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« 自民党は3度死ぬ?──が、今度ばかりはゾンビ化も出来ない
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都議選結果が示す「自民党大敗」の予兆──自公協力の綻びがそれに輪をかける? »

公明党よ いまこそ目を覚ませ

二見伸明氏(元衆議院議員・誇り高き自由人)

 政府・与党の話し合いで、総選挙は8月18日公示、30日投票に決まった。自民党が惨敗する中で、公明党が、得票を減らしたとはいえ、23人全員当選を果たしたことは、組織力の強さを見せつけたと言えよう。しかし、都議選の結果は、自公の蜜月に決定的な別れを告げるものになるだろう。一人区で、自民党は完敗した。自民党内には「公明と手を切れ」との声が出ている。中央区は、かつて公明党が、二人区の時代に一議席もっていて、それなりに強い組織力がある。にもかかわらず、実力者の自民党候補が、無名で若い民主候補に、あっけなく敗れた。中央区には築地卸売市場移転という争点があるが、区民はこの問題に「ノー」の意思を示しただけでなく、自公政権そのものを否定したのである。

 都議選の各党の得票数は、自民党1,458,108(前回 1,339,548)、118,560増、民主党2,298,494(同 1,070,893)1,227,591増、公明党743,427(同 786,292)、42,865減、日本共産党707,602(同 680,200),27,402増――である。投票率が10ポイント上がった中で、得票減は公明党だけである。公明党はこの冷厳な事実を直視した方がいい。

 私は「自公政権の液状化」に言及した前々回、「権力はアメーバーだ。アメーバーは生き延びるために、どのような姿にでも変身する」と書いたが、今回は、もっと露骨に、いまの自民党は、自前で餌も探せなくなり、人の血を吸い取る「吸血鬼」に成り下がったと言いたい。自民党が、体質改善をするために、社民党や公明党と連立したのであれば、反対はしなかった。しかし、現実は違う。権力を死守するために、やみくもに「数合わせ」をした挙句、この党は「護憲政党」の血を吸って、「改憲・右傾化路線」を走り、自由党を餌にして、公明党を釣り上げ、血を吸い、肉を喰らい、「平和・福祉」を切り捨てたのである。

 知り合いの公明党支持者は「自民党にだまされて、利用されただけだ」と不満を漏らしている。両党の底辺では疑心暗鬼が渦巻いているのである。公明党の得票減を、「民主党への風」のせいと総括するのではなく、明確な理由と原因があることを、公明党の中枢幹部は知るべきである。

 公明党は衆議院総選挙戦略を、小選挙区から撤退する方向で抜本的に、勇気をもって、変更したほうがいい。「自公政権の枠組み」を否定する輿論(世論ではない)に抗して小選挙区で戦えば、自民党に残り血を吸われ、惨敗するだけである。自民党が、民主党に対抗する政策は「霞ヶ関」に丸投げして、生き残りに夢中になっているこの時期こそ、公明党にとって、連立からの離脱を宣言し、「是は是とし、非は非とする」健全野党に立ち返ることを表明する絶好のチャンスだと思う。日本の政治に激震が走るかもしれない。しかし、30年、50年後の政治史で「賢明な行動だった」と、高い歴史的評価を受けるであろう。

 私は、自民党は4,5年間、下野し、冷や飯を喰って、長すぎた執権時代のアカを殺ぎ落とし、身ぎれいになり、官僚に丸投げしないですむ「脳力(能力ではない)」を養ってから、再登場しても遅くはないと思っている。

 公明党よ いまこそ目を覚ませ。

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【プロフィール】 二見伸明(ふたみ・のぶあき)
1935年2月10日生まれ。69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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マニフェストはいくら良い事書いても、実行されなければ、それは絵に描いた餅だ。その事は公明党は百も承知していて、公明党議員の口から暗に自公からの離脱の可能性があるとの話が出ている。下手に自民を小選挙区で応援するより、どうせ小選挙区で勝てないなら、比例で生き延びる算段をした方が良いのでは、、、。逆に共産党も勝てない小選挙区にあちこち立候補させ、民主の脚を引っ張り泥舟に手を貸してどうするのかと言いたい。安らかに眠らせてあげるのも武士のなさけではありませんか?共産党が武士か否かは知りませんが、、、。

<二見様>
ご苦労様です。いつも解りやすく、納得できる記事をありがとうございます。
しかし、今回ばかりは少し反論させて頂きます。二見さんが、古巣を心配されるお気持ちは良く解ります。>自由党を餌にして、公明党を釣り上げ、血を吸い、肉を喰らい、「平和・福祉」を切り捨てたのである。
 知り合いの公明党支持者は「自民党にだまされて、利用されただけだ」と不満を漏らしている。<
とのお話にはとても同意できません。なぜなら、障害者自立支援法も後期高齢者医療制度も全て坂口厚生労働大臣時代に決められたからです。つまり、福祉切り捨ては防ごうと思えば防げたのに防がなかった。とにかく政権与党にいる事が目的の党など百害あって一利なし、です。もともと公明党は、地方議会からスタートしたと記憶していますが、子供の頃、両親の知り合いの社会党地方議員が「地方議会の公明党は自民党より悪どい」といっていた事は鮮明に覚えています。おたかさんブームの時、国民は消費税反対の意思を示しました。いわゆる山が動いたのに、公明党は反対を表明していたはずが、いつの間にか自民党と取引し、消費税賛成にまわり、国民の意思を無下にしました。是是非非といいながら、常に政権に擦り寄ってきた公明党は、私にとっては最も信用ならない政党です。宗教団体として、どこかの政党を支持するのは構わないので、政党としては存在して欲しくありません。
昼のニュースで古賀氏が選対本部長を辞任しました。都議選の責任をとるとの言ですが、本心は麻生になんか構ってられない、自分の選挙に集中したい、という事でしょう。東国原の担ぎだしも、自身の選挙応援をしてほしかった、と平野さんがTVでいっていました。自民党は政党の体をなしてない状況になってきました。解散がきまった途端に選挙の最高責任者が逃げるって、ある意味スゴイですね。本当に麻生で解散できるのか?まだまだ気が許せません。

そもそも公明党は「平和・福祉」の党であったのですか?自民党に食われたのではなく、自民党を思想無き集団に変えたのは公明党の方ではありませんか?公明党の英語読みにはNewという文字が入っています。自民党が下野しアカを落すのは当然ですが、公明党の責任は連立を離脱したからといって払拭されるものではありません。連立解消で禊ぎが終わるほど軽いものではありません。

 二見さん、勇気ある発言に敬意を表したい。貴兄の言は古巣に対する愛情にあふれ、甘いかも知れないが、心ある公明党、創価学会の方々にその思いが届くことを期待したい。

 いま、平野さんが某サイトで「『政(まつりごと)の心』を求めて」を連載しているが、私が知るその昔の創価学会には、その心があったと思う。
 高野さんも書いているように、次の100年をうらなう一大事変が起きようとしている今、創価学会のみならず、すべての宗教界もその原点を問い直し、「葬式仏教」などと揶揄されないよう、良い意味での政治参加を求めたい。
 明治政府の「廃仏毀釈」も時間を掛けて見直すべきである。日本人の「いい加減宗教観」、それは単一信教でなりたつ国にとっては理解不能とも思えるが、何しろ仏壇にも、神棚にも納まらない「山の神」が一家をみかじめる国など、寡聞にして私は知らない。
 もう、諸外国のまねごとはなしにして、縄文暦12009年を歴史の遺る年にしたいものである。

 そこで、ちこっと尋ねるが、世論と輿論はなにがどう違うのかな?。

豊後の小兵衛

公明党は野党であるべきだ。宗教に国家的権力を近ずける、一般人の不安は想像以上のものがある。大田代表になってからの公明党はまるで自民党と変わらない。公明党は福祉と平和の党として売り出したはずだが、公明党が全く逆の道に載せられている姿を見せられている。いろいろへ理屈を言っているがとても信じがたい。現代に於ける平和の概念に、戦争、戦争援護は当てはまらない。平和を今求めるのは、核廃絶でも解る様に戦争に関する一切を放棄する事だ。公明党が与党でいる価値は、其れらを内部(自民党に対して)反対する事だ。学会員にも問うてみるべきだ。学会トップの言い成りに成っていれば、政教分離ではなく合流は憲法違反だ。その上で学会員に選挙の全てを依存している政党に一般人は目を背け、平和と福祉の党とは誰も認めない。何も知らずに手弁当で頑張る学会員をも裏切っている事にならないのか?

