可能だと思われる。もし上記の提案が中間報告に間に合うタイミングで受け入れられたら、中間報告と最終報告との間に、小規模施設(米軍と自衛隊)についても検討が可能だろう。

 以上を紹介するにあたって、「数字」でごまかしているという批判を受けるかもしれないが、むしろ、保守系であろうが革新系であろうが、沖縄県こそ、常に数字を使って事情を説明している。いずれにしても、撤退への抵抗の背景には、米軍にとっても自衛隊にとっても基地は必要であり、地政学的に見て沖縄が非常に重要な位置にあるということを反映している。米国は、自衛隊との共同使用を望んでおり、これは非常に良い傾向に思われる。

 先述したように、相互に良い訓練ができ、他にも相互利益になるものがあるからで、この方針は一層促進すべきである。今後10年ないし20年間、自衛隊の能力を向上することに よって、将来の米軍の削減が正に可能となる。

 在沖自衛隊の基地の数は、現在35施設である。この数字は非常に多く聞こえるだろうが、実際これは日本全国の自衛隊基地の1.2%に過ぎず、占めている面積も沖縄県の0.3%のみである。本提言が述べている通りに施設全体の数を3つ増やしても、パーセンテージの変化はごく僅かだ。なお、統合、整理、縮小によって他にも自衛隊施設閉鎖の可能性が出てくるので、35よりも確実に削減する(総面積は多くなるが)。

 全体的に言えば、米軍によって返還される土地(那覇軍港、キャンプ・キンザー、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、普天間飛行場、工兵隊事務所、北部訓練場、嘉手納飛行場)は、中間報告の後で出てくる可能性のあるさらなる削減を含めなくても、約1万7683ヘクタール、現在占めている土地面積の78%にも上る。このため、米軍占有施設面積の18.8%という数字は、沖縄本島の4%にまで削減される。同様に、基地の数も少なくとも10は削減される。沖縄県が好んで言及する75%という数字(日本国内の米軍占有面積のうち沖縄のそれが占める割合)は、「全基地の75%」(実際には土地面積の23%、数の上では28%)または「全兵士の75%」(実際には50%程度)と間違って使われることが多いが、これが16%にまで減少する。もし残りの全ての米軍占有施設も自衛隊の管理下に置かれれば、この数字は0%になるのだ。(米国は意外にもそれほどこの考えに消極的ではない。)

 最近までこの考えに関して協議をすることにさえ消極だったのは、むしろ防衛庁と財務省の方である。おそらく日本は、この移転と、新たに受け継ぐ施設の維持費を負担するために、30年間続いた防衛費をGNPの1%に抑えるという方針に終止符を打たなくてはいけな くなるだろう。しかし、これを真剣に検討する時期が来ているのではないか。)さらに、新たな統合施設を橋でつながっているだけの与勝半島沖の島に移せば、沖縄本島に直接に影響することもない。そのため、沖縄県が沖縄本島の基地のパーセンテージを出す際に加えるべきでないと言うこともできる。

 つまり、数字のゲームはどっちにも転ぶのだ。重要なのは数字ではなく、日米の安全保障上の要求と、沖縄の政治的懸念の両方に応えるような形で、目に見える進歩が着実に行われることである。大胆な基地削減の可能性は大きい。しかし、答えを出すべき重要な質問が3つある。中央政府はそのために必要な財政的投資を行うだろうか?返還された基地を管理するという、責任の拡大を自衛隊に認めるだろうか?沖縄県と市町村には、県内でこれらの変化を進展させたいという強い意思があるだろうか?全ての質問に対する答えが「イエス」ならば、基地の整理縮小のための長期的な解決方法に向け、大きく前進する素晴らしいチャンスが訪れる。もし「ノー」であれば、協議する理由自体を再検討すべきである。

《人員削減--政治的便宜よりも基地の整理縮小と任務変化》

 第2の柱である兵力レベルには、各軍の人員数の削減が関わってくる。整理縮小や施設の統合、特定の機能の移転、さらには米軍内や米軍と自衛隊との間の役割を常に再定義することによって生まれる経済的な側面があるからだ。前述のとおり、米軍の任務が増していることから、大規模な削減は賢明だとは考えていない。実際、例えば米海兵隊はすでに限界を越えていると言える。現実に、在沖海兵隊の多くが海外に派遣されているため、実際のプレゼンスは数字が示しているよりずっと少ない。したがって、自衛隊が米軍、とりわけ海兵隊の削減によって生まれる空白を本当に埋めなければ、これ以上の兵力削減は行ってはいかないと思われる。しかし、戦略的意味に反して、兵力削減に関し、沖縄県および日本政府は政治的必要性を表明してきた。

 そこで、基地の整理縮小によって最初の一歩が達成できる。つまり、整理縮小、任務の再定義、そして自衛隊の役割拡大は、兵力レベル削減への理にかなったアプローチへとつながるのである。この問題で政治的便宜は唯一の機動力であれば、危機対応の能力を致命的に弱めたことにいつの間にかに気付くが、それは場合によって遅すぎる。

《地元への悪影響の減少へ》

 基地と人員の削減を通して、周辺地域への影響が削減できる。これが本提言の第3の柱である。特に、人口の密集した宜野湾市中心にある普天間基地、最近の騒音被害が発生している嘉手納飛行場、自衛隊と民間機が共同使用する滑走路が先日(9月16日)のような一時閉鎖された那覇国際空港などをめぐる問題や危険が、一気に解決できるだろう。新たな施設では離発着のルートが完全に水上であるため、地域への危険も騒音被害もない。同様に、キンザーや那覇軍港、その他の基地の施設や、特にその機能が統合されるため、地元の道路に侵入することによる問題(騒音、事故、渋滞)も避けられる。これは、軍の視点から言っても重要である。物資や兵士などの移動に要する時間が、数時間(もしくは数日)から、数分に短縮されるのである。筆者がこうして提言を執筆している間にも、米軍(また時には自衛隊員)によって犯罪や事件が引き続き起きている。基地司令官は、地元との良い関係作りを、最優先事項にしなくてはならない。軍人は、常に、自分の所属する軍の代表としてだけではなく、米国を代表する「小さな大使」として行動しなくてはならない。

 そのため、時間とお金を投資してオリエンテーションや教育を行うことは今後も必要である。最後に、海兵隊および他の軍は、能力維持などの訓練を島の外で行える可能性を模索し続けなくてはならない。日本も、そのために資金を提供し、船や航空機などで物理的にこれを支援しなくてはならない。これは、双方にとって有益である。なぜなら、自衛隊は各軍統合の訓練だけでなく、米軍と合同訓練を行う機会が持てるからである(例えば海上自衛隊の船が陸上自衛隊員と海兵隊員を訓練場に輸送する)。

《沖縄の長期的な社会経済的発展》

 本提言の第4の柱は社会経済的発展であり、ここで提案されている根本的な変化を持続可能にするための鍵である。そして発展の鍵は、あらゆる政党の地域指導者と米軍(そして自衛隊)との、また沖縄の指導者と日本政府との信頼、友情、協力に基づく関係を回復することである。

 基地の与える影響が地域にとって負担であることは確かだが、基地とその人員は、沖縄県がアジアや世界経済と張り合うためにより競争力のある基盤を求める上での資産ともなりうるものである。そこにはあらゆることに幅広い興味を持ち、幅広い人脈を持っている才ある人材がおり、それを引き出すべきである。政治的、イデオロギー的観点から、基地を拒否し基地の人々との協力を拒否することによって、今日ある沖縄の競争の機会を失い、未来における子や孫の競争の機会を失うことになるのである。

 地元でこそ、米軍基地司令官、自衛隊幹部、教育界や経済界、外務省、米国人経済界(米商工会)、県や市町村の職員、その他の関係者が、共通の利益や問題について、また沖縄の将来のビジョンについての話し合いを始める必要がある。ネットワークが広がれば広がるほど、相乗効果(シナジー)は高まる。米海兵隊によって進められている沖縄英語教育構想、および多くのボランティアプログラムは、その先駆けとしても素晴らしいものだ。さらに多くのこのような活動が推進されるべきであり、沖縄側からの提案や招致が行われるべきである。そのためには、狭義なイデオロギーによる米軍や自衛隊、および日本政府に対する抵抗は克服されなくてはならない。

 これをさらに促進するため、(沖縄本土復帰への道を示した)1969年の京都会議をひな型とする、沖縄の将来についての2者(3者)会議を開催する必要がある。(筆者はこの考えをG8サミットが開かれた頃の2000年に最初に提案したが、残念ながら沖縄側や日本政府側がほとんど興味を示さなかった。)

 同様に、日本政府、特に現首相は、沖縄問題に関して見識も浅く、人脈も不足していると見られている。1960年代の「沖懇」のような沖縄問題諮問機関が政府への助言のために必要かもしれない。諮問機関は又、まだ沖縄に対し関心をもち、関わりをもっている元米国外交官や米軍人などをメンバーとすることも可能である。

 メディアの果たす役割もある。それが単なる批判ではなく、肯定的なものであってほしいと願う。建設的批判は有益だが、批判のための批判は悪意のあるもので破壊的である。

 基地の整理のためには、それによって影響を受ける業者や軍用地主の協力は欠かせないものであり、また労働組合の協力も必要である。基地の整理によって影響を受ける人々に 対する研修プログラムがあれば、移行もしやすくなるかもしれない。非効率的に使われて いる借地料は、返還された土地の開発にあたり地主を支援するために、より生産的に活用 されるべきである。

 つまり、沖縄の未来のためには、沖縄にいる一人一人が互いに力をあわせなければなら ないのだ。沖縄の人々がこれまでの意見の食い違いに終始する歴史を乗り越え、沖縄の直 面する多くの問題を根本的に解決する「千載一遇のチャンス」に、共に力を合わせていく ことを望む。この機会を逃せば、日本や沖縄--政府、政治家、そして人々を含め--が沖縄 の懸念に本当に対処する気があるのか、その誠実さを疑わざるをえない。

《構造上の変化》

 本提言の5つ目、かつ最後の柱は、沖縄に影響を及ぼす基地問題について沖縄がもっと意見を言えるような、構造上・制度上の変化を導入しなくてはならないということだ。日米合同委員会に、沖縄やその他直接利益に影響を受ける地域のために、オブザーバーの席を設けることも、プロセスの透明性を高めるための一つの手段ではないか。45年の歴史をもつ地位協定を改正し、現状に合わせた形にして政治的圧力を軽減することも必要だろう。ただしそれらの変更は、地位協定改正を主張する人々が考えるほどの利益はもたらさないかもしれないが。日本にとってより厳しいものになる可能性もある。

《結論》

 地政学的な現実で米軍および自衛隊が沖縄に配備している。というのは、東アジアは3つの時代を共に生きている。すなわち、朝鮮半島の分断や台湾海峡問題という冷戦時代、1990年代にみられる国家破綻になりそうな国々の存在(北朝鮮やアジア太平表地域の諸国)、および「テロとの戦い」の現在だ。このような状況が大きく変わらなければ、大胆な人員削減は望ましくないだろう。沖縄の地元へのインパクトは、戦略的賢明でない政治的便宜の兵力削減の呼びかけではなく、基地の配置や訓練などのあり方の変化による求めるべきである。

 基地、つまりその施設とそこに駐留している兵員らは、県にとっての資産になり得る。沖縄が協力したいという手を出すかしないかは、ほかの問題と同様に、県のリーダーシップとその県民次第だ。新しい協力環境が生まれるまで、日米両国、とりわけ日本政府は、 沖縄での不満解消をはじめ、日米同盟の強化につながるように、米軍の足跡の大きな変化 をもたらすために努力しなければならない。

 本政策提言は、日米の議論を向上させ、新しい方向付けるために行ったものだ。具体的 な例を挙げたが、その他のことも無論考えられる。今がチャンスと思われる。このような機会が再び訪れる30年後を待ってはいけない。実際再びにチャンスが来るかどうかさえ誰 も知らないからだ。▲

2010年3月28日

いよいよ最終回!サンデープロジェクトについて語るスレッド

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 「サンデープロジェクト」(サンプロ)が本日、21年の歴史に幕を閉じます。

 《THE JOURNAL》だけでなくどこのインターネットメディアでも賛否両論起こるのがサンプロの特徴です。そんなサンプロも本日が最終回です。

 田原氏に言いたいこと、《THE JOURNAL》読者で共感したいこと、何でも結構です。このスレッドであがった意見は後日、《THE JOURNAL》編集部が田原総一朗氏に投げかけたいと思います。

 最終回の田原コーナーは党首討論です。どうぞお楽しみに!

*   *   *   *   *

《3月28日放送内容》

1,沈没しつつある日本をどう救う?

<出演>
菅 直人(副総理)
福島 みずほ (社民党党首)
亀井 静香 (国民新党代表)
田中 康夫  (新党日本代表)
谷垣 禎一 (自民党総裁)
山口 那津男 (公明党代表)
志位 和夫 (共産党委員長)
渡辺 喜美 (みんなの党代表)

2,日弁連もチェンジ!─宇都宮弁護士が緊急生出演!

<出演>
宇都宮 健児 (日弁連 次期会長)

【関連記事】
■高野孟:サンプロが終わって何が残るのか?

「サンデープロジェクト」が「INSIDER」に掲載された日

 1989年4月から放送されてきたテレビ朝日系TV番組「サンデープロジェクト」が明日2010年3月28日をもって終了します。

 司会の田原総一朗氏の他に、番組開始から出演し続けているのは《THE JOURNAL》主宰・高野孟ただ一人。当時から高野孟が発行している「INSIDER」(好評発行中!)には、番組開始時のことがこう書かれています。

「テレビ朝日系の日曜日朝10時〜11時45分「サンデー・プロジェクト」が2日からスタート。島田伸助がキャスターで、都はるみ、高坂正尭、田原総一朗がコメンテイター、その間に30分間"田原コーナー"があるという、どう考えても訳の分からない番組ですが、ともかく第1回の田原コーナーは、ハマコウさんがゲストで竹下批判をぶち上げるそうで、高野も付き合います。第2回は税制改革が予定されています。」(「INSIDER 204号」1989年4月1日発行)

 では2度目に登場するのはどんなテーマだったのでしょう?それは意外にも政治でも国際情勢でもなく...

 今回は《THE JOURNAL》では特別に「インサイダー・アーカイブ」として、「INSIDER 210号」(1989年7月1日発行)を掲載します。21年経っても変わらない"高野節"がきっと見られるはずです。

◇ ◇ ◇

INSIDER 210号 1989年7月1日

 美空ひばりが亡くなって、テレビも週刊誌も特集で埋まっています。

 数多くのコメントの中で圧巻だったのは、都はるみのTV朝日系の6月25日朝「サンデー・プロジェクト」での一人語りでした。3歳の時に初めて自分で歌った唄がひばりの唄で、ものごころついてからは「ひばりさんのような歌手になりたい」という一念で勉強に励んだことなど、2人の大歌手の人生の絡みあいをポツポツと語るのがとても感動的でしたが、さらに都が次のような趣旨のことを語った時は体が震えてしまいました。「昭和51年に日本レコード大賞を頂けることになった時、私の父が韓国人なので、そういう奴に"日本"と付いた賞をやるべきではないとか、"非国民"とか、心ないマスコミにさんざん書かれて、本当にあの時は一番、歌手を辞めたいと思った。その後、ひばりさんと会ったら、あなた、いろいろ書かれたけれども頑張って歌い続けなさい、と励ましてくれたのが本当に嬉しかった。あの方も家族のことや何かでいろいろありましたから...」。

 つくづく思うのですが、日本人というのは愚劣な民族で、こういう話を聞くたびに日本人をやめたくなってしまいます。明治以降の100年間、急速な近代化を進めて来る過程では、日本人が天皇を家長として血の繋がった1つの家族であるとする"単一民族"幻想がそれなりの"効果"を持ったことはあえて否定はしませんが、その裏側には度しがたく傲慢な差別意識が貼り付いているわけで、それを自分の力で克服できない限り、この民族の将来はまったく希望がないと言い切ってもいいと思います。同質であることに安住するのでなしに、異質なものとの出会いを大切にし、そこで生じるエネルギーを自分の活力に転化できるような気風を持たなければ、日本は衰弱していくばかりではないのでしょうか。

2010年3月27日

《録画放送中!》本日17時ごろ鳩山首相記者会見の取材風景を生中継します!

■録画放送中!

※録画版をアップしました(3月27日 7時)

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 政府は25日、予算案の成立を受け、鳩山首相が26日16時より首相官邸で記者会見を行うことを発表した。

 すでに本誌で報じた通り、本日の首相会見は記者クラブメディア以外のジャーナリストが参加できる日本ジャーナリズム史初の会見となる。記者クラブに所属しないジャーナリストにとっては、"2010.3.26"は日本のジャーナリズムがようやく世界基準に近づいたことで、永遠に記憶されるであろう革命的な日となに違いない。

 しかし、参加にあたっての審査の不透明さや手続きの煩雑さがすでに多くのジャーナリストから批判されており、今後も継続的にウォッチしていく必要がある。

 そこで、《THE JOURNAL》では、本日の記者会見の歴史的意義や課題点をさぐるため、さっそく首相官邸周辺で取材を行うことを決定した。午後5時ごろから行われる取材(突撃インタビュー)の模様はUstreamやTwitterで一部生中継するので、お時間のある方はぜひご覧いただきたい。

※生中継は通信環境や機材設備などの制限により、断続的に行う予定です。なお、Twitterのハッシュタグは「 #poppo_goodjob 」です。現在のところタイムテーブルは未定ですが、中継を開始するときはTwitterでお知らせします。おそらく、本格的に中継が開始されるのは会見終了後(17時ごろ?)になります。

またまたやってみる、今放送中の「朝まで生テレビ!」について語るスレッド(高野孟 出演中)

ついさきほど、「朝まで生テレビ!」が始まりました。

今月のテーマは「ド〜する!?日米関係 ド〜する!?日中関係」。さっそくテレビをつけてみてビックリ、高野孟主幹が番組に主演しているではありませんか! ということで、さっそくスレッドをたててみました。

前回に引き続き、是非、みなさんのご意見・ご感想をリアルタイムでお聞きしたいと思います。

くどいようですが、テレ朝とは全く関係ありませんので、誤解のないようお願いいたします。

オフィシャルサイトには、リアルタイムに書き込めるスペースがないようですので、勝手にやっています。

司会:田原総一朗
進行:長野智子・渡辺宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)

福山哲郎(外務副大臣、民主党・参議院議員)
山本一太(自民党・参議院議員)
笠井 亮(日本共産党・衆議院議員)
保坂展人(社民党・前衆議院議員)
 
河添恵子(ノンフィクション作家)
ジェイムズ・フォスター(在日米国商工会議所副会頭)
田岡俊次(軍事ジャーナリスト)
高野 孟(ジャーナリスト)
手嶋龍一(外交ジャーナリスト、作家)
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)
冷泉彰彦(作家、米国在住)
葉 千栄(東海大学教授)

2010年3月26日

《動画UP!》三井環×鈴木宗男×堀江貴文:検察に睨まれた3人が語る"検察改革案"

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写真:鈴木貫太郎

 3月24日都内某所で、三井環(みつい・たまき)氏、鈴木宗男(すずき・むねお)新党大地代表、堀江貴文(ほりえ・たかふみ)氏の会談が行われました。
 
 会談の模様は以下の画面で再生してお楽しみ下さい!(全4回)
 

*   *   *   *   *

【1】日歯連事件とライブドア事件の関係


【2】裏金の仕組み(鈴木新党代表が途中参加)


【3】どうすれば検察問題がなくなるか

【4】3者が語る、自身と検察問題とのかかわり

*   *   *   *   *

【参考記事】
■三井環さんからの手紙「けもの道」(魚の目)

【参考映像】
■内憂外患:三井環が語る「検察の"けもの道"。捜査は"戦争"である」

2010年3月25日

《第15回》竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:えっ! 検察が証拠隠滅って・・・ それホンマ!?

3月24日(水)厚子さん第15回公判傍聴。

昨夜からの雨が止まず、べちゃべちゃ降ってる。晴れやかな公判になって欲しいけど、あの林谷検事の続きなので望むべくもなし。しっかり見て、聴いて、書き留めようと思う。

今朝も東京から江川紹子さんが駆けつけて下さった!ありがとう!
ホンマに心強いです(^Q^)/^
すっかり紹子さんと顔見知りになった厚子さんが、紹子さんを見つけて微笑みながら弁護団席に座る。
グレーのスーツに、エンジのとっくり姿で、少し痩せた感じなのが心配やけど「頑張ろうね!」と、心のなかで厚子さんに話しかける。

10:05、林谷検事出廷。
林谷検事の、今日の証言の特徴は、尋問に対して必ず「はい、はい、はい」と、とても軽く返事を返してから答えること。
子どもの時「はい、は一度でえぇ!」と言う躾を受けなかったのか、それともわざとなのか、いずれにしても、耳障りなことこの上ない。

弁護側尋問開始。今日は弘中弁護士事務所の若手弁護人が尋問に立つ。
まず「メモの破棄」について。「あなたは証人のプライバシーのため破棄したと言ったが、そのメモをコピーしたり、他人に見せたり、持ち歩いたりしたことは?」
林谷検事「仕事中は持ち歩くが、コピーや人に見せたりはしない。自宅にも持ち帰らず・・・といってさほど厳重に管理していた訳じゃないんですが」と、めんどくさそうに答える。

弁護士「プライバシー保護と言いながら厳重に管理いていなかったと?」。林谷氏「はい、はい、はい・・・」弁護士「河野、塩田、村松、北村、全ての証人の取調べメモは、同時に廃棄したのか?」林谷氏「はぁ、そうだと思います。」

弁護士「メモを破棄することは指示があったり、相談したうえでのことか?」「それは、ありません。」「他の検事も、メモを全て破棄してますよね。」「はぁ、他の人のことは、知りません」「どのように破棄したのですか?」「コピー機の隣にある・・・役所のシュレッダーです。」

弁護士「供述調書には無いが、メモには書いたということがあるのでは?」「重要なことは、おおむね調書にしてますよ。」「消したり書き加えたりは?」「具体的に覚えてないが、主旨や文言が変われば前のを消して書き直します。」「どのような内容について書き直したか具体的に話して」

林谷氏「よく覚えてないが・・・」と言いながら聞き取りにくい声で何かだらだらと喋る。弁護士「書き加えたことを、具体的に」「よく覚えてない・・・」またもや「だらだらだら・・・・」。「破棄してなければ、供述の変遷が分かったのではないですか?」「はいはい、そうかも・・・だらだらだら・・・」 今日も聞き取りにくい、早口小声。

弁護人「調書を残してない日は、どんなことを取り調べたのか?」「前の日の確認か・・・場面の確認とか・・・むにゃむにゃ」「5月31日も、6月1日も3,4,5日も無いですね」「はぁ。同じようなことです。」「プライバシーに関する事って、どういう事なんです?」「はいはい、河野氏の場合事件に関係ない、交際相手とか、人間関係とか女性の名前とか・・・」と林谷氏。

弁護士「破棄してしまったら、事件に関係あったかどうか分からないじゃないですか。前回の出廷で、メモは証拠開示の対象と知っていたと言われたが、シュレッダーにかけるまさにその時にも、その事は知ってたんですよね」 弁護人の厳しい追及に「はい、はい・・・」とだんだん小声になり、林谷氏は最後に無言となってしまった。
でも「メゲてる訳やないですよオーラ」を全身から発している。要するに「スネてる」のね。

「河野被告の弁護人からは、メモを破棄しないようにという申し入れを受けてますよね」「はぁ、そうだと思います」「裁判長、河野氏の弁護人の申入書を提示します!」弁護人が声をあげると裁判長が頷き、河野被告の弁護人からの申し入れ書が、廷内のディスプレイに写しだされる。弁護人が読み上げる「くれぐれも破棄されませんように。破棄すれば証拠隠滅に該当する・・・この申し入れ書は見ましたよね」「はいはい、当時見たと思います。」林谷検事は悪びれもせず平然と答える。

「これを見てどう思いますか?」と聞く弁護人に「基本的に私は捜査応援なので、私のメモは本件が終われば関係ないものですから。」傍聴席に、呆れたぁ!という雰囲気が漂う中、弁護士は落ち着いて聞く。「検察は、厚労省の江波戸室長が上司に送ったメール(取調べ内容を上司に報告したメール)を、上司が削除したことを、押収したパソコンのデータに基づいて証拠隠滅で取り調べてますね!?」林谷氏「それがどうしたオーラ」発散。弁護人が畳みかけるように聞く。「あなたのしたことは、証拠隠滅ではないと?!」

「そのような証拠を押収したと思うが、取調べは私じゃないですよ。自分が取り調べるのじゃなければ、そんなに深く(証拠書類を)読んだりしません。」「取調べ調書は、検察官どうしで共有してると言ったじゃないですか。裁判長、証人の記憶喚起のため、調書を提示します。」弁護人が厚労省関係者の書面を林谷検事に手渡す。ディスプレイに写しださないのは、その書面に(取調べに関係ない)個人名が入ってるからとのこと。

「記憶が蘇りましたか?」と弁護人。「いいえ、記憶にありません。」と林谷氏。
「このような(上司へ報告の)メールを削除しただけで、証拠隠滅で取り調べた検察官が、自分はメモを破棄しても証拠隠滅じゃないと?」弁護人が迫る。「思いません」平然と答える林谷氏。「証拠隠滅の罪になるのでは、という不安感も無いの?」「はいはい。」「それはあなたが検察官だからですか?」「いえ、自分のメモですからね。」あきれ果てた弁護人が声を大きくして言う。「証拠開示というのは、被告人の防御のために必要なんですよ!」「はいはい、そういう意味もあるでしょうね。」シレッと答える林谷検事。

万一、こんな検事に取調べられた時の事を想像して、ちょっと吐き気を覚える私。

「あなたは供述調書を作成し、署名を求める時、どのようにするんですか?」「被疑者の横に立って、調書を指差しながら・・・」「裁判長!」弁護人が声を張り上げる。「状況を明確にするため、再現を求めます!。」裁判長が大きく頷く。弁護人の一人が被疑者役として証言席に座り、その横に「ゴツイ体格の」林谷検事が、立つ。「書記官からプリントした調書を受け取り、こうして机の上に置き、その調書を指差しながら読み上げて・・・」と林谷検事が説明しはじめると、裁判長がそこで驚きの一言。

「その角度では(傍聴席から)よく見えないので、机の位置を変えて、やり直して下さい。」

裁判官たちが座るひな壇の上に置かれた机が、証言スペースに降ろされ、傍聴席と直角に机と椅子が並べられる。林谷検事が机の上の調書に指を当てると、彼のがっしりした身体が被告人役の若い弁護士の身体に被さるようになり、かなり威圧感を与えるのが、はっきり感じられる。

「横に立たないと署名させられないんですか?」と弁護人。「いえ、座ったままでも・・・」もごもご言い訳する林谷氏。

わぉっ!横田信之裁判長、ナイスですやんっ。今日は座布団5枚差し上げますっ!!!

