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« 民主、300議席に迫る勢いで最終盤へ ── 自民は壊滅・分解の危機に直面
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海江田万里さんが麻布十番祭りに登場! 18:00ごろから生中継します!! »

山下惣一:「誤解」だらけの農業問題(1)

農業歴57年、私と女房が現役、息子はサラリーマンという立場でがんばる農家

「農業問題・食糧問題は農家の問題ではありません。これは消費者にとっての問題なのです。」私は40年、それこそ何とかのひとつ覚えのようにそう主張してきた。もちろん世の中からは相手にされず、取り合ってくれる人もごく少数。糠に釘。蟷螂の斧。
「いまにみていろ、やがて農業をやる人はいなくなる。日本人は農なき国の食なき民になるぞ」
 私はなおもいいつづけた。かのオオカミ少年のように。オオカミ青年からオジサンになり、いまやオオカミ老人となってしまった。そして本当にオオカミは現れた。現下の農業問題は、ま、そんな感じですね。

 農林水産統計によれば、かつて600万戸あった農家はこの半世紀で半減し、とりわけ「販売農家」(耕地が30アール以上か農産物販売額が年間50万円以上)はたったの180万戸。就業者およそ300万人弱でその半数が70歳以上なのだそうです。私にいわせれば、「それみたことか!」ですよ。

 自己紹介をしましょう。私は九州北部、佐賀県唐津市の外れの玄界灘に面した村の農家の長男に生まれ、村の中学校を卆(お)えて以来、ずっと家業の農業をやってきました。今年73歳、農業歴57年。わが家は分業で私で5代目です。

 現代は女房と二人で山の棚田70アール、みかん畑50アール、ぶどう10アールのほか、村の直売所用に梅、レモン、野菜など多品目少量生産をやっており、今年から女房が個人で「漬物工房」を立ち上げました。夫婦ともにすこぶる元気です。

 昭和37年生まれの一人息子の長男は、2年間のアメリカでの農業研修の後7年間、期待の農業後継者として一緒に農業をやりましたが、みかんの規模拡大で失敗し(値段がぜんぜん良くならなかった)30歳で転職していま、わが家から車で1時間余りの稲岡市でサラリーマンをやっており、当人は「仕送りをしない出稼ぎ」といっています。田植えなどの農繁期に帰ってきて農作業をやっています。当面、わが家の目標は、息子が定年、またはそれ以外の事情で家に戻ってくるまでの間、私と女房が現役でがんばって、家業を次世代につなぐということです。ま、そういう立場の農家の主張だと理解してください。

「農業がなくなったとしても、日本経済には大した問題ではない」という誤解

 さて、それでは「誤解」の代表的なものをいくつかあげていきましょう。

 まず、冒頭の「農業・食料問題は消費者にとっての問題である」はどうでしょうか。私はかなり理解されてきたと感じています。消費者は、自分を守るためにこそ身近な農業を食い支えるべきなのに、「生産者」対「消費者」という対立概念で捉え、農業問題は農業団体や農家の問題だと誤解していたのです。しかし、農家にとっての問題は所得であって食料ではありません。どんな時代、どんな状況になっても自給分は作りつづけるわけで、いざというときに飢えるのは、私ではなくアナタです。ここにきて、ようやく「地産地消」「緑提灯」など身近な農業を支援しようという気運が出てきました。

 「日本農業」というのもこれは「誤解」です。「どこどこ、それはどこにあるんですか?」と私はいつもイヤ味をいっています。「日本農業」という現場はありません。「日本の中」にさまざまな農業があるのです。南北に細長い日本列島では北と南で大きな違いがあります。北ではすべての作物が年に一作ですからある程度の規模が必要になります。しかし、南では違います。たとえばジャガイモは北海道では年に一作ですが、九州では春と秋の2回、長崎県の島原半島では同じ畑で年間 3回も作っていますよ。そんなわけで面積は北が大きく西日本や南の方は小さいのです。

 そもそも「大規模」「小規模」はどこで線を引くのでしょうか。これは相対比較の問題であって定義などはなく「物差し」にはなり得ません。ところがこれを「物差し」にして耕地面積4ヘクタール以上(都道府県の場合)を農業の担い手と定めるなどとやっているのが農政なのです。これは「日本農業」というトータルとしての数字、つまり、気候風土、地形、地域からも乖離した農業となるわけです。

>>「誤解」だらけの農業問題(2)を読む

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DSC_9965.jpgのサムネール画像【プロフィール】 山下惣一(やました・そういち)
1936年佐賀県唐津市生まれ。
農民作家。中学卒業後、家業の農業を継ぐ。
「生活者大学校」教頭、「農民連合九州」共同代表、「アジア農民交流センター」共同代表。1969年「海鳴り」で第13回農民文学賞、1979年「減反神社」で第7回地上文学賞を受賞。著書に「食べ方で地球が変わる」「身土不二の探究」「直売所だより」など。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

農業好きの国民性

「一坪の芝生の庭よりも、家庭菜園」
日本人はもともと農作は好きな国民ではないのか。
それを戦後教育で一貫して「農業否定」「農民蔑視」を学校現場で繰り返してきた。
しかし、リタイアした団塊の多くは少しでも「土地がありさえすれば」家庭菜園をやりたいと考えている。ならば、ニーズがあるかぎり「希望」がある。

専業農家のテーマとしてではなく「生産緑地」の有効利用の施策さえ上手く考えれば
「空き地」の有効利用は、分散的に全国各地で広めることができるのではなかろうか。
これは「農業サンディカリズム」ともいえる、「自分の野菜は自分で賄う」という道につながる。

