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宮台真司:「まかせる政治」から「引き受ける政治」へ

 ビデオニュースでおなじみの宮台真司さん(首都大学東京教授)が、8月30日の総選挙について語ります!(チーム「GoGo選挙」提供)

【Movie 1】社会に対して本当に必要な投資を行ってくれる国家をいかにつくるか

【Movie 2】民主党が行うべきことは情報公開だ!
http://www.youtube.com/watch?v=gRqCpHrYoOY

【Movie 3】 みんなで決めても正しい結論が出るわけではない!?
http://www.youtube.com/watch?v=8Qnm_IbVD3o

【Movie 4】日本の未来の鍵は「まかせる政治から、引き受ける政治へ」
http://www.youtube.com/watch?v=urAwaKByLSM

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コメント (16)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

日本人の一番苦手な、というか、思ってもみなかった次元の問題ですね。

「どっちもどっち」も、「政治不信は政治家がそうしてしまった」や、「政治のせいだ」などなど・・・
TV・新聞は、持って行き場がなくなるとそんな風に締めくくります。慣用句ですね。

横浜市長の中田氏が、最近「国民に責任がある」…自らが動こうとせずに、不満ばかり言うな、みんなが参加しなくてはいけないんだ(というような事)・・・と言っていたような気がします。面白いことに、司会者もほかの出演者も、これについてだれも何も言わないのです。ただ、何事も無かったかのように流してしまいました。
本音では、ほかの出演者は、どう思ったのでしょうか。

バブル崩壊前後のころ、マスゾエ氏は、「この国はもうだめだ」と言っていたと思います。
何でも人まかせ、都合の良い時だけは何も言わず、何かあればすべて他人のせい、政治家のせい。
側溝が詰まれば市役所へ電話、隣の猫が庭で小便しても役場へ電話。
本当に、なんと情けない国になってしまったんでしょう。

私は、90年の株式市場の崩壊や、その後起こった「地価を下げろ」の大合唱などを見て、そして地価の下落を正しい政策のように何も行動しなかったマスコミ・政治家・ほとんどの国民を見て、この国を出ようかと家族に提案をしたことがあります。
実際の話としては、故郷を捨てるのは難しく、日本ほどの「安全」を期待できる候補地についてそう簡単に同意を得ることはできませんでした。

思えば、93年でしたか、野党政権ができたときがキータイミングでした。
深夜に、総理大臣が記者会見で「国民福祉税構想」を語ったときこそ、日本が生まれ変わる絶好の機会でした。

小沢さんは、今でもまだこの国を諦めていません。
頭が下がります。
本当に、この国の人々は「自己責任」という言葉を、理解することができるのでしょうか。
宮台先生がおっしゃるように、もう遅すぎるくらいのタイミングです。
その今この時でさえ、我が国の大マスコミはそのことを読者・国民に提示することをしません。
馬鹿の一つ覚えのように「マニフェストをよく見て投票しましょう」です。
国民も、くだらないプロパガンダに乗って小沢氏を引きずりおろしてしまいました。鳩山氏だって、選挙が終われば献金問題を面白おかしくやられるでしょう。危ないものです。

こんないい天気の日に、何とも厭世的な気分になってしまう文章を自分で書いて、自分で嫌になっております。
宮台先生がおっしゃる社会を、この国がなんとか獲得することを祈っております。

                            本当はこの国が大好きな「元株や」です

簡単に言うと― 国民・社会が自立できる国に成長するため、選挙では民主党に投票(投資)しようということですね。

もし、仮に(報道では大勢は決まったかのように伝えられていますが)民主党政権が出来たら、現体制(特に官僚)に取り込まれないようウォッチしなければいけませんね。
自民党政治は官僚にいいようにされてしまい、党の理念と現実社会があまりにもかけ離れています。
民主党が思い描く社会が実現できるように官僚と戦ってもらいたい。

今朝のTBSラジオで、評論家が言っていたコメント。
「自民も民主も、この国をどう持って行くか明確でない」
これは政治家の怠慢のような口ぶりでした。
宮台先生のコメントで考える事は、TBSでの評論家は政治家なり指導者が方針を出せと言っているが、多様化した現在では無理でしょう。
また指導者の方針に付和雷同では、いつか来た道ですね。
考えて育てる国民の一員でありたいと思っています。

