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« 藤原和博:神戸市長選で「官僚支配の権化」を推薦した民主党の不可思議!
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ドイツの「政権交代」 ── 二大政党の退潮 »

加藤登紀子:「68年」ていったいなんだったのか?

人間のすべての素晴らしさを守りたくて戦った1968年。
立ち向かったのは権力、組織、お金、そして戦争‥‥。
そして40年たった2009年、噛んでも味のしないガムのような時代。

1968年は、現代的な「生きづらさ」との闘いのはじまりだったのではないか。
68年がなければ、今の21世紀はなかったし、オバマ政権もなかったかもしれない。

68的気分を取り戻したいね。
ヒントは、ジェームス・ディーン、カミユ、ゲバラ、アレン・ギンズバーグ、ビートルズ。それに多分、太宰治‥‥。

10月7日、全曲新録によるニューCDアルバム『1968/加藤登紀子』が全国のタワーレコード81店舗で独占限定発売される。またその日、SNS「1968 by 加藤登紀子」も始動する。このSNSは、CDを買っていただいた方のみが入会できます。下記URLにアクセスし、CDタスキ裏面に記載されたシークレットコードを入力してください。CD発売日から1年間(2010年10月7日まで)、無料でSNSに登録できます。

Tokikoの「1968」から68的輝きの世界へ!

SNS「1968 by 加藤登紀子」へどうぞ!

※TOKIKO WORLD「1968」特集ページ:http://tokiko.com/1968/

タワーレコード新宿店7Fで発売記念イベントも!
10月19日(月)19時〜
※詳しくは同上:http://tokiko.com/1968/

YouTubeに加藤登紀子の「1968」のプロモーションビデオがアップされています。
※YouTube:http://www.youtube.com/watch?v=Ht_BCHZXy7c

登紀子ブログはこちら。
※TOKIKO BLOG:http://greenz.jp/tokiko/

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■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

アメリカのタイムという雑誌の 1988年の号に 「1968」というテーマで特集があります。
スターeditorの Lance Morrowの文章

1968 Like a knife blade, the year severed past from future
ナイフの刃のように 1968は 過去と未来を切り裂いた

1968年が過去と未来を切り裂いた というのも すごい表現です。

sub-titlesを拾うだけでも 当時のアメリカ人の この年のついての 雰囲気が伝わってきますね。
Ted offensive / Martin Luther King Jr / Students Rise / An End of Heroes / Chicago / The Moon
テト攻勢、キング牧師、学生の反乱、ヒーローの終わり、シカゴ、月面着陸

Nineteen sixty-eight had the vibrations of earthquake about it.
1968年は地震のような振動を伴っていた

アメリカ人にとって 「68年」はいったい何だったのか?

はじめまして

「1968」を葬った世界が2008年に制御不能となったのだと思います。
そして 痩せた地面からパラレルワールドの芽が出たのがこの政権交代では。

なんとなくです

「1968」40年。 こだわり続けて下さい。

はじめまして

「1968」を葬った世界が2008年に制御不能となったのだと思います。
そして 痩せた地面からパラレルワールドの芽が出たのがこの政権交代では。

なんとなくです

「1968」40年。 こだわり続けて下さい。

私は東大の入試が中止になった年に生まれました。


当時の若者が好き勝手にやりすぎたせいで、徹底的に叩かれて、その後の世代は徹底的にスポイルされたんじゃないんですか?


当時の若者が、今では何事もなかったかのように権力を握っています。


本人たちは当時に哀愁感じてるかもしれないけど、少しは責任感じろよ!と、思います。

加藤登紀子様
News Spiralの記事ですかこれは?
”日々起こる出来事に専門家や有識者がコメントを発信する新感覚ニュース!”かと思って読者は読むと思いますが。
商業広告みたいな記事をお書きになるとは・・・、68年も様変わり。

もし藤本さんが生きていたなら、こういう話もしてみたかった。
同じ時代に生きていたもの同士が、それぞれ場所と立場と思想を異にしていた立場で論じ合えるのは夢なのであるけれど、68年の「闘争」の戦後は40年たっても、終戦を迎えることのできない禍根を未だにひきずっています。

当時の東大では、日本の官僚組織を解体するためには、東大を解体しろ!という綱領を掲げた集団がありました。それに反発した一般学生達は、「卒業」と「単位」の油毛をぶら下げられ、骨抜きにされ、事態は収拾されたのですが、当時の渦中に東大生であった多くの現在の政治家達は、その渦中での自己の生き様に関してはあまりふれたくはないようです。そして何らのすねに傷のつかなかった者達だけが、今、表舞台で活躍していられるのです。多くの有能な人材を葬りながら。

68年はなんだったのか、すでに遠い記憶とともに、全てを語られることなく歴史の屑篭へ消えうせてゆくのみです。おときさんの歌声を聴きながら、ただただ己が世界に起きた歴史に引き戻され、涙が止め処もなく流れます。

加藤様、初めまして、こんにちは。

「1968」という年、私は小学生でした。しかし、旧日本軍に対する根強い不信感を持った年でした。
あの年、祖母・伯母に連れられて、映画「日本のいちばん長い日」という映画を見に行きました。そこで、衝撃的なシーンを見てしまったのです。
昭和天皇が、もう終戦を決断されて、玉音放送の録音を済ませてその録音版を皇居のとある場所にしまい込んでありました。その録音版を、旧日本軍の近衛兵が、半ば皇居に土足で入り込んだような形で荒らし捜しまくったのです。あらゆるものをひっくり返して片付けもせず、荒らしまくって帰っていったのです。
そのシーン、当時小学生だった私には衝撃的でした。旧日本軍って荒っぽかったなんだなあ、という感想を抱いたのです。
それが不信感の始まりでした。
その後、高校生の時、源田実さんという旧日本軍の生き残りが、自民党の参議院議員になっている事を知り、どうして、自民党は大日本帝国の名残を引きずっているんだろう、と疑問に思い始めました。
結局、それが、私自身、自民党への今日まで続く不信感の始まりであり支持しない理由の一つになっています。
私にとって、そういった意味で思い出深い「1968」になっています。
「1968」当時、大人だった方達は、それなりに感慨深いものがおありになられると思いますけれど、子供でも深い思い出あるのです。

流石に加藤さんの思想発信力は強い!