専業、副業農家政策とは別に、この種の機動的な農業政策も考慮するのも価値があると思っています。一度自分で作物を作ってみればわかることで、信州の農村地域でも東京のボランティア達と連携しながら、「作る楽しみ」を実戦しています。都市と農村、都市の近郊、あらゆるところで「一坪農園」運動を繰り広げるのもおもしろいと思うのですが。それを地方自治体などが率先と推進する、やろうと思えばできるはずです。

山下さん

 久しぶりに貴台の文章に接しましたが、お元気にて活躍の由、文学のお仲間であり、小鹿田の陶工でもあった私の飲み友達、坂本茂木氏は現役を引退したことから、感無量の思いもあります。

 その昔、飲酒運転というよりも、殆ど酩酊運転中に検問に引っかかり、「俺タイ、小鹿田の坂本タイ」で見逃してもらった、などの武勇伝も遠い昔のこととなりました。
 茂木氏からは文学論よりも、貴台の農業論をくどいほど聞かされましたし、坂本氏自身も、最後まで窯元との兼業を模索しましたが、その思いは潰えました。
 さんちゃん農業と揶揄されていたのは何年前になりますかね。それからにちゃんになり、最後のいっちゃん農業もいよいよ崩壊をたどり、棚田の多くが放置されています。
 食糧問題とは、銃器以上の安全保障に関わる課題であり、政権交代後には根っこの問題に取り組んで欲しいと私は希望しています。
 こんなことを書くと、「農本主義の極楽とんぼ」と批判する投稿者がいますが、その批判者が、大規模化することで農業問題が解決するかのような論を張っていて、笑ってしまいました。

 大規模化で農業問題が解決するなら、コルフォーズは言うに及ばず、彼の人民公社ですら、世界のビジネスモデルになったはずですが、そんな話しは聞こえてきません。

 政治が大きく方向を変えるかも知れないこのとき、培われた農業論をぜひにも活かして欲しいと願っています。

豊後の小兵衛
 

山下惣一様

>販売農家(耕地が30アール以上か農産物販売額が年間50万円以上)はたったの180万戸。就業者はおよそ300万人弱でその半数が70歳以上なのだそうです。

販売農家の少なさに、驚きます。情報、ありがとうございます。

今日の毎日新聞のこらむ「経済観測」に、「日本は農業を捨てたのか」が載っています。執筆者は丸紅経済研究所所長・柴田明夫氏です。

「農業をおろそかにする国は滅びる」という考えが根づいている欧州の国々は、農業を犠牲にしてまで経済大国になろうとはしなかった、という、長年商社で穀物取引に携わってきた友人の話を紹介しています。

「改めて日本という国を振り返ると、ひたすら工業化による経済大国を目指す一方、『農業』を切り捨ててきたのではないかと疑いたくなる。それは、自然に対する畏敬の念や他人に対するおもいやりの文化をも失ってきた道でもある。現在の世界的な経済危機と食糧危機は日本にとって『農業』を根本的に立て直す好機と言えよう」と結んでいます。

引用が長くなりましたが、農業を続けておられる山下さんに深い敬意の念を抱いております。「いざというときに飢えるのは、私ではなくアナタです」と、いままで何度も何度も警告されてきたことと思います。

世界の穀倉地帯で起きている干ばつが、これからどう影響するかです。国内の野菜の価格も値上がりしてきました。いよいよ飢えが迫っているような予感がします。食料自給を工業製品輸出とバーターした日本。国民は、これからそのツケを払わされるのでしょう。

この期に及んで、工業製品輸出による経済成長に幻想を抱く愚かな政治家がいます。農政の失敗は、国民の生命に関わるもの。その点で、もはや手遅れではないかと思われる日本。いままでの政権与党には、その責任が問われていますが、なぜか、「責任力」を売りにしていますね。

山下様
食料安保の観点からも現状の自給率は改善しなければならないと思っています。
具体的にどうすれば良いのか実際に従事しておられる方の忌憚のないご意見を伺いたいと思います。
米作農家の7割が1ヘクタール以下の水田で耕作していると統計上のことですが公表されています。このような状況では赤字必至でしょう。ではどうすれば良いのか?
食料安保の観点から国民は高い米であっても食べるべきと言うのでしょうか。それには輸入制限もセットになると思うのですがこの件に関しての見解は如何でしょうか。同様に税金で農家の生活を保障すれば良いのでしょうか。農家側に改善点はないのでしょうか。農協を含めたシステム全般に改善改革の必要性はないのでしょうか。一戸あたりの耕地面積が現状では未来がないように思うのですが、農家同士が手を組み会社組織にして効率化を図るなどのアイデアはないのでしょうか。若者が農業に戻ってくる為には何が必要なのでしょうか。
質問ばかりになりましたが、現状分析が難しいので実際に従事しておられる方の忌憚のないご意見を伺えれば有難く存じます。

一口に農家と言っても、いろんな方がいらっしゃいます。

私が存じ上げている方の話をさせて下さい。

50年前、彼は稲作中心の農家でした。親から継いだ土地です。近所と共同で機械を買い、農薬散布は農協に頼み、採れた野菜と米は農協に出荷していました。
農閑期は出稼ぎです。都会の工場で働いていました。
近所は、皆そういう人達でした。
子供は三人できました(男x3、女x1)が、全員農業は継ぎませんでした。親の暮らしを見て、サラリーマンの方がいいと思ったからです。彼も無理に継がせようとはしませんでした。
長男が家に金を入れるようになると出稼ぎをやめ、地元で土木関係の役所のバイトをするようになりました。
やがて、彼のような零細農家にも減反割り当てがきました。田んぼの一部を枝豆に変えました。その時、彼は残った田んぼも隣家にやってもらうことにしました。もう年で農作業が辛くなってきていたからです。野菜の畑も自給自足の分を残してやめてしまいました。
今、彼は農地は持っていても、耕作しない農家です。

