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新聞もテレビも、もう要らない?——4つの雑誌の特集を拾い読む

takanoron.png 『リベラルタイム』7月号が「いらない!新聞・テレビ/つまらない新聞・テレビは見たくない!」、『クーリエ・ジャポン』7月号が「サヨナラ、新聞ジャーナリズム」、『週刊新潮』が先週から始めた「新聞業界最大のタブー“押し紙”を斬る!」連載、『週刊東洋経済』6月13日号が「大激震!電通vsリクルートvsヤフー」と、マスメディアの未来を占う雑誌の特集が相次いでいる。以下、主に新聞とウェブについての部分の拾い読み。

●朝日新聞は経費155億円を削減

 『リベラルタイム』によると、朝日新聞社は昨年9月中間連結決算で最終損益103億円の赤字、営業損益も5億円の赤字で、両方が同時に赤字となったのは史上初。5月14日に開かれた同紙OBの集まり「旧友会」で挨拶に立った秋山耿太郎社長は「いま今年度の予算を策定しているが、困っている」と言いつつ、次のように述べた。

(1)広告収入はこのところ、毎年100億円ずつ減少していたが、昨年のリーマン・ショックを契機に急減。08年度は200億円の減収になった。(2)このため、今年度は経費を155億円削減する計画で、“聖域”といわれる販売経費も60億円削減する。(3)用紙代を削減するために、新聞の頁建ても36頁から32ページに減らす。(4)タクシーチケットを全廃したほか、ゴルフの会員権も売却中だが、年金の補填額が260億円必要で、さらなるコストカットが必要。(5)今年夏の賞与は平均40%カット。役員賞与はゼロで、報酬も今年4月から社長は45%、常務は30%、取締役は25%、役員待遇は20%のカットを実施している。(6)これからはOBの皆さんの年金を引き下げることになるかもしれない……。

●“押し紙”という偽装ビジネス

 『週刊新潮』の連載第1回によると、新聞各社が販売店に本当必要な部数以上に押しつけて卸している“押し紙”は平均で公称部数の約4割に及ぶ。滋賀県の大津など5市で25万世帯を対象に行われた調査では、読売18%、朝日34%、毎日と産経は57%だった。

 ある読売販売店の場合、配達する朝刊約7000部に対して新聞社が搬入する部数は8750部。残りの1750部は梱包を解かれることもなく倉庫に山積みされ、週に1度、古紙業者の4トントラックで積み出される。その1750部の分は販売収入はもちろんないが、その分も含めた卸し代金が新聞社から請求される。新聞の販売収入は、新聞社と販売店でおおむね折半するが、それで押し紙分も支払わされたのでは販売店は成り立たない。ところが販売店には折込チラシの収入がある。折込チラシの枚数は原則として新聞の公称部数と同じだから、販売店は8750部の分の料金を手にするが、実際には押し紙の分は折り込まずして料金だけを騙し取り、その分のチラシも倉庫に放り込まれる。チラシの水増し請求分と、押し紙の分の新聞とチラシの古紙回収代金が販売店の収入となり、それで新聞社に払う水増し請求分を相殺するのだが、相殺しきれない場合は新聞社が“補助金”で埋める。それが「販売経費」である(朝日がそれを60億円も削減したら、ますます押し紙が利かなくなる)。

 そうまでして新聞社が公称部数を膨らませるのは、広告媒体としての価値を高値で維持するためである。食品はじめ他の業界や企業の“偽装”を居丈高に糾弾する新聞が自分は陰でこんなことをやっているのだから話にならない。さらに、「地球環境に優しく」とか社説を掲げたりキャンペーンを張ったりしても、大量の押し紙とチラシを廃棄して紙資源をむざむざ浪費していることへの反省もない。それでいて、部数偽装のことは知れ渡っているから、公称部数で設定された正規の料金を払う広告主などいないし、不況になって広告主が激減している今はますます値崩れが激しくなって、この偽装ビジネスモデル自体が崩壊に瀕しているのである。

 筆者の黒藪哲哉は「新聞販売黒書」というサイトの主宰者で、読売新聞社との間で裁判係争中。※http://www.geocities.jp/shinbunhanbai/

●消費者に高値を強制する「再販制度」

 押し紙は主に新聞社と販売店と広告主の三すくみゲームだが、その前提になっているのは、公正取引委員会から“特殊指定”で許されている「再販制度」——再販売価格制度すなわち値引き販売禁止の仕組みによって宅配制度が維持されていることである。『リベラルタイム』でビデオジャーナリストの神保哲生は、これを「日本のメディアが抱える深刻な構造問題」の3つのうちの1つに挙げて次のように論じている。

▼商品の値段は市場原理によって決まるのが原則だが、特殊指定を受けている新聞の価格は新聞社が指定した値段で売ることが出来、そのおかげで新聞社は価格競争に晒されずに安定的な経営を行って「国民の知る権利」を担保しているのだと彼らは言う。

▼が、今の新聞社の経営を優遇すべき必然性を、どれだけの人が感じているだろうか。さらに、自由競争になればいまよりも安価で売られるべき新聞を、再販制度の下で、消費者があえて高い値段を支払うことでその経営を支えているという事実を、どれだけの消費者が知っているだろうか。

▼紙面は各紙とも大半が記者クラブ発の横並び記事で埋め尽くされ、たまに独自ネタがあるかと思えば、権力のおもねる記事や、大衆を煽動するヒステリックな記事ばかり目につくと感じるのは、私だけだろうか。

▼今日の新聞社の現状は、公共的なジャーナリズムの担い手というよりも、むしろ「巨大娯楽産業」であり、特別に保護すべき正当な理由があるだろうか。

 神保は、「構造問題」としてさらに、新聞5大紙による民放テレビのキー局の系列化(多くの先進国では制限・禁止されている)、記者クラブ制度(再販=宅配制度があるから紙面で勝負しなくても売上げには関係ないので横並びに流れる)の2つを挙げ、それらが絡み合って今日の堕落を招いたと指摘している。

●急減するマス広告

 『週刊東洋経済』によると、今年4月の媒体別広告売上高は前年同月と比べて、新聞29%減、雑誌28%減、テレビ18%減、ラジオ13%減(電通調べ)という土砂降り状態となった。

 こうした中、マス広告の覇者=電通は1兆8871億円を売上げながら営業利益はわずか431億円、106年ぶりに最終赤字に転落した(3月期連結決算)。それに対してリクルートは、同じ広告を本業とすると言っても、読者の関心に絞った自社の出版媒体に販促型の広告を集めるという新しいモデルを展開、1兆0839億円を売り上げて電通の倍以上の1131億円の営業利益を上げている。またネット広告でダントツのヤフーは、売り上げこそ2657億円だが、営業利益は電通やリクルートより高い1346億円である。現在は、ネット広告も減少に転じているが、長い目で見れば将来にわたって上昇傾向が続くと見られており、企業業績が回復した際には、マス広告は少ししか回復せず、ネット広告が大きく伸びることになるだろう。

 しかしヤフーの広告ビジネスにも死角はあって、「独り勝ち」しすぎて自分の首を絞めることになりかねない。というのも、ヤフーの集客力の中心は1日200万人超を集めるヤフーニュースだが、そのコンテンツを作るのは自社ではなく既存の新聞社はじめメディア企業。彼らが収益基盤をネットに浸食されて体力を消耗すれば、コンテンツの品質が下がって客が離れていく。「ヤフーの収益力を既存媒体に還元する仕組みを強化する」ことで「共存光栄」を図ることが課題だと同誌は指摘するが、しかしヤフーが収益の一部を回したくらいでは新聞社など既存メディアが立ち直ることはないだろう。

●瀕死状態の米国の新聞

 『クーリエ・ジャポン』の特集のトップを飾るのは、ポ−ル・スター=プリンストン大学教授の米オピニオン誌『ニュー・リパブリック』への寄稿である。

 それによると、新聞業界は近年、インターネットの発展、広告収入の下落、購読者数の長期的減少によってその存立が危ぶまれてきたが、そこに今回の不況が襲って、いまや崩壊寸前に追い込まれている。昨年末時点で新聞業界の広告収入は3年前と比べて25%減少し、さらに09年に17%、10年に7.5%減る見通しである。各新聞社は編集者や記者の削減、ページ数や取り扱うニュースの幅の削減、特集記事の廃止などで対応しているが、それでも間に合いそうにない。

▼ロサンゼルス・タイムズ紙は、人員削減で記者数を半減させた。
▼同誌の親会社でシカゴ・トリビューン紙も傘下に持つトリビューン社は、昨年12月破産法適用を申請した。
▼サクラメント・ビー紙やマイアミ・ヘラルド紙など全米30紙を傘下に置くマクラッチー社も、この1年間で従業員を4分の1解雇した。
▼ニュージャージー州最大の日刊紙スター・レジャー紙は昨年10月、編集局の人員の45%を早期退職させた。
▼あのニューヨーク・タイムズ紙でさえ、手元資金が細り、信用格付けが引き下げられた。
▼新聞社の株価はこの1年間に平均で80%以上、下落した。

