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« 《THE JOURNAL》ブロガーもイチオシ! 映画「こつなぎ」を見てきました
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米国は日本国民と沖縄県民を"脅迫"するのを止めろ! ── 海兵隊のグアム全面移転を最後まで探究すべきである »

宮台真司×神保哲生:やっぱり密約はあった!外務省局長が沖縄密約の存在を法廷で証言

 沖縄返還の日米交渉の際に交わされたとされる密約文書の公開を求める裁判で、12月1日、当時外務省のアメリカ局長を務めていた吉野文六氏が東京地裁に証人として出廷し、これまで一貫して政府が否定し続けてきたいわゆる「沖縄密約」の存在を初めて法廷で証言した。

 吉野氏は日米間で沖縄返還交渉が行われた当時、外務省のアメリカ局長として、交渉を担当する立場にあったが、72年に密約の存在をすっぱ抜き、国家公務員法違反で有罪となった元毎日新聞記者の西山太吉氏の刑事裁判では検察側証人として密約の存在を否定していた。

 一方、吉野氏とは別に記者会見にのぞんだ西山氏は、「(過去に)偽証した本人が、偽証しないと宣誓して発言したのだから、相当な覚悟があってのこと」と語り、吉野氏が法廷で密約の存在を認めたことを高く評価した。西山氏はまた、「不自然なところも多々あったが、サインを認め、局長室で交わしたのも認めた。これで十分だ。」と語り、法廷という場で40年ぶりに再開した吉野氏と固い握手を交わしていた。

 交渉の手段として時に密約が結ばれることは外交の世界では常識とされるが、その存在を隠すことによって一人の国民の人生が大きく左右されたことをどう考えればいいのだろうか。今回のニュースコメンタリーでは、当時の社会情勢を振り返りつつ、日本政府が当時、西山さんを犠牲にしてまで守りたかったものは何だったのか、議論した。

外交手段としての密約はどのようにして許容されるのか

神保(ジャーナリスト):沖縄返還交渉当時アメリカ局長だった吉野文六さんが、沖縄密約に関連する文書開示請求訴訟で、原告側の請求した証人として宣誓して密約について証言をしました。既にメディアでは証言をしていましたが、裁判という公式の場で、とりわけ宣誓の下で密約の存在を認めたのは、これが初めてです。

 吉野さんは会見で、「過去の歴史を歪曲(わいきょく)するのは、国民のためにならない。」と語るとともに、歴史の事実を伝えることが「日本の将来のため有益になると信じるようになった」と、証言をするに至った動機を説明しました。まず、宮台さんは率直な感想としてどのように思いますか。

宮台(社会学者):裁判が行われたのが政権交代下ということが大きいですね。政権交代以前であれば今まで通りの判決が予想できます。私も原告団の一人として名を連ねていますが、この訴訟の目的たる密約をめぐる事実関係がどうなっているかということはアメリカの公文書館の文書から既に明らかなのにもかかわらず、以前であれば原告団の努力が徒労に終わるなという予測で見ることになったでしょう。

神保:吉野さんは外務省の元官僚なため、退官しても守秘義務があり、裁判で証言するためには役所の許可が必要でした。今回は政権交代が必至という情勢の中で、総選挙の直前の自民党政権の下でも外務省からその許可が降りるだろうと言われていました。結果的に密約については公開するということを明言していた民主党政権下で岡田外務大臣から許可が出たのですが、政権交代が必至という状況でなければ、外務省は国家機密だの国益に反するだのとあれこれ難癖をつけて、吉野さんの法廷証言を認めなかった可能性もあります。その意味でも政権交代の意味は大きかったように思います。

宮台:私もそう思いますね。

神保:ところで西山太吉さんが、今回の法廷の後の会見で、非常に清々しい顔つきで、「(過去に)偽証した本人が、偽証しないと宣誓して発言したのだから、相当な覚悟があってのこと」として、吉野さんが法廷で密約の存在を認めたことを高く評価しました。西山さんはまた、「これで十分だ」とも言っています。当時毎日新聞記者で霞クラブキャップだった西山さんの気持ちとしては、ついにアメリカ局長だった吉野さんが密約を認め、西山事件から37年を経て自分のスクープが正しかったということが証明された瞬間だということで感慨もひとしおだったのでしょう、法廷では二人が握手をして肩を抱き合うシーンもあったと聞いています。

 もちろん他の外務省の高官が頬被りをする中で、ああやって吉野さんが証言をしたことは確かに賞賛に値すると思いますし、その意味で西山さんが吉野さんの行動を高く評価をしているのはわかるのですが、一方で記者会見で吉野さんが最後まで答えなかった質問が一つあります。それは、西山さんが国家公務員法の守秘義務違反に問われた刑事裁判で吉野さんが「密約はない」と偽証したことについて、今現在吉野さんはどう思っているのかということです。

 確かに、吉野さんがあのとき「密約はない」と言ったから西山さんに有罪判決が出たというわけではありません。しかし、あの裁判において事実関係が大きな論点であったことは事実です。それを一度は「ない」と嘘の証言したことについて、今回記者会見では最後まで贖罪の言葉はありませんでしたし、裁判でもそう言う言葉は無かったと聞いています。