2-3年遅れの体育会系ノンポリであった私もこの年齢になって、「1968年」の意味を多少は解る気がしています・・当然に「当事者の皆さんと同軌が取れている」などという誤解はしていませんが・・。

所感を二つ申し上げれば・・、
1.「おときさん」の言葉にある「命を賭けた」という「強い自負と誇り」が、そのような厳しい覚悟などを忘れて仕舞った「今を含めた後世の時代」にも、正確に理解され続けることを願っています。

2.また、「おときさん」の意に反して、その「強い自負と誇り」が、今を含めた後世によって今風の商業主義的に「美しく無邪気なお伽噺」として軽々しく利用されないことを願っています。

「1968」ブームなようで、大手書店では、「1968」特集の棚が設けてありますね。

わたしは1968年のときを知らない世代です。

>1968年は、現代的な「生きづらさ」との闘いのはじまりだったのではないか。

きっと、そうだったのでしょう。

いま、派遣村が象徴しているように、現代の貧困はマックスを迎えています。今後、さらに酷くなる可能性も十分にある状態です。
母子家庭(父子家庭)、障害者、高齢者など、もっとも弱い立場にいる人たちが大打撃を受けています。
これからの社会を支えるはずの若者たちの半分近くが非正規。もののように扱われ、いらなくなれば捨てられる。将来に希望が持てず、絶望している。その深さは半端ではない。若者の自殺の数も半端ではない。

このどうしようもない現状を変えてほしいと民主党政権に強く期待しているわけですが、この仕事はなかなか大変なのかもしれません。市民と政治が互いに協力していかなければ、事はなかなか進んでいかないのではないかと思っています。

私は一市民として反貧困運動に参加しています。

近く開催される、反貧困ネットワーク主催の「反貧困世直し大集会」に、加藤さんがスペシャルゲストでご出演されるそうですね。楽しみにしています。

世代を越えて連帯する動きが実際、現場で起きていますね。
「1968」を生きた世代の方々から若者たちは良き影響を受けて、世代を越えて、お互いを尊重し、学びあいながら、希望ある世界へと向かっていくことができればいいな、と思っています。

1968 Like a knife blade, the year severed past from future


この英文の訳を次のように訂正します。
1968年は ナイフの刃のように「それ以後」から「それ以前」を切り裂いた

この年に ニクソンが大統領として当選し、ここから共和党による保守の時代が続くのが興味深いですね。
ニクソン→フォード→(カーター)→レーガン→ブッシュ

ということですから、実質 共和党政権が続いていく。

1968年の前は、実質 民主党の政権が続いてきた。
ルーズベルト→トルーマン→(アイゼンハワー)→ケネディー→ジョンソン

つまり、 民主党の時代 → 1968 → 共和党の時代

1968年に リベラルのマグマが噴火し、危機感を持った保守勢力が巻き返したと
見てとれます。

というこで、 Lance Morrowが書いているように、1968年がくっきりと境目になっていますね。
まさに ナイフの刃のように「それ以後」から「それ以前」を切り裂いた年であったということなんでしょう。

1968年に対する思い入れを アメリカ人の視点から見ることで相対化すると、1968年は 日本に限定されず
世界的な意味を持っていた。

1968年以来 保守の天下であったのが、2008年にオバマのリベラルが復帰した。
それによって 1968年によって引き裂かれた 「それ以前」と「それ以後」がつながった。

新宿争乱は、1968年頃だっただろうか。その夜の朝方、学生だった私はアルバイトを終え、電車賃もないのでトボトボと1時間くらい歩いて、アパートへ帰った。おそらく私が歩いている近くで、学生たちは投石をしたり、警官に追われていたのだと思う。経済的にも体力的にも辛かったけれど、夢を持てた時代だった。格差はあったけれど、感じなかった時代だった。ただ自分の能力だけを信じて生きていたと思う。
「明日という字は、明るい日と書くのね。若いという字は、苦しい字に似てるわ」。そんな歌を口ずさみながら、歩いていた。
いま、私の人生を振り返り何が大切か、と問われれば、「夢」と「家族」と応える。しかし、いまの若者たちに「夢を持て」、とか「家族をつくれ」と胸を張って言えないところが辛く、これも私たち世代の重い責任だと感じている。せめてもの罪ほろぼしは、民主党政権実現のために、家族3票を投じたことだろうか。

個人的な感慨は別にして、何か意味のある年ですか?
駅弁大学のフーテン学生にとっては、大学封鎖があったかなという程度です。
1945年の敗戦を総括できない日本人にとって、その年以外に意味のある年は無いと思っています。

加藤登紀子ってなんてゆーか、こーゆー時代に馳せる思いを歌っているその姿、生き様がかっこよくて素敵で共感できるのに。
ココみたいな政治信条が色濃く出ているサイトでの宣伝行為にはげんなりです。幻滅しました。

加藤登紀子、というよりもTheJournal編集部、というか編集長高野氏の好みですかね?

歌、声、音楽には誰にもわからないその人だけの思いがあるんです。歌う人にももちろんですが、聞く人にとっても。。。

政治も、文化も、宗教も、科学も、ましてやジャーナリズムも、そこから離れたところにあるからこそ美しい、離れているけども作り手の持つ思いは心にはしんしんと伝わってくる、それが芸術じゃないですか?

汚れきった世の中で唯一美しいものを、汚すのは、蹂躙するのは、やめてください。
はっきり言って気持ち悪いです。

何をまだ、思い出に浸っているのか。1968年とかなんかいってるが、所詮、今につながる腐った世の中の始まりにか過ぎないのに。いい加減、自分達がただのファションのようなくだらない社会運動を犯した罪を猛省して頂きたい。もう、この世の中から逃げ切ったようなこの世代の人の再教育をしなくてはいけない。全共闘も新左翼もオウムも旧陸海軍も一緒。日本の歴史上の汚点に過ぎない。自立しない人間の集団が大挙して産まれるとどんな惨禍が生まれるのかわからないのか。1968年にバカをしてた世代が原爆投下に等しいような惨禍をその後40年にわたって犯したことをまだわからないのか。あなた達の害はどんな病原菌よりも深い病をこの世に残している。そんな思い出に浸れるのはせいぜいあと5年くらい。「僕達の失敗」は永遠に日本の歴史に刻まれるのだから。猛省を墓場まで持っていけ。

どうして1968年なんてどうしようもなくノー天気な年がこれほどまでに美化されるのか、「思想」なんという、毎日をただ一生懸命生きてるものにとってはおままごとのようなものが「強い」なんていわれても。その年にデモをして機動隊と衝突してる学生の姿を食堂のテレビで見ながら「なぜ、この人達は大学に行って勉強できる経済的余裕もあるのにこんなことをしているのか」と思っていた、集団就職で田舎からでてきて工場で働いていた人の回想が印象的でした。そんなに、その「思想」が「命を懸ける」ほどのものであったのか、内ゲバで命を落とした人が、落とす価値のあった「思想」だったのか。1968年はなんだったのか、結論はもうでているでしょう!。いい加減、くだらない思い出は捨てて頂いて、自分達の深い深い罪を後世に自分の言葉で伝えて頂きたい。今の陰惨たる世の中の元凶はあなたのそのどうでもいい「思想」にあったにです。「あの時の自分達が間違っていたことは誰にも言えない」なんて旧軍部みたいなとんちんかんで無責任なんて態度はあなたたちが生を終えるであろうこの10年20年のうちに自らの手で決着をつけることです。歴史に汚点を刻まないために。

2~3年前後するけど。長嶋茂雄、ビートルズ、ミシェルポルナレフ、トムジョーンズ、シューベルツ、ピンキーとキラーズ、黛ジュン、吉田拓郎。スポットでフランシーヌの場合、真夜中のギター、悲しき天使、マンチェスターとリバプール、ラバーズコンチェルト。普段は閉じ込められているけど、あとからあとからあふれ出てくるのは音楽と当時の情景。

音楽、不可解。

加藤さんのご趣旨とは違う落書きごめんなさい。


再生でもない、誕生でもない、安らぎでもない、滅亡でもない。頭が良くなり過ぎたのか?命を守り過ぎたのか?殺気もない、音もない、声もない、男も女も交わらない少しずつずれながら黄昏ていく世界の中で、死にもしない、生きもしない。人類の繁栄の時代が終わりに向かっているというのだろうか?
 かつて、今ほど娯楽も少なく金もない若者たちは、議論を闘わせ筆をとるしかなかった時代があった。新聞やテレビ、雑誌が話題を提供し我々を引っ張って行ってくれた力もなくなりつつある中、文筆ナイフ!今こそ鉛筆をキーボードに持ち替えて個人個人の声を発する時が来た。
 ケータイという自由への扉を片手に、コメントにより議論を研ぎ澄ませ、リンクにより連携を図っていく。
 文筆による闘争の中にわが身を置き、活力を失いかけている、日本の心の革命を成し遂げる決意として「夕刊 文闘春潮」ウェブ版を発刊するに至りました。
(ブログを始めた時の最初に載せた文章です。ちなみに、貧乏暇なし、忙しくて更新してません。)

加藤登紀子様
こんにちは!