「もうそれしかない」「もう時間がない」
正直なところ、間に合うのか?と暗澹たる気分は元株やさんに同意します。それならばと「引き受ける政治」への路線を優秀な官僚に引いて欲ししいなあと、思わずそう願ってしまうような話です。

国民の2割が知れば、姿勢を変えれば、なんとかなるかなー。

今私たちは勝敗不明なゲームを続行中(民主の政権奪取とかいうレベルでなく)。そしてどうやら形勢はかなり不利なようだ。しかし方向性はもう出ていて選びようがない。むしろそれが救いだ。(そう思おう)

宮台先生が日本の現状と有るべき姿を端的に述べておられ、まさにその通りだと思います。問題は二つあり、第一は国政選挙で選ばれた議員の役割と公僕官僚の役割が「民意が反映された政策形成」の観点から正しく機能していないということ、二番目は来るべき地方主権下で、どのように市民に政策形成に参加していくことを根付かせるかということであると思います。

民意が反映されていない数多の政策に国民はいつも悔しい思いをしてきた。選挙で国民に選ばれた政治家が民意の反映された政策形成を主導するのではなく、省庁権益を第一義とする公僕官僚が民意の反映されていない政策形成を支配してきた体制は、政権党である自民党により、これまで50年以上もの長きに渡り改革されることもなく、結果的に守られてきたのは紛れもない事実である。

おれたち公僕官僚が国を牽引しているのだというのは戦後の復興期は確かに認めるが、今では時代錯誤も甚だしい。これだけグローバル化し、且つ社会の複雑化、多様化が進む中で公僕官僚が主導する政策で国は牽引できるなどという思い上がりは好い加減にしろといいたい。現に、矛盾だらけの悪しき政治が数えきれない位に顕在化しているではないか。一体、誰のための行政だったのか。

公僕官僚の使命は、力量ある政治家主導のもとで、民意が確実に反映された政策形成を遂行するために、その能力を発揮することに尽きる。

とにかく、現在の政権党である自民党、公明党や公僕官僚に国政を託すわけにはいかない。しからば、民意が反映された政策形成を政治家が主導し、公僕官僚を動かしていくという当たり前の正常な姿に戻すためには、論理的に国民の選択は政権交代しかないのである。

市民に政策形成に参加していくことを如何に根付かせるかに関しては、市民の側の問題と、行政側の問題がある。民意が反映される市民条例の制定はじめ、多くのアプローチがあろう。その一つとして、公共政策への市民参加と合意形成がある。科学性と民主制を担保した合理的且つ公正な合意形成プロセスが国民に身近に感じさせる地に足つけたものといえる。詳細は原科幸彦編著「市民参加と合意形成」を参照いただきたいが、現在の我が国の代表民主主義の欠陥を補うものの一つといえる。

「社会力」とやらを獲得確立するためには,各社会において,社会変革を実践展開する必要があります。そのためには,民主党による政権交代を実現させて,まず霞ヶ関官僚体制を解体打破する政治変革を成功させないといけません。なぜなら,政治権力が各社会に覆い被さっていて,強権を発動発揮しますからね。つまり逆に言うと,各社会において,社会変革を幾ら連鎖的に実行しても,政治変革には至らないのです。次元が違うからです。ところで,70%近い産業人口を占める第三次産業社会における「社会力」を獲得する社会変革とは,いったいどんな組織による,どんな変革的な行動なのでしょうか。産業人口は第一次産業(4.8%),第二次産業(26.1%)ですから,世の中の主流は圧倒的に第三次産業社会に移行していて,その意味で,新たな世界に突入してしまっているのです。なお,「変革」という語彙を使用しましたが,「革命」という言葉で言い換えても構いません。

     「宮台先生への挑戦状」 (自爆! ^^;)