 特に削減の影響が著しいのは、海外ニュース部門と政治部門である。

▼02年〜06年の間に米国の全新聞社の海外特派員の数は30%減少した。
▼この3年間に全米の新聞の3分の2が国際ニュースの扱いを減らした。
▼フィラデルフィア・インクワイラー、ボルティモア・サン、ボストン・グローブのいずれも名門3紙は、ここ3年間ですべての海外支局を閉鎖した。
▼トリビューン社は、傘下のロサンゼルス・タイムズ紙、シカゴ・トリビューン紙などのワシントン支局を1つに統合し、支局員を3分の1にした。
▼コックス・ニュースペーパーズ社は、傘下のアトランタ・ジャーナル紙など17社の記者30人がいた共同のワシントン支局を今年4月に閉鎖した。
▼ニュージャージー州のスター・レジャー紙は、州都トレントンに置いた13人の記者を4人に減らした。
▼同州で新聞6紙を発行するガネット社は、州行政担当の記者を6人から2人にした。

 さらに科学欄、文化欄、書評欄も削れられいる中で、各紙が少しも削っていないのは地域の出来事・情報を伝える地域欄である。この動きはハイパー・ローカリズムと呼ばれるが、街ネタしか提供しない新聞は早晩、国際ニュースや文化情報に関心を持つ比較的富裕な読者層や、その層を相手にしたい広告主から見放され、新聞のフリーペーパー化が起きるだろう。

 こうした中で、全部または一部をネットに移行する新聞も多い。

▼クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、紙印刷は週刊とし、毎日のニュースはネットだけにした。
▼デトロイトの日刊紙2紙は、宅配を木・金・日曜だけにし、他の日はオンライン版とスタンド用のスリム版を販売している。
▼ニューヨーク・タイムズ紙も、週末だけの宅配購読の勧誘に力を入れている。

●新聞が死んだ後に

 新聞がそのままネット上に身を移して生き残ることは可能なのか。スター教授は「現時点では、紙媒体を廃止しウェブに完全に移行することは自殺的行為」だと言う。クリスチャン・サイエンス・モニター紙がそうしたのは、同紙が教会の資金で成り立っていて、特定の地域市場との結びつきがないからで、これは特殊ケースである。ウェブに完全移行すると、コストを40%削減できるが、収入の90%を失うのが普通である。

 他方、ウェブ上のニュースサイトは、新聞はじめ他のニュース媒体からニュースを集めたものがほとんどで、独自の取材で記事を書いていない。市民記者が書く場合もあるが、プロの仕事には及ばないし、特定団体のプロパガンダが混じる危険もある。プロ記者を多数抱える大手ジャーナリズムの仕事を、個人の自発的参加によるマス・コラボレーションで実現することは難しい。

 とすると、代替するものが現れないうちに新聞が消えてしまうこともありうる。1つの打開策は、政府の補助金でニュースという公共財を支えることで、例えばフランスのサルコジ大統領は18歳以上の仏国民に、好みの日刊紙を1年間無料で購読出来る計画を実施に移した。もう1つは、ジャーナリズムを「寄付で賄う」という発想で、言わば「NPOジャーナリズム」である。

 それには3つの方向性がある。第1は、新聞社を商業ベースでなくNPOに移行して寄付金ベースで存続させることで、熱心な読者の中には単なる購読料だけでなく寄付をしてでも愛読紙を支えようとする人もいるかもしれないが、これを実行したところは未だない。

 第2は、特定のジャーナリスト集団を慈善事業でサポートする方法で、有名なのは「プロ・プブリカ」である。これは、元新聞記者たちが「公益にかなう調査報道を行う独立系かつ非営利のニュース編集室」を作り、その趣旨に賛同した篤志家が個人で毎年ポンと寄付を行うパトロン型。記者たちは時間と費用をかけた調査報道記事を作成し、新聞社などに提供する。

 第3は、ウェブ環境に相応しい新しいジャーナリズムの開発に資金を提供するもので、「センター・フォー・インディペンデント・メディア(CFIM)」の場合は、資金提供者70人から集めた年間400万ドルでワシントン・インディペンデントなどのニュースサイトの運営をサポートしている。将来の成功を先取りしたベンチャー投資型と見られるが、自身の財政基盤を持たないでは、たった1回の訴訟で運営が行き詰まることにもなりかねない。

●独立系ニュースサイトの成功例

 『クーリエ・ジャポン』の特集には他にもいくつかの記事があり、そこではすでに投資資金や広告収入で維持できている独立系ニュースサイトの例がいくつか出ている。

▼ポリティコ
銀行業で資産を築いた資産家の御曹司で新興メディア王としても頭角を現しているローバート・アルブリットンがベンチャー企業として創業した。編集の中心は元ワシントン・ポストのベテラン記者2人で、ワシントンの政治の動きについてのニュースや著名ブロガーのコメントをネットと紙媒体で繰り出していく政治専門サイトとして、オバマ選挙を通じて急伸した。08年9月のユニーク・ユーザー数は460万に達したが、選挙後はだいぶ落ちている。しかし創業者は今年中にも黒字化すると見通している。今は紙媒体の広告料が主な収入だが、今後ウェブ広告を増やしていくという。

▼ハフィントン・ポスト
もう1つ、オバマ選挙を通じて成功を収めた政治中心のブログサイト。05年にギリシャ系女性ジャーナリストのアリアーナ・ハフィントンと元AOL役員のケネス・レーラーが立ち上げ、徹底したブッシュ政権批判と独自スクープの連発で月450万以上のユニーク・ユーザーを集めるようになった。ベンチャー投資家の資金が推進力になっている。

▼ドラッジ・レポート
30歳までコンビニでバイトをしていた高卒ニートのマット・ドラウジが、父親に買って貰ったパソコンで98年に始めた個人サイトで、こちらは共和党支持の保守派。クリントン大統領のモニカ事件をタレコミでスクープしたり、CBSテレビの大ベテラン=ダン・ラザーが番組で暴露したブッシュの徴兵逃れの証拠文書を“偽造”だと指摘してネットで包囲網を形成、ダンを降板に追い込んだことで有名になった。ユニーク・ユーザー数は200万。

 ドラッジのケースは、幸運にも恵まれてマス・コラボレーションが成功した希有な例だが、プロ・プブリカ、CFIM、ポリティコ、ハフィントンなどは、志を持った資金元とプロのジャーナリスト集団がそれぞれ独特の形で結合して始まった実験と言える。さて、我がTHE JOURNALは日本のネット報道局として独自の展開の道を切り開くことが出来るのかどうか。▲

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» "押し紙"とは呼んでいないんだよ"お願い部数"と呼ぶんだよ 送信元 雑感
今は、"押し紙"とは呼んでいないんだよ"お願い部数"と呼ぶんだよ(爆 「お願いだから、強制ではないという理屈か?」 「お願いを断ったら廃業に追い込まれる?... [詳しくはこちら]

» 新聞は何処まで信じられるか? 送信元 雑感
虚偽の報道や偏向報道と言われるのだが、どの程度のものか実際に検証をし始めているところもある。 実際には、調べ始めているというか、前から研究テーマとしている... [詳しくはこちら]

» 押し紙と印刷部数 送信元 雑感
 押し紙も怪しい話し だが、麻生さんの「 豚インフルエンザ」の政府からのお知らせ もわざとらしくて怪しく感じてしまった。 怪 しく感じるお知らせに約3億円... [詳しくはこちら]

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新聞の必要性ってあるのと自問したとき、情報媒体の一つとしては必要ではないかと思う。
ですからなくなっては困るものはあるような気がします。
では今の形態で継続する必要はあるのと聞かれれば、その必要性はないのではと答えるでしょうね。

巨大な全国紙の形態で5紙も無理して維持する必要があるのだろうか。その一翼を再販制度と宅配が担っているのですが、そうしたもので無理矢理に支えても弊害だけが目立ち本来の新聞としての機能が著しく低下してきているようなきがします。

5紙を並べても、若干のスタンスや語気の強弱はありますが本質において違いはないと思います。みんな会社が大きくなり組織化されて、再販で守られ宅配で自動的に配られるシステムの中では誰も冒険をせず、向こうからやってくるニュースソースばかりを垂れ流す方が楽でよいのは確かでしょう。
電波法で守られるTVにしても再販制度で守られる新聞にしても、民間よりは可成り高い給与をもらっりるはずで、一概に否定はしませんが、社会への木鐸としてのハングリー精神が失せてしまっているような気がします。

長いものには巻かれている今の宅配の新聞には必要性は感じませんが、人間の哀しい性か、習慣か、毎日配られてくる新聞を未だ拒絶は出来ていません。

新聞が残る形態としては、再販を取り除き、宅配の制度をなくし群雄割拠の色々な意見のある多数の新聞が展開されることが望ましいと思います。

蛇足ですが、私がとっている新聞は日経です。1,2、3面は全く信用していませんので、後の経済面だけを参考にしています。
少し前までは、他の四紙を値引きと景品によりローテーションを組んで順番にとっていましたが、馬鹿らしくなり、値引きもなく値段も可成り高いですが経済面でまだ利用価値のある日経に変えました。

他の四紙は情報のCDSの様なもので、結局は情報の全てが棄損されて価値を喪失しているようで読む気にはなれないです。

「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」「日本郵政の西川善文社長の進退問題」と本質的に重要な検討課題が出てきて,それらニュースを報道する新聞・テレビの論調にも苛立ちながら,兎も角,真剣に考察しようとしている矢先に,「新聞もテレビも、もう要らない?」と問題提起されると,お手上げで,集中のしようがない。何から片付けたらいいか。麻生総理の「推定無罪」に関わる重大発言ですら,置き去りにされたままだ。もちろんこれは,ご本人に向かって,追及しないと,実効性のない次元の問題ではあるが。いずれにしても,各ブログごとに分科会でも作って,問題別に突き詰めた討議を行わないと,何の成果も上がらないで,遣りっぱなしの自己満足に終わりそうな感じがする。