1968年
夜明けが近いと信じた日、苦悶した日、慟哭した日、奈落の淵を彷徨った日。
そんな「希望」と「絶望」とが綯い交ぜになった「怒涛の日々」を送りました。
2009年
新しい歴史の幕開けに「春の兆し」を感じています。

[ヨコ]様 (2009年10月 8日 01:19)

今この「現在」に生きているあなたも、後生(の歴史)によって、裁かれるのですよ。まるであなたご自身は、正しいと言わんばかりですが、あなたの「批判」は、あなた自身にも向けられる「非難」であって、理論的な論理性が欠如しています。無内容と言っていいでしょう。何の役にも立ちませんね。

あきらさま、Leafさま

編集部の西岡です。事実関係を申し上げますと、今回の加藤登紀子さんのニュースは編集部が掲載したもので、加藤登紀子さんから宣伝を頼まれて掲載したものではありません。まさかこのような反応があるとは思わなかったのでNews Spiral欄に安易に掲載してしまいました。今となってはInfomation欄の方に掲載した方がよかったかも・・ と思っています。失礼しました。


そのほかの方からも意見がありましたので補足しておきます。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、加藤登紀子さんは現在でも鴨川自然王国のリーダーとして農山村を元気にする活動をしたり、「平久里嶺岡の風力発電問題を考える会」の代表として、地域住民を無視した風車建設に反対する運動を行っています。こういってはご本人から笑われるかもしれませんが、加藤さんは現役バリバリの「活動家」です。一生懸命社会のために働いている方に対して、同世代の他の人間と一緒くたにして個人攻撃をするのは失礼だと思います。学生運動経験者に対してご意見があるのであれば、「よろんず」に投稿した方が議論が深まるとおもいますので、そちらにぜひお願いします。

私は今を生きています。

今が味気ない時代だなんて思いません。

《THE JOURNAL》編集部 西岡 様

>今となってはInfomation欄の方に掲載した方がよかったかも・・ と思っています。失礼しました。

と、書かれていますが、私には面白い企画でした。
日頃、掲載される記事に対する皆さんのコメントを読んでいて、俯瞰から見た投稿者の相関図の様なものが、何となく私の頭に描かれていて、その相関図に当てはめて諸コメントを読むのもまた、別の視点として興味深いのもでした。
なので、’68、私はまだ小学生でしたが、その頃本能的に感じた様々な大人の入り口を今一度ここでのコメントから、年齢別系統として垣間見られた様な気がします。

そう言えば、賛否両論あるでしょうが、私が時々無性に観たくなってブックマークしている「高田渡さんと筑紫哲也さん」の対談映像があるので、観られた方も多いと思いますが URL を置いておきます。
これもまた’68ですね。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=3hPoLQh75v8

編集部様

この「ニュース」が加藤さんご自身が発したものかどうかぐらい、文面を見ればわかりそうなものです。そんな分別能力のないものどもにいちいち弁解なんかする必要はありません。提案された記事をそれぞれが咀嚼し、自己テーマとして発言したいものが発言すればいいのです。今回のケチツケも単なる「よくあるパターン」でしかなく、ワンパターンの延長でしかないことを恥としない者はいつでも生まれてくるものです。

勿論、筋違いな意見もそれはそれとして拒否する必要はありませんが、このBLOGの趣旨のわかるものであれば、皆それなりの対応ぐらいはできるはずです。

世代は世代として、当事者は当事者としてそれぞれの意見を述べる、それでいいじゃないですか。「68年を知らない子どもたち」あるいは、68年の戦後に生まれた若者達にもそれぞれの時代認識があり、現在があり、それなりの「歴史」があり「価値観」もある、社会のコンセンサスというのは、そうしたすべてを飲み込んで、流れていくものです。

WL1の風さんの言う「東大解体論」は東大全共闘議長の山本義孝氏や安田行動守備隊長の今井澄氏らに代表される論理であり、事態収拾に「活躍」したのが町村信孝である。
 無知な者はこの団塊の世代を全共闘世代などと言い、後の社会の害悪を創ったかのように言うが、この世代の4年制大学への進学率は男性で20%程度、女性で5~6%程度であった筈、均せば12~13%程度か、行動が派手だから目立ったとはいえ学生運動の活動家などその10%程度、世代の1~2%に過ぎない筈。
 ましてや本来湯川秀樹の愛弟子として日本の物理学界を背負って立つはずであった山本氏のように、その活動ゆえに本来のコースを外れてしまう人間が殆どであり、逆にあの時代に社会や政治とは無縁に自分の事しか考えなかった、町村信孝に代表される「利己主義者」が高級公務員等の道に入り、世の中の指導者となったのは常識である。

 世は戦後の復興期、西岸良平の「三丁目の夕日」の世界で育った世代は、そのまま戦後民主主義の申し子であり、貧困も希望も知る世代であり、ベトナム戦争も見る世代であった。
 とりわけベトナム戦争における沖縄の基地の役割、其処で起きる婦女子被害を初めとした米軍犯罪、日本の未来を担う若者として無視できない問題であると思っていた。
 また大学と言う教育機関そのものが社会の階級・階層形成の為の機関と成り、東大がその象徴として存在するのではないのかという論理としての東大解体論であり、自己・自我・大学・社会の存在と関りを問題にしたものであったと思っている。

 あの時代、激しい運動をしたのは学生だけではない、普通の労組もそして反戦青年委員会の若き労働者も激しい闘いを行っていた。
 「大学に行って勉強できる経済的余裕もあるのに」「集団就職・・・働いていた人の回想」、そういった格差が何故あるのかを考えた人間が運動をしたのだ、永山則夫氏の「無知の涙」が代表的だが、学生運動にも色々在る、私らは学生運動をとおして労働運動との繫がりを深めていったが、労組の幹部からこう言われた「私らは深く学習する時間がない、それが出来るのは君達学生だ、きちんと勉強してそれを労働者に広めていくことが学生活動家の任務だ」とね。

 因みに今井淳さんは克って大橋巨泉さんもべた褒めしていたが、東大退学処分後再度入学しなおし、地域医療活動に献身し、かつ国会議員としても最後まで矜持を通した人である、彼こそが全共闘の精神をまっとうした人間だと心から尊敬しています。