取調べ調書署名の再現が終わり、弁護人が再び聞く。「あなたは大声を上げることもあるそうですが、どのような意図で?」「被疑者が事実と違うことを言うからですよ。検察官には分かってるぞということを伝える時や、おかしい事をおかしいという場面では声を大きくしなければならないでしょう。」「村松氏は、取調べ開始から2-30分で証言を変えたそうですが、初対面の人に、2-30分の取調べで声を大きくしたんですか?」「はぁ。」と実に不満そうな声で応える林谷氏。

「河野氏の取調べには、どんな資料を示しましたか?」弁護人が、質問内容を変える。「本人が使ってた花柄のノートとか、通帳とか・・・平成16-17年に何をしてたか分かるものを色々。契約書とか・・・」「本件に関係ないものも?」「関係なくても、当時のことが分かるものなら何でも。」「で、石井議員の厚労省への口利きを裏付ける資料は、有ったんですか?」「ダイレクトに裏付けるものは無かったですね。」「河野氏が、厚労省から郵政公社に指示を依頼した具体的な資料は?」「記憶にありません。」「無かった?」畳みかける弁護人。「はい・・・」。さすがに「はいはい」ではなく、でも憮然と応える林谷検事。

「あなたは河野氏に、保釈金の話をしましたよね。」「・・・」「河野氏の弁護人の保釈請求書には金額が入ってないんですが、検察の意見書には・・・」検察の意見書がディスプレイに投影される。「保釈金100万円に相当する、と書かれてるが、これはあなたの判断?」「それは・・・主任検事(前田検事)が判断されます。」「あなたが意見を述べることはないんですか?」「はい」「拘置所で取調べたようですが、勾留が10日ですむとか、長くなることもあると言ったそうですが?」「記憶にありません。」「大阪地検には、録音や録画の装置がありますよね?」「はぁ・・・」「河野氏に、検察をなめるのか、とか一泊か二泊かして行くか、などと言ったそうですが・・・河野氏の弁護人から、録音・録画の申し入れを受けてましたよね?」「記憶にありません」「申し入れに応えなかったのですよね?」「はぁ・・・」「その後、再度申し入れを受けてるはずですが、録音・録画をしてませんね。」「はぁ・・・」
う~む、弁護人から直接催促されても、可視化をする気は無いということやね、大阪地検。

ここで、尋問が弘中弁護士に交代。

弘中氏がメモの破棄について聞く。「メモは聞きながら取るんですか?」「聞きながらテーマごとに分けて・・・」と林谷検事。「テーマごとといっても、初めは何も分からないですよね?」「はいはいはい。後で分かるように、1とか2とか分けてですね・・・」頭上で指を振り回しながら応える林谷氏。「どうやって分けるの?」「後で調書に写す時に。」「別の日に、まとめることもあるんですよね?」「はぁ」「消すこともあるんですよね」「はいはい。」「供述が変遷したり、揺れることもあると思いますが、消したら分からなくなるでしょう?」「日にち、もともと書いてませんから。」「いや、内容を消すと追及できなくなるでしょう、と聞いてるんです。」

「覚えてますよ、ささいな事は書かなくても・・・」「ささいかどうか、後で分かることもあるでしょう? そもそも、メモと調書の内容は同一のものと言われたが、メモが重大なものでないなら、なんのためのメモなんですか?」「追認材料ですよ」「(あなたから)雑談も話しかけますよね?」「はいはい」「それが雑談かどうか、被疑者に分かると思いますか?」「話の流れで分かるでしょう」「それはメモする? しない?」「したり、しなかったり・・・」「それじゃぁ、メモと調書は必ずしも一緒じゃないじゃないですか。」「はいはいはい。」

林谷くん、その「はい、はい」は止めてくれへんかなぁ。私がオカンやったら「どの口が言うてんねん! この口か!?」って、ほっぺたヒネったるのになぁ。でも1回目の出廷では普通に「はい」と言うてたのに今日は「はい、はい」。これって、どういう心境の変化??

この後、弘中弁護士は、塩田氏の最初の取調べで、塩田氏が業者や自民党議員からの金品の授受があることを林谷検事が言ったことについて「贈収賄で取り調べる可能性もあったのか」と聞く。「贈収賄の可能性もあると思った」と林谷氏。「公的証明書偽造事件の取り調べと言いながら、いきなりそれ?」と弘中氏。「いや、それを聞いたのは午前ではなく、午後ですよ。」と、脅しではないと言いたそうな林谷氏。「塩田氏が、石井議員から電話を受けたかどうか思い出せない、と言ってる時に贈収賄の話をする意味は?」「むにゃむにゃ・・・」言葉を濁す林谷氏。「相手が萎縮して、自分の主張がしにくいのでは?」と弘中氏。「金品もらってて萎縮しなけりゃ、おかしいでしょう!?」と開き直る林谷検事。

「で、村木さんや厚労省関係者はすぐ逮捕されてるけど、塩田氏の逮捕の予定は有った?」「それはなかった」と林谷氏。「色々疑惑は有ったが、その時点で確認できなかったので・・・。」石井議員の電話を受けたとか、村木課長の関与を言わせるための脅しだとは、絶対認めようとしない林谷検事。
弱みがあると、こうして「他の人を陥れるコマにも使われるんやなぁ」と、実感。

その後、塩田氏が名前を出した元大臣秘書官に「裏取りはしたのか?」と弘中氏が聞き、「その時はしていない。後日東京のほうがしたようだが、正直に話せと言われたという塩田氏の証言どおりであった。」と応える林谷氏。

ここで午前の尋問が終わり、午後は弘中弁護士から「塩田氏の交信記録」について尋問があったが「交信記録など残ってないのが常識だ」と林谷検事は言い放つ。しかも交信記録についての会話は「雑談の中で出たことなのでメモも取っていない」と言う。そしてあくまで交信記録の話は塩田氏から出たものだと。「取れないのが常識なら、おびえている塩田氏にそう言ってあげても良かったのでは?」と弘中氏。「塩田氏は当事者ですからね。当事者にそんなことは言いませんよ」と薄笑いを浮かべながら林谷氏が答える。

「あなたは塩田氏の公判での証言録を読み返したそうだが、塩田氏が公判担当の白井検事から交信記録は無いと聞かされ、ショックを受けたと書かれてるでしょう?」と弘中氏。
「はい、はい、はい」またも、林谷くん、はいはいはい反撃!
「白井検事から聞かれたので、そういうこと言ってませんよと伝えましたよ。なぜそうなってるのか、分かりません」。検事席で、メガネの奥の目を少し細めて、頬づえをつくような姿勢で林谷検事を見つめる、白井検事。

「塩田氏から、自立支援法がらみ、という調書を取ってますね。」と弘中氏が矛先を変える。「前田検事から指示されたのではないですか?」「主任から?されてませんよ」「6月7日、8日の両日に、すべての被疑者から自立支援法がらみという調書をとってるんですが、本当に指示は無かった?」「さぁ、偶然じゃないですかね。特に指示はないですよ。」
とぼけまくる林谷検事。

ここで尋問者が白井検事に交代する。

白井検事は林谷検事に、メモの破棄が弁護側から証拠隠滅ではないかと問われた件について聞く。「(証拠隠滅とは)全く思わない!」と言い切る林谷検事。白井検事が、取調べ証人として林谷氏が「脅迫的言動」で過去に2回出廷経験があることを指摘し「録画・録音の必要性」について、問いかけると「裁判員裁判が導入されて、手段の一つとしてそのような話になってるだけ」と林谷氏は言い切った。

弁護側、検事側の尋問が終わり、3人の裁判官から「メモの破棄」について、巷間よく言われる「検事・判事なれ合い」ではない、非常に厳しい尋問が、林谷検事に口々に投げかけられた。そして裁判長の「メモ開示の主旨は理解してますか?!」に林谷氏は・・・

「はいはいはい・・・」

わっ!裁判官の尋問にも「はいはい」かよっ!!
「でも、その主旨に則るようなことは書いてません。」と、最後まで平然と答える林谷氏の態度に、法廷中が唖然としつつ、「取調べ検察官林谷氏」の尋問が終わったのだった。

午後3時からは、3人目の取調べ検事である國井氏の出廷だが、冒頭、弘中弁護士から「石井議員が2月25日に行ったゴルフ場へ、裁判所がかけた照会の「回答書」が提示され、ディスプレイに内容が写しだされた。石井議員の証言どおり、4人でプレイし、昼食をとり、カードで決済したが、その決済時間から、ゴルフ場を出たのが2時頃であることが判明。従って、倉沢被告と1時に議員会館で会うことは絶対叶わなかった、ということが明らかにされた。

國井検事は、いわゆる「イケメン風」で、少し染めた長髪を時々撫でる仕草も。
でも見かけとは違う冷ややかな声で、調書通りの事を淡々と語る。上村氏を取り調べたのがこの國井検事だが、「単独犯行」「村木課長の指示はなかった」「組織的犯罪ではない」という上村氏の供述を「ことごとく突き崩した経緯」を、高飛車に話す。「弁護士と相談させて欲しい」という上村氏に「事件の相関図(石井議員→塩田部長→村木課長などなどなど)を描いて見せ、在宅で取調べられてる村松氏が「こうこう言ってる」という話を聞かせると、いきなり「ちくしょう!」と叫んで机に突っ伏して泣き出した・・・「あなたはおそらくこの事件で懲戒免職になるので、これからの人生を考えましょう。本当のことを言って下さい。」と。

すべてを調書通りに、読み上げるように、國井検事は2時間弱語り続けた。
國井検事の出廷は、次回(3月29日)も続く。

閉廷後の記者室で、報道各社の記者たちと少し話をしたが、皆一様に「裁判官のメモ破棄に対する厳しい姿勢に驚いた!」と口々に言う。
6時半からのNHKニュースも、「メモ破棄」に焦点を合わせたものだった。

「ねぇねぇ、判決って、3人の裁判官が出すのん?」ど素人の質問を、私が江川紹子さんに投げかけると「そうだよ!」との答え。
「横田裁判長、頑張って欲しいよね!」と言うと、再び「そうだよね」とニッコリ。

そして二人して「でもまだ、油断したらアカンよね!」と言い合って、大阪地裁を出る。
紹子さんは「明日の朝、4時から仕事なの」と言いつつ、颯爽と雨の中を、新大阪駅に向かったのでした。

<文責:ナミねぇ>


【関連記事リンク】
◆過去の公判傍聴記(村木厚子さんを支援する会)
http://www.airinkai.or.jp/muraki_sien/index.html

◆なみねえのtwitter(公判速報はコチラから)
http://twitter.com/nami_takenaka

◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
http://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

《THE JOURNAL》インタビューが火の種に!?予算委員会で喜納氏が長島大臣政務官にかみついた

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2010年3月11日、編集部撮影

 23日の参議院予算委員会で質問に立った喜納昌吉(きな・しょうきち)参議院議員は、長島昭久防衛大臣政務官が《THE JOURNAL》インタビューで「(沖縄ビジョンは)修正する必要がある」と発言したことに言及した。民主党が野党時代につくった「沖縄ビジョン」の重要性と、政府が沖縄県連と十分に協議がなされていないことを訴えた。

 翌日の24日、喜納氏は岡田外務大臣や平野官房長官を訪ね、県外移設を求める沖縄県連の考えを改めて示している。その後会談した民主党小沢一郎幹事長は「思いを受け止めて、政府に伝える」と応じたという。

 政権交代から一貫して「県外・国外」移設を求める沖縄県連の考えは、今の政府にどこまで伝わるか。

*   *   *   *   *

 長島防衛大臣政務官と喜納昌吉氏とのやりとりは参議院インターネット審議中継から閲覧できる。

■3月23日(火)予算委員会、質問者・喜納昌吉氏(インタビューについてのやりとりは開始後20分(19:58)ほどたったところから)
http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=1289&mode=LIBRARY

【関連記事】

第29回政治家に訊く:長島昭久「ある程度は修正が必要かもしれません」
《インタビュー&対談》高野孟×喜納昌吉:普天間基地移設問題 ── 米国は日本に丸投げして逃げたがっている!
民主・喜納氏「県内なら内閣総辞職を」普天間移設問題(産経新聞)

鳩山首相の記者会見が完全オープンに!!!!

 内閣総理大臣官邸報道室は24日、これまで記者クラブ加盟社のみの参加に限られていた鳩山首相の記者会見を、加盟社以外のジャーナリストにも開放することを発表した。

 下記の項目に該当するジャーナリストは、25日正午までに登録をすませば会見に参加することができる。

(1)(社)日本専門新聞協会会員社に所属する記者 (国会記者記章の保持者)
(2)(社)日本雑誌協会会員社に所属する記者(国会記者記章の保持者)
(3)外務省が発行する外国記者登録証の保持者
(4)日本インターネット報道協会法人会員社に所属する記者で、十分な活動実績・実態を有する者
(5)上記1、2、4の企業又は(社)日本新聞協会会員社が発行する媒体に署名記事等を提供し、十分な活動実績・実態を有する者

 ちなみに、《THE JOURNAL》編集部スタッフは上記の項目に該当しないため、会見に参加できるかは現在のところ不明。編集部内では「週刊誌でアルバイト原稿書いとけばよかった」という後悔の声が広がっている。

【参考】
鳩山内閣総理大臣記者会見への参加について(首相官邸ホームページ)
http://www.kantei.go.jp/jp/notice/20100324/index.html

2010年3月21日

来週最終回!「サンデープロジェクト」について語るスレッド

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 現在放送中の「サンデープロジェクト」のテーマは「これでいいのか!民主党」です。

 前回に引き続き、是非、みなさんのご意見・ご感想をリアルタイムでお聞きしたいと思います。

 今回は民主党副幹事長を解任された生方幸夫(うぶかた・ゆきお)衆院議員が生出演します。

*   *   *   *   *

《3月21日放送内容》

1,これでいいのか!民主党

<出演>
細野豪志(民主党副幹事長)
生方幸夫(民主党元副幹事長)
安住淳(民主党衆議院議員)
小宮山洋子(民主党衆議院議員)

2,自民党は再生できるのか?

<出演>
石原伸晃 (自民党組織運動本部長)
小池百合子(自民党広報本部長)    
山本一太 (自民党参議院議員)

3,どうなる?日本経済

<出演>
大塚耕平 (金融・郵政担当副大臣)
榊原英資 (早稲田大学教授)
竹中平蔵 (慶応大学教授)

【関連記事】
■高野孟:サンプロが終わって何が残るのか?

《インタビュー》篠原孝:テレビ番組「太田総理」で放送されなかったこと

 《THE JOURNAL》取材班は3月12日のテレビ番組に出演した民主党衆院議員の篠原孝氏に、番組で放送されなかった部分についてインタビューしました。お笑いコンビ・爆笑問題が司会を務める「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中。」は、社会問題に対する政策を立案し、その政策について賛成・反対の立場をとる政治家やタレントが討論しあう番組です。

 12日のテーマは1年間強制的に農業体験をさせる「徴農制」で、篠原氏は賛成の立場で「たくさん話した」ものの、出演時間はわずか1、2分でした。

 今回はテレビでカットされた部分を中心に、今年から開始される「戸別所得補償制度」や、これから提案予定の政策について、《THE JOURNAL》取材班に"尺"を気にせず語っていただきました。

【関連記事】
しのはら孝blog:3月12日日本テレビ「太田総理・・秘書田中」に出演します

2010年3月20日

《第14回》竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:検察は自浄作用を働かせて、ホンマの正義を追求してくれい!

厚子さん第14回公判傍聴のため、大阪地裁に向かう。今朝は昨日までと、うって変わったように寒い!

今日の出廷は倉沢、河野両氏を取り調べた坂口英雄副検事(51)と、 河野、北村、村松、塩田の各氏を取り調べた林谷浩二検事(34)の二名。う~ん、緊張するなぁ! 今日は江川紹子さんも傍聴に。心強い!!

大阪地裁201号法廷で、紹子さんと合流。紹子さんは、東京から早朝の新幹線で(なんとTVのレギュラー番組を蹴って!)日帰りで来られたという。感謝!!

10時開廷。倉沢被告を取り調べた坂口副検事が入廷、証人席へ。氏名、役職を述べた後、宣誓。

今日は、結論から書こう。

坂口副検事の尋問で、石井議員の関与や企画課長(厚子さん)から倉沢被告が直接証明書を受け取った日時などの証拠は、いずれも倉沢氏のあやふやな供述と、不確実な本人の手帳のみ。検察は裏取りしてないことが判明。「なぜ裏付け捜査をしていないのか?」弘中弁護士の問に 坂口氏は「長期間、長時間、倉沢氏を取調べ、誠実な人柄だと分かり、信頼関係も出来ていたからです。最後の取調べの日は、いつものジャージではなくスーツで応じ『貴方に取り調べてもらって嬉しかった。ありがとう』と言ってくれた。」と述べる。それって、逆ストックホルムシンドロームみたくない??

坂口副検事は、取調べに使ったメモを全てシュレッダーにかけて破棄したのだが、その理由を弘中弁護士に聞かれ「自費で買ったノートだった。家族のことも書いていた。破棄は倉沢氏のプライバシー保護と名誉のため。」と証言。「メモだけでなく、調書を残していない日もあるが。」との弘中弁護士の問には「メモ帳に必要事項を書いてたので、取調べに支障はなかった」と語る。メモと調書を補完的に使っていながら、メモだけをあえて破棄したことの意味が傍聴者には伝わらない。

「録音、録画をしたことは? あるいはその必要性を(組織として)検討したことは?」との弘中弁護士の問い掛けには「「メモしたことは自分の頭の中にあるので、それで良い。」と、あまりにも素直な(?)答えに傍聴席は唖然。「取調べメモは証拠開示の対象と知ってますか?」と、弘中弁護士が厳しい声で聞く。「は?・・・あの、よく知りませんでした。注意も受けていませんし・・・」と困惑する坂口氏。取調べの可視化が問題になっていることなど、どこ吹く風という感覚に、呆然。

年配の坂口副検事は、(大阪府)堺支部から「身障低料第三種郵便制度を悪用した企業がらみの事件」の捜査応援で駆り出されたそうだが「虚偽有印公文書作成事件」の取調べ責任者と、どちらも共通の検事だったという。「したがって、時々他の検事と取調べを交代した。」と証言。「あなたが他の検察官に取調べを交代した日は、供述調書が残って無いが、それはなぜなのか?」と弘中弁護士が問う。「自分のノートに記載したり、口頭で引継ぎを受けたので、取調べに支障はなかった。」と、坂口副検事。

つまり「取調べを行う側だけが、取調べ側に必要な事実を把握すれば、それで良し。被疑者の立場など考慮する必要は無い。」と言うに等しい答えに、目が点になりそう!

「あまりにも正直で(上に◯◯がつくほど)実直(?)に答える」坂口副検事の、やや寂しい後頭部と、決して高価ではなさそうな背広の後ろ姿に、「組織の歯車」という言葉が胸に浮かぶ。

弘中弁護士の、昨日の記者会見での言葉「検事はシレッと嘘をつく」から、狡猾な検事の出廷を予測していた私は、拍子抜け。あまりにも正直に答えた罰で、坂口氏はどこかに飛ばされるかも・・・と思ってしまったりする。いやいや、同情してる場合やない。 この人が倉沢被告から「公的証明書を、厚子さんから直接受け取った」という証言を引き出した張本人なんやから。

弘中弁護士の尋問が続く。「倉沢氏は、4回も村木課長に会ったことになってるが、倉沢氏の押収物に村木さんの名刺は無かったんですよね?それについて倉沢氏は何と?」「名刺交換したかもしれない、しなかったかもしれないと言ってました。」と坂口副検事。「追及しなかったんですか?」「追及しました。でも倉沢氏は記憶が定かでないと・・・」「じゃぁ名刺交換してない可能性もあるんですよね!どういう理由でしなかったか追及しましたか?」「さぁ・・・村木さんから戴かなかったのじゃないかと・・・」「その程度の説明だったんですか!?」さすがに弘中弁護士の声が荒くなる。坂口副検事の返答は「はい」。

「平成16年6月のはじめごろに倉沢氏は、公的証明書を受け取りに村木課長のところに行った、と証言していますよね。この裏付けとなるものは?」弘中弁護士が聞く。「裏づけは・・・特にないです。」「裏取りをしましたか?」「あくまで倉沢氏本人の行動で、しかも5年前のことなので、非常に難しくて裏付けは取れませんでした。もしこうすれば裏が取れるということがあれば、やったんですが・・・」と困惑したように話す坂口副検事。「河野から連絡があり、証明書ができたので急いで取りに行ってと頼まれ、当日もしくは翌日、遅くとも翌々日には受け取りに行ったようです。」

おいおい、厚子さんのこの事件への関与は、今や倉沢の「受け取り証言」しか無いんやでっ!! 何アバウトなこと言うてんねん、坂口!!

「当日か、翌日かって・・・相手(厚子さん)のスケジュールもあることだし、それは追求してないんですか!?」弘中弁護士が迫る。「追及しました。そしたら倉沢氏が、河野氏に急かされたので、間を空けずにすぐに行ったと言ったのですが、もしかしたらすぐには行けなかったかもしれないと思って、私は当日、もしくは翌日、遅くとも翌々日と、幅を持たせた調書にしたんです。」あまりの回答に、傍聴席は爆笑!・・・と言いたいところだが、静粛を求められる法廷なので、みな笑いをこらえて肩を震わせている。私は思わず声を出して笑ってしまったが、これって笑ってる場合ちゃうやん!! こんな証言と調書で、厚子さんが「主犯」にされたなんて、アホらしくて涙が出そう。

坂口副検事の証言からは、供述調書が毎回一から書かれたのではなく、証言が変わらない(と思われる)部分は先に入力しておき、聴取時に書き足す方式がとられていたことも判明。また裁判官からの尋問では「厚子さんが、郵政公社の森という人に電話した」件も、あやふやな倉沢氏の記憶と発言が、検事の誘導によって「確定的なものとして調書に記載された」ことも明らかに。「調書に記載するかしないかは(検察官にとって)必要かどうかで判断され、一時的に(被疑者が)否認したことは書く必要を感じなかった」と、坂口氏は悪びれることなく語った。

あまりのことに裁判官が「本件は、取調べの正当性が疑われているのだが、そのような注意を受けたことは無いのですか?」と厳しく坂口氏に問いかける。「はい」と小声で答える坂口氏。こうして「ホンマにこれが検察官!?」と言いたくなるような坂口副検事の尋問が終わった。

午後2時半。二人目の証人、林谷検事が入廷。柔道家のようなガッチリ、ずんぐりした体格、短く刈った髪、黒縁のメガネで、坂口副検事より17歳若い。平成19年4月に、大阪地検特捜部に配属されたという。

坂口副検事とは対照的な外見だが、証言がはじまってすぐ、性格も二人は真逆と判明。
高めの声で、氏名、職責を名乗った後、裁判長の「宣誓を」の声に「宣誓しま~す」と、少し語尾を伸ばして答え、宣誓文を読み上げる。体格もデカいが、態度もめちゃデカい。

先ず驚いたのは、坂口氏と同じく林谷氏も取調べメモを全て廃棄したのだが、同僚であるはずの公判担当検事から「なぜ?」と聞かれて「必要ない」と、きっぱり言い放ったこと。

「被告人の一人である村木さんは、犯行を否認していますよね。そうすると他の関係者の取調べ内容などが必要になることもあるのでは? 手元に取っておこうとは思わないのですか?」と聞かれ「残す、残さないは自分の判断です。」と言い切る。

「証拠開示の対象になるのは知ってましたか?」と聞かれると、高い声で「当然! 残っていれば対象になりますね。」「(あなたのメモは)対象にならないとでも?」「はい。重要なものなら残してますよ。」う~む、まさに傲慢、まさにこれぞ特捜検事の面目躍如!?

弘中弁護士が言った検事像そのもののように、林谷検事は、供述調書を否定した証人たちの証言をすべて切って捨て、事情聴取の正当性を滔々と語る。高い声、早口でまくしたてるので、殆ど聞き取れない。記録を取る書記官が眉をしかめる。公判担当検事が「もう少し、ゆっくり話して下さい。」「もう少し短めに話して。」と何度も呼びかけるが、聞く耳を持たない。喋る、喋る、喋る、林谷検事。しかしよく見ていると、さかんに水を飲む。もしかして緊張してる? もしかしてホンマは小心者??