いや~、びっくりしました。知らない間に農地法が改正されてました。
 この改正案は優良農地も含めたすべての農地の限定なき一般資本への50年の賃貸しを可能とするもののようです。
 外資もOK。「借りる企業は経営陣に一人以上が農業に常に従事する義務」は企業側には規制でも何でもない名目的のもの。
 借地期間の20年から50年への延長は事実上の貸し手側農民にとって農地所有者としての耕作永久放棄です。同時に借りた土地の転売も発生します。
 資本側や司法関係者はビジネスチャンス到来とばかり色めき立っているようです。
 また、借地権だけでなく農地の所有に関しても農地を所有できる「農業生産法人」に対する一般資本の出資規制が10%から50%未満に緩和されています。
 勉強不足ですが、ある本でこういう制度はお隣の韓国ではずっと前から実施されていると読みました。
ところがあの国でうまく機能しているのかということ。人口がものすごく都市部、特にソウルに一極集中し農村の疲弊はひどいようです。日本以上の輸出産業依存型の経済構造でこの世界不況の影響をモロに受けているようです
 想像するに韓国では急速な工業発展のため、農村の疲弊が激烈になり、こういう政策が必要だったのだと思います。
 予想される問題点はすべて現実化すると思います。
 カネ儲けにならないと判断した時の撤退。これでは休耕地が増えて以前のほうがましだったとなる。
 借りた農地の産廃地などへの転用。罰則は1億と重いようですが監視側の人材不足があれば不断に発生する力が働く。
 ムラの最後的「解体」。借地料の程度によりますが優良農地の耕作者の中からも農業放棄者が出てくると思います。農地を貸して農業労働者になる人も出るのでは。よそから来て企業耕作地で働く純粋の農業労働者もムラの入ってくるが低賃金、過重労働が想定される以上、飯場形式のような生活形態になり、ムラの生活との融和は不可能だろう。
 農業労働者になると労働は工場の生産ラインで働くのと感覚的には同じです。大自然相手の方が却ってきついかもしれません。 
生産性を求める企業は耕作地を集積し大規模な農地での機械化を促進しようとするが個々の契約事情次第である耕作地のとりまとめは困難。
 結局、中途半端に終わるのではないか。
 そして農村をさらに荒廃させるだけと。
 不勉強で分からないことがいっぱいある。
 なんですぐ資本への規制緩和につなげてしまうのか。ビジネスの論理から離れた耕作地の活用があると思う。
経済合理主義で問題を解決していくやり方は長期的視野にたった場合どうなのか。
 それから食育、文化の問題もあります。
 少なくとも中高年になったら、食い物には若い時と違った目を向けるべきです。現状、都会に住んでいれば最終的には自己規律の問題になってきますが適切な食育を学校時代に受けておれば抵抗感は少なくなります。

「大規模化することで農業問題が解決するかのような論を張ってい」る投稿者は,少なくとも「THE JOURNAL」では見掛けませんし,「コルホーズ」や「人民公社」を推奨する「スターリン主義者 毛沢東主義者」=「国家社会主義者」にもお目に掛かりません。もしそんなふうに,他人の投稿を全ての文章に目を配らないで,しかも偏向意識で読んでいるとしたら,読解力が小学生以下だ,というよりも,品性下劣で,悪質なデマゴーグだ,と非難されても,仕方ないでしょう。逆に,駕籠かきと飛脚時代の江戸時代の農業を,現代の農家に希望する病的な妄想患者はいますし,30年後か50年後、あるいはもっと先の将来に、日本の完全な食糧自給化が可能である,という幻覚イルージョンに捕らわれている誇大妄想患者は,未だに存在するようです。この種の論者などは「農本主義の極楽とんぼ」という酷評に値しますし,それこそ「笑ってしまいます」ね。日本の都道府県における農業の大規模化と言う場合に,イメージされる規模の大きさは,ご近所や田畑が隣接している数軒の農家の集合体が自主管理する程度の農地です。『「大規模」「小規模」はどこで線を引くのでしょうか』と山下惣一氏が言われるとおり,地域性の問題もあり,【大野和興:「新自由主義を超えた構想力を」―農業政策を考える(1)(2)】では,各投稿者はそれを踏まえて,限られた字数を考慮に入れて,真摯に論じ合っております。何様か知りませんが,不真面目な言い掛かりを付けられる覚えはありません。

良心派 様

ご推薦の大野和興氏の「新自由主義を超えた構想力を」のなかで、民主党の戸別所得補償政策について「新自由主義を所与の前提として受け入れるのではなく、同時代を生きる世界の農民が生きていける国際的な枠組みを構想し、そこに位置づけるという仕掛け方が必要なのではないか」と述べていますが、頭の悪い私にはその「国際的な枠組み」及び「そこに位置づける仕掛け」が具体的にどうのようなことなのか全く想像が出来ません。大変失礼ですがそれを具体的に分かりやすく述べない主張は価値がないように思います。あなた様の主張ではそれが理解できないようではここにもコメントする資格が無いということになるのでしょうが、読解力に優れ思慮深いあなた様にそれを分かりやすく解説して頂ければ有難く存じます。
また、あなた様のコメント「土地と農業機械類が必要な農家には国家や地域主権体が無償で紐付きなしで供給する。国際競争に備えて多額の投資をし経営規模の拡大を企図した意欲のある農民達の借入金は国家や地域主権体が弁済する責任と義務がある。もちろん国際化した現代社会で,一国内の政策だけで,農業問題が解決できるはずもありませんが。」について。
これは、基本的に規模を大きくする必要があると仰っているのではないのですか。
結局日本だけでは解決できないと結論付けておられますが、国際的にどの様な環境が必要とお考えなのですか。
私のようなレベルの低い人間でも分かるように単純明快にご教授頂きたくお願い申し上げます。