大都市名古屋において、減税を公約に掲げた市長が誕生した。

この減税処置、じつは官僚お役所天国から具体的にその力の源泉を間引く、
実は画期的な方策といえる。しかしながら、

減税を受けた主権者達は、ただ「税金が安くなった。お金が還って来た。」
と、喜んでは大変な落とし穴がまっていると、私は考える。

これは「お金」という形態を取った、力の強制的な移動だと思う。。

これにより巨大市の公共の中間にいる独立法人を隠れ蓑にした行政予算からの
人的経費の間引きは、強制的に10%の頭切りが実行されるが、言葉を変えれ
ばその10%分はこれからある意味市民の側で、現行の行政サ-ビスからその
分の仕事を取り返して、「担う」という考え方もできるからだ。

>http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2009/08/post_18.html#comment-83531

これは以前 フルコ-スかキャンプのカレ-か? と提起した事がある考え方
だが、しかし、いきなり「自分達で公共をやる。」とは非現実的とも言える。

当然 キャンプのカレ- を作って基礎自治体の中で自給していくのなら、何
よりも賢い知恵が詰まった作りかたを、まず道筋つけて、それが実現可能な社
会組織を編成していく事が当然の流れだ。

そこで無い頭を動かしてみたのだが、まず国政単位で「一流大企業に優遇されて
いる減税施策」を段階的に撤廃してはどうだろうか。

現在の減税処置は段階的に廃止する。その上で、
まず国内の市場で活動する、総ての巨大な規模を持つ企業に対し今まで文化面で
推奨していた文化社会活動に貢献する行政指導を総て一ランク上げ、日本国家の

市場で営業する総ての上記企業は、日本国家国民に対して収めている一部課税に
ついて「荷役」を代替えする選択権を与える。この条件を拒否する上記該当企業
に対しては、1億人のこの国の市場からの排除規定も有する。

これに準じて、上記該当企業は「荷役」を選択した割合に応じ、日本国内で人財
の「新規増員募集」を行う。

大まかには、規模において資金力の大きな安定企業から半年を一期とした、地域
活動の人的要員を担当者の身分を保証したままで提供させ、企業内での担当者を必
ず交替させる義務を企業に負わせる。

これは地域活動に参加する各社社員について、半年ごとに各員が交代することで企
業人の公共意識への啓蒙を飛躍させる目的を持つ。

その上で、基礎自治体を単位とした「政策大学」が各社提供のこの人財の受け皿に
なり、 キャンプのカレー の下地にしてみる。

>http://www.the-journal.jp/contents/yoronz/2009/07/post_5.html#comment-84014

只今、ご批判募集中です。

宮台さん 

アメリカでは、国家の最高責任者が・・

極めて熱の籠った、そして時機に適った的確なメッセージに、大きな敬意を表します(※注1)。

1.宮台さんがSir Winston Churchillの民主主義についての名言を引用されましたので、
私からは、此処での主題である「引き受ける政治」の基本要件の一つとして、John F. Kennedyの次の名言を引用します。 
ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.
(全文は:http://www.quotationspage.com/quote/24965.html) 
此のcountryは、ケースにより、your communityにもpeople next to youにも読み替えられるし、そのように読み替えるとBarack Obamaが就任演説でResponsibilityを訴えたのも同じ脈絡と理解できる。「自己の責任力をもって、引き受ける政治に臨め」と・・。
What is required of us now is a new era of responsibility -- a recognition on the part of every American that we have duties to ourselves, our nation and the world;
(http://www.whitehouse.gov/the_press_office/President_Barack_Obamas_Inaugural_Address/)

2.J.F.KennedyやB. Obamaのこの発言を敢えて此処に持ち出す私の意図は、「任せる政治」対「引き受ける政治」の問題意識は、決して日本だけの問題ではないのだと・・、1961年に於いて、また2009年に於いて、世界で最も「自立した国民」とされ「民主主義の盟主」とされているアメリカでさえ、その時々の国家の最高責任者が、繰り返し、率直に真摯に国民に訴える必要に迫られている事実があるのだと・・、強調するのが意図です