 宮台さんは密約そのものについては外交手段としてあり得るといつもおっしゃっていますね。ただ、それは一人の人間が、考えようによっては不当に刑事訴追される可能性がある時でも、正当化されると思われますか。

宮台:はい。これは難しい問題で、政治学の枠組みで言えば、条約の有権解釈権が誰にあるのかという古典的問題ということができます。国内法についての有権解釈権のトップは内閣法制局長官です。しかし、条約と協定についてだけは権限が及ばず、条約と協定の解釈権は外務省の条約局長にあるというのが基本的枠組みです。この枠組みは日本だけのものではなく先進国の多くが採用しています。それはなぜかというと憲法と条
約や協定は他の法律や枠組みとは性格が違うからです。国内法であれば、民法でいう事情変更の原則が当てはまります。どういうことかというと、コンテクスト、つまり社会的文脈が変われば、契約内容の全部または一部が無効になった、あるいは意味が変わったと判定され得るのですが、憲法と条約や協定についてはそれは通用しません。つまり事情が変わったので誰かが勝手に解釈を変えるというのでは憲法の意味がない。憲法と いうのは絶えず国民の意思を再確認する形で定義されなければならず、もし解釈が変わったのであれば憲法改正を国民が行う必要があるのだということです。

 条約についても全く同じロジックで、相手方がいるのにこちら側が勝手に国内的な事情で解釈が変わったということはできません。解釈が変わったというのであれば、もう一度条約を相手方と結び直さなければならないということです。こういう事情があるので、国内法の有権解釈を有する内閣法制局長官と条約や協定の有権解釈権を有する外務省条約局長とは、バッティングするのです。ただ、ここで大事なことですが、行政官僚
とはいえ国内法に縛られているので、外務省の条約局長が国内法を無視して条約や協定を結ぶことは出来ないのが基本です。そこにこの問題の微妙さがあると言えます。これは外交機密費がなぜあるのかという問題とも直接結びつくことですが、真相がわからないとはいえ、アメリカは金を出したくない、金を出せというのなら沖縄返還しないぞ、と言っていたとしましょう。一方、日本は移転費用を日本側が持つなんてことになった
ら国民世論がもたない。だったらこっそりやればいいじゃないか、国民には出さなかったことにすればいいじゃないかと、アメリカが言うなり誰かが言うなりしたとすると、沖縄返還という国益上重大な目標を達成するために、無体な要求であるけれども呑まなければ達成できないというアメリカの要求を呑み、そしてそれを呑むという選択を日本政府がしたことは無体な要求を呑んだということになるので国民には明かせないということで、国民に隠すということは外交手段としては完全にありです。

西山氏の刑事裁判で吉野氏が偽証をしたことをどう評価すればいいのか

神保:密約の存在としてはありということですね。ここからは青臭い質問になるかもしれませんが、西山さんの裁判は刑事裁判であり、場合によっては一人の人間が刑務所に入るかどうかを争う裁判ですよね。それに対し密約というのは、それを単純に国益と称するかどうかの是非は横に置くとしても沖縄返還がうまくいくために必要であるという理由で正当化されているというとき、一人の人間が刑務所に行くかどうかを決める裁判で偽証することは許されるのでしょうか。

 もちろんこれが単純化した乱暴な議論であることは承知しています。吉野さんの証言だけをもって西山さんが刑務所に行ったわけではないし、西山さんには実際は執行猶予もついているので刑務所にも行っていません。また、吉野さんの偽証には既に時効が成立しているので、今さらこれを問題にすべきかどうかも議論があるでしょう。ただ、外交上密約というものが正当化できるかどうかという問題と、それを刑事裁判で偽証しているということの関係を、どう考えればいいかについて、まだ私自身はしっくりこないところがあります。

 そこで敢えて話を単純化すると、密約があるかないかが争点になって彼が刑務所に行くことになるかが争われたとします。その場合、国益のためにその人が刑務所に行くことは仕方のないことだ、でいいのでしょうか。

宮台:僕の答えは比較的シンプルです。これをどう考えるかには、二つのファクターがあります。一つ目は、政権交代の可能性の有無です。これは、反実仮想というかフィクションのように語ることしかできないのですが、例えば僕が吉野文六さんだったとしたら、まず、当時、政権交代の可能性があるかということを考えたでしょうね。政権交代の可能性があれば、例えばいったんここで西山さんが有罪になっても裁判が続いている間に、あるいは裁判後に再審請求を受け入れるという形で名誉回復の可能性があるだろうということで、偽証をするということはあり得ます。

神保:罪に問われることを覚悟の上で、嘘をつくと。今回の場合は時効ですけれども。

宮台:そうですね。ただ、これは吉野さんが会見でおっしゃっていることですが、当時は検察官も含めて官僚全体、あるいは行政官僚制全体として密約の存在を否定するというスキームに乗っていたという事情がありました。検察も吉野さんの証言は嘘だと重々承知していたとはっきりおっしゃっています。つまり、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という話とよく似た話ということになりますが、おそらくそのスキームに乗ることが政治共同体全体にとっての国益なのだということに、少なくとも当時のエリート官僚層、政治家、とりわけ与党の有力な政治家は完全に同意している。したがって、当然のことながら、政治共同体のために嘘をついた自分を守ってくれるだろうと吉野さんは判断したのだと想像できます。吉野さんは会見で自分が偽証罪に問われるようなことはゆめゆめないだろうと信じていたということを匂わせていらっしゃいました。