「血を吸い、肉を喰らい」したのは公明党の方もお互い様。
元々平和・福祉は表向きで実態は組織防衛が目的。
「30年、50年後の政治史で賢明な行動だったと、高い歴史的評価」を受けたいならば
政治自体から撤退すべき。

公明党は政権与党にあるがために自民と手を組んだのですよね。もはや下野を避けられない自民と「連立」とか「共闘」もないのですから、速やかに「連立離脱」の宣言をすべきです。

 二見先生の公明党に関するご心情は理解できますが公明党の支母体は創価学会ですね。
 この一言に尽きます。
 全ては池田大作会長に帰結します。公明党は学会を守るために存在するので常に権力側に擦り寄る必要があるわけです。
 公明党創価学会は反省し、憲法を遵守し、解党し純粋な福祉と平和を愛する宗教団体として原点に返り出直すべきです。

まったく個人的な体験としてですが、創価学会が宗門ともめた御家騒動以降、公明党もおかしくなってきましたよ。彼ら流に言わせると罰でも当たったとしか思えない。

創価学会は池田大作教。
ゆえに公明党は池田大作党。
池田大作氏はなんとしてもノーベル平和賞が欲しいようで色々工作しているようですが、勘弁願いたい。
私には公明党は結果的に池田大作氏を守りたいがために政権に擦り寄っただけではないかと思えてならない。
中央省庁、とくに法務省にも創価大学卒の官僚が多く入り込んでいると聞くとさらに邪推は膨らむ。
私の中学の友人にも学会信者がいて選挙の季節になると電話で公明党候補者へ投票の催促を受けたものだった。
その頃の私は今のような政治意識など持ち合わせていない、社会のことも別にどうなろうが知ったことではないと高を括っていたので友人の頼みなら、と二つ返事で票を投じたこともあった。
友人も会えば普通にバカ話をしあう、別段変わったわけでもないいやつだったが、いつだったかもう一人の友人がそいつの前で創価学会の勧誘に悩まされている、正直迷惑なのでオマエ断ってくれと打ち明けたら、件の友人が烈火のごとく怒り出し、学会に入ることは素晴らしいことだぞ、なんで迷惑なんだ?と逆に迷惑がっている友人を問い詰めだした。
そうこうしているうちに友人同士、揉めあいだして小競り合いになってしまい胸倉をつかみ手が出て大声で罵りあうような状況になってしまった。
私は二人の間に入り、必死でなだめたが二人の仲はそれから修復することはなく、私もそのことがあって疎遠になった。
翌年、市議選で投票よろしくの葉書きがきたが電話をかけて断って後、彼と音信は途絶え今に至っている。
これは私的な思い出で勿論、学会員を貶めようというつもりで書いているわけではない。
むしろ逆で学会員だった友人も真剣に学会のためにと良かれと思いこうした活動をやっているのだろう。
だが、翻ってみればこうした末端の学会員の思いが独善主義に陥って結果的に自分たちの城を守りたいがための防衛策に利用だけされているのだとすればこれは一人の学会員の純粋な思いは捻じ曲げられ、いかに野心のない純粋に平和や福祉を実現するためといってもにわかには信じられなくなるものだ。
まして政権党に着く公明党ははっきりと自民党に護憲政党として歯止めを促してきたと胸を張っていえる功績があるのか疑わしい。
一人の純粋な信者も無数になれば無謬の誤信者の群れになる。
宗教指導者やその取り巻きの意を受けて組織防衛のために暴走し自滅した宗教組織たとえばオウム真理教も政治組織に活路を見出そうと試みたが失敗に終わった。
いままた幸福の科学がけたたましいスポットCMを大量に流して幸福実現とかなんとか言っているが、要は単なる組織防衛に過ぎない。
そんなものを見せられるのはまっぴらごめんだ。

公明党に対する民主党のスタンス、残る2つの選挙区ではっきりしますね。
昨日のBS11では、赤松選対は太田代表のところには候補者を立てたくなさそうでしたが、小沢代行はそうではない?・・・こともない?・・・代行の決断待ちらしい。
冬柴兵庫8区は既に決まっているとのこと。名前が挙がったことのある人らしい。私はカツヤかはたまたヤッシー田中と睨んだのですが、テレビの見すぎか。解散後の発表が待ち遠しい。

公明党って、日本に必要ですか?

私は必要ないと思います。

創価学会はあってもいいし、信心するのは自由です。
でも宗教団体丸抱えの政党が必要なのか?といえばそれはノーです。
一度解党した時も公明党がなくなっても世の中は良くも悪くもならなかったし…。

あるブログ記事によれば、公明党はすでに自民党を捨てたようですよ。東京12区に弱い候補者しか立てないことを条件に、自民党に票を回さないことを民主党に申し出ているということです。赤松氏が候補擁立に消極的に見えるのもそのためですかね。
いずれにせよ、この取引の成否は東京12区の候補者が決まったときに分かります。
私自身は公明党の猛省を促すためにも、民主党にはこんな話には乗ってもらいたくありませんが。

矢野元公明党委員長が著した「黒い手帳」を読むと公明党の母体である創価学会の体質はオウム真理教と変わらないことがよく分かる。
こんなカルト集団が政権与党に存在することこそ日本の恥であり危険なことでもある。オウム真理教による地下鉄サリン事件の二の舞ならぬよう、公安当局は創価学会をしっかり監視すべきだろう。

> 公明党よ いまこそ目を覚ませ

ということですが、別に目を覚まさなくてもいいです。
政治から手を引いて、宗教活動に専念すること、それだけを望みますね。

人それぞれの信念、信条を否定するつもりはありません。
でも政治においては信念信条においてその事を分かりやすくそして一般的な合理性に元付いて執り行うのが政治だと思うのです。
宗教はここに一般的な合理性を持たないと思うのです。
近所のおばさんは選挙前になると必ず「公明党の誰それお願いします。」とかけてきます。
こんなファッショ的な政党がもしかりに政権を担ったら何が起こるのか想像すると恐怖です。

>公明党は衆議院総選挙戦略を、小選挙区から撤退する方向で抜本的に、
>勇気をもって、変更したほうがいい。
(中略)
>連立からの離脱を宣言し「是は是とし、非は非とする」健全野党に立ち返る

公明党は参議院のみ、または発展的解消するのがよいと思います。
それで、創価学会も政治的フリーハンドを持てば良い。
っていうか、学会員一人一人は、最後に投票箱に入れるときは
自由なんだから、自由意志で投票すれば良いと思います。

現在の公明党の姿を見ると、昔の支援者やOB議員には
悲しんでいる方もおられるのではないでしょうか?
少なくとも市川さんの時代までは「是々非々路線」で
与野党なんてレベルでなく、話せば分かる大局観があった。

(記憶と解釈が正しいか自信がありませんが)
バブル崩壊、住専問題のころ
小沢一郎が救国の想いで、旧知の小渕首相と日本を支えた時
公明党の政権参加も大儀名分があったように思ったが..
経済が回復基調になった時点で、公明党も政権離脱すればよかった。
今の公明党議員は、自民党議員と同じ嫌な感じがする。
国民の側から離れることを、へんに政治的割り切りとして
自己都合で正当化し、建前で押すようになっている。
すっかり、泥水に染まってしまったように感じます。
もう、公明党に「国民の側に立て!」と言う気になれない。

二見伸明さま

公明党はこの10年間、自民党と連立内閣を形成してきました。与党として総選挙に臨む姿勢は、これまでの政権運営に対する国民の審判を受けることにあります。公明党創価学会は来る8月30日の衆議院選挙においても、全力で自民党を応援し、潔く敗れるべきです。公明党は惨憺たる敗北の中から、立ち上がらなければなりません。

1994年12月、地方の一地区部長として新進党の誕生を祝福し、これによって創価学会員の政党支持の自由と創価学会出身の国会議員の政党所属の自由を実現することができるようになるだろうと期待していました。その希望は1997年12月の新進党解党によって打ち砕かれました。公明党創価学会は自民党の執拗な宗教攻撃に根を上げ、またぞろ自民党を脅かすことのない公明党という安全地帯に逃げ込んでしましました。その果てが自公連立政権でした。

宗教団体の教義もないに等しい「単なる信徒集団」を東京都が宗教法人と認めた時点からそもそもおかしいのです。末端信徒が気の毒です。醜く肥り脂ぎった宗教指導者なんて古今東西いない事が
なんで判らないのかそれこそ信じられません。

今の日本、
3つのアメーバ(別名シロアリ)が、全国の組織のいたる所に侵食している。行政組織(検察、警察含む)・公共団体・司法組織・メディア等。

官僚という名のアメーバ。
カルトという名のアメーバ。
外資(C○A)&闇勢力という名のアメーバ。

たとえ、民主党が野党連立で政権交代ができても、上記の3大アメーバを退治することは至難のことである。
政治家と国民のオール軍団で事に当たらないと、大掃除は無理である。

故に、数年を経て、頃合を見て「馬糞の川流れ」自民党からでた憂国の志士とタッグを組んで、これらに当たらないと事は成就しない。

小生は、すでにこのことを小沢一郎は考えていると思う。

60年間たまった垢を掃除するには、10年~30年は要する。

いつも、納得する記事にスベリ台のように、頭に入ります。

これからも、ご活躍期待いたします。

公明もバカな集団とは思いません・・かわらなければ破滅ではないでしょうか・・・。

残念ながら、これは日本国民の「怠慢」と言わざるを得ません。

1960年代に、日本社会党が没落して行く事と逆に、創価学会が拡大し、公明党も議席を伸ばしたのです。

これは何故なのでしょう・・・。

日本社会党が「取り合わず、無視した」一部日本国民に、創価学会が「手を差し伸べた」からです。

結局、「世界の民主主義国家」の「潮流」に反し、日本国民は、自由民主党に「代われる」政党を作ってきませんでした。

誰が唱えたのか、「政治三流・経済一流」に「安住」し、「一流」の経済界の謂うがままに「政治」が動き、「派遣村」の登場で「政治三流・経済三流」が決定的に成り、正確に言うなら「経済界に支配される政治」に堕してしまったのです。