3.W. Churchillが喝破し宮台さんが指摘された「民主主義は最悪の政治制度」という特質は、国家の最高責任者が繰り返し国民に強く訴え要求しなければ、そしてこの「民主主義の特質」を国民が常にそして「賢明に=高い民度で」、意識し行動し続けていなければ、民主主義体制は「理想的にも有効にも生かされない=容易に悪用され兼ねない=国民が幸せにはなれない」弱く儚い脆弱な理念であり制度だということを強調する意図も・・。

(※注1)但し、私には、一部例えば、現在の学問的定説なのでしょうか、時間の厳しい制約があってのことでしょうが、ファシズムの定義が単眼的で平板であったなどの違和感は此処では枝葉のものとしてさて置いて・・。
(※注2)日本の最高責任者のこの様な「率直で真摯な台詞」は、悲しい哉、耳にしたことが無いという事実には、此処では多くは言はないが・・。日本では、自民党は国民に敢えて訴えたりはしないで、国民の「暗さや不明」を奇貨として利用して来たのかも知れない。この脈絡では、民主党鳩山首相は「どのような訴え」を発するのだろうか? 興味深い。

なるほど、国家に頼るのではなく、自立した社会を築く、ということですね、その点では 新自由主義の基本思想と同じですが、
それでは 竹中平蔵氏の新自由主義とどう異なるのか 興味ありますね。 一度 宮台さんと竹中さんとの対談というか、討論を見たいですね。Journalでもいいですが、どこかで企画してくれないでしょうかね。(笑  おそらく、竹中氏の政策では経済の効率性のみに集中しすぎた結果経済外部の社会を壊したのだという論が予想されるけれども、それに対して竹中氏はどういうだろうか。おそらく、社会を蘇らせる前に改革を断念せざるを得なかったと反論するのではないか。よく言われることで、竹中氏は社会を無視したという非難。たとえば、加藤鉱一さんがそういう批判をしています。はたして、そうですかね。その点は、「新自由主義」思想に親和性を有するお二人、宮台さんと竹中さんが対談することで明らかになることが多いのではないかと思います。

宮台さんにしては、いつものキレがないですね。
有権者の一番の関心事は「景気」ということなので、経済に的を絞って考えてみます。

>社会に対して本当に必要な投資を行ってくれる国家をいかにつくるか
つまり、賢い政府が求められている。

>民主党が行うべきことは情報公開だ!
そのためには情報公開を受けた有権者自身が賢くならなくてはいけない。

>みんなで決めても正しい結論が出るわけではない!?
合議は最善策ではなく、妥協策を採用させる。
不況の原因のひとつが合成の誤謬によるものだとすれば、皆が自分のことだけ考えず、国家全体のことも考えなくてはいけない。

さて、ここからです。
宮台さんの話を曲解しているかも知れませんが、

>日本の未来の鍵は「まかせる政治から、引き受ける政治へ」
では、有権者ひとりひとりが全体最適の解を求め、それに適合する政策を選ばなくてはならないのか。
自分のことしか考えない有権者(「B層」とか「大衆」とかいう次元の話ではなく、生活者である有権者がどこまで視野を広げられるのか、どこまで責を負えるのかという話です。有権者は従業員に給与を払い、家族を養わなくてはならない)を前提として、それに迎合することなく全体最適を追求する政府を志向する方が現実的ではないでしょうか。
また、それとは矛盾するようですが、「政府が金を使えば景気はよくなる」=「上からの全体最適の提示」=「まかせる」に対し、「景気をよくするのは民間の力」=「上からのコーディネートが正解である保証はない」=「引き受ける」という考え方もあります。
「○○から○○へ」という議論よりも、「何をまかせて、何を引き受けるか」、そういう中身の議論をしていった方がいいように思います。

小さな政府、大きな社会。
いろいろな場面で、宮台先生のお話を伺って中でようやく分ってきました。でもまだ、社会という具体的なイメージができません。
 もしかしたら、長い間、とても長い間そのようなものがなかったのかもしれません。職場・学校・家庭以外に見つけることができるだろうか。漠然とした不安に駆られます。
 それも、官僚支配のひとつの手段だったのでしょうか。そう考えると、この国が今まで進んできた方向はいったい・・・。
 社会的なむすびつきも、縦から横だとも以前、うかがいました。日本人は昔から横のつながりを結ぶのが得意ではないように思っています。
 仕組みづくりもですが、それ以上に意識の変革もとても大変な道のりのように思います。
 民主党政権に期待するものですが、予想以上に大変な船出であることを覚悟しなくてはならないと思います。