神保:偽証罪に問う立場の人間も同じ船に乗っていたということでしょうか。

宮台:そういうことです。吉野さんとしては偽証をしても自分は大丈夫だと判断したのでしょう。

神保:正しいかどうかは別にして、合理的な判断としてはあり得るということですね。

宮台:もう一つのファクターとして当時、大学紛争がありました。70年に入ってだんだん終息していくというプロセスを辿っていましたが、もしかして本当に革命が起こるのではないかというイメージが多くの人々に共有されており、沖縄返還が実現した72年といえば連合赤軍事件、浅間山荘事件がブラウン管をたいへんにぎわしたという頃です。そういう非常に特殊な世の中の流れの中で、体制を守るということに対しての強いコミットメント、つまり今だったらあり得ないような強力なコミットメントが政治家や行政官僚というエスタブリッシュメント達にあったということは十分に想像がつきますよね。

神保:エリート行政官としては合理的な判断だというのはわかりますが、密約が実際はあった、しかし、吉野さんはないと言って、出世を重ねて外務省で外交官人生をまっとうし、一方の西山さんは筆を折らなければいけなくなって、九州のほうに退かれ、有罪判決まで受けている。しかも西山事件というと今でこそ普通に話題にできますが、長い間封印されていました。そのあたりのことをどう考えればいいのでしょうか。

宮台:僕が先ほど申し上げた2番目のファクターについてもう少し言うと、当時は体制と反体制との間で国内戦が繰り広げられていたということが重要です。基本的に行政官僚制の本義が何であれ、政治家や行政官僚の責務が何であれ、体制と反体制との戦いにおいて、この政治闘争に勝つために何をするべきなのかということが行政官僚や政治家らエスタブリッシュメントの頭の中の大半を占めていたのだろうと思います。

神保:吉野さんは体制側だったということですね。

宮台:西山太吉さんがどれだけ正当な手続で事実を報じたのだとしても、そこは一つの戦争だという意識が当時のエスタブリッシュメントにはあったのだろうと思います。

神保:それは、西山さんがその戦いに負けたというふうに理解するしかないということですね。

宮台:そういうことになります。今でこそエスタブリッシュメントの間で盛んに二大政党制について語られるように、あれかこれかという選択肢があるのだということは当たり前のことですが、当時は違いました。当時のあれかこれかというのは体制か反体制かという意味でした。それが持つ意味は、今の若い人からみたらなかなか想像しにくいものがあります。大島渚や若松孝二の当時の映画を見れば、沖縄返還闘争がどういうものだったのか、沖縄返還闘争で西山さんが沖縄返還を求める民衆、沖縄の人たちの側に立つということがどういう意味をもったのかということがよく分かると思います。そういう材料を見ない限り今の若い人には分からないでしょう。

神保:吉野さんにしてみれば、体制は自分を守ってくれるだろうという合理的な選択として偽証をしたということも想像できますが、自分も体制側にいる以上、体制を守るための強力なコミットメントをするという意味でも偽証するより他に選択肢がなかったということでしょうか。

宮台:先ほど触れた行政官僚制の第一の本義ですが、政権与党の政治家がないと言っているものを行政官僚があると言うことはできません。それはなぜかというと行政官僚がパブリックサーバントだという意味は選挙で選んだ政治家に仕えるという意味だからです。霞ヶ関というところはそういうところで、選挙で選んだ政治家に仕えるのが行政官僚の責務です。念のために言いますが、それは公務員の政治的中立性とは何のバッティングもしません。なぜならば、政権が代われば新たに政権についた与党に仕えるからです。

神保:国民は選挙を通じて政治家に役人をきちんとコントロールすることを付託しているということですね。

宮台:そうです。ですので、政治家がないと言っているものを役人があると言ったり、その逆も基本的にはできません。それは役人の重要な職責であり、役人の存在理由に関わるものなので、誰が吉野さんであったとしても責任ある官僚ならば、政権与党のトップがないと言っているものをあると言ったり、あると言っているものをないと言ったりすることは絶対にできません。

神保:そういう職責に加え、近代の刑事裁判は神の前で真実を述べる場でもないわけですし、ましてあの裁判では裁判官と検事と吉野さんとの間であうんの呼吸が存在していた以上、吉野さんが密約について真実を述べることができた可能性はなかったということですね。

宮台:そうですね。ただ、さきほど冒頭で触れましたが、もし吉野さんが政権交代間近だと思っていたならば、今申し上げた責務を十分理解してはいても、どのみち半年後や1年後に選挙があるということになれば、次の政権与党となりうる存在に忠誠を誓うという観点から、今の政権与党の政治家はないと言っているけれども実際はあると証言することはあり得ます。けれどもそれ以外の可能性は全くありません。