これが背景の為か、公明党・創価学会は、宗教団体としては珍しく、「前世」より「実利」を大事にし、日本国民はその方向に走ったので、余り公明党・創価学会に文句は付けられません。

まあ、公明党は「派遣村」に対して何のコメントも遣さないのは奇妙です。「あの自由民主党」だって「遣した」のに・・・。

以下のURL参照;

http://www.news.janjan.jp/living/0907/0907026182/1.php

公明党・創価学会に「生活困窮者」が居ないとは、思えませんが・・・。

二見様

いつも二見様の明晰な”論”に同感しているものです。しかし、今回の公明党に関しては、賛同致しかねます。単に公明党は、目を覚ますだけの問題ではないように思います。
 ”福祉”や”生活者擁護”を口にしますが、実際は、自民党と言う権力に擦り寄って、庶民いじめの片棒を担いできただけです。また、創価学会との一体的な組織形態から、実質は政教分離はなされておらず、池田大作氏の権力志向に従っている、前近代的な政党です。宗教ですから、理屈ではない世界があり、言論出版妨害や盗聴問題など、反社会的な事例も多くあります。また、検察や警察、裁判官に、多くの創価学会員がいて”権力行使”をしている、とも聞きます。
 さらに、中国との関係も、中国共産党との親密な関係も強く感じられ、前近代的な体質に似通った感じを持っています。
 二見様、宗教がバックにある政党です。認識が甘いのではないでしょうか?
 私は、公明党が政権を取れば、間違いなく、陰湿な”警察国家”が出現する、と思っています。まず、明確な政教分離を行ってから(法的な整備も要りますが)の話と思います。

公明党の力を削ぐには、簡単な話、宗教法人への課税をやればいいんです。

公明党は政権与党にあって、しかも建設大臣ポストを長くやってたせいなのか、池田講堂が各地に次々と出来ています。不況の煽りを受けた企業の工場跡地とかにでかい講堂を作ってます。

あれって無税なんですよね?で、自分たちの政治活動に使っていると。

どっから見ても政教分離なんてあり得ないじゃないですか?

そういった施設を政治活動に使うって言うんなら「税金払え!」って言いたいね。

都議選以来、投稿者コメントの品位が著しく低下してきましたね。ほかの記事でも同じです。民主党支持者というのはこんなにも人格や知性が低劣だったのでしょうか。

『在日』が含まれたコメントが削除されていません。不当に差別的な意味が込めて用いられているので抗議します。

日本国憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

9条改憲論が持ち上がるたびに「日本の憲法はGHQに押し付けられた憲法だ」という論が沸騰する。ならばGHQはなぜこの条文を憲法に持ち込んだかという事だ。戦前から戦中に行われた天皇奉賛政策。具体的にどういったらよいか解らないが、集団自決や特攻隊の自爆を語るときに必ず語られる、天皇陛下万歳のエピソード。天皇陛下の肖像の前で読まれた教育勅語、学校に置かれた鳥居。外国人から日本の政治形態を見たとき、国家神道による宗教政策の弊害という見方をされていたように思う。だからこそ、作成者は憲法の条文にこれを盛り込んだのではないか。
ともすると日本では「政教分離」を言葉だけで語る傾向が強い。それは、宗教と政治と結び付いた時の悲惨な歴史を、日本人自身が実感していない事と、そういう歴史認識がないためだと思う。宗教と政治が結びついた時の陰惨な歴史を紐解くなら、欧州のキリスト教と政治にまつわる史実を見れば理解できる。だからこそ欧州は憲法や法律で宗教と政治が結びつく事が出来ないように腐心するのだと思う。
ここで、宗教が政治に参加する事だけを批判する人が多いが、それは片手落ちだという事は知ってほしい。一番怖いのは、宗教が政治を利用する事ではなく、政治が宗教を利用する事だ。憲法二十条の条文を改めて良く考えてほしい。また、日本人もかこそういう事を行った史実が有るという事を、認識してほしい。
公明党の問題に関しては、個人的には解党すべきだと思う。しかし、ほとんどの人が無意識でいるアメリカのキリスト教原理主義のような、特定宗教によるロビー活動の方が、もっと恐ろしものである事には、気がついてほしい。日本人は宗教に無関心である事を誇りにする嫌いが有るが、それゆえに、真の信仰がいかなる者かを知らない。だからこそ宗教を論理的に捉え、真の哲学観を精査する力に欠けているのも事実である。
日本には、多くの信仰宗教があり、問題を起こすたびに、些末な法律で処理され教団が存続するのはなぜか、胸に手を当てて考えるべきだ。この憲法の問題は単に公明党の問題だけではなく、日本人が逃げずに考えるべき、宗教やそれに付随する生死観、倫理観に付随する宿題だ。

 皆さん、創価学会・公明党にはいたくご不満の様相にて、少し意見を述べたいが、かくいう私も、現在の創価学会に対する思いは皆さんと同じであることをまずお断りしておく。

 二見さんのプロフィールに「97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加」とあるが、この時、二見さんと行動を共にしたのは、次の総選挙に向けて東京15区から出馬する東祥三氏と、今は黄泉の国へ旅立った福岡県久留米市出身の権藤恒夫氏の3名であるである。
 私は、故権藤恒夫氏とは半世紀前にご縁があり、その当時、故あって我が家は「創価学会員」だった。
 九州の創価学会発祥の地は福岡県久留米市にあったと言われ、それは日蓮正宗の九州総本山が久留米市内にあり、そのことも背景にあったと思う。
 そのころの創価学会は政治とは無縁で、純粋に宗教活動が主であり、例外として地方議会議員を出していた。ところが、現名誉会長である池田氏が会長に就任するとその路線変更ははやく、公明政治連盟と称していた組織が国政にも進出するという。当時の私は20歳前で、半世紀経った今でも血の気が多く、60の半ばを超えても「献血には最適」といわれることから、相当なものだったろうことは自分でも反省材料ではある。
 件の権藤恒夫氏、だったかどうか記憶はあやしいが、とにかく「国政に転ずる」といってきた。私の答えは「どうぞ、ご勝手に・・・・」であり、私たち一家は程なく創価学会を退き、先祖伝来の日蓮宗身延派に帰依したが、その動機となったのは、福岡県にある香椎球場で開催された盛大な行事で、おぼろげな記憶を頼ると、先代会長の戸田城聖氏から、池田氏への継承のお披露目であったと思う。
 その時に「国政進出派」に属する方々と大激論を交わしたことは、自分のことばだけに鮮明に記憶にある。私は「宗教と政治が直接手を結ぶとろくなことはない。それは世界の宗教史を見ればそれは明らかであり、宣教師と称される一見、善意の役割を担っていると思われている集団は植民地政策のさきがけであり、その後に続いてくるのは何だったを見れば一目瞭然。戸田先生は宗教人を思わせるが、池田さんは・・・・・」と、小生意気にも論陣を張った。
 それから50有余年、創価学会は変わった。今は宗門からも破門され、その教義が奈辺にあるかも今は知らない。無論、宗門側にも非があった。それは膨張する学会員に支えられる寺社だから「布施」と称される「収入」は膨大で、外車を乗り回す「くそ坊主」が頻出し、この輩も宗教人とは呼べない言動が目障りだった。
 この傾向は、創価学会や日蓮正宗のみのことではなく、「葬式仏教」と称される仏教界全体も同じであると私は思う。そのことを京都のある高僧にぶつけてみた。禅師いわく「娑婆、寺銭、一宿一飯、堅気、所場代、これらはもともと仏教界で使われていたものだが、この言葉を使う現代の職業は?」とのことであり、軽く胃の腑に落ちた。
 過日、「The JOURNALに続いて、TokyoCallingでもヒモになっちまったなぁ」と二見氏から電話があった。無論のこととして本当に「ヒモ」生活でないことは自明である。衆議院議員を8期も務め、短期とはいえ運輸大臣も拝命したことから、それなりの年金はあるはずだし、ヒモであるはずもない。
 よりも、氏が国家のことを念頭から消し、小沢一郎とともに行動する道を選ばなかったと仮定すれば、今ごろは複数の大臣を務めての引退であったかも知れない。それは当然のこととして公明党委員長も確実な位置にあった。しかし、氏はその道を選ばず、権藤恒夫、東祥三氏らとともに、敢えて苦難の道ともいうべき、小沢一郎と行動を共にする術を選んだ。
 その中で権藤氏は黄泉の国へ旅立ち、東氏は今でも民主党公認候補者として、次の衆議院選を勝ち抜くべく戦っていて、晴耕雨読は二見氏ひとりとなった。
 次の100年を構想するにあたり、仏教のみならず、私たちがかつて有していた「よいころ加減の宗教観」も再評価してはどうだろうか。単一信教は悲劇しか生まない。

豊後の小兵衛

今の自民党は公明党が引っ付いてる以上絶対に支持はできませんね。宗教をベースに政治をやる人間が日本の国益を守る人間であろうはずがありません。

自民党は公明党と組んでまで与党に居つかず、潔く手を切って下野すべきでしょう。

公明党が目を覚したとして何になるのか?
この種の団体の構造を有態に言うと次のようになる。
教祖やその取り巻きによる搾取と、末端信者同士の互助で成り立っているという事である。
経済的に、又は心の面での弱者に対し、現世利益を餌にし、また恐怖を煽る事で勧誘して膨れ上がろうとする。
こんな団体のどこが宗教と言えるのか?
宗教としての正当な拠り所を持たないとの意味では、カルト以下の存在である。
日本に於ける宗教団体の多くは、国が富み、民が強くなれば縮小する運命にある。
その事を、これらの教祖や幹部達は熟知している。
国民の多くが、なんらかの不幸や不安を抱えた状態でいる事で繁栄し存続していく。
だから、いくら高邁な理想を掲げようとも、国民には生かさず殺さずの状態で居てもらわないとないと困るのだ。
宗教団体の真贋は、集めた金の使い道を見るとわかる。
つまるところこの話、本当に目を覚ますべきなのは哀れな信者だった。
という笑えないオチがつく。

さて。

政教分離に対してヒステリックに反対する公明党に再生を期待する価値はあるのでしょうか?