<テレビも新聞も、いらなくはない。>
あえていえば、現在の官報としての、テレビも新聞もいらないのです。
特に、新聞の売上の落ち込みが顕著です。
テレビは、災害の時は必要性を感じますし、キー局は、どうしようもないが、BSやCSにはキラリと光る報道ニュース番組がある。(今も朝日ニュースターには郷原氏が出演され、第三者委員会の報告書のポイントを語っている)
テレビに報道の真髄を求めるのが、そもそも無理がある、と思う私は変わり者なのだと思うのだが...。新聞とテレビの系列化がメディアの劣化を推進しているとも思わない。ユダヤ資本に凌駕された米国よりはマシだと思うのです。
問題は、新聞なのだと思います。新聞とテレビ局が系列化しているが故、テレビの報道番組は系列の新聞社の論説に頼る場合が多く、新聞がクォリティを取り戻せば、テレビの報道番組も良質な番組になる期待が持てます。
秋山耿太郎社長が、予算をどうしようか、と挨拶された様ですが、タクシーチケットを廃止したり、ゴルフ会員権を売却したり、紙面を薄くしたり、販売店への支援金を減らしたり、さらには朝日・読売・日経が印刷拠点を一本化したとしても、とても解決できないと思います。また、新聞不振の原因をリーマンショックに始まる経済状況にあると考えているなら、経営者として、失格なのではないか?とすら思うのです。
まずは、商品として、どうなのか?をゼロベースで見直す事が、復活への最短の道だと考えるべきです。たとえば、過去プラハの春の時代、ソビエト軍が戦車をプラハに侵略させ民主化を阻止した大紛争が勃発しましたが、当時は現地の記者からの実に命懸けの記事が紙面を飾り、次に紛争に至る背景や解説が続き、戦車の前に両手を拡げて立ちはだかる民衆の姿など、胸を熱くして、新聞を読んだものです。
しかし、湾岸戦争では、アメリカ政府の発表を流すだけになり、様変わりしました。危険な所には自社の記者を行かせない。そんな姿勢で、読者の胸を熱くする記事が書ける訳がありません。要は、シンプルに知的好奇心が満たされれば、外食を減らしても、私は新聞を購読するでしょう。

新聞の現実は新聞配達員の方々が一番よくご存知でしょう。
私の知り合いにこの間まで新聞配達をやっていた人がいました。
一地方の専売所で朝は1時起きで夕刊も昼飯をかき込んだら、1時過ぎには店に出て行くというのが日課で、集金拡張が入る週は一日の睡眠時間は2時間取れるか取れないか、日曜も休まず集金に宅配先の家を回るので気が休まらないと話してくれました。
30年もこの仕事を続けて、定年になり老齢年金を貰うようになると必然的に給料は相殺され半分も削られるがやっている仕事は前と変わらないので馬鹿らしいと辞めてしまったようです。
勿論、本当のわけはこの業界はもう持たないということだろうと思います。
拡張契約はたとえば読売ならジャイアンツ戦の招待券など宅配契約と引き換えのサービスで新聞は販路拡大に大きな躍進をもたらした時期があったようです。
他にも洗剤や商品券などサービス合戦が過剰になり、他の新聞拡張員同士で揉めたりして景品禁止になったりする地域や、よくいわれる押し売りまがいの拡張で無理やり取らされるなどの苦情が問題になったり、でももう、洗剤やジャイアンツ戦で新聞をとってくれる家は殆んど無いようです。
拡張契約の多くは友人や親戚、家族と勿論本人と身の回りが多く、飛び込みのしかも若い人たちは全く興味を持たず、ネットで見てるから、で断る人が圧倒的だそうです。
何時ごろからですか?と聞いてみましたら「もう10年くらいになる。年々多くなっているよ」とのことです。
無駄に多い広告の枚数と新聞本体の広告の大見出し。
専売所を支えているのはチラシと押し紙であり、宅配契約の多さではない。
かの知り合いに押し紙のことを聞いてみたところ、こともなげに「発行部数に加算されてるだけだから本社の連中も専売の所長も知っているけど知らん振り。実売数がどれだけかはコンビニや駅売り、病院の新聞スタンドの残り具合でわかる。」
と話していました。
とりあえずは新聞宅配の現場にいた人の感想を書いてみました。

テレビはともかく新聞が無くなることを想定すると、長い間新聞に情報源を依存していた私としては拠り所を失うような恐怖を感じます。20年以上日経をとっています。以前はもっと専門紙という印象だったのですがいつのころからか生活情報にもかなりの紙面を割くようになってきました。新聞も購読者のニーズに合わせて変遷してきているようですね。もちろん今回の西松事件での日経の報道にはひどい偏向があり嫌気が差しているのも事実です。しかし、それは新聞という媒体事態の責任ではなく、そこに携る人間に問題があるわけで、その横行を許している社会的な背景とも関係しています。正しいジャーナリズムを期待したいと思います。ネットで情報が取れるといってもやはり紙面から得られる情報とは違います。少なくとも新聞には発行元に実態があり、情報に不満があればクレームをいうこともできますが、ネット上のいつ消えるかもしれない情報は補助的なものとしてならともかく情報源の中心に据えることには不安があります。新聞が信頼できるメディアであるという条件を備えていさえすれば、一般的な情報を共有するには最適な媒体だと思います。また、個々のニュースだけではなく、レイアウトを含む紙面全体からの情報の発信の側面、政治、経済、社会、文化とバランスよく扱われているメリット、活字文化としての側面からも新聞にはもっと社会的責任を自覚し、質の高い報道を行うことで生き残って欲しいと思います。

(新聞)
メリット:家庭で、包装やウエス代わりに使用できる。
(でも、たくさんはいらないので実家からわけてもらうので十分。
記事書くのが大変なら、4ページにした方がいいと思う。
印刷物で締切りもあるし、簡単に差替えもできないから、本来は信頼性や質も高いはずだったと思うけど、それは失われていると思う。)
デメリット:紙資源の無駄使い。
配達時、石油資源を無駄に消費。地球環境にも悪影響を与える。
即時性がない。
(テレビ)
メリット:即時、大量、動画による情報伝達。
デメリット:双方向性が乏しく、受け手の情報共有が出来ないため、架空の世論が生み出される。

随自意と随他意。
自分の主張と、相手に合わせた説明。
媒体がなんであれ、コミニュケーションが大事だと思います。
そうでなければ、ただの垂れ流し。
便所の落書きといっしょ。

新聞は、スピードで叶うわけがないのだから、中身で勝負。
じっくりと取材、検証して、後々、本で出版するつもりくらいで、主張や解説記事を書けばいい。
オピニオンリーダーとしての誇りを取り戻すべき。

テレビは、影響力が強いくせに一方的なんだから、事実を伝えることを主眼にするべき。
時系列を守り、関連情報と会わせて情報提供することで、信頼と質が高まる。

 社会に関する情報を求める事は人間の本能であり、従ってこれを満たすサービスは何らかの形では存在し続ける物と見ています。
 一方、家計非常時の際、冗費と見なされて真っ先に削除対象に挙げられる物の一つが新聞購読費である事も事実だろうと思います。
 新聞は社会の公器である、といった正統性仮説もさる事ながら、実際のビジネスとしては需給両サイドの考え方のずれが戻れないほど拡大してしまっていると感じます。
 現状では基本的に新聞、テレビといったマスメディアが提供している情報サービス総量の内、各需要者が実際に必要としている部分は3割も無いのが実情ではないかと思っています。
 従ってテレビは無料であるから良いものの、新聞は無視できない位の単価なのでいざという時には切られる事にならざるを得ません。
 一方情報の総合デパートとしての新聞、テレビなどマスメディアは今の時代に本当に必要とされているのだろうか。
 各カテゴリ毎の情報ならば、マスメディアよりも詳しい情報媒体がいくらでもある時代です。
 ならばマスメディアの価値は今やマス、としてのその規模自体と、速報性、網羅性にしか残っていない事になりますが、これだけで果たして今後もやっていけるものなのかどうかは私にも良く分かりません。
 テレビなどは、その提供サービスの内8割位は私にとって不要な物なので、そうであれば逆に局の番組表をバラバラにして番組枠の最小単位で採算を取るPPVサービスでも良い位だと思っています。
 番組ですら出版物同様のビジネスモデルとなれば、編集の自由度や内容の専門性は格段に向上するだろうと推測していますが、こちらの方は技術基盤は確立しつつあるものの、ビジネスモデルの確立はまだこれからのようですが。

 記者クラブ、再販制度の問題と共に小生が重要視しているのは、TVと新聞の一体化についてです。
知る権利の点からメディアのあり方を考えて見ると多様な意見を反映した方が受け手にとって資することになる。
思想の自由市場の考えからも多くの意見が偏在することで真価が問われ良いモノが残っていく。
しかし日本のメディアは新聞TVは混然となりその結果、新聞とTVの差異は薄まり同じ傾向の報道がなされてしまうことになっている。
知る限りでは先進諸外国メディアでこのような仕組みがあるのは日本くらいではないだろうか。
新聞とTVの峻別をどのようにして図れば良いのか高野氏はじめBBS参加の皆様に考えを示していただければと思います。