しかし、そういった格差が何故あるのか「考えた」人たちと、実際にその格差を被った人たちの間には体感するギャップがあるのではないですか?東大なんてものを基軸にして自己の存在を証明するしかなかったのでしょうか?そのあとに「精神」を全うした人が「何パーセント」いたかは知りませんが、自分としては井上の「傘がない」のほうが、1968年を全く知らない自分にも心に響きます。自分は加藤さんのことを個人攻撃しているわけではありません。「バリバリの活動家」なんて加藤さんのことを言ってしまう編集部の方こそ、加藤さんに対して失礼なのではないのでしょうか。1968年という単語を出しただけでキラキラといろいろな言葉を紡ぎだしていかれることにとても違和感を感じ、今も昔も変わらない「ギャップ」がどうにも埋めようがないことをどう考えればいいのかと思うだけです。それよりも編集部の方には「一生懸命社会のために働いてる方」と「同世代の他の人間」の何が違うのか、1968年の思い出を知らない人間に御教授いただければと思います。まさか、「思想」があるかないかってことはないですよね。

[蝦夷っ子]様 (2009年10月 9日 00:01)

今井淳氏が「東大退学処分後、再度入学しなおし」た東大は、あるいは医学部は、氏を退学処分にした東大、あるいは医学部と、どのように違ったのですか? やっぱり同じだったのですか? 氏はその問題をどう処理したのですか? 是非知りたいですね。

ヨコさんへ、

>しかし、そういった格差が何故あるのか「考えた」人たちと、実際にその格差を被った人たちの間には体感するギャップがあるのではないですか?

 ギャップが有ったとしてそれが何、問題は「考えた人」に有るのか?問題は考えない側にあり、格差を創った側に在るのではないのか?格差は何の為に存在するのか貴方は考えたことがあるのか?それを解決しようと考えたことがあるのか、断っておくがそれは個人の努力と言った次元の問題でも自己責任の問題でもなく社会の問題としてどうなのかという問いかけですよ。

>東大なんてものを基軸にして自己の存在を証明するしかなかったのでしょうか?

 何か勘違いしてますね、自己存在の証明やましてや自己顕示欲の為に闘ったとでも御思いか?そんなもののために自己の生命的存在と社会的存在をかけて人間が闘えると思ってますか?
 そして認識していただきたいのは、東大闘争は象徴的な闘いであったかもしれないが、全国学園闘争においてあくまで一部でしかない、機軸は東大ではなく安保であり、ベトナムであり、そしてなにより社会そのものであり、そこに於ける自己の存在そのものですよ。

>そのあとに「精神」を全うした人が「何パーセント」いたかは知りませんが、自分としては井上の「傘がない」のほうが、1968年を全く知らない自分にも心に響きます。

 多くはドロップアウトしたかもしれない、少なくともすんなりとコースに乗った人間は少ないと思う、雁屋哲に代表される生き方を選んだ人間、パレスチナに飛んだ人間、成田三里塚で農民の養子となった人間、私のように地味な生き方を選んだ人間、その生き方は様々であると思う。
だが今でも時空を超えて共有できる思いがある、全共闘の思想とは実は生き様の問題であると、思想が概念・観念に留まらず自己の人生観までも変えてしまうと言うことが初めて解った、実生活においてもあまり全共闘を語ろうとは思わない、知らぬ者には所詮壮年の思い出話としか思われないからだ、私には今でも当時の仲間との交流がある、人それぞれの人生があり生活がある、私自身がその「精神」を全うしているかは解らない、だがその思想と何より視点を墓場に入るまで持ち続けることだけは間違いない。
音楽の流行や好みは正に世代や時代によって変わる、井上陽水には私は心を動かされないが、本来ロック派である私がインターナショナル・ワルシャワ労働歌、そしてジョーン・バエズや岡林信康の歌詞に心を動かされたのは事実です、そこには社会への、取分け弱者への想いがある。

>自分は加藤さんのことを個人攻撃しているわけではありません。「バリバリの活動家」なんて加藤さんのことを言ってしまう編集部の方こそ、加藤さんに対して失礼なのではないのでしょうか。

 加藤登紀子さんがどの程度の活動家であったかは知らない、だが正に「バリバリの活動家」たる藤本氏と闘争を通して知り合い結婚したのだ、私は加藤さん本人ではないが、活動家と言われることが「失礼」などとは思わないだろう、「活動」をしたことは誇りであり藤本氏と同じ時間と同じ思想を共有したことは彼女にとって喜びであったと私は理解している、闘ったことのある人間なら皆そうですよ。

>それよりも編集部の方には「一生懸命社会のために働いてる方」と「同世代の他の人間」の何が違うのか

 私は編集部ではありませんが(笑)、誤解を恐れず言えば「自分と家族の為に働き、結果として社会の為に働いている方」と、最初から社会を問題視しながら「社会に目的意識を持ちながら働いている方」は、「一寸」だけ、違うでしょうね(笑)。

>キラキラといろいろな言葉を紡ぎだしていかれることにとても違和感を感じ、今も昔も変わらない「ギャップ」がどうにも埋めようがないことをどう考えればいいのかと思うだけです。

 1968に違和感を感じるのであれば、別にそれはそれで貴方の問題であり、かまわないのですよ。
 「キラキラといろいろな言葉を紡ぎだして」居るのは今の政権もそうではないですか、今日本は新政権誕生により大いなる変貌のチャンスを得ていると思います。
 「今も昔も変わらない」どころか大きくなった「ギャップ」格差を埋めるのは今を生きる貴方の責任でもあります、「どうにも埋めようがない」と考えるのではなく、埋めるために自分が何ができるかを考えていきませんか、主張と行動が無ければ何も変わりません、私たち自身と次世代の為に「ギャップ」格差の無い社会を目指しましょう、それが本来の民主主義の目的なのですから。

良心派様、

 同じ東大ですよ、私は本人ではありませんので彼がその問題をどう処理したかは知りません。

 ですが、明確に言えることは彼は闘いの場と方法を変えたのでしょう。

 自分が一度は否定し立ち向かった東大医学部に入りなおすという「屈辱?」を負いながらね。

 全共闘の「思想」とは「生き様」であると御理解ください。
 不器用な、そして誠実な、彼の生き様を私は尊敬しています。

[蝦夷っ子]様 (2009年10月 9日 12:56)

今井淳氏が逢着した自己矛盾を、同じように体験体得した教師が、東大医学部の側の教師達の中にも存在した、とは、あなたは考えませんか。ご存じのように、社会構造はそういう成り立ちだからです。東大医学部の教師達は、今井淳氏に医学教育を行った。少なくとも、基礎的には。その点に大学が抱える教育問題があるのではないでしょうか。なお、「生き様」とやらは、何も全共闘だけの専売特許ではないでしょう。また、「知識人」とか「一般大衆」とかの名称は、価値概念ではありませんので、念のため。

蝦夷っ子様

長文で答えて頂いてありがとうございます。もちろん、自分もどうにも埋めようがないギャップを乗り越える為に自分なりに考えていきたいですし、次世代に何を残せるのかを「生き様」として生きていきたいと思っています。30代の自分にとってはいつも「俺たちの若いころは!」(ギリシャ時代からそういうものみたいですが)
と言われ続け、その時にいつも顔を出してくるのがその時代なのでいつも目くじらをたててしまします。その「思い出」が突然、矛先をこちらに向けられるたびに、その熱かった時代への憧れが憎しみに変わっていきました。それから今でも、自分はいろいろな当時の人の声に触れても、その「思想」や「闘争」に共感することはできませんが、説教のような思い出話でなくば、どんどんその思い出も聞きたいと思います。実際、自分の予備校の現代文の先生は、公安にマークされてたこともある人でした。授業も当時の思い出話もとても魅力的でした。本来、自分もロック派でありますが(笑)、岡林信康が、「僕はボブ・ディランと同じステージに立つことはできないのではないか」との想いから、今、民族音楽に近いことをしている、そういう想いを聞きつつ、転がる時代とは何なのか、その中で自分はどう生きるのか、何を伝えたいのかを考えながらも行動したいと思います。