再生を期待するために、私達庶民は、これから更に幾らの税金を彼らにみつがなければならないのでしょうか?

「目を覚ませ」などという悠長な話は、私達の税金を1円たりとも浪費しないことを前提としてくださいね。

二見様
どうしてもお聞きしたい事が2点ほどあります。
自民党も共産党も得票数を増やしながら議席を大幅に減らしている。
これは投票率の上昇に比べて得票率が相対的に低下したからという事で一応の説明はつく。
しかし投票率が大幅に上昇する中ひとり得票数を大幅に減らした公明党のみ全員当選で前回と同数議席を確保した理由は全く説明不能です。
得票数で大差のない公明党と共産党の間に何故3倍近い獲得議席数の差が生じるのか ?
小選挙区制ならいざしらす、共に中選挙区制の下、3位以下を狙う党なのにこれだけの大差が生じる事など常識的に言ってあるわけがない。
なにゆえにこんな奇怪極まりない事が起きるのか ?

もうひとつ。
何故、公明党は都議選と国政選挙の日程をあれほど必死になって離そうとしたのか ?
運動員が疲弊するというのは分かる。
だがそんなものはどこの政党も条件は同じだ。
その辺の本当の理由がニュースを見ていてもさっぱり分からない。
それとも何か公明党だけほかの党と違う特殊な条件でもあるのですか ?
貴方は公明党の内情に詳しいでしょうから、この辺の理由を是非ご教示いただきたい。

素人考えでいけば、この奇怪な現象や行動を説明するには、やはり巷で言われている公明党と創価学会が特異違法な選挙戦術を行っているという噂が事実であると考えるしかない。
もしそれが事実なら、もはや目を覚まさせる云々の話ではない。
健全な議会制民主主義を守るためにはこの党はこれ以上放置してはならない存在だと思います。

> 知り合いの公明党支持者は「自民党にだまされて、利用されただけだ」と不満を漏らしている。

二見さんの述べられていることを読むに付け、自民党と連立を組んでいたことは、一方的に公明党は利用されただけであり、だから、その連立を清算して、こんどは民主党と一緒にやっても公明党は責められることはない。まあ、いまから公明党が自民党からはなれて民主と一緒にやる
ための口実を取り繕うとしているように 見えますね。

民主党は 政権を取った暁に 擦り寄る公明とくむのだろうか。もしも、民主党が公明党と組むようなことがあれば、民主党に幻滅する層が
出るでしょう。
それよりも、政権を取ったときこそ、政教分離についての憲法解釈の問題にきっちと決着をつけてほしいです。おそらく これまで法務省は風向きを見ながら法解釈をしてきたのだろう。民主党が政権を取れば、その風向きを見て、これまでの法解釈をまっとうなものに変更する可能性が出てくるでしょう。

こんど、小沢が 大田代表の区から
出馬すれば、 民主は 公明が擦り寄ってきても それには応じないということの意思表示にはなるでしょう。

<議員にも信仰の自由を>
民主党赤松選挙対策委員長はBS11の番組内で、東京12区への小沢氏出馬はないだろうとの見解を示した。
総選挙後の公明党との関係を決定的に悪化させたくないとの配慮だという。
しかし、良く聞く話では、公明党と連立した党の国会議員は、本人または親族が入信させられ、支持者名簿の提出が求められるという。
憲法違反ではないか?信仰は自由だが、半強制的な入信は、自由とはとてもいえない。また、私のように民主党議員の支持者名簿に登録されている人間は、大嫌いな公明党創価学会からのアプローチに晒させることになる。恐ろしい事だ。
友人の一人に、半強制的に入信させられた者がいて、抜ける時は、本当に大変だったようだ。毎日のように、自宅へ信者が押し寄せ、なぜヤメルと攻撃されたそうだ。もともとその友人も、良く分からないままイベントに誘われ、行ってみたら学会の道場で、十数人に周りを取り囲まれて、入信しなければ、帰れない状況だったそうだ。
民主党には、支持者の個人情報を守る観点から、公明党とは一線を画してほしい。

 東京都議選での公明党の票ですが候補者のいない選挙区で自民党を支援し投票しています。二見先生の示された票数は公認候補者だけの票数なので実際より少なめに出ます。共産党のように全選挙区に候補者を立候補させていたとしたら自民党の当選者数は更に少なくなりネット、共産等の当選者が少しばかり増加したのではないかと思います。
 都議会選挙の場合だけ創価学会に依存している組織政党で高投票率を誇る公明党票が基礎票(都議選以外の選挙)以上に増えている現象を選挙専門家のかたに納得できる説明してもらいたい。

こんどの衆院選で幸福実現党が
4,5人でも当選してみなさい、
おそらく 宗教政党についての雰囲気が がらっとかわりますよ。
幸福実現党が4,5人程度当選すれば、 国民の間で 「これはなんだ?」 ということになる。政教分離について改めて考えようという雰囲気が出てくるはずだ。そのことは 将来の公明党について逆風になるでしょう。そういう意味では、逆説的に 幸福実現党の候補者が数名当選されることを切に願っています。 こういうことでもなければ、公明党問題はいつまでも解決されないだろう。

妹尾さん

平成海援隊BBSに投稿した内容を再掲しますのでご参考に。

22区における都議選の得票数と参議院・衆議院の得票の差約20万票は、全国の創価学会員の動員があるかないかが最も大きな要因です。今回の都議選においても、近県を中心とした組織に全有権者の50%の人間を東京都に行かせる戦いをしていました。20万票を上乗せさせるためには、一人1票獲得するならば、20万人の創価学会員が東京に入って選挙活動すればいいのです。一人0.1票だとしても、200万人を動員すればいいのです。創価学会の全有権者を約600万人と仮定して、外票をとる活動家はたかだか30%としても、180万人の活動家がいますから、20万票の上乗せは不思議ではありません。

(これは交流票という定義です)

「新党日本 田中康氏 衆院選へ 兵庫8区、冬柴氏と対決」と東京新聞のweb記事がありました。

「田中氏は十五日、小沢氏、鳩山由紀夫代表と都内で相次ぎ会談し、出馬の意向を固めたもようだ。」
とあります。
小沢さん、鳩山さん、田中康さんは公明党の冬柴さんと対決することに決めたようですが、これは戦いの「のろし」と見てよいのでしょうか。公明党はこれを受け、どのような態度に出るのでしょうか。公明党はどの選択をするのだろうか。公明党にとって今後の命運にかかわる重大な決断の時と思えます。

上記コメント、訂正いたします。
誤 田中康 →正 田中康夫

申し訳ありません。

まあ、創価学会というか、これは仏教系全般に言えるかもしれないですが、かられは なんで慈善事業に消極的なのか。(笑  大ざっぱに言って、キリスト教系と比べると、概して 仏教系は 慈善事業、つまり底辺にある人々にたいする慈善活動に消極的なように見えますね。 不思議ですね。もちろん、一部の仏教徒は やっているのに違いないですが、 わたしの言うのは、一部の人たちではなく、平均的に キリスト教系と比較すると 仏教系は 慈善活動に消極的なように見える。まあ、たとえば 地震があったときとか、とくにマスコミが注目するようなときには活動しているようですが、(笑 たとえば、ホームレスに対する活動とか、ああいう地道な活動は キリスト教系が多い。
なんで、こういうところでの 仏教系は消極的なのか。
それでいて、寺院は 駐車場を経営したり、幼稚園を経営したり、葬式だなんだといって、いわゆる経営には関心があるようだ。もしろん、キリスト教会もそういう意味での金儲けはやっているでしょうが、少なくとも かられらは 戦略的に慈善事情をやっているので それなりに庶民から認められるいるのではないか。
それからすると、仏教系は動かないですね。
そのことを前提にして、公明党のことを考えると、おいおい 政治活動しないで 学会員はもっと慈善活動をやったらどうだといいたくなる。
そのほうが よっぽと 人々のためになりますよ。政治活動に費やすエネルギーを底辺であえでいる人々にために、ホームレスや独居老人のために 費やしてほしいね。そのほうが 国民から感謝されますよ。とくに、国家財政に余裕がなくなっているときにこそ、宗教組織の役割を わたしは無視しませんね。 
ただ、創価学会の場合は、そういう意味での慈善活動はやらないのでしょうね。 理由はいくつかある。 1)彼らが慈善活動をやると、それすぐに信者にさせる目的と結びつける。それ以外の目的で かられらは慈善活動をやることはない。 2) かれらは、ホームレスや独居老人に慈善活動をやることはない。理由は、彼らは 動ける活動家を望んでいるからで、 ホームレスや独居老人は 組織の戦力にならないから、彼らの視野の外にある。