自分が担当した4人の被疑者(凛の会:河野、北村元課長補佐、村松元係長、塩田元部長)の「調書は作文」「誘導されたもの」「利益誘導や恫喝があった」「他の人がこう言ってる、あぁ言ってると話して証言を引き出した」「嘘の証拠を提示」などをガンガン否定し、聴取の正当性について喋り続ける。

塩田元部長に「(石井議員への報告の)4分数十秒の電話交信記録がある」と言って証言を引き出した、とされる件については「塩田氏のほうから、通話記録があるなら教えて、と言い出した。自分は通話記録があるとは一切言っていない」と強調した。

林谷検事の尋問中に5時となり、裁判長が「次回、3月24日も林谷検事に出廷を求めます。では今日はこれで。」と閉廷を告げ、取調べ検事尋問の1日目が終わった。

二人の全く違うタイプの検事の証言を間近で見聞し「どこの組織にも、どっちのタイプも居てるなぁ・・・検察も、普通の組織やん! でも強大な権力を持つ検察が、普通の組織ではアカンやろ! 自浄作用を働かせて、ホンマの正義を追求してくれい!! 」と、強く強く思いながら、大阪地検を出る。

そして、江川紹子さんと顔を見合わせ「今日はなんか、精神的に疲れたねぇ・・・」と、異口同音に話しながら、大阪駅に向かったのでした。

2010年3月19日

《第13回》竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:平気で嘘をつく人って怖いなぁ・・

3月17日(水)東京で、例年より早く桜の開花が見られた、とのニュースが流れる。
朝から暖かい。
コートを着ることなく大阪地裁に向かう。

今日の証人は二人。公的証明書偽造事件があったとされる、平成16年当時、厚労省社会参加推進室補佐であった田村一氏と、室長であった江波戸一敏氏。

午前の証人田村氏は、倉沢被告に会ったこと、室長と一緒に厚子さんの席に倉沢を案内したこと、倉沢を交えて凛の会について話しあったこと、企画課長(厚子さん)から「大変な案件だけど(石井議員からの依頼なので)よろしく」と言われたこと、などなどなど・・・全てを「全く、覚えていないことだった」と言い、調書に書かれていることは、「(単独犯であると証言した上村元係長の前任者である)村松係長が、貴方がああした、こうしたと証言しているぞ」という検事の誘導的尋問の結果だ、と証言した。

田村氏は、そのような調書にサインした理由を「自分の記憶が欠落していたので、村松さんがそういってるなら、そうだったのだろうと思った」という。
「取調べ検察官に、覚えていないと言ったけれど聞いてもらえなかったし、記憶に無いということは、(逆に)そのような可能性もあるなぁ」と思ったので「可能性はある、と一般論として話した」と、淡々と語る田村氏。
「調書が重大なものとの認識もなかった」ともいう。

「あなたの供述調書が証拠として使われることや、その調書で罪に落ちる人が出るかもしれない、逮捕される人が出るかもしれないとは、考えなかったか?」という検事の(弁護士でなく検事の!)問いかけにも、平静な声で「はい、思い至りませんでした」と答える。

「よく覚えていない、と言うと、よく思い出しなさい! と取調官に言われ、サインした。」と答えつつ、恐怖にかられるような取調べではなかったとも言う。
「いったい、この人はどういう神経してんねん!」と思うほどの「いうなり証人」だ。
取調べ検事がほくそ笑む顔が目に浮かぶ。

それでも一度だけ取調官が「机をたたいて、大声を出した場面があった」という。
「覚えてないはずはない!」「こちらにも考えがある!」と言われたが、田村氏はその時「なぜそういう言い方をされるのか、分からなかった」とここでもまた、平静な声で語る。

田村氏の証言を聴き続けるうちに、なんだか少し背筋がゾッとするような感覚が湧いてくる。
あまりにも平静で、淡々としすぎている・・・もしかしたら、この人は、生まれて初めての「検察での取調べ」体験で、どこか壊れてしまったのかも・・・と。

尋問が検事から弁護士に変わったが、尋問を交代した信岡弁護士も戸惑った声で質問する。
「公判前に、お会いしたいとのお手紙を差し上げたが、(地裁への)到着時間の関係で無理とのことで、お電話を下さいましたね。その時、何分くらい話したか覚えておられますか?」「2-30分だったと思う。」と田村氏。「話の内容は覚えておられる?」「私の記憶に関することだったと思う。」とそっけなく答える田村氏。

そこで初めて、田村氏が「弁護側証人」ではなく「検事側証人」として出廷したのだということが分かった。
そうか「まるで感情というものを失ってしまったような、声と態度」の秘密は、もしかしてこれやったのか・・・と、思い至る。

それでも弁護士が示した「事件当時の企画課と社会参加推進室の見取り図」に関する質問への田村氏の答えで「両室は、窓際までロッカーで仕切られており(倉沢被告の証言のように)窓際の通路を通って、村木課長の席に行くことは不可能」ということが、証明された。

約1時間の昼休みの後も田村氏の尋問が続き、3時から弁護側証人として出廷した、江波戸元室長の尋問に移る。

江波戸氏も、田村氏同様「調書はすべて検察官の誘導で作成された」と語ったが、田村氏と違った点は、取調べにおいて上村元係長の「稟議書や公的証明書の偽造を、知っていたはずだ」と何度も言われたが「知らない」と答え続けたこと。
とはいえ調書に関しては「議員案件などという、私の使っていない言葉が書かれたので、直して欲しいと言ったが、検事は『まぁ、まぁ』と言って応じてくれなかった。」という経緯を辿り、最終的に「(事件が起きたことは事実だが)私は知らなかった」ということが調書に記載された、と語った。

明日から、いよいよ取調べ検事の出廷だが、記者会見での弘中弁護士の話によると「検察官は、平気でシラッと嘘をつく。塩田元部長に電話の交信記録が有ると言って証言を誘導したことや、北村元課長補佐に、倉沢被告があなたの名刺を持っていると言って、二人が会ったことがあると言わせたりしたことなど、すべて『そんなことは言っていない。被疑者の勘違いだ』などと証言するはず。」とのこと。

えっ、ホンマかいな!? と思うが、本当に検事は公判で「平気で嘘をつく人たち」というのが、弘中弁護士の、長年の経験則だそう。

しかし弘中弁護士は「厚労省の証人がすべて証言を覆したので、検察は『省ぐるみの犯行』と言い募るはずだが、今回の公判では検事側証人もすべて証言を覆しているので、出廷する検事たちがどのように対応するのか・・・お手並み拝見だ。」と、自信を見せた。

判決は、最終的に裁判長の判断になる。
横田信之裁判長の、公平で怜悧な目と心に期待しつつ、明日からの公判もしっかり傍聴し続けようと思うナミねぇやけど「平気で嘘をつく人」って怖いなぁ・・・と、ちょっと弱気にもなる私。

改めて、一人でも多くの方が公判の行方を見守り、支援して下さることを切に願っています!!!

<文責:ナミねぇ>

【関連記事リンク】
◆過去の公判傍聴記(村木厚子さんを支援する会)
http://www.airinkai.or.jp/muraki_sien/index.html

◆なみねえのtwitter(公判速報はコチラから)
http://twitter.com/nami_takenaka

◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
http://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

山下惣一:アメリカの食糧戦略

 「食の戦後の始まりであり、そしてたぶん間違いの第一歩だった」
 前回掲載した「腰を抜かすほどの旨さ」の中で、山下惣一氏はチョコレートの甘さに魅了される若者として登場した。「食の戦後」は砂糖の甘さを渇望する若者の誕生から始まった。それに応える形で地域外、あるいは海外から食品が輸入され、次第に食生活が変化していった。
 今回の「アメリカの食糧戦略」で山下氏は、変化してゆく食生活の背景にある米国の存在にスポットを当てている。農家として戦前・戦後の日本を見てきた山下氏が「間違い」と表現するものは一体何だったのか。前回と同様に『身土不二の探究』から一部を抜粋し、《THE JOURNAL》で紹介する。

*   *   *   *   *

アメリカの食糧戦略

 その変化はあくまで私たちの内発的な要求によるものであり、政治的な意図や外国の力が働いているとは誰も考えなかったのではないか?少なくとも私は一度も疑ったことはなかった。
 だが、「いや、アメリカの食糧戦略によるものだったのだ」とするショッキングな説が登場するのは、それから20年以上もたった昭和50年代(1975〜84年)に入ってからである。

 昭和53年(1978)11月に放映されたNHK特集「食卓のかげの星条旗」は国民に大きな衝撃を与えた。
 「初めて聞く話だ。もっとくわしくこの知りたい」
 放映後、視聴者からの問い合わせが殺到し、翌年、『日本侵攻 アメリカ小麦戦略』(高嶋光雪・家の光協会)として出版された。
 著者の高嶋は、当時NHK農林水産番組班に所属しており、この番組制作のために1ヶ月間アメリカに滞在して丹念に取材している。
 ことの当否はともかくとして、当時の社会的背景と、全国に渦巻いていた時代の気分といったものをよく伝えているので、少しみてみたい。
 ポイントとなっているのは「MSA小麦」と「キッチンカー」である。
 MSAは「Mutual Security, Act」の頭文字をとったもので、「相互安全保障法」と訳されている。アメリカが友好的に軍事援助をするための法律だが、1953年(昭和28年)に余剰農産物を活用できるように改正された。簡単にいうと、アメリカの余剰農産物の支払い代金を相手国に自国通貨で積み立てさせて、その代金でアメリカの兵器を買わせる仕組みで、昭和29年(1954)3月に日米はこの協定(日米相互防衛援助協定)に調印した。
<この結果、日本は2250万ドル相当の小麦(35万トン)をはじめ綿花、米、葉タバコなど、1億ドル(当時の360億円)ものアメリカ農産物を受け入れることになった。このうち55億円相当が学校給食用の小麦、脱脂粉乳の現物贈与であった>

 食糧不足に苦しんでいた日本にとっては渡りに舟のありがたい話だったわけだ。
 そして昭和31年(1956)から栄養改善の指導事業が始まる。これに使用されたのがアメリカの資金援助で購入したキッチンカーで、当初8台、のちに12台が食生活改善、栄養指導のために全国をかけまわることになる。

 キッチンカーについては、『食と農の戦後史』(岸康彦著・日本経済新聞社)から引用する。
<キッチンカーによる栄養指導が終了した60年(昭和35年)末までの4年あまりに沖縄を除く(注・沖縄は復帰前)すべての都道府県をまわり、2万回を超える講演会をした。総走行距離は57万5000キロメートル、じつに地球を14周した勘定になる。
 日本食生活協会は現在22万人(注・1996年)にのぼる食生活改善推進員を会員として組織し、厚生省と連携しながら食生活改善に関わる広範な活動をしている。しかし、もともとはキッチンカー事業のために生まれたような組織だった。
 キッチンカー事業は56年(昭和31年)5月米国農務省の代行機関であるオレゴン州小麦栽培者連盟と協会が結んだ契約で始まった。米国が資金を提供し、協会はキッチンカーを使って食生活を指導するというのである。米国側がキッチンカー事業に口をはさむことはなかったがひとつだけ条件がついた。指導のために作る献立の中に最低1品は小麦を使ったものを入れることである。その当時栄養改善のために国をあげて粉食を奨励したから、この条件は協会にとっても歓迎できることだった。>

 「啐啄(そつたく)」という言葉がある。『広辞苑』によれば「啐」は鶏の卵がかえるとき殻の中で雛がつつく音、「啄」は母鶏が殻をかみ破ること、とある。貧しい食生活からの脱出と栄養改善をめざす「啐」と、余剰農産物のはけ口としてのマーケットを求める外側からの「啄」がみごとに呼応して、ヒナはかえったのだ。

『身土不二の探究』(創森社、1992)より。著者と創森社から特別に転載許可をいただきました)

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『身土不二の探究』
1992年、創森社

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DSC_9965.jpgのサムネール画像【プロフィール】 山下惣一(やました・そういち)
1936年佐賀県唐津市生まれ。
農民作家。中学卒業後、家業の農業を継ぐ。
「生活者大学校」教頭、「農民連合九州」共同代表、「アジア農民交流センター」共同代表。1969年「海鳴り」で第13回農民文学賞、1979年「減反神社 (1981年)」で第7回地上文学賞を受賞。著書に「惣一じいちゃんの知っているかい?農業のこと」「直売所だより」など。

2010年3月18日

さあ、鳩山政権、ここが正念場(その1) ── 参院選勝利と小沢「辞任」問題

takanoron.png 政権交代から半年を迎えた鳩山内閣の支持率は、15日付毎日新聞の調査で43%、2月の前回調査から6ポイント下落する一方、不支持率は8ポイント増の45%、同社調査としては初めて支持と不支持が逆転した。また16日付朝日の調査では支持率は2月から5ポイント減の32%と、不支持率は1ポイント増の47%に達した。政権発足当初の支持率はそれぞれ77%、71%だった。

 両紙とも、支持率下落の最大要因は「政治とカネ」の問題にあると捉えていて、毎日では、「政治とカネの問題を参院選投票の判断材料にする」と答えた人が63%、「小沢幹事長は辞任すべきだ」と言う人が前回より7ポイント増の76%に達した。また朝日では、「政治とカネの問題を重視する」が56%、「小沢辞めろ」は前回より10ポイント増の74%だった。

●正面突破しなかった小沢

 もちろんこのような数字は、マスコミが自作自演とも言うべき手法で生み出したもので、驚くほどのことではない。検察当局が昨年2月以来、憎悪にも近い異様な執念を燃やして小沢潰し・民主党潰しに乗り出し、マスコミがそれに無批判に追随するどころか悪乗りまでして「小沢=巨悪」キャンペーンを1年以上も毎日のように浴びせかけ、あたかもその問題がこの国にとって最大の懸案であるかの架空情報空間を作り上げておいて、おまけにそのような自分らの報道姿勢が「正しかった」ことを裏付けたいがために誘導尋問的な仕掛けを巧妙に潜ませた質問の仕方で「ほら、やっぱり小沢辞任を求める人はこんなに多いじゃないか」という世論調査結果を導き出すのだから、こういうことにならない訳がない。

 本論説の立場は一貫していて、昨年の大久保事件も今年の石川事件も、検察=マスコミ連合軍による不当極まりない人権蹂躙・政治介入の悪辣な試みであって、少なくともこれら2つの事件に関して小沢が屈服しなければならない理由は、論理的にも法律的にも、何もないのだから、昨年の場合は代表を辞める必要はなかったし、今年の場合も幹事長を辞める必要はない、というものである。しかしそこでたちまち矛盾が生じるのは、選挙というものは、大筋のところ新聞やテレビの討論番組やワイドショーによって形成される情動的な大衆感情をいかに引きつけるかを争うのであって、論理的・法律的に正しいからと言って勝てるはずのものではない。

 この矛盾を打開する道筋は、正面突破策か大衆迎合策の2つのうちどちらかである。

 第1は正面突破作戦で、(1)小沢が両事件の真相について誰もが納得するよう説明し、(2)まずは党内を「小沢擁護」で結束させ、(3)また党・官邸とも特別の広報体制をとって硬軟両様の綿密なマスコミ対策を講じて検察=マスコミ連合軍を切り崩し、(4)大衆感情レベルで政権発足当時の小沢及び民主党への求心力を回復することである。

 これには何よりもまず、(1)小沢が説明責任を果たすことが前提となる。「説明責任」などという言葉を使うと小沢熱烈信者からは怒られそうだが、私が言うのは、自民党が言う国会証人喚問、あるいは渡部恒三=元衆院副議長や又市征治=社民党副党首が言う「せめて政治倫理審査会に出て事態収拾を図るべきだ」といった半ば罪人扱いの屈辱に甘んじよということではない。完全オープンの記者会見を開いて自ら国民に向かって正々堂々、自らの潔白を疑問の余地なく主張すると同時に、特に(2)党内、とりわけ経験の浅い参院選候補者たちに対しては、彼らが支持者に胸を張って「うちの幹事長は正しい。間違っているのは検察とマスコミだ」と演説し、マスコミに毒された人びとが素朴な疑問をぶつけてきてもいくらでも反論し説得できるように、十分すぎるほどの資料と想定問答集を与えて懇切丁寧に指導すべきだった、ということである。

 ところが小沢は2月14日、検察の不起訴処分を受けての会見で、「検察の捜査に勝るものはない。捜査で全て調べて頂いて不正をしていないことが明らかになった」と言い放って、それっきりダンマリを決め込んだ。もちろんその言い方は、この1年来の検察=マスコミ連合軍のバカ騒ぎへの痛烈な皮肉であり、そう言いたい気持も分からないではないが、郷原信郎弁護士が指摘するとおり、「ならば大久保、石川らの起訴は公正だったと言うのか」という問い返しに答えることができず、従って民主党全体を検察の暴虐に立ち向かわせるよう導くことはできなくなる。つまり、問題を「検察vs小沢個人」の図式に封じ込めてしまった。これでは、選挙を控えて切羽詰まっている候補者たちに不安と動揺が広がるのは避けられない。

 (3)の広報体制について言えば、米国で言う「スピン・ドクター」すなわちメディア担当補佐官の不在が致命的である。米国に限らず先進国はどこでも、韓国でさえも、政権中枢にはトップ直結でそういう役割を担う練達の士が必ずいて、毎日克明に自政権のネットも含めたメディアへの露出の仕方を徹底的に分析し、機敏に対策を講じていく。「このキャスターの発言は偏見に満ちているので私が直接電話をしてクギを刺す」「この論説委員はなかなかいいので今週中に私とのランチをセットしろ」「このネットサイトはレベルが高い意見が集中しているので重視してウォッチしろ」「この数日、新聞の論調が変わってきたから、来週の大統領スピーチの原稿はこの言葉遣いに変えろ」という具合に、毎日10件も20件も指示を出して不断にメディアに働き掛けていく。が、暗愚の平野博文官房長官の下、鳩山政権にはこの機能が絶無だし、党側にもない。記者クラブの開放も大事だが、それ以前にこの機能がなければお話にならない。

 旧ソ連時代の在米ソ連大使館には有名なメディア担当がいて、テレビ・ラジオ・新聞の報道ぶりをすべて監視して、問題があればすぐに抗議し訂正を求めるということをやっていた。例えば人気のトーク・ショーで一方的なソ連非難が展開されると、その場で電話で抗議し、翌週の同じ番組に自ら出演して、人の良さそうなニコニコ顔ながら舌鋒鋭く反論して、米視聴者にも結構人気があったりした。近年の日本では小泉政権の飯島勲秘書官がまさにスピン・ドクター役で、彼は自ら表立つことはなかったが、メディア動向を克明に捉えながら、雑誌協会加盟の編集者やテレビのワイドショーのディレクターなどと巧く付き合いながら大手メディアの記者クラブを牽制するといった手法で政権を長続きさせた。

 本来ならこういう手立てを講じて検察=マスコミ連合軍に正面から立ち向かわなければならなかったが、小沢は、昨年の場合と同様、今年の場合もそうしなかった。

●「5月の悲劇」の再現か?

 昨年の場合は、そうしなかったことによって結局は代表辞任に追い込まれたのだったが、その教訓を小沢自身はどう考えてきたのだろうか。彼個人としては強気の姿勢を貫きながらも党を挙げての正面突破策を採ることはせず、結局は辞任せざるを得なかったというのは、「そうは言ってもやっぱり小沢は怪しいよね」という大衆感情を克服することに失敗して、むしろそれと妥協することによって選挙での勝利を確実にしたということである。今回は正面突破策を採らなくても辞任に追い込まれることはないという判断なのか、それともまたも辞任することになってもそれはそれで仕方のないことで、要は選挙に勝てばいいんだろうという考えなのか、そこは外からは窺い知ることができない。

 しかし、そうこうするうちにも小沢は外堀から順に埋められて次第に辛い立場に追い込まれつつある。

▼新聞・テレビの「政治とカネ」報道はやや下火になった感があり、新聞には「検察と報道」をめぐる反省的な特集なども出始めているものの、雑誌はそうは行かず、『文芸春秋』4月号の松田賢弥「小沢一郎『57億円略奪』の黒い霧」、『新潮45』別冊の1冊丸ごと櫻井よしこ編集長『小沢一郎研究』所収の君島文隆「小沢一族の深き闇」や岡本純一「特捜検察が迫った『小沢金脈』の全貌」など、小沢がいかに怪しいかを印象づけることだけを狙ったとしか思えない"疑惑"報道が際限もなく広がり、それが有権者のみならず党員・候補者の不安を誘っている。最初の段階で2事件に限ってピシッと終止符を打っておけばこれほど酷いことにはならなかったろう。

▼小沢が地方に行って参院候補者の決起集会に出ると、小沢が壇上に上ったとたんに聴衆の半分からは「オザワ!オザワ!」のコールが起こるが、もう半分からは「黙れ!」「止めろ!」と罵声が湧いて、何とも気まずい雰囲気の中、胸に造花をつけて最上席に座った小沢は目を閉じてそれに耐えているという。それを目撃したある民主党有力幹部は「小沢がかわいそうで見ていられない」と言った。

▼60議席確保には3〜5人区で2人の候補者を立てることが鍵となっているが、例えば2人区は12区のうち5区でまだ候補者を決められず、小沢が乗り込んで県連幹部を叱咤しても「この支持率の低下ぶりでは、2人立てたら共倒れですよ」と、"お前が辞めないから2人立てられないんだ"と言わんばかりの態度にぶつかってしまう。

▼冒頭の各社調査の裏側で弾き出されている非公式予測では、今のまま参院選が行われた場合、民主党は単独過半数確保に必要な60議席などとうてい届かず、50議席そこそこに終わると見られており、その見方はもちろん小沢にも伝わっている。50そこそこでも連立を維持すれば現状通り辛うじて過半数を制することは可能かもしれないが、60を目指して50では「敗北」だし、しかも後1つ2つでも取りこぼせば恐怖の衆参ネジレが再現して政権の行方に赤信号が点滅するという、すでに瀬戸際の情勢である......。

 何より参院選の現場で苦悩が深まっており、それを反映して、七奉行に止まらず政策調査会の復活を求める中堅・若手グループや小沢に近い有力幹部の間でさえも、昨年5月の「小沢の悲劇」の再現は避けられないか?という議論が広がりつつある。今更、正面突破策に立ち戻れる訳もない小沢は、この5月危機をどう乗り切るだろうか。▲

山下惣一:腰を抜かすほどの旨さ

 私たちの世代の日本人は、生涯のうちに何回か、「世の中こんなうまいものがあったのか!」という感動的な食との出合いを経験している。貧しいといわれた飢餓の時代から飽食と呼ばれる現在までを体験してきたからである。いや、かつての食生活が貧しいと実感してきたからこそ、積極的に変革をめざしてきた世代といってもいいだろう。

 私にとっての衝撃的な出合いはチョコレートとフルーツみつ豆である。あの時の感激はいまも忘れられない。
 チョコレートは小学五年生のときだった。学芸会でメーテルリンクの「青い鳥」を演じることになり、担任の教師が、小道具として銀紙にくるまったチョコレートを買い、終了後出演者に分けてくれたのである。たぶん進駐軍からヤミで流出したものだったのだろうが、その甘いこと。甘さに飢えていたからとくに強烈だったのだろうが、世の中にこんなうまいものがあったのか!けっして大袈裟ではなく、私は腰を抜かすほどに驚いた。私にはそれまで菓子やおやつを店で買って食べるという習慣がまったくなかったのである。
 この年から男女共学になり、学級では毎週、「今週の反省・来週の目標」を申し合わせていたが、
 1,買い食いをしない、
 2,道草をしない、
 3,家の手伝いをする、
がいつも上ってくる三大テーマで、農家の長男である私にとってはそれはごく普通の日常だった。
 フルーツみつ豆はもっと後で、たぶん昭和30年(1955)ごろだったと思う。家業の農業を継いだ私は4Hクラブの下っ端だった。4Hは戦後アメリカから輸入された農村青少年の組織で、頭(ヘッド)、手(ハンド)、心(ハート)、健康(ヘルス)の頭文字をとったものである。全国の農村で結成され、同じく戦後に生まれた農業改良普及所の指導で、農業、農村近代化の尖兵として活発に活動していた。当然、私も熱心なメンバーだった。

 ある夏、生活改良普及員の指導で女子部員たちがフルーツみつ豆を作り、その試食会に男子部員が招待されたのである。小学校の教室を借りてローソクの灯の下での試食会だったが、とろけるように優雅で幻想的ですらあるその甘美さに、目まいがしそうだった。もちろん生まれて初めて口にする料理だった。
 ─これからこういう時代になるのだ─
 私の胸は感動でいっぱいだった。
 ─いや、若い力でそうしていかなければならない─
 生活改良普及員の顔が菩薩のようにまぶしかった。
 思えばこれが私にとっての食の戦後の始まりであり、そしてたぶん間違いの第一歩だったのだ。

 というのも、それまでの食生活は、自分の家でとれたものを食う、とれるもの、あるものしか食えない暮らしだった。砂糖と塩を買う程度で、味噌も醤油も豆腐も油も酢すらも自家製だった。魚は漁師との物々交換中心で、たまに玄界灘でとれるクジラが食卓にのぼる。日常は麦飯で盆・正月に白飯を炊き、ニワトリをしめて食べるのはめったにありつけないごちそうだった。
 だから当然、春にタケノコが出てくるとタケノコが毎日、食卓に並ぶ。ナスがとれだすとナスばっかり、カボチャの季節はカボチャばっかり、うんざりするほど食わされて、これを私たちは「ばっかり食」と呼んでいた。
 ことのほか私が苦手だったのが「かんころだご」であった。甘藷(サツマイモ)を輪切りにして乾かしたものを「かんころ」といい、その粉で作ったのが「かんころ団子」である。黒い外皮の饅頭にあんこが入っているのだが、中のあんこがこれまたサツマイモを輪切りにしたもので、これが祖母の好物で得意メニューだったから、私にとっては悲惨だった。見ただけで胸やけがしてくる。しかし、それを食わなければ他に食べるものはない。

 食い物の恨みはおそろしい。私はいまもって、そして間違いなくこれからも命あるかぎり甘藷とカボチャだけはけっして口にすることはないだろう。

『身土不二の探究』(創森社、1992)より。著者と創森社から特別に転載許可をいただきました)

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『身土不二の探究』
1992年、創森社

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DSC_9965.jpgのサムネール画像【プロフィール】 山下惣一(やました・そういち)
1936年佐賀県唐津市生まれ。
農民作家。中学卒業後、家業の農業を継ぐ。
「生活者大学校」教頭、「農民連合九州」共同代表、「アジア農民交流センター」共同代表。1969年「海鳴り」で第13回農民文学賞、1979年「減反神社 (1981年)」で第7回地上文学賞を受賞。著書に「惣一じいちゃんの知っているかい?農業のこと」「直売所だより」など。

2010年3月16日

《インタビュー》長島防衛大臣政務官:普天間基地移設問題 野党時代の「県外・国外」案は修正する

 長島昭久(ながしま・あきひさ)防衛大臣政務官は《THE JOURNAL》取材班のインタビューで、普天間基地の移設先が「当面は沖縄周辺になる結論に至りつつある」と語った。それにともない野党時代の民主党の公約で、「県外・国外」移設案を含んだ「沖縄ビジョン」は修正する方向にあることを示した。

 「野党時代の限られた情報で作られた公約と、政府の中であらゆる情報に接した上での考え方にはズレがある」
 長島氏は修正を余儀なくされる理由に、野党時代と現在の立場で触れられる情報の質の差をあげている。仮に5月にまとめる政府案と公約に違いが出た場合は、修正点だけでなくその結果に至る根拠を国民に対して説明することは避けて通れない。映像ではその「説明責任」にまで触れている。

 現在移設先を巡って意見が錯綜しており、「県外・国外」を主張する社民党はもちろん、説明の仕方次第では民主党内への動きへ波及することも予想される!?

