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和田秀樹:殺人報道による誘発作用への危惧

 秋葉原通り魔事件から早いもので1年経った。八王子の通り魔事件などがあるにせよ、予想したより同類の事件が起きなくてよかった(予想が外れたことは不甲斐ないが)というのが、正直な気持ちである。

 基本的に事件報道というのは、同類の事件を誘発することが知られている。

 たとえば、自殺報道が自殺を誘発するのは、すでに統計学的手法で明らかになっている。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseek」で

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コメント (9)

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マスゴミ、特にTVの「情報番組」というわけのわからん番組で「タレント」が主観的視点だけで扇情的なパフォーマンスを繰り返すトンデモ番組が典型ですが、出来るだけ衝撃的に感情に訴える「視聴率至上主義」に毒された番組づくりが横行している現状に危惧を覚えます。この頃は「ニュース番組」においても同じような傾向が見られます。

自殺や犯罪を誘発する危険が大きいとすると、今のままの現状は放置できませんね。さらに、問題の多い裁判員制度への影響も大きいと懸念されます。自ら律することが今のTVメディアにできるのか、何らかの制度的な規制が必要なのか、さらにマスメディアのあり方そのものに立ち返って考えるべきなのか、短期的長期的にも、いろいろな視点から考えることができるのではと思います。

それから、インターネットの影響も大きいように思います。ネットで知り合った他人同士が、一緒に自殺したり、殺人を犯したり、と。これもインターネット時代以前には考えられない事件です。また、自殺の方法をネットで弄んだりしています。ネット規制の問題とからんだ難しい問題をはらんでいます。逆に、インターネットの利便性を生かした、メール・カウンセリングなどの「セーフティー・ネット」を充実するのも一つの方法ではないでしょうか。他にも何かいい方法がないものでしょうか。

それにしても、年間三万人以上、四万人に迫ろうという、しかも二、三十台の若年層の自殺者が増加している現状はどう考えても異常な状況です。ほとほと命の軽んじられるクニだと感じます。また自己中心的な他者への無差別な「怒り」の蔓延も確かに存在します。根は同じなのではないでしょうか。殺意が自分に向かうか他者に向かうかの違いだけです。今出来る対処療法を実施することが是非必要です。TVメディアなどのマスゴミは特に自省が求められますが、出来るかどうか。酷いときは視聴者からスポンサーへの苦情の山を築くというのも手ではないかと。

しかし、マスゴミ改革については今は措くとして、同時に、根本的な対処法を考え実行する必要もあるように感じます。私は一つのキーワードとして、社会の「包摂性」の再構築だろうと考えています。鳩山さんの「友愛」に基づく社会=「絆」のある社会、といってもいいかもしれません。また、湯浅誠さんの言われる「溜め」のある社会とも重なるだろうと思います。「社会的セーフティ・ネット」の充実が、最低限是非必要です。早急に手を打たないとますます荒んだ「ニヒリズム」が蔓延する社会になってしまうと懸念しています。無駄な道路や「国営マンガ喫茶」などを造っている余裕はないのです。

多くの派遣社員である若者たちが、あのような事件はあってはならないことだが、あの追い詰められた加藤容疑者の気持ちはよくわかるといっていました。
「まるでモノのような扱い」され、人間の尊厳を無視した環境にさらされている彼ら。

>コフートという精神分析学者は、この満たされぬ自己愛こそが激しい憤怒の源泉になると喝破した。

全く、そのとおりなのでしょう。健全な自尊心を持てない、また、持ち得ない現実。ありのままの自が肯定されない、また、肯定できない現実があります。
ウィニコットという精神分析家は、ほどよい母親、育児、そのための環境が大事であると。
いまの格差社会、そこにいたるまでの社会は、その環境が整っていたとは到底いえない。子どものうちから、競争に勝つことが至上とする価値観が植え付けられ、否が応でもそれを強いられる。その価値を果てなく求めることが、社会から肯定される。その自己はますます重要視され、肥大化していく。現実において、それが全く果たされないとき、強い不満を持つようになる。また、それを否認し、その自己イメージを保とうとする。
これを社会が、自己愛性パーソナリティ障害と呼んで、社会とは無縁のもの、個人の人格の問題、その家族の問題として片付け、社会の問題として、社会自ら、その責を引き受けようとしない。社会は自己を防衛し、否認、または、無視する。

異様な自信の持ち主が、社会で活躍する異様な自信の持ち主を賞賛している。その価値観は同じです。それが、いまの社会を生み出している。既得権益を持ち、国民の生活を無視する政官業のエリートたちは、その肥大化した自己を持ち、自分たちがなした責任を負おうとは決してしない。それを否認し、転嫁する。幼児的万能感に浸り、決して他人の苦しみを共感しようとはしない。肥大化した自己のイメージを守るのに必死です。国民の生活なんて全く眼中にないのです。

私はそのような社会は、もう嫌で嫌で仕様がない。その価値観を捨て、ありのままの自分を肯定できる自分でありたい。その肯定は他者の肯定にもつながるのではないでしょうか。共生の社会を生む源泉、無条件な愛こそ、大事ではないでしょうか。それを大切にする社会こそ、私たちは求めるべきではないでしょうか。