 新聞不要論 人受けしやすいが
要注意である。庶民それならどこから情報入手できるのか。新聞が特定の資本め政派に支配され 書かなければならないこと また国民が知りたいこと わざと書かないことが問題ではないか。
 記者クラブ制 全廃し フリージャーナリストといい意味での競争むすべきと思う。
 高野 孟さん 貴殿は新聞がなくなたなら どこから情報えるのですか。新聞不要論 言うまえに
 新聞社経営と広告主との関係
 広告主を慮って 記事掲載するか否かに影響受けていること 精密に検証してください。
 新聞の 再生 そこからだと思います。

新聞の売り上げを増やすには、権力に迎合せず偏向や捏造をせず、真実を記事にすればよいだけ。
簡単なこと。

これからもますますネットを使った情報発信は、今以上に増えていくでしょう。
地上波デジタルなどは「双方向」と称して、現時点ではドラマでタレントが使用した商品の販売をもくろんでいたりします。
そういう商用の使い方が先行していると思いますが、情報の双方向通信も増えていくのでしょう。
例えば、ニュースの放送中に視聴者の意見を集約したりアンケート(世論調査とは言えないでしょうが)を取ったり、色々なことが始まるでしょう。
そうなると画面を流れる情報に対して、人間が何処まで対応できるか不安があります。
洪水のようにテレビの画面に押し寄せる情報によって、それを見ているだけに「思考停止状態」になるのではないでしょうか?
ここに来ている方ならそれに耐えうるとしても、相当数の人は今以上に情報操作されてしまうのではないでしょうか。

期せずして催眠術効果が起きてしまう。又はそれを狙って大量に「双方向通信」上に意図された情報が流される。
しかも既存マスコミよりネットの情報が信頼できると勘違いされ、そうやって流された情報を鵜呑みにしていく。
今でも紙媒体と一方向テレビでもおかしいことが沢山起きているのに、こうなるとますます巧妙に仕組まれてマインドコントロールされてしまうと危惧します。
こうならないと誰が保証できるでしょうか?

デジタル地上波の双方向を例として考えましたが、今のネットもさほど変わらないでしょうし、テレビでネットが見ることの出来る時代がすぐそこまで来ているとき、「双方向」のインフラにはそのまま今のネットが使われるので、「ネットに疎い人」が大量に出現するのです。そういう時代に意図的な情報が大量に流されることを私は恐れます。

今盛んにネット上などでマスコミが批判されています。私も今のマスコミの報道姿勢に批判しているし、批判的に紙面を読んでいます。私の周りの出来事ですが、ローカル紙の理解力が不足していると思われる記者の書いた記事が原因で、市民団体に内紛が起きたりします。書き手の習熟度が低いとこういう事も起きるのです。
ネットに情報を流す人たちがこの若い記者以上の習熟度が高いと言えるでしょうか?
排他主義的な言動が大手を振るったり、報復的言動が意味もなく反復されたり、根拠のない情報が流されたり、これらに対してどうすれば見抜くことが出来るのでしょうか。

又マスコミの内部にも今の状況を良しとしない人もいるわけですし、所属している会社の方針と違う意見を持っている人もいるし、フリーランスで発言している人もいる。新聞にしてもテレビにしても無くなればそういう人たちの生活の場が失うだけでなく、文章の書き方・情報の整理の仕方を身体に覚えさせる場もなくなるのです。こういう実践的な修練は大学などではフォローできないでしょう。
そうなると、第2第3の高野孟が育つ場所が無くなるのです。
ネットでは情報の選択や文章の推敲などを学ぶことは出来ないです。

つまり情報を全てネットだけで事足りると多くの人が増えて、マスコミが衰退したらむしろネットに流れる情報で操作される危険度がますます増える。むしろファシズムの社会が到来するかも知れないと思う。

今の新聞やテレビが何故これほどまで信頼を失ったかと言うことを、マスコミに携わる人たち自らが検証し、反省し、癒着の温床となっている記者クラブ制度をなくす。そういう自助努力を求めることはあっても、消してはいけないと思います。新聞を買う買わないは個人の選択ですが、新聞をはじめとする既存マスコミを潰すと言うことはしてはいけない。批判しつつ育てる。又存続する方法手段を、それこそ双方向で考えないといけないと考えます。

ネット時代になっても、活字媒体は消えない。

新聞のような市民に向けての情報発信機関そのものは必要だと思いますが、新聞業界が主張しているという「国民の知る権利を守る」という意味では現時点で存在価値はないと思います。どちらかといえば「権力筋の広報機関」に過ぎないでしょう。

現状のように数々の構造的な矛盾に捉えられているこの業界に輝かしい未来があるとは思えません。
私自身新聞をみなくなって10年、テレビを撤去して5年になりますが、日常生活で特に困るようなことはありませんでした。世間の動きはネットで十分に事足りていますし、劣化が進んだテレビ番組や無駄な広告にさらされずに満足しています。
周囲を見ても明らかに以前に比べて新聞やテレビを見る層は減ってきている事を実感しています。

私の勝手な推測を申し上げます。
読売新聞が自民党の広報誌であること、日経が経団連の広報誌であること、サンケイが最右翼の広報誌であること、これは厳然たる事実です。
それに対し、朝日新聞は明治初年の創刊以来、戦時中の一時期を除いて、絶えず国家権力に抵抗する姿勢を貫いてきました。
その姿勢に同感する人々が、朝日の読者の太宗を占めてきたのです。それが、昨今の朝日の権力に迎合する論説や、オピニオンの構成を眺めるとき、読者に失望と不快感を抱かせるのは当然であります。
まだ数年前のこと、自民党の保守右翼勢力(阿倍・中川)一派から疎んぜられた朝日の論陣は、一体、何処へいったのでしょうか。
巷間、噂が流されている朝日の論説委員や主要記者が、最近、ひそかに麻生首相と料亭で会食したとか、私には想像もできなかった腐敗ぶりです。
それならそれで、立場がはっきりしている読売・サンケイ・日経を読んだ方が、裏切られた思いの朝日を読むより、むしろ、すっきりしています。

うっかりしていたが、出版媒体である新聞には放送法に対応する法律が無いと言う事実、むしろ与えられている言論の自由の権利の元に論説が展開され、日々紙面が構成されているのだという事実を思い出さなくてはいけない。
そのような環境下で新聞社が政府のプロパガンダ機関と化しているのなら、存在が許されるはずも無い。
ならば新聞無き世界で我々はどうすればいいのか? 放送法を厳格に遵守させたNHKテレビジョンでニュース関連の記事を文字と画像情報で閲覧できるようにするのだ。何のことはない。現状のデジタルデータ放送で既にやっている様なことなのだ。しかし高齢者や家電音痴でもラクチンに検索、閲覧が出来るような工夫が必須ではある。なお、いうまでもなく論説なんて高邁なものは不要であろう。

『天下獨特の肝癪を經とし色氣を緯とす過激にして愛嬌あり』
『威武に屈せず富貴に淫せずユスリもやらずハッタリもせず』

宮武外骨『滑稽新聞』の有名なモットー。
滑稽新聞の復活を願う。
宮武外骨の気概を継ぐ新聞人を求む。

全国紙といわれて格調の高かった新聞各紙もいまは全国御用新聞に成り下がってしまった。インターネットニュースに押されいずれ消滅してしまうのが自然の摂理か。私のうちは戦前の「マル公」時代から昭和中期まで全国各紙の新聞販売店をやっていた。日米講和条約を過ぎた頃に親が「押し紙」の件で連日やってくる新聞社の営業部に泣かされていたのを知っている。それ程歴史が長く根が深いという事を知ってほしい。
新聞の押し紙は、本当は環境破壊の大きな一因であることを皆さんも認識して下さい。ロシア、北米、ブラジルから船で運ばれた膨大な量の用紙は読まれもせずリサイクルにまわされたり廃棄されたりしている。エコが叫ばれる今、然しながら新聞・出版各社は何も言おうとしない。どんなに貴重な資源を無駄使いしているか認識しているのか疑わしい。

大マスコミにはP.F.ドラッカーの言葉を贈りたい。
「経営とは所与条件を前提とした効率追求に留まらず、積極的に環境を創るものである」
「市場の変化を見出し、市場を創り出せ」
「企業の目的は利益ではなく、顧客の創造である」
「企業の機能はマーケッティングとイノベーションである」
「企業の責任は利益の最大化ではなく、機会損失の最小化である」
「常に自社の事業における本質を問い直さねばならない」

新聞もテレビも、もう、とっくに見放されていますよ!。
近年のシンボリックなこととしては郵政選挙ですが、
小泉氏の郵政選挙で国民が下した判断を、政治家も官僚もマスコミも、グシャグシャにしてしまったんですからね…。
国民から、あれだけ、圧倒的な支持を受けたことを、そのとおり遂行できない国家なんですから!。国民の総意が無視されたということでは、与党も野党もないですよ!
特に、マスコミに至っては、戦前戦中(戦後も)の言論統制などという時代よりは遥かに表現の自由などといったことが保証されている時代にも関わらずですよ…。

〜長文になるので割愛〜

もう、既にグシャグシャですから、見守るしかないのでしょうが、
我が子が、よちよち歩きを始めたとき、転んでしまうことは、それは「怪我してしまうじゃないか!」と案じて「まだ、歩かせまじ」とする親心か「経験しなきゃ、学べないじゃないか…」と「見守っているから大丈夫、やらせなさい」と次の局面を想定し準備する親なのかといったところの、どちらを国民が求めているのでしょうか。
私が思うに、とにかく、そのことから、理不尽が増大しているように思いますよ。
先進国=低投票率というのは、何なんでしょう?。思惑ですか?、誘導ですか?
国民の意思が反映されない国家という組織に、国民が白けちゃったんですか!