2010年3月15日

民主党への期待と警告 ── 普天間問題は政権存続の試金石

武藤功氏(文学と思想誌「葦牙」編集長)

 この3月8日、社民党と国民新党は、沖縄・普天間基地の移設案について政策提示を行った。三党政権の最大政党である民主党は、自らの案を提示しなかった。これは官房長官主導の「沖縄基地問題検討委員会」の手続きに沿ったものなのかどうかは分からないが、国民から見ると分かりづらいやり方である。これでは提示した二党の政策が政府政策の敲き台になることはあっても、三党の対等なパートナーシップによる政策案の練り上げを期待することはできないからだ。この点、民主党の言う「政府と党」の一体化政策は、この普天間問題ではマイナスに作用していると言わざるをえない。

 このマイナスは単に三党の関係に響くだけではない。政府と民主党の関係においても重大な影響を持つ。なぜなら、政策的に幅も広く容量も大きい党の能力を除外して、その幅も容量も小さい政府の判断を優先させる結果になるからだ。これは取りも直さず、鳩山内閣の普天間政策の貧困化をもたらす措置だといっても過言ではない。

 今や普天間問題は政治の焦点

 そもそも、こうした事態となったのは政府が普天間基地移設問題を単に軽視しているだけではなく、とんでもない思い違いをしているからだと疑わざるを得ない。この思い違いは二つの面について言える。一つは、いまや普天間問題は「政治とカネ」の問題と並んで、鳩山政権の行方を占う最重要で象徴的な政策的闘争課題となっているという政治状況について鈍感だという問題である。この政治的状況認識の不足は致命的である。もし、政府が5月の公約時までに成案を出せなかったり、あるいはその移設最終案が旧自公政権の辺野古案より拙劣だった場合、その政府に対する反動は激烈な内外の批判と非難となってあらわれ、政権維持も覚束なくなるだろう。何よりも深刻なのは沖縄において圧倒的な支持を受けた政権与党の基盤が危機にさらされることだ。これは戦後60余年にわたってつづいた沖縄と本土との分断をより深刻なかたちで再現することにもなる。

 もう一つは、普天間基地問題が持つ戦後史な認識の問題である。これは国家としての主権認識の問題といってもいい。つまり、無条件降伏時の国際法に照らしても違法な米軍の沖縄基地占有化(占領軍によるその国土への強制的軍事基地化は事実上の領土化に等しい違法行為である。これはポツダム宣言にも反している)を60余年にわたって認めさせられ続けてきた対米関係を「チェンジ」する一歩とすべき絶好の機会としてめぐり合わせた「政権交代」を、その国家主権の回復という視点から認識していないのである。この政治的、歴史的な認識が鳩山内閣にはまったく窺われない。とくに、三党の「検討委員会」を主導する平野官房長官には国家主権どころか民主党の責任主体すら感じられないのだ。見えるのは、「早く一丁片づけたい」という政権の処理願望だけだ。それでは沖縄の民意はもとより、米国の枠組みのなかでしか動けなかった「戦争と平和」の問題について、独立国の主権において世界に貢献したいという国民的な願望にも応えることができない。

 鳩山内閣はこの第二の点ではとくに思い違いをした。平野官房長官をこの普天間問題の責任者にしたことである。そもそも思想的にも安全保障問題にも何の実績もなく、政治キャリアにおいても国会議員という以外には何もないに等しい人物が、たまたま首相の側近という立場にあって官房長官という重職に就いたために、この大役を担う事態になったことは政権にとってきわめて不幸なことであった。本人は自覚していないかもしれないが、本人にとっても不幸な役回りであったといえる。

 最低でも、鳩山首相は「検討委員会」のまとめ役に平野氏を指名した時、あわせて民主党に対して普天間基地問題の党内協議会を設け、小沢幹事長を先頭にして全党をあげて取り組む体制をつくるべきであった。そしてその全党協議の結果を3月8日の「検討委員会」に発表し、先の2党の試案と合わせて政府案作成に向かうべきであった。これまでの歴代政権が60年余にわたって解決できなかった普天間基地問題には、その必死の全党検討に値する重みが十分すぎるほどにあったのである。

 小沢氏の政治力を活用すべき

 これまでの経過において、なかでも惜しまれるのは、民主党内の安全保障論議ではもっとも経験も実績もある小沢幹事長の論議自体が普天間をめぐる政権論議に反映されていないことだ。今年になってから刊行された佐高信氏の『小沢一郎の功罪』も、「沖縄の米軍基地移転の問題で小沢がどう考えているのかあまり話題にならない」と指摘しているが、これは佐高氏が小沢氏について「沖縄には、もう米軍はいらない」論者の一人としていることに同意する私にとっても残念なことである。

 小沢氏には「第7艦隊だけで十分」とか、辺野古の「あの美しい海を埋め立てていいのか」という言葉がつたえられており、その言葉こそ思想の実質をあらわすものといえる。これまでの民主党議員には、こうした思想的表明はほとんど皆無であった。それだけに、普天間に対して重みのある小沢氏がこの普天間問題へ関与せず、沈黙を守りつづけるなら、それが「内閣への政策一元化論」にもとづくものであれ、世紀の普天間基地問題への党論議を主導すべき幹事長として大きなミステークとなる。

 日米安保条約50年の節目にして、これまでの東西冷戦思考から脱却し、新たにアジア諸国とのする友好と信頼にもとづく安全保障の在り方が求められている現状から言っても、小沢氏には積極的で本格的な関与を求めたい。この普天間基地問題が意味することは、単にそれを旧政権の辺野古合意の破棄によって「どこかに移設すればいい」という話ではまったくないのである。沖縄との関係そのものから言っても、基地のある宜野湾市民の安全を図るということはもちろん第一義的だとしても、そのために他の沖縄地域や他県のどこかに移設するということで済む話ではないからである。仮に、そう主張したいのだとしても、そのためには在日米軍基地に対する主権国家としての評価をきちんと行わなければならない。全党評価はそのためにも不可欠であり、その責任ある評価があってはじめて内閣として内外に政策提示を行うことができるのだ。

 これまでの政府の普天間論議を見ていると、その責任意識と気迫がまるで見えない。聞こえてくるのは、「ゼロベースで検討する」という平野官房長官の誤った思いこみのメッセージだけである。平野氏はこのメッセージを公平な移設先検討の公正な態度表明だと思いこんでいるようであるが(だから稲嶺氏が勝利した名護市長選後に、その結果を「斟酌しなければならない理由はない」というよな有害な発言もしたのであろう)、その「ゼロベース」というのは米軍基地に対する「ゼロ評価」と言うに等しいものだということを理解していない。これでは、5月になってその「ゼロ評価」の普天間基地を移設させるといわれたなら、その関係住民が納得も合意もしないのは当たり前であろう。住民の安全を脅かしている危険な普天間基地を押しつけられたと思うだけだからだ。

 一方、米国側は、鳩山首相が「アメリカの理解を得る」という態度を取る以上、日本の安全保障のために尽くしている米軍基地をなぜそのように住民が反対する地域に移設するのかとうことになるだろう。いわば、どっちにしても「アブ・ハチ取らず」ということになる。この点では「5月までには必ず決める」という超楽観主義の鳩山首相とテーブルを移動するくらいにしか事態を認識していない平野官房長官は、普天間問題を政権没落のための自らの墓穴としているように見える。これは文字通り、政権政策の危機である。  

 小沢氏も、自ら乗り出せ

 この政権の危機を党幹事長の小沢氏が黙って見ている手はない。苦労に苦労を重ね、金権利権のバッシングを受けながら衆院選勝利による「政権交代」のために旗を振ってきた小沢氏である。米国にまともに物もいえないような初心な閣僚たちだけに普天間問題を任せてしまっては、政権自体が没落するという危機のなかで、今こそ自らの役割を自覚すべきだ。師匠として仕えたかつての田中角栄もなしえなかった「安保国家」という制約から抑圧されていた対米主権国家の主張を、この普天間基地問題を契機に明快に行うべきだ。その言論だけが、平野官房長官の「御用聞き」的役回りを超えて将来の「独立自尊」の国家的展望へと導く道筋をつけてくれる。

 今その言論を行わなかったなら、小沢氏が蓄積してきた政治思想とは何なのかということになる。沈黙を続けているなら、「政治とカネ」についての対抗者たちの攻撃も一掃できなくなる。今こそ、その「政治とカネ」の誇張された俗論を粉砕する政策的チャンスが普天間問題には内蔵されていることを自覚すべきだ。それは世紀の事業であると同時に小沢氏にとっても起死回生の事業なのだ。厳しく言えば、小沢氏がメディア・バッシング通りに「利権政治家」の一例に終わるか、それとも戦後だれもなしえなかった「安保国家」脱却の突破口を開く政治家になるのかの岐路にいるのだ。

 それに考えてもみるがいい。沖縄県民はあの太平洋戦争の地上戦以来、日本政府の愚策によって苦しみ抜いてきたのだ。この現実は「基地負担の軽減」などという言葉によって解消されるものではない。「地域主権」を政府が本気で言うなら、「基地はいらない」というその沖縄県民の声に耳を傾けるべきだ。そして、普天間基地については名護市長選以来、沖縄の声は明快に示されているのだ。その名護市をはじめ、宜野湾市でも、嘉手納町でも、さらには県議会でも、あるいは仲井真知事も、その基地に対する答えを出している。それは憲法の原則として示されている「地方自治の本旨」(第92条)の発現なのである。憲法尊重義務(第99条)を負う政府の国務大臣と国会議員は、この沖縄住民の自治的な声を尊重しなければならない。

 この意味からも今度こそ、政府と民主党の普天間政策を沖縄県民に明示すべき番だ。5月をもって闇うち的に変更のきかない最終案を出すというような態度を取るべきではないのは明らかだ。沖縄米軍基地についての「抑止力」評価なども踏まえて、主権国家の名にふさわしい透明な移設政策提示を求められているのである。沖縄のガヴァナンスを担ってきた大田昌秀(おおた・まさひで)元知事は、すでに14年も前に「基地返還アクション・プログラム」を策定して発表しているのであるから、現状においても政府にその種の基地政策プログラムを要求することは決して過大なことではないのである。

 これまでの旧自公政権は、その県民要求に応えるのではなく、米軍本位のDPRI(米軍再編・防衛政策見直し)に適合するという外務・防衛の官僚的対応に追随し、今後50年以上にもよぶような恒久的代替基地を建設しようとしてきたのである。鳩山新政権はその自公政権の米国との「政治合意」を根本から見直し、沖縄県民と国民が納得できる新たな普天間移設案を主権国家の発動者である首相の政治主導による「鳩山イニシアティブ」として提示してはじめて、「政権交代」の名に値する道をすすむことができる。もし、この道を踏み外すなら、官房長官まかせの「ゼロベース」という行き場のない道を突き進むことになり、最悪の解決策としての沖縄切り捨て論、沖縄排外主義へと暴走してしまうことにもなりかねない。そうなれば、新政権の面目は一挙に失われ、大島自民党幹事長のいう「鳩山内閣退陣論」が一気に現実味を帯び、夏の参院選を大きく揺るがす事態となることは明らかである。

 そうならないために、沖縄沈没は日本の沈没にほかならないということを鳩山内閣と民主党は肝に銘じなければならない。この普天間基地をめぐる現実が語っていることは、その暗黒と光明とへの岐路の苦闘ともいえるが、それを迷走に終わらせてはならないのである。

【録画放送中】ちばてつやさん、永井豪さんらが訴える! 東京都青少年健全育成条例改正が日本のマンガ・アニメ文化を滅ぼす!

【録画放送中!】

■会見中に竹宮惠子さんが「自分のケイコという名前は石原慎太郎都知事の小説から名づけられた」との発言がありましたが、これは本人の記憶違いで、正しくは石坂洋次郎さんの小説から名づけられたとの訂正がありましたので、ご注意ください。なお、放送では会場の音をマイクでそのまま拾ったため、音質がよくありません。誠に申しわけございませんが、あらかじめご了承のほどお願いいたします。

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「『東京都青少年健全育成条例の改正案』に反対する作家等リスト(2010年3月15日現在)」をアップしました!今後、まだまだ賛同者が増えるとのことです。

※クリックすると拡大します
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 本日に東京都庁記者クラブで行われた「東京都による青少年健全育成条例改正案と『非実在青少年』規制」について反対する会見を、17時から録画再放送します! ハッシュタグは( #dame_kaisei )です。

 記者会見には、漫画家のちばてつやさんや永井豪さんをはじめ、社会学者の宮台真司さんも出席。問題となっている作品の登場人物にまで規制をかける「非実在青少年」という概念には、行政や政治の裁量が大きすぎるとして批判の声があがりました。

 今回の改正案の問題点については下記のサイトをご参照下さい。

■篠田博之:性表現規制めぐる東京都条例改定の動きが山場に! 15日に漫画家らが記者会見
■東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
■とても心配(ちばてつや くずてつ日記)
■弁護士山口貴士大いに語る ※改正案の問題点がコンパクトにまとまっています

2010年3月14日

放送終了まであと3回!「サンデープロジェクト」について語るスレッド

 3月いっぱいでの放送終了を発表した「サンデープロジェクト」が残すところ3回の放送となりました。

 今回は核の密約問題、地方分権がテーマとなっており、是非、みなさんのご意見をリアルタイムでお聞きしたいと思います。

 「サンデープロジェクト」の前身である「爽論争論」時代から番組にたずさわっていた《THE JOURNAL》主宰・高野孟は、残りの3回フル出場の予定です。

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《3月14日放送内容》

1,「日米密約」検証報告受け...米関係の今後は

密約公表という成果を日米関係改善に生かすことができるのか?

<出演>
岡田克也(おかだ・かつや)

2,大激論!地方分権はどうなる?

民主党政権は、地方分権をどう進めようとしているのか?
地方分権で私達の暮らしはどう良くなるのか?

<出演>
原口一博(はらぐち・かずひろ)総務大臣
河村たかし(かわむら・たかし)名古屋市長
中田 宏(なかた・ひろし)前横浜市長 

3,シリーズ日本の雇用2:「均等待遇」阻む壁

消えた同一価値労働同一賃金原則の謎を独走追跡。
民主党政権は、広がる格差にどう対応しようとするのか?

<出演>
内田 誠(うちだ・まこと)ジャーナリスト

【関連記事】
■高野孟:サンプロが終わって何が残るのか?

2010年3月13日

《インタビュー&対談》高野孟×喜納昌吉:普天間基地移設問題 ── 米国は日本に丸投げして逃げたがっている!

 3月11日《THE JOURNAL》取材班は喜納昌吉(きな・しょうきち)民主党参院議員にインタビューしました。喜納氏は2004年参院選で民主党から出馬して当選し、民主党が野党時代にまとめた「沖縄ビジョン」にも深く関わり沖縄の抱える問題を訴えてきました。

 インタビューの途中から《THE JOURNAL》主宰・高野孟が登場します。基地問題で熱い討論...と思いきや、話題は意外な方向へ...

【関連記事】
■喜納昌吉ブログ:雑誌世界3月号インタビュー

2010年3月11日

【第12回】竹中ナミの公判傍聴記:どんだけ意図的にストーリーを創り上げる組織か、はっきり見えたわ!

 3月10日(水)すっかり寒さが戻ってしまった。
 六甲山に住む友人からの「今朝も雪が降り続き、外に置いたバイクが雪だるま状態!」とのメールを読みながら、9:45、大阪地裁201号法廷傍聴席に到着。

 グレーのツィードスーツの厚子さんが明るい笑顔で入廷し、傍聴者たちに「おはようございます」と声をかけながら、信岡弁護士と控え室へ入って行く。

 10時開廷。今日は、検事側5名(女性1名)弁護側7名(女性2名)、厚子さんは弁護側に着席。証人の出廷を待つ間、S検事、なぜかまばたき多し。10:08、間隆一郎(はざま・りゅういちろう)元企画課課長補佐が入廷。180センチの大きな身体を丁寧に折って一礼。証言席でも再び深く一礼。弁護側証人として出廷した間氏は、今までの証人と違って堂々としており、全身から落ち着きが感じられる。

 間元補佐は、裁判長に促され氏名を名乗ったあと、宣誓書を読み上げる。今朝は栗林弁護士からの尋問で公判開始。
「今回の事件を、どのようにして知りましたか?」
間元補佐が「昨年5月28日、外郭団体に行かれた塩田元部長の電話で知りました。」と答える。

 その内容は「職場(塩田氏の転職先)に検察の捜索が入り、携帯まで持っていかれた。検察に(自分は)狙われてるようだ。検察官に、石井議員から障害者団体への証明書発行について依頼の電話を受けただろうと言われたが、自分は全く記憶が無い。もし電話が有ったのなら、きみや村木さんに連絡や相談をしたはずだが、覚えてないだろうか?」という電話だったという。

 間氏は「全く覚えがない。石井議員の名前も聞いたことがない」と答えた後「石井議員は障害福祉に関係ないですもんね」という会話を交わしたという。

 栗林弁護士「その時、どのように感じましたか?」
「当時、塩田氏に議員から色々電話が有ったことは知っているが、政策的に重要なものなら私も相談を受けているはず、と思った」と間氏。弁護士「あなたは、当時どのような仕事をしておられたのですか」
間氏「課長補佐であると同時に、厚労省独自のポストである、政策調整委員という役目を担っていました」
弁護士「政策調整委員というのは、どのような役割なのですか?」
間氏「国会関係の情報収集や答弁の指示を出す役割です。塩田氏に石井議員から重要な電話が有ったなら、必ず聞いているはずの立場です」

 弁護士「村木さんとあなたは、仕事上どのような間柄だったのですか」
間氏「毎日数回、情報交換し、議員や障害者団体とのやりとりが有れば全て話しあっていました。村木課長の行動で自分が知らないのは、外で村木さんが職務上あまり重要でない人と名刺交換したような場合くらいだといえます」
「村木さんは、大変仕事熱心なうえにメモ魔で、省内外で常にノートを携帯していました。私と村木さんは、そのノートをお互いに参照しながら、今日の出来事の引継ぎや案件の打合せなど、短いときは数分、長いときは2ー30分の会話を、毎日4,5回交わしていたのです」

 間氏は、厚子さんがメモの中でも重要なものは、手書きだけでなくパソコンにも入力して保存し、仕事に漏れ落ちが無いよう幾重にも記録を残すタイプだったと証言。そして自分は役目柄、自席を離れることが殆どない(というか、離れてはいけない役職としての)日々を送っていたので、厚子さんを訪ねて来た人や厚子さんの仕事内容を最も熟知する立場にあった、こと、厚子さんが石井議員の依頼を処理するよう塩田元部長から指示を受けた、という報告を厚子さんから聞いたことは無く、厚子さんが自身の席で、倉沢被告に会ったり証明書を手渡したりしたなら必ず目にしているはずであるが、そのようなことも全く無かったと、証言した。

 また、間氏の証言で、厚子さんが倉沢被告に「偽造公的証明書を手渡した」という、当時の「企画課の配席図」も明らかになり、倉沢被告が証言した「窓側の通路(のようなスペース)を通って、村木課長席に行った」という動線は、当時背の高いキャビネットで塞がれていたことが判明。通路が無いばかりか、厚子さんの机の前には半透明の衝立があって、真正面から書類を手渡すのは不可能だった、ということも明らかになった。

 間氏の証言を聞きながら私は「検察が間氏を、重要証人として扱わないことの意味、というか意図」が、よ〜く理解できた。厚子さんに、いわば密着して仕事をしていた間さんの証言を重要視すると、検察のストーリーが成り立たなくなるんやね!

 間氏は何度か検察の事情聴取を受け、その都度、厚子さんの仕事ぶりを克明に話し、検察官に反論し、検察官の言いなりにならなかった...つまり検察にとっては邪魔者というか、無視したい存在やったのね。検察の恫喝や誘導に負けたり、取引可能な人だけが、検事側証人として残された、という訳。

 検察が「省ぐるみの犯罪」というなら、厚子さんの直属の部下として密着してた上に、厚子さんを庇う証言をする間氏は、ホンマは最も怪しい人物のはず。検察って、どんだけ意図的にストーリーを創り上げる組織か、はっきり見えたわ!

 検察は、上村元係長が厚子さんから「議員案件なので急いで」と言われたという供述調書をとっていたけど、上村氏が所属する社会参加推進室は、厚子さんが課長を務める企画課の下部組織でありながら、独立した部屋で独立した業務を行っており、一緒に仕事をすることは無く、従って上村元係長と村木課長には「仕事上の接点は全く無かったのです」と、間氏。

 「事件当時は、制度が大きく変化した時期とされているが」と弁護士の尋問が続く。
「障害福祉予算が大幅に不足して、大変な状況だった」と間氏。
「平成15年4月に、障害者の生活や施設を行政が決める措置制度から、障害者自身がサービスを選択する支援費(しえんぴ)制度に転換し、サービスを実現するための予算が大幅に不足してしまったのです。秋ごろからは16年度予算をどう確保するか、あるいはどう切り詰めるかが最大のテーマでした。他のセクション...児童や高齢者福祉予算から分けてもらうようなことも含め、関係部署との折衝も大変だった」と、当時を思い出すように語る間氏の声に苦渋が満ちる。

 「後に自立支援法が成立したが、当時その法案との関係は?」自立支援法を通すため、大物国会議員であった石井氏の依頼を断り切れなかった、という検察側のストーリーの妥当性について、弁護士が確認を始める。「平成16年春には、自立支援法についての議論は全く始まっていませんでした。」と、きっぱり答える間氏。

 「当時、状況打開のために議論されていたのは、高齢者のための介護保健法が障害者にも適用出来ないか、ということでした。高齢者の中には、若くして障害を持ち、高齢になった方もいるので、法の整合性を取ることは可能ではないかと、議論が開始されたのです。しかし障害者団体から反対意見や慎重論が相次ぎ、議論がまとまることは有りませんでした」
「自立支援法に関する議論は、そのような経緯を経て、平成16年8月末から始まりました。私はそのグランドデザインの策定に関わり、平成17年2月、自立支援法は国会に提出されたのです。従って、本事件と自立支援法は、時期的に全く関係が有りません!」間氏の説明に、傍聴席の多数が大きく頷く。

 記事を送るため、法廷を出る記者もいたが、今やもう誰一人、検察のストーリーが崩れる事態に驚くことのない、静かな法廷。

 午前の残り時間で、検事側尋問が有ったが、間氏の当時の仕事内容の確認や、配席図の確認などに終始し、するどいツッコミが何一つ無いまま12時となり、裁判長が「休憩」を告げる。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 午後は、裁判官から午前のやりとりを確認する尋問が行われたが、ポイントは「当時の配席図を、どのように確認したのか」ということ。
間氏は「厚労省では、どの席に誰が座っているか...名前と電話番号を書いた配席図を使っており、人が変わると配席図も変わるので、当時のものを見ながら自分の記憶と違っているところはないか、当時の補佐など職員に聞取りをした」こと。その結果「自分の記憶どおり、窓際の通路が無かったことが明確になった」と答える。

 その後、裁判長から、間氏の入省からの経歴が問われ「健康保険、老人福祉、秋田市役所への出向。年金局に戻って、その後、和歌山県庁の出向を終え、平成15年4月から、厚労省社会援護局障害保健福祉部に在籍。平成15年6月から17年8月まで、企画課課長補佐として働いていました」。

 「そして...社会保険支払基金を経て、平成20年7月から医政局に1年在籍。その後、大臣官房人事課でキャリア職員の人事と研修を2年担当し、21年7月からは、政策企画官として社会保障全般を担当しています」と、現在の職責を語って、間氏は経歴の説明を終えた。

 裁判長が、再び質問を投げかける。
「あなたは平成16年に、石井議員の名前を聞いたことは?」
間氏「全く、一度も、ありません」
「石井議員のことを塩田氏から聞いたことは?」
「ありません」
「村木課長から聞いたことは?」
「ありません!」

「あなたは、未明まで部屋に居ることや、泊まり込むことはありましたか?」
「はい。あまりよろしくないことだが、忙しい時はありました。国会審議をお願いしている時などは、朝まで仕事が続くときもあります。でも..」と、そこで間氏の声に、少しハニカミが混じる。
「私は、帰って朝ごはんを食べたいタイプなので、できるだけ帰ります」

 厚子さんから「間氏の愛妻ぶり」を聞いたことのある私は、思わず傍聴席でにっこり。

 「朝の8時ごろに、職員は部屋にいますか?」裁判長が、上村氏が書類を偽造した翌朝の8時に、課長印をこっそり押しに来た時の状況確認、と思われる質問をする。
「厚労省の勤務シフトは、8:30〜17:15、9:00〜17:45、9:30〜18:15 と3種類なので、8時にはまだ誰も居ない場合が多く、その時は鍵がかかっています。」と、間氏。
上村氏が「管理室で鍵を借りて部屋に入った」と証言したことを、思い出す。

 こうして、第12回公判は、しごく冷静に、クールに終わった。
公判後の記者会見で、記者から弘中弁護士に質問が。
「次の公判では、もう少し...なんというか、キャッチーな...見出しになるような事は予定されてますか?」

 弘中弁護士の苦笑いを後に、大阪地裁を出たナミねぇでありました。

【関連記事リンク】
◆なみねえのtwitter(公判速報はコチラから)
http://twitter.com/nami_takenaka

◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
http://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

◆村木厚子さんを支援する会
http://www.airinkai.or.jp/muraki_sien/index.html

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

2010年3月10日

【インタビュー】中後淳:「環東京湾構想」と房総半島から描く新たな成長戦略

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民主党の中後淳(ちゅうご・あつし)衆院議員は8日、「山崎養世×高野孟:房総の未来を考える」シンポジウムのテーマになった「環東京湾構想」について《THE JOURNAL》のインタビューに答えた。
 「限界に突き当たりつつある東京と首都圏が再生する道」として山崎養世氏が提唱している「環東京湾構想」。千葉12区から選出された中後氏が東京の対岸・房総半島からみたその構想のポイントを語った。

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中後淳衆院議員(民主党)

─房総半島の現状と、「環東京湾構想」の注目すべき点は

 首都圏中心部と房総半島がアクアラインの開通によって地続きでつながり、通行料金が800円へ値下がりして本当の意味での「地続き」にあと一歩のところまできています。しかし両地域間を地価などの価値づけで比較するとあいかわらずギャップがあります。
 これからの房総半島は開発が遅れてきたことを武器にできる可能性があります。つまり自給できる生活、広い土地などを資源にして、首都圏の一部にいながら「首都圏」とはまったく違う暮らしを実現することができるということです。
 団塊の世代が高齢化したときに、いまの首都圏の環境はその世代を支えるきることが難しくなっています。そこで房総半島が持っている資源に注目すべきと考えます。