 

「官僚主導から政治家主導へ、中央集権から地方主権へ、国民参加の政策形成への時代の潮流」
民間企業と霞ヶ関の仕事の評価は周知の通り大きく異なる。民間企業の場合は仕事のアウトプットであるハード、ソフト、サービスに対し第三者の顧客が必ず存在し、仕事の良し悪しは顧客により客観的に評価される。そして、仕事の責任の所在は明確である。

ところが、各省庁の仕事の評価と責任はどうなっているのだろうか。本来は主権者の国民が評価しなければいけないのであるが、そのようなシステムにはなっていない。今や高度成長期のような目標とするものが明確ではなく、自ら目標を創らなければいけない複雑、多様で且つ変化が激しい時代になっている。省庁の仕事は第三者の監視の目が行き届かず、このような状況下で共通して起こることは、公僕官僚達がひたすら自己の出世目当てで利に走ることである。

省庁権益維持拡大に繋がる仕事が第一優先となり、これが仕事の評価対象とさえなっている。このスタイルが代々の公僕官僚に受け継がれてきた。これから外れた仕事はたとえ国民の生命、財産を守る重大な仕事であったとしても第二義となる。同時に上司となる公僕官僚の意向に沿わない、この外れた仕事に関与した部下役人が左遷されるということまで現実には起きている。まさに公僕官僚組織の腐敗である。

本来、仕事の評価は三権分立の司法、立法、行政のもとでの相互チェックに委ねられている。しかしながら、民主主義の観点から三権分立はもともと内部矛盾を内包しており、三権の縦割り組織の現状、この問題点を解消するべき重大な意味を持つ相互チェックは残念ながら殆ど機能していない。そして代表民主主義制の重大な欠陥を顕在化させている。ここでは詳細は省略するが周知の通り、司法にも由々しき多くの問題が生じている。

もちろん、行政、司法に関する立法府の責任は大きいものがある。三権分立はあくまで原理原則であり、これをそのまま鵜呑みにしては日本の統治機構は正常に動かない。憲法のもと、あくまで主権者は国民であり、選挙で国民に選ばれた政治家と公僕官僚との間には自ずと主従関係が生じよう。したがって公僕官僚より政治家の責任の重大さは圧倒的に大きい。世の中の常識から考えれば、政治家には公僕官僚から一目置かれる力量が要請される。力量なき政治家の誕生は税金の無駄遣いと国政の大切な時間の浪費以外の何ものでもない。特に世襲2世の議員を目指す人は選挙地盤の流れに任せた安易な立候補はご遠慮願いたいものである。余談になるが、政治家は世の中で最も激務と考える。サラリーマン根性なら政治家は諦めた方がよい。政治家を真に目指す人には意味ある検定試験が必要となっているのではなかろうか。最低限の知識チェック、論文試験、面接試験等である。その位、今の政治家としての資質が問われる位、レベルが低い人が多くなっているのではなかろうか。

政治家が自ら国家の長期ビジョンと施策のロードマップを策定し、公僕官僚に現在の位置と明確な目標を示し、要所要所チェックを怠ることなく、能力ある公僕官僚に任せるべきところは任せていけるのかどうかが問われているように思う。だが、現実はそうはなっていないところに公僕官僚を暴走させる要因をはらんでいるのではなかろうか。当然の帰結として、これまでの長い間、政権党であった旧自民党体制を引き継いできた自民党政治家が本来の役割を果たしてこなかったか、あるいは政治家として能力不足であったのではないかと指摘せざるを得ない。もはや今となっては政治家の言い訳など聞きたくはない。同時に、そのような選挙を許してきた責任を国民は認識する必要がある。

