この民主党の圧倒的な勝利をどう理解するかについては、(1)麻生政権から1年、(2)小泉郵政選挙から4年、(3)小選挙区制導入から15年、(4)明治憲法から120年と、いくつかの時間的な物差しの当て方があるけれども、その中でいちばん本質的なのは(4)であるという趣旨のことを、私は1日発売の『週刊朝日』に「平成維新/次の100年が始まった」と題して書いておいた(執筆は投票日前の木曜日夜)。同誌をお買い求めの上ご一読頂きたい。
●平成維新
平成維新という言葉も今まで散々使われてきて磨り減っている感じもするけれども、実際これは、明治維新に匹敵する「革命」の始まりである。
4日付毎日新聞「余録」欄は、政権交代を前に幕末や明治維新の歴史をテーマにした本がよく売れていることに触れ「そういえば民主党の総選挙圧勝を明治維新になぞらえた外国メディアもあった」と書いているが、何をトボケたことを言っているのか。毎日も含めた日本のメディアがそのようなしっかりした歴史認識を持たず、小沢一郎前代表と鳩山由紀夫代表が口を揃えて「明治以来100年余の官僚主導体制を打破する革命的改革」を主張しているその「革命的」を、ちょっと大げさな形容詞くらいにしか理解してこなかったことを、胸に手を当てて痛切に反省してしかるべきだろう。何が「そういえば...外国のメディアもあった」だ。「日本のメディアではザ・ジャーナルだけが一貫してそのような視点を繰り出していた」とでも言って貰いたいよ、まったく。
また日本のマスコミは、革命前夜であるが故に起きた小沢に対する検察のテロ行為を容認したばかりか、お先棒を担いで「小沢辞めろ!」の大合唱を演じた。選挙になればなったで、何の思想的・理論的座標軸も持ち合わせずに、自・民両党のマニフェストの重箱の隅を突くようにして「どっちもどっちのバラマキ」とか「財源があいまい」とか「国家ビジョンが見えない」とか言い続け、あるいは、自民党とマスコミのどちらが先に言い出したのか分からないが「自民党には"不満"だろうが民主党には"不安"がある」と煽り立てて、有権者が政権交代への1票を投じることをためらわせようとあの手この手を尽くした。が、有権者はそのようなあらゆる反革命的な情報操作に惑わされることなく、正々堂々と民主党政権を選んだ。だからこの選挙では、自・公両党だけでなくマスコミもまた一緒に敗北したのである。反革命への罰は、自民党に対しては議席激減とそれに伴う54年間も慣れ親しんだ国会内の総裁室や議員控え室の召し上げなどだが、マスコミへのそれはもっとキツく、記者クラブ制度の廃止である。
この革命を通じて我々が訣別しようとしているのは、直接には、54年間に及んだ自民党政治とその下での政官業(付け加えれば「報」)癒着の腐爛構造である。けれども、その自民党政治とは1889年明治憲法制定以来ちょうど120年を経た発展途上国型=開発独裁型の統治形態の一部(と言ってもそのほぼ後ろ半分を占めるのだが)であるから、これによって我々は初めて、遅ればせながらようやく、世界2番目のGDP規模を持つ成熟経済という下部構造を持ちながら、発展途上国丸出しの官僚主導の物事の決定と資源の配分のシステムという上部構造を引き摺り続けてきたというひしゃげたような時代的主要矛盾を、前に向かって思い切って打開する契機を掴むことが出来る。
従ってまた、この革命を通じて我々が獲得しようとしているのは、次の100年に向かっての成熟先進国型=市民社会型の新しい統治形態である。それによって日本人の持つ巨大な経済的のみならず文化的・精神的な潜在力が解き放たれて、内においては、江戸時代のコミュニティをモデルとした日本的な市民社会の形成に取り組み、外に向かっては、とりわけアジア、ユーラシアの大繁栄と日本のモノづくり精神を結びつけることで活力を取り戻して、内外相俟ってこの国が再び世界の憧憬を集めるようになる道筋である。
●市民社会
選挙結果についての数ある言説の中で、私の目に触れた限りで最もまともだったのは、浜矩子=同志社大学大学院教授の9月1日付朝日の座談会「選択の意味」での発言である。
「自民、民主が伯仲するという読みをしていた人は時代状況を読み誤っていた。自民党自身、読みが誤っていた。民主党は...日本の人々が国民とか社員とかではなく"市民"になっていることに気づいていた。その"市民的"なるものがどこまで社会に根を下ろしているかで、今後の政治の展開が変わる。自民党はうんざりだと民主党に鞍替えしたのではなく、根底的に戦後体制と決別した人たちがどれくらいいるか見極めなければならない。その人たちの上に"うんざり"派が乗っかって、この数字になったのだと思う」
浜が言う「戦後体制」は、明治以来の官僚主導体制と置き換えた方がいいだろう。政治と国会が官僚の実質的な権力に従属するという関係は、戦後になって急に始まったものではなく、明治憲法以来続いていることだからである。戦後54年間に及ぶ自民党政治という意味では戦後体制と言ってもいいのだが、この革命の深度はそれだけで測り切れるものでなく、やはり明治憲法以来120年、あるいは田中良紹説では坂本龍馬以来140年という物差しを正しくあてがわなくてはならない。