良心派 様

私は、現時点では以下のような方策を考えています(主に米について)。
私のような思慮浅き人間にはオブラートに包んだような難しい言葉は使えませんので単純な表現になりましたがご笑覧頂ければ幸いです。
国際化の現状に逆行するようですが現時点では日本の農業に国際競争力はありません。一部の農家は差別化をはかり輸出に活路を見出しているようですが残念ながらまだ少数です。

1.農産物の自由化は基本的にこれを認めない。
工業製品と農産物とは基本的に性格が違う。国土や気候に違いがあり公平な競争にならない。天変地異や気候異変により輸入がストップすれば国民が飢える。国民の食料を確保するのは国家の義務責任である。

2.減反政策を解除し米を作る作らないは農家の自由裁量とする。
当然ながら何をどれだけ作るかは農家の自由である。

3.できた米は全て国が適正価格で買い取る。
適正価格については議論が必要だが基本的に一定規模の農家が生活できるレベルにはしなければならないだろう。低規模農家については最低賃金的な発想も必要かもしれない。

4.できた米を全て買取り過剰となったら備蓄する。
将来何があるか分からない。パンや麺類などがゼロになったとしても国民が10年は食べられる量は備蓄する。それでも過剰となったら困っている国に無償で提供する。

5.個別の工夫や品質の差別化で価格競争に自信があり適正価格に不満がある場合は国内で生産することを止め海外で生産することをバックアップする。

6.米作の保護育成は国家の安全に関わる重要課題であるとの啓発を行う。

以上、自由経済に反することばかりですが、こと米に関してだけは経済の自由化・国際化などには当てはめてはいけないと考えています。もちろん、保護政策だけは進歩がありませんから同時に効率化を進めなければいけないのは言うまでもありません。現時点では、上記の政策を実行した上で大規模化や機械化を進めていけば良いと考えています。

私は、「大規模化することで農業問題が解決するかのような論を張っている人をTHE JOURNALでは見掛けない」とか「他人の投稿を全ての文章に目を配らないでしかも偏向意識で読んでいるとしたら読解力が小学生以下だ品性下劣で悪質なデマゴーグだ」とか「日本の完全な食糧自給化が可能であるという幻覚イルージョンに捕らわれている誇大妄想患者は未だに存在するようで、この種の論者などは農本主義の極楽とんぼという酷評に値しますし笑ってしまいますね」と見下し嘲笑するような方こそここでコメントする資格がないと思っています。相手が「小学生以下で品性下劣」とお考えなら相手にしないか論理的に諭すことが大人というものでしょう。これではあなたが「小学生以下で品性下劣」であると証明しているようなものです。

ブラジルにおいて小農支援の業務に携わっております。
僕自身30年間の日本での稲作百姓としての落ちこぼれです。自分のことをネタにするのは気が引けるのですが、亡き親父とともに3haの水田を耕してきた。もちろん兼業である。兼業だからこそ百姓ができたのである。9年間の大学も兼業した。米作りではあらゆる事に挑戦もし、数えきれない失敗もした。しかし、当時の稲作は国家管理の下で行われていたわけで、どんなに工夫し努力しようとも、売る自由はなかったのである。統治権力に抗して転作を受け入れなかった田んぼに機動隊まで投入する国家であった。
そして僕自身は規模拡大を目指したものの、結果として親族一同の帰れる場としての農家を守るために農業から撤退したのである。まさにフィジビリティースタディーの欠落であり、失敗の研究ばかりしてきた総集編であったと理解している。でもこれは統治権力側にも同様な問題があったことは間違いない。結局農政を弄び、稲作農業が立ち行かなくなり、政府の手に負えなくなり、崩壊寸前の稲作農業、地域社会を分断したあげく、作る自由だ売る自由だと言って政府は責任転嫁に奔走した訳である。せめてこうなる前にやってくれよと言わずにはいれない。そういう政治家を選んだのが農民自身だろうというのは正しいだろうか?むしろ僕の住んだ農村部はとっくに政権を見放していたというのが私の当時の見かたでしたが。
 
その後・・
 農業開発コンサルタントとして中東、アフリカ、東ティモール、パキスタン等で小規模農家への技術支援に携わってきた。落ちこぼれの僕がである。でも落ちこぼれだからこそできることがあったと、時が経つにつれ確信となってきている。ヨルダンイスラエル国境に近いサイトの近くでは地雷が爆発しサイトを変更した。アフリカでは食糧不足でサイトでも餓死者が出ていた。東ティモールは治安の悪化で撤退した。パキスタンでもサイトで自爆攻撃が相次ぎ、荷物も残したまま撤退であった。今は200万もの皆さんが難民状態である。今だに多くの零細農民が戦乱と混迷の中にあることも思い知らされる日々がここ10数年続いてきたのである。
 僕の反省からでもあるが、「農民には統治権力の偽善を見抜く力を、子供たちには大人の嘘を見抜く教育を」という想いを強くしている。

日本に一時帰国し、仰天・・・
「安全で美味しくて安い農産物を消費者に届けるのが農業者の役目である」と2007年の一時帰国の際にラジオで知識人とやらが宣っていた。日本のどこかの知識人とやらはこのレベルである。笑止千万ではないか。「貴方の標榜する市場原理、競争原理の下でこんなものが市場に出るんですか?本当にあるんだったら皆農業を止めて買いに行ったらいいじゃないですか!」と、一人ラジオの前で憤慨した記憶がある。
コストを大事にしようではないか。それぞれの国がそれぞれのコストを大事にしながら、その大きな差を認め、二元論的な開放か保護かではない第三の道を探るしかない。国際化は避けて通れないことでもあり、また世界国家はできていないわけであるから。
そして、例えばタイのコメが安いのはどうしてなのかな?という想像力の射程を延ばしていき、小規模、小作農民の実態を知れば、タイの米はもっと高くなければおかしいということに気付くかも知れない。自由、競争原理に最もそぐわないのが食糧であることは論を待たず、工業製品と同じ土俵で議論はできないという、ずっと言われ続けてきたことを、言い続けるしかないと思います。