まあ、仏教系が慈善活動について消極的なのは 仏教という宗教の教義にも問題がありそうだが、まあ 国家というか、社会からすると 仏教が主流を占めているというのは なかなか厄介な問題だという感想ですね。

まあ、私は キリスト教系が全ていいと言っているわけではないですが、 政教分離をきっちとしておいて、その枠組みならばキリスト教徒の活発な慈善活動は 社会にとって有益だと思いますね。 でないと、国家財政で何でも
救えということになってしまう。 

サンダース軍曹さん | 2009年07月15日 09:51

引用【民主党支持者というのはこんなにも人格や知性が低劣だったのでしょうか】の厳しい言葉使いは兎も角としても・・・、日本人全般の中では、ましな方です。
勿論、全体の平均レベルを遙かに超える傑出した意見の持ち主もおられることも、私にとっての「このTheJournalは救い」です。

堀口雪文さん | 2009年07月15日 10:39

1.過去のご投稿の強さに優る「強いご意見」を印象深く読ませて戴きました。多謝。
特に、引用【一番怖いのは、宗教が政治を利用する事ではなく、政治が宗教を利用する事だ】は盲点を突く良いご指摘だと思います。
他方で、短視的に、日本国民が意識すべき「目先の現実の脅威」は、公明党の脈絡では、【宗教が政治を利用する事】だと思います。

2.公明党固有の問題点に戻れば、私は、引用【公明党の問題に関しては、個人的には解党すべき】というご意見には、「解体するには勿体ない」を含めてBestSolutionとは思えません。
寧ろ、1)公明党は宗教団体たる創価学会との明確過ぎる直接的関係と訣別して、
2)尚且つ、ご説の通り日本には稀有な【宗教やそれに付随する生死観、倫理観】を含めて「深味のあるレベル」で人類の哲学を備えた政治集団として、的確適切に主張を展開する途を探り当てれば、

3.解体する必然性は消えうせて、政党としては稀有な存在意義を持った「キラリと光る政党」として存在を継続するべき組織と思いますが・・・、如何でしょうか?

現在の公明党諸氏には、上記の2条件≪=第2項の1)&2)≫を同時に充足できるか?という高いハードルがある課題ですが・・・。

今回の都議選では、公明党は全員当選を果たした。おそらく次の衆議院選でも、予定したとおりの結果をだすでしょう
ただここで疑問が
その一票一票が、果たしてきちんとした政治のあり方を問う意味での一票なのか。そこから考える必要があると思います
彼らの票の集め方には、どう考えても政治がよくなる要素の欠片も見当たらないのが正直です。
このあたりは、実際に公明関係者に接した人には、痛いほどわかると思います
そういったやり方も、政治の票の上手なとり方かもしれませんが!
公明党の思い通りにさせないためには
予想してる投票率を覆すことにあります
今回の都議選では54%前後でしたが
それを+10%の人が投票に出かけて
公明党以外の党に投票すれば
おのずと公明党の計算は崩れるのです
と、公明の批判っぽくなりましたが
圧力をかけて投票させようとする意識はどう考えても政治がよくなるとは思えません

私も公明党に対して失望して居るものの一人として、また民主党政権の実現に希望を持っている人間として一言。政治と宗教に関して正しい捉え方をしている方もいれば、そう言う見方は少し変ではないのかと思うご意見もあります。憲法では何人に対しても、信仰、宗教の自由を認めているところであります。「政教一致」は、宗教団体が政治活動を行うこと、または政治に参加する、議員になることを禁止しているものでは無いと思います。禁止しているのは、政府が一宗教を前面に、国家としてその教義において支配することだと思う。日本は葬式仏教はあるけれど、宗教は無いと言われ、むしろ宗教に対してアレルギーさえあると言われて来た。歴史的に時の権力の民衆支配の手段としての宗教しか無かったのではないかと思う。天皇制も天皇を「神」として国民を戦争へと動員する最大の国家としての「政教一致」だったと思う。創価学会を「カルト」と決めつけている方もおられる様だが、それは間違いである。宗教団体が、直結の政党を持つ事は憲法上違反ではない。が、確固たる組織票がある以上、あらゆる憶測を生じさせる事になる。立正佼成会など、これまでも自民党に票を入れてきた。他のほとんどの宗教団体もそうである。では創価学会が公明党を支持するのが「政教一致」だと非難することが正しいのか。自前の政党だから非難されるのか、判断は自由である。戦前多くの国民が好むと好まざるに関わらず戦争に動員され、仏教界も「神札」に口を塞ぎ、国民が戦争の悲劇に落とし籠められ殺されることに加担しなければならなかった。それが日本の仏教界の実態だった。創価学会の創始者である牧口常三郎は、仏教徒として、宗教家として、国民を戦争に動員することに反対し獄に捕えられた。そして獄死したのである。私がその当時生きていたなら、命がけで戦争に反対出来ただろうか。私が危ういと思うのは、正義と悪の対立軸を作り扇動し、国民を加担させることである。それは、これまでの日本の歴史であり、政治権力の重要な手段であり続けていることは、国民がそう言う国民だと言うことでもある。今の自民党の政治家諸君の「御身大切」が映し出すものを自分に照らし合わせてみるのも大事だろう。関東大震災における「朝鮮人虐殺」「鬼畜米英」「田中金権政治」「金権体質の小沢一郎」、小泉純一郎の「抵抗勢力」これらにすぐに煽動され、動員されるのが日本国民なのではないのか。今こそ自らも含め、冷静に考える事が国民に求められて居るのだと思う。どんな日本を望むのか、そのためには、常に疑問を持って判断する心が必要だと思う。扇動され、動員され、加担する人間に成らないためにも。

【公明党、創価学会の対米追従の国際政治路線の誤謬の政策について 】       
    
   【 出展元 】: 2009/03/10 10:17:43 : 【私のasyra 投稿】:

【アメリカの元大統領ブッシュ氏が国連検察官により訴追されるかもしれない、と報道された。】
      
   【 前編: http://www.asyura2.com/09/senkyo59/msg/1016.html 】:
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【出展引用リンク】:

   http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/182.html 
 
    :【前編の改定 】: (改訂 :2009.8.13)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    ーーーーーーーー
【リンク①】;

 【アメリカの元大統領ブッシュ氏が国連検察官により訴追されるかもしれない、と報道された。】

http://www.asyura2.com/09/senkyo59/msg/1016.html

http://www.linktv.org/mosaic/mir


【リンク②】;  【9.11テロ事件の謎】:

http://www.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【改訂編:引用始め】以下の通り。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 アメリカの9.11テロ事件(偽装された陰謀説が存在する!!)から始まったイラク戦争における
ブッシュ元大統領の政治・政策、政治路線の指導・指揮の最終的な結末と結果は、この国際法廷の裁判で、決着されるのであろうか?。
 
 世界の多くの無実の人々を巻き込み、今まだに進行中のこの悲劇・混乱を終わらすために、そして、人類の 未来に向けて、新たな希望を創生させるための戦いが開始され始めたことを、このことで、知ることになるのであろう。
 
 国際法廷が、開催されることになれば、この政権の政治・政策を遂行させた闇の権力の集団が、やがては、世界の人々の眼前に曝されることになる可能性が生みだされるのである。
 
 国連の力すなわち国連加盟国が加盟国アメリカ政府の政策の前政権の首脳部の不正義を国際裁判で裁くことが可能になるかどうか? 

 今後のこの案件の推移を見つめていかなければならない。

 その国際法廷の裁判の結審まで、多くの障害と困難が、出現するであろうことが、予見される。

 しかし、世界の人々の正義感と公正を求める国際世論の力によって、良心と道徳を基本とした国際的な協力関係により、それが、なされるように、国際的な努力と国際的な合意のための世論の支援が必要となってくるのである。 

 世界の人々を暗黒的な世界へと引きずり込む程の巨大な力を保有する悪魔的な勢力による権力の支配が世界を蹂躙し、世界を撹乱し、混乱が促進される時代の大きな動きを防ぎ、大きな動きを支配するもの達の偽善を世界の人々に守られながら、明らかにして、糾弾・断罪し、現代の世界のあり方の根本を再検討し、変えていかなければならないものを明確に浮き上がらせて、戦争や対立でなく、国際的な合意・協力によって、貧者・弱者にも優しい社会を構築する必要があるのである。

 世界の中で貧者が増えれば、社会の安寧が保てなくなることは、明確なことである。

 ならば、世界の貧者を放置して、傍観することが許されることではないことが理解されるのである。


 
 この国際司法の裁判の行く末は、その悪魔のような業のような流れを防ぎ、留めるべき大事な試金石になり得ることになるであろう重要なことなのである。 

 この時代的な世界の大混乱・騒乱の解決のために、我々が歩み、生きて来た人類社会の歴史の中で、国際的な紛争・戦争の時代を我々自身の決断と勇気でもって、終結させていかなければならない時代に突入してきたのである。