─羽田・成田空港との関係は

 「環東京湾構想」には羽田空港の開発が関わってきます。いま羽田は24時間空港、ハブ化の方向に進んでいます。
 成田空港と羽田空港が陸路で結ばれることがあれば、中間地点にくる半島が物流の要所になります。2,30年先を考えると房総半島は可能性が広がります。日本の航空、港湾行政は目先の開発にとらわれていました。海外の先進開発地域が進むスピードに合わせられませんでした。航空会社が日本から離れつつある状況の中、「環東京湾構想」がそれを引き留める手段にもなるかと思います。
 しかしジレンマはあります。千葉県は成田空港があるため、羽田空港のハブ化に大きな声を上げることができません。騒音が懸念されるため羽田空港の24時間化にも強く賛意を表すことはできない問題があります。

─「環東京湾構想」の実現には行政の協力が必要です。今月28日の木更津市長選挙については

 木更津は現在アクアラインの着岸点、歴史的にみても中心地で、房総地域全体を考える最重要地点といえます。
 今回の選挙は房総半島全体を活かす重要な節目で、町づくりの方向性全体を切り替えるチャンスです。市民は首都圏との関係だけでなく、羽田と成田の中間点としての視点をもつことが重要だと思います。

【関連記事】
■【第2回】政治家に訊く:中後淳
http://www.the-journal.jp/contents/politician/2009/09/2.html

核密約で露呈した日米安保の"闇" ── 外交にも「官僚主導体制の打破」が必要だ!

takanoron.png 日米安保体制の裏側に、核の持ち込みをはじめいくつもの密約が隠されていることは、天下周知のことで、驚くにはあたらない。有識者委員会の努力で多少ともその実態が明らかになって改めて驚くのは、外務官僚がいかに情報を占有し歪曲し隠蔽までして、内閣と国会と国民を操ってきたかという、外交における「官僚主導体制」の有害性である。

●抑止力のまやかし

 事は、単に「官」が「政」を操って国民に嘘をつかせたのがけしからんというに止まらない。少なくとも80年代までは、核弾頭を搭載した米艦船が自由に横須賀や佐世保に寄港したり、あるいはジョージ・パッカード米日財団理事長(元ライシャワー駐日大使特別補佐官)が明らかにしたように、1966年に在沖縄海兵隊が戦術核兵器を密かに山口県岩国基地に運び込んだり、好き放題にやってきた。ということは、国民は長い間、日本政府からそうと知らされないまま、いつどこで核爆発事故に遭うか分からない状態に置かれてきたということである。

 元外務官僚などがあちこちに登場して、「日本が米国の核の傘に依存している以上、核持ち込みを拒絶することは出来ず、しかしそれを明らかにすれば日本の反核世論の手前、政府がもたなくなるという中で、苦悩の選択だった」などといったことを言っているのは噴飯ものである。米国は別に、日本を他国による核攻撃から防衛してくれるために日本に核兵器を持ち込んできた訳ではない。グローバルな核戦略バランスの中で、ロシア極東、朝鮮半島、中国、台湾海峡に直面するこの国土を"不沈空母"として確保し前進拠点としてフル活用しようという、むき出しの国益に立ってそうしているだけのことであって、本当のところ日本に米国の「核の傘」が差し掛けられているのかどうかは疑わしい。

 米国の核の傘がなければ、たちまち北朝鮮や中国の核ミサイルが雨霰と降ってくるかのようなことをいう人もいるが、それは外交や経済の関係を捨象して抽象的な軍事の世界だけに立てこもって物事を単純に割り切ろうとするオタク的な見方である。現に北朝鮮は、2回にわたって日本の上空を飛び越してミサイルを発射して、米の核の傘など働いていないことをすでに確認しているかもしれず、であれば日本にいつミサイル攻撃があってもおかしくはないが、今のところそういうことは起きていないし、起きそうにない。付け加えれば、私が昔から言っているように、北がもし日本を核攻撃する意図があれば、核弾頭の開発などする必要はなく、通常弾頭のミサイルを日本の原発集中地域に降らせればよいのだが、今のところそのようなことは起きていないし、起きそうにない。起きそうにないのは、北が単純な軍事基準だけで自らの行動を決めていないからである。

 結局、外務官僚とそれに追随した政治家たちは、核の傘とは何であるかということを自らの頭で考えることも、米国に問いただすこともしないまま、その言いなりになって、つまりは米国の国益の側に寄って、日本国民を潜在的な核事故の脅威に晒してきたことになる。日本にとって核の脅威はまず米国から来ていたのだが、そのことを国民は知らなかった。

 これが核に限らず「抑止力」一般を論じる場合のポイントで、例えば沖縄の海兵隊は不可欠の抑止力だと米国側は言うけれども、どこからのどういう脅威に対する抑止力なのかはいっこうに具体的に語られることなく、「日本が攻められたらどうするんだ」というような恫喝的な話になってそれが神話化されてきた。沖縄県では08年の1年間に、航空事故27件、廃油による水質汚染事件6件、大規模な地表火災18件、強盗・強姦事件70件が起きていて、日本を守るためにいるはずの米軍が、まずもって日本国民を殺したり犯したりしているのであって、日本にとっての侵略の脅威はまず第一には米国によってもたらされているのである。

 日本を守って貰うためには、核持ち込みも航空事故も少女暴行も、国民が堪え忍ばなければならない防衛のコストなのだというのが、外務省と歴代自民党政権の論理であったのだけれども、それをそのまま受け継ぐべきなのかどうかが鳩山政権に問われていて、この密約問題も普天間問題もその議論の恰好の入り口となるに違いない。

●鳩山政権にもっと時間を

 前出のパッカードは、近着の『フォリン・アフェアズ』3・4月号に「米日安保条約の50年」と題した論文を寄せ、「ワシントンは鳩山新政権に普天間基地の問題を解決するために[5月末などと言わずに]もっと多くの時間を与えるべきである」と論じている。

「そもそもなぜ海兵隊が沖縄にいるのか、彼らは何の脅威に対抗しようとしているのか、と問う人もいる。しかしそのような問いにも鳩山の懸念表明にも応えようともせずに、ゲーツ国防長官は昨年10月に東京に来てただ06年合意を実行するように迫った」

 この後に上の「もっと時間を」という文が続く。そしてさらに彼は言う。

「より一般的に言えば、米国政府は日本の強力な第二党が選挙を通じて政権を得たことを、米国自身が種を蒔くのを手伝った民主主義が日本に根付き始めた証拠として祝賀すべきである。そうすることは、日本がペンタゴンの命令におめおめと従うことを今後は期待できないということを意味するだろう。そうすることはまた、日本の諸政党が安全保障の問題について自分なりの意見を持つ権利を認めることを意味するだろう。......ペンタゴンにとって愚かなことは、政権について1カ月しか経っていない鳩山を[ゲーツ国防長官を送り込んで]怒鳴りつけるような真似をすることである」

「ワシントンは"低姿勢"をとって、東京との間で安保をめぐるあらゆる問題を思慮深く再検討すべきである。......米国政府は、日本国内の米軍プレゼンスを削減したいという日本の切望を尊重すべきである。ドイツ、韓国、フィリピンのそのような切望に対してそうしてきたのだから。在日米軍のプレゼンスは、19世紀的な治外法権の考え方を思い起こさせるようなもので、それを取り決めている[日米地位]協定については再交渉すべきである」

 鳩山は、岡本行夫のような安保の"闇"の一部であるような人物のアドバイスに耳を傾けるのでなく、こういう真の知日派をこそ海を越えて内閣の顧問に迎えるべきではないか。▲

2010年3月 9日

【特集:静岡空港問題】知事がかわっても行政組織の体質はかわらない

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 3月に入り、静岡県は一連の静岡空港をめぐる問題の「解決」に向けてアクセルを踏んでいる。16年間続いた石川県政から一転、川勝平太(かわかつ・へいた)知事のもとで県政に変化が訪れているのか。

 県は富士山静岡空港(以下静岡空港)西側にある立ち木の伐採ルールを取り決め(資料1)、県が余分に取得した土地についても返還する約束(資料2)を地権者の大井氏と取り交わした。

 「何があっても強制力を行使しないことを約束したかった」

 開港から半年以上経った現在も決められていなかった立ち木の伐採管理のルールがようやくまとまった。5日に県と大井氏が取り交わした確約書には、協議当初の段階では存在していなかった5項目が加わっていた。20年にわたって県と対峙し続けた大井氏が「誠意を持った協議」を求める背景には、いまだに払拭できない県への不信感があるのだろうか。

*   *   *   *   *

大井寿生氏(島田市)
「知事がかわっても、行政組織の体質はかわらない」

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Q:なぜ最後の項目をつけることになったか

 今後も空港に関わるさまざまな問題が生じてくる事に強い懸念を持っていいたからです。単なる紙っぺらだし、石川前知事のように約束を反故にする人が相手では何の意味もありませんが、何かあった時のためにぎりぎりのところで5項目のような形を持っておきたいのです。「これからの問題は協議で解決する」という5項目が守られていることを前提にして、4項目までに応じていきます。

Q:川勝知事になって県政に変化はありますか

 今日(9日)のニュースで川勝知事が静岡空港の需要予測について「過大だったと認めざるを得ない」と言いました(リアルタイム静岡「空港需要予測 過大と知事」)。こういった「普通の人」が思うことを知事が言ってしまうことは意外と大きなことです。知事は県民が求めている立場を認識しているようです。一方で搭乗率保証の問題では大人げないことを言ってしまうところがありますけど(相川俊英:JAL経営再建 まず高コスト体質を改善せよ)。

 いずれにしても知事がかわったとしても、行政組織全体の体質は変わらないなという印象があります。

Q:県の対応は変わりませんか

 県が余分に収用した土地の返還について、5日の記者会見で「測量ミスがあった土地は返すのですね」との質問に、「ミスじゃない。誤差だった」と県は言い張っていたようです。しょうもないところでは形だけ整っていればいいのです。ウンザリしますよ。

*   *   <資料1>   *   *
【確約書】

静岡空港の制限表面下の土地所有者 大井寿生(以下「地権者」という。)と静岡県(以下「県」という。)は下記のとおり確約する。

1 制限表面に支障となるおそれがある自生した笹、草、立木等は、県が、管理行為として除去するものとする。
 除去は、原則として年4回とする。ただし、現地の状況により除去の必要があるときはこの限りではない。

2 制限表面に支障となるおそれがある立木のうち、用材に供することが予定されているものは、地権者と県が締結する補償契約に基づき伐採するものとする。

3 上記1及び2の位置及び範囲については、県が地権者に示すものとする。

4 上記1及び2の立木等が存する土地のうち、新たに補償が必要となるものについては、使用地と同等の内容で補償するものとする。

5 今後、静岡空港を起因として地権者に影響を及ぼす諸課題については、双方が誠意を持った協議により解決を図るものとする。


静岡県空港建設事務所長
藤 田 泰 秀

*   *   <資料2>   *   *

平成22年3月1日

大井 寿生 様
静岡県知事 川勝平太

収容地の返還について

 大井寿生様とご家族の皆様には、昭和62年に静岡空港建設予定地が「島田・榛原地区」に決定以来、これまでの22年の間、空港の建設を巡り言葉に尽くせぬ御心労をお掛けしてきたこと、深くお詫び申し上げますとともに、これまでの協議に、真摯に御対応いただき、心から感謝いたします。

 静岡空港整備事業の施行に際し、静岡県は、平成15年に航空レーザー測量を実施し、起業地の範囲を記した図面を作成の上、平成17年7月に事業認定を得、平成18年の県収用委員会の審理を経て、静岡空港整備事業に必要な土地を取得いたしました。
 その後、事業の進捗に伴い、平成20年10月23日から25日に、いわゆる丸茶畑付近で測量を実施したところ、平成15年測量の結果と一致せず、静岡空港整備事業に必要でない土地があることが確認されました。
 このため静岡県としては、当該土地について大井様に協議をお願いし、平成21年12月8日には、大井様に現地で当該土地の境界を確認いただいたところであり、平成21年12月21日には分筆登記を完了することができました。
 今後の手続きにつきましても、大井様の御高配を賜りますよう引き続きよろしくお願いいたします。
 大井様をはじめとする多くの地権者の皆様の計り知れない苦悩、労苦と引き替えに、静岡空港を開港できたことに、重ねて御礼を申し上げるとともに、静岡空港がより多くの県民の皆様に利用されれるよう努力してまいりますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

(資料1、2は大井氏から頂いた文書を編集部がテキストにしてアップしました)

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【特集:静岡空港問題】

(1)"虚構"の静岡空港 県民に知らされていない大問題
 ─相川俊英:静岡空港の問題点を語る(09.1.26)

(2)続 "虚構"の静岡空港 県がひた隠す開港延期の本当の理由
 ─大井寿生:県の無責任体質を明らかにする(09.2.5)

【特集:静岡空港問題】開港直前インタビュー!">(3)開港直前インタビュー(09.6.3)

日米密約はあった! 外務省が極秘資料をホームページで公開

 日米の密約問題を調査していた外務省の有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は9日、岡田外務相に報告書を提出した。

 委員会が検証の対象とした密約は、1960年代から70年代に日米間で交わされたとされる(1)1960 年1 月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」(2)1960 年1 月の安保条約改定時の、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」(3)1972 年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する「密約」(4)1972 年の沖縄返還時の、原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」 ── の4つ。

 このうち、委員会は(1)(2)(4)の3つを密約と認定。69年に交わされたとされる(3)のいわゆる「沖縄核再持ち込み合意」については、政府内で引き継ぎがされていなかったために密約と認定されなかったが、岡田外相は報告後の記者会見で「一般常識からみれば密約だ」と述べた。

 今回の報告書で注目されるのは、報告書の発表と同時に、検証の対象となった極秘文書が生の状態(Raw Deta)で外務省のホームページで公開されていることだ。その数は「報告対象文書」が35点、「その他関連文書」が296点にのぼる。今後、インターネットユーザーが機密扱いを解除された文書を読み込むことで、さらなる発見につながる可能性もある。

 一方、委員会は密約に関する重要文書が多数破棄されていることを「遺憾」「深刻な反省が必要」と厳しく批判している。外交文書の破棄は歴史を改ざんする行為に等しく、岡田外相も「今後、何らかの調査が必要」としている。

*   *   *   *

■外務省内部調査報告書(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_naibu.pdf

■有識者委員会による報告書(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_yushiki.pdf

■いわゆる「密約」問題に関する調査結果(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kekka.html

■報告対象文書(35点)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/taisho_bunsho.html

■その他関連文書(296点)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kanren_bunsho.html

2010年3月 8日

《音声配信中!》郷原信郎×魚住昭:日本人は「検察=正義」というマインドコントロールから脱却せよ!

gohara_uozumi100308.jpg

 元検事で名城大学教授の郷原信郎氏とジャーナリストの魚住昭氏が、8日午後に都内の外国人特派員協会で行った記者会見「What's Next? Ozawa VS. Prosecutors」の音声をアップしました。

 日本の司法とメディアの異常な共棲関係を告発する貴重な会見となっています。ぜひお聴き下さい!

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■郷原信郎×魚住昭
 「What's Next? Ozawa VS. Prosecutors」
 (英語通訳付き)

→ダウンロードはコチラ(mp3)←

※クリックでダウンロードできない場合は、「右クリック→ファイルを保存」を選択して下さい

【放送終了】 魚住昭×郷原信郎:「検察の正義」を議論!

■放送終了(14:10)
Live TV : Ustream

本日12時20分すぎより、外国人特派員協会で行われる魚住昭さんと郷原信郎さんの記者会見を緊急生中継します!

ハッシュタグは[ #tfcc0308 ]です!

※生中継は、通信環境や機材の状態により、突然中断する場合があります。あらかじめご了承くださいm(__)m

2010年3月 6日

【第11回】竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:「これは政治案件ですよ」は、真っ赤な嘘

 3月4日(木)、朝から小雨そぼふる中、大阪地裁へ。今日はジャーナリストの江川紹子さんも東京から傍聴に来られ、地裁で合流。

  今日は石井一参議院議員の出廷日ということで傍聴券の抽選があるため、駐車場に人の列。初公判が4倍だったことを思うと想像したほど多くない。私は家族傍 聴券を戴いていたが、運だめし(?)と思って並んでみたが...くじ運の悪い私は、やっぱり外れた! せっかくなので抽選券に当たった江川さんと記念写真 を撮らせて戴こうとカメラを構えたら「敷地内撮影禁止っ!」と、警備員にどえらく怒られる。朝からとほほな私...(^^;)

仕方なく、地裁の敷地から出て、傍聴券の当たった江川さんとツーショット。

 10時開廷。石井議員入廷。白髪、大柄。選挙区が私の住む「兵庫一区」なので、選挙カーや路上演説などでお見かけしたことはあるが、間近に会うのは初めて。「こわもて」の印象を抱いてたが、終始、穏やかな声で話された。証言席に移る前に、秘書がペットボトルのお茶を渡し、一口飲んで証言席へ。

 石井氏は弁護側証人なので、宣誓の後、弘中弁護士からの質問で尋問開始。まずは1969年衆議院議員初当選から今日までの経歴や所属した委員会などが語られる。外交、防衛・安保、国土交通、都市開発に関する委員や選対委員長歴任など。

 弘中弁護士が「厚労省の委員会はありますか? 」と聞いたあと「いわゆる厚労族議員かということですが」と直截にいったので、廷内にちょっと笑い。「厚労委員会に属したことはなかったと思うが...私は何省の族議員でもない」と、ちょっとムッとした口調で石井氏。

 「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」弘中弁護士の質問が核心に触れ始める。「勿論!」と、石井氏。弘中氏「どんな人でしたか?」「1982年に秘書 公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後の選挙で私が落選した時に事務所を離れ、その後、職を転々とした後、弟(石井一二氏)の秘書になったので、 わたしにとっては弟の秘書という印象が強い。」と石井氏。「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」とも。

 この後、何度も石井氏は、倉沢被告が自分にとって重要人物ではないことを繰り返し述べる。「彼は私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えて るとも聞いたし、失礼な言い方になるが、職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない。いわば周辺の人だ。」クールでかなり突き放した言い方。「イ ンナーサークルの人ではない」という言葉を聞いた時は、なぜだか背筋がゾワッと。

 弘中氏「あなたは、倉沢氏とどの程度の接触が有ったのでしょう?」石井氏「私は克明に手帳をつける性格で、いつ誰と、どんな要件で会って、どう対応したか などを全て書いている。それによると...倉沢に会ったのは、2001年1回、02年0回、04年2回...07年は選挙があり、かなり会っているが、そ れでも6回。つまり平均すると年に1-2回事務所に顔を出す程度ということです。」と石井氏。

 弘中氏「次にお聞きしますが、あなたは厚労省社会援護局元部長の塩田幸雄氏との面識はありますか?」。石井氏「覚えがありません。長年議員をしていると、 相手は僕を知っててもこちらは記憶がないということが、いくらでもあります。塩田さんというのは直接会ったこともないし、顔も思い浮かばない。」弘中氏 「塩田氏は、阪神淡路大震災後の復興委員会であなたに会ったと言ってますが...」石井氏「兵庫一区は被害が大きかったので、会った事実がないとはいえな いが、覚えがありません。」

 「では...」弘中氏の口調が少し厳しくなる「平成16年2月下旬頃、あなたが塩田氏に、障害者団体の件で相談が行くので、よく聞いてやって欲しいと、電 話したことは?」。石井氏「全くありません。働きかけなど一切していません。」弘中氏「そのようなことが、あたかも有ったような報道が多々なされて、あな たは名誉毀損の訴えを起こされていますね。」

 「訴訟など起こしたくなかったっんですが...」石井氏の声のボリュームが少し上がる。「報道がなされた2009年春は総選挙前の大変な時期ですよ。まし て党副代表でしたから。その時期に、新聞、TV、週刊誌などで毎日毎日、身に覚えのないことが報道され、カメラやマスコミがいつもついてくる。そんな状況 が続いて本当に困りました。

 そのうち「キャリアウーマンが私の依頼に抗しきれなかった!」などというタイトルが地下鉄の中吊りにも載る有様で...」石井氏は真剣に訴える。しかし 「ついには男女関係でもあるのかという電話までかかってくるようになり...」と話しはじめると、廷内のあちこちで笑いが起きる。
う~ん、ちょっと自慢っぽいかも。(^^;)
「まぁ、そのような訳で弁護士に相談して、身の潔白を証明するために週刊誌を訴えたのです。」

 その後、石井氏は「今日なぜ出廷したか」を問われ「私自身もマスコミに書かれて相当辛い思いをしたが、村木さんという女性局長は高知の大学を出て東大卒の 競争の中であそこまで上り詰めた。それなのに被告人の席に立たされて、さぞ辛く苦しいだろうと、その心情を思い、同情の気持ちから、今日の出廷を決め た。」と語った。

 「では問題の、平成16年2月25日についてお聞きします。」弘中弁護士の厳しい口調に、廷内が静まる。「これが倉沢の手帳ですが...」法廷内の左右の壁にかけられた 大きなディスプレイに、手帳が写しだされる。

 「この日の倉沢の手帳には<13時 石井一、木村>との記述があり、これが本事件にあなたが関与している...口添えを依頼され、厚労省に働きかけた、と いう疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」。石井氏「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録し てますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば...」

 石井氏の言葉を受けて弘中氏が「手帳を!」と、裁判長に要請したとたん、検事が「異議あり!」と大声で叫びながら立ち上がる。公判前整理手続で証拠採用し ていないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」「認められません!」

 「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中氏が冷静に話し始める。「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材 料を提出するのは、当たり前ではないですか?」。立ち上がった検事は着席するのも忘れて、真っ赤な顔のままで弘中氏を見つめている。

 「公判前整理手続の段階では、石井氏が克明に手帳に記録をとる方だとは分かりませんでした。しかし本件について、昨年9月に石井氏が事情聴取を受けた時、 実は石井氏は手帳を検察官に見せているんですよ。検察官がきちんと見なかっただけです。石井さん、その時の検察官がここに居ますか?」「はい」石井氏が 検事席を見ながら答える。「そこにおられる・・・少し太られてメガネもかけておられるので別人のように見えるが、あの方です。」名指しされたM検事、ちょっと顔を赤らめて、俯く。

 私は驚いて傍聴席で飛び上がった。なぜならこの事件は「石井議員の口利きに端を発した、政官がグルになって犯した犯罪」と検察は言い続けているにも関わら ず、捜査時点はおろか逮捕・起訴後3ヶ月の間、倉沢の供述の裏付け捜査を一切行っていないということが明らかになったからだ。ようやく9月に入って、あわ てて石井議員から話を聞いたのだろう。検察は、事件の端緒になる口利きについて最も基本的な裏付け捜査もせずに、主犯の供述だけを基にして厚子さんを逮捕・起訴していたことになる。何という暴挙! 何という怠慢! 開いた口が塞がらないとは、こういうことだ!!

 「そのような訳で、手帳の証拠採用をして戴きたい!」弘中氏の言葉に、裁判長が頷く。
ディスプレイに、石井氏の手帳がアップで映し出される。「2004年2月25日...この日に丸印がついてますが、これは?」「それはゴルフの日、という 印です」と石井氏。「7:56ティーオフと書かれてますね。どこのゴルフ場ですか?」「成田です。」しばらく、参加メンバーやスコア、何時頃終わったとい うような会話が続く。

 「この手帳を、あなたはM検事に見せたんですよね。事情聴取の場所は?」「大阪のリーガロイヤルホテルでした。」と石井氏。

 う~む、国会議員を呼び出す時は一流ホテルで話を聞くのか...と心のなかでツッコミを入れる私。
「(事情聴取なので)会話は録音されてるはずですね?」と弘中氏。うなずく石井氏。その後、手帳を精緻に点検しながら弘中氏と石井氏のやりとりが続き、その日はどのようにしても石井氏が倉沢に会うことは出来なかったことが判明。

 記者たちが、バラバラっと法廷外に飛び出す。今日の報道は「石井議員、その日はゴルフ!」やね、きっと。弘中弁護士の辣腕ぶりが、いかんなく発揮された午前の法廷だった。

 11時過ぎ、少し休憩がとられると、石井氏は笑顔とドスの利いた声で弁護団席に座る厚子さんに近寄り「初めてお会いしますね」と声をかける。立ち上がって微笑みながら一礼する厚子さん。

 休憩の後は検事が尋問に立ち、石井議員の秘書の人数や役割分担、陳情対応などを聞いた後「あなたが凛の会を知ったのは?」と石井氏に問うた。「2004年11月6日です。」と石井氏。それは偽造証明書が発行されてから、2年10ヶ月も後のことだ。「議員会館ではなく、十全ビルのオフィスで会いました。」

 「選挙の手伝いをすると言って来た倉沢が、選挙関係の話をした後、新聞のようなものを僕に見せて、これを選挙に活用してはどうか、と提案するので見ると <凛>と書いてあった。これを選挙公報に使うと、障害者郵便なので安く送れる。8円だかなんだか、そんな話だった。でも障害者関係を熱心にやってる議員は 他に居るし...障害者にしか送れないんじゃあまり意味もないし...あ、もしかしたら、誰にでも送れるのかな?これは村木さんに聞いたほうが早いか。」 と、そこまで言ってニッコリ笑う石井氏。傍聴席にも笑い声。

 「まぁそんな訳で、断ったよ。倉沢もそれ以上言わなかったしね。」
 「僕はね、倉沢には犯罪は構成できないと思うんだ。使われたり、利用されたりするタイプだよ彼は。今はどうしてるか全く知らんね。」

 12時過ぎたので、ここで昼休みとなる。地裁駐車場前の喫茶店で、アイスティを飲みながらツイッターに「公判傍聴記速報」を打ち込む。パソコンを閉じる前 にツイッター・サイトをのぞくと、江川さんも凄いスピードで速報をUPしている。わぁ~い、ツイッター競演だ! とちょっと浮かれてたら、午後の法廷に入 るのが少し遅れてしまった。そろりと法廷の扉を開けると、わっ、なんやなんや! 検事と弘中弁護士が大声で言い争っているやないの!!