マスコミに出ない農業者の声・・・・
 日本で常にマスコミに取り上げられ、発言する機会が与えられてきたのは、一部の大規模農家、農業法人、篤農家といわれる皆さん等。僕の記憶では、大多数の兼業農家の声をほとんどマスコミで聞いたことはない。日本農業の実態と誰が日本農業の主役であるかが伝わってこなかった。
 兼業ゆえに稲作農業は守られたし、農家としても存続でき、村社会も存続できてきたと確信している。地域社会には包摂力があったし、僕の村はかろうじてそれを保っていると考えているが、なにより農業政策により地域が分断され、地域の皆さんが引き受ける社会であった村が崩壊している。そのことを極めて厳しい環境下にある多くの途上国の農村で過ごす中で思い知らされている。

超大規模農業国ブラジルの憂鬱・・・・
 この課題には自ら関わることでもあり、また情報不足もあり今は発言できないが、この国が世界の食糧に大きなインパクトを与える存在であることは間違いない、一方で多くの小規模農家も抱え厳しい課題も抱えていることも事実である。いずれ報告させていただければと考えております。
 
 ひるがえって日本は凡そ5000万人分の主食(米)を生産できる農地が転作あるいは耕作放棄の状態にある。世界で何より深刻になりつつある水問題であるが、日本は雨が多く、灌漑施設も整備されている世界で最も稲作に適した国である。日本が農業国にならずしてどうするんだという想いである。それは、絶望感に襲われることもしばしばであった過酷な大地、途上国での農業技術開発支援の中で、僕の確信となってきたものである。
 僕も高齢者の仲間入りである。そろそろ日本で農業に復帰しようと考えている。じじばば農業で日本の子供たちの食を守りたいという希望を捨てていない。
 
それにしてもここは暑い。ここの百姓達は仕事できるのかと思ったらやはり皆昼寝である。僕も昼寝と思っても年のせいかなかなか眠れずに、日本語のリハビリを兼ねてこのコメントを書いております。長文になり申し訳ない。
御笑読いただければ。

[mansaku ]様  (2009年8月23日 00:56)

「民主党の戸別所得補償政策もまた、新自由主義を所与の前提として受け入れるのではなく、同時代を生きる世界の農民が生きていける国際的な枠組みを構想し、そこに位置づけるという仕掛け方が必要なのではないか」

大野和興氏のこの文章は「これはそのまま、近い将来来るであろう世界的な食糧危機への対応策となる。そうした大きな構想を伴って」と続いています。取りも直さず,すぐ上の「日本を含め米国やEUなどいわゆる先進諸国は、財政負担で自由貿易に揺らぐ自国の農民をサポートすることは出来る。だがアフリカや中南米、アジアの多くの国々では、そうした財政余力はなく、農民は裸で世界市場に投げ出され、農民として生きることができない状況におかれている。彼らが農民として生きていくため」には,高度資本主義消費社会化した第三次産業国が第一次産業国に対して,自国の文明が達成した各分野に渡る科学技術的成果を譲渡して,代わりに農産物を供給して貰う,という相互扶助の協定政策策定が結論である,と理解しました。

「あなた様の主張ではそれが理解できないようではここにもコメントする資格が無いということになる」のか?

先の[良心派]の書き込みは,[豊後の小兵衛]様が[良心派]を当てこすった[豊後の小兵衛]様の非礼に対する回答であり,[mansaku ]様は[豊後の小兵衛]様と[良心派]の【「友愛と共生社会」の実現へ(4)──日本人とユニテリアン思想】から始まった論争をご存じないと思われますので,取り立ててコメントするつもりはありません。もし【大野和興:「新自由主義を超えた構想力を」―農業政策を考える(1)(2)】も併せてお読みになって,異論があったら,お答えします。

「土地と農業機械類が必要な農家には国家や地域主権体が無償で紐付きなしで供給する。国際競争に備えて多額の投資をし経営規模の拡大を企図した意欲のある農民達の借入金は国家や地域主権体が弁済する責任と義務がある」この記述は,以下の指摘を踏まえた論旨で,農業は「基本的に規模を大きくする必要がある」とは言っておりません。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200710010013471

上記のURL『今年も米価が下がった 忍び寄る農業恐慌 コメ作りからの撤退が続く』の中で,大野和興氏が述べているコメの「取引さえ成立しない」「米価はとっくにコスト割れ」「国際競争に備えて多額の投資をし、経営規模の拡大をしてきた意欲ある農民」達は,「借入金返済が困難」になっていて,「これまで日本のコメ生産を支えてきた」「小規模・零細農家」もコメ作りからの撤退が増えてくる状況にある。「周囲を山々に囲まれた山間地、埼玉県秩父地方」の「典型的な零細農業地帯」でも,「耕作放棄田が目立つようにな」り,使用中の農業機械が壊れたら,買い換え不可能だから,農業は廃業する,という農民達もいる。