<パン様>
ご意見に強く同意いたします。
あえて誤解を恐れずにいうと、幼児の時から身近(例えば保育園・幼稚園の同窓とか)に心身や知能に障害がある方と、一緒に育つ環境ができないか、と思うのです。
私は今50歳代ですが、保育園、小学校までは身近に、障害のある同窓がいて、人はいろいろ違うのだと自然に受け止め、別に不思議とも思わず育ちました。
それが、中学時代に突然、政府の方針で特殊学級がつくられ、小学校の同級生が、そちらに入れられました。
障害者を労るとの言葉に反対をするものではありませんが、ともすると、健常者が一段下に見ているとも考える事があるのです。
話が飛んでしまって申し訳ありません。人と自分を比べて、勝ち組、負け組と子供の頃から植え付けられる今の日本は、結局、一度、負け組になれば、誰も助けてくれない。閉塞感に充ち溢れた、どうしようもない社会です。
こんな日本を変える為に、人が人として尊厳を持って生きていける国にする為、お互いに戦いましょう。

このような報道があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
首都圏の公立中学校を対象に東京学芸大(東京都小金井市)などが実施した調査で「うつ病の生徒がいる」と回答した学校の割合が37%に達した。精神疾患で医療機関を受診中の生徒がいる学校は84%だった。同大は「心の健康状態に問題を持つ生徒が増えている」としている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、100校のうち37校で鬱病の生徒がいると言うことですね。
私も還暦を過ぎていますが、小さい頃そのような病気を、周りでは知りませんでした。
勿論医学的知識も少なかった時代ですから、そうなっていたのかもしれません。
ただ社会的背景を考えると、あの頃は「3丁目の夕日」ではないですが、貧しさも自分たちを含めて日常景色にあり、その中で子ども達も夢があった。
今テレビで「発展途上国」の子ども達が放映されているのを見ていると、背景こそ違いますが当時の私たちの姿を思い出させます。
それに対し現在はどうでしょう。
多くの方々が書かれているので,無駄に書きませんが、・・・・・こういう時代を結果として作り上げてしまった「世代」として呆然と立ち尽くすのみです。

最近は異常な殺人事件も多い、私たちの年齢の犯す殺人事件も多い、若者の起こす事件と何ら数にかわりはないのではないでしょうか?

私もこれほど経営的にも苦しく将来が見えなく負債が重くのしかかってくる状態になると、誰もが思うように「すっぱりと自らを精算したい」という気持ちが湧いてきます。
この気持ちは「こうなったら・・・」という他者破壊的な誘惑も伴っています。
これが自死なり殺人なり、事を起こすか起こさないかの垣根は、思ったより低いのではないかと感じます。
その垣根を越えないのは、私の場合はやはり家族の存在ですし、笑われるかもしれないが愛犬の行く末ですし、この年でも残っている未来へのわずかな希望だったりします。
これらが一つ一つ消えていったら私自身どういう行動を取るか、全く分かりません。残るのは自己を冷静に見る目線ですが、それも閉ざされるでしょうし。

鬱病が風邪と同じ病気なのか、精神的なストレスの蓄積に依るのか分かりませんが、以上のような自分に対することを考えていくと、鬱に落ちこむ、事も考えられます。

そしてその反動として激しい破壊衝動が起きるのでは?専門家の方いかがですか?
その破壊衝動の矛先が自己破壊なのか他者破壊なのか、これの選択も紙一重ではないでしょうか。
その行動に走るきっかけも些細なことと思います。
決して新聞報道マスコミ報道ではないでしょう。
何かで自分の思い通りに事が進まなかった、その原因は他者から見て些細なことでも、垣根を越えるエネルギーを引き出すと思います。

マスコミがこのように発達していない「発展途上国」でも膨大なkずの自殺者がいると言われています。
犯罪が多発している地域と自殺者が多い地域は重なっていることが多いことも、何かで目にしました。
その地域はどうも「貧困者の多く住む地域」とも重なっているようです。
こういう事を考えるとやはり自殺もそれの裏返しの他者破壊も、政治のやり方で変える望みがあるのではないでしょうか?
これは自民田民主田ではなく、政治家全てが考え施策を至急作る問題でしょう。

自分自身の内部を見つめると、和田さんの「自殺報道が自殺を誘発するのは、すでに統計学的手法で明らかになっている。」はきっかけとしては分かりますが、それだけでは無いとも言えます。
やはりその原因となる状況を、放置する政治と直していくという政治の存在が、増やすか少なくするかの背景にあるのではない
でしょうか。

それと、良くコメントを書かれている方が「マスゴミ」と書かれていますが、この言葉は読んでいて深いです。
それほど清潔な紙面を求めているのでしょうか?
美しいこと、高貴な主張、悲しいこと、そして人により読むに値しないと思われるゴシップ、それらは今の社会そのものでしょう。
それらの「ゴミ」の山からきらりと光る事象を選ぶのは私たちではないですか?
簡単に「マスゴミ」と片付ける考えですと、今の中国や北朝鮮のマスコミや体制崩壊前のソ連のマスコミを良しとする考えと変わらないのではと思いますが、どうでしょうか?