テレビは最近ほとんど見てないです。そういう人はたぶん他にもたくさんおられると思います。その理由として、よく聞かれるのが番組がつまらなくなったというご意見が多いですね。でも、私などは体感的に昔見てたのとそんなに変わらないように思います。それ以上に今はネットで、知りたい情報を自分で興味のある分野の知識を探して得られる、また自分の考えをたくさんの人に伝える、という事の方がテレビでぼーっと見てるより楽しいですから、テレビの質が大きく落ちたという感じはしません。CMは以前よりウザくなりましたが(笑)
むしろ何かが変わって駄目になったというよりも、時代の流れに沿えず今までのやり方を変える事ができなかって凋落したという感じのような気がしますね。


新聞も大体の部分はネットで見られますからね。記事を探すのも楽だし。今まで払ってた新聞代はプロバイダ料金にあててます。ただ、新聞の配達がないとスーパーのチラシが手に入らないのは不便です。

高野 様

こんにちは。
興味深い文章があったので引用させていただきます。

引用開始
「テレビ・新聞はいまやオールド・メディアあり、二十一世紀はインターネットの時代になる」というのが島の基本認識になった。ちょうどその頃、島の新しい仕事のパートナーになる国際情報誌「インサイダー」編集長でテレビでもコメンテーターとして活躍している高野孟と知り合った。高野とは二十歳近く歳の差があり、しかも高野は学生時代全共闘の闘志として名をはせ、保守本流を自認する島とは、政治的立場や意見を異にしていた。インサイダーでテレビ制作などを一手に引き受けるエグゼクティヴ・プロデューサーの西条鉄男をまじえ三人で酒を飲みながら激論をしている時、「インターネットを使って日本の情報を世界に向けて発信する新しいジャーナリズムを一日でも早く立ち上げることが必要」ということで、三人の意見が一致した。島は、のちに「ジャーナリストはたった一人でも世界を相手にする覚悟がなければいけない、という高野の気概ある発言が気にいった。その場ですぐパートナーになってくれと頼んだ」と私にいった。

引用終わり
(本気で巨大メディアを変えようとした男~異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし~ より)

新聞ではなくTVの話ですが、その当時をリアルタイムで、その一挙一投足を肌で感じていたものとして今のTVも五十歩百歩なのです。
既に二十年以上も前の話ですが、強烈な個性を残して亡くなった、故)島さんの目指した改革は未完のまま、インターネット時代が到来し、その荒波に揉まれ、かつ未来を読めなかったTV業界も世界に遅れをとりもがいているメディアとしては同じなのではないでしょうか?

「高野は学生時代全共闘の闘志として名をはせ」た? ほんとですか? 高野さんは60年安保闘争後に「日本共産党」に入党し,順序が逆にその後「民青」に加盟した「遅れてきた青年」ではなかったのですか? 僕の思い違いかな? 事実確認は正確なほうがいいのでね。

追記:60年安保闘争後「日本共産党」に入党する学生達の事を,大江健三郎の小説と関連させて,「遅れてきた青年」と名付けたものです。

30歳以下の人はほとんど新聞を読まないという。ニュースはネットでチェックする。PCは使わない。携帯からだ。
そのほうが新聞を購読するよりはるかに安い。情報量は多くないが、時事をチェックするには十分。すこし詳しく調べたければ、関連サイトを巡回すれば済む。つまり新聞も雑誌もわざわざ購入する理由が彼らにはない。なるほどもっともなことのように思える。

では、なぜ中高年世代は新聞を購読し続けているのであろうか。
むしろそっちの理由のほうがわからない。
わたしは一体なぜ新聞を読んでいるのだろうか?

テレビは要らないが、新聞はやっぱり・・・・・・・・。

私は現行のアナログチャンネルで流されている6~7割は要らないと思うが、新聞はやっぱり要る。テレビも今のように系列化がすすむ以前はローカル局でも独自の取材番組があり、それなりに用をなしていたと記憶しているが、今のそれは世間を知るにはそこそこだが、人間を育てることにはいたっていない。
別の項に「☆ことばを失った日本人」を書いたが、実はシリーズで「☆礼節を失った日本人」、「らしさを失った子供たち」と続く。
私自身は今から30年ほど前まで、全国紙3紙と地方紙1紙を購読していた。
日課としてそのほとんどに目を通した。
始めはトイレで3~40分、これは家族にはいたって不評ではあったが、朝のひとときに至福を堪能した。
購読を1紙絞ったのは、社説が少し違う程度でほぼ同じ紙面になり、用を為さなくなったと感じたからである。
それでも、今ほとんどの新聞には目を通す。でどうしているかというと、ネット上に無償で公開されている記事、それも特集・文化欄を含み、是とするもの、否とするものを抽出して、A3の用紙にプリントアウトして読む。それも横組みのままではなく、A3版に、新聞と同じように縦組版を4段組にフォーマットしておきテキストファイルをそこに流し込むのである。
朝起き抜けの作業がこれで、これをもってトイレに挨拶に参じる。これだから、新聞社が赤字になるのは道理であり、気の毒でもある。
高野論説も、そしてその他の方々のそれも同じ手法で縦組みに直す。
ディスプレイで読むのは、棄て読みのみである。ただ1紙だけ有料で購読するのは別項にも書いたが、新聞折り込みを頼りにしている時代おくれの御仁の要望と、年10ヶ月分の購読料で12か月届き、しかも「缶ビール1ケース」が年一回届くからであり、これも新聞社の赤字要因なのだろう。気の毒である。
結論として、人が社会と関わっていく以上、新聞もテレビも要ることは論を俟た
ない。新聞が劣化した、テレビが劣化した、何れもその通りだと私も思う。そしてまた政治家さえも劣化した。
要するに、イチローや松坂、そして近日話題になった、盲目のピアニスト辻井伸行さんらに代表される、ごくごく一部のエリートはともかくも、底辺が著しく下がり、その平均値が劣化していると私は思う。
今年の年初、麻生総理が年頭記者会見に併せ、書き初めというパフォーマンスをやった。毛筆で「安心、安全」??だったか、実に「下手糞万金丹」の書をご披露あそばされた。下手じゃない、糞まで、おまけに万金丹までお連れである。
がしかし、下手なのはまだいい、誤字だった。漢字には筆順があり、行草書は、その筆画を略すことから、略した筆画に誤りがあれば、それを後日他人が読み返すことは不可となる。
総理の漢字力を疑う記事は多種多様に報道されたが、書き初めの書の稚拙さと、その不見識については1行たりとも目にはしなかった。
明治の元勲までさかのぼらずとも、田中角栄の書を見よ、その所行に善否はあろうともあの繁忙の傍らで、どれほどの修練を積んだのだろうかと思われる書を遺している。
私個人は、近年の政治家で観るに値する書をなしたのは、角栄氏が最後と思う。
いま書は「書家」の手になり、それは文人墨客でも思想家でもない。しかし、歴史に名を遺した先人は、同じように書を残している。
マスコミが、政治家が、そしてあれこれが劣化した。それは、一部のエリートを除いた、私を含む市井の民の劣化であって、何れが先かを問うことではない。
少なくとも、いまの日本の選挙制度であれば投票する側が自立し、健全であれば非難、批判される政治家が選出されることはありえない。制度は担保されているのに、それを健全に行使していないことが世の乱れの要因であり、その自覚なしに政治を批判しても、答えは見つからないと私は思う。
次の総選挙、民主側が勝てば自民が割れ次が期待できる。もし万が一、与党側が勝てば民主が割れ、しばしは元の木阿弥となろう。
小沢氏は「この機会が最後・・・・」といったと記憶しているが、「今度がダメでも次回、次々回がある」と発言した民主若手。
彼らに歴史観を期待することは無理かも知れないが、今回は「陣笠」であっても当選していただかなければ、日本の改革は私の死に目にまにあわない。

                             豊後の小兵衛

<高野様>
今週のサンプロに出演されていませんでした。
何かあったのでしょうか?
全てのコメンテーターが毎週レギュラーででる訳ではないので取り越し苦労ならいいのですが、この所の記事も「朝日新聞の声の欄...」「西川社長は辞めるべきではない論」直接ご自分の言葉でなく雑誌記事を利用した「新聞・テレビはもう要らないのか?」の疑問の投げ掛けと続き...。少々気になっていました。

私も先日『クーリエ・ジャポン』の「サヨナラ、新聞ジャーナリズム」を購入しましたが、次の日再びその書店(中規模書店)に行ってみると、平積みされていたこの雑誌は売り切れていました。やはり、今のジャーナリズムに対する不信感度が高いのだと思わずにいられない現象です。

>さて、我がTHE JOURNALは日本のネット報道局として独自の展開の道を切り開くことが出来るのかどうか。

THE JOURNALを読ませて頂いてから丸2年になり、ここで得た情報を基準に、自分の中で様々な判断をするという毎日で、THE JOURNALは大きく生活に浸透しています。
以前はその基準は新聞でした。もちろん新聞は新聞で、しっかり生活の一部になっており、例えば叙情的な言葉で言えば、紫煙と交わる新聞紙独特の匂いと紙の音などは、父親の代名詞の如くでした。個人的には「新聞を読む男性」は映像として、美しくエロチックだとさえ思います。ただ、やはりそれは、そこに書かれている記事があくまでもジャーナリズムの気骨があってのみ成立する図です。今の新聞では無理です、タバコもコーヒーも似合いません。