「国際的にどの様な環境が必要とお考えなのですか」

大野和興氏の提言を「良心派」なりに受け止めて,考察した第三次産業社会と第一次産業社会の相互扶助だと思います。

『「大規模化することで,農業問題が解決するかのような論を張っている人を,THE JOURNALでは見掛けない」とか「他人の投稿を,全ての文章に目を配らないで,しかも偏向意識で読んでいるとしたら,読解力が小学生以下だ,品性下劣で,悪質なデマゴーグだ」とか「日本の完全な食糧自給化が可能である,という幻覚イルージョンに捕らわれている誇大妄想患者は,未だに存在するようで、この種の論者などは,農本主義の極楽とんぼ,という酷評に値しますし,笑ってしまいますね」と見下し嘲笑するような方こそ,ここでコメントする資格がない,と思っています。相手が「小学生以下で,品性下劣」とお考えなら,相手にしないか,論理的に諭すことが大人というものでしょう。これではあなたが「小学生以下で品性下劣」であると証明しているようなものです』

すでに事情は説明したとおりですので,付記は致しません。論争をご覧になると,おわかりですが,農業問題に関して「良心派」との議論は打ち切る,と宣言したのは,「豊後の小兵衛」様です。それでいながら,『こんなことを書くと、「農本主義の極楽とんぼ」と批判する投稿者がいますが、その批判者が、大規模化することで農業問題が解決するかのような論を張っていて、笑ってしまいました。大規模化で農業問題が解決するなら、コルフォーズは言うに及ばず、彼の人民公社ですら、世界のビジネスモデルになったはずですが、そんな話しは聞こえてきません』などと的外れな言辞を弄しております。馬鹿らしいので,やめましょう。ブログが「トイレの落書き」呼ばわりされないように,お互いに気をつけましょう。

 


 

秋田県大潟村の農家から25年にわたって「あきたこまち」を購入している。
大潟村と言えばここの読者ならお分かりのように、八郎潟を干拓してできた村だ。
彼の農家も、国の募集に応募して水田の割り当てをもらい稲作を始めた。最初は塩分の強い水田で稲を育てるのに苦労したとのこと。
そして、国の方針が変わり、稲作が禁止となった。元々水田にする目的で干拓した土地である。畑に転換すると言うことは、最初から干拓をやり直さなければならないほどの土地。

そして彼の農家は仲間の農家と共に国の方針に反して稲作を続行した。
それをとめようとする国は、農民に向かって機動隊の隊列で弾圧をした。
その当時、農民を無理矢理のうちからひきづり抜く機動隊の姿がテレビのニュースなどになった。
後で彼に聞くと、テレビの取材に対して警察はわざと彼らを汚れさせて、みるからに犯罪者のようにして撮影させたとのこと。
それでも粘り強く彼らは稲作を強行すると、今度は農協が彼らの前に立ちふさがった。
また国は契約違反と言うことで、彼らに対して土地の返還を裁判に持ち込んだ。

国も農協も彼ら開拓農民の敵となり押しつぶそうとしているとき、彼らは稚拙な「ガリ版」刷りの葉書を全国に郵送した。

そこから私と彼とのお付き合いが始まった。
彼の作ったコメは農協が受け取らないので当然消費者との直接売買である。
当時は「闇米」と言われた。売る方も買う方も犯罪者。

それが今では、消費者と生産者との長い繋がりが、その農家自身の繁栄をもたらし、消費する我々には「顔の見えるコメ」の提供・「どのような不作時でも間違いなく供給する」という関係となった。
今彼の農家は堂々とした「農業か」として、長年の付き合いを暖めている。
当時国の政策に従った農家は、やはりその後辛酸をなめたとも彼から聞く。

我が国の農業を壊滅的にしたのは、その場その場の官僚の思いつきで農業政策を施行する農水省と、その手先となり農家を「前渡し金」などで縛り上げている農協である。

この制度を早く是正していかないと、農業は限りなく壊滅するだろう。

山下氏の書かれていることとは異なるコメントになっているが、私の長年の付き合いの農家の例を持って、農業政策の矛盾・反国民性を感じているので筆を執った次第である。

1.山下さんの農業者としての気概や自負や生き様には、深い敬意を表します。

2.一方で、彼の独善的な田母神毒文に感じたのと同じ「時代錯誤」を感じました。
勿論、亡霊の如き田母神の唾棄すべき「気概や自負や生き様」とは違って、敬意に値するものをお持ちであることは前記の通りですが・・。

3.例えば、AmongOthers、
1)私は、「問題や課題は、解決されるためにある=解決されるべく存在する」と確信している者です。その私の信念からすると、引用【「農業問題・食糧問題は農家の問題ではありません。これは消費者にとっての問題なのです。」・・・私にいわせれば、「それみたことか!」ですよ。】の前半には信念や生き様を含めて敬意を表しますが・・、後半特に【それみたことか!】と大仰に見栄を切ることの意味が全く不明であり、この部分が「独善的な亡霊田母神」を想起させるのでしょう。

2)末尾近くの言【「大規模」「小規模」はどこで線を引くのでしょうか。】という政府や周囲への批判的な切り口は、「尊敬されるべき農業者」の言としては、感心できません。
【「大規模」「小規模」】の境界線は、「夫々の農業者の生計が立つか否かの、限界規模」であり、その限界規模は、「生計に責任を持つ就業者の人数・生産品目・気象条件を含めた地理条件など複雑で多岐に亘る条件を網羅した各農業者が夫々に造り出す’最低ラインの生産性=損益分岐点’に懸っていること」は、失礼ながら自明であって、政治に押し着せられた「面積4ヘクタール以上」が不都合であったと今更不満気にご指摘があっても、何らの意味もないように思われますが・・。

「問題解決のためのヒント(私見)」

私の前回投稿 無国籍人 | 2009年8月23日 20:33が、私の意に反して一部に、
山下さんに失礼なもの言いになってしまった点をお詫びします。
観点を、前回投稿の「山下論への直接的な私見」から、普遍性を意識して「問題解決のためのヒント(私見)」に替えて補足させて戴きます。