ヨコさんへ

 終わりよければ結果ヨシ、とよく言いますが、まさにその逆で、団塊の一部である私にとっては、この40年は屈辱の歴史でした。身からでたサビと、集団としての団塊がもたらした結果が先日までの日本であり世界だったからです。何一つ結果を残せないと思っていました。今の世代の方々に申し開きの言葉もありませんでした。

 それが、政権交代前夜の頃、もしかすると「夢」?が実現するかもしれない、もしそうであるなら最後の知恵と力を振り絞って、その可能性に賭けてみたい。
 屈辱に終わった「我が闘争」もその後の40年の裏方人生も、すべては「あの頃」の僅か数年に生起した事象がすべてでした。そして40年のときを超えて、忘れ去られていた、本来の同世代の意識に訴えることができれば、もしかすると、と最後の最後まで半信半疑だったのですが、国民は、自民党政権にとうとうNOを突きつけました。

 そして、幾分気が楽になりました。私たちが、手を変え品を変え、どうにかして自民党政権を「転覆」しようとして果たせなかった「夢」がいとも簡単に?「選挙」によって実現したのです。

 この政権交代は、当然結果ではなく、入り口です。この入り口だけでも後世に残すことができただけでも、あの頃の世代が目指し、行動した何かは報われたのではないかと思っています。
 あとは、若い人たちに託すしか、我々の世代にできることは僅かなのです。

「私は東大の入試が中止になった年に生まれました」と、お書きになった方へ

 私は東大の入試が中止になった年に、まだ高校生でした。大学は閉鎖されているし、三島由紀夫は自殺するし。。時代を、冷ややかに見ていたノンポリでした。時代の流れに乗りたい人たち、徒党を組む人たちは、元来保守なのではないか、と思っていますた。

 あの学生運動と重なって見えるのが、江戸末期の尊王攘夷運動です。開国の準備を進める幕府に対して、鎖国攘夷派の青年たちは、王政復古の運動に燃えてしまった。ゲバルト運動がエスカレートして取り返しのつかない暴力闘争(殺人、破壊活動)に突入してしまった。学生運動は挫折したけど、尊王攘夷運動は成功してしまった。

 そのゲバルト大好き連中は、国家神道をつくり、日本古来の伝統文化を破壊して言論を弾圧して、中央集権国家を築いて、ひたすら西欧文化の真似をして、信仰心というか、目に見えない世界に対する畏怖の念を捨て去り、自然に感謝する心も失い、戦争に導き、敗戦後はひたすら土建国家、成金国家の道を歩んで、国家財政破綻の一歩手前まできてしまった。

 悲観的すぎるでしょうか。。責任を感じろよ1 というあなたのコトバに刺激されました。といっても、いままでは居心地は悪くなかった。それでも、日本は好きになれなかった。今も信じることができないでいる。政権は変わっても、司法もマスコミも信じられないから。そんな国には暮らしたくない。
 

[中庸]様 (2009年10月 9日 20:59)

あなたの江戸時代末期の時代状況認識およびそれ以後の歴史観は、お話になりません。取り敢えず、海音寺潮五郎:『西郷隆盛』(全九巻 朝日新聞社)でも、気楽に読んでみられたら、如何ですか。まずそこから始めましょう。簡単に物は言えませんよ。だから、何処から突っ込まれても、責任の持てる範囲で、投稿しているつもりです。

加藤登紀子様
はじめまして。1968年・・・なつかしいですね。私はその年に親元を離れて大学に入学しましたが学園紛争の末期でしょっちゅう授業がつぶれていました。当時「お登紀さん」は絶大な人気がありましたね。ジェームス・ディーンもゲバラもカミュも好きでした。ついでにアズナブールも加えていただきたいです。ゲバラは前年にボリビアで射殺され、その遺体の写真が何枚も「朝日グラフ」に掲載されてそれを見たときの衝撃は忘れられません。「ゲバラ日記」やレジス・ドブレの本を買い込んで親を心配させました。カミュは当時随分人気があって私もスノビッシュに卒論の題材に選びました。一方で学生運動に対しては現実的な視点で冷ややかに見ていましたが、それでもこの頃の学生が社会的な「アンガージュマン」に全く無縁と言うことに対しては寂しい気持ちでおります。隔世の感がありますね。

WL1様
生意気なことをいってしまったことにもかかわらず、お答えいただいてありがとうございます。僅か、な、ことがとても貴重なことに思います。是非とも、その僅かなことを自分達の世代にお伝えいただきたいと思います。そして、「あとはまかせたぞ!」言って頂けるように自分達も頑張って行きたいです。この「入り口」も長年の葛藤、苦悩の末に出来た入り口だと思います。そういう歴史の中の自分達の座標軸をしっかりとふまえて行きたいと思います。

中庸様、自分は今、もう一度、日本の山川草木を好きになれるような仕事に携わっています。国体は信じられなくとも、そういったところから、少しでもこの国にくらしててよかったと思えるようにしていきたいです。「思想」や経済は停滞しているかもしれませんが、知らない間に見過ごしてしまったものを、もう一度、掘り起こしてみたいものです。
その昔、千利休や古田織部、小堀遠州が行った「闘い」もあったはずです。この季節、ますます美味しくなってきた日本酒をのみながら、「僕らの時代」に何をこの国に残せるのか、努力することを、考えて行きたいです。
しばし、僅かな時間、若い世代が皆様にぶつかっていくことをお許し頂きたいと思います。

良心派様

西郷隆盛の実像をご存知ですか?
西郷の奥さんは、上野の銅像は夫ではないと言ったそうです。
http://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html
幕末維新の歴史は、勝者によって歪曲されています。江戸無血開城は、英国人の提案でしたが、西郷が勝海舟に花を持たせようと、彼の功績にしました。このことはご存知ですか? 
司馬遼太郎は、事実を少し変えて小説にしました。有名な話ですが、罪深い人です。

良心派様

西郷隆盛の実像をご存知ですか?
西郷の奥さんは、上野の銅像は夫ではないと言ったそうです。
http://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html
幕末維新の歴史は、勝者によって歪曲されています。江戸無血開城は、英国人の提案でしたが、西郷が勝海舟に花を持たせようと、彼の功績にしました。このことはご存知ですか? 
司馬遼太郎は、事実を少し変えて小説にしました。有名な話ですが、罪深い人です。

岩倉具視を研究すれば、いろいろなことがよくわかりますよ。

<申し訳ない>
闘争に敗れ、ノンポリとなり、修正資本主義に取り込まれ、楽な生き方を選んだ...。
冷戦が終結すれば、則ち社会主義が敗れれば、再び強欲資本主義が牙を剥くことは予想できたのに、防げなかった。金融資本主義という弱肉強食の資本主義を是とする政権を本気で阻止しなかった。
修正資本主義で何とか国民の生活を守ってきた田中派が分裂した時に気づくべきだった。結果、抗い様がない格差とロスジェネレーションを作ってしまった。
若者には本当に申し訳ない。責任を感じている。
「今時の若い奴は!」なんて口が裂けても言えない。どの口が言うのか?という事です。
そんな私も大久保秘書逮捕によって目が覚めた。何にも社会は変わっちゃいなかった。闇はどこまでも深く、光は未だ見えないが、変えなくてはいけない。闘いはカタチを変えて今も継続中である。