頭がヘンだと思われる様なおかしな事を書いていると自覚しつつ・・・
ここTHE JOURNAL の記事は、私にとっては妙に艶めかしくセクシーで、そのオリジナルティーが魅了される所以なのかも知れません。

日本の新聞に関しては、先日の「日米核密約証言」についてまったく報道しないなど、すでに報道機関としてはギャグの領域まで達しているので、正直自業自得といった印象です。
「まあ、せいぜい狭い既得権を守るための報道ごっこを、なるべく長く続けられるといいですね」と言ってあげたいぐらいですか。

ただ、より深刻なのが中身で勝負しているであろう海外の新聞社でさえ、経済的に立ち行かなくなっているという点ですね。やはり報道の質の問題だけでなく、輪転機で大量に印刷し広大な地域に配布するという、高コストの紙を基盤にした新聞の流通モデル自体が破綻してきているという事なのでしょうが。

もちろん紙メディアがまったく無くなるとは思いませんが、今のままでは続かないだろうし、かといって現時点では、場所や使い勝手に制約があるインターネットにすべて移行というわけにも行かない。
しばらくは苦しい時期が続くと思いますが、今はちょうど過渡期にあるような気もしています。
たぶん、THE JOURNALも今の形では10年後には無くなっている可能性が高いだろうし、続くとしてもどこかで課金モデルやスポンサーを募る形に移行せざるを得なくなりそうな気がします。

中・長期的には、軽くて、折り曲げたり、風呂にももっていけるような、デジタルコンテンツの閲覧専用デバイスが、いずれ必ず出てくると思うのです。このような紙の使いやすさや、手軽さをシミュレートしたデバイスが出てきたら、まさに「中身で勝負!」の時代になってしまい、日々輪転機を回す今のモデルは完全に潰えてしまうのかもしれませんね。

 この頃の学生は語学の勉強に電子辞書用います。確かに軽いしページを繰る手間もいらない手軽さから紙の辞書を持たない人もいるようですが、一方では最初から電子辞書だけに頼るデメリットもあって、それは紙の辞書のように目指す単語に行き着くまでの前後左右の情報が入らず言葉の幅広い理解、運用が身に付かないということです。やはり紙の辞書を侮ることはできません。

 ネットの情報だけでこと足れりとするのはこれに似ているのではないでしょうか?自分が必要とする情報だけ手に入ればいいというのでは、それとは知らずに(ここが怖い)自ら情報に制限を加えることにはなりませんか?特に若いうちは何が本当に必要な情報なのか自分で峻別できない部分もあるし、受動的な情報も含めてその中から形成されていく意見というものもあります。そういう意味でも新聞の役割は大きいし、大衆にこれ以上見放される前に現在の偏向、捏造、不公正な紙面作りを改めて真のジャーナリズムとして生き残って欲しいというのが願いです。

私は地方紙1紙のみを購読しています。
新聞がなくなると困るなぁ…

だって「お悔やみ欄」が見られなくなるもんね。

私にとって新聞とはこの程度のものです(笑)

─引用始め─

黒田清「批判ができない新聞」
日本との対話:不服の諸相 ロナルド・ドーア編 岩波書店 94年


黒田清
「(p.298~ 批判ができない新聞)日本のメディアは(中略)本来は現実
批判がもとにあったと思うんですが、気がついたら、批判できないよう
になっている。非常に大きいのは、政治についての批判がぎりぎりのと
ころでできなくなったことです。不幸なことに高度成長で日本の新聞社
は読者も増える、ページ数も増えるなど、いろいろなことで社屋を大き
くしなければならなくなって、特に東京で社屋の土地が無かったから、
自民党に頼んで国有地を安く売ってもらった。読売、朝日、毎日、産
経、みんなそうです。とても大きな借りを作ってしまった。だから新聞
記者が一生懸命何かを書こうと思っても、中枢のところで握手をしてい
ますから、突破できない。もう一つは、日本の新聞社の経営は、自己資
金が少ない。たとえば朝日や読売にしても、資本金は一億か一億五千
万、いま増資して三億とか五億とか、せいぜいその程度でしょう。そし
て銀行は、新聞社と手を結んでおいたらいいということで、ずっと貸し
ていた。この10年ほどで、その借入金が一桁か二桁、また増えたわけで
す。これはご存知のようにコンピュータシステムをとりいれたからで
す。そうなると金融機関に対するチェックは非常に甘くなりますね。だ
から、そのあと、土地問題、不動産問題、銀行の不正融資と、表に出て
いるのは知れたもので、さらにひどいことが金融機関をめぐってはやら
れていますよ。けれども、新聞はさわっていませんね」

(p.303)「はずかしいけれど、そう言われてもしかたないと思いますよ。
特に私は読売新聞にいましたから。読売新聞の幹部がどういう考えで新
聞をつくっているかというのは、社内に発表される社内報で知っていま
すから。それに私自身が辞める前は編集局次長で首脳会議に何年か出席
していたわけですからね。その時に驚いたのは、新聞記者、ジャーナリ
スト、マスコミの役割は--あの人たちにはジャーナリストもマスコミ
もみんな一緒です--政府が行政を行うのをサポートすることだ、と言
われたことです。私は三十年以上政府権力をチェックするという考え方
だったんですけれど、最後の数年は、サポートするんだとトップは考え
て紙面を作るようになっていた」

─引用終わり─


権力に迎合する大新聞。それは仕方のないことなのです…。

 今後のメディアの展望についていろいろな方の考えを読むことが出来とても勉強になりました。私も以前より現在の新聞というメディアのあり方に対しては不満があり、客観的に見てもこのままではもう長くはもたないのではないかと思っています。そしてその受け皿となるのは間違いなくインターネットであると確信もしています。
 ただ現在新聞を購読している多数の読者の受け皿となるにはまだかけ離れた存在であるのは周知の事実であり、ネット側もまだ受け皿としての自覚がなく腰が引けている様に見えるのは残念です。
 ネット側が今後すべきことはインターネットに抵抗のある方をいかに掴んでいくことではないでしょうか。インターネットは複雑で怖いという方もいるでしょうし、いちいちパソコンに向かうのは面倒くさいと思う方もいるでしょう。その様な方々に読んでもらおうとした場合何が足りないのかということを真剣に考える時期がきたのではないのでしょうか。
 私個人の考えとしては、日常の生活習慣に溶け込んでいける様なハードの開発が第一ではないかと思います。他の方のコメントにもありましたが、折ったり曲げたり出来れば最高だと思います。ただもっと手っ取り早く出来そうなのは見る機能だけに特化したA4版程度の大きさのiPhone(の様なデバイス)とかはどうでしょう。スイッチはMAINスイッチを含めて2つか3つ・機能は生活防水以外余分なものは付けない・そして初期に設定したサイト以外は見られない この様なものであれば誤操作による故障または不良サイトへのアクセスも防ぐことが出来、ネットに抵抗のある方も手にしやすくなるのではないでしょうか。
 またコスト面で考えた場合 定期購読者にはハードはレンタル制として毎月の購読料に含ませるようにしたら負担は少なくて済むのではないでしょうか。(ただ初期投資に莫大な金額が必要な問題点もありますが)
 以上私個人の思いつきをだらだらと書いてしまい申し訳ありませんが、一刻も早く新しい報道メディアとしての受け皿を作る準備をしていただきたいという願いと、出来ることであればザ・ジャーナルさんがその旗振り役になってもらえればこれ以上のことはないという思いでコメントをさせて頂きました。

テレビのニュースも本当に酷いものが多いですね。お笑いとニュースを一緒にやっている様な。

私が期待するのは、もっとニュースを作り上げていく人達を少なくしていく事です。キャスターは一人でも良いし、ジャーナリストなどで構成したチームを作って、視聴者はそのチームを選んでお金を払ってみるのはどうでしょう。スポンサーが影で内容を捻じ曲げてしまうようじゃ困りますからね。ニュースだけは、一つの独立したチャンネルとかで流して、そのコマを視聴者が買う。どうでしょうか?
素人の私が考えたことなので、問題点も多いと思いますが、ニュースだけはもっと真剣に取り組むべきだと思います。信用がなくなったら、どのビジネスも終わりだと思いますので、ここら辺りで歯止めをかけなければと思います。

読者が面白いと感じれば新聞は売れると思います。
たとえば、14日のニュース「郵便不正事件、厚労省局長を逮捕 特捜部の話によると・・・」となるのですが、この件が明るみに出た時点で厚労省に取材をしていれば違った記事が書ける。
でもそんなことすら許されない業界だったら未来はないのでしょうね。
TVも問題は同じなのだと思います。感じるのは、横並びなら問題は生じないが、独自の報道に誤りがあると取り返しが付かなくなるようで、慎重になりすぎてしまっています。
はるか昔、巨泉さんが「こんなものいらない」なんて番組をやってました。
久米さんもがんばってました。
筑紫さんは、「報道は間違えがあるんです。」と言い切ってましたが、勇気がいる発言だったろうなと思います。
最近は、少し言いたいことを言ってるように見えてしっかりと批判してはいけない聖域をわきまえた報道が多いですね。
小沢さんの件以来、田原さんの批判が増えましたが、田原さんのおかれた立場でよく頑張っておられると思います。
実際に小沢さんの件の問題点をTVで明るみに出したのは田原さんですから。
そういえば田原さんが「代表を辞めたら小沢さんを応援しようと思っている」と言っていたのを思い出したので、堂々と応援して欲しいですね。
いずれにしても、後に続く人というか報道の自由を守る、あるいはジャーナリストという仕事に命をささげているような人の番組は必ずひきつけられると思います。