 検事がまだ石井議員の手帳を「証拠採用できない!」「不意打ちだ!」などと叫んでいる。往生際の悪いやっちゃなぁ。「公判前整理手続で提示していなければ ダメだという法律など無いでしょう!」と弘中弁護士。怒鳴り合いが終わらないので裁判長が「ではこの件は後ほど。」と公判を続けるよう促す。

 そして公判が再開されたが、その後の検事側の言動にはズッコケた。なんと検事側も、石井氏の手帳の平成16年2月25日のページをディスプレイに映し出し て尋問を開始したのだ。しかもすでにゴルフ場に色々裏をとってることが丸わかりの尋問が続く。弘中氏が立ち上がり「そっちの調べたことも、証拠提出しなさ いよ!裁判長、証拠請求します!」

 「いや、これはまだ調査中のことなので...正式な書面化もしていないので、証拠ではない!」
検察側は、平成16年2月25日に石井氏がゴルフに行っていたことに気づき、こっそりゴルフ場や同行した関係者にあたっていたのだろう。弁護団に先を越されたことが悔しくてならないんやね、きっと。

 検察側は、ゴルフに同行したK議員が、当日予算関係の委員会に出席していたことの「証拠」となる「委員会出席者名簿」を持ち出して(これだって証拠採用さ れていないコピーものやのに、自分が証拠のように使うのは、良いらしい)石井氏のゴルフというアリバイを崩そうとした。しかしその委員会は、出席してもし なくても「委員全員の名前が出席者名簿に掲載される」という慣習だということを石井氏が暴露し、もう法廷はしっちゃかめっちゃかの様相に。

 最終的に裁判長の判断で、石井氏の手帳の「平成16年2月24日と25日」が「証拠採用」され、今日の公判が終わった。

 傍聴者たちがみな、席からザワザワと立ち上がりかけた時、石井議員が「ひとこと、お話させて戴きたいことがある。」と声を張り上げた。裁判長、検事、弁護団、傍聴者全員が石井氏が何を言うのかと耳を傾ける。

 石井氏の、政務に鍛えられた大きな声が「私は、この裁判の結果は、検察庁の倫理・存在(意義)を問うていると思っている。検察が、公正無私で善であることを私は希望している。」と語った。

 そして石井氏は、公判後の記者会見でも「あなたたちマスコミは、私を犯人扱いしてこられた。村木厚子さんも、大変つらい思いをしておられる。事実に基づか ない報道を続けてこられた皆さんは、いったいこの責任をどうとるのか。情報の集め方にも問題があるのではないか」と、問題提起を投げかけて、大阪地裁を後 にした。

 最後に、今日の石井氏の証言の中で、最も印象に残った言葉を記しておこう。
「私は、顔はいかついが、実は心は優しいのですよ。」
笑いを誘うことも忘れない、関西人の石井さんであった。

2010年3月 4日

【第10回】竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:裁判長に座布団3枚!

 3月3日、お雛祭りの今朝は、数日間の暖かさが去り、コートを羽織って自宅を出る。ゆとりを持って出かけたのに、JRが事故で(?)30分も遅れ、大阪地裁201号法廷に10時5分過ぎに駆け込む。でもなぜか上村氏の入廷が少し遅れ、10時10分開廷となったので、冒頭から傍聴できることに。ホッ。

 検事から、被疑者ノートを中心とした尋問が続く。検事が確認し続けたのは「取調べ検事の作文だとあなたは証言してきたが、あなたはノートの各所で(調書に)同意してるだけでなく、取調べに不満が無い、という欄にもチェックを書き入れているではないか」「後日、書き加えたり書き直したりしたのではないか」の2点。

 それに対して上村氏は「法廷で証拠として公開されることは全く知らなかったが、自分が後で(取調室で何があったか)読み返す必要を感じていたので、書き直しはしていない。」「不満がない、にチェックした時は、何を言っても無駄と感じて、もうどうでも良いやと投げやりになっていたから」と証言。

 「村木課長は本当のことを言って欲しい、という記述もあるが?」と検事。「塩田さんが村木さんに指示したとか、誰かが郵政の森さんに電話したとか、検事から色々聞かされて、もしかしたら自分が単独で偽造した以外に、もう1枚証明書は偽造されたのでは?と思ってしまうほどだった。」

 「だんだん僕は頭が混乱し、村木さんが何か知ってるなら話して欲しいと思った時もあったが、検事から偽造証明書は1枚だと聞いて、村木さんは絶対関与してないと確信できた。でもそれを何度言っても調書に書いてもらえなかった。」

 検事「村木課長の関与を自分から言ったことは?」。上村「全くありません!」。検事「でも被疑者ノートに<村木関与を認めた>と書いてますよね」。上村「違います。認めさせられたという事です」。検事「自供したんじゃないんですか?」ここで弁護側より「異議あり!」の声。裁判長が異議を認める。

 「でもあなたは...」検事が問いかけ方を変える。「村木さんの関与を積極的に否定してませんよね」。上村氏「はい」。検事「この段階(起訴前日)で、それをほのめかしでもしておかなければいけなかったのでは?裁判官からも最後のチャンスと声をかけられたのでしょう?」。

 上村氏「怖くて...迷いに迷って、ああいうあいまいな書き方になってしまった。申し訳なかった。勇気がなかった。本当はしっかり書きたかった!」聞き取れないほどの声で証言を続ける上村氏の声が高まって来る。検事「村木さんが関与を否定してることは、知っていましたよね」。上村氏「はい。でも追いつめられて、与えられる様々な情報に混乱して...」上村氏の声に嗚咽が混じり、ついに泣きながら叫ぶ。「今は、はっきり村木さんの無実を確認しています。村木さんは無実です!!」

 検事側尋問が終わり、弁護側と交代となる。弘中惇一郎弁護士が立ち上がり、穏やかに話し始める。弘中弁護士「厚労省と、あなたが河野氏に証明書を手渡しに行った弁護士会館の図面を確認してもらえますか。」図面が法廷のプロジェクタに映し出される。弘中氏「厚労省〜地下道〜エスカレータ〜階段・・・ここで一瞬空が見えたというのは、こういう感じですね」次々写真が投影される、うなずく上村氏。

 次に、弁護士会館地下の「喫茶メトロ」の写真と図面を弘中弁護士が提示し、それが法廷内のプロジェクタに映し出される。「この喫茶で間違いないですか? この写真にあなたと河野氏が座った席が写ってますか?写ってたら、図面に印をつけて下さい。」「はい、写っています。ここです。」と答えて上村氏はしっかりと記しをつける。

 弘中氏とバトンタッチした信岡弁護士からは「改めて聞きますが、被疑者ノートの<不満が無い>にチェックしたことと、供述調書の修正を完全にあきらめた、ということの関連を教えて下さい」。上村氏「何度言ってもダメなんだから、もうどんな欄でも関係ないや、と投げやりになってしまっていました。」
最後に裁判長はじめ3人の裁判官から、証言全体を俯瞰した質問がいくつかなされ、上村氏の証言がすべて終わった。

「あんたの証明書偽造せいで、厚子さんは罪に陥れられたんやで!」
 上村氏の証言を初めて聞いた日、私は怒っていた。傍聴席で怒りに震えながら上村氏の証言を聞いていた。厚子さんがそんな彼を慈母のような瞳で見つめていることにも「厚子さんも、もっと腹を立ててもえぇんちゃうん!」と感じながら傍聴記を書いた。でも3日間にわたる上村氏の証言を聞き、彼が取調べ室で、実は最初から一貫して「僕一人でやったことです。」と言い続けていたことが心底信じられた今、やはり厚子さん冤罪事件(と、はっきり言おう)を生み出したのは、上村氏ではないことを確信する。

 おそらく彼には「障害者団体に、書類審査のスピードを上げることくらい、してあげても良いんじゃないか。ちょっとだけ便宜を図って、彼らの活動を少し応援することくらい、いいじゃないか...」という、親切心や同情心も有ったのではないか、と思う。そんなふうに思えるほど、上村氏の証言の正直さと涙は、私の胸に切なく残った。

 でもその心情を巨額の利益に利用した詐欺師たちがおり、その詐欺事件の構図を「政治家と省ぐるみの巨悪の構図」に書き換え、厚子さんを大犯罪者に仕立て上げた輩が居る。今日から先の公判は、その輩が断罪される公判であるべきだ。

◇ ◇ ◇

 午後の公判は、上村氏の上司であった企画課課長補佐、北村氏の出廷。
ここでもまた、今まで出廷した証言者のすべてが語ったように「検察の誘導尋問」が明らかになった。北村氏は、厚労省を訪れた倉沢被告を、村木厚子企画課長や社会参加推進室の室長らに引き合わせ、上村氏の証明書偽造を直接指示したとされている。

 彼も取調べで一貫して「そもそも、倉沢氏に会った記憶がない」と言い続けてきたが、検事から「倉沢があなたの名刺を持っている。これは政治案件であり、石井議員、村木課長、そして社会参加推進室という流れは分かってるんだ。」と、東京地検に呼び出された最初の日に言われたそうだ。

 「倉沢氏が名刺を持っているというだけではなく、誰それがこう言って、誰それもこう証言している、と言われ続け、自分も記憶力に自信があるわけではないので、いつしか、そういうこともあり得るのか・・・と揺らいでしまった。」

 しかも最初から「被疑者」としての尋問で、恐ろしさから逃れたい気持ちでいっぱいだった。「知らない」「記憶に無い」と言うと「一泊でも二泊でもして行くか!?」とか「検察をなめるなよ」とか大声で言われ、調書に署名してしまった。と語る北村氏。その後、度重なる取調べと何通も作成された調書をとりまとめる日もあったが、訂正や修正を言い出せなかった。村木さんを陥れるつもりなど、全く無かったし、こういう結果になったことを大変申し訳なく思っている。

 しかし...と、ここで声をあらためた北村氏の証言に、法廷内の皆が驚愕することに。「倉沢が私の名刺を持っている、ということが実は嘘だったんです! 私はやはり倉沢と会ってなかったんです。」「いつそれを知りましたか?」と弘中弁護士。「つい先日。公判のために検事と打合せをしている時です。」

 前回の傍聴記で私は「検察の取調べノウハウ」を書いたが、後一つ「嘘の証拠をでっちあげて、ストーリー通りの証言を引き出す」を、加えなくてはならない。塩田元部長の証言を引き出した「石井議員への報告電話の通信記録がある」もそうだったが、こうなると本当に「嘘の証拠の提示」が取調べにおいて「常態化している」と言わざるを得ないだろう。

 ジャーナリスト江川紹子さんが、上村氏の公判傍聴後、自身のブログに書かれた『地検「特捜部」は本当に必要か』を今、全国民が真剣に考えねばならない時かもしれない。
http://www.egawashoko.com/c006/000319.html

 ところで、かくも深刻かつ馬鹿げた状況に陥った公判であるが、裁判長の最後の一言が、法廷を沸かせたことを記しておこう。今日の証人である北村氏へ投げかけたその一言は...「取調べ検事の、一泊でも二泊でもして行くか?というのは、東京の自宅(我が家?)にお泊まりなさい、という意味ではないですよね」という、お茶目なもの。思わず私は「裁判長に座布団3枚!」と声をかけてしまいそうになりましたよ、ははは。

 そして特筆すべきは、厚子さんが今日はとてもファッショナブルなスーツを着ておられたこと。毎回私が傍聴記で「地味!」などと書くので、意識されたのだろうか。今日は濃いグレーのスーツなんやけど、襟とポケットとボタンに濃い緑のベルベットがあしらわれ、中に着ているブラウスも同色でシルクのタートルネック。しかも、髪を後ろでひとまとめに括る髪飾りはスーツと同色という、トータルコーディネイト!
う〜む、今日はキャリア官僚っぽくてしかも上品だ。公判の行方がだんだん明確になってきて、気持ちが落ち着いて来られたのかなぁ、と嬉しく思う。

 え、私のファッション? そらいつも通り、ジーンズに「ケバい」メッシュ頭でございますよ。毎回、大阪地裁の警備員に、胡散臭そうな目で見られながら、法廷に通っておりますのよ。

 さぁ、この出で立ちで、明日の石井議員出廷も見届けるわよ〜!!!

【関連記事リンク】
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◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
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◆村木厚子さんを支援する会
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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

2010年3月 3日

郷原信郎:東京地検人事、まったく意味不明の入れ替え人事

【2010.3.1付 法務省人事】
谷川恒太(たにがわ・つねた)最高検検事[東京地検次席検事]
大鶴基成(おおつる・もとなり)東京地検次席検事[最高検検事]

 3月1日付けの法務省人事で、谷川恒太次席検事と、「小沢捜査」の舞台裏で指揮をとっていたとされている大鶴最高検検事の"入れ替え"人事が発表された。

 東京地検ナンバー2の次席検事に着任するのは大鶴最高検検事で、福島県談合・汚職事件では特捜部長として捜査指揮し、佐藤栄佐久(さとう・えいさく)前知事を収賄容疑で逮捕に追い込んだ人物だ。

 谷川次席検事については、『週刊朝日』の山口一臣編集長宛に抗議書を送り、逆に抗議書を突き返されて話題になった。

詳細はコチラ
↓ ↓ ↓
山口一臣:誌面じゃ読めない「検察の『抗議』に抗議」のウラ話
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2010/02/post_94.html

 今回の"入れ替え"人事の狙いはいったいどこにあるのか。検察側の単なるアピールなのか。元検察官で弁護士の郷原信郎氏にその背景について解説していただいた。

 *   *   *   *   * 

郷原信郎氏(弁護士・名城大学教授)
「まったく意味不明の入れ替え人事」

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写真:2010年1月18日、フォーラム神保町シンポジウム会場にて

 最高検の検事といってもいろいろなクラスがあります。まだ検事正を経験していないクラスの最高検検事もいれば、検事正を2度経験して最高検検事になるクラスもあります。最高検検事と東京地検特捜部の次席でどちらが上の位になるかは一概に言えません。

 今回の人事で一つはっきり言えるのは地検の次席をかえたという事実があるということです。

 今回はどのような意図でかえたのかが問題です。ここまでデタラメな捜査をして失敗したら、責任を取らされるのが世の中一般の常識だと思います。もし谷川次席が責任を取らされるとすれば、強硬なことを"上"から言ってきた大鶴最高検検事に本来責任を取らせなければいけません。それを入れ替えるというのはまったく意味不明です。

 次席をかえることで今までの延長線上で捜査を続けるという姿勢を示しているのかもしれません。そんなことをやったら泥沼に入っている現状からさらに入り込むことになります。何を考えているかよくわかりません。

 「日歯連闇献金事件」「福島県談合・汚職事件」と大鶴氏はまともな成果を上げたことはほとんどありません。いかに検察の人材が枯渇しているかを示した人事と言うべきでしょう。

《録画放送中!!》「小沢vs検察」にみる検察と報道のあり方

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 2010年3月3日、録画バージョンをアップしました!見逃した方はぜひご覧ください!!

http://opinion.infoseek.co.jp/article/766

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 小沢幹事長の不起訴で一応の幕引きとなった「小沢VS検察」の戦い。"国民不在"の権力ゲームとなり、最終的には明確な決着もないまま収束に向かつつあるこの戦いはいったい何だったのか......。

 検察が政局を左右するという異常な状況をどう考えるのか、そしてそのなかでマスコミ報道が危うさを露呈したことをどう考えるのか。その2つの大きなテーマを議論するシンポジウムが、本日2月26日、開催されます。

 《THE JOURNAL》はInfoseek内憂外患と共同でこの模様をライブ中継でお届けしております。

【配信先URL】
http://opinion.infoseek.co.jp/article/766

【日時】
2010年2月26日(金)18:00~(終了予定時刻は21:00)

【出演者】
三井 環(元大阪高検公安部長)
鈴木宗男(国会議員)
上杉 隆(ジャーナリスト)
青木 理(ジャーナリスト)
元木昌彦(元『週刊現代』編集長)
安田好弘(弁護士)他

【司会】
篠田博之(月刊『創』編集長)

※リンク先はシンポジウムにむけたインタビューです

【開催趣旨】
 検察が政局を左右するという異常な状況をどう考えるのか、そしてそのなかでマスコミ報道が危うさを露呈したことをどう考えるのか。その2つの大きなテーマを議論します。
 特にマスコミ報道をめぐっては、検察リークについてこれまでなされた議論を超える形で批判が相次いだのが今回の特徴です。これは恐らく新聞・テレビの世論への支配力が相対的に落ちたためで、ネットを含む多様な言論がひとつの状況を作りだした結果といえます。 
 こうした議論については新聞なども無視するわけにはいかず、例えば東京新聞では特報面で何度か特集を組んだり(1月23日他)、1月31日には佐藤敦社会部長による〈「リーク批判」に答えて〉という異例の見解が掲載されました。その中で佐藤部長はこう書いています。〈「検察リーク」の批判は、自民党政権時代の疑獄事件の際にも、同党側から上がっていました。今回の特徴は、かつて「政治とカネ」について厳しい論陣を張ってきた識者、ジャーナリストたちからも同様の批判が聞かれることです〉
 この「検察リーク」批判は『週刊朝日』など幾つかの週刊誌やネットで大きな声になっており、それに新聞が紙面を使って反論するという形で論争になりつつあります。新聞・テレビの報道をめぐってこんなふうに批判を含めた議論ができるというのは、市民のメディアリテラシーを鍛えるという点では非常によい機会で、これを機にもっと大きな議論がなされる必要があります。
 2月26日のシンポジウムには新聞労連や日本ジャーナリスト会議などにも呼び掛けて、ジャーナリズムに関わってきた人たちも巻き込んで議論を行いたいと思っています。ぜひ参加してください。(月刊『創』ブログより)

2010年3月 2日

【第9回】竹中ナミの郵便不正事件公判傍聴記:何を明らかにし、何を裁こうとしているのか

 実態のない障害者団体に郵便料金の割引を受けるための偽の証明書を発行したとして逮捕された村木厚子被告の裁判が、検察側主張を裏付ける供述調書の中身がことごとく覆され注目を集めている。

 《THE JOURNAL》主宰・高野孟の友人で、現在社会福祉法人プロップ・ステーションの理事長を務める竹中ナミ氏は、「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」サイトを立ち上げ、2010年1月27日の初公判から毎回公判記録を公開している。今回は特別に公判傍聴記の転載許可を頂いた。

 竹中氏は村木元局長の共犯として起訴された上村勉被告が出廷する3月3日にも傍聴を予定している。今後の傍聴記は《THE JOURNAL》でも随時アップしていく。

*  *  *  *  *

【第9回】村木厚子さん公判の傍聴記

 2010年2月25日(木)。
 今日は2月というのに春のように暖かく、大阪の街はコート不要。北区西天満の大阪地方裁判所に、開廷15分前の、am9:45到着。

 今日の午前の公判は、1時間半検事側尋問、30分が弁護側。午後も傍聴したかったが、神戸市内での講演活動が入っていたので、お昼休みに裁判所を後にした。

 昨日・今日の公判で、上村氏の証言から、密室の取調室において検察官が「筋書き通りの供述を引き出し、調書に残すノウハウ」が明瞭になったので、上村氏の証言を再現しながら、綴ってみよう。

 おそらくこのような事情聴取や取調べが行われたら、小心な人でなくても「落ちてしまい」その結果「事実と全く違う調書ができあがる」可能性が非常に高いと思う。実に練られた、冷酷なノウハウである。

 ノウハウその1
「事件に関係無い一般的な会話(いわゆる世間話)の内容を、検察の筋書きにジグソーパズルのように嵌め込んで行く」

 上村氏は、キャリアとノンキャリの一般的な関係について聞かれ「交流が殆どない」「軍隊的な上下関係もある」など、率直に感じていることを話した。
すると...「従って、課長からの指示に従うほかなかった。」「そのような厚労省の悪しき体質を改善するため、自分が捨石になろうと思って、(共謀したという)本当のことを話しました。」などという調書が作成された。
自分の性格が小心であることや、通院歴があって睡眠薬が必要なことなどを指摘され、それに同意すると「だから自分には、証明書の偽造を独断で行う 度胸はなかった(つまりこの犯罪は、村木課長の指示による組織ぐるみのものである)」という調書が出来上がった。そのうえ不安から睡眠薬を求めても「医師 の診断により」ということで却下され、眠れない夜が続いた。

 ノウハウその2
「瑣末なことは、しっかり正しく調書に書く」

 上村氏の「公的証明書の偽造は、自分ひとりでやった」との訴えに、検事は全く耳をかさず(本当に、全く無視するのだそう)、検事の誘導によって引 き出された文言のみ調書にする。しかし「○○課長は、筆頭課長という職責だ。」というような、事件の中ではどうでも良い瑣末なことを口にしたら、検事は書 記にわざわざ声をかけ、それをさも重要案件であるかのように記録させたうえで「修正文」として調書に添付した。どんな細かい証言も、きちんと記録している のだよ、という体裁を装うのだ。

 ノウハウその3
「暴力(腕力)は使わない。言葉で脅す」

 本当のことを喋っても、検事のストーリーと違っていると「正直に話さなければ拘留期限が長引くぞ」とか「再逮捕するぞ」とか、言われる。また「河野はキチンと話さなかったので、酷い目に遭ったなぁ」などと、さりげなく、暗にお前もそうなると匂わす。
たしかに暴力(腕力)は振るわないし、ペンを持つ手を無理やり引っ張って調書にサインさせたりもしないが、囚われているものにとって「勾留延長や再逮捕」は非常に恐ろしいことであり、実際の暴力を振るわれる以上の恐怖を感じる。

 ノウハウその4
「弁護人のアドバイスに従わせない」

 弁護人から「自分の言っていないことが書かれた調書にサインする必要はない」と言われたが、取調室ではサインするまで、上記のような言葉の暴力を浴び続ける。
検事はどうしても単独犯ではなく「村木課長からの指示あり」「組織ぐるみ」という調書を作文したいのだな・・・と感じて「弁護人に相談させて下さ い」と言って抵抗してみたが、やはり「保釈できないな」「勾留が長引くぞ」などと脅され、ついには諦めて言いなりになった。弁護人から「抗議文を出せば良 い」とのアドバイスもあったが、怖くて出せなかった。それどころか、最後には「反省文」まで書かされた。

 ノウハウその5
「言いなりになったら褒める」

 恐怖心や諦めの境地から、検事の望むような態度や発言をするようになると、「良い表情になってきたね。」「本当のことを話したからだね。」などと優しく言われる。また調書にもそのように記載される。

 今日までの、9回にわたる公判で、殆ど全ての証人が「事件は検察が創り上げたストーリー」「100%作文」「壮大な虚構」「でっちあげ」などと語るという、まさに異常な情景が展開されている。

 この裁判は、いったい何を明らかにし、何を裁こうとしているのか。

 この裁判に、これから求められるのは「虚偽有印公文書作成事件」の解明以上に、「この事件を利用して、何かを成し遂げようとした巨大な企図」を、明らかにすることではないかと思う。そしてその企図こそが、厚生労働省現役局長であった村木厚子さんが「巨悪を成した犯罪者であること」を、必要としたのではないだろうか。

 私たちは、裁判の行方を見誤ってはいけないと、思う。

【関連記事リンク】
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◆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」(プロップ・ステーション)
http://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

◆村木厚子さんを支援する会
http://www.airinkai.or.jp/muraki_sien/index.html

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【プロフィール】 竹中ナミ(たけなか・なみ)
1948年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)。

郵便不正事件で次々に覆る供述調書 ── 大阪地検特捜は壊滅状態に

takanoron.png 偽の障害者団体が郵便料金割引制度を悪用するのを助けたとして、厚生労働省の村木厚子局長(当時)を逮捕したいわゆる郵便不正事件は、1月27日以来、すでに第9回まで公判が開かれてきたが、回を重ねるごとに検察側主張を裏付ける供述調書の中身が次から次へと覆されるという稀に見る展開となっている。

 もちろん、検察の自白強要による冤罪のデッチ上げは稀でも何でもないが、これほどまでにずさんなケースは前代未聞と言えるだろう。東京地検による小沢一郎幹事長と鳩山由紀夫首相に対する「政治とカネ」攻撃と競い合って、何としても石井一選対委員長に一太刀浴びせようと功を焦った大阪地検が、その邪悪な意図と自らの貧弱な捜査能力との裂け目に落ち込んで墓穴を掘った形である。

 第8回公判を傍聴したジャーナリストの江川紹子が「江川紹子ジャーナル」2月25日付で「こうした事件を見ていると、そもそも特捜部を今後も存続させる意味はどこにあるのだろう、という疑問も湧いてくる」と書いているように、これで村木が無罪となれば(なるに決まっているが)、単に大阪地検の恥というだけでなく、特捜そのものの存廃論議に火を着けることになりかねない、検察にとっての重大事態である。

●検察の描いた構図

 今更繰り返すまでもないとは思うが、検察側冒頭陳述を要約すれば、事件の概要はこうである。

 年金生活で生活費に窮していた河野克史は、福祉団体向けの低料第3種郵便制度を悪用してダイレクトメールの発送請負事業で不法に収益を上げることを思い立ち、石井一参議院議員の元秘書である倉沢邦夫を会長とし、元新聞記者の木村英雄他と共に実体のない障害者団体「凜の会」を平成15年に設立した。低料郵便制度の適用を受けるには厚生労働省の公的証明書が必要であるため、河野は倉沢に石井に口添えを頼むように指示、倉沢は木村と共に平成16年2月、石井を訪ねて依頼した。石井は承諾し、その日に旧知の塩田幸雄渉外福祉部長に電話をかけ、証明書の発行を要請した。

 塩田は、有力国会議員の機嫌を損なうことなくこの案件を処理すべきであると考え、部下の村木企画課長がその件を担当する旨を石井に伝えると共に、村木に対して、証明書の発行に向け便宜を図るよう指示した。やがて倉沢が村木を訪れ、村木は塩田に倉沢を引き合わせる一方で、部下の社会参加推進室の村松義弘係長(当時)らを呼んで実務的な説明をさせた。倉沢が帰った後、村木は村松に「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」と言った。

 4月1日付の異動で村松の業務を引き継いだ上村勉は、発行手続きを先送りしていたが、6月上旬に河野や倉沢から督促を受け、その団体に実体がないという問題点があるのに証明書を発行していいかと村木に指示を仰いだところ、村木は「先生からお願いされて部長からとりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配なくていいから」と告げた。上村は翌早朝までに書面を作り、企画課長の公印を押して村木に手渡し、村木は部長に発行を伝え、部長は石井に電話で報告すると共に、受け取りに来た倉沢に「なんとかご希望に添う結果にしました」と言ってこれを交付した......。

●覆る証言の数々

■石井一

 私がかつて石井一に直接聞いた限りでは、

①倉沢は、83年に当時衆議院議員だった石井の下で数カ月間、私設秘書を務めたことがあるだけで、その後どこで何をしているかもほとんど知らないという程度の仲である。

②ましてこの件で倉沢の要請を受けて厚労省の塩田に電話をすることなどありえない。

 とのことだった。石井は、報道によると、2月25日に大阪で開かれた講演会の会合の席上、「口添えなど何の覚えもない。厚生労働省なんて関係したこともない。何で私が電話をかけるのか」と語っている。石井は3月4日の第11回公判に出廷する予定なので、そのような趣旨のことを述べるだろう。