神保:そういう時は行政官僚の間のあうんの関係が崩れるわけですね。検察も「このやろう勝ち馬に乗ろうとしているな」というふうに思いながら証言を聞くということになるということですね。

日本の検察官、外交官のメンタリティと天皇制

神保:先ほど外務省は憲法の枠組みの外で行動することもあり得るという話がありました。国内法にだけ準拠していたのでは国益が守れないという話に関して、一つ面白い話があります。

 私がある記者仲間と検察官のメンタリティについて話していた時に出た話なのですが、検察組織のトップである検事総長、ナンバーツーである次長検事、各高 等検察庁のトップである検事長は、任免にあたって天皇の認証が必要な認証官であり、取材をしている人間からすれば、彼らがなぜ時に法律の枠組みを超えた、ある意味で傍若無人な行動を取ることができるのかを説明しようとすると、そのことを抜きにしては語れないと言う話でした。

 また、在外公館に勤務し外交交渉を行う権限を有する大使、公使も同じく認証官です。確かに天皇は今日の日本では法律の中の存在ですが、現実にはそれ以上の意味合いを持っていることも事実で、なぜ彼らが時にあたかも自分達は法律の外側にいるかのように振舞うのかということを本当に理解しようとすると、彼らは任官にあたり天皇からの認証を受けているということがとても重要な意味を持つのではないかということでした。

宮台:それはたいへん面白い話ですね。少し込み入った議論になりますが、天皇による認証がなぜ重要な意味を持つのかは、次のように理解することができます。マル激では何度も説明していますが、政治家なるものは言うまでもなく国内法を守るべきですが、いざとなった場合にそのまま国内法を守っていたのでは政治共同体が滅びるのだとすれば、国内法を破ってでも政治共同体の運命を切り開くべきだと考えるのがマックス・ウェーバーからカール・シュミットに連なる思考の流れです。

 実はこれが近代法における、例えば公安活動のような、時に国内法を破る行政の行為の理論的基盤なのです。検察や警察は「事実行為」と説明しますが、盗聴法で盗聴が認められていようがいまいが、どこの国の警察も随時必要に応じて盗聴はやっています。逆にやっていないと困ります。なぜなら警察が国内法を守ることで国内法を破る勢力を温存する可能性があるからです。

 警察だけでなく行政官僚はいざとなったら事実行為をやる存在なのです。ですから、これは違法ではないかと摘発されたときに、それを検察がどう捉えるかによって、ある行政官僚がその事実行為をすることができるかどうかが決まることになります。だから日本における特捜という概念があるのです。

 つまり、ある行為を起訴するかどうか、簡単に言うとそれを法廷に持ち込むかどうかは検察が政治的な判断をすることができることが許されている領域が残されているのです。政治的判断というのは法を超えた政治共同体の運命に関わるものですから、政治共同体の運命をまさに象徴する天皇陛下に忠誠を誓っていると言えます。わかりやすく言えばシンボルの政治ということになります。天皇陛下というシンボルに中世を誓うという形で政治共同体の運命に忠誠を誓っているということですね。

神保:検察には、法律よりも一段高いというか、ある意味で政治的な行動を取ることが許されているという考え方の根拠になっているわけですね。ただ、無分別に法律を踏み越えていいのではなく、宮台さんがいつも言っているように、そうすることが真の国益、というか政治共同体益につながるとの確信の元、自ら捨て石となり、場合によっては自らがすべての責めを負う覚悟で、そうした行為をすることがあり得るという意味と理解していますので、昨今の自らの保身のために傍若無人に振る舞うのとは本質的に意味が違うと思いますが。

 あとは、天皇の任免職となると、任官にあたって宮中で認証式を行います。それが、彼らの中に自分は他の役人とは違うんだという、それが自負なのか勘違いなのかはともかくとして、特別な意識を植え付けることになっているのかもしれません。戦前の「天皇の官吏」としての自覚に近いものなのかもしれませんが、それもまた一歩間違うと偉いことになりそうではあります。

宮台:そのようにある種の自意識の問題と捉えることもできますが、それ以上に日本において天皇を担ぐ意味を考える上で、今の指摘は非常に大事なことです。例えばラディカルな左翼の一部が革命を企てたとしましょう。革命という概念を持ち出す以上、彼らが国内法を侵すことは前提です。それに対抗して警察は、国内法を侵し、事実行為をして革命家を取り締まります。両者は同じく国内法を侵します。何のために国内法を侵すか、それは国内法を越えた我々性、言い換えれば政治共同体の運命が観念できるからです。

神保:どちらの方が我々のためになるのかの戦いということですね。

宮台:そうです。我々性ということを憲法意思と言い換えてもいいでしょう。法律よりも憲法のほうが優越していることは皆さんご存知でしょう。憲法意思をどこに見出すかということになると国によって違います。信頼できる成文憲法という形で現実化していると考えるのがアメリカ、そういう成文法という形で憲法が規定されてはいないが、何が国民の意思であるかは先例の蓄積の中で完全に明らかになっていると考えるのがイギリスです。このように、国によって何が政治共同体の運命あるいは運命を左右しようとする人々の意思であるかということは違います。