お世話になっています。関連記事を書いてトラックバックしたのですが、403 Throttledではねられたので、こちらでお知らせします。

多分「プロ意識」の質について考察すると、問題解決の糸口が見つかるのではというのが論旨です。

よろしければご意見もお寄せください。

fujifuji…さん

私の共産党歴については、個人HPの「高野孟とは誰か」に記しています。

http://www.smn.co.jp/takano/who.html

おっしゃるとおりで、「全共闘の闘士」ではありません。引用書の著者=小野善邦あんは「全共闘時代の闘士」というつもりだったのでしょう。高校2年生だった60年安保闘争の時にはブント系の隊列にいましたが、その後経緯があって日本共産党に入党した、普通とは順序が逆のやや変わり者でした。入党と同時に形だけ「民青」に加盟しましたが、民青の会議や催しには一度も出たことがなく、私の意識として民青に入ったことはありません(どうでもいいことですが)。なお、共産党から追い出された後の私について、Wikiの私の項で「同党離党後は共産主義労働者党の専従活動家となり、“黒木”名義で同党の機関紙執筆者となるなど関わりを持った」とありますが、これは全く事実無根の濡れ衣で、私は「共産主義労働者党」という組織があったことも知らないし、もちろん関わったことがないし、「黒木」という名義で論文を書いたこともありません。Wikiには「事実無根」ということで訂正を申し出、また「噂の真相」の悪意に満ちた記事がリンクされていることについても抗議しましたが、「自分で訂正しろ」と言われ、ちょっと調べたところ、書かれた本人が訂正するといろいろ面倒が起きることが判って(米国Wikiの創業者が自分についての記述を訂正してトラブルになった事件もある!)、そのまま放置してあります。

八代勝美さん

私が「新聞不要論」を唱えている訳ではありません。タイトルに「要らない?」と「?」が付いているのは、そう唱えているような雑誌もあるが、どうなんでしょうかという問題提起の意味です。「?」1つでも結構気を遣って意味を持たせていることをご理解下さい。

私自身は、いま新聞がなくなったら困ります。1968年に記者1年生になった私に、最初の課せられた仕事は、毎朝の編集会議までに15紙ほどの新聞に短時間で目を通してそこから最低2つや3つの企画アイディアを提案することで、つまりは新聞に氾濫するインフォメーション(第1次情報=知識)の混濁した海の中から、直感力と想像力を駆使して、各紙のカラーや党派性や論調の偏向などによるバイアスをフィルターで漉しながら意味のあるものを拾い出して、それを起点にインテリジェンス(第2次情報=知恵)を編み出していくという訓練でした。40年経った今でも、さすが15紙を目配りすることはありませんが、それでも国内主要紙と外国紙1紙を…

LEEさん

 房総半島の山中で毎朝4時か5時には起きて、今時だと鶯の鳴き声がうるさいほどのベランダでまずタバコとコーヒーを用意して、目を通すのが私の仕事の始まりです。

 早稲田大学の大隈塾「21世紀日本の課題」の200人の授業、その履修者から30人ほどを選抜した高野ゼミ「インテリジェンスの技法」、さらに早稲田のジャーナリズム大学院での「新聞の読み方」ゼミなどで若い人たちに伝えようとしているのもその方法論で、そういう意味では新聞がしっかりしてくれないと一番困るのは私です。

 しかしそのことと、ビジネスモデルとしての日本的な大新聞の経営が存続可能かというのは別次元の問題で、それについては私は悲観的です。

 で、新聞の効用ですが、問題を絞る必要があって、いつどこで何がどのように起きたかという第1次情報という意味での「ニュース」は、上述スター教授が言うように「公共財」として確保しなければならない。それは今のところ、主として新聞によって提供されていて、しかしそこにはいろいろなバイアスがかかっているので、だから私の「新聞の読み方」といったゼミも成り立つのであるけれども、では将来に渡って新聞が有用な第1次情報の提供者として相応しいのか言えば、そうではないかもしれない。

 例えば、各紙2面左下の「首相官邸日記」は、かつては全社が黒塗りの車で首相を追いかけてそれぞれ作っていたが、今は共同・時事の両通信社が配信して、それを必要なら各紙の官邸番記者が補正して作っているようですが、そのように、ファースト・ニュースすなわちインフォメーションの“速さ”は主に通信社に任せて、新聞はそこから先の背景取材に基づく調査報道や分析的な解説や論説的な主張の“深さ”すなわちインテリジェンスを競い合う、「クオリティ・ペーパー」になっていくという方向もあり得るでしょう。イメージ的には、いま朝日に月2回挟み込まれる8ページ建ての「GLOBE」のような感じですね。「ニューヨーク・タイムズ」がそれを指向しているように、新聞が週末版を中心に“週刊誌化”していくのかもしれない。

 いずれにせよ、紙版のメリットは大きくて、それは…

ひろこさん

 が言うとおり、直接の関心事でない隣の記事にも目が行っていろいろな気づきがあったり思わぬ想像力の展開のきっかけを得ることがあるというのがその1つです。ニュースも辞書も、ネットや電子版は一直線の「検索」には便利ですが、知的な“遊び”の部分が生まれにくい。そこで、新聞の紙面をそのままweb化するとか、それ専用の電子デバイスを開発するとか、いろいろ模索も行われていますが、まだまだというところです。このへんはどうしたらいいのか、市民がどのようにしてニュースという公共財を確保するのかという問題として議論していきたいと思います。

恵美さん

 サンプロ出演は2週に1回程度、他の出演者(星、財部、渡辺)との組み合わせでルーティーンになっていて(たまに番組内容によってルーティーン外の臨時もありますが)、現在決まっているところでは6月28日、7月5日、19日です。ご心配は無用です。

ネット通信はあり難いものです。Journalの延長で高野氏の個人履歴を
知ることが出来ました。高野氏の
>余り短かくない自分史・・・・・生い立ちから現在に至るまで
バイタリティーな人生縮図の一覧履歴にびっくらでございます。
両眼から鱗で改めて高野氏への見方が変化しました。
それなりに凄い人だと認識を新たにしました。情報勉強不足で高野氏を
初めて知ったのはサンプロの番組でした。本物の論客とは知らず
喋りの少ないコメンテーターだと勝手に思っておりました。
てな訳でこれからのますますの活躍を応援いております。
高野論説の政治・社会を切る聡明な論説を期待しております。

初めて投稿します  なれないものですからルールから外れていることがあれば  ご指摘くださいNHKを解約したいと申し入れたのです   そしたら屋内に受信可能な設備とTV機があったらだめだとのことなのです   壁にジャックの差込口はあります  ワンセグで必要に応じてみていますが本体では見ていませんTV機はビデオをみるのにモニターがいるのです

高野さま
こんばんわ。現在、新聞業界は大変なのですね。私も新聞は取っておりませんので何も語れませんが。たまに、コンビニや新聞がある場所では読んでみたりしますが、やはり定期的に取る気はありません。しかし、皆様のコメントを拝見してふと思ったのですが、若い方が新聞を取らないのは、単につまらないからではなく、活字離れの要因は有りませんか?また高齢者世代は物理的な側面から、(例えば字が小さいとか、読む事に根気がなくなったとか)読まなくなったということはありませんか?
私は、本はたくさん読みますが、正直、どうも新聞は読むのがおっくうです。事件、情報などは、TVや今ではネットで取れますのであまり必要性を感じないのです。また、スポーツも全く興味がないので見ませんし、番組表もいりません。もちろん広告は見ません。高野さんのようにお仕事がら、新聞と切っても切れないところにおいでの方と私のような者が持つ、新聞に対する考えはいささか違うように感じます。かといって楽観的に言えば、職能として必要とする人は、必ずおりますから、形を変えても、新聞やTVがなくなるとも思えないのですが。ただ、今の状態の記事では、本当の新聞ファンは逃げてしまうでしょう。新聞ほかオールドメディアに携わる方が、本当に誇りを持ってお仕事ができれば、必然的に元気にはなるのではないかと考えます。記者さん達が自由に信念に基づいて報道記事を書ける日が来る事を切に祈念致します。因にNPOを作る案は個人的には賛成です。ジャーナリスト集団を慈善事業で支える2案は、日本では無理だと思います。何故なら、スポンサーたる経済人が、現状を鑑みても、そこまでジャーナリズムに対して深い理解と造詣が有るように思えないからです。敵に塩おくれるような、度量の広い方がたくさんおいでなら別ですが。今後は、おそらく、オールドメディアとウェブとの共存は必至になると思いますが、TVのような系列化ではなく、ジャーナリストが自由に行き来できる環境になれば面白いと思います。いずれにせよ、人口は減少しておりますので、今後、経営は厳しくなると思います。が情報源の単一化はやはり問題と危険があるのではないでしょうか。

>紫子さま
私は、たまにTVを見ますので、(一ヶ月に数回)受信料は払います。あなたさまに、絶対にNHKは映っても見ないという信念が有るなら、粘ってみるのも一考だとおもいます。

もう50年も前になろうか。当時、中華人民共和国のことを、日本の新聞は「中共」と呼んでいた。読売が真っ先に「中国」と正しく呼ぶようになって、以来(日経、朝日、毎日の併読はあったが)一貫して読売を購読している。(最初に井戸を掘った功を忘れない)。
別掲の「東京新聞が西松事件の捜査批判特集!?」に多くのTHE JOURNAL読者が「いま最も偏向報道の少ない新聞?」と評価しているので東京新聞を、しばらく併読することにしようと思う。

本題に戻って、高野さんが最後に
「さて、わがTHE JOURNALは日本のネット報道局として独自の展開の道を切り開くことが出来るかどうか」
と締めくくられたのに、いろいろな思いを込められているような気がしてならない。
クオリティの高い情報サイトとして日本のオピニオンリーダーの地位を占めつつある当サイトが、安定的に維持されなければならないことは、私たち読者の共通の認識であり責任である。
以前どなたかが「有料制も考えるべきときがきたのではないか」と提言されたが、ユニークユーザー
であるわれわれが、知恵を出し合って、高野さんをサポートしようではないか。
サポート企業がどのくらいあるのか、広告収入がどれだけあるのか知る由もないが、高野さんの無欲で良心的なビヘイビアから想像するに「武士の商法」でヤセ我慢しておられるものと推量する。
「余計なお節介は無用」と切り捨てられそうだが、本心、心配なのである。

高野様

先日は上の投稿で“エロティック”だの“セクシー”だのと失礼な単語を好き勝手に並べてしまって、申し訳ありませんでした。
でも、やっぱり高野さん、コーヒーとタバコと新聞が似合うオトコだったんですね!(←まだ言ってる懲りない私!)