 政界の裏側では「元秘書業界」とも言うべき世界があって、何かの縁で一時期、有力政治家の私設秘書の肩書きを得たことがある人物が、「何々先生の元秘書だが」と名乗ったり、「元」さえもぼかした名刺を出したりして役所に働き掛けて許認可を受けたり小利権にありついたりするのは、よくあることで、この場合も恐らくそういう類のことだと推測される。何しろ倉沢が石井のところに身を置いたのは事件から20年も前のことである。

 塩田は、検察側冒陳によると「同国会議員とは、平成7年に発生した阪神淡路大震災に関連して,被災事業者を救済するための金融政策の陳情を受けた際に面識を持ち、以後、個人的に懇意にしていた」となっているが、本当に個人的に懇意な関係かどうかは疑わしい。だいたい「被災事業者を救済するための金融政策」をなぜ議員が厚労省に陳情するのか意味不明である。

 なお、検察の主張通りであれば、厚労省側の主犯は村木でなく石井と個人的に懇意であるはずの塩田である。が、村木が主犯、その部下の上村が共犯として起訴され、塩田が見逃されているのは異常である。そのことは弁護側の冒陳も指摘しているとおりである。

■河野克史

 河野は第1回公判に証人として出廷し、実体のない障害者団体を作って厚労省に働き掛けて不正に証明書を受けようと謀ったことを認めながらも、肝心の証明書交付当日の経緯について極めて曖昧なことを言った(複数の報道や知人である竹中ナミ=社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の公判傍聴記などから私が独自に要約。以下同じ)。

①厚労省から証明書を交付するという連絡があり、その電話を自分が受けたのか誰か他の者が受けて自分に伝えたのか分からない。ただ倉沢にお礼の電話をしたことは覚えている。

②自分は証明書を受け取りに行っておらず、それが郵送されてきたのか、誰かが受け取りに行ったのか、また事務所のどこにどう置かれていたものかについては、全く分からない。ただ、それを自分でコピーしたことだけは明確に覚えている。

 待ちに待った偽の証明書が手に入るという、このインチキ団体にとって生死に関わる大事だというのに、連絡を受けたのが誰かも、取りに行ったのが誰かも分からないなどという馬鹿な話がある訳がない。推測するに、検察としてはどうしても、村木が直接、倉沢か河野に手渡したことにしたかったのだが、後述のように上村は河野に厚労省近くの喫茶店で渡したと言っているので、河野が受け取りに行ったことにすると辻褄が合わなくなるので、河野が倉沢に電話をして取りにいかせたのだがその経緯を河野は忘れてしまったというお話にしたのではないか。どちらにしても辻褄は合わないのだが。

■倉沢邦夫

 倉沢は第3回・第4回公判に出廷し、村木との関係について次のような趣旨を述べた。

①調書では、自分が村木に証明書発行を要請し、村木が「困ったな、これは難しい」と言ったことになっているが、自分が要請し説明を受けたのは村木ではなく村松係長である。自分は村松に「凜の会会長」ではなく「石井事務所」の名刺を出して「石井事務所の者」と名乗った。「これでは認可が難しい」と言ったのは村松である。その際、村松が「村木課長に挨拶するか」と言われたので、村木の机に行って名刺も出さずに「石井事務所の者ですが」と言うと、村木は「ああそうですか」と言い、それだけで自分は退出した。

②調書では、証明書が交付される以前の5月中旬、自分が村木のところに赴いて、村木から日本郵政公社東京支社に電話をして「厚労省から近々証明書が発行される」予定であることを伝えて貰おうとし、その際に村木は「一応連絡してみますが、相手が(証明書発行以前の手続き進行について)応じてくれるかどうかは分かりませんよ」と言いながら、直接に「日本郵政公社」の「森代表」に電話をかけてその旨伝えたことになっている。が、実際には、村木に挨拶するつもりで机の側で待っていたが、村木が電話中で3分待っても終わらなかったので、声を掛けることなく退出した。その時、村木の電話の会話の断片が聞こえ、その中に「森」という名前があったと事情聴取で話したら、検事から「それは日本郵政公社の森代表で、村木のダンナの知人であり、村木はその森に電話で(低料郵便適用の)審査を進める依頼をしたのだ」と言われ、調書もそのようになっていた。

③村木から証明書を受け取った際に、調書では、村木から「大変だったが何とか希望に添えるようにした」と言われたことになっているが、そのようなことを言われていないと何度も事情聴取で言ったが聞き入れて貰えず、最後は体調不良にもなったので投げやりになってサインした。

 倉沢は、証明書を村木の机で村木から交付されたことについては一貫して認めているが、その日付や状況については曖昧であり、また③のように調書に描かれた村木とのやりとりは否定した。それに対し、もちろん村木は否定しており、上村は自分が夜中に書類を作って翌朝に課長公印を押し、その日の内に厚労省近くの喫茶店で河野に会って渡したと述べている。

■木村英雄

 木村は第7回公判で、平成16年2月に倉沢と共に石井議員を訪ねたことになっていることについて、その事実はなく、自分が石井に会ったという調書は検事の作文だと断言した。

①私は行っていないと申し上げたが、調書には「河野の指示で行くことになった」とか、「口添えしてほしい」と要請し議員から「厚労省に知り合いがいるから電話して置いてやる」と言われたとか書かれている。その年には、岩国議員、羽田議員の事務所に行ったことは明確に覚えているが、石井事務所は全く記憶にない。石井議員のところに行って首実検してほしい、それで石井議員から「お前、来てたな」と言われれば腹を切る、とまで言った。

②また「身体障害者団体定期刊行物協会」に加盟するため同協会の佐藤三郎事務局長と面談した際「石井代議士からお墨付きもらっている。石井議員からも厚労省に電話してもらっている」と話したことになっているが、その事実はない。

③ではなぜ調書に署名したのかと言えば、これが事実だと始めから押し付けられて、お前が間違っていると否定される。検事が声を荒げて立ち上がったり机を叩いたりして、圧力を感じた。「いいんだ、いいんだ、これにサインすれば」と言われ、夜の8時を回っていたので仕方なく署名した。

■塩田幸雄

 塩田元部長は第5回公判で「この事件は壮大な虚構だったと思う」と言い放って法廷を凍り付かせた。

①石井議員から電話があったという記憶はなく、あったと検事から言われると、国会対策は自分が対応していたから電話に出たとすれば自分しかないだろうと思い込んだだけで、記憶とは違う。

②証明書が出来たと石井議員に電話で報告したとされている件は、密室の取調室で検事から「4分数十秒の電話交信記録がある」と言われ、あるのは本当か?本当なら見せてくれと頼んだが最後まで見せてくれなかった。私は(自分も検察官も)お互いにプロの行政官であるという信頼感を持っていたので、それが嘘だとは思わなかった。それならばきっと、自分の記憶にはないが、その電話はしたのだろうと思い込んでしまった。だから、裁判が始まってから公判検事に「交信記録はない」と聞かされた時のショックはとても言葉では表せない。

③最後の石井への報告電話が本当なら、最初の石井議員からの電話も受けたのだろうし、受けたのであれば、通常このような対応は課長に指示するものだから当然、村木にお願いもしたのだろうと思ったのであって、自分の記憶では指示していない。

④村木さんには本当に申し訳ないことをした。

■村松義弘

 上村の前任係長である村松は、第6回公判で「村木さんは冤罪だと思う」と言明した。

①2月下旬に企画課長補佐から呼ばれていくと村木課長と北村企画課長補佐がいて、倉林が「国会議員の石井一の事務所の者だ」と自己紹介した。場所を変えて倉林に手続きについて説明し、凜の会の説明が今ひとつ要領を得ないので、大丈夫かなと疑問を持ち、しっかり書類を出してほしいと言った。

②通常の仕事で、課長から社会参加室長を飛び越えて係長である自分に直接指示があることはなく、この件についても指示はなかった。村木が後任の上村に指示したとされているが、それなら前任の自分にも指示があって当然だったろう。それがなかったので、村木は冤罪だと思う。

③村木から「ちょっと大変な案件だけどよろしくね」と言われたと調書にあるが、そのような事実はなく、自分からは検事にそのようなことを言っていない。

■上村勉

 極めつけは、証明書を実際に作成して凜の会側に渡した上村で、彼は第8回・第9回の公判を通じて、検察側主張をことごとく覆した。

①村木は企画課長だから顔は知っていたが、仕事の話をしたことはない。この件について指示を受けたこともない。検事はどうしても自分と村木をつなげたいらしく、偽の証明書を作成したことについて反省文を書かされた際、村木から指示があったことを具体的に書けと迫られ、「それは書けません。弁護士に相談したい」と言ったが、「弁護士に相談なんかしてどうするんだ」と言われ、また検事から「他の人はみな村木の関与を認めていてお前だけが嘘を言っていることになる」「村木逮捕は検事総長も了解している」などと言われて心理的圧迫を感じ、いつまでも勾留されたままになるのが嫌なので保釈という誘惑に負けて書き直した。

②前任の村松から凜の会の件について引き継ぎを受けた記憶はなく、4月中旬に河野からの電話で初めて証明書の発行を求められていることを知った。4月は係長になり立てで、予算の仕事に忙殺され、その件は先送りにしていたが、河野らから督促があったので、面倒なので独断で証明書を作って河野に渡した。

③調書では、自分が文書を作って村木に渡し村木が倉沢に交付したことになっているが、自分が河野に交付したと検事に言っても嘘だと言われどうしても訂正して貰えなかった。

④証明書を交付するため河野と会った際、河野から河野の名刺と倉沢の名刺を貰った。その倉沢の名刺に手書きで「石井一事務所」と書いてあったので、その時初めて石井先生が絡んでいるいるんだなと思った。

⑤全ての調書は、一般的なことを言ったり断片的に話したりしたことを検事が補った作文だ。

■村木厚子

 村木は一貫してこの件と何の関わりもないことを表明していて、第1回公判の被告人意見陳述で次のように語った。

「私は無罪です。上村さん、河野さん、倉沢さんと共謀した事実も、上村さんに内容虚偽の公文書の作成を指示したことも一切ありません。私は、公訴事実第2の内容虚偽の証明書を発行したことについては、一切関わっておりません」

「私は、これまで、公務員という自分の職業に誇りを持ち、また、公務員として国民から信頼を得ることを大切にして、仕事に従事してきました。そうした中で、与党であれ、野党であれ、有力議員といわれる方であれ、国会議員から依頼を受ければ法に反することも引き受けるなどということはありえません」

  *        *  

●特捜は要らない?

 無茶苦茶である。発端は、「元秘書業界」の怪しい実態に丸っきり無知な大阪地検特捜が、本当に石井議員が厚労省に圧力をかけて不正な証明書発行を無理強いしたものと信じ切ってこの一件に飛びついたことにある。そうであるとすれば、部長〜課長〜室長及びその他中間管理職〜係長という厚労省組織ぐるみで議員先生の要請に応じようとしたという図式を仕立ててオオゴトに見せなければならず、そのためにまず塩田にありもしない石井との電話のやりとりを自供させた形にしてその代わりに起訴しないことを約束するという一種の司法取引を行ったのだろう。しかも、すでに独法に天下っている塩田よりも厚労省花形の現職局長を逮捕した方が世の中的には衝撃度が大きい。そこで主犯の役回りは村木に被せることにして、女性でもあることだし、責め立てれば泣き伏して検察の言うなりの調書に署名するだろうくらいに甘く見てシナリオを創作したのだが、案に相違して村木は毅然として否認を貫き、すっかり予定が狂って支離滅裂になってしまったということだろう。

 これは、小沢の元秘書らに対する冤罪事件と同様、いやそれ以上に粗雑かつ稚拙だという意味ではなおさらあくどい検察テロであって、こんなことがまかり通るなら国民は誰でもいきなり検察に襲われて社会的に抹殺されてしまいかねないことになる。これらのデタラメ事件を機に、江川の言うように特捜って何なんだという根本的な批判が湧き起こるのは必定で、民主党政権は「脱官僚支配」の改革の一環として真正面から検察改革に取り組むべきだろう。

 その第一歩として、こういう場合に公判検事を間に挟まずに、取調に当たって調書を作った検事を法廷に引っ張り出して証人と直接対決させて真相を明らかにすることが出来れば、それこそ可視化が大いに前進するのではないか。

●ボロボロの歴史

 そもそも戦前日本の軍国体制下で、裁判所と警察を足下に従える司法の頂点として絶大な権力を振るった検察は、戦後GHQ支配下で、警察が捜査した事件を裁判所に取り次ぐだけの単なる「刑事検察」的な存在に一気に弱体化させられそうになった。それに危機感を抱いた検察は直接GHQに働き掛けて、建前レベルでは「米国にもFBIという巨悪追及の組織があるではないか」と言い、裏取引としては、当時社会的に大問題となっていた旧日本軍や特務機関の隠匿物資の摘発を専門に扱う特別の部門を作らせてくれないかと擦り寄った。隠匿物資は、旧軍人組織や児玉誉士夫機関の生き残りや小佐野賢治のような闇商人たちに食い物にされていたとはいえ、元はと言えば国民の財産である。それを摘発してGHQの管理に献上するという、言ってみれば"売国行為"を約束して1947年に発足した「隠退蔵物資事件捜査部」が、後の東京地検特捜部の前身である。この発足時のGHQとの癒着から、在米日本大使館の一等書記官を経験することが特捜でエリートになる条件の1つとなったとも言われる(私は検察の恣意的捜査における米国ファクターを過大に見ることには賛成でないが)。ちなみにこの間、特高警察と並んで戦前の治安維持法体制の柱だった「思想検察」もちゃっかり生き残り、52年には「公安検察」として正式に復活している。

 この特捜検察と公安検察という特別の存在が、検察がなお戦前の天皇直下の体制の番人という異常なまでのプライド意識をそのまま維持している実体的根拠となっている。またそれをさらに裏打ちしているのが、検事総長、次長検事、8高検の検事正の何と計10人が今も形式的に天皇から任命状を受け取る「認証官」とされていることである。法務省(に限らず)事務次官は認証官でないのに、行政組織としてはその下にある検察に10人も認証官がいるというのが、検察の増長の心理的背景であり、こんなものは、裁判官のそれ(最高裁長官以下判事の15人と8高裁の長官)と併せてこの際全て剥奪したらどうなのか。

 と言うか、認証官という制度そのものを止めるべきではないか。戦前の天皇制国家では当然、むやみやたらに認証官がいた。戦後どういう経緯でこんな遺制が中途半端に続くことになったのかは知らないが、今では(総理大臣を除く:総理大臣は「国権の最高機関」たる国会によって直接に選ばれるのでその後に別の権威によって認証される必要はない?)大臣、副大臣・官房副長官、検査官3人(うち1人が会計検査院長)、人事官3人(うち1人が人事院総裁)、公正取引委員長、宮内庁長官・侍従長、外務省関係では特命全権大使・公使、それに上述の検察官と裁判官である。こういう人たちはどうしても、国民の税金で飯を食わして貰っている雇われ人だという意識を持ちにくく、お上意識むき出しで国民や国民が選んだ政治家を上から見下すような態度をとりがちである。官職に特別なものなど何もなく、お前らみんなただの雇われ人だという風にハッキリした方がいいし、そうすると天皇が無用な国事行為の形式的儀式で疲れ果てるということも軽減できる。

 ちなみに、このうち大臣と公正取引委員長は総理大臣が任命権者で、他は内閣が任命権者である。他方、「国会同意人事」というのがあって、これには検査官、人事官、公正取引委員長・委員が含まれるほか、日銀総裁、NHK経営委員会委員、主要な行政委員会や審議会の委員長・委員など36機関が該当する。このあたりは全体として整理すべきだし、その際には、やはり戦前遺制が中途半端に生きている「勲章制度」も抜本的に改めるべきである。

●検察から身を守る

 閑話休題。その東京地検がまだ隠退蔵物資事件捜査部の時代、48年に戦後最初に手掛けた大型汚職事件が「昭和電工事件」で、来栖赳夫経済安定本部長官、西尾末広前副総理、野党の大物=大野伴睦、大蔵官僚だった福田赳夫らが続々逮捕され芦田均内閣が瓦解、やがて芦田前首相自身も逮捕されたものの、裁判結果は来栖以外の政治家は全員無罪で、戦前、1934年の帝人事件での全員無罪に匹敵する検察史の汚点となった。しかしこの事件で新聞は大騒ぎして世論は沸騰し、それに乗じて隠退蔵物資事件捜査部は49年、「東京地検特別捜査部」に昇格した。昭和電工事件の裁判が最高裁で結審したのはそれから13年後の62年のことだから、その頃になって国民が「アレッ?」と思ったところで、とっくに特捜の組織は出来上がってしまっていた(大阪地検特捜部は57年発足、名古屋は96年)。そんなふうにしてずる賢くスタートして、その後も炭鉱国管事件、造船疑獄はじめ、騒ぎを起こしては竜頭蛇尾に終わり、その度に「検察ファッショ」と批判される特捜のボロボロの歴史が続く。

 そこからようやく脱するきっかけとなったのがロッキード事件による田中角栄前首相逮捕で、ここでまた国民の検察幻想は大いに膨らんで、社会党・総評が「角栄御用」「検察頑張れ」という提灯を掲げてデモをするといった馬鹿げた事態になったが、この事件もまた、ロッキード社からのP3C対潜哨戒機100機を政府に購入させるべく児玉誉士夫が秘密代理人として動いた重大防衛疑獄という疑惑の本体を隠すために、全日空の次期旅客機トライスターの輸入問題にすり替えて検察が架空ストーリーを仕立て上げた、一種の冤罪と言って言い過ぎならば別件逮捕事件である。さらにリクルート事件も冤罪、ライブドア事件や村上ファンド事件も冤罪......。もういい加減に国民が特捜幻想を断ち切って、この法の番人面をしたテロ組織を国民の管理下に組み敷く方策を立てなければならない。▲

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《資料》郵便不正事件・検察側冒頭陳述
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 どこでも入手可能ではあるが、検察の退廃を示す記念碑的な駄文なので、ここに再録して熟読をお勧めする。

《検察側冒頭陳述要旨》

・事案の概要

 被告は当時、厚生労働省障害保健福祉部企画課長として、障害者団体の申請に基づき低 料第三種郵便に関する公的証明書の発行に従事していた。共犯の上村勉は同課社会参加推 進室係長、河野克史は「凛の会」発起人、倉沢邦夫は会長だった。凛の会は障害者団体と しての実体はなかった。

・身上経歴等、低料第三種郵便の概要および厚労省による証明書の発行状況(省略)

・犯行に至る経緯

 河野は低料第三種郵便を悪用し不法に収益を上げようとしたが、正規に証明書を得る見込みはなく、平成16年2月下旬、国会議員秘書の経歴を持つ倉沢に、国会議員へ口添えを依頼するよう指示した。国会議員は承諾して当時の障害保健福祉部長に電話をかけ、証明書の発行を要請した。

 部長は国会議員と懇意で有力政党の重鎮だったことから、国会で紛糾することなく予算や法案を成立させるためには、機嫌を損なわずに依頼を処理する配慮が必要と考えて了承した。

 部長は被告に便宜を図るよう指示し、被告は企画課長補佐に「秘書の倉沢さんが団体の新聞を低料第三種郵便で発送したいみたいなの。担当者を紹介してあげてください」と指示した。2月下旬、倉沢と面談し説明を受けた被告は、凛の会が障害者団体でないと理解して困惑しながらも、倉沢を部長に会わせた。倉沢が帰った後、社会参加推進室の室長補佐と係長に「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」と告げた。以後、被告ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけた。

 上村は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。上村は発行を先送りしていたが、5月中旬、河野らから電話で催促され、時間稼ぎのために、手続きを進めるという虚偽の稟議書を作成し凛の会にファクスした。

 日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた。5月中旬、倉沢が企画課に赴くと、被告は「一応連絡してみますが、相手が応じるか分かりませんよ」と言いながら、面前で公社東京支社に電話した。

・犯行状況

 河野は6月上旬、日本橋郵便局から証明書の原本を至急提出するよう要請されたため、上村につじつまが合うよう日付をさかのぼった証明書を無審査で発行するよう要請した。

 倉沢も企画課で被告にそう求めた。被告は少し考え込んだが、部長の指示があった議員案件だったことから了承した。

 6月上旬、上村は被告に問題点を伝えた上で、それでも発行していいか指示を仰いだ。

 被告は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げた。

 上村は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、被告に手渡した。

 被告は部長に発行を伝え、部長は国会議員に電話で報告した。被告は証明書を受け取りにきた倉沢に「何とかご希望に沿う結果にしました」と言いながら証明書を交付した。

 上村は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えたが、被告は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げた。その後も凛の会は資料を提出せず、6月10日ごろ不正に入手した証明書を提出して行使した。

・その他情状 (省略)

《検察側冒頭陳述 全文》

第1 本件事案の概要等

1 被告人及び共犯者等

 被告人は、本件犯行当時、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長であり心身障害者団体の申請に基づき、内国郵便約款により、同団体が同約款料金表に規定する心身障害者用低料第三種郵便物に関する郵便料金の割引を受けることができる心身障害者団体であることなどを認定する旨の同課長作成名義に係る証明書の発行の職務に従事していたものであった。

 共犯者上村勉(以下「上村」という。)は、同課社会参加推進室社会参加係長、同河野克史(以下「河野」という。)は、自称福祉事業支援組織「凛の会」の発起人、同倉沢邦夫(以下「倉沢」という。)は、上記「凛の会」の会長であった。

 「凛の会」は心身障害者団体としての実体がなく、内国郵便約款料金表に規定する心身障害者団体ではなく、同会の発行する定期刊行物「凛」は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的とせず、郵便料金を不正に免れることを目的としたものであった。

2 本件事案の概要

 本件は、被告人が、前記共犯者3名と共謀の上、「凛の会」が内国郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、前記「凛」が心身障害者の福祉の増進を図ることを目的とするものであって、しかも、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長が平成16年5月28日に「凛の会」に対して前記証明書を発行した事実がないにもかかわらず、同日に同証明書を発行したかのように装うため、作成日付を同日とし、「凛の会」が国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、当該団体の発行する「凛」が心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としているものであると認める旨の同課長作成名義の内容虚偽の有印公文書1通を作成した上、日本橋郵便局郵便窓口課申請事務センターにおいて、同証明書の内容が真実であるかのように装って提出して行使したという虚偽有印公文書作成・同行使の事案である。

第2 被告人の身上経歴等

1 経歴

 被告人は、大学在学中の昭和52年11月に当時の国家公務員採用上級試験に合格し、昭和53年4月、いわゆるキャリア官僚として当時の労働省に人省した。

 被告人は、労働省において、主として女性労働問題に関する業務を担当し、職業安定局高齢・障害者対策部障害者雇用対策課長、女性局女性政策課長、省庁再編後の厚生労働省(以下「厚労省」という。)において、雇用均等・児童家庭局雇用均等政策課長等を経て、平成15年8月、社会・援護局障害保健福祉部企画課長になり、同課長在任中は、同年4月に施行されたばかりの障害者支援費制度を円滑に実施するための予算確保や、その後の障害者自立支援法成立に奔走した。

 被告人は、本件後、厚労省大臣官房政策評価審議官、大臣官房審議官(雇用均等・児童家庭担当)を経て、平成20年7月、雇用均等・児童家庭局長に就任した。

2 家族関係

 被告人には、厚労省大臣官房総括審議官を務める夫と2人の子どもがいる。

3 前科

前科はない。

第3 低料第三種郵便物制度の概要及び厚労省による証明書の発行状況等

1 低料第三種郵便物制度の概要

 郵便物については、郵政事業民営化の前後を問わず、第一種(通常の手紙類)、第二種(通常のはがき類)、第三種(新聞、雑誌類)等に区分され、それぞれにつき郵便料金が規定されており、第三種郵便物については、毎年4回以上、号を追って定期に発行するものであること、1回の発行部数が500部以上であること、その80パーセント以上を有償購読者に発送するといった要件を満たすことで、通常の定形外郵便物(重量50グラムまでのもの)の正規料金1通120円が1通60円となるところ、この第三種郵便物の中には、更に低額な料金の適用を受けられる低料第三種郵便物があり、その中でも、心身障害者団体が障害者福祉を目的として月3回以上発行する新聞等の定期刊行物については、心身障害者用低料第三種郵便物として1通8円という極めて低額な料金が適用される。

2 厚労省における証明書の発行及び低料第三種郵便物の料金適用等

 心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けるためには、厚生労働省等の公共機関の発行する証明書(以下「公的証明書」という。)が必須であった。

 すなわち、心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けるためには、まず、刊行物の発行所所在地における郵便物の配達を受け持つ管轄郵便局(本件では日本橋郵便局)を介して、当該郵便局を管轄する日本郵政公社の支社(本件では東京支社)に対し、第三種郵便物の承認請求をする際、当該団体が心身障害者(児童又は知的障害者である場合は、その保護者を含む。)を主たる構成員とする団体であること及びその刊行物が心身障害者の福祉を図ることを目的として発行されるものであることをいずれも証明する公的証明書を提出する必要があった。

 そして、当該支社においては、公的証明書等に基づいて、当該団体に対し承認書を発行し、これを受けて、実際に管轄郵便局から当該刊行物を心身障害者用低料第三種郵便物として極めて低額で差し出すことができるようになっていた(なお、心身障害者団体が管轄郵便局以外の郵便局から当該刊行物を差し出そうとする場合には、公的証明書を提出した上で、別途、前記支社発行に係る証明書の交付を受け、当該刊行物の差出を希望する郵便局に対し、同証明書等を提出して差出承認を得る必要があった。)。

 そして、この公的証明書は、全国的組織団体については厚労省が、その他の団体については当該団体の主たる事務所を有する都道府県等が発行することとされており、厚労省においては社会・援護局障害保健福祉部企画課(以下「企画課」という。)がこれを所管し同課において、団体による証明書交付願、団体から提出を受けた会則や規約、過去2回程度の刊行物等の審査資料に基づき、客観的な観点から、団体の実態を的確に把握して団体の主たる構成員が心身障害者であるか否か及びその刊行物が心身障害者の福祉を図る目的のものであるか否かを審査し公的証明書の発行権者である企画課長の事前決裁を了した上で、申請団体に対し公的証明書を発行してきた。

 もっとも、心身障害者団体は都道府県や市区町村単位で草の根的に活動している団体がほとんどであり、全国的組織の心身障害者団体ということになると、厚労省に公的証明書の発行申請をした段階で既に長年の活動実績があるような団体に限られていて、その数も少なく、厚労省において、そうした心身障害者団体から申請を受けて公的証明書を発行することは、多い年でも年間2~3件程度で、発行がない年もあった。