 日本においては、我々性を規定する蓄積や伝統がありません。なぜかというと明治維新も後醍醐天皇が企てた倒幕もそうですが、社会を転覆しようとする革命勢力が、既存の政治共同体の運命のシンボルたる天皇を掲げて法の外に出ることを自らに鼓舞したり許容したりしていたという歴史があります。そこから、天皇を掲げて革命をすることは天皇を保守していることになるのか、それとも社会を破壊していることになるのかという日本特有の問題が生じるわけです。天皇はもともと革命のシンボルなのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、革命のシンボルだからこそ2千何百年もの長きにわたって護持されてきたのです。ということは天皇に忠誠を誓うということがヨーロッパやアメリカにおける保守というのと全く違った意味を持ってしまいます。だからそこがとても日本的な文脈と言えます。

神保:革命というのは公共性をシンボルとした世直しということですよね。統治権力が公共性をないがしろにしているときに、天皇を掲げることで我々性の回復を図るということと理解していいでしょうか。

宮台:ただ、日本においては何が公共性かは自明ではないので、公共性は虚数であると言うしかありません。革命家も世直しを企図しているけれども、検察も世直しを企図している可能性があるということです。日本的文脈では、世直し勢力と世直し勢力の闘いが革命家と検察との間で起こるということもあり得ます。

神保:なるほど。ただ、ここで強調しておかなければならないのは、例えば大々的に捜査をした挙句に佐藤栄佐久前福島県知事を「換金の利益」があったなどとして無理やり収賄罪で起訴したりするなど、今の検察にそのような公共性マインドがあるとはとても言えません。

宮台:戦前だったらそういう官僚は右翼に暗殺されたでしょうね。

神保:暗殺というと穏やかではないですが、そういう超法規的な権限を行使できる人間というのは同時に、自ら腹を切る覚悟も暗殺されるかもしれないという覚悟もいるということですね。本当は、官僚がそのような権限を行使した場合には事後的な検証を受け、それが間違っていたり、自らの保身や責任逃れのためにその権限が行使されていることが後で明らかになれば、重大な政治責任を問われ、事後一切公の役職につけないとか場合によっては刑務所に行くくらいの制裁が用意されていても然るべきかもしれません。それだけ多くの一般市民の一生に影響を与える決定を下しているわけですから。

 何にしても密約訴訟は、次回で結審だそうです。おそらく文書開示請求は認められるでしょう。現在、岡田外務大臣が密約の検証委員会を設置し調査が進んでいるようですが、裁判所の判断としても、検証委員会の判断としても、今度は「密約はある」と言うことがあうんの呼吸ということになっているのではないでしょうか。

 私としては、この番組にも出て頂いている西山さんが、法廷後の会見ではすがすがしい笑顔で、37年前の法廷で密約はないと言った吉野さんが今回宣誓して密約はあったと証言したことを高く評価し、過去のことは水に流すというような態度で話されていたことが、とても印象的で、救われた思いがしました。

 と同時に、それですべてが不問になっていいのかという疑問が、逆に頭をもたげたという感じでした。

ビデオニュース・オン・ディマンド
歴史の事実を伝えることが日本の将来に有益
吉野元アメリカ局長が沖縄密約の存在を法廷で証言
http://www.videonews.com/videonews_on_demand/0901/001297.php

神保哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。15歳で渡米、コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て93年に独立。テレビ朝日『ニュースステーション』などに所属した後、99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』、『ビデオジャーナリズム--カメラを持って世界に飛び出そう』、『ツバル−温暖化に沈む国』、『地雷リポート』など。専門は地球環境、開発経済、メディア倫理。

宮台真司(みやだい・しんじ)
首都大学東京教授/社会学者。1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。博士論文は『権力の予期理論』。著書に『制服少女たちの選択』、『14歳からの社会学』、『日本の難点』など。

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 いつの間にか日米両政府間最大の懸案に化けてしまった沖縄の普天間基地移設問題だが、アメリカ政府は国防総省主導のもと、傲慢かつ高圧的な態度を取り続けている。... [詳しくはこちら]

» 地獄の扉を開いてしまった日本人(開かされてしまった?)=政権交代・民主党で日本人滅亡 外国人参政 送信元 民主党で日本人滅亡 外国人参政権反対(旧外国人参政権反対【旧々日本愛国者】)
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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この「コラム」は、非常にコメントしにくい。
というのは、論点が幾つもあって、混同してしまう。
私が、感じる論点でも、3つある。
「密約問題」
「体制・反体制の国政この関わり」
「天皇の任命権と政治との関わり」
主旨がぼやけてしまうので、できれば、次回は論点を整理していただければ幸いです。