1.農業の収益性など「事業の継続性(※注1)」が多くのケースで解決できないという問題が原因して、次のような深刻な脅威が広く強く訴えられている状況下にあって・・、
  (※注1)この要素は、現代の全ての経営主体にとって非常に大きくて重要な要素であり、SustainabilityやGoingConcernと複数の言葉で表されている。

1)日本国の食糧自給率などの視点から、「食糧安保」の脅威となっている。
2)日本全体の「農地の自然保持力」が損なわれて、例えばエコロジーにも脅威となっている。
3)それらの脅威が束になって、日本古来の「瑞穂、みずほ」の文化的特質までもが脅威に曝されている。

2.何故(なにゆえ)に、
1)経営論を導入して成功している農業者からの「現代の経営論は農業にも有効だ」という主張が、大きな影響力を持たないのだろうか?
大きな広がりを持つ「実際の経営論的活動」とならないのだろうか?
2)事態が動かず停滞したままに、「言葉の遣り取り(※注2)」だけで時間が過ぎているのだろうか?    (※注2)本来なら「議論」と表現したいが、私の定義では、成果を求めない、単なる「言葉の遣り取り」は、「議論」とは言わない。

3.想定される一つの原因は・・、
多くの農業者に「農業への過剰な思い入れがあり、農業が事業ではなく生活や人生そのもの」となっており、その一体性というか未分化の状況が、「科学である経営論を食わずに嫌っている」ないし「排他主義となっている」と思われる。

無国籍人 様

私のような無学なものにはあなたが結局何が仰りたいのか理解できません(言葉が難しい)。現状を分析し論評することは重要ですが、現状を踏まえた具体的な「処方箋」は何なのですか?あなた様のよしとする「処方箋」は何なのですか?
現状分析や評論などには食傷しています。評論だけして処方箋を示さないことは評論自体に価値がないことと考えます。
私は皆様の具体的かつ率直なご意見を伺い議論を深めながら自分自身も高めていきたいと思っています。大人になると自分を飾るものなのですね。徹夜で議論した学生時代が懐かしい。

ブラジル片田舎からです。
 議論とかディペートという類の話ではないかもしれませんが、少し視点を変えてみようと思ったところです。
 それは、食糧自給率を農業生産との関わりから議論することも重要だと思います。一方、日本の食事、食生活から検証してみるのも大事なのではないでしょうか。
もし、日本人の現在の「食」を復古主義ではありませんが、コメの消費量が一人150kgを超えていた当時の食で考えてみると、自給率の低下の大きな要因は生産の問題より先に消費、いわゆる「食の中身」の大きな変化にあったのではないかと考えます。
経済成長の証でもあり食の多様化は日本の豊かさの象徴でもあったと思います。それはそれで僕自身も肯定できます。ただそこで、今の「食」をそのまま享受しようとするならば、それは到底自給率が簡単に回復することはないだろうと想像します。そろそろ僕たちの「食」について再考し、言い方が間違っているかもしれませんが日本の農業生産環境に合った食を少しづつ取り戻すというのはどうでしょうか?
外食産業の一部を否定するつもりもありません、むしろ新たなビジネスチャンスがそこに見えてくるかもしれませんね。
 僕は、いつも考えさせられています。日本に帰国中はいわゆる血中コレステロールや中性脂肪の数値が高く不健康な僕ですが、海外での業務に就くと、日本で服用していた減コレステロール薬等は必要ありません。その繰り返しで、日本での生活が怖かったのです。美味しいものは食わずにはいられないという卑しい人間なだけですが。
 海外で健康?になる理由は明確です。間食なしのシンプルな食事でした。かなり楽しみは減るかもしれませんが、腹を減らして食すれば、毎日同じものでも美味しくいただけます。またやわらかい肉だけが美味しいのでないのです。ブラジルの塩漬けの草鞋を噛むようなかたい肉もこれまた旨いのです。酸っぱいりんご紅玉も旨かったですよね。苦味のあるきうりもスリルもあって旨くもあった。
すいません、海外にいて日本の食い物の話になると一日中盛り上がって話すことができるんものですので。

 昨日の上さんとの電話。 
 スーパーに行って美味しそうなホウレンソウがあったので買ってきたそうです。そしてよくよく見たら生産者の名前が同居している、車も運手する83歳の現役百姓の義母であったということです。屋敷内にあるハウスで確かめるのを忘れてしまったわ!という。悔しいのか、うれしいのか、笑うだけなのか、少しホームシックになりそうな瞬間でした。僕の家はまだ農家だと思ってはいるものの、死ぬまで親を働かせるのかと、周囲からは言われている僕ですが、「そうだ」と答えています。きっと母親もそうしたいと望んでいると勝手に想像しながら、僕自身の百姓復帰の日を楽しみにしている。
 戯言をお許しください。

基本的なこととして、農業に関する議論を聞く度に、どの方も正論を言っているものの、どこかで何かすれ違いや違和感を感じます。

その原因の一つは、色々な視点が混じってしまっていることだという気がします。

例えば、農業者の立場の人の発言は、単に自分達の経験や心情、状況を淡々と述べることが多く、それが、非農業者の方から見ると「じゃあ一体どうしたらいいの?」という意見になって出てくるのでしょう。一方で、非農業者の方の意見は、地球環境や水田の保護、日本の食のあり方、あるいは食料安保の観点などの大所高所からの意見が多いように思います。さらに議論を複雑にしているのは、いずれの方も両方の視点が混じったりすることです。また農業といっても色々な形態があり一口ではいえないという状況も更に輪をかけます。一体何を指しているのかいちいち書かないと正確な議論にならないからです。これらの状況が議論しにくいまたは拡散を招いているといえます。

何故農業者の方があまり意見を表明せずに心情やおかれた状況を淡々と書くのでしょうか?実はそこに理解のためのヒントがあります。

私の実家は小規模農家ですが、現在は東京に住んで第三次産業に従事していますので両方の立場について、理屈としても心情としてもある程度理解できていると思っています。
大野和興:「新自由主義を超えた構想力を」―農業政策を考える(2)
でもコメントしブログで農業について書きましたが、その際もできるだけ意見を書かずにどういった状況におかれ、どういう心情なのかを書いてきました。意見を書く際も○○かもしれないという風な書き方をしてきました。

それは何故か?