 そのための、そして、我々の子々孫々へ、後世の世代へと正しく、社会的な正義と公正のある社会を引き継ぐための儀式の序幕となる可能性が、そこに現れるのである。

 そこに、世界の平和を我々自身の手元に、取り戻すためにの第一歩の歩みの進展が始まることになる。

 ここにおいて、留意すべきことは、過ちを犯した人々を裁くことを目的としては、ならないことを悟るべきである。
 
 なぜなら、人の生命を絶つことの裁きをすれば、裁いた人が、次の時代に、裁かれることになり、悲劇が、繰り返されることになるからである。
 
 そのことによる弊害が世界の人々を繰り返しの紛争や混乱に再び、引きずり込み、捲き込むことになるからである。

 世界の人々が教えられことを待つまでもなく、理解されていることであるが、一部の過度の非合法的な権力の崇拝者等の管理支配によって、情報の操作や経済的な錯乱・撹乱操作・広報をされることにより、人々を地獄のような混沌とした暗黒の世界に引きずり込む様に支配を企てている勢力も存在しているのである。

 世界を混乱させて、無実の人々の生命を奪い去ることで、莫大な利益を得るような虚構的な構造を内在している産業や軍需産業等の、政治的な、社会的な支配権力によって、戦争を企み、巧まれて来ているのである。

 このことを世界の人々が、早く気づいて、不正・不当な欺瞞的な権力集団による構造的な支配体系を暴き出し、糾弾して、打ち壊さなければならないのである。
 
 このような悪魔的な勢力の支配においては、世界の人々に、平和で安寧のある幸福の溢れた秩序のある社会は、やってこないのである。出現される世界は、人々が隷属に突き落とされるような暗黒の世界である。

 またこの悪魔的な勢力に対して、武力で、制することになれば、社会に、一層の混乱が、生み出されることになる。  これに対しては、人間社会の賢知によって、悪しき構造が機能しないようにする監視制度の創設や違反するものに対して、【国際謀反・反逆罪等】の律法を創設して、その罪に対して、島流し、重労働のような厳罰的な処分・断罪すればよいのである。 
 
 そのためには、どのような行為が国際社会において、不正義であるのか。何が不正義であるかについて、国際律法で、定め、その律法にて、裁くことが可能になる必要がある。

 国際社会の正義と不正義の闘争において、作用・反作用の応答が繰り返され、報復という反作用を避け、悲惨な惨劇を繰り返すことなく、世界の人々から悲劇を遠ざけて、それを断つために、その罪を犯した人の生命を裁くことでなくして、世界の人々に対するその罪状となる行為そのもの自体に対して、国際的な法体系の構築により、それを裁く事で、十分な効果をあげるということを世界の人々に、報せ、示すことが最も重要なことであるという認識を持たなければ、問題の解決に至らなくなるであろう。 

 そこで生み出された新しい抑止的な【国際律法】の遵守の効力が、世界に遍く、行き渡る時代になれば、国際的な紛争は、根絶されていくことになる。

 国際的な律法体系で解決されるようになれば、未来に希望のある国際的な社会が構築されて、その社会的な構造が安定され、子子孫孫へと営々と引き継がれていくことが可能となるであろう。 

 このことの実現が十分に期待できる可能性が生み出されてくるようになる。
 
 ここで、世界の人々に、思い起こして頂きたいことは、子供同士の喧嘩は、喧嘩した後においても、お互いに、許しあえれば、仲良しになれるということである。 
 
 ここが、重要な要素である。

 この子供の世界で、可能なことが、大人の世界で、できない理由など一つもないことである。
 
 このことを世界の人々は、改めて、思い直さなければならないのである。

 ましてや国際紛争の犠牲者の中で、子供や女性等の社会的な弱者をも巻き込むことの悲劇の愚かさを、深く、確信を持って認識し、悟らねばならないのである。

 ここで、再度、強調しておかなければならないことは、紛争の当事者が、復讐心で、相手を裁くならば、後日において、相互に新しい紛争の当事者となり、犠牲者となってしまうことを認識することが重要である。

 悲劇が新たな悲劇を呼び起こすのである。

 この人間の心の根底の中にひそむ復讐心・報復心を自らの心で制御しなければ、紛争が終結しなくなる理由がここにある。
 
 そして、紛争が生じた場合においては、国際的な律法体系と国際的な組織・機構のもとで、

① 相互の利害・得失を相互・互恵的共益が最適で公平な状態に調整する機能

② 相互に最適な方向付けと方策を立案する機能
を可能とさせる調整機能と立案機能の役割が必要となる。
 
そのために、

1.世界の多数の文化の並存が可能なる国際的協働体社会の理念の構築

2.国際的な人類社会の情理を形成するための基本的な律法法治の理念の構築
が必要で、それらの複合性と整合性を統合させ得る律法体系を構築させることが必要になる。 
 
3.国連の活動組織として、世界の万民が賛意を示し、総意を組み上げて統合する機能の発展・促進を計り、確立させるための国際的な組織・機関の育成制度の構築

4.国連活動に伴う運営費の構築等の諸課題の政策、課題が山ほどある。
 
 現在において、人類社会が今一度、人類のあるべき姿に立ち帰り、謙虚に、歩んできた道程を深く省みなければならない時代に、我々は、既に置かれているのである。

 このような目的を可能とさせる国連の主導による国際的な司法裁判の機能の拡大と必要性は、時代の動きとして、重要性を増してきている。 

 非常に大事で、重要な動きであることを認識しなければならないのである。 
 
 我々は近い将来に渡り、世界的、国際的に、共存、共生をしていかなければ、国際社会の構成が成り立たなくなる時代に、急激な速度で、突入し始めてきているのである。

 安寧な世界を創生するために、将来への安定と秩序のある人類社会を構築させるために、非常にの重要な責任が我々の面前に存在しているのである。

 それに向けて努力することが、今、我々が次世代のために、果たさねばいけない大きな国際的に重要な義務であり非常に大事な責任があるのである。

 そのことにより、国際的な人類社会を継続的に安寧のある未来の社会の構築へと人類社会の希望をつなげることが可能となり、人類にとって、最善で最適な方法となる確実な方策・方途でな利得るのである。 

 世界の人類社会や諸国の中心的な国際的な活動・行動の指針となり得ることになるのである。 
 
 ゆえに、この国連による司法裁判を国際的な人々の協力で、支援をする現代的な重要な理由があり、それを尊重し、育成していかなければ、前に、未来に進むことができなくなるのである。

 このブッシュ氏の政権政策に全面的に協力して来た現在の日本の自民・公明与党の責任も同時に、国際的な視点にもとづいて、裁かれなければならなくなるであろう。 
 
 ましてや、世界の平和を希求することを理念とする創価学会によって、支援されている公明党の責任 は、必然的に、重いのである。 創価学会の内部において、その責任の追求と、糾弾・断罪がなされることになるであろう。 
 
 創価学会の責任は学会員の責任・義務でもある。 

 また、自民党の政策を良しとして自公を政権を支持し、 選挙支援した国民の責任でもある。 
 
 この責任はこの紛争に関係して被害を受けた世界の犠牲者に対して、非常に重いものとなるであろう。
 悪しき強者による支配権力は、弱者の敵となるような人類社会を築いてはならないのである。

 ブッシュ氏を国際司法で裁くということは、その政治政策のリダーのもとで、その政策に追従した人々もそれによって、為された行為によって、世界の人々から裁かれることが必然となるであろう。 
 
 そこに協力したとみなされる者たち、世界各国の当時の指導的な為政者も同様に連帯責任で、裁かれることになるであろう。

 自民党・元小泉総裁、公明党・元神崎党首、現在の大田党首等の当時、現在の指導者を日本国民は、その国際政治的な犯罪性についての責任の追求について、評価・吟味を始めなければならなくなるであろう。 

 権力を持ったがための傲慢さに、気づいていない不幸が、そこに存在しているのである。

 権力の傲慢さは、世界の人々の最も嫌われ、疎まれるものでしかないのである。 

 傲慢さを秘めた権力は国内的、国際的な世論から、反感を招くだけである。 

 現与党政権はそれを、改める必要がある。

 あまりにも、無駄な多くの人々を、そして罪のなき人々まで巻き込ませて、血を流しすぎた故に、その 報いとして、人知を超えたる神の裁きのごとくである。 まさに、天罰のごとくである。

 国家が制定した法律以上に、人々の情念は高く、深く、重いのである。

 天意のごとく、世界の人々は、その犠牲者の死を弔うべき姿で、多くの人々を破滅に追いやったその関係者を必ず裁くことになるであろう。

 このことにより、未来の世界への新しい姿と新しい時代の流れが、今ここに、明確に、厳然として、見え始めたのである。
 
 仏法でいえば、因果応報の結果である。 

 法華経でいえば、因果律のことである。

 歴史で、喩えるならば、まさに、現代版の平家物語のごとくの結末・終末となろう。

 地球という限られた有限の世界の中で、必死で生きている人々の命の貴さを、世界の指導者及び世界の人々は、このことを、深く理解・認識して、絶え間なく、反省を繰り返し、来る時代のために、国際的な協働の活動が拡大するように、改めて、努めることが必要である。
 
 これには、相手との相互の双方向の対話が大事であり、相互に尊重し、協力しあうことが必須・必要条件である。 

 これは、言うまでもないことである。

 世界の人々よ。 急げや。 希望と秩序のある未来世界を創生するために。
 紛争で貧困と難民の生じることのない理想の安寧のある世界を創生させるために。
 人類社会が為すべきことは、世界に山ほどあるぞ。
         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    