政策形成の官僚主導から政治家主導は政権交代という手法で実現し、公僕官僚の使命を忘れ省庁権益が優先される政策形成は見直し、新たな政権交代後の野党連立政権下での政治家主導による政策形成に改める。社会は刻々と複雑化、多様化するなかで俊敏に対応できなくなっている肥大化、制度疲労を起こしている中央集権体制は分散した地方主権体制へ移行させる。そして、最終的に残される代表民主主義制の欠陥を補うため、民意が反映された確実な政策形成には市民参加の意味ある市条例の制定等をはじめ、行政の徹底した情報開示のもとで、市民と行政の間で政策に関し合意できる議論にまで昇華させ、案件により政策の協働化も必須となるのではなかろうか。

<宮台真司様>へ。
率直に申し上げて、「ワカルようなワカンナイないような」変なコメントです。
まぁ、コメントですから論理の細部を突っついても仕方ないのでスルー…って思ってましたが、ちょっと気になることがあったので、もう一度拝聴し直してみたんですけど、なんか編集し直していませんか?確か前は民主主義とヒットラーに関するコメントがあったような記憶がありますが、私の偏見或いは若年性アルハイマー症候群のせいかもしれません。

それはともかく、貴兄のコメントは大筋(方向性)ではアグリー出来ますが、その根拠となる論理展開については首を傾げざるをえない疑念が多々あります。それが私を「ワカルようなワカンナイないような」ってイマイチ得心できない状況に陥らせ、貴兄は何を考えてんのって思わざるを得ない不信感を芽生えさせるのです。(端的に申し上げれば、貴兄は少なくとも不肖私を説得できていない…ということです。)
例えば、民主主義についてチャーチルが述べたことに対する通俗的な「受け止め方」の問題です。チャーチルは「民主主義は間違った選択をする」なんて一言も言っていません。(まぁご本人はそう言いたかったのかもしれませんが口が裂けてもそうは言っていないのです。)
チャーチルは、貴族階級の出自、バリバリの帝国主義・植民地主義思想の持ち主、政治家としての得意分野は軍事・戦争…って背景を持ちながら、尚且つ唯一ともいえる功績(第二次世界大戦の対ドイツ戦勝利)を打ち立てたにも拘わらず、直後の選挙で負け「政権交代」の憂き目にあったのです。その間チャーチルは、短期の首相も経験し、保守党から自由党に鞍替えしまた保守党に戻ったり…といろいろ苦労してるんです。
で、政界引退後、アメリカでこの、「イギリス人特有の諧謔的な」発言をしているわけです。宮台氏と私の英文解釈の差異はここにあります。つまり、チャーチルは「オレを理解しないクソ!民主主義!」と思ってはいても、「政治制度としては民主主義しかない」と語っている、と私は思います。
ですから、これを論拠に貴兄が「民主主義は選択を間違う」…或いは「正しい結論に到達しない」って論理展開はいくらなんでもアンマリではありませんか?勿論、私たち有権者は選択を間違えたり、騙されたりしますよ。でもそれを修正できるのも私たち有権者です。ですから貴兄が仰る「衆愚政治」という側面は民主主義に常に伴うウイークポイントであることは避けがたい側面ではありますが、かと言って、貴兄が主張なさるエリート(選良)が考えていることが「正しい」って論理も見事に根拠のない空中浮遊です。
私が貴兄の盟友である神保氏の論説に、大半は納得しつつも異を唱えたのはこの視点です。
貴兄の「民主主義」論議に決定的に欠けているのは「少数意見の尊重」とういう「多数決原則」を補完する基本的なルールです。51人が賛成すれば49人が反対しても、民主主義はアル結論を得ます。その49人の中に貴兄と同じ考えをもっている人がいないと断言できますか?
最後にもう一点、大学教授という人種はよくこういう発言をなさるのですが、「先進諸国に学べ、外国の制度を勉強しろ」「日本は遅れてる」って、これは明治以来の外国コンプレックス以外の何物でもありません。この論点でいえば、日本が遅れているのは「政権交代の無さ」と「前近代的官僚主導政治からの脱却」…この2点です。それが実現できれば、日本固有の民主主義制度を確立していけばいいのです。(そのために欧米諸国の制度を参考にするのもいいですが、殆んどは反面教師でそれほど偉そうなもんでもありません。)

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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