でも、決してふざけて書いたワケではないのです。
いつの頃からか、なんだか「大人」の幼稚化が進んでいるように思えてなりません。それは日本に限らず、世界中に蔓延していて、それはよく言われるところのネットの所為なのか、ハリウッド映画の所為なのか、オタク文化の所為なのか、コンビニの所為なのか、原因は定かではありませんが、何れ「資本主義」がつくり出した悪い部分の操作通りに、人は「自己判断」という行為を放棄して、与えられたイージーな情報だけしか受け入れられなくなっているんじゃないかと、危惧する毎日です。
言葉は悪いですが、世の中は「バカ」に合わせて資本が回っていて、毎日毎日「バカ製造工場」から思考をストップさせた人間が、横並びに増殖している様に思えて、怖くて仕方ありません。

例えば、ロバート・キャパや沢田教一の写真が、何故あれほど人の心を惹きつけるのか? それはシャッターチャンスだけの理由ではなく、私はあのトリミングのセンスだと思っていて、被写体そのものより、フレームアウトの部分をより想像してしまうところに凄さがあって、その想像が人を形成してゆくという時代が昔はあったように思います。私はここ THE JOURNAL にも同じ匂いを感じていて、それは上手い言葉では言い表せないのですが、強いて言うならば、その「バカ製造工場」を小気味よく破壊してくれている、思考を持つハードボイルドゴジラ上陸!と言ったところでしょうか。

新聞も TV も、情報がこうも横並びになってしまった昨今、高野さん達の情報のトリミングの絶妙さは、それを素に映画が出来てしまいそうな程の想像力をかき立てます。もっとここが世の中の目にとまってほしいと願っています。
出来ればこの先、新聞に代わる様な様々な分野をここでも増やしていって貰えれば有り難いと個人的に希望します。
例えば、書籍や映画にスポットをあてたプロのブロガーが居たりするのも一考かと。
というのも、決して悪い映画ではなかったけれど、過日アカデミー受賞した「おくりびと」は、連日連夜日本中を賑わしたけれど、テーマを「死」とするならば、実際あれがそれほど映画として優れているかと言えば、それは大いに疑問に思っているし、アホほど流行った「千の風」とかいう歌にも、人はこんな簡単なことに感動してしまうのか?と些かこの今の世の中の一極集中の大騒ぎには辟易しているので、出来ればここで思い切り世に逆らったアマノジャクを大事にしたい。もっと優れたものがこの世にはいっぱい埋もれています。政治も芸術も人生も、大事なのは人の想像力だと信じていますので、ここから新しい(というか人として元来の)ビジョンが生まれることを心から願って居ります。

上で石川一夫さんも書いておられますが、当然、この先ここの発展は、運営が大きく関わってきますよね? ここの読者の方達には沢山の賢者が居られます。知恵を出し合えれば、それこそネットの健全な発展にも繋がります。
みんなで支えていければ、次の世代にも大きな財産を残せます。

高野孟様 わざわざご丁寧なご説明を頂きまして,恐縮致しました。早稲田大学は60年安保闘争当時は代々木系の全自連が主力で,委員長は野口武彦氏でしたが,それとの関連で,つい余計なコメントをしてしまいました。あなたを中傷したり,誹謗したりするつもりは全然ありません。人生いろいろな経過を辿るものです。余計なお手数を取らせて,ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません。ご容赦ください。

我が敬愛する高野様へ。
久し振りのチラシ寿司、おいしく頂きました、ごちそうさま。
そこで私も山の手風のチラシ寿司を気取って…
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにく。」ってのは夏目漱石の「草枕」のあまりにも有名な書き出しですが、
日本の市井の人々が抱く懊悩(どうすりゃいいのよ思案橋状態)を解明すべく、胃潰瘍にもメゲズ悪戦苦闘の末に多くの名作を漱石先生は残してくれました。この近代的自我の確立に思い悩む立ち姿は一世紀余を越えて、現代の私たちの写し絵だと私は思うのです。で、漱石先生の小説はその殆んどが新聞の連載小説です。
また、福沢諭吉が「学問のすすめ」で述べた「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ(ここまでは有名ですが、これは私の記憶が正しければアメリカ合衆国の「独立宣言」の文言で諭吉先生の言葉ではない。重要なのはこの後)サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、貧シキモアリ、富メルモアリ、貴人モアリ、下人モアリテ、ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」って、真の人民主義はどこにあるの?どうすればいいの?ってこれも今の私たちの写し絵そのものなんじゃない?で、これは書籍の出版物。
大正末期にラジオが登場するまでの約半世紀、印刷媒体はマスメディアの王者でした。しかしながら昭和に入って、ラジオの登場以降、新聞を始めとする印刷メディアは(ごく一部の例外を除いて)豹変してしまいます。最大の要因は政府による紙の「統制」。
戦後に入ってテレビが華々しく登場してきます。映像・音声・即時性という類い稀な特性を持ったテレビメディアが視聴者から多くの支持を受けていたのは1960年代~80年代までの30年間…あとはジリ貧状態の今の体たらく。なんでこうなるの?って言ったって蛙の面にションベンなんだろうけど、そこら辺を上手く纏めて下さってるのが神保哲生様の構造問題に関する以下のご指摘。
「新聞5大紙による民放テレビのキー局の系列化(多くの先進国では制限・禁止されている)、記者クラブ制度(再販=宅配制度があるから紙面で勝負しなくても売上げには関係ないので横並びに流れる)それらが絡み合って今日の堕落を招いた。」
で、私がどうしても付言したいのは「社会に対するマスメディアの立ち位置」です。つまり全ての全国紙(と自称する貧弱な新聞社も含めて)やテレビのキー局が、ここ30年間のいろいろなストラグルを経て結局は「広告媒体に堕してしまった」ってことなんじゃないの?って思うのです。
私もかなり業界に深入りしてきましたから忌憚なく言えるのですが、「広告」の本質は「チンドン屋サン」です。つまり「囃し立てて客を呼ぶ」…勿論そのためには諸々の手練手管を使う…は常識ですが、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。このことは皆様が現状のテレビ番組をご覧になれば一目瞭然…なんでこうなるのってレベルなんです。
また一時期「広告批評」なる雑誌が持て囃されたことがありましたが、これも一時の婀娜花…そもそも広告には批評性のかけらもない、あるとすれば「チンドン屋サン」の技芸の問題。
…というわけで、高野様の真似をして、チラシ寿司に挑戦してみたはいいけど、あんまりいい成果は得られないとは思いつつ、最後の結論です。
高野様は性格上、皆様が危惧なさっているように「ふざけんなコンニャロウ」って言いかねない方だから、敢て申し上げますが、新聞もラジオもテレビも媒体としては「どこのだれかはしらないけれど」、未来永劫生き残ってゆく、と私は思いますよ。

真実を報道しようとしないから、価値もなくなっているのです。
世の中が悪くなるように誘導しているから、自分たちの首も絞めているのです。

こんにちは。
私は産経新聞のオンライン版を愛読しています。(http://www.viena.jp/contents/sankei/)

学生時代以来朝日新聞を愛読してきました。宅配では紙の扱いが面倒です。そこで朝日新聞のオンライン版に移りました。

ところが朝日新聞のオンライン版は無料サイトはもちろん有料サイトでも紙の紙面から間引かれて配信されています。また見出しではニュースの軽重がわからず混乱しました。

そんなときに産経新聞のオンライン版をみつけました。

産経新聞のオンライン版は紙の紙面をそのまま表示します。画像としてです。拡大縮小自由です。範囲指定による印刷ができます。(裏技で画像ファイルとして印刷紙面を保存しスクラップしています。)

継続して購読すると産経新聞の論調には首をかしげる点はあります。しかし真摯な紙面づくりが感じられます。(表題と文面で論調がまったく違うという、ある意味での健全性が感じられたこともあります。以前は右翼新聞として毛嫌いしていました。この新聞は丁寧に読むと、上記コメントの新聞批判はあたらないと感じています。)

媒体による安易な購読でしたがたいへん満足しております。産経新聞の宣伝のようなのですが私の実感です。

私には新聞の未来はわかりませんが、中間的な形態として大変優れていると思っています。

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2009年11月、日刊工業新聞社

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