[中庸]様| (2009年10月10日 02:32)

「西郷隆盛の実像をご存知ですか? 西郷の奥さんは、上野の銅像は夫ではないと言ったそうです」

海音寺潮五郎:『西郷隆盛』第一巻 〔上野の銅像〕(17ページから18ページ)に記述されております。なお、この『西郷隆盛』は、第九巻に付せられた磯貝勝太郎氏の解説にもあるとおり、史伝であって、歴史小説ではありません。実証性を重視して、多くの資料が引用されております。もちろん、歴史書に関しては、資料等の扱い方を初めとして、専門的な幾多の難問があるので、ここでは触れませんが、私が問題にしたのは、あなたの投稿文章が極めて粗雑で、でたらめなので、少しはまともに本を読まれたら、いいのではないか、と思ったからです。

歴史家は歴史小説は読まないのではないでしょうか。嘘っぱちだ、と嘲笑して。小説のリアリティと史実とは、別物ですからね。歴史小説に史実を読み取るのは、危険です。小説はあくまでもフィクションです。ノンフィクションではありません。

「岩倉具視を研究すれば、いろいろなことがよくわかりますよ」

あなたの投稿文章は、とてもこんな示唆を他人に与える事ができるような文章内容ではないですね。

「江戸無血開城は、英国人の提案でしたが、西郷が勝海舟に花を持たせようと、彼の功績にしました。このことはご存知ですか?」

同書『西郷隆盛』第九巻〔両雄会談〕(184ページから208ページ)に英国公使ハリー・パークスに関する記述があります。しかしながら、海音寺潮五郎は、江戸城無血開城談判は「西郷という千両役者、勝という千両役者によって、はじめて演ぜられた、最も見事な歴史場面」だ、と評価しております。 

[em5467-2こと恵美]様 (2009年10月10日 11:49)

あなたのせいではありません。自己に対する倫理意識を尖らせ過ぎるのは、この際、間違いだ、と考えたほうが、精神衛生上いいでしょう。誤った方法で自分を苛んでも、出口は見つかりません。すでに60年安保闘争で、日本の反体制闘争は敗北し、崩壊したのです。全共闘運動は大学における大騒動以外の何物でもなく、70年安保闘争やベトナム反戦闘争も、60年安保闘争の二番煎じでしかありませんでした。だから、民主党応援に頑張ってください。あなたのためにも、日本と世界のためにも。お願いします。

蝦夷っ子様

もしかすると当時は違う立場だったかもしれませんが
東京駅構内での解散集会の流れで、並行していた労働者のデモ参加者の中に、中学卒業以来あっていなかった同級生の姿を見つけ、「なんだおまえもか」と学生と労働者の立場は違うとはいえ、共通の「意識」を確認しあい、自分達の正当性を確認しあったことがありました。
 東大闘争のような、学園紛争が終結していくにつれて、次第に学生運動は政治色を強めた党派性の色濃い活動に変遷していったものと思いますが、学生達や労働者達が次第に政治色を強め、反体制の活動になればなるほど、政府もマスコミも反左翼キャンペーンを強化し、学生運動は反社会的活動であり、先鋭的な労組も含めて反体制の極悪非道集団とののしり始めました。

 学園紛争という身近な課題が遠のき、あの「ベトナム戦争」への反戦運動が日米ともに惹起され、必ずしも活動家とは無縁な一般学生さえも、「べ兵連」運動に巻き込まれていったことを、今でも忘れることはできません。毎日繰り返された新宿地下街の「反戦歌声?集会」も、そういう政治情勢の下で、少なくない同世代の共感を集めていたのは確かなはずです。それが、「歌声」では、米国からも日本からも数々の反戦歌を生み出し、同世代の「ノンポリ」の層にまで広く口ずさまれていた時代でした。おときさんに限らず、そういう時代背景の下で多くの文化活動もそういう「色」を踏襲していたのです。
 
 やがて学園に足を失った一部集団は、世間から逸脱し、同時に公安当局の執拗な攻撃に追い詰められ、より先鋭化された反政府運動や爆弾闘争などと姿を変え、連合赤軍事件、浅間山荘事件、淀号ハイジャック事件を引き起こし、海外でのダッカ事件などを契機に、ついに学生運動は、すべてをひとくくりにした「反社会的集団」のレッテルが確定し、誰ともなく、学生運動組織の「過激派」呼ばわりを始めたのです。そして以降、「過激派」、、、今、「イスラム過激派」といわれるのも、しょうもない話ですが、、、「反過激派キャンペーン」はおそらく検察の言うままに、迎合した記者クラブ総体として、すべてのマスコミやジャーナリスト達が「悪の権化」としての「過激派撲滅キャンペーン」に参加していったのです。

 それが功を奏して?、日本の学生運動はほぼ壊滅の道を余儀なくされた、と思っています。勿論、自分達の致命的な内在的な問題を抱えてしまったことも否定はできませんが。

今になって、大学当局者になった同級生に「今の学生達には覇気がない、せめて建学の精神の反骨の精神ぐらい持っていてほしい」といわれても、ときすでに遅し!です。

良心派様

最初に刷り込まれた事象というのは、なかなか消せないものがあると思います。

<良心派様>
エールをありがとうございます。
おっしゃる通り、自分を責めているだけでは何も変わりませんね。
だから、既に体力も衰え、デモも火炎瓶を投げる事もできませんが、私なりに世の中をより良く変える為に己の信じる事をするだけです。
罪を背負いながら...。知り合いの女性は、有名六大学に現役で合格し卒業しても就職できませんでした。
一生懸命勉強しなさい!良い大学に入れば、良い就職ができて安泰なんて価値観は、ある日突然変わってしまった。
彼ら、彼女らが依るべき価値観が劇的に変わってしまったのは、私も含めた大人の責任です。
何としても、普通に暮らせて、結婚できて、子供が育てられる国にしなければなりません。
弱い人間がさらに弱い人を叩いて憂さ晴らしする、そんな日本から脱しなければなりません。貧困を容認する国家なんてクソ喰らえです。

< 日本人の所謂『自己元型』喪失 >

  所謂団塊の世代の方々が、「1968年」代に挫折を経験された現リーダー層(政界、言論界、学界・・・etc.)の方々が、今、何故、センチメンタルに、ノスタルジーに浸りたがるのか?