        元創価学会員より  2009年3月10日 (改定 2009.8.13)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【引用終わり】以上の通り。: (改定 2009.8.13)

【asyura投稿リンク】:

 http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/182.html

【公明党、創価学会の対米追従の国際政治路線の誤謬の政策について 】      
    
ーーーーーーーーーーーーーーー 【出展引用参考リンク①】:
【アメリカの元大統領ブッシュ氏が国連検察官により訴追されるかもしれない、と報道された。】   

http://www.linktv.org/mosaic/mir


【参考リンク②】;【9.11テロ事件の謎】:

http://www.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【私の見解】以下の通り。
 アメリカの9.11テロ事件(偽装された陰謀説が存在する!!!)から始まったイラク戦争におけるブッシュ元大統領の政治・政策、政治路線の指導・指揮の最終的な結末と結果は、この国際法廷の裁判で、決着されるのであろうか?。
 
 世界の多くの無実の人々を巻き込み、今まだに進行中のこの悲劇・混乱を終わらすために、そして、人類の 未来に向けて、新たな希望を創生させるための戦いが開始され始めたことを、このことで、知ることになるのであろう。
 
 国際法廷が、開催されることになれば、この政権の政治・政策を遂行させた闇の権力の集団が、やがては、世界の人々の眼前に曝されることになる可能性が生みだされるのである。
 
 国連の力すなわち国連加盟国が加盟国アメリカ政府の政策の前政権の首脳部の不正義を国際裁判で裁くことが可能になるかどうか? 
 今後のこの案件の推移を見つめていかなければならない。

 その国際法廷の裁判の結審まで、多くの障害と困難が、出現するであろうことが、予見される。

 しかし、世界の人々の正義感と公正を求める国際世論の力によって、良心と道徳を基本とした国際的な協力関係により、それが、なされるように、国際的な努力と国際的な合意のための世論の支援が必要となってくるのである。 

 世界の人々を暗黒的な世界へと引きずり込む程の巨大な力を保有する悪魔的な勢力による権力の支配が世界を蹂躙し、世界を撹乱し、混乱が促進される時代の大きな動きを防ぎ、大きな動きを支配するもの達の偽善を世界の人々に守られながら、明らかにして、糾弾・断罪し、現代の世界のあり方の根本を再検討し、変えていかなければならないものを明確に浮き上がらせて、戦争や対立でなく、国際的な合意・協力によって、貧者・弱者にも優しい社会を構築する必要があるのである。

 世界の中で貧者が増えれば、社会の安寧が保てなくなることは、明確なことである。

 ならば、世界の貧者を放置して、傍観することが許されることではないことが理解されるのである。
 
 この国際司法の裁判の行く末は、その悪魔のような業のような流れを防ぎ、留めるべき大事な試金石になり得ることになるであろう重要なことなのである。 

 この時代的な世界の大混乱・騒乱の解決のために、我々が歩み、生きて来た人類社会の歴史の中で、国際的な紛争・戦争の時代を我々自身の決断と勇気でもって、終結させていかなければならない時代に突入してきたのである。

 そのための、そして、我々の子々孫々へ、後世の世代へと正しく、社会的な正義と公正のある社会を引き継ぐための儀式の序幕となる可能性が、そこに現れるのである。

 そこに、世界の平和を我々自身の手元に、取り戻すためにの第一歩の歩みの進展が始まることになる。

 ここにおいて、留意すべきことは、過ちを犯した人々を裁くことを目的としては、ならないことを悟るべきである。
 
 なぜなら、人の生命を絶つことの裁きをすれば、裁いた人が、次の時代に、裁かれることになり、悲劇が、繰り返されることになるからである。
 
 そのことによる弊害が世界の人々を繰り返しの紛争や混乱に再び、引きずり込み、捲き込むことになるからである。

 世界の人々が教えられことを待つまでもなく、理解されていることであるが、一部の過度の非合法的な権力の崇拝者等の管理支配によって、情報の操作や経済的な錯乱・撹乱操作・広報をされることにより、人々を地獄のような混沌とした暗黒の世界に引きずり込む様に支配を企てている勢力も存在しているのである。

 世界を混乱させて、無実の人々の生命を奪い去ることで、莫大な利益を得るような虚構的な構造を内在している産業や軍需産業等の、政治的な、社会的な支配権力によって、戦争を企み、巧まれて来ているのである。

 このことを世界の人々が、早く気づいて、不正・不当な欺瞞的な権力集団による構造的な支配体系を暴き出し、糾弾して、打ち壊さなければならないのである。
 
 このような悪魔的な勢力の支配においては、世界の人々に、平和で安寧のある幸福の溢れた秩序のある社会は、やってこないのである。出現される世界は、人々が隷属に突き落とされるような暗黒の世界である。

 またこの悪魔的な勢力に対して、武力で、制することになれば、社会に、一層の混乱が、生み出されることになる。  これに対しては、人間社会の賢知によって、悪しき構造が機能しないようにする監視制度の創設や違反するものに対して、国際謀反・反逆罪等】の律法を創設して、その罪に対して、島流し、重労働のような厳罰的な処分・断罪すればよいのである。 
 
 そのためには、どのような行為が国際社会において、不正義であるのか。何が不正義であるかについて、国際律法で、定め、その律法にて、裁くことが可能になる必要がある。

 国際社会の正義と不正義の闘争において、作用・反作用の応答が繰り返され、報復という反作用を避け、悲惨な惨劇を繰り返すことなく、世界の人々から悲劇を遠ざけて、それを断つために、その罪を犯した人の生命を裁くことでなくして、世界の人々に対するその罪状となる行為そのもの自体に対して、国際的な法体系の構築により、それを裁く事で、十分な効果をあげるということを世界の人々に、報せ、示すことが最も重要なことであるという認識を持たなければ、問題の解決に至らなくなるであろう。 

 そこで生み出された新しい抑止的な【国際律法】の遵守の効力が、世界に遍く、行き渡る時代になれば、国際的な紛争は、根絶されていくことになる。

 国際的な律法体系で解決されるようになれば、未来に希望のある国際的な社会が構築されて、その社会的な構造が安定され、子子孫孫へと営々と引き継がれていくことが可能となるであろう。 

 このことの実現が十分に期待できる可能性が生み出されてくるようになる。
 
 ここで、世界の人々に、思い起こして頂きたいことは、子供同士の喧嘩は、喧嘩した後においても、お互いに、許しあえれば、仲良しになれるということである。 
 
 ここが、重要な要素である。

 この子供の世界で、可能なことが、大人の世界で、できない理由など一つもないことである。
 
 このことを世界の人々は、改めて、思い直さなければならないのである。

 ましてや国際紛争の犠牲者の中で、子供や女性等の社会的な弱者をも巻き込むことの悲劇の愚かさを、深く、確信を持って認識し、悟らねばならないのである。

 ここで、再度、強調しておかなければならないことは、紛争の当事者が、復讐心で、相手を裁くならば、後日において、相互に新しい紛争の当事者となり、犠牲者となってしまうことを認識することが重要である。

 悲劇が新たな悲劇を呼び起こすのである。

 この人間の心の根底の中にひそむ復讐心・報復心を自らの心で制御しなければ、紛争が終結しなくなる理由がここにある。
 
 そして、紛争が生じた場合においては、国際的な律法体系と国際的な組織・機構のもとで、

① 相互の利害・得失を相互・互恵的共益が最適で公平な状態に調整する機能

② 相互に最適な方向付けと方策を立案する機能
を可能とさせる調整機能と立案機能の役割が必要となる。
 
そのために、

1.世界の多数の文化の並存が可能なる国際的協働体社会の理念の構築

2.国際的な人類社会の情理を形成するための基本的な律法法治の理念の構築
が必要で、それらの複合性と整合性を統合させ得る律法体系を構築させることが必要になる。 
 
3.国連の活動組織として、世界の万民が賛意を示し、総意を組み上げて統合する機能の発展・促進を計り、確立させるための国際的な組織・機関の育成制度の構築

4.国連活動に伴う運営費の構築等の諸課題の政策、課題が山ほどある。
 
 現在において、人類社会が今一度、人類のあるべき姿に立ち帰り、謙虚に、歩んできた道程を深く省みなければならない時代に、我々は、既に置かれているのである。

 このような目的を可能とさせる国連の主導による国際的な司法裁判の機能の拡大と必要性は、時代の動きとして、重要性を増してきている。 

 非常に大事で、重要な動きであることを認識しなければならないのである。 
 
 我々は近い将来に渡り、世界的、国際的に、共存、共生をしていかなければ、国際社会の構成が成り立たなくなる時代に、急激な速度で、突入し始めてきているのである。

 安寧な世界を創生するために、将来への安定と秩序のある人類社会を構築させるために、非常にの重要な責任が我々の面前に存在しているのである。

 それに向けて努力することが、今、我々が次世代のために、果たさねばいけない大きな国際的に重要な義務であり非常に大事な責任があるのである。

 そのことにより、国際的な人類社会を継続的に安寧のある未来の社会の構築へと人類社会の希望をつなげることが可能となり、人類にとって、最善で最適な方法となる確実な方策・方途でな利得るのである。 