戦前の「臣民」は戦後「国民」となり、高度成長期にはそれは「社員」と重なり合ったが、1980年に前後して日本が世界第2の経済大国となって成熟先進国の仲間入りを果たしたあたりから、国民や社員は「市民」へと変貌し始めた。浜の言うとおり、民主党は初めからそれに「気づいていた」。96年旧民主党の理念文書はこう書いていた(全文はINSIDER No.492に再録)。
■明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。
■3年間の連立時代の経験をつうじてすでに明らかなように、この「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党とその亜流からは生まれてこない。いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。
■政治の対象としての「国民」は、何年かに一度の選挙で投票するだけだった。しかし、政治の主体としての「市民」は、自分たちがよりよく生きるために、そして子どもたちに少しでもましな未来をのこすために、自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、いくばくかの労力とお金をさいてその実現のために行動し、公共的な価値の創造に携わるのであって、投票はその行動のごく一部でしかない。私たちがつくろうとする新しい結集は、そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、市民の日常的な生活用具の1つである...。
上からの民主主義vs下からの民主主義、国家中心社会vs市民中心社会という原理的な対抗軸を理解してさえいれば、マスコミも「違いが分からない」「どっちもどっちのバラマキ合戦」といった間抜けな解説に終始することはなかっただろう。新聞の中で多少ともマシだったのは日経で、8月2日付で2ページ見開きで自・民両党のマニフェストを比較した際に「民主は直接給付、自民は間接支援」という大見出しを掲げ、「家計の支援策では、幼児教育無償化など間接的な負担軽減策を軸にする自民党に対し、民主党は子ども手当支給などで直接的な支援を前面に出す」というコントラストの採り方をしたが、これは妥当だった。例えば農業政策でも、旧来型の補助金は一律に農協に下りるが、所得補償は特定の品目で実際に生産コスト割れを起こした農家にのみ直接届く。これは単なる手法の違いでなく、上からか下からかという社会編成原理の違いに根ざしたことであって、それを「どっちもどっちのバラマキ」と呼ぶのは知能程度が低すぎる。
その点で、日経の証券欄の人気コラム8月15日付の「大機小機」(筆名「渾沌」)の「『法人社会』対『市民社会』」はなかなか鋭かった。
■総選挙は政権交代を射程に入れた決戦の割に争点が不明確だといわれる。少子化対策や農業政策などがバラマキ合戦に見えるのは確かだ。しかし、政権公約や党首の言動から、未分化でも2大政党の政治理念の違いを読み取ることは可能である。
■与党の官僚機構に依存した生産者の論理への対抗軸として、野党が脱官僚と消費者の論理を強調するのは自然だ。
■日本の近現代史は、明治以来の天皇制国家共同体が太平洋戦争の敗戦を機に会社共同体に再編された歴史だ。会社(組織)中心の企業社会は法人社会と呼ぶにふさわしく、企業ぐるみ選挙は日本の主権者が誰かを象徴していた。今なお、ひ弱な個人を組織が包み込む法人社会の守り手が健在ならば、自立した中産階級が民主主義を支える市民社会を目指す勢力があっていい。同じバラマキでも、組織経由と個人直結の違いは「法人社会」対「市民社会」の萌芽ともいえる...。
だからこの革命は、静かなる市民革命なのである。
●地域主権国家
さてそのこれから本格的に形成される日本的市民社会に実体的枠組みを与えるのが「地域主権国家」への転換である。民主党も、どういう訳かこれを真正面に掲げずに、マニフェストの4番目に置いたりして、そうだと説明し切れていないのだが、これこそが民主党の国家ビジョンである。鳩山代表は、いま話題の『VOICE』8月号の論文の米紙が引用しなかった部分で、次のように言っている(全文は鳩山公式HPに)。
■私は、代表選挙の立候補演説において「私が最も力を入れたい政策」は「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだと言った。同様の主張は、13年前の旧民主党結党宣言にも書いた。「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による『地方分権・地域主権国家』」を実現し、「そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」のだと。
■クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」
■カレルギーがここで言っているのは、今の言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。...補完性の原理は、今日では、単に基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている。こうした視点から、補完性の原理を解釈すると以下のようになる。個人でできることは、個人で解決する。個人で解決できないことは、家庭が助ける。家庭で解決できないことは、地域社会やNPOが助ける。これらのレベルで解決できないときに初めて行政がかかわることになる。そして基礎自治体で処理できることは、すべて基礎自治体でやる。基礎自治体ができないことだけを広域自治体がやる。広域自治体でもできないこと、たとえば外交、防衛、マクロ経済政策の決定など、を中央政府が担当する。そして次の段階として、通貨の発行権など国家主権の一部も、EUのような国際機構に移譲する......。
■補完性の原理は、実際の分権政策としては、基礎自治体重視の分権政策ということになる。...私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。 「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に委譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち、国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場にたった行政に変革します」
■身近な基礎自治体に財源と権限を大幅に移譲し、サービスと負担の関係が見えやすいものとすることによって、はじめて地域の自主性、自己責任、自己決定能力が生れる。それはまた地域の経済活動を活力あるものにし、個性的で魅力にとんだ美しい日本列島を創る道でもある。「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現」であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ...。
これが国家ビジョンでなくて何だと言うのか。どこの節穴連中が「民主党の国家ビジョンが見えない」などと騒ぎ回ったのか。
●4年後総選挙の準備へ
しかも、本論説で何度か述べてきたように、地域主権国家は実は財政再建の決め手である。明治以来の中央集権国家とその下での官僚やりたい放題を続けて行くなら、いつまで経っても国・地方の借金は減らないどころか増えるばかりであるけれども、中央集権国家を廃絶して地域主権国家を創出するなら、財政再建を成し遂げて、それでも財源が余って、国民の負担を減らしながらなおかつ手厚い医療・福祉体制を築き、さらに日本のモノづくり精神を活かした長期的な成長戦略のための投資も十分に行うことが出来る。
この4年間は、政権を獲ったばかりだから、これまでの中央集権国家の枠内で、国家戦略局の創設など試行錯誤を続けながら、官僚体制と戦ったり折り合いをつけたりしながら財源をひねり出すしか仕方がない。しかしその政治的経験を通じて、官僚体制を抜本的に打破するには地域主権国家への転換しか方策がないことが、馬鹿なマスコミも含めて人々の広く理解するところとなるだろう。そこで民主党政権は、4年後にまさにその「地域主権国家」への国家改造プログラムを前面に掲げ、それとの関わりで、(単なる現行消費税のアップの是非ではなく)中央・地方の税源配分と直間比率の大幅組み換えを含む税体系の改革案、医療・福祉・教育負担のあり方や年金一元化など国民負担像の設計図、21世紀にモノづくり資本主義で世界をリードする経済発展戦略などをワン・パッケージにしたシンプルかつ壮大なマニフェストを掲げて、総選挙もしくはダブル選挙に打って出ることになるだろう。
自民党がそれまでに立ち直って、保守の側からの対抗プログラムを打ち出して競い合えるようになる見通しは暗いので(古きよき自民党に戻すなどと言っている連中がまだ残っている)、民主党は再び圧勝する可能性がある。そうなれば、この政権は8年か12年は続いて、このまさに革命的な国家改造をやり遂げるだろう。来年参院選もさることながら、4年後が本当の勝負で、目前の山ほどの課題はすべてそこへと収斂させるように1つ1つ乗り切っていくことになる。▲
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