こういう問題は議論してもナンセンスだと思います。「来年の事を言うと鬼が笑う」と言われますが、「済んだ昔の事を言えば鬼が大笑い」すると思います。

政治家にも、官僚にもその時々に日本にとってどの様に選択するのが良いか考えて行動して欲しいです。

大変重要な問題だと思います。
国家という体制の「内」と「外」との関係です。
その関係の中で、「主権者」たる「国民」がどのように扱われたか。
西山さん一人ではありません。国民全体の問題です。
この事件と裁判の内容の意味するところをいかに評価するかは、これからの日本の民主主義の進む方向を決める道しるべにもなります。
どうせ「馬鹿な報道機関」は、まともな検証はしません。我々が、自身でやらなければ目の前を「ス~」っと通り過ぎてしまいます。

日本人は、節目節目での「結果の評価」を、ほとんど行わずに過ごしてきています。
太平洋戦争の評価は、占領軍にすべてを任せてしまいました。
ただ、「侵略戦争」なんだそうです。
占領が終わってからも、なんの検証も行わず、ひたすら「金儲け」だけをやってきました。
その結果、世界での、特にアジアにおいての日本の立ち位置を、いつまでも決められないままです。
簡単にいえば、謝りっぱなしです。
明治維新についても、本当の評価が行われたとは思えない所があります。
司馬遼太郎さんの本を読むくらいしか出来ません。

直近では、バブルとその崩壊の評価も、ほとんどなされていません。

小泉政権の評価も、まだです。

過去を振り返り、評価し、反省し、良い点・悪い点を確認せずに、どうやって未来を築くのでしょう。

この「コラム」を読んでの私の感想は、以下のものです。

主題である「密約問題」に対する官僚の答弁は、かくあるべきと思う。
それは、「私は、答える対場にない」と黙秘する。

「密約」の定義も曖昧で、国益に損なうから「密約」というのも変な話で、国民の利益との兼ね合いがあろう。
例え、対外的要因があったとしてもです。
その中で、あえて「密約」とするならば、「日本国憲法」に違反する条約を結ばざる得ない場合に限る気がします。
「核」に関しては、憲法違反が論点になる。
「沖縄返還」は、果たして「密約」になるか?論点もある。
現在、この密約検証委員会が開かれているそうですが、その検証結果にも期待したい。

もう一点の感想は、三権分立の原則と天皇の関係です。
行政・立法・司法は、それぞれ独立した組織である。
それが、昨今一元化のされてしまっているように見受けられる。
行政・立法・司法の一部は、ほとんど1つの組織になっている。
現与党幹事長が、目指すものの1つにその分離を強く意識している点を私は、高く評価している。
三権が分離し、それぞれの機能が果たせるためには、どうあるべきか?
それも問われていると思う。

更に、複雑なことにその三権と天皇の位置が、曖昧な点であろう。
これも、私見である。
私が、見るにこの「コラム」からみえたものは、三権の三角形の中に天皇が存在しているように見える。
日本国憲法には、象徴天皇と明記されている。
日本国民のほとんどは、その意味を曖昧に理解している。
けれど、対外的には、天皇は元首と見られていることが、これまでの外交姿勢ともとれる。

その一端が、オバマ氏の敬礼であり、中国の外交姿勢である。
近日の報道でも、「宮内庁」の見解として「政治的要因に使われている懸念」との報道があった。
その当事者の「宮内庁」が、ある意味天皇は政治的要因であることを認めていると、私は思う。
そうでなければ、あのような発言はできないはずです。

>宮台:ただ、日本においては何が公共性かは自明ではないので、公共性は虚数であると言うしかありません。革命家も世直しを企図しているけれども、検察も世直しを企図している可能性があるということです。日本的文脈では、世直し勢力と世直し勢力の闘いが革命家と検察との間で起こるということもあり得ます。<

すごく面白い意見だと思います。
検察の暴走もその文脈で見てとれる。
勿論、検察の自己保身もある、裏金もある、CIAだか米国の陰もあるのでしょう。
しかし、官僚は所詮権力に仕えるものたちである以上、権力維持のため、つまり社会総体が不全に陥るような力が及ぶと判断した時は公共性を持ち出して社会総体維持のために力を行使する場合もある。
検察などは内務官僚の系譜ですから推して知るべしだとお思います。
佐藤優氏が小沢問題を青年将校の叛乱と評した時は違和感がありましたが、宮台×神保両氏の議論を読んでなるほどと思いました。
こうなると権力を変えるという投票行動が国民意思の表れで官僚もその意思に逆らって慣例を持ち出して抵抗することは難しい、潮目を考えるようになるんだなあ、政権が変わることは重要なことなんだとうことが今更ながら分ったような気がします。
にも関わらず、相も変わらずマスコミは55年体制維持に拘泥し、自分たちこそ権力監視の前衛だと記者クラブという名の第二省庁広報部に閉じこもって上っ面をなぜているだけですが、密約暴露に関しても何故もっと取り上げないのだろう?まあ言うだけ虚しいので言及はやめときましょう。


毎度勉強させて頂いております。
為政者の正義とは国益であり真実より勝るということと解釈しました。「知らぬが仏」の言葉があるように世の中なにもかも知ったとて幸せにならぬ、又、知ってしまっても何もかも報道しては、発、報、受、それぞれの不幸に成ることもあると言うことでしょう。
偽証した方は時効うんぬん等と下世話な思いでは無く、良心の呵責に耐えきれなかった信仰深い人と解釈いたしました。