 あの時代を境に、東西冷戦体制の強化が顕著になり、ベトナム戦争の泥沼化が進んで後の米国内退廃へ至り、ソ連・中国の一党独裁体制強化と同盟国・自治国の隷属化が進み、北朝鮮による日本人拉致が頻発し始めた。日本では、所謂反戦フォークソングなるものが巷に溢れ、上辺だけの革命思想・リベラル思想により時代の雰囲気は極めて反歴史的なものになり、アングラ芸術が巷に溢れ、中央メディアの反国家的報道・論説の氾濫や一部の反国家的教育運動の下にリベラルであること、「自分らしく生きる」ことが自我未成熟なうちから求められ、多くの人々がユング派のいう所謂『自己元型』を喪失したまま育ち、根無し草となって当て所無い浮遊を強いられる羽目になった、そういう時代だったと思う。さらに安保闘争後、暫くは、反米、ベトナム反戦、反国家収用、公害闘争・・・などに支えられて様々な反体制活動は続いたが、連合赤軍リンチ事件、浅間山荘事件、ダッカ事件等による活動本質の幼児的残虐性が露呈し、市民の共感が薄れ、高度成長に伴う豊かさの共有と相俟って、それら活動への蔑視が広がり、中心的活動家の殆どが転向を余儀なくされ、「三無主義(無気力・無関心・無責任)」なる浮遊感表出の一つと思われるものを齎した責任という足枷が課せられることになった様に思う。反体制活動の中には、当然、正当な主張もあったが、その多くは体制側の行動によって、或いは、反体制運動家の民主的手続きによる体制内進出によって是正実現してきたように思う。

 今、その世代が所謂リーダー層となって、そのリベラルを自称する方々が保守政党である筈の自民党の一党独裁的政治支配体制の終焉を宣告し、この状況へ導いた功を自負しているように見えるが、それは当に錯覚であり、それまで日本を覆い尽くした閉塞感や、保守の立脚点を見失って彷徨う自民党への失望感が時機を得て、所謂『自己元型』を喪失して浮遊する日本人を、ただ一旦、目先の浮島へ接岸させたに過ぎないと思う。所謂『自己元型』喪失が保守主義の核を提示させ得ないし(最近、幾度かの試みはあったが)、他方においても、所謂『自己元型』喪失が対保守主義、リベラリズムの論理的起点の曖昧さを露呈し(所謂外来思想を吟味不十分なままに振り翳す等)、このままではいずれ再び当て所無い浮遊へ離岸せざるを得なくなると思う。人知の及ぶ論理を超えて人間の行動原理を支配するものの原点を辿れば、その行き着く先はその国民、民族、宗教、言語が歴史的に抱え込んで沈降醸成してきた「神話」、つまり、所謂『自己元型』に辿り着き、あらゆる思想的葛藤は常にそこに起因し、その所謂『自己元型』という頚木からの解放を希求するリベラリズムと、その頚木を是とする保守主義の論争の原点はそこにこそあるのだと思う。ところで、こういった原点を蔑ろにした議論は日本だけでない。最近、キリスト教国家米国内でイスラム教徒やその他異教徒との共存故に政教分離論が語られ始めているが、行動原理を宗教に置く人々に政教分離した行動を期待するとは一体どういうことなのか? これは熱心なキリスト教徒に対しての自問でもあって滑稽なことではあるが、実に興味深い。イスラムとの付き合いが長い欧州でも、特に、教育の場において論争が絶えないのはご存知の通りだが、ニーチェが狂人に“神は死んだ”と言わしめて後、西欧合理主義を推し進めてきたルサンチマン懐古趣味忌避志向が、イスラム教徒やその他異教徒が死守するそれに通用するのか否か見物だ。

 「1968年」は、新谷 のり子さんが歌う『フランシーヌの場合』( いまいずみあきら 作詞. 郷 五郎 作曲 “フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん・・・ ”)のモデルとなった 一人の女学生フランシーヌ・ルコントが、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺した事件(1969年3月30日、日曜の朝)の前年であり、チェコ動乱勃発の年ですね。また、サウジアラビア、クウェート、リビアの3ヶ国がアラブ石油輸出国機構(OAPEC)を結成した年。当時自民党倉石忠雄農相が記者会見で「日本国憲法は他力本願」と発言して国会審議停止し、農相を辞任した年。国連総会で核拡散防止条約推奨された年。新宿騒乱(1968年10月21日に東京都新宿区で発生した左翼暴動事件)の年。川端康成氏が 「日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による、彼の叙述の卓越さに対して ;"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind."」としてノーベル文学賞を受賞した年。アポロ8号が月を周回し、初めて月の地平線から昇る地球の写真が撮られた年でもあります。

 さて、「1968年」的気分って何でしょうか?
 加藤氏は、あるインタビューで自身が当時味わったと同質の「無力感、孤独感」が現代の若者にも蔓延しているように仰っていましたが、そうでしょうか?それは日本人の所謂『自己元型』を、氏と同世代の方々が能動的に消失させたが為に、本来寄る辺となるものを見出せない後の世代が纏わされた浮遊感表出の一つではないのかと思います。氏と同世代の方々が、そのことに何ら総括することなく、今となって日本古来の精神や美意識や生活様式を誉めそやす言説を繰り返す有様には、反吐が出るほど嫌気が差します(例えば、「友愛精神」を自然界へ敷衍するに当たり、日本人が古来持つ自然に対する畏敬の念、アニミズム様の情念を、全く論理性を欠いて自説補完の為だけに何と無く持ち出す等)。まして、現代社会からの慟哭に対して、進んで教訓的な物言いをするなど厚顔無恥も甚だしいと憤りを感じてしまいます。
 「1968年」代を反体制側で闊歩され、大東亜戦争敗戦気分をいいことに、自覚的にか否か日本人の所謂『自己元型』を消失させた方々の罪は、自ら総括することなく口を噤み、白々しいセンチメンタリズムとノスタルジーを語る度に深くなり、それに抗する様々な試みがあったにせよ、後世代の思想的浮遊感を募らせ、行動原理を他文明由来のモノへ吟味不十分なまま依存しようとする軽薄を省みる気力さえ失わせていると思います。そのことを知らずに現代を生きる若者は、それぞれに備わった能力に応じて、それぞれが身を浸してきた偏った情報渦に応じて、それぞれが受けた躾や教育に応じて精一杯、一生懸命生きていると思います。最近話題になってる「たすけて」と言えない30代などは、置かれた時代の困難性にも自らの責任を過剰に抱きつつ、必死に自我を発揮しようと生きている証だと思います。そこには、「1968年」世代の方々がセンチメンタルにノスタルジックに自らの青春期の挫折を重ね合わせて語る「無力感、孤独感」とは異質な謂わば「無気力的無力感、無関心的孤立感」の中に、リベラルであること、「自分らしく生きる」ことを至上命題の様に育ったが為にその中に否応なく落とし込まれ、多くの者が無責任を権利とすり替え、ある者はその反動としての(無責任とは対極にありそうな)過剰な責任感を抱いて、それでも精一杯、一生懸命生きようと浮遊している姿があるのだと思います。

 実を言うと、私は、今更、その世代の方々にその時代に課せられた足枷(日本の所謂『自己元型』喪失による浮遊感)の総括を求る気はさらさらありませんし、“今、何故、センチメンタルに、ノスタルジーに浸りたがるのか?”の“答え”ついても興味はありません(既に斟酌し終えていると思っていますし、私が感じる理不尽をその都度指摘させていただきますから)。まぁそもそもそろそろ晩節に至ろうとする方々に、今まで出来なかったことを求めてもそれは無理難題、無いもの強請りというもので、日本人の所謂『自己元型』が必要なら、必要性を感じる方々が、歴史を省み、根差すべき大地を求めて針路を採り、観天望気しながら歴史観不連続部分の補完を試み、次世代への教育をし、幾世代か経てしか、それは得られないのだろうと思っています。