 世界の人類社会や諸国の中心的な国際的な活動・行動の指針となり得ることになるのである。 
 
 ゆえに、この国連による司法裁判を国際的な人々の協力で、支援をする現代的な重要な理由があり、それを尊重し、育成していかなければ、前に、未来に進むことができなくなるのである。

 このブッシュ氏の政権政策に全面的に協力して来た現在の日本の自民・公明与党の責任も同時に、国際的な視点にもとづいて、裁かれなければならなくなるであろう。 
 
 ましてや、世界の平和を希求することを理念とする創価学会によって、支援されている公明党の責任 は、必然的に、重いのである。 創価学会の内部において、その責任の追求と、糾弾・断罪がなされることになるであろう。 
 
 創価学会の責任は学会員の責任・義務でもある。 

 また、自民党の政策を良しとして自公を政権を支持し、 選挙支援した国民の責任でもある。 
 
 この責任はこの紛争に関係して被害を受けた世界の犠牲者に対して、非常に重いものとなるであろう。
 悪しき強者による支配権力は、弱者の敵となるような人類社会を築いてはならないのである。

 ブッシュ氏を国際司法で裁くということは、その政治政策のリダーのもとで、その政策に追従した人々もそれによって、為された行為によって、世界の人々から裁かれることが必然となるであろう。  
 そこに協力したとみなされる者たち、世界各国の当時の指導的な為政者も同様に連帯責任で、裁かれることになるであろう。

 自民党・元小泉総裁、公明党・元神崎党首、現在の大田党首等の当時、現在の指導者を日本国民は、その国際政治的な犯罪性についての責任の追求について、評価・吟味を始めなければならなくなるであろう。 

 権力を持ったがための傲慢さに、気づいていない不幸が、そこに存在しているのである。

 権力の傲慢さは、世界の人々の最も嫌われ、疎まれるものでしかないのである。 

 傲慢さを秘めた権力は国内的、国際的な世論から、反感を招くだけである。 

 現与党政権はそれを、改める必要がある。

 あまりにも、無駄な多くの人々を、そして罪のなき人々まで巻き込ませて、血を流しすぎた故に、その 報いとして、人知を超えたる神の裁きのごとくである。 まさに、天罰のごとくである。

 国家が制定した法律以上に、人々の情念は高く、深く、重いのである。

 天意のごとく、世界の人々は、その犠牲者の死を弔うべき姿で、多くの人々を破滅に追いやったその関係者を必ず裁くことになるであろう。

 このことにより、未来の世界への新しい姿と新しい時代の流れが、今ここに、明確に、厳然として、見え始めたのである。
 
 仏法でいえば、因果応報の結果である。 

 法華経でいえば、因果律のことである。

 歴史で、喩えるならば、まさに、現代版の平家物語のごとくの結末・終末となろう。

 地球という限られた有限の世界の中で、必死で生きている人々の命の貴さを、世界の指導者及び世界の人々は、このことを、深く理解・認識して、絶え間なく、反省を繰り返し、来る時代のために、国際的な協働の活動が拡大するように、改めて、努めることが必要である。
 
 これには、相手との相互の双方向の対話が大事であり、相互に尊重し、協力しあうことが必須・必要条件である。 

 これは、言うまでもないことである。

 世界の人々よ。 急げや。 希望と秩序のある未来世界を創生するために。
 紛争で貧困と難民の生じることのない理想の安寧のある世界を創生させるために。
 人類社会が為すべきことは、世界に山ほどあるぞ。
         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上の通り。    

 元創価学会員より
   
 (2009.8.17)

拝啓 二見伸明様

【主権者である国民にとって、悪魔的な自民・公明党連立与党の10年間の政治政権であった。】

1999年に公明党が与党自民党・自由党の連立政権に参加して、自由党が自公政権から立ち去り、10年程経過したが、この現在の自民・公明与党政権による政治・経済政策により、現在の日本社会環境や政治・経済の状況は悪化するばかりである。

現在の自民・公明党連立政権の既成の政治・官僚・財界の権力集団の強権的な帰結の結果は、日本の社会を危機に貶めているだけである。

私は1998年11月に創価学会に入会して選挙活動にも創価学会員として、参加したが、その翌年に公明党は、日本の危機を救うためにとの理念で政権のキャスチングボートを取ると創価学会の集会等で、創価学会員に表明して、与党に参加したはずである。

 そのときにおいて、100年安心の福祉政策を目指すと国民に対して、公表し手、国民の歓心を買い。与党政権についたのである。

ところがいつの間にか悪しき自民党の勢力に懐柔され、いい様に利用されたような軟弱で、欺瞞に満ちた公明党・創価学会へと変質してしまっているのである。

 その時の公約でさえ、反古にして、放置してきたのである。 支持者でさえ、裏切ってしまったのである。

そして、小泉政権において、米国のイラク戦争政策に全面的に、賛成して、世界の平和を希求すべき創価学会・公明党の支離滅裂な理念・哲学なき対米追従の政策や悪しき既得権益で固められた自民党の政治経済政策に全面的に協力してきたのである。

 そして今日に至っているのである。

 ブッシュ前政権による米国の9.11テロ事件の偽証的な犯罪を疑われて、現在において、米国内でその真相を追求されているのである。その悪しき米国の前政権に、全面的に協力し、日本の主権者である国民が長期間に渡り、汗と涙で、築いた税金の積み立てによる国富をまるで、湯水のように、短期間で、浪費し、壊滅し尽くしたのである。

 
 このような状況に対して、現在の自民・公明党の議員達は、日本の危機をどのように回避し、再構築をどのように果たすかのビジョン・政治・経済の政策を国民に示すこともできぬままである。

 また最近の世界的な経済・金融・財政危機を生んでいる日本の経済構造的な課題に対する根本的な解決策の検討もなさずにいる。

 日本の国民に対して、将来・未来に対する明確な理念・政策などは持ち合わせていないのである。

 その場しのぎの偽善的な政治政策の連続で、国民を騙してさえしており、平然とした傲慢さであるのである。

 主権者である国民にとって、悪魔的でさえあった現在の自民・公明党の与党連立政権であった。

 
 公明党の党是で主張している日本のあるいは世界の未来社会に対する平和哲学等に対してでさえ、まったく正反対な政治路線を進めてきたのである。 言行不一致と矛盾の塊のような公明党政権である。

 まったく、欺瞞と偽善だらけの悪魔的な公明党政権である。

 軟弱な対米追従の自公政権による政治・経済路線で、主権者である国民を困窮の谷に突き落とし、主権者である国民や支持団体の創価学会員をも、騙してきたのである。それでも、今だに、謙虚な反省の表明など、微塵もないままできているのである。
 
 自民・公明党の政治政権は、未来に対する政治・政策的な展望や工程さえ定かなものでないのである。 

 主権者の国民が困窮に陥り、困っていても、政治理念、哲学のなきバラマキ政策だけの国民を騙すようないい加減の政策で目先をごまかすような政治政策で、ただ単に議員の延命だけを図るような主張だけである。

 自公政権で、これまで、10年間に渡り自分達の政権でしてきた政治政策路線の責任を放棄したままで、その政権路線の誤謬を明らかにせず、その政治政策の運営において、野党からその欺瞞性が明らかにされたことで、国民の信頼を失い、主権者である国民に対して、政治政策に対する説得もできず、単に野党を批判・批評攻撃することでしかの能力のなさだけが、目立つ政権なのである。
 
 責任を逃れようとするものは、概して、自分以外の他にその責任を転嫁して批判をして、自己の保全と保身を図ろうとするのである。現在の公明党は、まさに、この姿のままである。幼稚的でさえあるのである。

 このような無定見、無能力・無責任で、偽善と欺瞞で覆われた自民・公明党与党政権に日本の将来を任すわけにいかないのである。

 ここにおいて、民主党のや野党の活躍すべき舞台の存在の価値があるのである。主権者である国民から期待されているのである。

 公明党・創価学会幹部は、創価学会員の声に耳を傾けず専制権力的に、創価学会員をマインドコントロール的に政治選挙に利用しているのである。 

 一般国民はこの支離滅裂な偽善的な政治集団にだまされてはならない。 

 
 そのような権力志向的な集団指導のもとで、日蓮の立正安国論にもそむく偽善的な政策を日本の国会や与党権力の行使を正義と偽りながら、平然として、主権者の国民をないがしろにして、政治を行ってきたのである。


 日常の活動においても国民の困窮に耳を傾けようともしないで、自己の主張を自己満足だけの大声で叫んでいるだけである。 まったく、あきれる政治政権である。
 
 これを日本のしゅけんしゃである国民が公明党と創価学会を嫌悪し、批判の対象とされる原因になっているのである。

 究極的にいうならば、現在の公明党に対して、主権者である国民一般がこの政治政権の無責任性を多く目撃してきた結果として、判断したのは、現在の公明党政権には、日本の国会を担うような政治的・管理能力がないと判断しているのである。

 驕れるもの久しからずの歴史ドラマの展開である。

 すみやかに、野党に下れ。 野に下りて、主権者である国民の真の声を聞け。
 
 この腐敗した悪性の与党自民公明党の権力集団にとって変わる新しい政権により、早期に、日本の再構築を果たされたい願う次第である。


元創価学会員より 
2009.8.17

(元創価学会員:2008年10月創価学会退会、創価学会本部の幹部等の独善的、非民主的な在り方が問題である。)

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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