肝要なことは、為政者、識者が、真実<正義(=国益)と思考しているのであれば、国益とはなんぞや、と、
現在進行中の諸事項の国益についてとことん議論して頂きたいと思っております。

平 國造 様の意見に賛成!!
「知らぬが仏」の言葉があるように世の中なにもかも知ったとて幸せにならぬ。
良心の呵責に耐えきれなかった信仰深い人と解釈いたしました。


良心の呵責に耐え切れなくて・・・・・・・・・・

私的な事で申し訳ありません。小生が高校時代の時の事です。母の兄が「妹弟に土地付きの家を建ててあげたが、お前はどうする?下宿するより、家を造って高校へ行くか?」と言ったので、母が「息子(小生)が大学を出てから建ててもらう・・・」と言い、母の兄(叔父)と約束しました。それから少し経って叔父は心筋梗塞で突然亡くなりました。その後50年程はその話は断ち切れになっていました。母も小生も相手が言わないのにこちらから言えないので黙っていました。今から2年ほど前、突然糖尿病と心筋梗塞で倒れた母の実家の嫁さん(既に80過ぎ)が私と家内がお見舞いに尋ねたとき、「実はお父様があなたに家を建ててやると言っていた・・・」と良心の呵責に堪えかねたのかすまなかったと打ち明けました。お蔭様で今の自分は何とかやっているので家は要らないと断りました。それからしばらくしてその母の実家の嫁さんは亡くなりました。

平 國造 様の意見に賛成!!
「知らぬが仏」の言葉があるように世の中なにもかも知ったとて幸せにならぬ。
良心の呵責に耐えきれなかった信仰深い人と解釈いたしました。


良心の呵責に耐え切れなくて・・・・・・・・・・

私的な事で申し訳ありません。小生が高校時代の時の事です。母の兄が「妹弟に土地付きの家を建ててあげたが、お前はどうする?下宿するより、家を造って高校へ行くか?」と言ったので、母が「息子(小生)が大学を出てから建ててもらう・・・」と言い、母の兄(叔父)と約束しました。それから少し経って叔父は心筋梗塞で突然亡くなりました。その後50年程はその話は断ち切れになっていました。母も小生も相手が言わないのにこちらから言えないので黙っていました。今から2年ほど前、突然糖尿病と心筋梗塞で倒れた母の実家の嫁さん(既に80過ぎ)が私と家内がお見舞いに尋ねたとき、「実はお父様があなたに家を建ててやると言っていた・・・」と良心の呵責に堪えかねたのかすまなかったと打ち明けました。お蔭様で今の自分は何とかやっているので家は要らないと断りました。それからしばらくしてその母の実家の嫁さんは亡くなりました。

吉野氏の官僚義務を、放棄してよいと明確にしたことで、吉野氏と西山氏が救われたとも見ています。
お二人が、握手できた。
もしこれが、できなければ、お二人は、暗闇の中にいたままでしょう。

今回の問題の根本は、政治責任を官僚に丸投げしている点にあると、私は思う。
本来、「密約」は、官僚が交すものでなく、政治家が自らの責任において交すものであろう。
また、その存在も政治家の責任において、受け継がれるべきと考える。

これを期に「密約」は、どのようにあるべき、公開なども含めて今後の指針が、表明されることを期待したい。

再度、投稿します。
「表題」と外れていますが、「コラム」内容で、感じた一部での投稿です。

「天皇」と「日本国」との関係について、私の私見です。

「日本国憲法」においても、「天皇」は、日本国籍を持たない存在であると認識しています。
以前から、奇異に感じていたことの1つに国事の「認証官任命式」です。
やおろずの神々の一人である「天皇」が、一個人として、存在感があるがごとくである様に感じています。
私にとって、「天皇」は、陽の光・水・大地などの神々的存在であり、一個人でない。

一個人として見られることが、諸外国から見ても、「元首」と見られてみ仕方ない結果を生んでいると思う。
国を代表する「総理大臣」を選択したのは、国民であっても、最終決定権が「天皇」にあると映ってしまう。
このことが、先の投稿で述べた、三角形の真ん中にあるような印象を受けた理由です。

一部報道された、政治的利用問題は、私も内閣の対応はおかしいと思っています。
ある意味、勇み沸けですが、「天皇」の存在をあやふやにしてきたことの表れでしょう。

今回、韓国訪問に記事があった。
これも、同様の危険性がある。

1つの意見として、日本政府を代表する方は、日本国に「天皇」という個人は存在しない、「謁見」を希望するのであれば、直接「宮内庁」に要望を出していただくような対応すべきでないかと思う。

「宮内庁」にも、「国事」のあり方をご一考していただけないかと思う。
「国事」と「日本国」との関わり方がどうあるべきか。

一般に、神殿に参る時は、玉ぐしを奉げる。
「認証官任命式」そのものが、このような形式に計れないものでしょうか。

再々投稿です。
これも「コラム」主旨と言えるか疑問ですが、あえて投稿します。

「天皇」について、各報道各社におかれても、ご一考して頂きたい。

「国事」以外の「公務」、例えば各国訪問やご見学など、「皇居」の外の行動などを報道される時は、一個人としての行動として、報道していただけないか?
と言うことです。

個人として、お名前がある。
「明仁」という。
明仁殿下、明仁様というように、「天皇」という冠をはずした、個人名で報道していただけないか。

「皇居」内の「国事」行事であれば、「天皇」としての行為であるが、「国事」行為とそれ以外は、お名前の呼び方にも配慮していただけないかと思っています。

また、主旨と異なっていますが、投稿します。

昨今の明仁殿下と中国副主席との謁見報道で、政治問題と声高に叫んでおられる方々、
あなた方は、それが「日本国憲法」違反である認識をもって、唱えているのでしょうか?