まず一点目は、まず現状を正確に理解し、把握しないと議論すらできないと思うからです。だから議論する前に農家を取り巻く現状やそこで働く人たちの心情について理解して欲しい。そう思って意見を入れずに情報のみを提供しているということです。それも自分の判っている範囲だけで。

それを読んだ都市部の方からすると、「農家はこんなに大変なんだよ!だから援助してくれよ!」と遠まわしに言っているように捕らえる方もいるかもしれませんが、そうではありません。農業者にも色々いると思いますが、概して独立心が強いと思います。援助なんかして欲しくない人が大多数でしょう。自由化反対というのは、是非はともかくとして援助なしでやっていきたいというの一つの現われだと思っています。だから援助してくれなんて言っているわけではない。

現状を淡々と書く理由は、知って欲しい、理解して欲しいからです。事実誤認の状態で議論されるのは嫌だからです。でも、非農業者の方の議論を見ると、どれも一面真実だけど、どうも何か違う。実態が感覚として理解されていないように思う。だからまたしつこく情報を提供する。そいういった繰り返しのように思います。

二点目は、一点目にも関連しますが、農業をどうすべきか考えるのは農家ではないからです。私自身、前掲の記事のコメントにそう書きましたし、山下さまが書かれている『農業問題・食糧問題は農家の問題ではありません』もそうでしょう。それをもっとストレートに、刺激的に書くと、『私にいわせれば、「それみたことか!」ですよ。』になる。ただ、当事者である農業者がこう書いてしまうと、(日本人を止めた)無国籍人さまのように、「なんだか独善的だな」と言うような感想になってしまう。

でも、これは真実です。過激な書き方をすると、個々の農家にとってみれば日本の食料安保なんてどうでもよいのです。水田がなくなると保水力が失われるとか言われていますがどうでもよいのです。気になっているのは自分達の土地がとっ散らかっているかどうか。次の世代が引き継ぐのかどうか。自分達の生活が持続可能かどうか、要は身の回りだけなのです。極論すれば、日本の農業が衰退しようが、日本が食に困る時代が来ようが知ったことではない。こう書くと、まるで脅しているように捕らえられるかもしれませんが、そうではありません。それは、前の記事のコメントで書いたように既に農業とはいえない実態であるし、本人達の意識も職業というより生活そのものだからです。職業ならばともかくも、何で自分の家の中、極々私的な事で天下国家を論じなければならないの?そんなに大事にされても困る・・そういう心情です。

感覚として理解されていないというのはそういう事です。よく農家に対して、「どうすればよいですか?」みたいな質問が出されます。もちろん判らないから仕方ないのですが、ただ、現状把握のために質問するならともかく、どの方向に向かえばよいかという質問は農家にする質問ではありません。自分達の問題として捕らえていない。そもそもの視点がおかしいのです。

食料安保などの国レベルの問題は、国民皆で考えるべき話なのです。それなのに、農家にそれを求めるから、違うでしょと言う思いで、山下さまのような書き方になる。むしろ、当事者である農家は情報は提供しても意見は述べない方が良いとすら思っています。農業だけでは食べていけない状況であるならば、まな板の上の鯉のようなものであり、鯉はただ黙ってどう料理されるのかを待つだけです。もう要らないよと言われれば黙って退場するのみですし、今は実質その状態です。もちろん、農家であっても消費者としての一面もありますので発言することもかまいませんが。当事者が発言しても色眼鏡で見られてしまうのも確かです。

一連の農業者の方の記事についているコメントを見た感想はそういったところです。

なお、私は都市部の人間ですので、そちらの立場で意見や見解を書くことはできます。このコメントは農家側の立場として書きましたので、それはまた別に書きたいと思います。

[BT]様(2009年8月24日 18:35)の発言は,私なりに理解しているつもりですが,未だ至らないに違いない,とは,十分に反省しております。ただ山下惣一氏の論説に関して,[山中閉居]様(2009年8月23日 18:17)や[(日本人を止めた)無国籍人]様(2009年8月23日 20:33)の異議が出てくるのは,戦後の農地改革以後,農村部が現在の自民党に繋がる保守政治を支持してきた,という誰しもが認めて,主張する事実が存在するからなのではないでしょうか。(農民層が保守党に投票した,という選挙結果の公式データを探しましたが,見つかりません。これまでの選挙について,各論者達が分析して,論じている論述からの借用です)要するに,農民達が保守党を担いできた結果,農家は割を食う窮状に陥ったんじゃないのか? 必ずしも「消費者であるお前達よ,それみたことか」ではないだろう? という疑問が,上記のお二人の胸に兆している。私にはそう思えるのですが,如何でしょう。日本国家の旧満州政策の被害者となった開拓民が,引き揚げ後,六ヶ所村・上弥栄村落に再度入植して,悲惨な人生を味わった戦後史が,歴史的必然性をもって惹起する経済状況に,強権的にしか,非民主的にしか対応できなかった無謀な政治の実態として,思い起こされます。

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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