3 特定非営利活動法人障害者団体定期刊行物協会(以下「障定協」という。)について

 障定協は、昭和41年に「身体障害者団体定期刊行物協会」との名称で発足し昭和46年に、当時の郵政省との間で、前記第三種郵便物の要件のうち、年間の発行回数や1回の発行部数等の要件を充たせない心身障害者団体であっても、加盟団体それぞれが発行する刊行物をまとめて一種の刊行物と扱い、障定協から発行されるという形を取ることにより、低料第三種郵便物制度を利用できるようにするとの合意を獲得した団体である。

 障定協は、加盟団体に関して低料第三種郵便物制度の適用を受ける要件が整っているか否かを自ら判断しているが、厚労省も独自に同様の判断をしており、障定協への加盟は厚労省からの公的証明を得るための必要条件ではなく、心身障害者団体が障定協を介することなく独自に厚労省と折衝をして公的証明書を得ることも可能であった。

4 本件犯行前後における公的証明書の発行状況等

 被告人は、本件犯行前の平成15年11月、「東京女子医大移植者の会」に対する公的証明書の発行について、部下で企画課社会参加推進室社会参加係長であった村松義弘(以下「村松」という。)から、稟議書に添付されていた証明書交付願、同会の規約、刊行物及び会員名簿等の資料を示されて、公的証明書を発行するには、当該団体が心身障害者を主たる構成員とする団体でなければならず、かつ、刊行物が心身障害者の福祉を図る目的としているものに限られ、これらの要件は、会則や規約等のほか、過去2回程度の刊行物に基づいて客観的に判断することになっている旨口頭で説明を受けたほか、同会が設立から既に相当年数を経過した歴史のある全国的組織の障害者団体であることなどについても口頭で説明を受けた上で、その決裁を了した。

 また、被告人は、本件犯行後の平成17年9月、「全国遷延性意識障害者・家族の会」に対する公的証明書の発行についても、上記同様に、部下で企画課障害認定係長であった佐藤清和から資料を示されつつ口頭で説明を受けた上で、その決裁を了した。

 しかしながら、後記のとおり、「凛の会」については、上記のような決裁手続や資料が全くないまま、公的証明書が発行された。

第4 本件犯行に至る経緯

1 「凛の会」の発足経緯等

 河野は、平成14年ころから年金暮らしで生活費等に窮していたところ、平成15年秋ころ、福祉事業支援組織の名目を使って「凛の会」を設立し「凛の会」が発行する刊行物「凛」が心身障害者の福祉を図ることを目的とするものであるかのように装って、低料第三種郵便物制度の適用を受け、広告主を募った上、同制度を悪用し、安価な郵便料金で、いわゆるダイレクトメールを発送する業務を行い、不法に収益を上げようと考えた。

 しかし「凛の会」は、低料第三種郵便物制度を不正利用する目的で設立するもので、何ら実体のない団体であったことから、公的証明書を発行してもらう前提条件を欠いており、正規の方法で公的証明書を得られる見込みはなかった。

 そこで、河野は、知人の倉沢が国会議員の秘書の経歴を有し、その後も同国会議員の議員会館事務所に出入りするなどしていたことから、これを利用した厚労省への働きかけ等を期待し平成15年秋ころ、倉沢に対し、「凛の会」の代表者としての名義貸しを依頼しその承諾を得た。

 そして、河野は、倉沢を会長に据えて、広告業を営んでいた黒木洋一(以下「黒木」という。)や通信販売業を営んでいた山本隆のほか、元新聞記者の木村英雄(以下「木村」という。)らとともに、「凛の会」を設立し、その事務所を木村が関与していた有限会社ハードルの事務所が置かれていた東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目15番9号202に置くこととした。

 そして、河野らは、平成16年2月20日、「凛の会発行人木村英雄」名義で、日本橋郵便局を介し、日本郵政公社東京支社長に対して第三種郵便物承認申請を行った。

2 「凛の会」の国会議員に対する口添えの依頼状況等

 河野は、平成16年2月下旬ころ、厚労省から公的証明書を得るためには、自分たちが頼むよりも、倉沢が秘書をしていた前記国会議員からの口添えが効果的であると考え、倉沢に対し同国会議員に厚労省への口添えを依頼するように指示した。

 そこで、倉沢は、その後の平成16年2月下旬ころ、刊行物「凛」の発行人となっていた木村とともに、同国会議員の下を訪れ、同国会議員に対し、厚労省からの公的証明書の取得に向けた口添えを依頼した。

 同国会議員は、その依頼を承諾しその日ころ、当時の障害保健福祉部長であった塩田幸雄(以下「塩田」という。)に電話をかけ、同人に対し公的証明書を発行することを要請した。

 塩田は、同国会議員とは、平成7年に発生した阪神淡路大震災に関連して、被災事業者を救済するための金融政策の陳情を受けた際に面識を持ち、以後、個人的に懇意にしていた上、同国会議員が有力政党の重職にあったことから、国会において紛糾することなく予算や法案を成立させるなど円滑な行政運営を実現するためには、常日頃から有力国会議員の機嫌を損なうことなくその依頼案件を処理するという配慮が必要であると考え、前記要請を了承し、その際、被告人が担当する旨を伝えた。

 なお、企画課における当時の正式な公的証明書の発行手続は、企画課社会参加推進室担当者が決裁文書を起案し同室調整係長、同室補佐、同室総括補佐、同室長、同課総務係長及び同課総括補佐の決裁を経て、最終決裁権者である同課長の決裁を経た後、文書を発出するための番号を取得し、その番号を記載した証明書に、同課内に保管されていた同課長印及び契印を同担当者が押印するという取扱いになっていた。

3 前記口添え後の厚労省内における指示

 塩田は、その後、障害保健福祉部長室に被告人を呼び、前記国会議員からの依頼であることを伝えた上で、その依頼をうまく処理することの重要性を告げて、「凛の会」が低料第三種郵便物制度の適用を受けられるように公的証明書の発行に向けた便宜を図るよう指示した。

 被告人は、社会参加推進室にきちんと対応させる旨を述べて、塩田の指示を了承した。

 被告人は、その後、企画課の課長補佐であった北村定義(以下「北村」という。)に対し「先生の事務所から問い合わせがあって、今度先生の秘書の倉沢さんという人が障害者団体の新聞を郵便料金が安くなる低料第三種郵便を使って発送したいみたいなの。今度うちに倉沢さんという秘書が来るらしいから担当者を紹介してあげてください。」などと、倉沢が来庁した場合の対応を指示した。

4 倉沢からの厚労省担当者に対する要請

(1) 倉沢から被告人に対する要請
 倉沢は、平成16年2月下句ころ、公的証明書の交付願や「凛の会」の規約や名簿、刊行物「凛」等の「凛の会」の実態が分かる資料を何も持たずに企画課を訪ね、被告人と面談し「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜供与を要請した。

 これに対し被告人は、塩田から事情を問いている旨告げてその要請を了承した上、「凛の会」の詳細について尋ねたところ、倉沢から、「凛の会」が平成15年秋に立ち上げたばかりの団体で、特段の活動はしておらず、「凛の会」の新聞に広告を募集して資金集めをし将来的にはその資金で障害者支援を行うことを考えていること、数名の知人と共に立ち上げたものの、発起人の中に障害者はいないことなどを告げられた。

 その説明を受けた被告人は、「凛の会]が障害者団体そのものではないと理解して困惑しながらも、その要請を了承し、倉沢を塩田にあいさつさせるべく、倉沢を塩田のいる障害保健福祉部長室に連れて行くこととした。

(2) 倉沢と塩田とのやり取り
 倉沢は、被告人の案内で障害保健福祉部長室に行き、塩田に対し、「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜供与を要請した。

 塩田は、倉沢に対し担当課長である被告人に事情を伝えてあるので、遠慮無く相談するように告げて、その要請を了承した。

(3) 倉沢と社会参加推進室のやり取り及び被告人の指示
 その後、倉沢は、企画課長席で、被告人から、担当の社会参加推進室の室長補佐であった田村一(以下「田村」という。)及び村松らの紹介を受けた上で、社会参加推進室で、田村や村松から、公的証明書の発行手続や審査に必要な書類等について説明を受けた。

 その際、倉沢は、田村や村松から「凛の会」の設立時期や活動内容を尋ねられ、平成15年秋ころに設立し障害者支援のために寄附をするなどの様々な活動をしていこうと考えている旨のあいまいな返答に終始した。

 田村や村松らは、倉沢の返答から、「凛の会」の実体に疑念を抱き、その活動内容が分かる資料を提出するように同人に要請した。

 被告人は、倉沢が帰った後、企画課長席で、田村及び村松から、「凛の会」について、平成15年秋に立ち上げたばかりで、今後障害者を支援する活動をしていく団体である旨の報告を受けた際、「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします。」と言って、心身障害者団体としての実体に疑念がある「凛の会」に対し公的証明書を発行することを指示した。

 その指示を受けた田村や村松らは、「凛の会」については、その団体の実体がどのようなものであれ、公的証明書を発行せざるを得ない案件だと認識し障定協名義の証明書交付願が提出されれば、少しでも書類の形が整うだろうと考え、「凛の会」側に対し、とりあえず障定協に行って手続等を相談してもらいたい旨要請した。

 以後、被告人や北村、田村、村松ら「凛の会」に関する案件の担当者の間では、「凛の会」の案件は、有力国会議員の要請を受けた塩田から被告人に指示がされたもので、「凛の会」の実体がいかなるものであれ、「凛の会」に対し公的証明書を発行することが決まっている「議員案件」と位置付け、その対応に当たることとなった。

5 「凛の会」と障定協との間のやり取り等

 河野及び木村は、倉沢が厚労省へ訪問した後の平成16年2月下旬ころ、障定協に電話をかけ、さらに、その後、障定協の事務所を訪ね、事務局長の佐藤三郎(以下「佐藤」という。)と面談した。

 その際、佐藤は、「凛」に政治家のインタビュー記事が大きく掲載されていたことや会員に障害者が含まれているかどうか不明であったことなどから、「凛の会」が、営利目的等で障定協に加盟し低料第三種郵便物制度を悪用しようとしているのではないかとの疑念を抱いた。

 そこで、佐藤は、平成16年2月下旬ころから同年3月上旬ころにかけて、厚労省に電話をかけて、村松に対し、「凛の会」が真摯に活動しようとしているか疑わしく、売名目的か商売目的のいずれかであると思われる旨伝え、これを聞いた村松は、田村にその旨伝えた。

 また、村松は、実体の疑わしい「凛の会」に対し公的証明書を発行するということは、虚偽の公的証明書を発行することになるため、そのようなことはしたくないと考え、「凛の会」への対応を先延ばしにすれば、近々予定されていた異動により、「凛の会」に対する公的証明書の発行事務を担当しなくて済むと考えていた。

 被告人は、その後の平成16年3月中旬ころ、田村に対し「凛の会」の案件の進ちょく状況を確認したが、同人から、公的証明書の発行申請はおろか、規約や名簿等の資料の提出すらされていない旨の報告を受けた。

 他方、障定協の佐藤は、前記のとおり、「凛の会」が売名目的か商売目的のいずれかではないかとの疑念を抱いていたため、障定協との折衝をしていた河野及び木村に対し「凛」の内容が営利目的や売名目的のものであると認められたときは、障定協からの発行を拒絶されても異議がない旨等を記載した念書を障定協に提出するよう求め、河野及び木村は、平成16年3月29日付けで、その旨等を記載した念書を障定協に提出し、また、同年4月8日には、障定協への加盟申込書を提出するなどして、障定協から、同念書の記載内容を順守することを条件に、同月14日付け証明書交付願の交付を受けるに至った。

6 平成16年4月の村松から上村に対する引継ぎ状況

 上村は、平成16年4月1日付けで、企画課社会参加推進室社会参加係長に異動となり、前任者であった村松の業務を引き継いだ。

 その引継ぎの際、上村は、村松から、「凛の会」に公的証明書を発行する案件の説明を受け、「凛の会」の心身障害者団体としての実体には疑念があるものの、国会議員から口添えのあった議員案件であり、上司である障害保健福祉部長や企画課長から直接下りてきた案件であるため、早急に対処して公的証明書を発行する必要がある旨の引継ぎを受けるとともに、田村からも、「凛の会」に対する公的証明書の発行手続を進めるように指示された。

 しかしながら、その時点で、「凛の会」からは、公的証明書の交付願はおろか、規約や名簿等の審査資料も全く提出されておらず、また、上村も、村松から公的証明書の発行期限を告げられておらず、しかも、異動当初の平成16年4月中は社会参加係長として慣れない予算要求の原案作りや大臣官房会計課予算班との折衝に忙殺されていたことから、「凛の会」の案件については手つかずのままとなった。

7 「凛の会」による上村に対する公的証明書発行の要請状況

 河野は、平成16年4月上旬ころ、自ら障定協に電話をかけて確認し「凛の会」のように月3回以上新聞を発行する場合、障定協を経由せず、直接厚労省と折衝すれば足りると知った。

 当時、「凛の会」は、柔道整復師関係の専門学校を初めての広告主として確保していたところ、同広告主との間で平成16年6月末までにその広告を心身障害者用低料第三種郵便物として差し出すことが決まっていた。河野は、同広告を掲載した「凛」を発行し、不特定多数の第三者に送付すべく、既に「凛」の製作作業を進めていたことから、同月末までに心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用が受けられる承認が下りなければ、製作に要した費用がすべて無駄となるばかりか、大事な広告主を取り逃がしてしまう事態にもなりかねない状態に陥った。

 そこで、河野は、平成16年4月中旬ころから同月下旬ころまでの間、上村に対し数回にわたって電話で公的証明書の発行を要請するとともに、面談したい旨申し入れた。

 上村は、実体に疑いのある「凛の会」に対して公的証明書を発行する件で、同会関係者の河野と面談するには後ろめたい気持ちがあったことから、あえて社会参加推進室を避けて、厚労省地下1階で待ち合わせをすることとし、同月下旬ころ、同所で待ち合わせをした後、厚労省1階の喫茶室で同人と面談した。

 その際、上村は、河野から、できる限り早く公的証明書を発行してほしいと催促され、「分かりました。」と返答するとともに、上司の指示を受けて公的証明書の発行手続を担当している旨明かした。

8 上村による厚労省が公的証明書の発行手続を進めている旨の内容虚偽の棄議書の作成に至る経緯及びその作成状況等

 上村は、心身障害者団体としての実体に疑いがある「凛の会」に内容虚偽の公的証明書を発行することにためらいがあり、また、河野から発行期限を告げられておらず、他方、予算要求の原案作りは期限が決まっていたので、これに忙殺される中で、ひとまず「凛の会」の案件を先送りにしていたところ、河野らから、平成16年5月中旬ころ、電話で、公的証明書の発行を催促された。

 また、上村は、そのころ、田村から「凛の会」の案件の進ちょく状況を確認された際、「凛の会」から、公的証明書の発行申請はおろか、規約や名簿等の審査資料の提出すらされておらず、まともに資料を出せないような実体の疑わしい団体であり、形だけであっても決裁に上げることができない旨答えた。

 そこで、田村は、被告人に対し「凛の会」の案件について、公的証明書の発行申請の書類や規約、名簿等の審査資料がきちんと提出されておらず、決裁に上げられるような状態ではない旨報告したところ、これを受けた被告人は、田村に対し「なんとかならないんですか。もう少し調整を進めてください。」などと言って、「凛の会」に対する公的証明書の発行手続を取りやめることなく、逆にこれを進めるように指示した。

 被告人の指示を受けた田村は、上村に対し被告人の指示内容を伝えた。

 このように、上村は、公的証明書の発行について「凛の会」から催促されるとともに、上司からもその旨の指示を受けたものの、「凛の会」からは、公的証明書の交付願はおろか、規約や名簿、刊行物といった審査資料の提出もなく、形だけの審査・決裁すら行えないような状態であったことから、時間稼ぎのために、厚労省が公的証明書の発行手続を進めているという内容虚偽の稟議書等を作成し、「凛の会」関係者に送付しておこうと考えた。

 そこで、上村は、平成16年5月中旬ころ、社会参加推進室において、「東京女子医大移植者の会」に対する公的証明書の発行に係る稟議書の写しを利用し、修正液で決裁印の一部を消去するなどしてコピーを取り、ゴールデンウィーク前に起案をしたかのように装うため、起案日を「平成15年11月10日」から「平成16年4月26日」に書き換え、氏名欄に「上村勉」と記載するなどして内容虚偽の稟議書を作成し、「『凛の会』に係る低料第三種郵便物の許可申請手続きについては、近日中に滞りなく進めることとなっております。」などと印字した書面とともに、「凛の会」あてにファックス送信した。

 そして、河野らは、そのころ、佐藤が「凛の会」に対して疑念を抱いていたことから、これを払しょくすべく、上村から送付を受けた稟議書等の写しを障定協に郵送して提出し電話で厚労省との折衝の進ちょく状況を報告した。

9 「凛の会」から被告人に対する要請及び被告人の対応の状況等

 河野は、日本橋郵便局を介して日本郵政公社東京支社に対し第三種郵便物承認請求書(なお、低料第三種郵便物の場合であっても、その承認請求は通常の第三種郵便物と同一の書式でなされ、その承認請求に公的証明書が添付された場合に心身障害者低料第三種郵便物の料金の適用を受けられる承認請求として取り扱われていた。)を提出し同郵便局の担当者に対しては、厚労省から近々公的証明書が発行される予定である旨伝えていたものの、厚労省がなかなか公的証明書を発行しないため、同担当者が、「凛の会」に実体がないことに気付いてしまうのではないかと危惧した。

 そこで、河野は、厚労省側から、同郵便局を管轄する日本郵政公社東京支社に対し、厚労省が、近々、「凛の会」に対し公的証明書を発行する予定であることを伝えてもらおうと考え、平成16年5月中旬ころ、倉沢に対し近々厚労省から公的証明書が発行されると日本郵政公社に伝えて欲しい旨被告人に申し入れるように指示した。

 そこで、倉沢は、同月中旬ころ、企画課に赴き、被告人に対し、急ぎの事情があるので、企画課長である被告人から直接日本郵政公社に電話をして、「凛」を低料第三種郵便物と承認しても大丈夫であると伝えて欲しい旨依頼した。

 これに対し、被告人は、「一応、郵政公社の方には連絡してみますが、相手が応じてくれるかどうかは分かりませんよ。」と言いながら、倉沢の面前で、企画課から日本郵政公社東京支社の「森」に電話をかけて、その旨伝えた。

10 日本郵政公社東京支社からの承認書の交付

 その後、日本橋郵便局を介して「凛の会」の第三種郵便物承認請求書の提出を受けていた日本郵政公社東京支社は、公的証明書の提出がなかったことから、「凛の会」の定期刊行物「凛」について、心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けられる承認請求として扱わないまま、同支社長森隆政名義で、第三種郵便物として承認する旨の平成16年5月31日付け承詔書を発行し同年6月4日、木村が、日本橋郵便局を介して、同承認書の交付を受けた。

第5 犯行状況等

1 倉沢からの最後の要請

 河野は、前記のとおり、厚労省の企画課長である被告人から直接日本郵政公社東京支社に連絡をしてもらっていたことから、公的証明書の原本を提出しなくても、心身障害者用低料第三種郵便物として取り被われるものと考え、平成16年6月上旬ころ、日本橋郵便局に対しその差出承認請求をしたところ、同請求にも公的証明書が添付されていなかったため、同郵便局の担当者から、至急公的証明書の原本を提出するように要請された。

 河野は、黒木からその旨を伝え聞き、予想外の事態で早急かつ確実に公的証明書を人手する必要があると考え、急きょ、平成16年6月上旬ころ、厚労省に電話をかけ、上村に対し既に日本郵政公社から第三種郵便物の承認を得たこと、広告主が決まっているため心身障害者用低料第三種郵便物として発送できなければ大きな損失になることを伝えた上で、日本郵政公社東京支社長名義の同年5月31日付け承認書とつじつまの合うように、作成日付を5月中に遡らせた公的証明書を無審査で至急発行するように要請した。

 また、河野は、上村に電話するだけでなく、その上司の企画課長にも要請をしておいた方がよいとの考えから、倉沢に対して、厚労省に直接赴いて5月31日以前の作成日付の公的証明書を発行してもらってくるように指示した。

 これを受け、倉沢は、その直後ころ、急きょ企画課に行き、被告人に対し以前にしてもらった日本郵政公社への連絡だけでは足りず、書面の公的証明が必要であるとして、「凛の会」に対する公的証明書を早急に発行すること、その際日付を遡らせて5月中の目付にすることを要請した。

 これに対し被告人は、倉沢から、「凛の会」が心身障害者団体そのものではない旨聞かされていた上、田村から、「凛の会」から公的証明書の発行申請の書類や規約、名簿等の審査資料がきちんと提出されておらず、決裁に上げられるような状態ではない旨の報告も受けており、しかも、発行日付を遡らせるという要請であったため、少し考え込んだものの、「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜を図るよう塩田から指示を受けた議員案件であったことから、倉沢に対し、その要請を了承し、公的証明書ができたら連絡をする旨告げた。

2 倉沢の要請を受けた被告人からの上村に対する指示

 倉沢の要請を了承した被告人は,平成16年6月上旬ころ、上村に対し5月中の日付で公的証明書を作成して被告人のところに持参するように指示した。

 これに対し、上村は、被告人に対しそれまでの「凛の会」の関係者との接触状況や審査資料が未提出であることから、「凛の会」に心身障害者団体としての実体があるか疑わしく、また、「凛の会」の刊行物も福祉目的とは思えない旨告げるとともに、「凛の会」からは発行申請や審査資料の提出がないため、形式的な決裁すらできないことや、日付を遡らせるのであれば発番号の問題も生じることを伝えた上で、それでも公的証明書を発行して良いか、その指示を仰いだ。

 被告人は、上村に対し、「先生からお願いされていることだし塩田部長から下りてきた話でもあるから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは、心配しなくていいから。」などと告げ、早急に公的証明書を作るように指示した。

 上村は、被告人に対し、その指示を了解し「凛の会」に対する公的証明言を作成次第被告人のところに持参する旨答えた。

3 本件公的証明書の作成及び交付状況等

 上村は、平成16年6月上旬ころ、社会参加推進室の職員が帰宅した後の深夜の社会参加推進室で、「凛の会」あての「上記団体は、国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、当該団体の発行する『凛』は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としているものであると認めます。」などと記載した書面を作成し、翌早朝ころ、同書面に企画課長名の公印を押捺し、厚労省社会・援護局障害保健福祉部企画課長作成名義で、同課長の公印を押捺した同年5月28日付けの内容虚偽の本件公的証明書を作成し、これを被告人に手渡した。

 その後、被告人は、障害保健福祉部長室で、塩田に対し「凛の会」に対する公的証明書を発行することになった旨報告した上で、倉沢に対しては被告人から連絡するので、前記国会議員に対しては塩田から報告をしてもらうように依頼した。

 塩田は、同国会議員からの依頼案件を処理することができたと分かり、被告人をねぎらった上、同国会議員に対し、電話で、「凛の会」に対する公的証明書の発行を行うことになった旨報告した。

 そして、被告人は、「凛の会」に対して本件公的証明書ができたことを伝え、これを受け取りにきた倉沢に対し「何とか、ご希望に添う結果にしました。」などと言いながら、本件公的証明書を交付した。

 また、上村は、そのころ、田村に対し「凛の会」の案件を遂げた旨報告し、田村も、北村に対し、その旨報告した。

4 本件直後における被告人から上村に対する指示状況

 上村は、被告人の指示に従って実体のない「凛の会」に対する内容虚偽の公的証明書を発行したものの、後付けで「凛の会」から何らかの資料を出してもらい、形だけでも審査をしたかのように装って稟議書等の書面だけても残しておいた方が後々言い訳がしやすいと考えた。

 そこで、上村は、平成16年6月中旬ころ、被告人に対し、「凛の会」に対する公的証明書の発行に当たり、稟議もなく、「凛の会」から何らの資料も提出されていなかったことについて、後付けではあるが、一応審査をしたという書類を形だけでも整えておく必要があるのではないかなどと言って指示を仰いだ。

 これに対し被告人は、「今から資料を取り寄せて稟議書を作ったりする方が、かえって大事になって大変でしょうし、部長も了解してくれていることだから、上村さんは、もう気にしなくていいですよ。もうこのことは忘れてください。」などと言って、後付けで「凛の会」から審査資料を取り寄せて決裁の形を整える必要はない旨告げた。

 その結果、その後においても、企画課が「凛の会」に対して証明書交付願や規約及び名簿等の資料の提出を求めることはなく、「凛の会」がこれらの資料等を提出したこともなかった。

5 「凛の会」による本件公的証明書の行使状況等

 黒木は、平成16年6月10日ころ、日本橋郵便局郵便窓口課申請事務センターにおいて、同センター総務主任に対し厚労省から不正に人手した本件公的証明書を手渡して行使しさらに、同担当者を介して、日本郵政公社東京支社へ回付させた。

 そして、日本郵政公社東京支社長森隆政名義に係る平成16年6月21日付け証明書が発行され、「凛の会」は、同月24日ころ、日本橋郵便局担当者を通じて、同証明書の交付を受けた。

 その上で、河野らは、平成16年6月下句ころから、一般広告主から手数料を得た上で、低料第三種郵便物制度を不正に利用して、広告主の広告に「凛」を同封したダイレクトメールを日本橋郵便局から大量に送付するなどして、不法に収益を上げるようになった。

6 平成18年における「凛の会」内紛時の厚労省の対応等

 本件の約2年後である平成18年に入った後,収益の分配をめぐって「凛の会」に内紛が生じ、河野と倉沢が対立関係に至った結果、同年6月ころ、河野が厚労省に対して「凛の会」の解散届と本件公的証明書の写しを提出するなどした。

 これを受けて、担当室である企画課地域生活支援室(従前の企画課社会参加推進室が平成18年4月に名称変更等されたもの)が本件公的証明書に対応する決裁文書を探すこととなり、同決裁文書が企画課内に見当たらないことが判明した。

 そこで、同室の担当者が、その上司の指示を受けて、本件当時の担当者で他局に異勤していた上村に対し本件公的証明書発行事実の有無等を問い合わせた。

 これに対し、上村は、「『凛の会』に対する証明書は、企画課長まで了解をもらって、きちんと企画課で発行した。」などと説明した。

 その結果、厚労省においては、同室室長の判断により、公的証明取消し等の特段の措置がとられることはなかった。

第6 その他情状等

以 上

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