「天皇」は、政治権力がないと、謳ってあるに、あると認めていることに気がつかないのだろうか。

脱線御免。天皇陛下会見30日ルールについて一言。
政治的理由により、慣例を破ってまで特例を設けた事が政治利用でなくて何なのか。公平性が損なわれる事をわかっていながら、尚もごり押しする。その確信犯的所業は、断じて許されるものではない。たかが宮内庁の小役人が決めた事だと開き直るのならば、一国民としてこう言おう。「たかが与党の幹事長風情がふざけた事をぬかすな」と。そういった輩が民主主義を語るなど片腹痛いわい。誰もそんな事をしろと頼んじゃいない。

もし、この件で下らない擁護をする者が居たら、“公平性を損なった事”について聞いてみたい。仮にこれが、自民党政権下において特例でブッシュ大統領にでも認めていたらどう言ったのか?恐らく、アメリカ追従のポチなどと言っただろうし、その通りなのだ。自民だろうが民主だろうが駄目なものは駄目だ。そこのところをよく考えもしない発言には虫酸がはしる。そんなモノ言いを信用する国民は、それこそ妄信的支持者以外には存在すまい。まさか、今が何でも出来るチャンスと考えてはいないだろうな。大ポカだよ、これは。下手すりゃ民主党はトン死だ。

旁葉様
もしよろしければ「公平性」とは何のために、何の目的で定めているのか教えてください(趣旨です)。

併せて外交手続きにおいては先ず外務省に来るものだと思いますが、中国のNO.1候補が思い立って日本に来るとは思えず、自身のセキュリティーの為に時間をかけて逆に事前準備に1月以上かけるものと思われますが、整合性の観点からこのことについてご説明いただければ幸いです。

>投稿者: 本田 勉 | 2009年12月14日 17:23 さんへ

そもそも、明仁殿下と中国副主席との謁見の要望は、
自民党の元総理からの助言だ。
それを棚に上げてここぞとばかりに声高に小沢攻撃するのは本末転倒もはなはだしい。
 本田さんはこんな場所で遠吼えなどしてないで、さっさと命をかけて小沢さんご本人の前でおっしゃってはいかがかな。 

N | 2009年12月16日 09:27様

私の投稿は、本来この「コラム」ですべきで無いと感じています。
今は、この問題に対する「コラム」があります。

そちらでも、投稿したように、今は、しばらく明仁殿下のお心が休まることだけ、願っています。

投稿者: 英二 | 2009年12月15日 23:38 様

“「公平性」とは何のために、何の目的で定めているのか教えてください(趣旨です)。”

象徴である天皇陛下が、政治的に利用されないよう、それを担保する為に定めている。具体的には、国の大小や政治的重要性によって差を設けない事で中立(公平)性を保つ。必用要件は原則一ヶ月前に申し出る事。以上、上記のように理解しています。今回の場合、期間を過ぎての申請に対し、「日本にとって重要な要人だから」といった理由で認めた事は、是非はともかく、その理由から明らかに政治利用と言えます。まだ、手続き上の手違いがあったと言うのなら救いがあります。また、宮内庁の慣行に対する法的根拠を求めるとすれば、行政における慣習法にあたると考えられます。何度か断ったものの、憲法の方が優越されます。ただ、天皇陛下の会見ルールは広く海外に認知され、そのルールに沿って執り行われてきたものであるので、慣習国際法の要件を満たしていると言えます。とすれば、憲法云々で処理できる問題では無く、不履行ともなれば国際的信用を失う事になります。これまでも、天皇陛下へは各国から敬意が払われてきましたが、その中立性に因るところもあるのでしょう。それが蔑ろにされた事、鳩山首相の実状も鑑みない開き直った発言にも怒りを禁じえません。

政治的な側面もあるかもしれませんし、感想も控えますが、次のようなエピソードを聞いた事があります。昭和天皇崩御の際、「今年の稲はどうか?」と最後に侍従長に訪ねた。これを知って、国内圧力を受け交渉にあたったであろう米国が「米の自由化」を諦めたそうです。

さて、もうひとつの質問ですが、当方の読解力と知識不足の為、ちょっと質問の要旨が理解しかねます。見当違いな返答であったならご容赦願います。要人の来日にはスケジュール調整など一定期間前から準備されるでしょうし、当局同士の打ち合わせも必要です。ただ、その事と会見の手続きは別の話です。また、セキュリティーの面は、パレードなどと違って特に時間を要する事はないでしょう。

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