 他国ではあまり見られない、戦後、日本人(外国人風ペンネームを含む(笑))による日本人論、特に比較文化論や社会構造論が多数出版され多く読まれた現象は、「1968年」に象徴される時代に決定的となった< 日本人の所謂『自己元型』喪失 >による浮遊感の在り所を探る現象ではなかったのかと思っています。


・ 過言があれば思い余ってのこととご容赦いただき、浅学故の間違いには指摘、訂正などしていただければ幸いですが、叱咤や無視でもよいです。(笑
・ この投稿への反論・攻撃・賛同・質問は拝読するに止め、直接お応えすることは控えます。機会があれば別投稿にて改めて私見を書かせていただきます。あしからず。 (時間を置かずお応えする保障がありませんし、喧嘩は嫌ですから。(笑  )
・ まさか無いと思いますが、転載される際は論旨変更不可、誤字脱字訂正可でお願いします。(笑

p.s. 鳩山総理は未だ政権発足1ヶ月にも満たない中、内外に八面六臂のご活躍で嬉しく思っていますし、今のところ、政策実行方針には基本的に諒とします。しかし、鳩山氏の所謂「故人献金問題」には辟易しています。以前の投稿で「愛」や「友愛」に潜み易い『欺瞞性』や『独善性』について指摘しておきましたが、鳩山氏個人資産による献金を何の了解も得ずに知人、友人、挙句は恩師に偽装するに至っては、「友愛精神」に潜在する『独善性』に改めて恐怖と可笑し味を感じています。永住外国人地方参政権付与問題やEUを模した東アジア共同体構想等にも、そこには「友愛」ではない「同胞愛」が齎す排他の欺瞞性や、「愛」の相互行為としての「友愛」の持つ「愛」を強いる独善性が潜んでいることを、「リベラルは愛である」と言うならそのリベラルの胡散臭さを、改めて注意喚起しておきましょう。(笑

68年で皆さん色々と書かれていますね。

私としては、後まで大きな影響を与えた事件は68年ではなく、60年6月15日でした。

今計算すると、計算がどうしても合わないが・・・合っているのかも知れないが、まだ小学生の時、と思っていたらやはり中学1年の時なのでしょう。
当時国会の丘が見える所に住んでいて、夜になっても国会の方角から形容しがたい「音響」が聞こえてきました。
高台へ登って国会の方を見ると、そこだけが丸く明るくなり国会の三角形の影が小さく見えた。
近所のガキ大将達と、怖い物見たさで各自木刀を持って国会へ。
そこで見たのは国会を取り巻く道路全体にうごめく黒い人影のエネルギーでした。
後で知ったけど、ジグザグデモのうねりが、強烈な恐怖を持って迫ってきて、慌てて国会の植え込みに潜り込もうとしたら、そこに見たのは道路上の人の激しい動きとは対照的な、黒い服を着た機動隊員達が国会の建物周辺をびっしりと整列している姿でした。
何の木か忘れたが、植え込みの記の列とその内側に立つ鉄棒で出来た柵、楚々いてその中にじっと潜む黒い機動隊員の列。そして、道路上を激しくうねるジグザグデモの群。
背中全体がぞくぞくしてきて、仲間達と恐る恐る現場から逃げ出し、ひえい神社への坂道へさしかかったとき、背後から押し寄せてきた激しいどよめきというか何というか形容しがたい恐怖の響き。
デモ隊が国会に突入した瞬間の「音」でした。(勿論後で知ったのだが)

それ以来、国家権力という存在に対し、言いしれぬ怖さを感じるようになりました。
また、その時樺美千子さんが亡くなったのですが、「何で殺される現場へ門を押し分けて入ったの?」という疑問と、「革命とは」という疑問と不安でした。

その後、中学・高校と進み、その間政治的には左翼となり、インドネシアでの「共産党虐殺」について「平和革命は実現できるのか」という議論をし、中国では「紅衛兵」が「造反有理」を叫び、共産党の権威そのものをやり玉に挙げるのを見、だんだん政治という行為に不信感を抱くようになりました。

そして68年、大学進学をあきらめ、都内の会社に勤め体を悪くして退職し、目的のない生活を過ごしていた頃。
いや、彼女はいたな。
新宿争乱も目撃しました。早稲田での内ゲバも目撃しました。
会社の労働組合の指令で、「善隣会館」に動員され、中に立てこもるセクトと直接斜めに削いだ鉄棒を向け合ったことも経験しました。

そしてその年は20才。
ある意味、加藤登喜子さん達の運動とは関係ない世界に住んでいました。
その後、ベ平連の活動には友人に誘われて参加しましたが、「セクト・党派」などで縛られない運動には賛成していました。
横浜港ノースドックでの戦いは、忘れられていますが激しかったし、ベトナムでの戦争遂行の妨げには少々でもなったと思います。

こちらのコメントで、東大を特別の存在と勘違いされているか違いますが、私どもの世代にとって「東大入学」はそれほど高い壁ではなく、「どうせ落ちるなら東大受験で落ちた方が箔がよい」という程度の存在でした。
私も、「一応東大受験」はしましたから。

どうしても昔話になってしまうが、1968年が何故特別な記号になるのか、実は分かりません。
それと「団塊」とひとくくりされますが、「それがどうした」という気持ちです。

大事なのは、たとえ人生の終末にさしかかっても、社会変革に参加しようとする姿勢ではないでしょうか。

加藤登喜子さんに関しては、歌は好きです。それ以上でも以下でもないです。

私は、団塊世代のあの闘争は、愚行に思います。

同時代の学生運動で欧米は、どうやら政府・社会との交渉で、なんらかの「労働者の権利」やそれに関する法律の制定を為したそうです。

日本では騒いだだけで、一体なにが残ったのでしょうか。

私の親の世代のお蔭で団塊ジュニアの私の学校時代では、管理教育の礼賛でした。
去勢教育に賛同したのも、団塊世代ではなかったのですか?

一体、何をしたかったのか?正直不明です。
綺麗な理想ばかり語り、挙句に殺戮に嵌められる。

兵法も戦略も無く、騒いだだけ。

日本の戦後リベラルの底の浅さが、もうこの時代に見えてました。

地道に「リベラル」の理想を、反吐を啜り泥のみながらも実現する意思は見えず、簡単に内紛と暴力に走る。


もしあの時代のノスタルジーにふけるなら、あの時代のバカさ加減も反省して、現在に生かして、より真っ当に理想と現実の交渉に活かしてもらわないと、死ぬ前なら回想にふけるのも結構ですが、なお10年・20年を元気に社会にコミットしようとするなら、厄介なアホウが増えるだけです。

詐術にどう防備して、政治政策の実現のために何な為すのか?
上手い妥協をどうするのか?
粘り強く交渉して、それを次に繋ぎえるか?

あの時代半分子供であったことを、理解して受け入れて、これから同じ過ちを繰り返さない聡明さ。それが無いなら、68を回想しても、暇つぶしに過ぎません。

イデオロギーにしがみついて、社会をより善道に歩めるようなチャンスを逃がさないためにも、
あのころの愚かさを、糾弾しなくては、なりません。

駄文、失礼します。


市南宜陵さん

このホームページですでに糾弾されていますよ。

http://www5.plala.or.jp/masabumi/index.html

中越戦争にも反対してほしいものですな

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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