余計なことを書いて申し訳ありません。

ごめんなさい、
だいぶ変換ミスをしていたりタイプミスをしていたのを見落としていました。
でも、大筋理解してください。

em5467-2こと恵美様

コメントありがとうございます。共感してくださり、とてもうれしいです。

>幼児の時から身近(例えば保育園・幼稚園の同窓とか)に心身や知能に障害がある方と、一緒に育つ環境ができないか、と思うのです。

同感です。
私も同じく、保育園、小学校、中学校まで身近に、障害のある同窓がいました。私も、いっしょになって楽しく遊びました。ともに生きる喜びを実感しました。「人はいろいろ違うのだと自然に受け止め、別に不思議とも思わず育ちました。」まったく、おっしゃるとおり、私もそう思います。子どものころから、そのような環境は必要ではないかと思います。そのころ、その環境作りに、先生や親たちの理解と協力があったと記憶しています。現在の実情がどうなっているのかはわかりませんが、何かしらの関わりを子どものうちから持つことは大事なのではないかと個人的な体験から、そう思います。

>人と自分を比べて、勝ち組、負け組と子供の頃から植え付けられる今の日本は、結局、一度、負け組になれば、誰も助けてくれない。閉塞感に充ち溢れた、どうしようもない社会です。
こんな日本を変える為に、人が人として尊厳を持って生きていける国にする為、お互いに戦いましょう。

まったく同感です。本当に酷い世の中です。この酷い世の中を変えるため、人が人としての尊厳を持って生きていける国にするために、ともに、力を尽くして、戦っていきましょう!

和田秀樹さま
はじめまして、今晩は。
中学時代、ゲーテの「若きヴェルテルの悩み」のあとがきに、この本が出版されベストセラーになると自殺者が増えるという現象が起きたと書いてあった記憶と、この記事が重なりました。先進国は長い時間をかけて、データーを蓄積し、分析の後、この種の報道の問題に取り組んで来たのですね。WHOや国連に自殺報道のガイドラインが有るとは知りませんでした。そういった意味では、日本はまだまだ人権後進国です。殺人にせよ特異なケースの自殺にせよ、私は、純然たる意味において、報道をするという事にはあまり遜色は感じません。むしろ、殺人事件の場合は犯人にプレッシャーをかけるという意味から大概の報道がなされているように思います。ただ、今までの感触としては殺人や自殺報道が事件を誘発するという事実は、国連やWHOの事を知らずとも、うすうす感じてはいました。現段階の日本のマスコミ報道で、一番問題なのは、サブミナル効果が有ると思われる程、繰り返し、繰り返し現場の報道をする事や、各局の特にワイドショーや報道番組での取り上げ方が詳細でくどい事、この点に尽きると思います。多分、視聴者サイドは、大概の人がこういう報道をほしがっているという程ではないし、コメンテーターが大仰なコメントをしても真剣に社会問題化して考える程は、深い意味で関心はないように思います。何故なら、”殺人事件ばかり有って嫌だ”とか”どの殺人事件か解らなくなった”という話が多いからです。報道サイドの取材能力のなさが、おそらく安易な報道ソースに飛びつく体質を作り出しているとは思いますが、かといって彼らが、いまさら先進国のガイドラインに従って報道を考え直す程創造力が有るとも思えません。やはりこういう問題に関心を持つのは、ある程度の教養のある集団だと思いますから、社会学的、あるいは精神学的観点から社会現象として問題提起していった方が現段階では近道なのではないでしょうか。暴行事件や暴力事件も現象としては同じです。問題提起するなら、自殺、殺人より、身近に起きる可能性の高い暴行事件や暴力事件から問題提起した方がより衆人の関心は惹くのではないかと考えます。

和田秀樹様へ。
貴兄が仰る統計学的な観点からも精神医学的な観点からも、全く納得ができません。私たちはその分野では門外漢なのですから、もっと解りやすく、論理的に解説してほしいのです。
例えば、自死は人間が社会を構成した途端に突然始まった一種の儀式だったとは、貴兄は思わないのですか?また例えば、自死の形式が時代によって、著しく異なることを貴兄はご研究なさったことがあるのですか?またまた問えば、人間のある領域の人たちが何故自死を求めるのかを貴兄は精神医学的に把握していらっしゃるんですか?
不肖私に言わせて頂くと「フザッケンジャネーヨ」ってレベルなんです。
特に噴飯ものは、「自殺報道が自殺を誘発するのは、すでに統計学的手法で明らかになっている。」って訳の分かんない、貴兄の「言い訳け」です。そこまで仰るのなら、それを科学的なデータとして、また時代環境をも含めて、きちんと実証して下さい。それが学者の責務です。もうひとつ言えば、その前に患者を何とか救うのが医者としての最大の責務ですよ…そのために暗夜行路を迷走しつつ最大限の努力を献身的に払っていらっしゃる精神科医を、二人存じ上げています。貴兄はどうなんですか?

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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